29. 7月 2015 · (247) 《運命の力》序曲に使われた旋律 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲のように(234)、《運命の力》序曲にもオペラ本体から旋律が引用されています。序曲の前半で、フルート、オーボエ、クラリネットがユニゾンで奏する、悲しげな旋律がありますね(譜例1)。これは、第4幕のアルヴァーロとカルロの2重唱〈アルヴァーロ、隠れても無駄だ Invanno Alvaro〉の一部です。

譜例1:《運命の力》序曲 61小節〜

譜例1:《運命の力》序曲 61小節〜

インカ王国の末裔アルヴァーロ(テノール)は、カルロ(バリトン)の妹レオノーラ(ソプラノ)と駆け落ちしようとして、誤って彼らの父親カラトラーヴァ侯爵を殺してしまいます。無抵抗を示すために投げ捨てたピストルが、暴発したのです。逃げる間にアルヴァーロとレオノーラは離れ離れに。復讐のためアルヴァーロを執念深く捜すカルロは、修道僧になったアルヴァーロを見つけ、2人は決闘することに。

〈アルヴァーロ、隠れても無駄だ〉は、その決闘前に歌われます。でも、仇同士の歌にしてはずいぶん感傷的ですよね。不思議に思いませんか? どんな内容を歌っているのでしょう?

この2重唱は、とうとうアルヴァーロを見つけたことを喜ぶカルロの独白で始まります。僧侶姿のアルヴァーロが登場(下の動画の1:15)。「ドン・カルロ!」(1:31)と驚くアルヴァーロに、カルロは決闘のため、2本の剣のうちのどちらかを選べと歌います。後悔している、ここで罪を償っている、放っておいてくれと頼むアルヴァーロ(2:30)。臆病者と言われてかっとします(3:10)が、すぐに自分を押さえて「主よ、私を助けたまえ」と祈ります。序曲に引用されるのは、それに続く部分(3:35)。

挑発にのらず、「おお兄弟よ、慈悲を、慈悲を! O fratel, pietà, pietà!」と繰り返しますが、カルロは同じ旋律で、妹を棄てたとなじります(5:03)。それを否定し、レオノーラを愛していた、今も愛していると歌う部分は、長調に(5:36)。跪いて許しを乞うアルヴァーロの家名を傷付け、侮辱するカルロ。我慢に我慢を重ね、手に取ってしまった剣を投げ捨てて、立ち去るよう頼むアルヴァーロ(7:53。引用旋律が再登場)。でも、平手打ちされ(8:42)遂に決闘を受け、死へ赴こうと2人一緒に歌います。

《運命の力》最大の聴きどころ、聴かせどころ。緊迫したドラマティックな2重唱ですが、決闘を迫っているのはカルロだけ。アルヴェーロは避けようとしています。それに、序曲に使われるのは、決闘と直接関係がない歌詞につけられた旋律(アルヴァーロが許しを乞う部分や、カルロが妹を歌う部分)。このため、決闘前の2重唱ながら、争いや殺し合いから遠い性格の音楽になっているのです。

さて結末は? 決闘に勝ったのは、アルヴァーロ。瀕死のカルロは再会したレオノーラを刺し、彼女は〈先に天国に行っております Lieta poss’io precederti〉と歌って息を引き取ります。絶望したアルヴァーロが自殺し、主役3人全員が亡くなる初演のエンディング(ペテルブルク帝室歌劇場、1862)は悲惨過ぎると、再演時(ミラノ・スカラ座、1869)に改訂されたのでしたね。

24. 6月 2015 · (242) 真夏じゃなかった!?《真夏の夜の夢》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

1826年に作曲された、メンデルスゾーンの演奏会用序曲《真夏の夜の夢》((167) 演奏会用序曲と交響詩参照)。序曲のお約束であるソナタ形式の枠組みの中で、シェイクスピアの喜劇の世界、森のざわめきや楽し気な妖精たちなどを描いています。完成時、メンデルスゾーンは17歳でした。結婚行進曲を含む12曲の劇付随音楽は、16年後の1843年にプロイセン王の依頼で作られたもの。

