04. 12月 2013 · (162) 20世紀以降のオーケストラ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

バロック、古典派、せいぜいロマン派止まり。古い話ばかりの聖フィル♥コラム。みなさんが大好きなマーラーとかストラヴィンスキーなど(もちろん私も好きです!)の話が出て来ません。聖フィルがそのような曲をまだ取り上げていないのが最大の理由ですが、それだけではありません。オーケストラの歴史って、19世紀の後半以降はあまり書くことがないからです。

編成はずいぶん大きくなりました。たとえば、ほとんどのマーラーの交響曲では木管楽器奏者が4人以上ずつ必要ですし、金管楽器も増加(特にホルン)。バランスをとるために弦楽器の人数も増えますから、ステージ上が人でいっぱいに。

これって、とても原始的な(!?! シンプルなと言うべき??)発想ですよね。大きな会場で大勢の聴衆に届くような大きな音が必要なら、楽器の数を増やせ! オーケストラには、20世紀に発明されたマイクやアンプなどの文明の利器は不要。19世紀後半どころか、ベートーヴェンやハイドンの時代の演奏会と、考え方は同じです。

もちろん、20世紀に入って変化したこともあります。弦楽器のガット弦に代わってスティール弦や金属を巻いた合成弦が主流に。1930年代には、常にヴィブラートをかけて演奏するようになりました((118) ヴィヴラートは装飾音だった(2)参照)。弦セクションの音量や輝かしさが、一段と増加。管楽器奏者もヴィブラートを使うように。

しかし、オーケストラの楽器編成は基本的に変わりません。19世紀後半に加わってオーケストラの定位置(ほぼ)を占めるようになったのは、チューバくらいではないでしょうか。管楽器ではサクソフォーン、コルネット、フリューゲルホルン、ワーグナー・チューバなどが使われたものの、定着せず。テルミン、オンド・マルトノなどの電子楽器や、録音された音やコンピューター処理された音がオーケストラとともに使用される曲も作られましたが、実験的試みの域を出ません。

ただ、打楽器は様変わり。多種多様なものが使われるようになりました。木魚(テンプル・ブロック)、どら、マラカス、ギロなど、ヨーロッパ以外の地域の楽器も目につきます1。主音と属音に合わせた2個のティンパニを1人の奏者が叩いていた時代を考えると、夢のようです。鍵盤楽器もオーケストラに再登場。通奏低音の担い手だった18世紀とは違って、打楽器とみなされます。

管弦打楽器がそれぞれセクションごとに陣取って、指揮者の合図で一緒に演奏し音楽を作り上げるというオーケストラの基本スタイルは、ここ100年以上変わっていません。オーケストラって、19世紀中にほぼ完成してしまいました。現在私たちは、その伝統・遺産を受け継ぎ、保存を続けています。

50年後、100年後、オーケストラはどうなっているのでしょうね。録音や録画の技術が進歩し、会場へ行かなくても臨場感あふれる演奏を体験できるようになっていることでしょう。「昔は、わざわざ音楽会に出かけて行かなければならなかったんだよ」なんて。完璧な技術と音楽性を備えたロボットたちが、演奏しているかもしれません。あるいは、過去100年間ほとんど変わらなかったように、この先100年間もこのまま変化しないかな? うーん、オーケストラの未来の姿を想像するのは難しいですね。

  1. Spitzer, John & Zaslaw, Neal, “Orchestra” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 18. Macmillan, 2001, p. 543.
12. 12月 2012 · (111) 《第九》とトルコ行進曲 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

《第九》終楽章にはトルコ風の音楽が含まれています。独唱や合唱が「歓喜に寄す」を第3節まで歌った後、急に静かになるところ。ファゴットとコントラファゴット、大太鼓が、低い音域でぼわっ、ぼわっと出て、シンバルとトライアングルも加わる八分の六拍子「行進曲風に」のところ。これは、メヘテルハーネによるトルコ音楽(のパロディ)です。

16世紀前半から18世紀後半まで、オスマン帝国はヨーロッパにとって大きな脅威でした。ヴィーンも1529年と1683年の2度、包囲されています。メヘテルハーネは、そのオスマン帝国の精鋭部隊イェニチェリ(トルコ語で「新しい軍隊」)が伴った軍楽隊。士気を鼓舞したり、儀式でスルタンの威光を表したりするのに使われました。図1は、1720年にオスマン帝国の宮廷画家によって描かれた細密画です。色とりどりのコスチュームが鮮やか。しかも大編成!

