10. 4月 2012 · (76) 川畠先生のアンコール《タイースの瞑想曲》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

花冷えの中、聖フィル第6回定期演奏会にいらしてくださった皆さま、どうもありがとうございました。川畠成道ワールドをご堪能いただけたことと思います。1997年に、英国王立音楽院創立175周年記念コンサートのソリストとして演奏された《スコットランド幻想曲》。1年前の特別インタビューの際、好きな協奏曲としてあげていらしたベートーヴェン((20) 参照)。キャラクターが全く異なる大曲2曲ですが、どちらも圧巻でしたね。演奏後に川畠先生が、「(聖フィルが音楽に)集中し、楽しんで弾いていた」と評してくださったのは、とてもうれしいことでした。

ところで、今回は奥様の川畠知子さんが、賛助としてファースト・ヴァイオリンに加わってくださいました。どうもありがとうございました! 4歳からヴァイオリンを趣味で習い、一度社会に出てから「子どもに音楽を教える仕事がしたい」ということで専門的な勉強をされた知子さん。「1年前の聖フィル客演の時にうらやましさを感じていたところ、今回、是非ご一緒にとお誘いいただき、参加させていただくことにした」と教えてくださいました。実は、ご夫妻の共演(?!)はほとんど初めてだったとか1。お2人と幸せな時間を共有できて、光栄に思います。

さて今回のコラムは、ハープの井上麗先生も加わって1番最後に演奏された、《タイースの瞑想曲》について。ジュール・マスネのオペラ《タイース》中、オーケストラだけで演奏される曲です。

マスネは、ブルッフの4年後にフランスで生まれ(1842〜1912)、パリ音楽院で学びました。1863年にはローマ大賞を受賞((26)クラシック音楽ファンの常識?を参照)。《マノン》(1884)など、未完を含む36のオペラを残しています。《タイース》は1892年〜93年作曲、1894年パリ・オペラ座で初演。歌詞はもちろんフランス語です。

舞台は4世紀末のエジプト。修道士パフニュース(オペラではアタナエル、バリトン)が、アレキサンドリアの人々を退廃させる享楽の女性タイース(ソプラノ)を救おうとして悔い改めさせながら、自分はタイースの美しさに惑わされて、堕落していくという内容です。

第2幕第1場。信仰に生きるよう、タイースに熱心に説くアタナエル。心を動かされながらも彼を誘惑しようとするタイース。2重唱の後、アタナエルは朝まで戸外で待つと告げます。この後、独奏ヴァイオリンとハープを中心にオーケストラが演奏する第2場への間奏曲《宗教的瞑想》が、いわゆる《タイースの瞑想曲》。淫蕩な生活から神の道に入ろうとするタイースの、回心を暗示します。

この音楽は、第3幕でもハープの伴奏とともに戻って来ます。第1場の最後、尼僧院に入るタイースが「さようなら、永久に」と歌う場面。ファースト・ヴァイオリンが奏でる瞑想曲の旋律に、2度と会えないことに狼狽したアタナエルの独白が絡みます。タイースへの煩悩をこらえきれなくなったアタナエルが走り去って第2場が終わると、再び間奏曲として演奏されますが、ここではフルートが旋律(の断片)を担当。

印象的なのは、オペラの幕切れ。激しく愛を告白するアタナエル。それももう耳に入らず「天国の門が開かれ、天使や聖者が……ほほえみながら私を迎える」と歌いながら死んでいくタイース。瞑想曲をバックに、2人は時に独奏ヴァイオリンと同じ旋律、時にその対旋律を歌います。後半は瞑想曲から離れ、劇中で使われた他の動機を組み合わせつつ、静かな中にも劇的なクライマックスへ(タイースの最高音はレ)。アタナエルは絶望の叫びをあげて倒れます(この最後の二重唱「神父様、あなたですのね!」の動画を、下にあげておきます)。