ところで、メンデルスゾーンがこの序曲に付けたタイトルは《Ein Sommernachtstraum》。直訳すると「1つの夏の夜の夢」。真夏という言葉は使われていないことをご存知ですか? 作曲のきっかけとなったのは、1826年に彼が読んだ、シュレーゲルとティークによるシェイクスピアのドイツ語訳1。そのタイトルが《Ein Sommernachtstraum》。真夏ではなくただの(!?)夏。

もちろんシェイクスピアの戯曲のタイトルは《A Midsummer Night’s Dream》ですから、こちらは真夏!と言いたいところですが……。midsummer には真夏、盛夏という意味だけではなく、夏至のころという意味も。Midsummer(’s) Dayと大文字なら、今日6月24日の、洗礼者ヨハネの誕生日の祝日のこと。ヴァーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第3幕で歌合戦が行われる、あのヨハネ祭です。

ヨーロッパ各地で古くから行われた、季節を祝う異教の祭、夏至祭。その前夜には、跋扈する悪魔や魔女たちから身を守るためにかがり火が焚かれました。聖人と結びつけられてキリスト教の祝日になった後も、祝日前夜に採取した薬草には特別な薬効があると信じられるなど、超自然なことと結びつけられています2。妖精たちが活躍する戯曲の背景として、夏至前夜はうってつけ。

ただ、夏至を意味するタイトルにも関わらず、夏至ではなく5月1日の五月祭を背景にしているという説も古くからあります3。理由は「5月の祭典 the Rites of May を祝うために起きた」というシーシアスの台詞。五月祭前夜は「ヴァルプルギスの夜」。魔女たちが宴(サバト)を開くとされた夜(ベルリオーズの《幻想交響曲》終楽章の舞台)ですから、こちらも妖精たちがいたずらするお芝居に合います。

いつのことか劇中に記されていないため、6月末か5月初めか、研究者たちの結論は出ていません。でも、いずれにしろ真夏のストーリーではないことは確か。少なくともメンデルスゾーンの序曲は、彼が付けたタイトルである《夏の夜の夢》と呼ぶべきですね。でも、習慣でつい《真夏の……》と言いかけてしまう私。反省。

  1. ウィッタカー、W. ギリス、「メンデルスゾーン:《真夏の夜の夢》序曲 作品21」オイレンブルク・ポケット・スコア(1974)解説、沼野雄司訳、全音楽譜出版、2005、iiiページ。
  2. 八木谷涼子『キリスト教歳時記』平凡社新書、2003、166ページ。
  3. 上記スコア解説で、ウィッタカーは「春の五月祭を背景にしている」と書いています。
08. 4月 2015 · (232) 《マイスタージンガー》:序曲と前奏曲 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

4月の聖フィル第12回定演のオープニングは、リヒャルト・ヴァーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲。オペラの最初の音楽なのに、序曲じゃないのはなぜ?! 序曲と前奏曲、どこが違うのでしょうか?

オペラ誕生後、その幕開けの音楽として、リュリにより緩―急―緩のウヴェルチュール(フランス風序曲)が成立。少し遅れて A. スカルラッティにより、急―緩―急のシンフォニーア(イタリア風序曲)が生まれたのでしたね((18) 赤ちゃん交響曲誕生まで参照)。序曲は、これらの定型に従って作るもの。オペラの内容とは関係ありませんでした。シンフォニーアが交響曲のルーツの1つになる一方、モーツァルト以降の序曲は、ソナタ形式で作曲されるように。19世紀には、オペラやオラトリオなど大規模な曲に先立たない、独立した序曲(演奏会用序曲)も作られます((167) 演奏会用序曲と交響詩 (1) など参照)。

一方の前奏曲はもともと、後に続く音楽の旋法や調性を示すために、即興的に奏された器楽曲。ラテン語で前奏曲を意味する praeambulum という語には、聴衆の注意を引きつけ、トピックを提示するという修辞学的な意味も 1。楽譜に残る最も古い前奏曲は、教会で声楽曲に先だって演奏されたオルガン曲。歌い出しの音を示したのですね。

