15. 6月 2016 · (282) ブルックナー・リズムの元?? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

ブルックナーと言えば、2+3のブルックナー・リズム。4/4拍子の1小節の前半に4分音符2つ、後半(の4分音符2つ分)に3連符を入れるリズム(3連符が先の3+2の場合も)。4分音符5つのうち、後の3つが前の2つより1/3拍ずつ短い。タンタンタタタとタンタンターターターの中間だから、タンタンタ-タ-タ- かな。

交響曲第4番《ロマンティッシェ》にも、た〜くさん出てきます。第1楽章では第1主題の後(43小節〜)や、第3主題(練習番号D)。第3楽章のスケルツォ主題も。ここは2/4拍子なので、8分音符のブルックナー・リズム、しかもアウフタクト付きです。終楽章の序奏部後半では、このスケルツォ主題をホルンが回想。29小節から4分音符、35小節からは8分音符のブルックナー・リズムの掛け合いがみられます1

見た途端、聴いた途端にブルックナーだ!とわかるこのリズム。いつ、どうやって思いついたのか知りませんが、もしかしたら「元」はこれ? 譜例1をご覧ください(クリックで拡大します)。

譜例1:ブルックナー《ロマンティッシュ》終楽章1874年稿自筆譜(W-An, Mus.Hs.6082)

譜例1. ブルックナー:交響曲第4番終楽章1874年稿自筆譜(A-Wn, Mus.Hs.6082)603小節〜

《ロマンティッシェ》終楽章コーダ、自筆譜の1ページです。上から3段(フルート、オーボエ、クラリネット)と、1段(ファゴット)おいた5、6段目(ホルン)。1小節に四分音符が5つずつ。おおお、ここにもブルックナー・リズム!??   あれれ、上に5、5、5と書いてあります。つまり、これは5連符!

5連符なんて知らない!と言われそうですが、これは1874年作曲の第1稿。上3段は、繰り返し記号の小節もやはり5連符。下5段の弦楽器(うわぁ、ヴィオラが「III」と略されている!!! サード・ヴァイオリン?? アルト記号の記譜ですが)は16分音符と8分音符。割り切れな〜い。演奏が大変そう。

譜例2:ブルックナー《ロマンティッシュ》終楽章1878年2稿自筆譜(W-An, Mus.Hs.19476)

譜例2. 同上1878年稿自筆譜 (W-An, Mus.Hs.3177, Band 3) 468小節〜

譜例2は、1878年に改訂した終楽章(”Volksfest”)。5連符は無くなっています。上から3段(フルート、オーボエ、クラリネット)は四分音符と八分音符のタンタカタンタン。次の3段(ファゴットとホルン)をとばして、上から7、8段目(トランペット)は3+2のブルックナー・リズムですね。タ-タ-タ-タンタンとタンタカタンタンが、同時進行。

さらに、その下の段(なぜかここにティンパニ)をとばした次の3段(10〜11段目のトロンボーンと12段目のテューバ)を見ると……。この小節にも音符が5つ。でも、さっきと逆の2+3!! ということは、2種類のブルックナー・リズム、タ-タ-タ-タンタンとタンタンタ-タ-タ-が同時進行。演奏は5連符よりずっと楽ですが、タンタカタンタンも重なって何だかわからない。まだ5連符に未練がある?2

1880年稿の終楽章(譜例3、ハース版)では、前半の3連符と後半の3連符のみ採用され、6連符に。5連符もダブルのブルックナー・リズムも無くなって、すっきり。演奏はとても楽になりました。ただ、紆余曲折の痕跡が全く残っていなくて、何だかちょっと残念な気もしますね(来週の聖フィル♥コラムはお休みさせていただきます)。

譜例3:ブルックナー交響曲第4番終楽章1880年稿自筆譜 (W-An, Mus.Hs.19476) 537小節〜

譜例3. 同上1880年稿自筆譜 (W-An, Mus.Hs.19476) 537小節〜

  1. さらに39小節からは3+2と2+3のブルックナー・リズムが重ねて用いられています。
  2. 金子建志『ブルックナーの交響曲』音楽之友社、1994年、129ページ。
23. 9月 2015 · (253) パッサカリア主題 in 第1楽章 ブラ4の秘密3 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

構築型の作曲家ブラームス。彼が交響曲第4番に「わかる人だけわかる」ように組み込んだ「しかけ」を見つけるのは、わくわくします。バロック時代の形式パッサカリアで作られた終楽章は、実はソナタ形式とも考えられますし((251) ただのパッサカリアではない!参照)、第1楽章第1主題の冒頭を第4楽章の最後の方で使って、全体をまとめています((252) 第1楽章第1主題 in パッサカリア参照)。そのままの形ではなく変形して(むしろ、オリジナルの形と言うべきか)嵌め込んでいるので、すぐには気づきません。

第1楽章の主題が終楽章に登場するなら、終楽章の旋律も第1楽章に予示されているのではと考えるのが自然。8小節構造を厳格に守ったまま変奏が進む終楽章は、この交響曲最大の呼び物ですから。ところが、パッサカリア主題ミ−ファ♯−ソ−ラ−ラ♯−シ−シ−ミの予示が指摘されたのは、1998年(つい最近!!)になってから。クリスティアン・マルティン・シュミットによると、第1楽章の開始早々10小節目から、コントラバスとヴァイオリンによって示されます(譜例1参照)1

