03. 2月 2016 · (270) 庶民はいつからオペラを見られるようになったか はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

史上初の公開コンサートが行われたのは1672年でした((269) 庶民はいつからコンサートを聴けるようになったか参照)が、オペラは? 王侯貴族の娯楽として始まったオペラ。いつごろから庶民も楽しめるようになったのでしょうか。コンサートより早い?遅い? どちらだと思いますか?

答えは、バッハが生まれる前に始まったコンサートよりもさらに「早い」。ヴェネツィアに最初の公開オペラ劇場「サン・カッシアーノ」が作られたのは、なんと1637年!(西洋音楽史の重要年号の1つ)。実質的な最初のオペラであるモンテヴェルディの《オルフェオ》がマントヴァで初演されたのは、1607年でした((143) オーケストラの起源参照)。そのわずか30年後に、庶民にも解放されたなんて!

フィレンツェのアカデミー「カメラータ」の人々が、古代ギリシア劇を復興しようとして誕生させたオペラ((28) バロック時代はなぜ1750年までか?参照)。《オルフェオ》以来、富と権力を示したい王侯貴族たちに保護され、イタリア諸都市のみならずヨーロッパの他の国々にも広がりました。贅沢でプライヴェートな「セレブの愉しみ」だったオペラが、これほど早い時期に庶民に公開されたのはなぜでしょう?

ヴェネツィアは、地中海貿易で富を蓄えた商人たちの国。彼らは財力で王侯貴族の楽しみを手に入れただけではなく、それを使ってさらにお金を得ようと考えました。商業的なオペラ劇場の運営です。庶民は平土間で立見。座って楽しむならまわりをとり巻くボックス席ですが、入場料以外に権利金を払わなければなりませんでした。この権利金だけで、劇場の建設費を賄うことができたのです。サン・カッシアーノ劇場に続いて、17世紀末までにヴェネツィアには、10以上のオペラ劇場が建設されました。

ボックス席の奥には暖炉付きの控えの間があり、そこは食事やゲームだけではなく「政治上の話し合いや商取引が成り立つ大切な場所」。裕福な市民は複数の歌劇場にボックス席を持ち、「その権利を資産として子孫に伝え」ました。こうして、ヴェネツィアでは人口15,000人にひとつのオペラ劇場がゆきわたるほどになったのです1。庶民も楽しめる公開オペラ劇場の繁栄によって、オペラはその形を変えていくことになりますが、それについてはまた改めて。

来週から2月いっぱい、聖フィル♥コラムをお休みします。(249) 今と同じ?! 16世紀の楽譜で書いたヴァティカン図書館を初め、ローマのサンタ・チェチリア音楽院図書館、パリ国立図書館などに、16世紀の楽譜資料の調査に行くためです。みなさま、3週連続更新無しでも、聖フィル♥コラムを忘れないでくださいね。

  1. 服部幸三『西洋音楽史:バロック』音楽之友社、2001年、55ページ。
27. 1月 2016 · (269) 庶民はいつからコンサートを聴けるようになったか はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

前回 (268) マンドリンの調弦は?の中で、「コンセール・スピリテュエル」にふれました。かなり前に言及したことがありますが((11) 旅によって成長したモーツァルトなど)、コンセール・スピリテュエルは18世紀パリの公開演奏会シリーズ。1778年にモーツァルトは、コンセール・スピリテュエルの支配人から交響曲を依頼され、ニ長調 K.297(300a)のいわゆる《パリ交響曲》を作っています。

音楽会はもともと、非公開でした。王や貴族が、雇った楽士たちに自分の館で演奏させて聴くものだったからです。聴くことができるのは、本人や客人などごく限られた者だけ。でも、ブルジョワジーが市民革命で貴族主体の体制を打破すると、音楽の担い手も王侯貴族から一般市民へ。誰にでも開かれた(=チケットを購入すれば誰でも聴くことができる)公開演奏会が登場します。

音楽史上初の公開演奏会が行われた記録が残るのは、ロンドン。1672年ですから、バッハが生まれる13年も前! こんな早くから一般庶民が聴ける公開演奏会が催されていたなんて、驚きです。ただし、ロンドンだけ。パリもロンドンと並ぶ音楽(消費)の先進地でしたが、上記コンセール・スピリテュエルが始まったのは、半世紀以上も後の1725年。