前奏曲は、組曲や多楽章楽曲の第1曲として置かれたり、フーガの前にそれと対を成す曲として置かれたりしました。後者の場合、途切れなくフーガに続く「序奏」とは異なり、完結します。コラール前奏曲のような単独曲もありますが、礼拝の前などに奏され、導入のための音楽という性格は共通しています。

19世紀になると、ショパンの《雨だれ》の前奏曲のような、前奏とか導入の意味をもたない前奏曲も作られるようになりました。とはいうものの、《雨だれ》も含まれるショパンの前奏曲集作品28は、全ての長短調(24種類)の前奏曲とフーガを収めた J. S. バッハの《平均律クラヴィーア曲集》の、前奏曲だけヴァージョンなのですが。スクリャービンやショスタコーヴィチなど多くの作曲家が、ピアノのための24の前奏曲集を書いています。

話をヴァーグナーに戻して。彼は《ローエングリン》(1848年)以降、前奏曲 Vorspiel という語を使うようになりました。オペラ全体の導入曲である序曲とは異なり、各幕を導く音楽です2。続く幕の概念や、そこで起こる音楽的・劇的な出来事を、より限定的に明確に示すことができます。たとえば 《ローエングリン》第1幕への Vorspiel はグラールの聖杯を描く荘厳な、同じく第3幕への Vorspiel は結婚の喜びを描く祝祭的な曲です。

《マイスタージンガー》前奏曲では、オペラで使われる旋律素材が次々に登場。ヴァーグナーは、ときには複数の旋律を組み合わせながら、ソナタ形式の枠組みにとらわれることなく自由に曲を構成しました。オペラに先立って演奏される場合は完結せず、最後の和音が第1幕冒頭のコラールの開始音になります。オペラ本体の内容を(ある程度)示しながら、前奏曲をドラマと一体化させ、歌い出しの音を示すという前奏曲のもともとの目的も果たしていますね。

  1. Ledbetter, David, ‘Prelude,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 20. Macmillan, 2001, p. 291.
  2. 同じ傾向は、ヴェルディやビゼーにも見られます。
01. 10月 2014 · (205) 序曲の作り方:グリンカの場合 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

ヴェーバーの《魔弾の射手》のように((41) 涼しくなる(?!)音楽参照)、グリンカの《ルスランとリュドミラ》序曲にもオペラ本体の旋律が使われています。どれがどんな場面からの旋律か、ご存知ですか。

まず、序曲の終盤に出てくる全音音階の下降型。ロシア音楽ではグリンカ以降、悪の力の象徴として使われるのでしたね((123) 《白鳥の湖》の物語を音楽で説明するには?参照)。キエフ大公の娘リュドミラが、騎士ルスランとまさに結婚しようしている第1幕で使われる音型です。父王と別れるのが悲しいとリュドミラがカヴァティーナを歌った後、急にまっ暗に。悪い小人チェルノモールが来て、姫をさらって行くときに鳴り響きます(動画の 0:27 くらいから。上記(123)の譜例2Bの部分)。

次は、のびのびとした序曲の第2主題。これは、第2幕第3場のルスランのアリア(直訳すると「おお荒れ野よ、誰が死者の骨をまき散らしたのか」)の一部。ライバル2人とともに、リュドミラを取りもどしに出かけたルスラン。かつての戦いで打ち捨てられた武具や死者の骨がころがる荒れ地で歌います(第2主題の旋律は、1:27 くらいから)。

最後に、最も印象的な序曲の第1主題。これは、第5幕フィナーレの音楽です。チェルノモールは破ったものの、リュドミラは魔術で眠らされたまま。でも、良い魔法使いフィンがくれた魔法の指輪のおかげで、ルスランは彼女を目覚めさせることができました。めでたしめでたしの場面で、序曲の序奏部を含む第1主題が戻ってきます。オペラの1番最初と1番最後に同じ音楽を置いて、枠組みにしたのですね。フィナーレでは、これを伴奏に大合唱。主旋律は、2分音符と4分音符が主体(序曲冒頭タータタのリズムなど)なので、歌う人たちは速くても平気(動画の2:47くらいから)。

