長くなりますが、日本の民族音楽学のパイオニア小泉文夫の、耳の痛い指摘を引用します。

ご存じのように、日本では明治以来、学校で教える音楽といえば西洋音楽です。…(中略)…西洋の植民地であった国は強制的に西洋化されましたから、それに対する反発や、自分たちの文化を守りたいという自我意識が強く働きます。……けれども西洋から侵略されなかった日本やトルコのような国では、西洋の文化に対して楽観的な、善意にあふれた考え方をし、ひたすら西洋に憧れて自国の伝統は捨ててもいいからああいうふうになりたいと、一生懸命まねをしてきました。

もちろん西洋音楽を理解することは必要ですし、西洋音楽に身をさらし、体を浸すことによって私たちの伝統にはなかった豊かな音楽文化を身につけたり、楽しんだりすることができるのも事実です。……けれども、同時にその裏側には、危険や不幸があることを感じなければならない。私たちの場合は、日本音楽のよさがわからなくなってしまったわけです。常磐津も清元も聴いて区別がつかないという潰滅的な状態になってしまいました1

聖フィル♥コラムを読んでくださっている人のなかで、常磐津と清元を聴き分けられる方はかなり稀だと思います。この漢字、どう読むの?という方がおられるかも。大学で音楽学を専攻し、日本音楽の基礎も学びましたが、恥ずかしながら「ときわず」も「きよもと」も三味線音楽という程度の知識。ああ……。

小泉文夫の著作は他にも何冊か読んでいたので、大学に入った年に先生が担当しておられた民族音楽学を受講。当時のノートは、民族音楽の定義に始まり方法論(フィールドワークの方法)、わらべ歌、仕事歌、宗教音楽(仏教音楽)、雅楽と続き、6月1日で終わっていました。年表によると、6月6日検査、15日入院、7月18日手術、そして8月20日死去。享年56歳。

先日行われた、33回忌記念のコンサート「〈民族音楽〉との邂逅――小泉文夫のメッセージ」。1,000席以上の座席が全て埋まった会場で、縁の人や弟子たちによる盛り沢山の演目を見、聴きながら、彼はいったい何十年先を見はるかしていたのだろうと考えました。音楽と言えば西洋音楽の日本(当時も今も変わりません)で、大学時代に地歌の実演に衝撃を受け、卒業後はインドに留学。日本音楽の理論を体系付け、わらべ歌や沖縄地方の民謡をフィールドワーク。世界中(50カ国以上)の音楽を調査・研究した彼が投げかけるのは、「日本人にとって音楽とは何か」2

私事で恐縮ですが、コンサートを聴きながら気づいたことが2つありました。1つは、昨年『オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識』を上梓する際、オーケストラと雅楽の関連についての「なぜ管弦打楽と呼ばないのか (52)(53) 」をどうしても入れたかった理由。日本人でありながら西洋音楽を学び、教え、結果として日本音楽を蔑ろにしていることへの、無意識の罪滅ぼしだったのかもしれません。

そしてもう1つは、元をたどればそれが、小泉先生の影響だったこと。わずか数回でもグローバルで柔軟な視野を持つ小泉先生の講義を受けられたのは、とてもラッキーでした。そして、(彼の直接・間接の弟子である)西洋音楽以外を専門とする友人たちとの付き合いが続いています。彼の教えは、自覚の無いまま私の中で生きていたのです。

それにしても、日本人にとって日本音楽とは、西洋音楽とは、何なのでしょう? 考えれば考えるほど、答えるのが怖くなる問いだと思いませんか?

  1. 小泉文夫『音楽の根源にあるもの』青土社、1977、188ページ(〈国際交流基金〉講演、1977年2月)。
  2. 植村幸生「ごあいさつ」『〈民族音楽〉との邂逅――小泉文夫のメッセージ』(2015年7月5日、東京藝術大学奏楽堂)プログラム。