図1:メヘテルハーネ(Abdulcelil Levni, 1720)クリックで拡大します

右側のパネル中央に黒い管楽器ズルナ(チャルメラのようなダブル・リード属)奏者が8人、続いて2つ一組の小型太鼓ナッカレが5人。左側のパネルでは、胴がオレンジ色の大太鼓ダウルが8人、その後ろにズィル(シンバル)が6人、パネル左端にボル(トランペット)が6人。向こう側には、2つ一組の鍋形太鼓キョスが3人も。ズィルとナッカレは宗教的な用途でも使用されたそうです1

メヘテルハーネは、大音量のエキゾティックな音色と、目をひくコスチュームでヨーロッパの人々に大きなインパクトを与えました。18世紀半ば、各国の軍楽隊はトルコの楽器を加え始めます。まず大太鼓。その後、シンバルとトライアングル。18世紀末にはターキッシュ・クレセント(1番上に三日月型の飾りがついている、錫杖のような打楽器)も。ピッコロも付きものでした。

この響きと、1拍目の強いアクセントを利用した音楽が流行します。《第九》のようにオーケストラに大太鼓やシンバル、トライアングルを入れたのが、モーツァルトの《後宮からの逃走》序曲や、ハイドンの交響曲第100番《軍隊》(聖フィル第1回定期で演奏しました)。

打楽器を使わない例も。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番の終楽章では、弦楽器の弓の木の部分で演奏するコル・レーニョ奏法を用いて打楽器を模しています。有名なモーツァルトのトルコ行進曲(実はピアノ・ソナタの終楽章)でも、左手が Alla Turca(トルコ風)。長調部分では、アルペジオの装飾音で1拍目が強調されます。

ただ《第九》の八分の六拍子の部分は、シンバル、トライアングル、大太鼓を単なる東洋趣味として取り入れたのではないでしょう。「走れ、はらからよ、君たちの道を、喜び勇んで、勇士が勝利へと向かうように(土田英三郎訳)」という歌詞の、戦いや勝利のイメージとリンクさせているように思われます。

メヘテルハーネの響きのサンプルとして、最もポピュラーな《ジェッディン・デデン Ceddin Deden》の動画をあげます。祖父も父もみんな英雄だったという歌詞。中央にキョス(行軍ではないので、床に置いています。叩き方にも注目。図1の動きですね)。左側にターキッシュ・クレセントを鳴らしながら歌う人々、奥にズルナ。1分過ぎくらいから右側にナッカレ、ズィル、ダウルも見えます。イェニチェリは1826年に廃止され、その後、ヨーロッパの軍楽が逆輸入されたため、メヘテルハーネの音楽は残念ながら、このような博物館的存在になってしまったそうです2

  1. Pirker ’Janissary music,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., 12, Macmillan, 2001, p. 801.
  2. 柘植元一「メヘテルハーネ」『音楽大事典5』平凡社、1983、2515ページ。他に、小泉文夫記念資料室ホームページの「アジアの楽器図鑑」を参考にしました。
02. 11月 2011 · (53) 打楽器は部屋の外?!:管絃と管弦 part 2 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

(52) なぜ管弦打楽と呼ばないのか:管絃 part 1で紹介したように、雅楽の「管絃」は、平安時代から続く日本の伝統音楽です。私たちは西洋のオーケストラについては詳しいのに、自国の器楽アンサンブルについてはあまり(ほとんど?)知りませんよね。というわけで、 オーケストラとの比較も交えながら「管絃」についてもう少し説明したいと思います。

図1 管絃の楽器配置

図1 管絃の楽器配置

すでに述べたように、雅楽の中の(舞を伴わない)管絃の楽器編成は、三管二弦三鼓。管楽器は、横笛・篳篥・笙3つのパートを同人数で演奏します。現在は、3人ずつの「三管どおり」(三管編成ですね。図1参照)が基本。楽琵琶と楽箏の絃楽器は、管より少ない2人ずつになることが多いのですが、打楽器(鞨鼓、楽太鼓、鉦鼓)は編成の大小に関わらず、必ず各パート1人ずつです。