「ロンドン・ガゼット」誌に、ジョン・バニスター(1630〜79)が自宅で催す一連の公開演奏会の広告が掲載されたのは、1672年12月でした。会場は「居酒屋風にいすと小さなテーブルで囲まれていて」見た目はぱっとしないけれど、1シリングで好きな曲をリクエストできる気楽な雰囲気1。しかし、上手なプロ奏者を雇うことで多くの客を集めるようになり、次第に大きな会場に移ります。奏者は50人にもなり、規模の大きな演劇的な作品も扱うことができました2

ロンドンで早い時期に公開演奏会が始まったのは、なんと政治的な理由。イギリスでは1640年代から1730年代まで政権が安定しなかったため、劇場以外の音楽独占権を遵守させることができなかったのです。ピューリタン革命でそれまでの宮廷と教会の音楽が崩壊し、1660年の王政復古後にはフランス音楽が好まれるなど、音楽家がおかれた状況も混乱3

ジョン・バニスターは、宮廷ヴァイオリン奏者24人のトップとして活動した時期もありますが、1666年か翌年、フランス人音楽家の任命に関して無礼な発言をしたと、王に解雇されました。音楽会の興行という新しいプロジェクトに向かったのは、収入が得るためだったのでしょう。いずれにせよ、私たち庶民が音楽を楽しむ機会をこんなに早く作ってくれてありがとう!ですね4

  1. McVeigh, Simon, ‘London,’ V, 2, New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 15. Macmillan, 2001, p. 120.
  2. Holman, Peter, ‘Banister (2), John Banister (i),’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 2. Macmillan, 2001, p. 659.
  3. Weber, William, ‘Concert,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 6. Macmillan, 2001, p. 223.
  4. サミュエル・ピープスは日記に、バニスターが1660年にすでにコンサートを行っていたと書いていますが、広告が存在するのは1672年12月以降です。Holman、前掲書。
20. 1月 2016 · (268) マンドリンの調弦は? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

オケの弦楽器奏者のみなさま、弦楽器仲間マンドリンの調弦をご存じですか? 先日質問されたのですが、私、調弦はおろか弦の数も答えられませんでした。考えてみたら、西洋音楽史の講義でマンドリンに触れたのは、レスピーギの交響詩《ローマの祭》を教えたときくらい。撥弦楽器という以外何も知らないことに気づき、遅ればせながら調べてみました。

驚いたことに(赤面!)、マンドリンってヴァイオリンと同じソレラミに調弦するそうです(音域も同じ)。楽器の大きさもほぼ同じ(全長60cm)。ヴァイオリンと異なるのは:

  • 複弦。それぞれ2弦ずつ(2本1セットで1コース。マンドリンは8弦4コースという言い方をします)
  • 指板にフレットがあること
  • 弓や指ではなくピックで弾くこと。ピックはべっこうや合成樹脂の薄板。やや丸みを帯びたくさび形
  • 胴は、ご先祖リュートのような洋梨型(あるいは縦割りにしたイチジク型)。ギターのように構える
  • 響孔は円形や楕円形

現在のマンドリンは、1740年代初めにナポリで発達したナポリ型の系統。すぐにヨーロッパ中に広まり、1750〜1810年にはイタリアの奏者たちが各地でコンサートを催しました。パリの演奏会シリーズ、コンセール・スピリテュエルにもマンドリン演奏がしばしば登場。貴族たちにも流行しました。

マンドリンの人気が増すにつれて、オペラにマンドリン伴奏のセレナーデが登場するように。最も有名なのはモーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》第2幕〈Deh, vieni alla finestra(窓辺においで)〉。主人公がドンナ・エルヴィーラの侍女(端役!?も口説く!!)に歌う、「ドン・ジョヴァンニのセレナーデ」です。

