05. 10月 2016 · (292) エニグマ変奏曲の謎?! はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

聖フィル第15回定期演奏会を聴きに来てくださった方々、どうもありがとうございました。エルガーのチェロ協奏曲と、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」、いかがでしたでしょうか? ソリストの森田啓佑さんから、私たちは大きな刺激を受けました。少しずつでも、音楽的に成長していきたいと思います。今回のアンコールは、エルガーのエニグマ変奏曲作品36から、第9変奏「ニムロッド」でしたので、コラム恒例のアンコール・シリーズはエニグマ変奏曲の謎について。

エニグマenigmaとは「神秘的、あるいは不可解な人や物」のこと。14の変奏曲にはそれぞれ「C.A.E.」とか「 E.D.U.」など、エルガーの知り合いたちを示す意味ありげなイニシャルやニックネームが付けられ、彼らに献呈されています。「C.A.E.」は、妻のキャロライン・アリス・エルガー(第1変奏)、「E.D.U.」は自分自身(エドワードのエドゥ。第14変奏=終曲)を指すなど、多くの謎(エニグマ)は解かれていますが、第13変奏に付けられたアステリスク3つ「***」は誰??

自筆譜のタイトルベージには、「エドワード・エルガーによって作られたオーケストラのための変奏曲作品36」としか書かれていません。Enigmaという語は、この変奏曲のスコアを出版するロンドンの Novello 社に勤めていたイェーガー(デュッセルドルフ出身)によって、楽譜の主題の上に書かれました。おそらく、出版までにエルガーの依頼で書き加えられたのでしょう。ということは、エニグマは作品のタイトルではなく、主題のこと!?1  エルガーは、主題をエニグマとした理由を明らかにしなかったため、謎を解こうとする試み(主題の元の旋律、あるいは隠された旋律などを見つけること)も行われています2

ところで、第9変奏に付けられた「ニムロッド」は、旧約聖書に登場するノアの息子ハムの子孫クシュが生んだニムロデのこと。「ニムロデは地上で最初の権力者となった。彼は主のおかげで、力ある猟師になったので『主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。』と言われるようになった」(創世記10章)3。イェーガーという苗字は、ドイツ語で狩人という意味。「ニムロッド」は上述のイェーガーなのです。

この第9変奏は、自分を支えアドバイスしてくれたイェーガーへの、エルガーの感謝の気持ちに基づいています。エルガー自身はこの変奏について「長い夏の夕べのおしゃべりの記録で、そのとき友人はベートーヴェンの緩徐楽章について雄弁に語った。冒頭の数小節が第8番ソナタ(《悲愴》)の緩徐楽章をほのめかして作られていることに気づくだろう」としか述べていません。一方、次の第10変奏でドラベッラとして描かれるパウエルによると、イェーガーはベートーヴェンの例も引きながら、エルガーが憂鬱な状態にいるのをやめさせようとしました。この変奏の雰囲気は、その出来事によるのかもしれません4

余談ですが、ウィキペディア日本語版の「ニムロッド」変奏には、「イェーガーの気高い人柄を自分が感じたままに描き出そうとしただけでなく、2人で散策しながらベートーヴェンについて論じ合った一夜の雰囲気をも描き出そうとしたらしい。」と書かれています。Rushton の研究書には「散策しながら」なんてどこにもありませんでしたよ。エニグマです。来週のコラム更新はお休みさせていただきます。

  1. Rushton, Julian, Elgar: ‘Enigma’ Variations, Cambridge Univ. Press, 1999, p. 1.
  2. Rushtonも前掲書第5章をこの謎に割いています。
  3. 『聖書新改訳』日本聖書刊行会、1973年、13ページ。
  4. Rushton, Julian, op. cit., p. 46.
15. 6月 2016 · (282) ブルックナー・リズムの元?? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

ブルックナーと言えば、2+3のブルックナー・リズム。4/4拍子の1小節の前半に4分音符2つ、後半(の4分音符2つ分)に3連符を入れるリズム(3連符が先の3+2の場合も)。4分音符5つのうち、後の3つが前の2つより1/3拍ずつ短い。タンタンタタタとタンタンターターターの中間だから、タンタンタ-タ-タ- かな。

交響曲第4番《ロマンティッシェ》にも、た〜くさん出てきます。第1楽章では第1主題の後(43小節〜)や、第3主題(練習番号D)。第3楽章のスケルツォ主題も。ここは2/4拍子なので、8分音符のブルックナー・リズム、しかもアウフタクト付きです。終楽章の序奏部後半では、このスケルツォ主題をホルンが回想。29小節から4分音符、35小節からは8分音符のブルックナー・リズムの掛け合いがみられます1

