20. 4月 2016 · (277) コンチェルトは声楽曲だった?! はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

コンチェルト(協奏曲)といえば、「独奏楽器(または独奏楽器群)とオーケストラとが協調しつつ優位を競い合うもの」1。器楽合奏の一形態に決まっています。この用語が声楽曲を指していたなんて、有り得ない!! 信じられない!! と思うのは当然。でも、本当なんですよ。というわけで、お久しぶりの「アマ・オケ奏者のための音楽史」シリーズです。

図1:A. & G. ガブリエーリ『コンチェルト集』(ヴェネツィア、1587)テノール・パートのタイトル・ページ(ボローニャ国際音楽図書館蔵)

図1:A. & G. ガブリエーリ『コンチェルト集』(ヴェネツィア、1587)テノール・パートのタイトル・ページ(ボローニャ国際音楽図書館蔵)

コンチェルトという語が初めて出版譜に使われたのは、1587年。アンドレアとジョヴァンニ両ガブリエーリの『コンチェルト集 Concerti di Andrea, et di Gio. Gabrieli』(図1参照)です。前年に亡くなったヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂オルガニスト、アンドレア・ガブリエーリの作品を、甥のジョヴァンニ(《ピアノとフォルテのソナタ》の作曲者。(190) コルネットとトロンボーンとヴァイオリンの八重奏参照)が校訂し、自作も含めて出版したもの。

このコンチェルト集に収められたのは、6声から16声の宗教歌曲とマドリガーレ(イタリア語の歌詞を持つ世俗曲)。歌曲集が、コンチェルト集と名付けられているのです。全声部に歌詞が印刷されていますが、序文中にほのめかされているように、楽器も使われたはずです(16声部の曲を、声だけで演奏するのは大変ですから)。

コンチェルトという用語が、このような編成の大きな声楽曲に使われたとは限りません。ロドヴィコ・ヴィアダーナの『100の教会コンチェルト集 Cento concerti ecclesiatici』(1602)は、1〜4人の歌い手とオルガン伴奏のための宗教曲集。17世紀前半においては、規模には関わりなく、楽器を伴う声楽曲がコンチェルトとみなされていたようです。

コンチェルトのタイトルは宗教歌曲集に使われることが多いのですが、世俗歌曲集の例も。モンテヴェルディのマドリガーレ集第7巻(通奏低音付き)は、その名も『コンチェルト Concerto. Settimo libro di madrigali』(1619)。ドイツでも、シュッツの『小教会コンツェルト Kleine geistliche Konzerte 』(第1集:1636、第2集:1639)のように、声と楽器のコンチェルトが作られました。

ルネサンス時代((27) 音楽史の時代区分参照)、声楽といえば無伴奏。楽器が加わったり、通奏低音((132) 楽譜どおりに演奏しても足りない場合参照)によって支えられるようになったバロック時代の新しい声楽に、新しい呼び名が必要だったのですね。コンチェルトの語は、アンサンブルやオーケストラなどの意味も含みながら、歌や楽器の様々な演奏媒体のための作品に使われました2。この用語が私たちが知っているような意味を一貫して指すようになったのは、18世紀の初め以降のことです3

  1. 東川清一「協奏曲」『音楽大事典2』平凡社、1982、713ページ。
  2. Hutchings, Arthur, ‘Concerto,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 6. Macmillan, 2001, p. 240.
  3. 熊本地震で被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。
19. 11月 2014 · (212) 《オケコン》とリトルネッロ形式 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

ソロ中心の様々なエピソードを、トゥッティ(全合奏)で何度も「戻ってくる」リトルネッロで挟みながら進む、リトルネッロ形式((211)参照)。バロック時代、ソロ協奏曲やコンチェルト・グロッソ(複数の独奏楽器のための協奏曲)はもちろん、特定の独奏楽器を持たない、伴奏オーケストラだけで演奏されるリピエーノ・コンチェルト((210) 《オケコン》のルーツ参照)にも使われました。ソナタ形式が成立する前の話。でも、バルトークの《オケコン》(1943)第1楽章も、リトルネッロ形式で分析できるのです1