うーん……。半音進行の無視(13小節目後半のソ♯はともかく、11小節目のファと9小節目のレ♯が問題では??)や、途中でパートが移ることなど、どう考えるべきでしょうか??   予示が明らかになり過ぎないように、わざと半音を加えてカモフラージュしたのかな??  シ−シのオクターヴ進行もわざと逆に変えた??  いずれにしろ構築型ブラームスですから、偶然ではないことは確かでしょうが……2

第1楽章におけるパッサカリア主題の影響について、長い間研究されなかったのには、理由がありました。パッサカリアの元になったバッハのカンタータ150番《主よ、わが魂は汝を求め》((221) パッサカリアについて参照)が旧バッハ全集第33巻として出版されたのは、ブラームスが既に第1楽章を完成した後、1884年秋だったからです3。このため、旧全集刊行前からブラームスがこの曲を手稿譜の形で知っていた可能性が示唆されています。

譜例1:ブラームス作曲交響曲第4番第1楽章(第8〜21小節)

譜例1:パッサカリア主題 in 第1楽章(ブラームス作曲 交響曲第4番 第1楽章 第7〜20小節)

  1. 三宅幸夫『Brahms: Symphonie Nr.4 ミニチュア・スコア解説』音楽之友社、2004、viiiページ。
  2. 同上によると、Schmidt, Christian Martin, ‘Johannes Brahms: Sinfonie Nr. 4 eMoll op. 98,’ Johannes Brahms: Die SInfonien, ed. by Schubert, Giselher, Floros, Constantin, and Schmidt, Mainz, 1998, pp. 213-272.  私が務める音大の図書館には所蔵されておらず、現時点で原書を確認していません。
  3. 三宅、同上。
10. 9月 2014 · (202) 循環形式の到達点!? チャイコフスキ―の第5交響曲 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

前の楽章の旋律を後の楽章でまた使うなんて、ありえなかった時代。ベートーヴェンの《運命》終楽章には、第3楽章の後半が唐突に登場します((13) 《運命》「掟破り」のベートーヴェン参照)。ベルリオーズは《幻想交響曲》で、1つの旋律(イデー・フィクス)を変形しながら全楽章に使いました((173) 《幻想交響曲》の奇妙さ参照)。その後、多くの作曲家がこの循環形式で曲を作りましたが、《幻想》のように旋律が全楽章に循環する例はそれほど多くありません。

チャイコフスキーの第5番交響曲で循環するのは、第1楽章冒頭の序奏主題。クラリネットによる低音域でつぶやくような地味な(暗い??)メロディーで、「運命の主題」と呼ばれます。チャイコフスキー本人がスケッチに、「序奏。運命の前での、あるいは同じことだが、人に計り難い神の摂理の前での完全な服従」と標題(プログラム)を書き込んでいるからです1。第1楽章で「運命の主題」が現われるのは、この序奏部分だけ。でも、クラリネットとファゴットが吹く主部の第1主題は、この「運命の主題」から生まれたもの。アウフタクトを除くと、3回の同音連打で始まり、ゆるやかに上行して下降する旋律線、実音でミとラ(ホ短調のトニックとサブドミナント)を繰り返す低音の動きなどがそっくり。第1楽章は「運命の主題」の最初の変形に基づいているとも言えます。

第2楽章アンダンテ・カンタービレでは、稀代のメロディー・メーカーの名旋律が贅沢に使われる中、突然「運命の主題」が登場。あの地味な主題が、全奏の堂々とした響きに様変わり。その後、何事も無かったかのようにもの悲しく美しく楽章が終わる……と思いきや、最後にもう一度「運命の主題」。1回目よりもさらに激しく劇的に、現実を突きつけます。

第3楽章は優美なワルツ。まさかもう現われないだろうと油断させておいて、最後の最後に「運命の主題」登場。クラリネットとファゴットが低音域で、3拍子に変わった(ワルツですから当たり前ですが)旋律を吹きます。「運命はあなたを忘れていませんよ」ということ?? でも、ぼそぼそしたつぶやきがちょっとユーモラスにも聞こえます。

終楽章は第1楽章と同様に、「運命の主題」で始まります。相変わらず低音域ですが、ここではホ短調ではなくホ長調。ヴァイオリンとチェロによって、朗々と歌われます。主部に入ってからも、提示部や再現部の最後(後者はコーダへの移行部)に現われますが、何と言っても圧巻はコーダ。「運命の動機」長調版が華やかに高らかに奏され、まるで勝利宣言のよう。さらに、この旋律から生まれた第1楽章第1主題の長調版が戻って来て、曲を締めくくります。

循環形式は、旋律を複数の楽章で繰り返し使うことで楽曲全体に統一感をもたらすと同時に、旋律を変形し続けることで音楽を展開し前に進む原動力を生み出します。変形には無限の可能性がありますから、まさに作曲家の腕の見せ所。チャイコフスキーは交響曲第5番で、「イデー・フィクス」型の循環手法を有機的かつ構築的に用い(ベートーヴェンが《エロイカ》や《運命》で多用した、主題動機労作を思い出させます)、野心的な作品に仕上げていますね。

