12. 8月 2015 · (249) 今と同じ?! 16世紀の楽譜 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

申し訳ありませんが、来週と再来週の聖フィル♥コラム、お休みします。今年もリサーチ・トリップに行くためです。昨年は旅行中ボストンからコラム番外編をアップしましたが、今夏は研究に専念。大英図書館やロンドン大学図書館、フィレンツェ国立中央図書館、ボローニャ国際音楽図書館などで資料研究の予定です。いったい何しに行くのかという疑問にお答えすべく、今回は自分の研究について書きます。

私の専門は、16世紀イタリアの宗教曲。ペンネームとして名前をお借りしているパレストリーナご本人(c.1525〜94)ではなく、その後任としてローマ教皇庁の楽長を勤めたジョヴァンニ・アニムッチャ(c.1520〜71)という作曲家について、博士論文を書きました。ルターの宗教改革に対するカトリック側の改革を話し合ったトリエント公会議の最中や終了後にローマ教皇庁の音楽を司っていたのに、「公会議でポリフォニー音楽が廃止されそうになったとき《教皇マルチェルスのミサ曲》を書き、それを救った」と早くから神格化されたパレストリーナ(史実ではありません!)の影に隠されて、研究が著しく遅れています。私が現在進めているプロジェクトは、博士論文で現代譜にしたアニムッチャのミサ曲集の出版。

現代譜にしなければならない16世紀の楽譜とはどのようなものか? 譜例1は、アニムッチャのミサ曲集(ローマ、1567)の見開き2ページ。大きい四角は、歌詞〈キリエ〉のイニシャル K。4つあるのは、4声のミサ曲だから。左ページにソプラノ(上)とテノール、右ページにアルトとバスが印刷されています。弦楽四重奏の各パート譜を、一緒に印刷した感じでしょうか。ペトルッチが多声音楽の印刷に成功した((183) ペトルッチありがとう!参照)後も、楽譜は高価。聖歌隊員は、1冊の楽譜を囲んで歌いました。

譜例1:ジョヴァンニ・アニムッチャ作曲《ミサ・アヴェ・マリス・ステッラ》冒頭

譜例1:ジョヴァンニ・アニムッチャ《ミサ・アヴェ・マリス・ステッラ》のキリエ(ミサ曲集第1巻、ローマ、1567)

クリックで拡大してみてください。450年も前の楽譜なのに、音符や♭、拍子記号など、現在とほぼ同じ。ソプラノのト音記号、バスのヘ音記号(1段下に付いていますが)、残り2声のハ音記号も、形とはちょっと違いますが見当がつくでしょう。ただ、小節線が無い! パート別ですし、このままでは歌えません。

博士論文では、ファクシミリ版をもとに現代のスコアの形に直して分析。スコアは付録にしました。これを、合唱だけではなく学術研究にも使えるレヴェルで出版するには、ミサ曲集がどのようなものでどのように使われたか、現存する楽譜を調べる必要があります。小節線が無いのでミスプリントは致命的(そのパートだけ、最後までずれてしまいます)ですが、何らかの形で訂正が施されているかどうか。歌詞が書き換えられたり、省略された臨時記号が書き加えられていないか。ミサ曲集の紙の透かしも調べなければ。アニムッチャのオリジナル楽譜を直に見るのは初めてなので、ドキドキです。

幸いにも、資料研究のための研究費をいただくことができました。本当は、アニムッチャが勤めていたローマのヴァティカン図書館に現存する2冊を最初に調べたかったのですが、9月半ばまで2ヶ月夏期閉館! 今回はお預けです。仕事と図書館の都合を考えると8月末しかスケジュールが合わず、聖フィルの集中練習も欠席(すみません〜)。みなさま、2週連続更新無しでも、聖フィル♥コラムを忘れないでくださいね。

07. 5月 2014 · (184) 500年前の楽譜 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

前回、ペトルッチの史上初の活版印刷による楽譜『オデカトンA』をご紹介しました。「端正で美し」いと書いたページを図1として再載。1501年出版=今から約500年前の楽譜を、(82) 1000年前の楽譜でご紹介したネウマ譜と比較してみましょう。

図2:『オデカトンA』より

図1:『オデカトンA』第1曲、デ・オルト作曲《アヴェ・マリア》、カントゥスとテノール

4本だった譜線が、現在と同じ5本に。音域が狭いグレゴリオ聖歌用のネウマ譜は四線で十分ですが、中世でも聖歌以外の音楽には、五線譜が使われていました。それから、ネウマ譜の音符は全て黒色でしたが、こちらには黒い音符と白抜きの音符があります。四角い譜頭だけのネウマ譜と違って、棒(符幹)付きの音符も。譜頭が楕円ではなく四角い(ひし形◇◆も)ものの、全体の印象は現在の楽譜とそれほど変わりません。

この楽譜の音部記号は? 上3段はハ音記号。第2線がドなので、現在のメゾソプラノ記号ですね((139) 実はいろいろ! ハ音記号参照)。下3段は(ちょっと奇妙な形ですが)ヘ音記号。第3線がファなので、現在のバリトン記号。音部記号の右に調号も付いています。♭2つ?! いいえ、上の♭も下の♭もシ。現在と異なり、五線の中にシが2つ含まれていれば両方♭を付けてくれていますので、要注意。