でもここでは、先週のコラムで取り上げた今年没後200年のパイジェッロ((267) メモリアル・イヤーの作曲家参照)の代表作《セビリアの理髪師》第1幕から、アルマヴィーヴァ伯爵が身分を隠してロジーナに歌うカヴァティーナ〈Saper bramate(「とても知りたいなら」とでも訳すのでしょうか)〉をご紹介します。下の動画の前奏や間奏部分にマンドリン演奏が写っています。

マンドリンは19世紀に入ってからも南イタリア、特にナポリで広く演奏されました。でも、それ以外のヨーロッパの演奏会場や歌劇場からは、ほとんど完全に消えてしまいました。ベルリオーズは1843年に、パリのオペラ座でさえマンドリンが単なる小道具になり、上記ドン・ジョヴァンニのセレナーデがヴァイオリンのピッツィカート伴奏で歌われたと悲し気に記しているそうです1

  1. Tyler, James, ‘Mandolin,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 15. Macmillan, 2001, p. 742.
09. 12月 2015 · (263) 「《第九》=年末」は日本だけ? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

皆さま、今年も《第九》の季節がやってまいりました! サントリー・ホールの12月イヴェント・カレンダーには、《第九》がいっぱい! 18(金)読響、19(土)東フィル、20(日)新日フィル、21(月)日フィル、22(火)読響、25(金)日フィル、26(土)都響、27(日)N響、28(月)と29(火)東響1。複数回の《第九》演奏会が行われるホールは他にも多いですし、ホームページ(以下HP)で今月の《第九》演奏会を数えると、日フィル10回、読響9回、N響5回……。すごい!

先日の新聞に、《第九》は「欧州でも大みそかの演奏例はあるが、恒例どころか年に何度も演奏される曲ですらない」とありました2。既に書いたように、1992〜98年に留学していたボストンでは、暮の《第九》は、噂すら聞いたことがありませんでした。今回、ボストン交響楽団HPで《第九》の演奏記録を検索してみたのですが、1990年から今シーズンまで、41回も《第九》が演奏されていてびっくり。でも、そのうち25回は8月末のコンサート。12月に演奏されたことは、一度も無かったのです3

ウィーン・フィルHPでも過去の演奏記録を検索してみましたが、1990年以降29回の《第九》演奏会のほとんどは、日本を含む本拠地以外のコンサート。12月に演奏されたのは、ベルリンでの1回だけでした4

このように過去のプログラムが公開されているオーケストラHPは少数。ここから先は、今月(2015年12月)の話です。ベルリン・フィル、ロンドン交響楽団、フィルハーモニア管弦楽団、ニューヨーク・フィルの今月のプログラムに、《第九》はありませんでした(ニューヨークもボストンのように、《第九》と年末は関係無いようです)。しかし!!   12月の《第九》演奏会、意外に多く見つかりました。都市のアルファベット順に並べてみると:

  • ベルリン—-ベルリン放送交響楽団:30日、31日。Brandenburgisches Staatsorchester Frankfurt(フランクフルト・ブランデンブルク州立オーケストラとでも訳すのでしょうか?):28日、29日
  • ライプツィヒ—-ゲヴァントハウス管弦楽団: 29日、30日、31日
  • ロンドン—-ロンドン・フィル:9日。ロイヤル・フィル:26日、29日
  • ミュンヘン—-フィルハーモニー管弦楽団:30日、31日、2016年1月2日。ミュンヘン交響楽団:1月1日
  • ウィーン—-ウィーン交響楽団:30日、31日、1月1日

主なオーケストラのHPをざっと調べただけですが、《第九》は大みそかだけではありませんでした5。合唱+独唱+オケと大編成で準備が大変ですから、1回公演ではもったいないのでしょう。というわけで、「《第九》=年末」は日本だけではないようです。ただ、ミュンヘンやウィーンのように1月に入っても続くところも(教会暦の影響と思われます。降誕節は12月25日から1月6日まで)。「《第九》=年末」型、「《第九》=年末年始」型、「《第九》=1年中」型、いろいろですね。