この動画(ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団、1995年)のテンポ、2分音符がおよそ188! 序曲も速いですが(指定された2分音符140を目標に練習している私、呆然)、さらにパワーアップしています。ルスランのアリアもフィナーレの合唱も歌詞がわからないのですが、雰囲気を味わってください。おまけとして、同じ公演の序曲の動画も上げておきますね(始まるのは 2:24 くらいです)。

14. 5月 2014 · (185) グリンカと同世代の作曲家は? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

次回10月の演奏会の曲目、オペラ 《ルスランとリュドミラ》の作曲者、グリンカ。ヨーロッパで評価された最初のロシア人作曲家で、ロシア音楽の父、ロシア国民楽派の創始者などと呼ばれます。裕福な貴族の第2子(成長した子の中では最年長)として生まれました。子供の頃の音楽体験は、農奴が歌う民謡や近隣に住むおじが所有(!!)していた「農奴のオーケストラ」など。この「農奴のオーケストラ」って、たとえばハイドンが務めていたエステルハージ家の(従僕の)オーケストラと、同じ感じでしょうか。

ところでこのグリンカがいつ頃の人か、ご存知ですか? 次の3人の中で、同世代は誰でしょう?

    1. メンデルスゾーン(1809〜47)
    2. ブラームス(1833〜97)
    3. マーラー(1860〜1911)

《ルスラン》序曲で、ドビュッシーに先駆けて全音音階を使ったりしている((123) 《白鳥の湖》の物語を音楽で説明するには?参照)から、かなり後の人だろうと想像していたのですが、グリンカの同世代はなんとメンデルスゾーン。彼よりも5歳も年上の、1804年生まれでした。シューベルトよりも7歳若いだけ。ヨハン・シュトラウス1世と同い年。グリンカって、そんなに昔の人だったの!?

幼い頃はおばあさんに溺愛され、暑いほどの室温を保った部屋で育てられました1。ロシアでは、さぞかし贅沢なことだったはずですが、これが病弱だった原因とも考えられています。1830年から3年間イタリアに滞在したのも、病気治療として医学的に勧められたため。父親が経済的に援助しました。3歳年上のベッリーニや7歳年上のドニゼッティと知り合い、イタリア・オペラのスタイルでピアノ曲などを作曲。若い「ロシアのマエストロ」の作品は、リコルディによって「こぎれいに」出版されました2。イタリアを発った後、ドイツでも作曲を学び、4年後に帰国。

2作目のオペラ《ルスランとリュドミラ》(1842)が受け入れられなかったことに落胆して(これについては改めて書きます)、1844年に再びヨーロッパへ。パリやスペイン、ワルシャワに住み、作曲を続けました(お金持ちはいいですね~)。1年近く滞在したパリでは、ベルリオーズと知り合います。ベルリオーズはグリンカの作品を演奏会で紹介し、1845年4月には、当代の傑出した作曲家の1人と賞賛しました。そのベルリオーズは、1803年生まれ。まさにグリンカと同世代でした。

  1. Campbell, James Stuart, “Glinka, Mikhail Ivanovich,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 10, Macmillan, 2001, p. 3.
  2. 森田稔「グリンカ」『音楽大事典2』平凡社、1982、809ページ。
05. 2月 2014 · (171) いろいろなシンフォニーア はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

先日、「シンフォニーアという語は意味が2種類あってわかりづらい、バロック・オペラの序曲(急―緩―急のイタリア風序曲)も、それが元になって交響曲が成立するまでの初期交響曲もシンフォニーアだから、混乱する」と指摘されました(このコラムでは、前者をシンフォニーア、後者を「交響曲」または「赤ちゃん交響曲」と書き分け……ようとしつつ、やはり後者もシンフォニーアと書いていますね)。大人の交響曲もイタリア語ではシンフォニーアですから、意味は3種類。

これは、「日本では、この(=交響曲)訳語が生まれたころにはまだシンフォニーの成立史についての理解が不足していたために、交響曲という言葉は、もっぱらヨーロッパ音楽の中で最も大きく中心的な曲種であったハイドン以降のシンフォニーを指す言葉として用いられてきた」から1。赤ちゃんでも交響曲は交響曲なのに、違う用語で呼ぶ慣習が続いているのです。