初演(1944)の解説に、バルトークは第1楽章(Introduzione)をソナタ形式と書きました。提示部第1主題は、アレグロ冒頭のファースト・ヴァイオリンが忙しく上がって下りる(より専門的に言うと、「増4度の順次進行と完全4度の跳躍進行2回で上がって、同じく増4度順次進行+完全4度の跳躍進行2回で下りる」)音型。第2主題は、オーボエが隣同士の2つの音を行ったり来たりする、トランクィッロ(静かに)部分。展開部は第1主題で始まり、金管楽器によるフガートも、第1主題(の前半部分)が導きます。

この、何度も出てくる第1主題をリトルネッロ、間に挟まれる部分をエピソードと考えてみてください。R1(下の動画の3:52くらい〜)― E1(4:53〜)― R2(6:25〜)― E2(6:57〜)― R3(7:45〜)― E3(8:40〜)― R4(10:09〜)となります。お約束のリトルネッロで始まらないのは、テンポの遅い序奏部を付けた変形だから。リトルネッロに較べてエピソードは音量が小さく(いずれにもトランクィッロの指定がありますから当たり前ですが)、独奏や重奏が多いことも、リトルネッロ形式の図式にぴったり。

ソナタ形式として分析すると、再現部は第2主題で始まります。上のリトルネッロの記号を使うと、提示部:R1=第1主題部、E1=第2主題部。展開部:R2、E2、R3。再現部:E3=第2主題部、R4=第1主題部。2つの主題を逆の順序で再現した形です(あるいは、第1主題の再現を省略、R4の第1主題をコーダと考えることも)。調の選択も含めてソナタ形式の定型からかなり外れていますが、作曲された時期を考えると、ご本人が書いた「だいたい通常のソナタ形式 a more or less regular sonata form」の範囲内かな2。いずれにしろ、第2主題から再現したおかげで、リトルネッロ形式にきれいにはまります。バロック時代のリピエーノ・コンチェルトという外枠だけではなく、その中身であるリトルネッロ形式も意識し、どちらの形式とも考えられる形に作曲したのでしょうね。

  1. Cooper, David, Bartók: Concerto for Orchestra, Cambridge University Press, 1996, pp. 36-37.
  2. 前掲書、p. 85。伊東信宏の「ミニチュア・スコア解説」(『バルトーク:管弦楽のための協奏曲』音楽之友社、2012、v)では more or less が訳出されず「通常のソナタ形式」と書かれているので、注意が必要です。
12. 11月 2014 · (211) リトルネッロ形式 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

おかげさまで、2010年11月9日に始めた聖フィル♥コラム、4年目に突入! いつも読んでくださる皆さま、今、初めて読んでくださっている皆さま、どうもありがとうございます。前回、リピエーノ・コンチェルトについて書きながら((210)《オケコン》のルーツ参照)、まだリトルネッロ形式を説明していないことに気づきました。200以上書いたのに、バロック・コンチェルト(ソロ・コンチェルトと、複数の独奏楽器のためのコンチェルト・グロッソ両方)に使われたリトルネッロ形式のコラムが無かったなんて。反省!