  1. 訳は森垣桂一「ミニチュア・スコア解説」『チャイコフスキー交響曲第5番、音楽之友社、2010、v。英語では「the agency of fate」(Horton, Julian, “Cyclical Thematic Processes in the Nineteenth Century” The Cembridge Companion to the Symphony, ed. by Julian Horton, Cambridge University Press, 2013, 212)なので、正確には「運命」ではなく「運命の力」の主題。スケッチの中の「神の摂理(Providence)」とも関連しています。
15. 10月 2013 · (155) 《ライン》と循環形式 (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

交響曲本来の構成に追加された、荘厳な宗教儀式を思わせる第4楽章。そのジグザグ主題が、それ以前の楽章で予示されていて、さらに終楽章で音楽的に緊張度の高いストレットの形で戻って来る、シューマンの交響曲第3番《ライン》((154)《ライン》と循環形式 (1) 参照)。本筋から外れた挿入部分が要の役割を持つ、意表を突くプランです。でも、これ以外にも循環する旋律があります。終楽章の最後、テンポが上がる直前のホルンとトランペットのファンファーレ(譜例1内声部)、どこかで聴いたような……1

譜例1:シューマン作曲《ライン》第1楽章冒頭

譜例1:シューマン作曲《ライン》終楽章、394〜9小節

そうです。第1楽章1小節目第1拍からの、滔々と流れるライン川を思わせる第1主題の変形。1番最初の音楽が、最後に再登場。全体のフレームになっています。ずっと8分音符8つの動きで流れて来た終楽章に、初めて3連符が使われるのは、冒頭のヘミオラ(3拍子2小節を大きく3拍と取ること)のなごり?? その3連符リズムと主和音(ミ♭ソシ♭)アルペッジョは、テンポを上げたコーダに受け継がれます。

ただ旋律が再登場するだけではありません。シューマンはここで、和音の動きに工夫をこらしています。(149) カデンツを感じると言うことで書いたように、古典派ハイドンの交響曲第88番では、低音が定期的にソ→ドと動き、属和音の緊張状態が主和音で解決されていました。ゆらゆらの吊り橋を渡る不安定感と、岸にたどり着いてしっかりと大地を踏みしめた安定感の交代が、音楽を区切り、前に進めています。

ところが、半世紀(以上)後にロマン派作曲家シューマンが作った《ライン》では、そのソ→ド(V→I)の動きが意図的に避けられています。第1楽章第1主題の低音は、半音も交えながらドシラソファミレと主音からずるずる下がるだけ。譜例2上段、最後の小節の低音レはこの調の導音ですが、主音ミ♭に進まないで次の小節でレ♭に降りてしまいます2。提示部での第1主題は、属和音から主和音へのはっきりしたカデンツが無いままです。

その第1主題が再現部で「ただいま」するときは、さらにすごい(!?)状況。同じ旋律が主調で戻って来ますが(譜例2下段)、低音は主音ド(変ホ長調のミ♭)ではなく、ドミソのソ(シ♭)の延ばし。そこから主音ミ♭に進めばソ→ド(V→I)進行になるのに、和声的な解決は避けられたまま。ゆらゆら揺れる吊り橋は長くて、岸に上がって一息つくどころか、どこに向こう岸があるのかもはっきりわかりません。

和声的にうやむやのまま「おあずけ」状態だった第1楽章第1主題のカデンツがはっきり解決するのは、勝利の凱歌のように変形されて終楽章に現れたとき(譜例1)。低音のシ♭は 主音のミ♭へ。シ♭レファの属和音がミ♭ソシ♭の主和音に解決、ここでようやく待ちに待った完全終止。向こう岸を踏みしめた、ばんざーい!という決定的瞬間です。この後はテンポを上げて、一気にゴールへ突き進みます。

シューマンの計算され尽くした構成、にくいですね〜。でも、全く正反対の吊り橋感覚を持つ2曲を並べた、今回の聖フィルのプログラムも、にくいでしょう? 古典派とロマン派で大きく変化したカデンツの使い方、不安定→安定の流れの違いを楽しんでくださいね。

譜例2:

譜例2:同上第1楽章第1主題。上:提示部、下:再現部

  1. 譜例1、2とも Horton, Julian, ed., The Cambridge Companion to the Symphony. Cambridge Univ. Press, 2013, pp. 20 に基づく。
  2. 20小節の第1主題が繰り返されるときにソ→ドが1度使われますが、ド(実音ミ♭)から主旋律に変化。低音としての V→I の動きは避けられています。
08. 10月 2013 · (154) 《ライン》と循環形式 (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

第9回定期演奏会で取り上げるシューマンの交響曲第3番変ホ長調作品97は、《ライン》のニックネームでおなじみ。スイス、フランス、ドイツ、オランダを通って北海に注ぐライン川流域には、前古典派時代にヨーロッパ1とも言われる宮廷楽団を持っていたマンハイム、ベートーヴェンの生地ボンなどがあります。