でもこの言葉は昔から、3種類どころではなくもっといろいろなものを指してきたんですよ。シンフォニーやシンフォニーアは、ギリシア語で「共に」をあらわす syn と「響き」をあらわす phonia に由来する言葉。音楽って、複数の音が鳴り響くことが多いですから。

シンフォニーアは、出版楽譜のタイトルとして使われました。ジョヴァンニ・ガブリエーリの《Sacrae symphoniae》(1597)は、器楽曲も含まれますが(〈弱と強のソナタSonata pian e forte a 8〉など)、メインはラテン語の歌詞を持つ無伴奏の多声声楽曲。少し時代が下がると、ガブリエーリの弟子ハインリヒ・シュッツの〈Symphoniae sacrae〉(1629)のように、器楽伴奏付きの宗教声楽曲集に使われます。

器楽曲という意味もありました2。器楽アンサンブルの中のプレリュード的性格を持つ曲や、宗教声楽曲の前に置かれて歌い出しの音を示す鍵盤楽器用プレリュードのいくつかが、シンフォニーアと名付けられています。1650年以降、舞曲の第1曲としてシンフォニーアが置かれ始めました。

声楽曲の中の器楽曲を指す言葉としても使われました。16世紀以来、劇作品の導入曲や、舞台転換の際に出る雑音を隠すために演奏される器楽曲が、シンフォニーアとも呼ばれていました。17世紀初めころ、声楽曲集に含まれる器楽曲シンフォニーアは、必ずしも演奏しなくても良かったようです。17世紀のオペラにおいては、シンフォニーアは独唱や合唱の前や間、後に置かれる器楽曲でした。

特定の形式を持つわけではなく、器楽曲を指す他の用語(たとえばソナタ)と取り替え可能だったシンフォニーア。急—緩—急の3楽章形式の序曲をこの名で最初に(1681)作ったのは、アレッサンドロ・スカルラッティです。18世紀初め以降、次第にシンフォニーアはこの形のオペラ序曲を指すようになりました。単独で演奏されたり、演奏会用に独立曲として作られるようにもなり、やがて(大人の)交響曲へ。

ただ、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが長男の学習用に書いた《インヴェンションとシンフォニア》のような例もあります。教会カンタータやパルティータの冒頭曲をシンフォニーアと呼ぶ、より一般的な使い方もしているバッハ。修辞学で「第1段階」を意味するラテン語インヴェンツィオに由来するインヴェンションはともかく、3声用がシンフォニーアなのは??3 やはり一筋縄ではいかない用語です。

  1. 大崎滋生「交響曲」『音楽大事典2』平凡社、1982、889。
  2. Cusick, Suzanne G., “Sinfonia (i)” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 23. Macmillan, 2001, p. 419-20.
  3. 久保田慶一「インヴェンション」『バッハ キーワード事典』春秋社、2012、162。
15. 1月 2014 · (168) 演奏会用序曲と交響詩 (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

交響詩を作ったのはスメタナ、ボロディン、シベリウスのような国民楽派、サン=サーンスやフランクなどフランスで活躍した作曲家たち、ドイツではリヒャルト・シュトラウス。音楽外の要素と結びついた標題音楽の1分野で、わかりやすいようにタイトル(表題)やプログラム(標題)が付く場合もあります。

1850年ころにこの新しいジャンルを創始したのは、リスト。でも、彼の交響詩のうち《プロメテウス》(1850、1855改訂)や《ハムレット》(1858)は、初め序曲として作曲されました。リストはこの2曲を演奏会用序曲と呼ぼうと、ほとんど決めるところだったそうです1。ですから交響詩は、演奏会用序曲の発展形と言えます。

それでは、演奏会用序曲と交響詩の音楽上の違いは何でしょう? 答えは、ソナタ形式を使うか否か。18世紀、モーツァルトが《フィガロの結婚》などの序曲を作るときに使ったソナタ形式を、19世紀のメンデルスゾーンも使いました。序曲《ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)》では、スケッチに書き留めた((167) 演奏会用序曲と交響詩 (1) 参照)短調の寂しい感じの第1主題と、ふっと日が射したような長調の優しい感じの第2主題が提示され、展開部をはさんで再現されます。