リトルネッロは、イタリア語の名詞 ritorno(「戻ること」、動詞は ritornare)に縮小辞 –ello がついた形で、「小さな反復」の意味。1600年頃から、有節アリアの前、間、後などに奏される器楽曲を指すようになりました1。初め、リトルネッロはアリアと分かれていて、登場人物の入退場や舞踏シーン、場面転換などに使われました。17世紀半ば頃、リトルネッロとアリア(の反復)は途切れない一続きに。多くの場合、両者は音楽的に関連させて作られました。

協奏曲にこのリトルネッロ技法が使われるようになったのは、1700年頃。独奏者のためのエピソード部分と、トゥッティ(全合奏)によるリトルネッロの交代が繰り返されます。アリアの場合と同様、エピソード部分ではしばしば、リトルネッロの音型やその一部、装飾形などが使われます。

バロック協奏曲の「急」楽章(つまり第1楽章と第3楽章)は、リトルネッロで始まりリトルネッロで終わるのがお約束。一方、エピソードの数は自由。R1― E1― R2― E2― R3….. という具合に、好きなだけ入れることができます。冒頭のリトルネッロはフル・バージョンですが、それ以外は短縮バージョンが普通。みんなが聴きたいのはソロ。リトルネッロであまりお待たせしてはいけません。

何回くらい反復されるのか、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲《秋》op. 8, no. 3, RV 293の第1楽章で数えてみましょう。リトルネッロで始まり(R1)、そのリトルネッロを使った最初のエピソード E1(0:27くらい〜)― R2(0:54〜)― E2(1:03〜)― R3(2:01〜)― E3(2:21〜)― R4(2:47〜)― E4(3:18〜)― R5(4:28〜)。4つのエピソードを挟んで、リトルネッロは5回のようですね。エピソードを全部の楽器で伴奏したり、エピソードの途中にリトルネッロの音型で合いの手が入ったりすることもありますが、トゥッティとソロというよりも、リトルネッロとエピソードの交代と考えてください。

  1. Talbot, Michael, ‘Ritornello,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 21, Macmillan, 2001, pp. 446-47.
05. 11月 2014 · (210) 《オケコン》のルーツ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

音大の学生さんたちに講義を頼まれて、バルトーク(1881〜1945)の《管弦楽のための協奏曲》通称《オケコン》(1943)を分析中。さまざまな要素が絡み合った、エキサイティングな曲です。でも「題名が既にわけわかんない〜〜」という悲鳴が……。作曲の背景や音楽の内容よりも、まずはタイトルから。

協奏曲、コンチェルトは(もともとは声楽曲を指していましたが)、1つあるいはそれ以上の独奏楽器とオーケストラのためのジャンル。ピアノ協奏曲ならピアノとオケ、ヴァイオリン協奏曲ならヴァイオリンとオケ。「オーケストラのための協奏曲」ならオケとオケ……?? 確かに理屈が通らないかもしれません。でも、初演の際にバルトークご本人が「この交響曲的作品のタイトルは、この作品の中で単一の楽器、あるいは一群の楽器が、『協奏的』、独奏的に扱われる傾向がある、ということに由来している」と解説しています1。オーケストラの中の楽器が代わる代わるソリスト役を務める曲ということ。第2楽章「対による提示」(以前は「対の遊び」)は、特に協奏的。

特定の独奏楽器を持たない協奏曲というジャンルは、実はかなり古くから存在します。そう、リピエーノ・コンチェルトですね。え、リピエーノ・コンチェルトをご存じない?! バロック時代に作られた、複数の独奏楽器を持つ協奏曲がコンチェルト・グロッソ((165) 交響曲?協奏曲? サンフォニー・コンセルタント参照)。その、コンチェルト・グロッソの演奏に必要な伴奏楽器グループを、リピエーノ・オーケストラと呼びます(独奏楽器グループは、コンチェルティーノ)。リピエーノ・コンチェルトは、リピエーノ・オーケストラだけで演奏する協奏曲、つまりソリストがいない協奏曲ということ。

そんなの、協奏曲じゃないだろ!と怒らないでください。たとえば、バッハのブランデンブルク協奏曲第3番。ヴァイオリンとヴィオラとチェロ3声部ずつと通奏低音のための作品で、ブランデンブルク「協奏曲」の1つなのに、独奏楽器はありません。でも、合奏しながらいろいろなパートがソロを受け渡していきます。これがリピエーノ・コンチェルト。後に交響曲の源の1つとなります。