高級娼婦から聖女となったヒロインの、神の愛によって得た真の心の平安を表すような、静かで甘くゆっくりした部分と、享楽と信仰の間を揺れ動く心を表すような、少し急き込んだ中間部分。《タイースの瞑想曲》のキャラクターは、ブルッフともベートーヴェンとも大きく異なります。恍惚としてしまうほど流麗なこの曲を、川畠先生は優美に祈るように、歌い上げておられましたね。

  1. お話を伺った川畠先生、奥様の知子さん、原稿チェックの連絡でお世話になった、川畠成道音楽事務所の齋藤陽子さんに感謝いたします。
14. 4月 2011 · (24) 川畠成道先生のアンコール曲 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , , ,

第4回聖フィル定期演奏会にご来場くださったみなさま、どうもありがとうございました。お楽しみいただけましたでしょうか。川畠先生のブルッフ、素晴らしかったですね。でも、その後のアンコールも圧巻でした。曲目は、イザイ作曲「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番作品27−3《バラード》」。実は私、「イザイ=有名なヴァイオリニストで難しいヴァイオリン曲を作った人」程度しか知りませんでしたので、さっそく調べてみました。

ベルギー生まれのウジェーヌ・イザイ(1858〜1931)は、《蝶々夫人》を作ったプッチーニと同い年。他にエルガー(イザイより1つ年上で、3年長生きした)、ドビュッシー(4つ下)、リヒャルト・シュトラウス(6つ下)、シベリウス(7つ下)らが同世代です。歌劇場指揮者であった父にヴァイオリンを教わり、その後ヴィェニャフスキ(1835〜80)やヴュータン(1820〜81)に学びました。フランクが最初の結婚のプレゼントとして、ヴァイオリン・ソナタを献呈したことでも有名です(1886)1

イザイの作品では、今回のアンコール曲を含む「6つの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ(1924)」の演奏機会が多いようです。6曲はそれぞれ別の、当時の著名なヴァイオリニストに捧げられました。作曲のきっかけはもちろん、 J. S. バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」。バッハは3曲のソナタを、緩-急-緩-急の4楽章から成る教会ソナタ型に、3曲のパルティータ(この場合は「組曲」の意味)のうちの2曲を、アルマンド-クーラント-サラバンド-ジーグの組曲定型に(有名な第2番のシャコンヌは、これらに続く第5楽章)、残る1曲をガヴォットやメヌエットなどを含むフランス風の組曲に作りました。

イザイはかなり自由に、しかしバッハを強く意識しながら作曲しています。シゲティに捧げられた第1番はグラーヴェ(=緩)で始まりアレグロ(=急)で終わる4楽章構成ですし、クライスラーに捧げられた第4番には、アルマンドとサラバンドが含まれます。ティボーに捧げられた第2番のように、バッハのパルティータ第3番のプレリュードがそのまま引用される曲もありますし、対位法的な書法もあちこちに使われています。

川畠先生が弾かれた第3番《バラード》は、ルーマニア生まれのエネスク(エネスコ)に捧げられました。バラードは、14、15世紀フランスで作られた世俗声楽曲の形式ですが、ロマン派時代、物語に触発された自由な形式の器楽作品も指すようになりました(ショパンの4曲のバラードが代表例です)。

曲は、レチタティーヴォ風にと指示された序奏で静かに始まります。ここでは「ら-し-#ど-#れ-ふぁ-そ」の全音音階が多用され、調性感はあいまいです。古典派モーツァルトとベートーヴェン+ロマン派ブルッフという演奏会のアンコールに、20世紀の響きを持つ曲を選ばれた川畠先生の、絶妙のバランス感覚に感服! 3拍子アレグロの主部に入ると、鋭い付点リズムを含んだ主旋律が、かなり明確なニ短調の主調で現れます。複数の弦を同時に弾く重音奏法が多用されるのみならず、複雑に絡み合った旋律と伴奏の弾き分け(無伴奏ですから、1つのヴァイオリンで両方担当しなければなりません)も要求されます。最後は主旋律の音型も用いながら、次第にテンポを上げていきます。