ソナタ形式は型が決まっています((66) 再現部は「ただいま」の気持ちで参照)。この型の中でストーリーを表現するのは、かなり難しいですよね。メンデルスゾーンが序曲の中で描いたのは、海から高く厳しくそびえる洞窟の「雰囲気」でした。

一方、交響詩には型がありません。リヒャルト・シュトラウスは交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》(正確には交響詩ではなく「音詩」)の中で、14世紀に実在した人の、民間伝承されたエピソードを描きました。作曲者によると冒頭部は「むかしむかしあるところに」。続くホルンによるティルの主題は、「いたずら好きの道化がおりまして、その名をティル・オイレンシュピーゲルと申します」。クラリネットによる第2のティルの主題は、「それはとびきりのいたずら者でありました」という口上に相当2。その後も型に押し込められること無く、魔法の長靴で高飛びしたり、牧師に扮して説教を垂れたりするいたずらを音楽で様々に表現しています。

もちろん、ただストーリーを描写しているだけではありません。リヒャルト・シュトラウスは、再現部(的な部分)を入れたり、ティルの主題を変形しながら何度も使うことで、音楽に構築感や統一感を与えています。《レ・プレ》のように、単一楽章の中に多楽章構造を組み込んだ交響詩も少なくありませんでした(((75) 《レ・プレ》とソナタ形式参照))。

このように19世紀後半は、ソナタ形式の枠組みの中で、それを変形・応用しながら序曲を作った作曲家たちと、標題を描くために独創的な形を捜しながら交響詩を書いた作曲家たちが、併存した時代だったのです。

  1. Temperley, Nicholas, “Overture” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 18. Macmillan, 2001, p. 826.
  2. マー、ノーマン・デル。オイレンブルク・スコア、リヒャルト・シュトラウス:交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》解説、杉山洋一訳、全音楽譜出版社、n.d.、ivページ。
08. 1月 2014 · (167) 演奏会用序曲と交響詩 (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

既にコラムで何度か取り上げた交響詩((74) ミステリアス、《レ・プレ》(43) シベリウスと《フィンランディア》)。詩が付いた交響曲ではないこと、みなさんご存知ですよね。それでは、演奏会用序曲って何でしょう? オペラの序曲のように、演奏会の幕開けに演奏される曲? もとは、イタリア風序曲シンフォニーアなどから成立した「交響曲」(赤ちゃん交響曲)が、演奏会の最初に演奏されていました((18)「赤ちゃん交響曲」誕生までなど参照)。が、それと演奏会用序曲は別物です。

演奏会の1曲目に演奏される序曲? 確かにオーケストラのコンサートでは、オープニングの短めの曲として序曲が演奏されることもあります(聖フィルでも、《フィガロの結婚》《エグモント》《オーリドのイフィジェニー》などの序曲を、1曲目に演奏してきました)。でも、オペラなどの序曲だけが演奏会で取り上げられても、それは(ただの)序曲。演奏会用序曲とは呼びません。

正解は、19世紀以降に単独楽章として作曲された、序曲という名称を持つ管弦楽曲。劇作品などの導入曲ではなく、序曲だけで独立した作品です。原型はベートーヴェンの、たとえば序曲《霊名祝日》(1814〜15)。最初のスケッチ(1809)には「あらゆる機会のための――あるいは演奏会のための序曲」と書かれていて、彼が単独の曲を意図していたことがわかります1。皇帝の霊名祝日の祝賀行事用として作曲が進められた時期があったためにこの名で呼ばれますが、結局、霊名祝日のプログラムからはずされました。最終的に、最初に考えたような「あらゆる機会のための序曲」になったと言えます。

ベートーヴェンの11の序曲の中で、オペラや演劇と無関係に成立したのはこれだけですが、音楽的に独立した序曲は他にもあります。《コリオラン》序曲(1807)は、ウィーン宮廷劇場で成功を収めていた、ハインリヒ・フォン・コリン作の舞台劇用序曲として作られました。コリンに献呈したものの、この序曲をつけた舞台上演の記録は残されていないそうです2。また、《献堂式》(1822)序曲は、劇場のこけら落とし公演の祝典劇用に作曲したもの。劇中音楽の多くは同様の機会のために作られた《アテネの廃墟》(1811)からの転用なので、新作の序曲は、独立した曲と言えなくもありません。