雅楽の曲は最初はゆっくり始まり、次第にゆるやかにテンポが上がります。指揮者の代わりにテンポ・メーカーとしてアンサンブルを統率するのは(オーケストラならヴァイオリンのトップですが)、管絃では鞨鼓奏者(図1手前右③)。先端が豆状の2本の細い桴で一定のリズム・パターンを繰り返し打ちながら、少しずつテンポを上げていきます。他の奏者は、阿吽の呼吸でこれに合わせます。

西洋音楽では普通、打楽器奏者は打楽器しか受け持ちません。雅楽の場合、打ちもの専門の奏者はおらず、鞨鼓は楽人たちの中の一の者、太鼓はニの者、鉦鼓は三の者が担当したそうです。つまり打楽器は、管楽器などの経験も豊富で上手な者しか打てなかった。もし演奏に何か問題があれば、鞨鼓奏者は腹を切るくらいの覚悟で臨んでいたといいますから、大変な重責だったのですね1

現在、雅楽を伝承する宮内庁式部職楽部において、楽師たちは三管(笙・横笛・篳篥)から1つ、ニ絃(琵琶・箏)のいずれか、三鼓(鞨鼓・楽太鼓・鉦鼓)はすべて、それに2種類の舞(右舞・左舞)のいずれかと、歌もの(神楽歌・郢曲)すべてを教習します。演奏会で鞨鼓を担当するのは、主席楽長。楽部に限らず現代の雅楽コンサートでは、オーケストラの指揮者のように、鞨鼓奏者が代表しておじぎします。

というわけで、今回のまとめ:

  1. 西洋のオーケストラの歴史は、モンテヴェルディの《オルフェオ》((44) 神の楽器 ? トロンボーン part 2 参照)以来としてもわずか (?!) 400年。一方、日本の雅楽の管絃は1000年以上の伝統を持つ2
  2. その管絃におけるリーダーは、打楽器である。

前回のコラム図2で、打ちものの楽人たちが部屋の外で演奏しているのは、彼らが庶民だからであって、打楽器奏者だからではありません。もしも貴族の管楽器奏者が揃わなければ、あるいは補強が必要であれば、楽人が部屋の外で管楽器を演奏したはずです3。打楽器の皆さま、「打楽器は部屋の外とは、悲しい〜!」なんて、思わないでくださいね。

  1. htm3nkmrさんの情報に感謝します。
  2. 管絃は9世紀ころに新しく生まれた合奏形式。様々な楽舞を伝承するために、大宝律令によって雅楽寮(うたまいのつかさ)が設立されたのは、701年のことでした。
  3. 楽琵琶と楽箏の弾きもの(と歌もの)は、殿上人=貴族以外は演奏出来ませんでした。
27. 10月 2011 · (52) なぜ管弦打楽と呼ばないのか:管絃と管弦 part 1 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

「オーケストラを管弦楽ではなく、管弦打楽と正確に訳そう!」というのは、日本中の打楽器奏者さんたちの、心の叫び (!?) ではないでしょうか。管&弦楽器だけではなく打楽器も必要な「オーケストラ」(語源は (29) オーケストラは「踊り場」だった!? 参照)を、管弦打楽ではなく管弦楽と訳すのは、確かにとても不公平! しかしこの訳語には、1千年以上の歴史を持つ日本の伝統音楽「雅楽」が、影響しているのです1

雅楽は、5世紀から9世紀にかけて大陸(特に中国の唐)から伝来した楽舞が、日本古来の歌舞と並存して定着したものです。華やかな貴族社会の儀式と結びついて洗練され、今日まで受け継がれてきました。舞の伴奏のための音楽「舞楽」に対して、9世紀ごろに日本で再編成された器楽合奏の形式を「管絃」と呼びます2

「管絃」は、貴族たちが互いに技量を披露し合いながら、合奏を楽しむために作られたジャンルと考えられます。平安時代の中頃には、天皇家や貴族層のたしなみとして「詩歌管絃」が広く浸透しました。『源氏物語』にも登場する、桜や月の鑑賞、元服や着袴などの儀式の際に天皇や公卿らが催した管絃の集まりを、「御遊(ぎょゆう)」と呼びます。「花」=桜だったように、「遊び」=雅楽のアンサンブルだったのですね。