見た途端、聴いた途端にブルックナーだ!とわかるこのリズム。いつ、どうやって思いついたのか知りませんが、もしかしたら「元」はこれ? 譜例1をご覧ください(クリックで拡大します)。

譜例1:ブルックナー《ロマンティッシュ》終楽章1874年稿自筆譜(W-An, Mus.Hs.6082)

譜例1. ブルックナー:交響曲第4番終楽章1874年稿自筆譜(A-Wn, Mus.Hs.6082)603小節〜

《ロマンティッシェ》終楽章コーダ、自筆譜の1ページです。上から3段(フルート、オーボエ、クラリネット)と、1段(ファゴット)おいた5、6段目(ホルン)。1小節に四分音符が5つずつ。おおお、ここにもブルックナー・リズム!??   あれれ、上に5、5、5と書いてあります。つまり、これは5連符!

5連符なんて知らない!と言われそうですが、これは1874年作曲の第1稿。上3段は、繰り返し記号の小節もやはり5連符。下5段の弦楽器(うわぁ、ヴィオラが「III」と略されている!!! サード・ヴァイオリン?? アルト記号の記譜ですが)は16分音符と8分音符。割り切れな〜い。演奏が大変そう。

譜例2:ブルックナー《ロマンティッシュ》終楽章1878年2稿自筆譜(W-An, Mus.Hs.19476)

譜例2. 同上1878年稿自筆譜 (W-An, Mus.Hs.3177, Band 3) 468小節〜

譜例2は、1878年に改訂した終楽章(”Volksfest”)。5連符は無くなっています。上から3段(フルート、オーボエ、クラリネット)は四分音符と八分音符のタンタカタンタン。次の3段(ファゴットとホルン)をとばして、上から7、8段目(トランペット)は3+2のブルックナー・リズムですね。タ-タ-タ-タンタンとタンタカタンタンが、同時進行。

さらに、その下の段(なぜかここにティンパニ)をとばした次の3段(10〜11段目のトロンボーンと12段目のテューバ)を見ると……。この小節にも音符が5つ。でも、さっきと逆の2+3!! ということは、2種類のブルックナー・リズム、タ-タ-タ-タンタンとタンタンタ-タ-タ-が同時進行。演奏は5連符よりずっと楽ですが、タンタカタンタンも重なって何だかわからない。まだ5連符に未練がある?2

1880年稿の終楽章(譜例3、ハース版)では、前半の3連符と後半の3連符のみ採用され、6連符に。5連符もダブルのブルックナー・リズムも無くなって、すっきり。演奏はとても楽になりました。ただ、紆余曲折の痕跡が全く残っていなくて、何だかちょっと残念な気もしますね(来週の聖フィル♥コラムはお休みさせていただきます)。

譜例3:ブルックナー交響曲第4番終楽章1880年稿自筆譜 (W-An, Mus.Hs.19476) 537小節〜

譜例3. 同上1880年稿自筆譜 (W-An, Mus.Hs.19476) 537小節〜

  1. さらに39小節からは3+2と2+3のブルックナー・リズムが重ねて用いられています。
  2. 金子建志『ブルックナーの交響曲』音楽之友社、1994年、129ページ。
12. 2月 2014 · (172) 音楽の商品価値 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

音楽ジャンルに、上下関係はありません。交響曲だけが偉い、いえ重要!ではなく、歌曲もオペラも室内楽も、みんな同じように重要です、と書こうと思ったら……。モーツァルトにとって音楽は、ジャンルによって価値が異なるものでした1。1783年に作曲した交響曲第36番《リンツ》と、1784年に作曲した4つのピアノ協奏曲(第14〜17番)の自筆譜に関する父への指示に、それがあらわれています。

レオポルト・モーツァルトへ(1784年2月20日、ウィーンにて) 交響曲の譜はオリジナルですので、いつか写しを取ってください。そうしたらぼくに送り返すか、あるいは誰かにあげるか、お好きなところで演奏させても結構です。協奏曲(第14番)もオリジナルですから、これもどうぞ写しをとってください。でも取り終わったらできるだけ早くぼくに返してください。忘れないでほしいのですが、これは誰にも見せないでください。ぼくはこれを、[バーバラ・]ブロイヤー嬢のために作曲しました。この人はぼくに気前よく払ってくれたからです。

