25. 11月 2015 · (261) 続・オーケストラの楽器配置(ロンドン、1840) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

前回に引き続き、19世紀前半のロンドンのオーケストラ配置について。ベルギー出身の音楽評論家フェティス(François-Joseph Fétis, 1784〜1871)は、1829年にロンドンのフィルハーモニー協会オーケストラを聴き、パリのオーケストラ(パリ音楽院演奏協会や、コンセール・スピリテュエルなど)と異なる点を指摘しています1

    1. ひな壇が急。他の人たちのほとんど頭の上の位置で演奏する者も
    2. 指揮者が奏者ではなく聴衆のほうを向いている
    3. 全てのコントラバス奏者が最前列にいる。ただし、演奏する位置は他の楽器奏者よりも低い

1の高低差についてフェティスは、「自分の上や下で行われていることが、奏者にほとんど聴こえない」と批判。でも、3の「フランスの音楽家たちがきっとすごく驚く」であろうコントラバス配置は、「音響学の原理に反する」にもかかわらず、「思ったほど不快ではない」と認めています。理由は1と関連していて、おそらく後ろのヴァイオリン奏者たちがコントラバス奏者よりずっと高い位置で弾いているために、彼らの音がコントラバスの音に妨げられないからと分析しています。

コントラバス最前列の理由は、演奏の拠り所となる低音を目立たせるためでした2。指揮棒の普及とともに、良いアンサンブルを保つための低音重視の慣習は廃れていきます。コントラバスがステージ最前列を占めることもなくなり、前回 (260) 図1でご紹介したように、左右後方2か所に配置されることに。ただ、位置は完全には定まっていなかったようです。下の1843年のロンドンのオーケストラ((260) 図2を再掲)では、左端最前列に2台のコントラバスが見えます。

このオーケストラのイラスト、興味深いですね。歌い手がいなくても、指揮者は舞台の中央に位置していて、前にかなりの数の楽器奏者がいます。(141) どこを向いていたのか? 指揮者のお仕事図2のルイ・ジュリアンも、中央で指揮していました。ここが指揮しやすかったのでしょうか? それとも、1番手前に立つと何人もの奏者が聴衆から見えなくなるから?

フェティスの報告のように、指揮者はこちら=聴衆のほうを向いていますね。長い指揮棒を振っているので、指揮者の後ろ側の奏者がタイミングを合わせることは可能かも。でも、指揮者の手前でこちらを向いて座っている奏者はどうするの? 背中で指揮者の気配を感じる? 指揮者の鼻息に合わせる? 慣れないと(慣れても?!?)かなり難しそうですね。

図2:ロンドンのオーケストラ、1843年

ロンドンのオーケストラ、1843年

  1. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988, p. 211 (source: Fétis, François-Joseph, Curiosités historiques de la musique, complément nécessaire de la musique mise à la portée de tout le monde, Paris, Janet et Cotelle, 1830, 186-88).
  2. Ibid., op.cit.
04. 3月 2015 · (227) 指揮棒とリュリ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

前回、指揮棒を最初に使った指揮者はシュポーアと言われていると書きましたが、えっリュリじゃないの?!と思った方がおられると思います。実際、田部井剛先生が質問なさった際に、リュリをあげた人が複数いました。今回のコラムは「指揮棒を最初に使った指揮者がリュリではない理由」(初めこのタイトルにしたのですが、長過ぎるのでやめました)。

ジャン=バティスト・リュリ(1632〜87)は、杖を床に打ちつけて拍子をとっているときに、誤って自分の足を打ち、それが元で亡くなったという不名誉なエピソードで有名((18)「赤ちゃん交響曲」誕生までの註1参照)。フイヤン教会で自作の《テ・デウム》を指揮していたときでした。踊れなくなるからと足の切断を拒否1。壊疽が広がり、けがから約3ヶ月後に死去。