さらに下流のデュッセルドルフにシューマン夫妻が到着したのは、1850年9月2日1。ロベルトが引き受けた同市の音楽監督としての仕事は、10〜5月のコンサート・シーズンに8回ほどの定期演奏会を開く、一般音楽協会オーケストラと合唱協会の指導と、カトリック主要教会(聖マクシミリアン教会と聖ランベルトゥス教会)での、重要な祝祭日の礼拝音楽の采配でした。10月24日のデュッセルドルフ・デビュー演奏会では、妻クララをソリストに、メンデルスゾーンのピアノ協奏曲ト短調(第3回定演で有森先生に共演していただいた曲ですね)を演奏。素晴らしい出来だったそうです。

同じ日にチェロ協奏曲を完成したシューマンは、新しい交響曲に着手。ライン川上流にあるケルン大聖堂を、9月末に初めて訪れたときに受けたインスピレーションに基づくのかもしれないと言われています。作曲期間は11月2日から12月9日まで。当時の楽団員によると、最終的な形(交響曲定型からはみ出す5楽章構成)になったのは、シューマンが11月初旬に大聖堂を2度目に訪問した後。ケルン大司教が枢機卿に任命されたことが、終楽章の前に厳かな儀式を思わせるような楽章を加える動機になった可能性もあります。

図1:ケルン大聖堂、1856年

図1:ケルン大聖堂、1856年

1248年に建設が始められたケルン大聖堂ですが、1473年に中断。再開されたのは1842年。《ライン》作曲6年後の図1のように、まだ、高い塔が完成していませんでした。でも、確かに第4楽章は、聖職者たちが列を作って、石造りのゴシック様式の大聖堂の中を正面の祭壇まで静かに厳かに進んでいくような雰囲気。他の4つの楽章とは明らかに異質です。

おまけのはずのこの第4楽章が、実は音楽的な要。ホルンとトロンボーンが始める主要主題と、8分音符によるその縮小型(譜例1)は、終楽章で戻って来ます2。第5楽章コーダでは、4度上がって2度下がるジグザグ上行型(バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第7番プレリュードの引用)の音価が拡大され、模倣されます(譜例2)。しかも、前の提示が終わらないうちに次が始まる(ストレットと呼びます)、音楽的に緊張度が高い形での引用です。また、8分音符の短縮形は、スケルツォの第2楽章中間部に予示されています。

このような「多楽章形式の楽曲において、同じ主題材料を全楽章あるいは数楽章に用いて、性格的統一をはかる手法」は、循環形式((92) 《新世界》と循環形式参照)でしたね。すでにリストやドヴォルジャーク、エルガーの例ご紹介しましたが、ロマン派作曲家シューマンももちろんこの手法を使っています。

4つの交響曲で用いられた循環手法はそれぞれ異なっていますが、《ライン》は、どちらかというと《第九》型。第1〜4楽章全ての主題が終楽章に現れるほど、緊密で徹底した使い方ではありませんが、終楽章が総まとめの役目を果たしています。第4楽章のジグザグ主題が、他の2つの楽章に予示&引用されるだけではありません。他にも終楽章で再び現われる主題がありますよね。しかも、ただ単にその旋律が戻って来るだけではなく……(続く)。

譜例1:シューマン作曲《ライン》第4楽章冒頭

譜例1:シューマン作曲《ライン》第4楽章冒頭

譜例2:同上第5楽章271〜9小節

譜例2:同上第5楽章271〜9小節

  1. 以下のデータは、Daverio, John, ‘Schumann.’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol.22. Macmillan, 2001, p. 785 による。
  2. 2つの譜例は、Horton, Julian, ed., The Cambridge Companion to the Symphony. Cambridge Univ. Press, 2013, pp. 202-3.  縮小型が戻って来るのは、第5楽章99小節目など。
09. 8月 2012 · (93) 《新世界》と循環形式 (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , , ,

前回書いたように、《新世界》交響曲(1893)では第1楽章第1主題が、変形を加えられながら全楽章で使われます。このような循環形式の手法は、19世紀最後の四半世紀に広く使われました。

ブルッフは《スコットランド幻想曲》(1879〜80)において、第1楽章で引用したスコットランド民謡《森を抜けながら、若者よ》を、第2・第3楽章のつなぎの部分と、第4楽章のコーダで回想していましたね((68) ブルッフが使ったスコットランド民謡 (1)参照)。古くから歌い継がれて来た民謡を素材にしつつ、最新の手法で曲を組み立てたのです。他にも、たとえばチャイコフスキーの交響曲第5番(1888)では、「運命の主題」(ジャ・ジャ・ジャ・ジャーンの「運命動機」ではなく)と呼ばれる第1楽章のオープニングが、「イデー・フィクス(固定楽想)」的に使われ、全体を統一しています。

ところで、《新世界》の中で循環するのは、第1楽章第1主題(ホルンの分散和音)だけではありません。終楽章には、第2楽章《家路》の旋律と、第3楽章スケルツォの主題も現れます。しかも、第4楽章の第1主題も同時進行。ホルンやトランペットによる吼えるような提示とは一変し、ヴィオラがひとりごとをつぶやくような形に変えられています(譜例1参照)。そういえば、ドヴォルジャークはドボコンでも、第1楽章第1主題と第2楽章の《ひとりにして》の旋律を、終楽章のコーダで再現していましたね((38) ドボコンを読み解く試み その2参照)。

譜例1:ドヴォルジャークの循環形式(《新世界》第4楽章、155〜60小節。クリックで拡大します)