ソナタの中にバラードを収めることも、その1楽章だけでソナタを構成することも、通常は絶対に有り得ません。しかし、音楽に強い物語性が感じられ、しかもしっかりと完結しているために、イザイの意表をついたネーミング&構成には説得力があります。非常に雄弁な音楽を作り出すことが出来る川畠先生に、ふさわしい曲だと感じました。

余談ですが、寺田寅彦が随筆の中でイザイについて触れていると、団員の chezUe さんが教えてくださいました。著名な地球物理学者であり、漱石門下として多数の随筆を残した寺田寅彦は、ヴァイオリンを弾く音楽好きだったそうです。

バイオリンやセロをひいてよい音を出すのはなかなかむつかしいものである。(中略)たとえばイザイの持っていたバイオリンはブリジが低くて弦が指板にすれすれになっていた、他人が少し強くひこうとすると弦が指板にぶつかって困ったが、イザイはこれでやすやすと驚くべき強大なよい音を出したそうである。(後略)2

  1. ショーソンの《詩曲(ポエム)》などを初演しました。ビルゼ楽団(ベルリン・フィルの前身)のコンサート・マスター(1879〜62)、ブリュッセル音楽院教授(1886〜98)、シンシナティ交響楽団の指揮者(1917〜22)などを務めています。
  2. 小宮豊隆編、寺田寅彦随筆集第3巻より「『手首』の問題」、岩波文庫、1948。このようなわずかな記述を記憶しておられた chezUe さん、さすがですね。

前回のコラム、(20) 川畠成道先生 特別インタビューでお伝えしたように、川畠先生の聖フィルへのメッセージは

川畠 楽しんで弾けるようにして欲しいです。そのためには、よくさらって技術的な問題を超えることが大切です。これがとても大変なことなんですが。でも、技術的な問題を解決することと、音楽を楽しむことは(一方をマスターした上で先に進むというような)段階的なものではなく、平行して対処すべきことです。

でした。これを読んで、みなさんどう感じましたか? 自分は楽しんで弾いているだろうか、楽しんで弾けるだろうかとドキッとした方もいるでしょうし、楽しんで弾くなんて当たり前なのにと、不思議に思った方もいることでしょう。先生はなぜ、私たちが楽しんで弾くことを望んでいるのか。それは、楽しんで弾くことが、音楽を作る上で大切だからです。今回はいささか長文になりますが、音楽の本質にも関わるこの川畠先生からのメッセージを考えたいと思います。

1. 楽しんで弾くことはなぜ大切か

まず、音楽とは何か、考えてみましょう。楽譜は音楽ですか? いいえ、違います。楽譜は作曲家が自分の意図を書き記したものですが、それだけでは単なる紙切れです。演奏者が楽譜を音にして、作曲者の意図を再現するプロセスが必要です。

それでは、楽譜が音になれば、それが音楽でしょうか。残念ながらまだ音楽ではありません。単なる「鳴り響き」です。音楽が完成するためには、演奏者がこの鳴り響きを通じて何かを伝えなければなりません。演奏者のメッセージが聴き手に伝わった時に初めて、音楽が完成します 1。演奏者が1人であろうと大勢であろうと、プロであろうとアマであろうと、変わりません。

専門の音楽家ではないアマチュアがお客様に最も伝えやすいメッセージは、「自分たちは楽しんで演奏している。どうぞ皆さんも、一緒に楽しんでください」ではないでしょうか。でも果たして私たちは、楽しんで弾いているでしょうか。定期演奏会でその楽しさが、聴衆に伝わっているでしょうか。このようにたどっていくと、「楽しんで弾けるように」という川畠先生のご希望は、私たち聖フィルの「鳴り響き」を真の音楽にするための、キーポイントとも言えるのです。

2. 川畠先生の音楽

川畠先生は音楽において、非常に優れたコミュニケーション能力をお持ちです。先日の初顔合わせの時も、緊張+興奮状態の私たちを自然にリラックスさせてしまいました。彼の飾らない人柄や真剣に音楽に向き合う姿勢が、演奏から自然ににじみ出て、団員一同うっとり……。