リュリについて、これ以外にどんなことをご存知でしょうか。宮廷バレエでルイ14世のお相手をして気に入られましたが、実はイタリア出身でしたね((188) イギリスの作曲家ヘンデル?参照)。彼の曲を聴いたことがある方は、あまり多くないでしょう。西洋音楽史の講義では、バロック時代の最重要作曲家の1人として必ず取り上げますが、私も彼の音楽をよく知りません。彼が形を整えたウヴェルチュール(フランス風序曲。(18) 参照)のサンプルとして、叙情悲劇《アルミード》(1686)序曲を講義で使う程度。バレエや宗教曲もたくさん書いたのに、持っているCDはコメディ・バレエ《町人貴族》(1670)だけ。

さて、指揮棒を最初に使った指揮者がリュリでは無い理由に話を戻します。リュリが拍を刻んだ杖って、指揮棒でしょうか? 日本語では杖も棒ですが、ちょっと苦しいように思います。これが1つ目の理由。英語では指揮棒は一般に baton ですが、リュリが使っていたものは stick とか staff と書かれています。もっとも、baton の語源はフランス語で棒、杖という意味の båton。英語になっても、指揮棒やリレーで使うバトンという意味以外に、官位や権威の象徴の職杖、指令杖という意味が出て来ます(リュリはフランス宮廷音楽の実権を握り、オペラ上演を独占。彼の指揮杖をその象徴と見ることができるでしょう)。

もう1つの理由は、使い方。現在の指揮棒は、指揮者が空中で動かすもの。音を出すことは(基本的に)ありません。リュリがもしも短くて細い棒を使ったとしても、やはり現在の意味での指揮棒とは言えませんね。1820年のシュポーアまで待たなければならないのです。

歌い手や楽器奏者、踊り手に聞こえるよう大きな木の杖で拍を打つのは、リュリや《テ・デウム》に限りません。ルソーは『音楽事典』の中で、パリ・オペラ座オーケストラを覆い隠すほどの拍打ちの「耐え難い雑音」について、苦情を述べています2。これが出版されたのは、リュリが亡くなった80余年後の1768年ですが、この方法はその後も続くのです。ただ、「拍を打つ人」=指揮者だったのはフランスだけ。他の地域では、指揮者と言えば兼業(!?)指揮者でした。2種類の兼業、覚えていますか?

  1. Anthony, James R. et al., The New Grove French Baroque Masters: Lully, Charpentier, Lalande, Couperin, Rameau, W. W. Norton, 1986, p. 16.
  2. Rousseau, Jean Jaques, ‘Orchestre,’ Dictionnaire de Musique, Paris, 1768, p. 355. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices, Univ. of Rochester, 1981, p. 55より。
25. 2月 2015 · (226) 指揮棒を最初に使った指揮者 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

先日の練習での田部井剛先生の質問にお答えすると、指揮棒を最初に使ったとされるのはルイ・シュポーア。1820年にロンドンの演奏会で導入しました。この年は、指揮の歴史におけるターニング・ポイントと考えられています1

それ、いったい何者!?という方も多いでしょう。ドイツ生まれの作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者で、ドイツ名はルートヴィヒ・シュポーア。1784年生まれなので、ベートーヴェンより14歳若く、シューベルトより13歳年長ですね。ヴァイオリン・ヴィルトゥオーゾで、あご当ての発案者。1832年に出版した Violin-Schule の中で、左手の頻繁なポジション移動を助けるために、10年くらい前に発明したと主張しています2(99) 高音域を使わない理由も参照)。

作曲家としては、ヴァイオリン協奏曲が番号付きだけでも15曲。交響曲9曲(+未完1曲)、弦楽四重奏曲36曲、弦楽五重奏曲7曲など、なかなかの多作家。オラトリオ、オペラ作曲家としても成功しました。ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場(12〜13年)や、フランクフルトの歌劇場(17〜19年)などで指揮者をつとめ、カール・マリア・フォン・ヴェーバーの提案により1822年にカッセルの宮廷楽長に就任。1859年に亡くなるまで同地で活動し、バッハの《マタイ受難曲》や、ヴァーグナーの《さまよえるオランダ人》《タンホイザー》などを指揮しています。