終楽章の中でそれ以前の楽章の素材を回想し全曲を統合する手法は、前回も名前を挙げたフランクの得意技。交響曲ニ短調(1888)やヴァイオリン・ソナタ(1886)などで使われています。彼が前駆作品として挙げたのが、ベートーヴェンの《第九》。終楽章冒頭で、第1〜第3楽章の一部がほぼそのまま引用されるからです。このように《新世界》では、ある主題や動機が他楽章に現れる《運命》型と、先行する全ての楽章の主題が最終楽章に現れる《第九》型(2つのネーミング、いかがでしょう?)の、両方の循環手法が使われています。

ドヴォルジャークは、さらにもう一ひねりしました。メロディーだけではなく、ハーモニーも循環させたのです。第2楽章冒頭で管楽器が ppp で奏する、漂うような7つの和音。第1楽章の調=シャープ1つのホ短調から、遠い遠い第2楽章《家路》の調=フラット5つの変ニ長調へと導く、コラール風の響きが、第4楽章のコーダに出現(299小節〜)1。あちらこちらに顔を出す第1〜第3楽章の主題を補強するように、ff で高らかに歌い上げられます。圧巻!

《新世界》というと、ドローンや5音音階、スピリチュアルとの類似性などがクローズ・アップされがち。確かに、ボヘミアやアメリカの民族音楽的な要素はこの曲の大きな魅力ですが、ドヴォルジャークのオリジナリティあふれる構築的な循環手法にもご注目ください。

  1. 和声分析では、hus-RyISKWさんにお世話になりました。感謝いたします。

「多楽章形式の楽曲において、同じ主題材料を全楽章あるいは数楽章に用いて、性格的統一をはかる手法」を循環形式と言います1。循環形式はしばしば、ベルギー出身の作曲家セザール・フランク(1822〜90)と結びつけられますが、実はルネサンス時代から存在します。たとえばパレストリーナは、(7) クリスマスに聴きたい音楽 part 2でご紹介したミサ曲《今日キリストが生まれたまえり Missa Hodie Christus natus est》において、「パロディ」と呼ばれる循環手法を使いました。

ルネサンス時代のミサ曲は、後の時代のオペラや交響曲のように、作曲家の力量を測る最重要ジャンル。パロディのような複雑な技法が編み出されたのは、このためです。交響曲と異なり、「キリエ」「グロリア」「クレド」「サンクトゥス」「アニュス・デイ」の5楽章は、ミサ典礼の中で続けて歌われるわけではありません。それでも作曲家たちは、循環する素材を用いて、5部分に統一感を与えようとしたのです。

ところで、19世紀の循環形式の開祖(?!)は、ベルリオーズ。恋人の幻影を表わす「イデー・フィクス idée fixe(固定楽想)」を、自伝的作品《幻想交響曲》(1830)の全楽章で、形を変えながら使用しました。初めは優雅なメロディーですが、第5楽章「サバトの夜の夢」では、前打音やトリルを加えEs管クラリネットに担当させて、魔女を連想させるようなグロテスクなものに(ふられた腹いせ!)。この手法に影響された、ヴァーグナーの「ライトモティーフ(示導動機)」や、リストの1つの主題を変容させながら曲を構成する手法((75)《レ・プレ》とソナタ形式参照)も、循環形式の一種と考えられます。

でも、ベルリオーズよりも先に、前の楽章の音楽を循環させた作曲家がいましたね。このコラムでも取り上げました。そうです、ベートーヴェン。《運命》の終楽章で、第3楽章の幽霊スケルツォ(弱音で奏される、トリオの後のスケルツォ)が回想されます((13) 《運命》掟破りのベートーヴェン参照)。また、(旋律とは言えないまでも)運命動機が変形されながら全楽章に使われ((5) 第2楽章の『運命動機』はどこ?参照)、全体を有機的に統一していますから、《運命》をロマン派循環形式の先駆とみなすことが出来るでしょう。

1880年前後から流行したこの形式を、ドヴォルジャークも取り入れています。《ドボコン》でも、終楽章に2楽章で引用した《ひとりにして》の旋律の回想がありましたね((36) ドボコンに込められた想いを読み解く参照)。《新世界》交響曲でも、ホルンによる厳かな第1楽章第1主題(上がって降りる分散和音。(90) 《新世界より》第1楽章の第2主題参照)が、すべての楽章に現われます。

  • 第2楽章:コーラングレの主題が戻って来る直前にトロンボーンが大音響で(96小節〜。前半の上行部分のみ)
  • 第3楽章:第2トリオの直前にチェロ(154〜)とヴィオラ(166〜)が密やかに。コーダでホルン&木管楽器が華やかに(252〜)
  • 第4楽章:展開部クライマックスの直前にファゴット、ホルン、低弦が力強く(190〜。前半の上行部分のみ)。コーダ直前にファゴットと低弦が力強く(275〜)

いずれも印象的! でも、《新世界》で循環するのはこれだけではありません。ドヴォルジャーク、さらに凝った構成を考えました。次回に続く。

  1. 音楽大事典3、平凡社、1982、1207ページ。
16. 2月 2012 · (68) ブルッフが使ったスコットランド民謡(1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