彼は自分にしか出せない独特の音を持っている!というのが、2年前に初めて川畠成道リサイタルを聴いた時の、私の印象でした。自分の音を持つということは、演奏家として最大の武器ではないかと思います。特に激しく弾いているわけでもないのに、強く訴える力を持つ音。なぜそんな音を作り出せるのか。

川畠先生は自著『僕は、涙の出ない目で泣いた。』の中で、「自分の気持ちを伝えるような音を出す」「自分の伝えたい音を出す」「心を表現する、気持ちを伝える」ことの大切さを語っています2。彼は人に伝えたいメッセージをたくさん持っている。そして、自分のヴァイオリンの音によってそれを伝えることに、喜びを感じている。だからこそ、彼独特の音、彼だけに奏でられる音楽が作り出され、メッセージが聴衆の心に響くのだと私は考えます。

3. 私たちは何をすべきか

共演させていただく私たち聖フィルが目指すことは、次の3点だと思います。まず第一に、聴く者に強く訴える川畠先生の音楽を、しっかりと受け止めること。次に、一緒に音楽作りを楽しむこと。そして第三に、その楽しさが聴き手に伝わるように演奏することです。

アマチュア奏者の中には、技術的にとてもお上手なのに「楽譜に書かれた音を正確に出す」ところで止まってしまう方が多いことを、私は以前から残念に思っていました。アマ・オケの演奏会で、最後のアンコール曲が一番印象に残った経験はありませんか。これはおそらく肝心の曲が、メッセージの伝わらない「鳴り響き」に終わってしまったからでしょう(一方アンコールには「演奏会はこれで終わりです。皆さん聴きに来てくれてありがとう!」というメッセージが、無意識に込められやすいのでしょうね)。一生懸命に演奏すればそれで良いと考える人もいますが、これは演奏者として当然のことで、聴く方としてはもの足りません。

もちろんオーケストラにおいて、音楽表現のための目標や方向性を示すのは指揮者であり、それを実現するために奏者は一致団結しなければなりません。しかし、これと一人一人が楽しんで弾くことは、矛盾しません。大勢で弾くオーケストラでは、各々が音楽を楽しむことによって、聴き手により大きな楽しさのエネルギーを伝えることができるはずです。

楽しんで弾くことは、アマチュアに与えられた特権とも言えます。もちろん、自分たちが楽しいだけの、ひとりよがりの演奏は許されません。川畠先生も、楽しんで弾けるようにするためには「よくさらって、技術的な問題を超えることが大切だ、そしてこれがとても大変なことだ」とおっしゃっていました。

だからと言って、「技術的に未熟だから、弾くだけで精一杯」とか「自分は下手だから、楽しむなんて無理」と考えるのは、正しいとは思えません。川畠先生も、「技術的な問題を解決することと、音楽を楽しむことは(一方をマスターした上で先に進むというような)段階的なものではなく、平行して対処すべきこと」と言っておられましたよ。上手に弾ける人だけが、音楽を楽しむことを許されるわけではないのです。技術を磨きながら、同時に楽しんで弾くことも練習すべきです。

たとえば、川畠先生が指導してくださったブルッフ第2楽章の練習番号F。ヴイオリン・パートの旋律は、歌い疲れたように黙りこんだソロ・ヴァイオリンを、再び誘い出す甘いささやきですし、その後のチェロやコントラバスの旋律には、ソロがまるで戯れるように対旋律を奏でます。変ト長調フラット6つとか弱音とか高音域とかいろいろ大変なのはわかりますが、眉間にしわを寄せて弾くなんて、もったいなーいっ! 川畠先生とのデートを、最大限に楽しむべきです。たくさん練習するだけではなく、ここで川畠先生は、自分(たち)の音楽を感じてくださっている、しあわせ♡……と考えながら弾いてみたらいかがでしょうか。そうすれば、顔の表情も自ずと変わってくるはずです。