華やかで名人芸的な《オケコン》と、堅実な弦楽アンサンブルであるブランデンブルク第3番を結びつけるのは、難しいかもしれません。でも、第1次世界大戦後の新古典主義の流れの中で、バルトーク以外の作曲家にも作られた《管弦楽のための協奏曲》の原型は、このリピエーノ・コンチェルト。バロック時代のコンチェルト・グロッソの変化形です。特別なソリスト無しにいろいろな楽器のソロを楽しめる、お得で魅力的な曲種ですね。

  1. 訳は伊東信宏「ミニチュア・スコア解説」『バルトーク:管弦楽のための協奏曲』音楽之友社、2012、v。
24. 9月 2014 · (204) ロマン派の協奏曲:ブラームスの場合 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

1833年生まれのブラームス。バリバリの(?!)ロマン派です。だから彼のヴァイオリン協奏曲も、以前聖フィルで演奏したチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のように、「お待たせしない」タイプのはず……((127) ロマン派の協奏曲:なぜすぐソロが加わるか参照)。なのにこの曲、オーケストラだけで始まります。ソロが加わるのは、はるか先の90小節目。

協奏曲は本来、協奏ソナタ形式で作曲されました((73) 協奏曲のソナタ形式参照)。オーケストラだけが第1主題と第2主題を提示した後、独奏楽器が加わって2つの主題をもう一度提示する、二重提示が特徴です。でも、ロマン派になると構成のバランスよりも実利(!!)重視に。同じようなことを2度繰り返さなくても、初めから真打ちが登場して思う存分活躍する方が、楽しいですものね。チャイコフスキーのピアノ協奏曲のように、第1提示部を省略した(通常の)ソナタ形式で作るのが、ロマン派の協奏曲の主流。数年とはいえブラームスのヴァイオリン協奏曲の方が後に作られたのに、二重提示するなんて……。

でも。オーケストラだけの第1提示部に、第2主題は登場しません。分散和音を丁寧に上り下りする、幅広い感じの第1主題に対して、第2主題は順次進行に大きな跳躍をレガートでつないだ、より動きのある旋律。独奏ヴァイオリンによって、お約束どおり属調のイ長調で提示されます(206小節)。これを導くのが探るようにジグザグに上がって行く8分音符群ですが、第1提示部ではこのジグザグ音型だけで第2主題はおあずけ。二回提示されるのは第1主題だけですから、二重提示ではなく 1.5 重提示。「お待たせするけれど少しでも時間を短く」ということですね。

第1提示部では、ジグザグ音型がニ短調で繰り返されます(譜例1A)。その後、弦楽器が決然と弾き始める旋律(譜例1B)は、スタッカートの多用やアクセントによる2拍目の強調など緊張感に満ちていて、今までとは異質。第2主題と錯覚させられそうなこの印象的なパッセージが、同じニ短調によるソロ・ヴァイオリンの「アインガンク」(独語で「入口」の意)を引き出すことに。提示部の最後の方と、カデンツァの前にも使われて、音楽を引き締めています。

譜例1:ブラームス作曲ヴァイオリン協奏曲第1楽章。A:61〜68小節。B:78〜82小節。

譜例1:ブラームス作曲ヴァイオリン協奏曲第1楽章。A:61〜68小節。B:78〜82小節。

20. 8月 2014 · (199) 3拍子で始まる協奏曲 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

練習中は、2分音符=140なんて(まだ)速すぎる〜!とか、付点型に16分休符入れたり入れなかったりする意図は〜?とか、いろいろ考えながら弾くだけで十分忙しいのに、田部井剛先生からまた((195) ウクライナと音楽参照)質問が飛んで来ました。ブラームスに3拍子の曲が多いのはなぜか? 次回定期で演奏するブラームスのヴァイオリン協奏曲第1楽章も3拍子です。というわけで、今回は協奏曲の拍子について。

初めに質問です。モーツァルトの50曲近い協奏曲の中で、3拍子で始まる曲はいくつあるでしょう??

