前回のコラム、(20) 川畠成道先生 特別インタビューでお伝えしたように、川畠先生の聖フィルへのメッセージは

川畠 楽しんで弾けるようにして欲しいです。そのためには、よくさらって技術的な問題を超えることが大切です。これがとても大変なことなんですが。でも、技術的な問題を解決することと、音楽を楽しむことは(一方をマスターした上で先に進むというような)段階的なものではなく、平行して対処すべきことです。

でした。これを読んで、みなさんどう感じましたか? 自分は楽しんで弾いているだろうか、楽しんで弾けるだろうかとドキッとした方もいるでしょうし、楽しんで弾くなんて当たり前なのにと、不思議に思った方もいることでしょう。先生はなぜ、私たちが楽しんで弾くことを望んでいるのか。それは、楽しんで弾くことが、音楽を作る上で大切だからです。今回はいささか長文になりますが、音楽の本質にも関わるこの川畠先生からのメッセージを考えたいと思います。

1. 楽しんで弾くことはなぜ大切か

まず、音楽とは何か、考えてみましょう。楽譜は音楽ですか? いいえ、違います。楽譜は作曲家が自分の意図を書き記したものですが、それだけでは単なる紙切れです。演奏者が楽譜を音にして、作曲者の意図を再現するプロセスが必要です。

それでは、楽譜が音になれば、それが音楽でしょうか。残念ながらまだ音楽ではありません。単なる「鳴り響き」です。音楽が完成するためには、演奏者がこの鳴り響きを通じて何かを伝えなければなりません。演奏者のメッセージが聴き手に伝わった時に初めて、音楽が完成します 1。演奏者が1人であろうと大勢であろうと、プロであろうとアマであろうと、変わりません。

専門の音楽家ではないアマチュアがお客様に最も伝えやすいメッセージは、「自分たちは楽しんで演奏している。どうぞ皆さんも、一緒に楽しんでください」ではないでしょうか。でも果たして私たちは、楽しんで弾いているでしょうか。定期演奏会でその楽しさが、聴衆に伝わっているでしょうか。このようにたどっていくと、「楽しんで弾けるように」という川畠先生のご希望は、私たち聖フィルの「鳴り響き」を真の音楽にするための、キーポイントとも言えるのです。

2. 川畠先生の音楽

川畠先生は音楽において、非常に優れたコミュニケーション能力をお持ちです。先日の初顔合わせの時も、緊張+興奮状態の私たちを自然にリラックスさせてしまいました。彼の飾らない人柄や真剣に音楽に向き合う姿勢が、演奏から自然ににじみ出て、団員一同うっとり……。

彼は自分にしか出せない独特の音を持っている!というのが、2年前に初めて川畠成道リサイタルを聴いた時の、私の印象でした。自分の音を持つということは、演奏家として最大の武器ではないかと思います。特に激しく弾いているわけでもないのに、強く訴える力を持つ音。なぜそんな音を作り出せるのか。

川畠先生は自著『僕は、涙の出ない目で泣いた。』の中で、「自分の気持ちを伝えるような音を出す」「自分の伝えたい音を出す」「心を表現する、気持ちを伝える」ことの大切さを語っています2。彼は人に伝えたいメッセージをたくさん持っている。そして、自分のヴァイオリンの音によってそれを伝えることに、喜びを感じている。だからこそ、彼独特の音、彼だけに奏でられる音楽が作り出され、メッセージが聴衆の心に響くのだと私は考えます。

3. 私たちは何をすべきか

共演させていただく私たち聖フィルが目指すことは、次の3点だと思います。まず第一に、聴く者に強く訴える川畠先生の音楽を、しっかりと受け止めること。次に、一緒に音楽作りを楽しむこと。そして第三に、その楽しさが聴き手に伝わるように演奏することです。