えっ、右側に大きくはみ出た斜めの線が気になる!? これはラテン語で見張り、保護者などの意味の「クストス custos」(複数形は custode)と呼ばれる記号。もっと地味な形でネウマ譜にも使われ、次の段の最初の音を示します。段によって、音部記号の位置が急に変わったりするからでしょう。

現代譜とも較べてみましょう。最大の違いは、小節線が無いことかな。最後に複縦線が引かれているだけですね。このため、楽譜が不正確だと大変。もしも音符が1つでも抜けていると、その声部はその後全部、他の声部の音楽とずれてしまうのです。500年前の音楽は、横に旋律を重ねた複雑なポリフォニーが主流。仮に、歌っていてずれに気づいたとしても、修正は容易ではありません。

もう1つ大きな違いは、レイアウト。このページには、カントゥスとテノールのパートが印刷されています(4段目の左側に、Tenorと書いてありますね)。残りのパートは右頁に印刷され、見開き2ページで1曲分でした。左にカントゥスとテノール、右にアルトととバスというのが典型的なレイアウト。つまり、多声音楽なのに、パートごとに別々に書いてあったのです。500年前の人たちは、小節線が無く、スコアになっていないこのような楽譜を見ながら、アンサンブルしていたのですね。尊敬!

30. 4月 2014 · (183) ペトルッチありがとう! はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

IMSLP国際楽譜図書館プロジェクト、別名ペトルッチ楽譜ライブラリー(Petrucci Music Library)。カナダにおいて著作権が消滅し(国によって著作権で保護される期間が異なります)、無料で使用できるパブリック・ドメインの楽譜(と録音)を集めた、ネット上のデータベース。オケ奏者に限らず、利用している方が多いはず。私も、図書館に楽譜を借りに行く回数が減りました。曲によっては初版や自筆譜のデータも含まれていて、いつも「ペトルッチありがとう!」と感謝しながら利用しています。コラム終わり。

……ではなく、本題はここから。このペトルッチって何か、ご存知ですか? 日本語のメインページでも、右下に説明が載っていますが、気にとめたことが無い人が多いのではないでしょうか。ペトルッチとはおいしいお菓子の名前……ではなく地名……でもありません。世界で最初に多声音楽の楽譜を活版印刷した、イタリアの印刷業者の名前です。

図1:ペトルッチの『オデカトンA』表紙(ヴェネツィア、1501)

図1:ペトルッチの『オデカトンA』(ヴェネツィア、1501)

ヴェネツィアでオッタヴィアーノ・ペトルッチ(1466〜1539)が出版した『オデカトン』は、楽譜印刷の新時代を開いた歌曲集。正式なタイトルは『Harmonice Musices Odhecaton A 多声音楽の百の歌 A』(図1参照)1。このAの飾り文字が、IMSLPのロゴマークになっていますね。3声と4声のシャンソンなど、96曲が収められています。完全な形では現存しないのですが、ヴェネツィア貴族で外交官だったジロラモ・ドナートへの献呈辞(通常は、献呈された人=出版費用を出してくれた人)が1501年5月15日付けであるため、同年の出版とされます。

グーテンベルクが活版印刷技術により『グーテンベルク聖書』を印刷したのが1455年。1字ずつ書き写す手写や木版印刷よりも、1度に多くの部数を作ることが可能になりました(火薬・羅針盤とともに、ルネサンスの三大発明と言われます)。ただ、アルファベット26文字の大文字と小文字の活字で足りる書籍に較べて、楽譜の印刷には歌詞用アルファベット以外に、各種音符や休符、五線や音部記号、臨時記号など、多種多様な活字が必要。ずっと複雑なため半世紀の遅れが生じたのでしょう。

ペトルッチは『オデカトン』など初期の楽譜を、3回の重ね刷りで印刷したようです。1回目に音符、次に五線、3回目に歌詞やイニシャルを印刷しました2。1503年以降は五線と歌詞を一度に印刷し、重ね刷りは2回に。口で説明するのは簡単ですが、印刷するのはとてもとても大変だったはず。ちょっとずれると、線の上の音が線の間に印刷されて、音が変わってしまいますから。でも、『オデカトン』はずれどころか、端正で美しく(図2参照)、しかも正確でした。『オデカトン A』は、1503年と04年に相次いで再版。『Canti B』などの続編も出版されました。

楽譜印刷は、音楽の流通の在り方を大きく変えることになります。1音符ずつ書き写された手写本は、とても高価で貴重なものでした。でも印刷楽譜なら、市民にもなんとか手が届きます。遠くで作られた曲も、印刷・出版のおかげで演奏できるようになりました。ペトルッチのような正確な印刷譜なら、広い地域に同じ形で音楽が伝わります。IMSLPの別名は、彼の業績に並ぶという自負のもとに名付けられたのでしょう。ペトルッチ・ライブラリーの楽譜をダウンロードするときには、現在に続く楽譜印刷技術の最初の実現者となったオッタヴィアーノ・ペトルッチの、500年前の業績にも感謝しなければなりませんね。

図2:『オデカトンA』より

図2:『オデカトンA』第1曲、デ・オルト作曲《アフェ・マリア》、カントゥスとテノール

  1. グラウト『西洋音楽史上』服部幸三、戸口幸策訳、音楽之友社、1569、209ページ。
  2. 前掲書など五線を最初と書いているものもありますが、Boorman, Stanley, “Petrucci, Ottaviano,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 19, Macmillan, 2001, p. 519 の記述を取りました。