第6回聖フィル定期演奏会では、第4回に引き続き川畠成道先生をお迎えします。今回、2曲共演していただくうちの1曲が、ブルッフの《スコットランド幻想曲》。正式なタイトルは《スコットランド民謡の旋律を自由に用いた、ヴァイオリン独奏と管弦楽とハープのための幻想曲》。バグパイプと並んでスコットランドの人々に馴染み深い、ヴァイオリンとハープを前面に押し出した曲です。

考えてみるとこのタイトル、くどいですよね。古典派以降の「幻想曲」は、ソナタ形式などの定型を使わない、自由に作られた曲のこと。ロマン派の時代には、ポピュラーな旋律にもとづく即興的な音楽を、幻想曲と名付けることもありました(たとえばリストは、《〈魔弾の射手〉の主題による幻想曲》S. 451などのピアノ作品を作っています)。「自由に」作るのが当たり前の幻想曲のタイトルに、わざわざ民謡を「自由に」用いたとブルッフが書き添えたのは、なぜでしょうか。

彼が、どの曲をどのように引用しているかを見てみましょう。スコットランド民謡と言えば、日本でも《蛍の光 Aule Lang Syne》や《故郷の空 Comin’ Thro’ The Rye》がおなじみですね。ドイツ人ブルッフ((4) ブラームスの同時代人 ブルッフ参照)のネタ本は、スコットランドの曲が600近く収められた『The Scots Musical Museum(スコットランド音楽博物館 )』(残念ながら、表紙すら画像が見つけられませんでした)1。これを使って、声楽とピアノ用の《12のスコットランド民謡》も作っています。

日本楽譜出版社ミニチュア・スコアの解説や、音楽之友社の名曲解説全集、日本語版ウィキペディア、多くのCD解説には、《スコットランド幻想曲》序奏部に続く第1楽章で、《Auld Rob Morris(年とったロブ・モリス)》が引用されると書かれています。譜例1は、『音楽博物館 』のほぼ1世紀後に出版された『Scots Minstrelsie(スコットランドの吟遊詩人の歌)』に収められた楽譜(譜例はいずれもクリックで拡大します)。

譜例1:《Auld Rob Morris(年とったロブ・モリス)》Scots Minstrelsie(Edinburgh, 1893)より

譜例1:《Auld Rob Morris(年とったロブ・モリス)》Scots Minstrelsie(Edinburgh, 1893)より

あれあれ、第1楽章の旋律とは全然違います。実は、引用された民謡はこれではなく、《Thro’ the Wood, Laddie(森を抜けながら、若者よ)》なのです。英語版 Wikipedia のように、この2曲は歌詞が異なる同じ曲と書かれているものもあります(3拍子ではあるものの、全く別の曲です。譜例2参照)2。このような誤りが広く流布している状態は、早く正されなければなりませんね。

《森を抜けながら、若者よ》では、「おおサンディ、なぜあなたのネリーが嘆くままにしておくの? 何も喜ばしいことがない時に、あなたがいれば私は救われるのに。小川のほとりで、森を抜けながら、私は溜め息をつく、若者よ、あなたが戻るまで」と歌われます3。譜例2は、『音楽博物館』より早い時期に出版された『A Collection of Scots Tunes(スコットランド歌曲集)』に収められた楽譜。ブルッフが《森を抜けながら、若者よ》の冒頭を、ほぼそのまま引用したことがわかります。

この旋律は、第1楽章だけではなく、第2楽章と第3楽章のつなぎの部分と、第4楽章のコーダでも回想されます(循環形式)。曲全体を統一する大事な主題として、民謡をオリジナルに近い形で使ったのですね。でも、これならタイトルに「自由に」と書き添える必要は無いはず……。まだ謎は解けません。第2楽章以降については (69) に書きます。

譜例2:《Thro’ the Wood, Laddie(森を抜けながら、若者よ)》A Collection of Scots Tunes(Edinburgh, 1742)より

譜例2:《Thro’ the Wood, Laddie(森を抜けながら、若者よ)》A Collection of Scots Tunes(Edinburgh, 1742)より

  1. 全6巻。エディンバラ、1787〜1803年出版、1839年と53年に再版。
  2. ネットの The Mudcat Café 中の、masato sakurai のコメントを参考にしました。
  3. 以下、歌詞は全て、デイヴィッド・グレイソンによる五嶋みどりのCD解説の、渡辺正の日本語訳からです。
20. 7月 2011 · (38) ドボコンを読み解く試み その2 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

(36) ドボコンに込められた想いを読み解くを読んだ方から、初演で指揮したドヴォルジャークは、引用について楽団員に明かしたのだろうかと尋ねられました。プライベートな「裏事情」がこれほど知れ渡ってしまったのはなぜ? ドヴォルジャークのヨゼフィーナへの初恋や、《ひとりにして》が彼女のお気に入りだったことは、実は家族から聞き取りをもとにシュウレクが1954年に書いた伝記が源だそうです1

ドボコン第2楽章と第3楽章における《ひとりにして》の引用について、もう少し考えてみたいと思います。

「病気で臥せっている、寂しい」というヨゼフィーナの手紙(1894年11月26日付)を受け取ってから、第1楽章を完成させ(12月12日)第2楽章に取りかかるまで、ドヴォルジャークは引用について考える時間が十分あったはずです。第2楽章での《ひとりにして》は、molto espressivo と指示された独奏チェロによる引用も、独奏チェロが装飾を加えながら木管楽器とともに繰り返す2度目の引用も、全体の中にごく自然に溶け込んでいます2