難しい問題でしょう! フルート協奏曲やクラリネット協奏曲など、有名どころ(!?)は3拍子ではない。ピアノ協奏曲はたくさんありすぎて、何がなんだか……。答えは3つ。ピアノ協奏曲第11番ヘ長調、同第14番変ホ長調、同第24番ハ短調、これだけです。ベートーヴェンの協奏曲(ピアノ5、ヴァイオリン1、トリプル1)には、3拍子で始まる曲はありません。ハイドンの代表的な協奏曲(チェンバロ1、ヴァイオリン3、チェロ2、トランペット1)も同様。3人とも、ほとんどの第1楽章を4/4拍子で作曲しています1

既に書いたように、西洋音楽の歴史においてまず生まれたのは、完全分割である3分割でした((110) 3分割から始まった!参照。たとえて言うと、全音符1つが2分音符3つ分)。でも、14世紀に2分割が(も)可能になると、こちらが主流に。ルネサンス時代を通じて3分割は、大規模な曲の中の、あるいは1曲の中の、三位一体に関連する歌詞の部分など、特別な部分や強調する部分を中心に使われました。

バロック時代も、2分割つまり2拍子4拍子が中心。ヴィヴァルディは第1楽章が3拍子の協奏曲も書いていますが、『調和の霊感』作品3の12曲中3曲、有名な《四季》が含まれる『和声と創意の試み』作品8でも、同じく12曲中3曲のみ。バロック組曲の定型に含まれる、スペイン起源の緩やかな3拍子の舞曲サラバンドのように、音楽に多様さやコントラストを与える意味合いが強かったのではないでしょうか。

古典派協奏曲では3拍子で始まる割合がさらに低くなるのは、上に書いたとおりです。秩序や調和、均衡が重視された古典派時代。不安定な3拍子よりも、どっしり落ち着きの良い2拍子系(特に4拍子)が多用されたのでしょう。ロマン派で3拍子の割合が高くなったのは、その反動とも考えられます。ブラームスのヴァイオリン協奏曲以外にも、ショパンのピアノ協奏曲第1番や、聖フィルでも演奏したチャイコフスキーのピアノ協奏曲の第1楽章が3拍子。ヴェーバーのクラリネット協奏曲第1番やクラリネットのためのコンチェルティーノ、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番、チェロ交響曲第2番なども。

ブラームスは6/4拍子で始まる協奏曲も作っていますね(ピアノ協奏曲第1番)。珍しい選択です。今回参考にした名曲解説全集の協奏曲 IIに収められた(カール・シュターミツのフルート協奏曲から、ヴォーン=ウィリアムズのテューバ協奏曲までの)113曲中、6/4で始まるのはこの1曲だけ2。6/8、9/8、12/8拍子の第1楽章が少ないのは、終楽章で使われる拍子だから避けたと考えられますが、6/4はさらに異質3。ブラームスが4拍子で作ったのは、ピアノの第2番とドッペルの2曲ですね。

  1. ハイドンには2/4拍子で始まる協奏曲が1つ、モーツァルトとベートーヴェンは2/2拍子が1つずつ。
  2. 『名曲解説全集9 協奏曲 II』音楽之友社、1980。
  3. 前掲書の中で、8/12拍子で始まる協奏曲は3曲(パガニーニ、ラロ、ピエルネ)、9/8拍子が1曲(エルガー)、6/8拍子で始まるのはマクダウエルのピアノ協奏曲第2番だけでした。
12. 2月 2014 · (172) 音楽の商品価値 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