4. 終わりに

練習の休憩のとき、指揮の高橋先生に川畠先生が、とても弾きやすかったとおっしゃったそうですが、電車の中でも、次の練習が楽しみになったと言ってくださいました。初練習で聖フィルのイメージを得た川畠先生、次回の練習までに、果たしてどのようなブルッフを組み立てて来てくださるでしょうか。

前回、共演していただいた有森直樹先生は、「メンデルスゾーンの音楽を美しく弾くことによって、バッハの音楽を復興させたメンデルスゾーンに恩返ししたい」という、明確なメッセージをお持ちでしたが、私たち聖フィルはそのメッセージを共有しただけで終わってしまったかもしれません。

今回、川畠先生は、楽しんで弾くことを私たちに望んでおられます。私たち一人一人がこれを真剣に受け止め、彼のヴァイオリンと一緒に音楽作りを楽しめるように、聴いてくださる方々に楽しさを伝えられるように準備しましょう。ブルッフだけではありません。「楽しんで弾くこと」は、モーツァルトや『運命』においても、他のどんな曲においても、私たちが目指すべき目標なのです。

  1. もし、演奏者のメッセージを受け取った聴き手が、それに対する自分のメッセージを何らかの方法で演奏者に伝えることができれば、双方向でのコミュニケーションが成立します。これは(なかなか起こることではありませんが)、音楽の理想的な在り方と言えます。
  2. 川畠成道『僕は、涙の出ない目で泣いた。』扶桑社、2000年、 108–9ページ。
23. 3月 2011 · (20) 川畠成道先生 特別インタビュー はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

突然ですが皆さま、川畠成道先生が聖フィル♥コラムのために、単独インタビューに応じてくださいました! なーんて、そんな大げさなものではありませんが、川畠先生が聖フィルとの初練習にいらした帰り、偶然に偶然が重なって途中駅までご一緒することになり、電車の中でお話を伺うことができたのです。不躾なお願いを先生は快くお受けくださり、丁寧に答えてくださいました。川畠先生、どうもありがとうございました1

一緒にいた団員の forza-ugatti 氏とインタビューしたのですが、なにしろ突然のことで、録音はもちろん、楽器をかかえていたためにほとんどメモをとることもできませんでした。だいたいこんな内容だったという感じでお読みください。その場で思いついた、ありきたりの質問ばかりで、お恥ずかしい限りです(今になると、あれも聞きたかった、これも聞いておけばよかったと、いろいろな質問が浮かぶのですが……)。質問の順番は変えているものもあります。まず最初に先生の方から、聖フィルは毎週練習するのか、ブルッフはどれくらい練習したのかという質問がありました。

――アマ・オケとの共演は、聖フィルが初めてですか?

川畠先生(以下敬称略) いいえ、初めてではありません。回数はそれほど多くないけれど。

――ブルッフの協奏曲でここが好きという箇所はありますか?

川畠 (かなり考えて)3楽章でしょうか……。(是非お聞きしたかった質問でしたが、いきなり川畠先生を当惑させてしまったようです。先生、ごめんなさい。)

――3楽章はいちばん難しいのではありませんか?

川畠 ブルッフはヴァイオリン協奏曲としてよくできています。「指にはまる弾きにくさ」です。(難しいけれどそれに見合った演奏効果があるということ。名言「指にはまる弾きにくさ」だけは、forza-ugatti 氏にその場でメモしていただきました。)

――それでは、ブルッフの中でここが難しいという箇所はありますか?

川畠 (これもかなり考えて)たとえば1楽章の最後(最初の旋律が戻って来るところ)など、緊張します。

――初めてブルッフを弾いたのはいつ頃ですか?

川畠 子供の頃ではなく、デビュー後の98年だったと思います。

――好きなヴァイオリン協奏曲は?

川畠 メンデルスゾーンと……(間)ベートーヴェン。

――プロとアマとの練習の違いは?

川畠 プロだとリハーサルの時間が少ない。1回さらっと合わせるくらいのときもあります。アマだと(聖フィルのように)時間をたくさんとってくれます。

――長時間の練習で疲れませんでしたか?