一方第3楽章の引用は、コーダ(=結尾部)改訂の際に加えられました。ヨゼフィーナが亡くなったのが1895年5月27日で、改訂が終わったのは6月6日。このため、改訂はしばしばヨゼフィーナの死がきっかけと説明されます。

しかし Smaczny(この名前の発音がわからなくて、カタカナ書きに出来ません……)は、いずれにしろコーダを書き直す必要があったと述べています3。第1楽章の堂々とした第1提示部(独奏チェロが加わるまでの部分)がポイントであるこの協奏曲に、初稿の40小節のコーダはものたりなく感じられたはずだからです。改訂後のコーダは95小節。この拡大のおかげで終楽章は、先立つ2つの楽章の規模と荘重さにふさわしく締めくくられています。

コーダにおける第1楽章第1主題の引用と、独奏ヴァイオリンによる《ひとりにして》長調版の引用はわかりやすいのですが、その後に、この2つを組み合わせた引用があることをご存知ですか。《ひとりにして》の旋律は、冒頭のオクターヴ跳躍を除くと、どんどん下降していきます(譜例1参照)。したがって、485小節目から独奏チェロが奏でる下降の音型も、《ひとりにして》の変形とみなすことができますし、これを支える弦楽器の音型は、第1楽章第1主題の変形ですね(譜例2参照)4

譜例1 第3楽章469小節アウフタクト〜

譜例1 第3楽章コーダ《ひとりにして》の引用(469小節アウフタクト〜)

譜例2 第3楽章485小節〜

譜例2 第3楽章コーダ、第1楽章第1主題と《ひとりにして》を組み合わせた回想(485小節〜)

カザルスが「最後の呼吸の瞬間––英雄の死の描写」と解釈したという、独奏チェロの動き(492小節、譜例2の x )が ppで締めくくられた後、アンダンテ・マエストーソ ff の中でトロンボーンが奏でるのは、第3楽章主題の拡大型5。アレグロ・ヴィーヴォでファースト・ヴァイオリンが奏でるのは同じく縮小型です。終楽章のコーダで来し方を振り返る、循環形式によるみごとな結末です。

ドヴォルジャークが、この曲の委嘱者であるヴィハンが終楽章用に書いたカデンツァを強く拒否したというエピソードも、ヨゼフィーナへの想いと結びつける解説書が多いようですが、練りに練った構成を崩されたくなかったからと考えるべきでしょう。プライベートな要素もさりげなく折り込みつつ、それを普遍化するのに成功しているところも、ドボコンが名曲とされる所以ではないでしょうか。

  1. Šourek, Otakar. Život a dílo Antonín Dvořáka (The Life and Works of Antonín Dvořak), vol. 1: 1841-1877 (Prague, 1954).
  2. 第2楽章の引用について、(36)のコラムで、ドヴォルジャークがより率直な第5連の意味を念頭においたのではないかと書いたのは、これら2回の引用の性格があまりに異なるため、普通であれば当然であるはずの1回目の引用が第2連、2回目が第5連の意味を暗示するとは考えにくいと思うからです。
  3. Smaczny, Dvořák: Cello Concerto, Cambridge Univ. Press, 1999, pp. 40-41. 彼は、ドヴォルジャークが完全に音楽的な理由から(つまりヨゼフィーナの死とは無関係に)コーダの改訂を考えていた可能性もあると指摘しています。
  4. この2つの旋律を組み合わせた部分を、Smaczny は「もしもヨゼフィーナへの愛が受け入れられていた場合のドヴォルジャークの人生を想像させる」と評しています(同書 p. 83)が、私にはちょっと飛躍し過ぎのように思われます。この部分は、ヴァイオリン独奏による引用が与える特別な印象を、和らげていますね。
  5. 同書 p. 84.
06. 7月 2011 · (36) ドボコンに込められた想いを読み解く はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

ドヴォルジャークのチェロ協奏曲(以下ドボコン)には、彼の歌曲《ひとりにして》が使われています。アメリカで、妻アンナの姉ヨゼフィーナが重病と聞いた彼は、ドボコン第2楽章の中でヨゼフィーナが好きだった《ひとりにして》の旋律を引用しました1。これを奏でる独奏チェロは、molto espressivo(非常に表情豊かに)と指示されています(譜例1参照)。

第2楽章43小節目アウフタクトから独奏チェロ

譜例1 第2楽章 43小節目アウフタクト〜

ヨゼフィーナが1895年5月に亡くなった後、彼は第3楽章コーダを変更。ここでも《ひとりにして》を引用するように書き直しました。ドヴォルジャークは若い頃、女優の卵だったヨゼフィーナに片思いしていたのだそうです。ドボコン解説でよく紹介されるエピソードです。

“Lasst mich allein” というタイトルは、確かに「私をひとりにして」という意味ですが、いったいどんな歌曲なのだろうかと、以前から不思議に思っていました。まさか、好きだとうちあける男の人に対して、放っておいてと拒絶する女性の心情を歌った曲ではないですよね(もしもそんな内容だったとしたら、それを引用するなんてドヴォルジャーク、自虐的過ぎますから)。というわけで、この歌曲について調べてみました。

《ひとりにして》は、1887年末からわずか2週間ほどで作曲された『4つの歌』op. 82 (B. 157) の第1曲。女流詩人オティリエ・マリブロック=シュティーレルによるドイツ語の詩(各4行5連)には、彼を想い焦がれる乙女心が描かれています(下に全訳をあげました)2。「ひとりにして」欲しいのは、「彼の面影を夢に見られるように、彼の面影と共にいられるように」という理由でした。納得!