管絃に必要な楽器は以下のとおりです。( )内の数字は、図1の数字と対応しています。

  1. 吹きもの (管楽器) : 横笛(おうてき⑥)、篳篥(ひちりき⑦)、笙(しょう⑧)
  2. 弾きもの (絃楽器) : 楽箏(がくそう④)、楽琵琶(⑤)
  3. 打ちもの (打楽器) : 鉦鼓(しょうこ①)、楽太鼓(②)、鞨鼓(かっこ。羯鼓とも③)
図1 管絃の楽器配置

図1 管絃の楽器配置

もともと日本には20種以上の楽器が伝来したそうですが、管絃の編成は三管ニ絃三鼓。この中で平安時代の貴族たちが好んで演奏したのは笙、篳篥、横笛、琵琶、箏などに限られていました。図2では貴族たちがこれら5種類の楽器を演奏しています(左から、篳篥、琵琶、箏、横笛、笙)。一方、アンサンブルに必須の打ちものは、雅楽の職業演奏家である楽人たちが務めました。図2の打楽器奏者はいずれも部屋の外で演奏していて、身分が違うことがわかります3

図2 住吉物語絵巻 断簡(東京国立博物館蔵 鎌倉時代)

図2 住吉物語絵巻 断簡(東京国立博物館蔵 鎌倉時代)

さて、時代は移り明治維新。世襲で雅楽の秘曲を伝承してきた楽人たちは、雅楽の保存とともに西洋音楽の伝習に取り組むことになりました。初めに吹奏楽を学びますが、室内での陪食や宴会に適した音楽の必要性を訴え、明治12年末に「西洋管絃楽協会」が発足4。楽人たちの自主活動として管絃楽の伝習が始まりました。奏する楽器は異っていても、同じ器楽アンサンブル。雅楽と同じ管絃楽の名で呼ぶのは、ごく自然な成り行きだったのでしょう……5

打楽器奏者の皆さま、以上のような長〜い歴史的背景を考慮し、オーケストラ→管弦楽という訳を大目にみてくださるよう、お願いいたします。決して打楽器をないがしろにするわけではありません。このコラムにおいてはこれまで同様、「管弦楽」の語の使用を避け、なるべく「聖光学院管弦楽団」ではなく「聖フィル」を用い、言及が必要になった時は、バルトークの《弦チェレ》ではなく《げだチェレ》という表記を使いたいと考えています。

  1. このコラムのきっかけになった Percussion Players Networkを紹介してくださったhitom-2.25さんにお礼申し上げます(コラムではオーケストラを音楽の種類として書きました)。また、助言してくださった htm3nkmrさんとo3kanさん、どうもありがとうございました。
  2. この糸へんの「絃」が当用漢字に含まれないため、戦後、同音の漢字「管弦」で書きかえられるようになりました。
  3. 明らかに「管絃」という用語に影響していると思われますが、このあたりの事情が書かれた書物を見つけられませんでした。ご存知の方は教えてください。図1、2は『別冊太陽:雅楽』(平凡社、2004)から。他に、寺内直子『雅楽を聴く:響きの庭への誘い』(岩波新書、2011)、増本伎共子『雅楽入門』(音楽之友社、2000)などを参考にしました。11/11/3追記:(53) 打楽器は部屋の外 ?! 管絃と管弦 part 2 もご覧ください。
  4. 塚本康子『十九世紀の日本における西洋音楽の受容』(多賀出版。1993)、pp. 251-2。
  5. 1883年生まれの音楽学者田辺尚雄は、楽語の漢語訳に批判的で、大正14年に出版した『音楽概論』でもコンチェルトについて「例の漢学癖の人は之れを競奏楽と呼んで居る」と書いているそうです。しかし「管絃楽を以て伴奏せしめる」という説明が続くことから、彼が管絃楽という用語は批判せずに受け入れ、使用していたことが伺えます。伊藤和晃「近代日本語における西洋音楽用語の流入と定着の様相」『横浜国大国語研究29』(2011/3)、p. 74。