川畠 全然。いつも立ちっぱなしで練習するので。

――どれくらい練習するのですか?

川畠 何もない日は7、8時間は弾いていますね。演奏会前など、さらう曲が多ければ長くなります。

――好きなことは?

川畠 食べること。音楽家はみんなそうじゃないですか?

――お好きな食べ物は?

川畠 (付き添って来られた事務所の齋藤さんが、笑いながら「甘いもの、好きだよねー!」 頷く川畠先生)

――お酒は?

川畠 (なぜかすごく躊躇)好きです……。

――食べることがお好きなのに、なぜそんなにスリムなんですか?

川畠 かなりの量を食べますが、ぜんぜん太らないですね。体を動かすからじゃないですか。毎日ダンベル体操しています。今朝も練習に来る前にやってきました。

――お好きなヴァイオリニストは?

川畠 曲によって異なります。(愚問でした。反省!)

――たとえばブルッフの演奏なら誰ですか?

川畠 (躊躇なく)ハイフェッツ!

――そういえば、ミルシュタインがお好きと書いていらっしゃいましたね。

川畠 そうです。古い人をよく聴きます。生きているヴァイオリニストも聴きますけれど。

――音楽をどのように作るかについてですが、CDを参考にするのですか?

川畠 音楽を聴いたり、細かく分けてさらっているときに考えるのはもちろんですが、楽器を弾いていないときやリラックスしているときなど、音楽に触れていないときに考えることも多いですね。

――今回のブルッフの協奏曲については、すでに考えられていますか?

川畠 まだ全然考えていません。全部、これから考えます。(forza-ugatti 氏の補足:オケと合わせてから考える、つまり、自分がこう弾きたいから合わせてくれという、ソリスト主導の立場ではなく、あくまでオケといっしょに音楽を考えて作って行くというニュアンスでした。)

――ご自分を楽観的な性格だと思いますか?

川畠 いえ、楽観的ではないですね。

――リラックスするためにCDを聴くことはありますか?

川畠 ヴァイオリンの曲ではどうしても分析的に聴いてしまうので、あまりリラックスできないんです。ピアノなどのCDを聴くことはあります。自分で楽器を弾いている時間が長いので、それほど聴きません。

――最後に聖フィルにメッセージをお願いします。

川畠 楽しんで弾けるようにして欲しいです。そのためには、よくさらって技術的な問題を超えることが大切です。これがとても大変なことなんですが。でも、技術的な問題を解決することと、音楽を楽しむことは(一方をマスターした上で先に進むというような)段階的なものではなく、平行して対処すべきことです。

川畠先生はたくさんの質問に対して、言葉を慎重に選びながら答えてくださいました。本当にどうもありがとうございました。団員の皆さん、川畠先生に応えることができるよう、しっかり練習いたしましょう!

ここで心に留めておかなければならないのが、「聖フィルへのメッセージは?」という最後の質問に対する先生のお答えです。「楽しんで弾けるように」と先生は望んでおられます。聖フィルの皆さん、楽しんで弾いていますかー? 楽しむことは、音楽表現において最も大切なことです。でも、つい忘れがちですよね。それどころではない、と言うか。

次回のコラムは緊急提言として、音楽の本質にも関わるこの川畠先生からのメッセージを考えてみたいと思います。

  1. このコラム執筆のためにお世話になった方々に、お礼申し上げます。たくさんの質問に答えてくださった川畠先生、取材(?!)を許可してくださり、原稿チェックや連絡のためにお世話になった、川畠成道音楽事務所の齋藤陽子さん、一緒にインタビューし、内容を確認してくださった forza-ugatti 氏、そして構成面でいつもながらの的確なアドヴァイスをくださったつぶ担さん、どうもありがとうございました。インタビューからまだ2週間ちょっとしか経っていないのですが、遠い昔のことのような気がします。ここに書き入れるのはふさわしくないかもしれませんが、東日本大震災に被災された方々への心からお見舞いと、被災地の一日も早い復興への祈りを、申し添えさせてください。