話を指揮棒に戻しましょう。シュポーアは1809年に、巻いた五線紙を使って《天地創造》を指揮しました。1820年2月に渡英し、ロンドンのフィルハーモニック協会のコンサートで自作の交響曲第2番などを演奏3。このとき、初めて指揮棒を導入したと言われています。彼が使ったのはおそらくヴァイオリンの弓でしたが、自伝(2巻、いずれも死後出版)では、「拍を伝えるための指揮棒の成功」を自分の手柄にしています4。あご当てと同じで、「自分が始めた」と書いた者勝ちという気もしますが……。1817年に巻いた紙を使って指揮をしたヴェーバーがその後指揮棒に切り替えたように、1820年代以降、指揮棒の使用が急速に進むことになります。

  1. Botstein, Leon, ‘Conducting,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 6. Macmillan, 2001, p. 264.
  2. Boyden, David D./ Walls, Peter, ‘Chin rest,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 5. Macmillan, 2001, p. 696.
  3. Brown, Clive, ‘Spohr, Louis,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 24. Macmillan, 2001, p. 200.
  4. Botstein、前掲ページ。
17. 7月 2013 · (142) やかましかった! 指揮者のお仕事 (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

通奏低音を受け持つ鍵盤楽器奏者か、ヴァイオリンのトップ奏者(あるいはこの両者)の合図で演奏していたバロック時代。兼業指揮(?!)体制はその後も続きます。たとえばモーツァルト。「コンセール・スピリチュエルの幕開けのために書いたぼくのシンフォニー(註《パリ》交響曲)は、前の晩、生まれてこのかた聴いたこともないひどい練習につきあって、心配と不安と怒りのあまり眠れないほどでした(中略)覚悟を決めました。もし、稽古のときのようにまずく行ったら、なんとしても第1ヴァイオリンの手から楽器を取り上げて、ぼく自身が指揮をしようと」(1778年7月3日付けレオポルト宛の手紙1。下線筆者。(115) 愛の楽器? クラリネット(2)も参照)。

ザルツブルク宮廷楽団のコンサート・マスターですから、オケを率いるのはお手のものだったのでしょう(幸い本番はとてもうまくいったので、彼が飛び入りする必要はありませんでした)。ハイドンのロンドン招聘を実現させた興行師ザロモンもすぐれたヴァイオリニストで、もちろん兼業指揮をしていました。

当時は「音が出る指揮(というか指示)」が多かったそうです。具体的には「手を叩く」「台を叩く」「足を打ち鳴らす」「叫ぶ」など。しかも「演奏の間中、ほとんどずっと」鳴っていた2。たとえばパリのオペラ座の「足を踏み鳴らす、あるいは杖や弓で音が出るように叩く」指揮は、1803年に「しばしば、間違いと同じくらい邪魔になる」と評されています3

メンデルスゾーンは1831年にナポリの歌劇場で、オペラの間中ずっとファースト・ヴァイオリン奏者がブリキのろうそく立てを4分音符の速さで(=1小節4つずつ)打っているのを聞いて「(オブリガート・カスタネットのようだけれどそれよりやかましく)歌よりもはっきり聞こえる。それなのに、歌声は決して揃わない」と書き残しているそうです4。オペラだけではありません。ヴァーグナーは、1832年にプラハで、「乾いたひどくうるさいつえの音の」ディオニス・ヴェーバーに自分の交響曲のリハーサルしてもらったと書いています5

指揮者が「オーケストラの中で唯一音を出さない(出せない)奏者」になったのは、それほど昔ではなかったのですね。現在の指揮者像は、19世紀後半以降に作られたものなのです。