アマチュア奏者の中には、技術的にとてもお上手なのに「楽譜に書かれた音を正確に出す」ところで止まってしまう方が多いことを、私は以前から残念に思っていました。アマ・オケの演奏会で、最後のアンコール曲が一番印象に残った経験はありませんか。これはおそらく肝心の曲が、メッセージの伝わらない「鳴り響き」に終わってしまったからでしょう(一方アンコールには「演奏会はこれで終わりです。皆さん聴きに来てくれてありがとう!」というメッセージが、無意識に込められやすいのでしょうね)。一生懸命に演奏すればそれで良いと考える人もいますが、これは演奏者として当然のことで、聴く方としてはもの足りません。

もちろんオーケストラにおいて、音楽表現のための目標や方向性を示すのは指揮者であり、それを実現するために奏者は一致団結しなければなりません。しかし、これと一人一人が楽しんで弾くことは、矛盾しません。大勢で弾くオーケストラでは、各々が音楽を楽しむことによって、聴き手により大きな楽しさのエネルギーを伝えることができるはずです。

楽しんで弾くことは、アマチュアに与えられた特権とも言えます。もちろん、自分たちが楽しいだけの、ひとりよがりの演奏は許されません。川畠先生も、楽しんで弾けるようにするためには「よくさらって、技術的な問題を超えることが大切だ、そしてこれがとても大変なことだ」とおっしゃっていました。

だからと言って、「技術的に未熟だから、弾くだけで精一杯」とか「自分は下手だから、楽しむなんて無理」と考えるのは、正しいとは思えません。川畠先生も、「技術的な問題を解決することと、音楽を楽しむことは(一方をマスターした上で先に進むというような)段階的なものではなく、平行して対処すべきこと」と言っておられましたよ。上手に弾ける人だけが、音楽を楽しむことを許されるわけではないのです。技術を磨きながら、同時に楽しんで弾くことも練習すべきです。

たとえば、川畠先生が指導してくださったブルッフ第2楽章の練習番号F。ヴイオリン・パートの旋律は、歌い疲れたように黙りこんだソロ・ヴァイオリンを、再び誘い出す甘いささやきですし、その後のチェロやコントラバスの旋律には、ソロがまるで戯れるように対旋律を奏でます。変ト長調フラット6つとか弱音とか高音域とかいろいろ大変なのはわかりますが、眉間にしわを寄せて弾くなんて、もったいなーいっ! 川畠先生とのデートを、最大限に楽しむべきです。たくさん練習するだけではなく、ここで川畠先生は、自分(たち)の音楽を感じてくださっている、しあわせ♡……と考えながら弾いてみたらいかがでしょうか。そうすれば、顔の表情も自ずと変わってくるはずです。

4. 終わりに

練習の休憩のとき、指揮の高橋先生に川畠先生が、とても弾きやすかったとおっしゃったそうですが、電車の中でも、次の練習が楽しみになったと言ってくださいました。初練習で聖フィルのイメージを得た川畠先生、次回の練習までに、果たしてどのようなブルッフを組み立てて来てくださるでしょうか。

前回、共演していただいた有森直樹先生は、「メンデルスゾーンの音楽を美しく弾くことによって、バッハの音楽を復興させたメンデルスゾーンに恩返ししたい」という、明確なメッセージをお持ちでしたが、私たち聖フィルはそのメッセージを共有しただけで終わってしまったかもしれません。

今回、川畠先生は、楽しんで弾くことを私たちに望んでおられます。私たち一人一人がこれを真剣に受け止め、彼のヴァイオリンと一緒に音楽作りを楽しめるように、聴いてくださる方々に楽しさを伝えられるように準備しましょう。ブルッフだけではありません。「楽しんで弾くこと」は、モーツァルトや『運命』においても、他のどんな曲においても、私たちが目指すべき目標なのです。

  1. もし、演奏者のメッセージを受け取った聴き手が、それに対する自分のメッセージを何らかの方法で演奏者に伝えることができれば、双方向でのコミュニケーションが成立します。これは(なかなか起こることではありませんが)、音楽の理想的な在り方と言えます。
  2. 川畠成道『僕は、涙の出ない目で泣いた。』扶桑社、2000年、 108–9ページ。