レオポルト・モーツァルトへ(1784年5月15日、ウィーンにて) リンツで例のトゥーン伯爵のために書いた交響曲、それに4つの協奏曲を、今日の郵便に乗せました。交響曲についてはかまいませんが、4つの協奏曲のほうは、家で写しをとるようにしてください。ザルツブルクの写譜屋はウィーンの連中と同じくあまり信用できませんから。確かな話ですが、ホーフシュテッターは、ハイドンの音楽の写しを二部取ったそうです。(中略)これらの新しい協奏曲のうち変ロ長調(第15番)とニ長調(第16番)はぼくだけのものですし、変ホ長調(第14番)とト長調(第17番)のはぼくとブロイアー嬢だけのものですから、誰かの手に入るとすれば、こういう不正行為以外に方法はありません。ぼく自身は、何でもぼくの部屋で、ぼくの見ている前で写譜させています。

18世紀後半には、大編成の合奏曲を出版する場合、彫版を作って印刷するよりも手で書き写すほうがまだ一般的だったそうです2。でも、手紙に書かれているように、こっそり余計に写して売りさばく不届き者の写譜屋もいたのです。海賊版が出てしまうと作曲者の得になりません。モーツァルトにとって写譜屋は、料金や仕事のスピード、正確さだけではなく、信用できるかどうかが大問題でした。

ところで、手紙の中でモーツァルトは、協奏曲の海賊版が出ることをとても心配し、家で(家族が)写すようにとか、誰にも見せないようになどと指示していますね。一方で交響曲は、だれかにあげてもよいとか、どこかで演奏されてもかまわないと書いています。つまり、モーツァルトにとって協奏曲の方が、交響曲よりも商品価値がずっと高かったということになります。

(16)「交響曲」は開幕ベルなどで書いたように、18世紀の交響曲は演奏会の序曲。開幕ベル代わりの、ほぼ使い捨ての音楽でした。一方の協奏曲は、観客がソリストの妙技を楽しむ、演奏会のメイン。どちらが重要か、考えるまでもありません。しかも、モーツァルトにとってピアノ協奏曲は、自分の予約演奏会の呼び物。1784年の2〜4月に作られたこれら4曲は、できたてのほやほやの「最新作」。まだウィーンの人々に知れ渡っていない、大事な大事な財産だったのです。交響曲が偉い、いえ重要!どころか、モーツァルトは交響曲の海賊版をあまり気にしていなかったというお話でした。

  1. 手紙の抜粋も含めて、マーシャル『モーツァルトは語る』高橋英郎、内田文子共訳、春秋社、1994、94-95。
  2. 前掲書、91。
08. 1月 2014 · (167) 演奏会用序曲と交響詩 (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

既にコラムで何度か取り上げた交響詩((74) ミステリアス、《レ・プレ》(43) シベリウスと《フィンランディア》)。詩が付いた交響曲ではないこと、みなさんご存知ですよね。それでは、演奏会用序曲って何でしょう? オペラの序曲のように、演奏会の幕開けに演奏される曲? もとは、イタリア風序曲シンフォニーアなどから成立した「交響曲」(赤ちゃん交響曲)が、演奏会の最初に演奏されていました((18)「赤ちゃん交響曲」誕生までなど参照)。が、それと演奏会用序曲は別物です。

演奏会の1曲目に演奏される序曲? 確かにオーケストラのコンサートでは、オープニングの短めの曲として序曲が演奏されることもあります(聖フィルでも、《フィガロの結婚》《エグモント》《オーリドのイフィジェニー》などの序曲を、1曲目に演奏してきました)。でも、オペラなどの序曲だけが演奏会で取り上げられても、それは(ただの)序曲。演奏会用序曲とは呼びません。

正解は、19世紀以降に単独楽章として作曲された、序曲という名称を持つ管弦楽曲。劇作品などの導入曲ではなく、序曲だけで独立した作品です。原型はベートーヴェンの、たとえば序曲《霊名祝日》(1814〜15)。最初のスケッチ(1809)には「あらゆる機会のための――あるいは演奏会のための序曲」と書かれていて、彼が単独の曲を意図していたことがわかります1。皇帝の霊名祝日の祝賀行事用として作曲が進められた時期があったためにこの名で呼ばれますが、結局、霊名祝日のプログラムからはずされました。最終的に、最初に考えたような「あらゆる機会のための序曲」になったと言えます。