  1. マーシャル『モーツァルトは語る』高橋他訳、春秋社、1994。
  2. Botstein, Leon, “Conducting” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 6. Macmillan, 2001, p. 265.
  3. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices, Univ. of Rochester, 1981, p. 76.
  4. 前掲書、p. 77.
  5. 同上。
10. 7月 2013 · (141) どこを向いていたのか? 指揮者のお仕事 (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

問題です。19世紀初め、コンサート指揮者はどこを向いていたでしょうか? わざわざクイズにするくらいだから、現在のようにオーケストラ奏者の方を向いていたのではなかったのかなと考えた方、鋭い! 正解はなんと「聴衆の方を向いていた」。

図1 ヨハン・シュトラウス2世:《コヴェント・ガーデンの思い出》ピアノ独奏楽譜の表紙

図1 ヨハン・シュトラウス2世:《コヴェント・ガーデンの思い出》ピアノ独奏楽譜の表紙

それで思い出したのが、ヨハン・シュトラウス2世がイギリス・ツアーをしたときに作曲&演奏した、《コヴェント・ガーデンの思い出》ピアノ譜(1868出版)の表紙イラスト(図1。(57) ヨハン・シュトラウスは人気者(96) オーケストラの楽器配置に続いて3回目の登場。ロッシーニみたいですみません)。右端で弓を振り上げて指揮しているのが、シュトラウス2世ご本人。どうしてお客さんの方を向いているのかな?と、ちらっと不思議に思ったのですが、あまり気にしなかった私(現在も指揮者が客席を振り向くことがありますし)。でも、イギリスの聴衆への特別サービスではなく、指揮ってこういうものだったのですね。

ステージの最も聴衆側で指揮するとも限らなかったようです。図2左は、1849年にロンドンでプロムナード・コンサートを指揮するルイ・ジュリアン1。こちら側を向いているだけではなく、オーケストラの真ん中に立って指揮をしていますね。コヴェント・ガーデン劇場でオーケストラと4つの軍楽隊のための《イギリス陸軍カドリーユ》を指揮したときも、ジュリアンは奏者の中にいます(図2右)2。もちろん、様々なソロの部分にさしかかるときは、その奏者の方に向いて指示を与えたそうですが。

図2左:ロンドン、プロムナード・コンサート、1849年。図2右:ロンドン、コヴェント・ガーデン劇場でのコンサート、1846年

図2:ルイ・ジュリアンの指揮。左:プロムナード・コンサート、1849年。右:《イギリス陸軍カドリーユ》、1846年

1881年にドイツの音楽学者 Hermann Zopff が、指揮者は全ての奏者を見ることができるように、また彼らが指揮者の顔の表情を見ることができるように(聴衆に背を向けて)指揮するように勧めています3。1889年に同じことを書いている Schroeder によると、多くのコンサート指揮者は軍楽隊やプロムナード・コンサートの指揮者と同様に聴衆の方に顔を向け、可能なときには聴衆の気を引こうとしていたそうです4

さらに、「斜め」という選択も。1829年ベルリンで、バッハの《マタイ受難曲》を復活上演したメンデルスゾーン(当時若干20歳!)。彼は右側をオーケストラに向け、舞台を斜めに見渡す角度で指揮したそうです5。ドイツでは1890年代になっても、ステージの中央ではなく少し右側に立って、左側を少し聴衆の方に向ける指揮の構えが残っていました。聴衆への礼儀(おしりを向け続けているのは失礼?!)と音楽上の必要性のどちらが大切かという問題だけではなく、コンサート・オーケストラが成立するまでの道のりも影響しているように思います。この件については改めて。

  1. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. 1988, Univ. of Rochester Press, p. 81 (Nettel, The Orchestra in England, J. Cape, 1956, p. 137).
  2. Spitzer, John & Zaslaw, Neal, “Orchestra” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 18. Macmillan, 2001, p. 542 (Illustrated London News, 1846年11月7日).
  3. Koury, 前掲書, p. 80.
  4. 同上。
  5. 同上、pp. 79-80.