  1. 間の23(水)は《メサイア》、24(木)はオルガンなどのクリスマス・コンサート。いずれもバッハ・コレギウム・ジャパン。
  2. 権敬淑「歓喜の歌 集わせる力」朝日新聞夕刊、2015年12月5日。
  3. 夏のタングルウッド音楽祭の最後を飾る位置づけでしょうか。毎年のように演奏されています。8月以外には、2006年3月にカーネギー・ホールとそれに先立つ演奏会で計5回、2009年11月にマゼールが3回、2012年5月にハイティンクが3回などでした。
  4. 2010年12月5日、ティーレマン指揮。この年は11月末からパリで4回、ベルリンで4回、ベートーヴェンツィクルスの演奏会を開いていて、最後が12月になったようです。
  5. ロンドン以外は、いずれも先に書いたオケの本拠地で行われる演奏会。コンツェルトハウス・ベルリン、ゲヴァントハウス、ガスタイク、ウィーン・コンツェルトハウス。ロンドンは9日ロイヤル・フェスティヴァル・ホール、26日ロイヤル・アルバート・ホール、29日バービカン・ホール。
02. 12月 2015 · (262) ガラ・コンサートってどんなコンサート? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

「ガラ・コンサートって何ですか?」と尋ねられて「正装して行くコンサート」と答えたら、「地元のガラ・コンサートに行ったけれど、正装という感じは全然無かった」と、不思議そう(不審そう)な顔をされました。少なくとも、元々の意味はそうだと思っていたのですが……。そもそも「ガラ gala」とは何か、クラウン仏和事典(三省堂、1981年第21刷)を調べてみました(……は用法など一部省略の意味)。

gala ㊚ (公式の)大祭典、祝祭;特別上演、habit de 〜 盛装、礼装……

galaだけで正装の意味はありませんね。伊和中辞典(小学館、1985)には、galaの項目が2つありました。

  1. gala ㊛[12の意味ではフランス語のgalaにならって男性名詞になることもある]1 豪華、華麗 …… abito di 〜 盛装、晴れ着…… 2 大宴会、大饗宴 …… 3 〔船舶用語〕(敬意、祝意を示す)装飾旗 [→ 仏語 gala,英語 galaとなる.英語では「祭りの」「にぎやかな」の意の形容詞ともなる]
  2. gala ㊛ 〔服飾用語〕ひだつきの縁飾り、ひだ飾り

見つけました、ひだ飾り! 何のことかピンと来ませんか? タキシードの中に着る、胸元にプリーツが付いたドレス・シャツを思い出してください。ガラ・コンサートは元々、ひだつきのシャツやタキシードを着て聴きに行くコンサートでした。でも最近は、「祝祭」や「豪華」から転じた「特別な公演」という意味で使われることが多いようですね。

「日本では、ガラ・コンサートと冠していても正装が要求されるわけではない」というような記述を見たことがありますが、私は逆に、ガラ・コンサートという言い方は、海外では一般的ではないと思います。たとえば、イギリスの New Grove 音楽事典第2版に gala concert という項目はありませんし、「concert」の項目中にも見当たりません1

留学していたアメリカでガラと言えば、ガラ・ディナー=正装のディナーでした。定期会員だったボストン交響楽団の「シンフォニー・ガラ」は、演奏会シーズン幕開けに催される、寄付集めのディナー。常任指揮者や一部のオーケストラ・メンバーも出席しますが、チケット代は1,250ドルから100,000ドル! 下々の者には縁の無い世界で、もちろんほとんどが寄付です。他にも、「fundraising gala 活動資金集めのガラ」があります。

日本でガラ・コンサートと言えば、華やかなオペラの名曲コンサートの場合が多いので、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のホームページで「gala」を検索してみました。やはり、ブラック・タイ(=タキシード)着用と明記されたガラ・ディナーを含む、チャリティー・イヴェントです。各演目の初日など特別な日に行われ、食事の後そのままオペラ鑑賞。演目にもよりますが、チケット代には約500ドルから44,000ドルの寄付が含まれます。アメリカで日本のガラ・コンサートの話をするときは、気をつけたほうが良さそうです。

  1. ネット上のフリー百科事典ウィキペディアでも、「ガラコンサート(ママ)」という項目は日本語版だけ。「演奏会」の項目の中の「ガラ・コンサート」部分も、英仏伊語版にはありません。