演奏会用序曲の原型がベートーヴェンなら、典型はメンデルスゾーン。たとえば《ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)》(1830)は、オペラや演劇と関係の無い、序曲だけの音楽です。彼は、スコットランド旅行中ヘブリディーズ諸島に魅了され、「心に浮かんだものを書き留め」ました(譜例1)。序曲冒頭は、拍子以外ほぼスケッチそのまま。寄せては返す波のような、もの悲しい第1主題になっていますね。

譜例1:

譜例1:メンデルスゾーン《ヘブリディーズ諸島》のスケッチ前半、1829年8月7日

《静かな海と楽しい航海》(1830)はゲーテの同名の本からインスピレーションを得たもの。また、《夏の夜の夢(真夏の夜の夢)》の序曲(1826年)も、シェイクスピアの独語訳を読んだ17歳のメンデルスゾーンが、単独で作った演奏会用序曲でした(初めはピアノ連弾用。有名な結婚行進曲などの劇付随音楽を作曲したのは、16年後の1942年)。

以前から、オペラの序曲が本体と切り離されて、コンサート・ピースとして演奏されていました。ヘンデル、モーツァルト、ケルビーニらのオペラ本体が忘れられた後も、序曲は残りましたし、モーツァルトは《ドン・ジョヴァンニ》序曲の演奏会用エンディングを作っています。19世紀に演奏会用序曲というジャンルが成立するのは、ごく自然な流れだったのでしょう。

しかし、1850年代に交響詩が生まれると衰退に向かいます。前回ご紹介したショスタコーヴィチの《祝典序曲》は、20世紀に作られた(かなり稀な)例の1つ((166) おめでたい (!?) 音楽参照)。ソナタ形式による長過ぎない単一楽章の管絃楽曲という伝統が、受け継がれています。

  1. 大久保一「序曲《霊名祝日》ハ長調 Op. 115」『ベートーヴェン事典』東京書籍、1999、121。
  2. 平野昭「悲劇《コリオラン》序曲 Op. 62」前掲書、492。
01. 1月 2014 · (166) おめでたい(!?)音楽 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

新年あけましておめでとうございます。2014年がみなさまにとってよい年でありますように。4年目に入った聖フィル♥コラム。4月に第10回演奏会を迎える聖フィルともども、どうぞよろしくお願いいたします。

毎年書いているように、新年用のクラシック音楽ってあまりありません。クリスマス用の音楽とは大違いです。クラシック音楽の土壌であるキリスト教の暦では、アドヴェント第1日曜日が新しい年の始まり((56) アドヴェントと音楽参照)。1月1日は、イエス・キリスト生誕8日目「割礼の祝日」でした((62) 新年と音程参照)。それで今回は、新年とは直接関係が無くても何かおめでたい音楽をご紹介したいと考えました。思いついたのが、ショスタコーヴィチの《祝典序曲》。

華やかなファンファーレの序奏の後、クラリネットによる動きのある第1主題(0:47)。ホルンとチェロの幅広い第2主題(2:00)が属調で続きます。第1主題の再現はコンパクト(3:15)。第2主題の再現の1回目には、第1主題のような性格をもつ対旋律が加わります(3:33)。冒頭のファンファーレが戻った後(4:46)、コーダは第2主題の変形で一気に駆け抜けます(この演奏は、コーダ以外もかなり速いですが)。3管編成、チューバ以外の金管を倍管にするオプションも。

スターリン体制下で、社会主義レアリスムの音楽を作ることを求められたショスタコーヴィチ(1906〜75)。1936年のプラウダ批判には、伝統的な形式や内容を持つ交響曲第5番、1948年のジダーノフ批判には、スターリンの植林事業を「よいしょ」するオラトリオ《森の歌》などを書いて名誉を回復したことは、よく知られています。《祝典序曲》op.96 は、10月革命30周年のために作曲されました。初演は7年後の1954年11月6日、同革命37周年記念演奏会。わかりやすい音楽を求められ続けて、ここまで突き抜けてしまったかという感じ?! 厳かで改まった日本のお正月にはそぐわないかもしれませんが、晴れ晴れとしていて、何か良いことが起こりそうな気持ちがしてきます。