ベートーヴェンの11の序曲の中で、オペラや演劇と無関係に成立したのはこれだけですが、音楽的に独立した序曲は他にもあります。《コリオラン》序曲(1807)は、ウィーン宮廷劇場で成功を収めていた、ハインリヒ・フォン・コリン作の舞台劇用序曲として作られました。コリンに献呈したものの、この序曲をつけた舞台上演の記録は残されていないそうです2。また、《献堂式》(1822)序曲は、劇場のこけら落とし公演の祝典劇用に作曲したもの。劇中音楽の多くは同様の機会のために作られた《アテネの廃墟》(1811)からの転用なので、新作の序曲は、独立した曲と言えなくもありません。

演奏会用序曲の原型がベートーヴェンなら、典型はメンデルスゾーン。たとえば《ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)》(1830)は、オペラや演劇と関係の無い、序曲だけの音楽です。彼は、スコットランド旅行中ヘブリディーズ諸島に魅了され、「心に浮かんだものを書き留め」ました(譜例1)。序曲冒頭は、拍子以外ほぼスケッチそのまま。寄せては返す波のような、もの悲しい第1主題になっていますね。

譜例1:

譜例1:メンデルスゾーン《ヘブリディーズ諸島》のスケッチ前半、1829年8月7日

《静かな海と楽しい航海》(1830)はゲーテの同名の本からインスピレーションを得たもの。また、《夏の夜の夢(真夏の夜の夢)》の序曲(1826年)も、シェイクスピアの独語訳を読んだ17歳のメンデルスゾーンが、単独で作った演奏会用序曲でした(初めはピアノ連弾用。有名な結婚行進曲などの劇付随音楽を作曲したのは、16年後の1942年)。

以前から、オペラの序曲が本体と切り離されて、コンサート・ピースとして演奏されていました。ヘンデル、モーツァルト、ケルビーニらのオペラ本体が忘れられた後も、序曲は残りましたし、モーツァルトは《ドン・ジョヴァンニ》序曲の演奏会用エンディングを作っています。19世紀に演奏会用序曲というジャンルが成立するのは、ごく自然な流れだったのでしょう。

しかし、1850年代に交響詩が生まれると衰退に向かいます。前回ご紹介したショスタコーヴィチの《祝典序曲》は、20世紀に作られた(かなり稀な)例の1つ((166) おめでたい (!?) 音楽参照)。ソナタ形式による長過ぎない単一楽章の管絃楽曲という伝統が、受け継がれています。

  1. 大久保一「序曲《霊名祝日》ハ長調 Op. 115」『ベートーヴェン事典』東京書籍、1999、121。
  2. 平野昭「悲劇《コリオラン》序曲 Op. 62」前掲書、492。
26. 6月 2013 · (139) 実はいろいろ! ハ音記号 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

凹んだところが真ん中のドを示すハ音記号。ピアノの楽譜(大譜表)で使われるト音記号(出発点の高さがト=ソ)やヘ音記号(2つの点で挟まれた高さがヘ=ファ)ほど出番は多くありませんが、実は中世から存在していました((82) 1000年前の楽譜参照)。オケ奏者には、ヴィオラの音部記号としておなじみですね。五線の3本目に凹みが向き、五線の中にきれいに収まります。

ヴィオラ初心者は、慣れるまで読譜に一苦労でしょう。なぜわざわざ読みにくい記号を使うのか!とお怒りの方も多いと思います。でも、もしト音記号を使うと、ヴィオラの最低音(真ん中のドの1オクターヴ下のド)を書くには、加線(短い線)が4本も必要。上の音域がはみ出すヘ音記号は、問題外。加線1本だけで最低音を示すことが出来るこの記号、まさにヴィオラのために存在するようなものです。

ところで、ヴィオラの記号=ハ音記号と思っている人が多いようですが、正確にはアルト記号。ハ音記号は他にもあります。チェロ・パートの高音域には、第4線(五線は下から数えます)が凹んだハ音記号も使われますね。これはテノール記号。

アルトとテノールがあるなら、ソプラノも?と思った方、鋭い! もちろんあります。第1線に凹みが向いていて、加線を使わなくても、真ん中のシ(?!)から1オクターヴ+4度上のミまで、書き記すことができます。でも、ハ音記号のバス記号はありません。ヘ音記号がバス記号。