ドヴォルジャークは最後の第5連を繰り返すことで前半3連、後半3連の構成にし、かなり抑制のきいた音楽を付けています。人知れず燃える想いを象徴するような、静かな分散和音の短い前奏に導かれて、第1連はsotto voceで(声をひそめて)歌い出されます。次第にクレッシェンドして高揚しますが、すぐに引いていきます。

冒頭よりさらに静かな pp で第2連が始まります(pp でこのオクターヴ跳躍を歌うのは、すごく難しそうですね)。前半の旋律は、第1連と同じ。ただ、ロ長調だった第1連に対し、第2連はロ短調です。後半は少しずつ音高も音量も上がり、ff の最高音で歌われる「allein」が前半のクライマックスになります。第3連の旋律線も、それまでと同様に順次進行を多用しながらゆるやかな弧を描き、最後は瞑想するように lasst mich allein を3回繰り返しながら ppp まで静まって一段落。後半3連は、前半3連と同じ音楽で歌われ、まるで祈るようなピアノの後奏が、静かな余韻を残します。

ドボコン第2楽章で引用されるのは、短調に転じた第2連前半の旋律です3。ここで歌われている歌詞は:

私をひとりにしておいて! あなたたちの騒々しい言葉で
私の胸のうちの平安を乱さないで

ふむふむ……。同じ旋律が使われる第5連の歌詞は(譜例2参照):

私をひとりで夢見させたままにして!
彼は私を愛していると言ったのよ! 深い静けさを私に残したままにしておいて

こちらかな。ドヴォルジャークは昔好きだった女性と、彼女が好きだった曲の中の主人公をオーバーラップさせ、他の人にはわからない彼女の熱烈な愛の独白を、独奏チェロで再現させたのではないでしょうか(作曲家の特権ですね)4

《一人にして》39小節アウフタクトから

譜例2 《ひとりにして》39小節アウフタクト〜(クリックすると拡大します)

一方、彼女の死後に書き直した第3楽章コーダでは、第1節(第4節)の長調の旋律が引用されます(468小節〜)。「私にひとりで夢を見させて」という歌曲の冒頭部分を、ヨゼフィーナの言葉としてもう一度思い起こしているのでしょう。ヴァイオリンの独奏にしたのは、「ひとりで」を象徴するためですよね5

チェコ語で歌われた《ひとりにして》、しみじみ素敵です6。ヨゼフィーナを失った悲しみ、彼女の友情に対する感謝、思い出をドボコンに織り込んた小さな喜びなど、ドヴォルジャークの様々な想いを想像してしまいます。

ひとりにして Lasst mich allein

Op. 82 (B. 157), no. 1(Malybrok-Stieler 詩、nyanKo.iwa 訳)

私にたったひとりで夢を見させて、
私の心の恍惚を妨げないで、
私が彼を見てからというもの心に満ちている
すべての幸せ、苦しみをそのまま放っておいて!

私をひとりにしておいて!
私がどこにいても彼の姿を見、彼の声を聞けるように
あなたたちの騒々しい言葉でこの胸の平安を乱さないで!
私を光り輝く彼の面影と二人っきりにしておいて!

私の心を満たす魔法について、訊かないで!
彼の愛、ただ私だけ、私ひとりだけに向けられた愛のおかげで
私が感じているこの上ない幸せは
あなたたちにはどうせわからない。

焼け付くような苦しみ、燃え盛る魅力の
重荷と共に、私を置き去りにして、
そして私の哀れな心よ、あなたをあなたたちに押しつぶして欲しい。
私の心よ、あなたはひとりぼっちで、愛する人から受け取ったものを耐えるのよ。

私をひとりにして、夢を見させておいて!
彼は私を愛していると言ったのよ! この言葉が私にもたらした深い静けさを、
言葉と切り離して私に残したままにしておいて!
憧れのあまり、魂は焦がれ消えゆきそう。

  1. ドヴォルジャークは若い頃、ヴィオラ奏者の収入を補うために2人にピアノを教えていました。
  2. 歌詞を的確に訳してくださった nyanKo.iwa さんに、心から感謝します。
  3. 全音出版のミニチュア・スコアでは、冒頭第1連(長調)の旋律が譜例に使われています。
  4. 追記(2011/07/11):これについては改めて書きたいと思います。
  5. このような個人的な含みを考慮に入れなくても、このコーダ部分は、先の楽章を回想しながら締めくくる循環形式と解釈できます(循環形式については、改めて書きます)。本人も公には「フィナーレはだんだんとディミヌエンドで終わります――第1楽章と第2楽章を思い出しながら」と語っています。
  6. チェコ語版の楽譜は、《孤独な私の魂に》というタイトルで『ドヴォルジャーク声楽作品集』(匂坂恭子編、全音楽譜出版社、1995年)に収められています。