オリジナルはイ長調ですが、私にとって《祝典序曲》といえば変ロ長調。高校の部活で吹奏楽用アレンジを演奏したことを、なつかしく思い出します。ファンファーレの1番最初は、自作のピアノ曲の転用。娘ガリーナのために作曲した《子どもたちのノート》op.69 の最終第7曲《誕生日》の冒頭部(と最後の部分)です(4:56〜)1。誕生日も革命記念日も、1年に1度のお祝いですものね。

  1. Dmitri Shostakovich, 2nd ed., Sikoroski 2011 (http://media.sikorski.de/media/files/1/12/190/249/336/7496/schostakowitsch_werkverzeichnis.pdf), p. 129. 《誕生日》のみ、1945年5月30日完成。上掲書、p.121。動画のタイトルは「子どもの練習帳」ですが、上掲書のタイトルに寄ります。
11. 9月 2013 · (150) 歌が不可欠? オーケストラ演奏会のプログラム (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

18世紀と19世紀のオーケストラ演奏会のプログラムを比較してみましょう。70年もの時が過ぎているとは思えないほど、よく似ていることに驚かされます。

1、ザロモン予約演奏会、1791年5月27日、ロンドン、ハノーヴァー・スクエア・ルーム

「序曲」=交響曲      (ロセッティ)
女性歌手によるアリア
ヴァイオリン協奏曲     (ザロモン、独奏も)
男性歌手によるアリア
フルートとファゴットのための協奏曲
ーーーーー(休憩)
「序曲」=交響曲      (ハイドン)
「カンタータ」オペラ《哲学者の魂》より(ハイドン)
新しい弦楽四重奏曲     (ハイドン)
女性歌手によるアリア
ペダル・ハープのための協奏曲(アンヌ=マリー・クルムフォルツ、独奏も)
男性歌手によるレチタティーヴォとアリア
「フィナーレ」=交響曲の楽章(ロセッティ)

2、フィルハーモニック協会演奏会、1861年3月18日、ロンドン、ハノーヴァー・スクエア・ルーム

《サウル》から死者の行進、ケント公爵夫人追悼のため(ヘンデル)
交響曲第2番         (ベートーヴェン)
《忠実な妻》からアリア   (パチーニ)
ロマンス          (メルカダンテ)
序曲《オイリアンテ》    (ヴェーバー)
ーーーーー
交響曲第3番《スコットランド》(メンデルスゾーン)
「スティリアのメロディー」より2重唱(ベネディクト)
序曲《ウィリアム・テル》  (ロッシーニ)

1は、(19) 独り立ちする交響曲の註であげた1795年のザロモン予約演奏会と同様に、1番の「売り」であるハイドンの新作交響曲をプログラムの真ん中に据えたもの(交響曲=序曲ですから、休憩後の第2部であろうと、1曲目という位置は譲れません!)。聞いても聞かなくてもよかった「交響曲」が、それを目的に音楽会に来るジャンルに格上げされた、記念すべき演奏会シリーズでしたね。

曲数が多くしかも雑多なのは、この時代、演奏会の数が非常に少なかったから。その、数少ない演奏会を聴きに集まる様々な好みを持つ人々の全てが、何かしらの曲で満足できるようにという配慮です。

2では、曲数は減りましたが、器楽曲と声楽曲が交互に並ぶ構成は変わりません1。ロンドンに限らずライプツィヒやパリでも、オーケストラの演奏会なのに声楽曲が含まれるプログラムは、19世紀後半でもみられます。ヨーロッパの鉄道網が整備されたために、1830年代にはシーズンごとの契約だった出演歌手が、1、2週間ごとに替わるようになったそうですが2。でも、一見よく似た構成に見える上の2つのプログラムには、実は大きな違いがあります。それについては改めて。

  1. 1曲目のハイドンは追悼のために加えられた曲。本来のプログラムは交響曲からでしょう。
  2. Weber, William, The Great Transformation of Musical Taste. Cambridge University Press, 2008, p. 264.