五線のうち、第1、3、4線に凹みが向く記号があるのに、2と5は無いの?と思った方も鋭い! もちろんあります。ソプラノ・アルト・テノール・バス以外にも、まだ声の種類があるじゃありませんか。第2線がドなのはメゾ・ソプラノ記号。第5線がドなのはバリトン記号ですが、実際には下にずれたヘ音記号(第3線がファなので、第5線がドと同じ)が使われます。つまり音部記号は、ト音記号1、ハ音記号4、ヘ音記号2の合計7種類(図1参照)。

図1:音部記号

図1:音部記号(クリックで拡大します)

この一覧表を見ると、大学のソルフェージュ(音楽の基礎訓練。楽譜を見てすぐに歌う「新曲視唱」や、聴いた音を楽譜に書く「聴音」など)の時間に「クレ読み」させられたことを思い出します。「クレ」とはフランス語で音部記号のこと(英語では最後の f も発音するので「クレフ」)。途中でどんどん音部記号が変わっていく旋律を、初見で(見てすぐ)歌うのですが、メゾ・ソプラノ記号やバリトン記号などは特に難しい。当時は、こんな練習がいったい何の役に立つの?と疑問に思ったものでした。

でも、やはり読めた方がよいのです。譜例1、バッハの《マタイ受難曲》自筆譜合唱パートに注目! ソプラノ・パートはソプラノ記号、アルトはアルト記号、テノールはテノール記号、バスはバス記号で書かれています。バッハのハ音記号はKの右上からの線が極端に短いものの、シャープの位置から逆算できます(テノール声部の2ヶ所のシャープは両方ファ)。加線を書く手間が省ける(アルト・トロンボーンやテノール・トロンボーンの場合も同様)各種音部記号、このように当たり前に使われていたのです。

譜例左:バッハ作曲《マタイ受難曲》自筆譜第1ページ第1合唱合奏体部分。譜例右:同左合唱部分。

譜例1左:バッハ作曲《マタイ受難曲》自筆譜第1ページ上半分、第1合唱合奏体部分。譜例1右:同合唱声部部分

 

 

27. 9月 2011 · (48) アクセントか、デクレッシェンドか? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

譜例1の自筆譜をご覧ください。1小節目から2小節目にかけて、クレッシェンドとデクレッシェンドがペアで書かれています(*1)1。6小節目はどうでしょう? 記号Aは長いのでデクレッシェンドで、その下のBは短いからアクセントかな? ずーっと下の記号CはAとBの中間の大きさですが、これはアクセント? それともデクレッシェンド?

譜例1 シューベルトの自筆譜(《未完成》交響曲第2楽章冒頭)
譜例1 シューベルトの自筆譜(《未完成》交響曲第2楽章冒頭)

この自筆譜は、シューベルトの《未完成》交響曲第2楽章 Andante (Andte と略記されています) con mote の最初のページ。ファゴットとホルンの和音の後、3小節目から弦楽器が主旋律を奏するところです。楽器名をスコアに書き入れておきました2

名誉会員資格の返礼としての浄書スコアなので非常にクリアに美しく書かれていて、演奏に迷う箇所はありません((32)《未完成交響曲》はなぜ未完成か?参照)。ただ、シューベルトの自筆譜に特有の問題が、このページにも存在します。コラムのタイトルを見てピンと来た方も多いと思いますが、彼が書いたアクセント記号とデクレッシェンド記号は見分けがつきにくく、校訂者の悩みの種なのです。

上で述べたA、B、Cの3つのくさび形が好例ですが、さらに状況を複雑にするのは、この6小節目と同じパターンが繰り返される12小節目の記号。一番上の記号Dは大きいですが、今度はEとFの大きさが同じくらいです。これはアクセント? それともクレッシェンド?

どのパートに付けられた記号なのかも問題。記号CとFは(上下のパートが休みなので)チェロ用に間違いありません。でも、それ以外の記号はどうでしょうか。6小節目と12小節目では、記号が書き付けられた位置が微妙に異なります。

記号AとDでは、Aは下のセカンド寄り、Dは上のファースト寄りに書かれています。一方、BとEでは、Bは下のヴィオラ寄り、Eは上のセカンド寄り(位置としては、ヴィオラのシャープの真上)。記号の大きさの違いから、AとDをデクレッシェンド、BとEをアクセントと判断したとしても、それぞれ上下どちらのパートに付けられた記号なのか、解釈が難しいのです。本来、パート毎に1つずつ、アクセントやデクレッシェンドの記号を書くのですが、シューベルトの場合、上下両方のパート用に1つの記号で間に合わせる場合もあります。

