10. 1月 2012 · (63) 音楽は数学だった?! はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

長らく中断していた「アマ・オケ奏者のための音楽史」シリーズ、待望の (?!) 第3回は、中世の音楽についてです。西洋における中世は、5世紀頃から14世紀頃までの約1000年間と、かなりアバウト((27) 音楽史の時代区分参照)。古代ギリシア・ローマ時代の後、その素晴らしかった古代の文化を再興しようとしたルネサンス時代(Renaissanceはフランス語で「再生」の意)までの間の、何も無い「間の紀」を指したからです。「バロック」と同様「中世」も、もとはネガティヴな意味合いを持つ時代区分でした((45) いびつな真珠参照)。

すべてが宗教=キリスト教によって支配されていた中世ヨーロッパ。古代ギリシアの数比に基づく音楽論が継承され、キリスト教神学のもとで発展します。中世の高等教育機関において音楽は、教養人が学ぶべき自由学芸(アルテス・リベラーレス)の1つとして、必須の学でした1。自由学芸は7科目あり、トリヴィウム(ラテン語でtriは「3」、viumは「道」で、3科目の意)と、クヮドリヴィウム(quadriは「4」で、4科目)に分けられています。トリヴィウムは:

    文法 / 修辞学 / 弁証法

つまり言葉の学問です。まず初めに語学力を身につけ、言葉で表現することを学ぶのです。次に学ぶクヮドリヴィウムは:

    算術 / 幾何学 / 天文学 / 音楽

これらは数の学問です。中世において数の学問が重視されたのは、神が創造した全世界は素晴らしい調和(ハルモニア)によって造られていて、その調和の根本原理が数の関係上に成り立っている。だから、数を学ぶことで調和の謎を解明し、神によって造られた世界を詳しく知る手がかりを得られる、という当時のキリスト教の考え方によるものでした2。そして、その調和の根本原理を「ムジカ=音楽」と呼んだのです。

数の学問に含まれていることからもわかるように、中世における音楽は私たちが思い浮かべる音楽と大きく異なっていました。ボエティウス(485頃〜524)が書いた『音楽提要』(De institutione musica『音楽教程』とも)は、後世に大きな影響を与えた音楽理論書ですが、音楽を以下の3つに分けています3

  1. ムジカ・ムンダーナ(宇宙の音楽):宇宙全体の調和
  2. ムジカ・フマーナ(人間の音楽):肉体と魂の調和
  3. ムジカ・インストゥルメンターリス(器具の音楽):実際に鳴り響く音楽

最も下位に置かれたムジカ・インストゥルメンターリスが、現在私たちが音楽と呼んでいるもの。器楽だけではなく声楽も含まれます(実際に鳴り響くので)。他の2つは聞こえませんが、たとえばムジカ・ムンダーナは「天体は非常に速い速度で動いているので、私たちの耳には届かないものの、全く音を発せないわけがない」とボエティウスは考えました。中世において実際に聞こえる音楽は、音楽の一部に過ぎなかったのです。

まとめ:中世において音楽は、それを通して世界の調和のしくみを探求する、数学(より正確には数の学問)の1部門と位置づけられていました。わかったような、わからないような……。

  1. 中世の高等教育は初め、修道院や教会の付属学校で行われました。12世紀以降、ヨーロッパ各地に大学が設立され、これらの自由学芸が受け継がれます。
  2. 金澤正剛『中世音楽の精神史』(講談社選書メチエ、1998)、21ページ。
  3. 前掲書第2章では、ボエティウスの音楽論が詳しく説明されています。