自筆譜1ページだけで、これだけの謎が出て来ます。彼の《グレート》交響曲にはアクセントが1000個も書かれているそうですが、デクレッシェンドと見分けがつかないほど大きいものが少なくありません。最も有名なのが、終楽章の最後の和音に付けられた、2小節に渡る長いくさび形。どう見てもデクレッシェンド以外には見えませんが、ここまで来てだんだん弱くするのか?3

ちなみに、聖フィル指揮者の高橋隆元先生は「『アクセントとデクレッシェンドは現象としては同じ。そして前後の関係によって決まる』と考えれば、さほど混乱は無い」と言われます。譜例1のA〜Eは大きさに関わらず「1小節をかけた柔らかいアクセント」、AとBで上下3つのパートに作用すると解釈され、私たちはそのように練習しています。

  1. 追記 (11/10/05):その次の小節から2小節間、大きなデクレッシェンドがありますが (*2)、これは上下のパートそれぞれに付けられたスラーが合体したものでした。訂正いたします。高橋先生、ご指摘ありがとうございました。
  2. この時代の典型的な並べ方です((35)モーツァルトのホルン協奏曲参照)。クラリネットはA管。ホルン、トランペット、ティンパニは E 管なので調号無しで書かれています。トロンボーン1と2の段では、最初に書いた音部記号を消して、ヴィオラと同じアルト記号に書き直していますね。
  3. 多くの指揮者は、これをアクセントと解釈しています。オイレンブルク・スコア《グレート》の解説 xv ページにある自筆スコア最終ページのファクシミリで、大きさをご覧ください(全音出版社、2005)。
04. 8月 2011 · (40) 変更された《未完成》第1楽章コーダ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

コーダはイタリア語で「しっぽ」のこと1。曲の最後の締めくくり部分を指します。たとえば、《未完成》交響曲第1楽章のコーダは、チェロ&バスによる序奏部メロディーの回想から最後まで。シューベルトは、地の底から響いてくるようなオープニング部分を、再現部の導入には使わずにコーダに取っておいたんですね。憎い演出です。

譜例1の《未完成》ピアノ・スケッチ第1楽章コーダ部分(2小節目〜)を見ると、シューベルトがオーケストレーションするときに、この部分を大きく変更したことがわかります2。まず長さが違いますね。スケッチのコーダ、短いでしょう。現在のコーダは41小節ですが、スケッチでは24小節しかありません3

譜例1 《未完成》ピアノ・スケッチ第1楽章コーダ2小節目〜

譜例1 《未完成》ピアノ・スケッチ第1楽章コーダ2小節目〜

何よりも驚かされるのは最後の音。譜例1の2段目を見てください。5小節目から、ロ短調の主和音し-れ-♯ふぁ(このような暗い響きの三和音を、短三和音と言います)が、p から2小節間クレッシェンドし、次の2小節で からデクレッシェンドします。次に最後の和音が3小節続きますが、 pp の右隣にあるのは……なんと♯です!  左手パートにも♯。つまり、スケッチ段階でシューベルトは、《未完成》第1楽章をし-♯れ-♯ふぁの響き(こちらは長三和音と言います)で終わらせるつもりだったのです。

16世紀には、短三和音を主和音にする曲(ルネサンス時代には、まだ長調も短調も存在しなかったため、このようなややこしい表現になります)の最後の和音に♯を付けて、そこだけ明るい響きにすることがよくありました。この半音上げた音を、「ピカルディーの3度」と呼びます。聴いていると、曲の最後でふわっと浮き上がるような印象を受けます。

この習慣はバロック時代でも引き続き用いられましたが、古典派の時代にはあまり使われなくなりました。シューベルトもオーケストレーションの際、放棄しています4。さらに、強弱も変更。スケッチの最後の和音は、すでに述べたように pp と指示されていますから、第2楽章のみならず第1楽章も、静かに終わるつもりだったのですね……。弾く立場からすると、シューベルトが 第1楽章コーダをff で終わるように書き直してくれたのは、とてもありがたいと思うのですが、いかがでしょうか。

  1. 12/01/11追記:「シューベルトもコーダを変更した!」から改題。
  2. Franz Schubert: Sinfonie in h-Moll “Die Unvollendete”: vollständiges Faksimile der autographen Partitur und der Entwürfe. Emil Katzbichler, c1987. ドヴォルジャークもコーダを変更しました。(36) ドボコンに込められた想いを読み解くと、(38) ドボコンを読み解く試み その2を参照のこと。
  3. 続けて書かれた第2楽章のスケッチは、ほぼそのまま使われています。スケッチ2段目と3段目の間に、2小節分の音楽が加えられましたが、斜めの線で消された3段目の4小節も、そのまま使われています。
  4. 実はこのスケッチの最後の和音は、《未完成》の「普通でないこと」の1つを、部分的に説明してくれます。シューベルトは第1楽章のロ短調に続けて、ホ長調の第2楽章を書きました。これは実は、とても大胆な調選択です。でも、第1楽章をロ長調の和音で終わらせるつもりだったとすると、その大胆さがかなり薄まるのです。ただ、第2楽章をホ長調で終えたあと、何のクッションも置かずに第3楽章が再びロ短調で始まるので、調選択が「普通でないこと」は変わらないのですが。
29. 6月 2011 · (35) モーツァルトのホルン協奏曲 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

モーツァルトの協奏曲の中で、鍵盤楽器、ヴァイオリンに次いで多いのは、ホルンのための作品です。1862年のケッヘルの主題目録では、アレグロ2つだけで第2楽章を欠くニ長調が第1番、完成作3つ(いずれも変ホ長調)が2〜4番とナンバリングされました(他に楽章の断片が3つ存在)。しかし現在では、2番→4番→3番→1番の順序で成立したと判明しています1

演奏機会が多い第3番 K.447 は、充実した内容や、特殊な楽器編成(オーボエとホルンの代わりに、クラリネットとファゴットが2本ずつ)から、後期の作品と考えるのが自然です。ところがこの曲は、モーツァルトが1784年2月から亡くなるまで、詳細に書き込んでいた全自作品目録((23) 意外に几帳面だった(!?)モーツァルト参照)に、記入されていません。そのためケッヘルは、目録を書き始める直前の作品と考え、1783年5月27日の日付入りの自筆譜が残る第2番 K.417 の次にしました。

近年、モーツァルトの筆跡研究から1787年成立説が浮上し、それが五線紙の研究によって裏付けられました。この曲の自筆譜と同じ五線紙は、1787年に作曲された《ドン・ジョヴァンニ》だけにしか、使われていなかったのです2。様式研究だけで作品の成立年代を推定するのは、危険なことも多いのですが(もしもベートーヴェンの第3番と第4番の交響曲の作曲年代がわからなかったとしたら、普通は、規模が大きく複雑な3番《エロイカ》の方が、後に作られたと思いますよね)、この曲は推定と実際が一致した例です。モーツァルトが目録に記入しなかった理由は、謎のままです3

4曲のホルン協奏曲はいずれも、ザルツブルク宮廷楽団のホルン奏者だったイグナーツ・ロイトゲープのために作曲されたようです(モーツァルトはライトゲープとも綴っています。その後ウィーンに移り、チーズ商をしながら演奏を続けました)。ヴォルフガンクより20歳以上も年上ですが、2人がとても親しかったことが、第2番の自筆譜の「ろば、牡牛、馬鹿のライトゲープを憐れむ」という表題?献呈辞?や、第1番の終楽章スケッチの「静かに……君、ろば君、元気を出して」と始まる長い書き込みから窺えます。

第4番 K.495 の自筆譜にはふざけた書き込みは見られないものの、黒、青、赤、緑のインクが使われています(図1参照)4。校訂者ギーグリングのように、色の使い分けによって細かいニュアンスを伝えようとしたのではないかと考える研究者もいますが……。上から独奏ホルン、ヴァイオリンI、II、ヴィオラ、オーボエI、II(空白は休みの部分)、ホルン(1段でIとII。独奏ホルン用とともに、変ホ調用に記譜)、一番下がチェロ、バスのパート。当時の標準的なスコアの書き方です。

Hr Concerto

図1 モーツァルトの自筆譜(ホルン協奏曲第4番 K. 495 第2楽章ロマンツァ最終ページ)

  1. (33) シューベルトの未完成交響曲たちで、《未完成》交響曲のナンバリングの混乱についてを書いていたとき、ホルン協奏曲のケースが頭に浮かびました。4曲中3曲が同じ調ですから、もしもナンバリングが正しい順番に変更されていたら、とても面倒なことになっていたでしょう。ケッヘルがつけたジャンル別の旧番号が広く知られているために、未だに「モーツァルトの交響曲は41曲」と思われたりする側面はあるものの((14) モーツァルトが作った交響曲はいくつ?参照)、ナンバリングを変更せず、必要な場合は旧番号をかっこに入れて表記するシステムに感謝!です。
  2. 渡辺千栄子「協奏曲」『モーツァルト事典』、東京書籍、1991。
  3. 1797年という、不思議な日付(モーツァルトの死の6年後)が記入された自筆譜が存在する、第1番ニ長調 K.412/514 (386b)も、推定成立年が大きく変わりました。ミステリーのような研究プロセスは、別の機会にご紹介したいと思います。
  4. Mozart Neue Ausgabe sämtlicher Werke 14-5, ed by Giegling, Bärenreiter, 1987, p. XXIII。Ars_longa氏のご協力に感謝します。

聖フィル第4回定期演奏会は期せずして、交響曲で音楽会が始まる18世紀的なプログラム構成になりましたが(コラム (17) や (19) を参照のこと)、そのオープニング曲である第39番変ホ長調の交響曲を、モーツァルトは1788年6月26日に完成しました。続く40番ト短調は同年7月25日に、第41番ハ長調は8月10日に完成しています。なぜ1788年にこのように立て続けに交響曲を完成する必要があったのかは謎なのですが、当時としては前衛的とも言える音楽内容が含まれたこの3曲は、モーツァルトの三大交響曲と呼ばれています。

ところで、どうして作品の完成日がこれほど細かくわかるか、ご存知ですか? モーツァルト自身が『全自作品目録』に記録していたからです。彼は、1784年2月9日のピアノ協奏曲第14番変ホ長調以降、曲が完成するたびに、左ページに日付、通し番号、曲名、編成を、右ページに冒頭の数小節の音楽を、大譜表(ピアノに使われる書き方。オーケストラ曲も簡略化)の形で書き込んでいました。今で言う著作権を意識するようになったわけですね。

聖フィル団員の1人が、この『全自作品目録』の一部が含まれるモーツァルトの肖像付きイラストを、楽譜の表紙にしていました(図1)1。さて、目録はどこでしょう?(以下,図はすべてクリックすると拡大されます)

図1 肖像付きイラスト

そうです、一番下の部分です(図2)。肖像画の下方左側の楕円形、右側の長方形は、いずれもモーツァルトの予約演奏会の入場券。四角い方は、自由音楽家(コラム(10)参照のこと)としての絶頂期とも言える、1784または85年の演奏会のものです。それらの下方に、『全自作品目録』最初のページの下部約1/3が見えます。日付や番号部分は隠れていますが、右側の一番下の楽譜は、目録5曲目のエントリーである、ピアノ協奏曲第17番ト長調の冒頭4小節。その左側には編成の一部、2 violini, 2 viole(ママ), 1 flauto, 2 oboi, 2 fagotti, という文字。その上は4曲目のエントリーで、ピアノと木管楽器のための五重奏曲。楕円形チケットの右に、編成の最後の部分 (1 cor-)no, et 1 fagotto が見えます。

図2 下部拡大図

数小節ずつの譜例には、速度記号(ピアノ協奏曲冒頭の All:º =Allegro) や強弱記号(ピアノ協奏曲冒頭に p、五重奏曲には、見える範囲で f  が4個!)も書き込まれています。モーツァルトがとても几帳面にカタログを作っていたことが伺えて、微笑ましいですね。

ちなみに肖像画上部の楽譜は、4段に書かれていて上の2段が下の2段より複雑ですから、弦楽四重奏曲のスコアと見当がつくでしょう。プロイセン王四重奏曲第1番とよばれる、弦楽四重奏曲第21番ニ長調の第1楽章冒頭の自筆譜です。こちらはかなり急いだ感じの筆跡です。王の委嘱作品を、早く完成させたかったのかもしれませんね2

  1. 日本で購入した 15cm × 10cm ほどの輸入カードを、拡大コピーしたのだそうです。kr-ohさんのご協力に感謝します。Caspari Ltd. 製で、Linda Jade Charles のデザイン。Amazon.com では、ほぼ同じデザインのポスターが販売されていました。
  2. 上部余白のN. 34が何の番号かは不明。中央のモーツァルトのサインは、この自筆譜ではなく他に書かれたものからのコラージュです。肖像画の上は、6曲一組で出版された3種類のヴァイオリン・ソナタ集のうちの、いずれかの表紙と思われます。肖像画の左右、女人像柱カリアティードが並ぶイラストは、他の出版譜、あるいは劇作品(《魔笛》? )の背景デザインの一部でしょうか。