音楽ジャンルに、上下関係はありません。交響曲だけが偉い、いえ重要!ではなく、歌曲もオペラも室内楽も、みんな同じように重要です、と書こうと思ったら……。モーツァルトにとって音楽は、ジャンルによって価値が異なるものでした1。1783年に作曲した交響曲第36番《リンツ》と、1784年に作曲した4つのピアノ協奏曲(第14〜17番)の自筆譜に関する父への指示に、それがあらわれています。

レオポルト・モーツァルトへ(1784年2月20日、ウィーンにて) 交響曲の譜はオリジナルですので、いつか写しを取ってください。そうしたらぼくに送り返すか、あるいは誰かにあげるか、お好きなところで演奏させても結構です。協奏曲(第14番)もオリジナルですから、これもどうぞ写しをとってください。でも取り終わったらできるだけ早くぼくに返してください。忘れないでほしいのですが、これは誰にも見せないでください。ぼくはこれを、[バーバラ・]ブロイヤー嬢のために作曲しました。この人はぼくに気前よく払ってくれたからです。

レオポルト・モーツァルトへ(1784年5月15日、ウィーンにて) リンツで例のトゥーン伯爵のために書いた交響曲、それに4つの協奏曲を、今日の郵便に乗せました。交響曲についてはかまいませんが、4つの協奏曲のほうは、家で写しをとるようにしてください。ザルツブルクの写譜屋はウィーンの連中と同じくあまり信用できませんから。確かな話ですが、ホーフシュテッターは、ハイドンの音楽の写しを二部取ったそうです。(中略)これらの新しい協奏曲のうち変ロ長調(第15番)とニ長調(第16番)はぼくだけのものですし、変ホ長調(第14番)とト長調(第17番)のはぼくとブロイアー嬢だけのものですから、誰かの手に入るとすれば、こういう不正行為以外に方法はありません。ぼく自身は、何でもぼくの部屋で、ぼくの見ている前で写譜させています。

18世紀後半には、大編成の合奏曲を出版する場合、彫版を作って印刷するよりも手で書き写すほうがまだ一般的だったそうです2。でも、手紙に書かれているように、こっそり余計に写して売りさばく不届き者の写譜屋もいたのです。海賊版が出てしまうと作曲者の得になりません。モーツァルトにとって写譜屋は、料金や仕事のスピード、正確さだけではなく、信用できるかどうかが大問題でした。

ところで、手紙の中でモーツァルトは、協奏曲の海賊版が出ることをとても心配し、家で(家族が)写すようにとか、誰にも見せないようになどと指示していますね。一方で交響曲は、だれかにあげてもよいとか、どこかで演奏されてもかまわないと書いています。つまり、モーツァルトにとって協奏曲の方が、交響曲よりも商品価値がずっと高かったということになります。

(16)「交響曲」は開幕ベルなどで書いたように、18世紀の交響曲は演奏会の序曲。開幕ベル代わりの、ほぼ使い捨ての音楽でした。一方の協奏曲は、観客がソリストの妙技を楽しむ、演奏会のメイン。どちらが重要か、考えるまでもありません。しかも、モーツァルトにとってピアノ協奏曲は、自分の予約演奏会の呼び物。1784年の2〜4月に作られたこれら4曲は、できたてのほやほやの「最新作」。まだウィーンの人々に知れ渡っていない、大事な大事な財産だったのです。交響曲が偉い、いえ重要!どころか、モーツァルトは交響曲の海賊版をあまり気にしていなかったというお話でした。

  1. 手紙の抜粋も含めて、マーシャル『モーツァルトは語る』高橋英郎、内田文子共訳、春秋社、1994、94-95。
  2. 前掲書、91。
25. 12月 2013 · (165) 交響曲? 協奏曲? サンフォニー・コンセルタント はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

日本語で協奏交響曲と訳されるサンフォニー・コンセルタントsymphonie concertante(仏)。18世紀後半から19世紀にかけてパリやマンハイムなどで流行した、「複数の独奏楽器をもつ交響曲と協奏曲の中間形態」です1。実際には交響曲というよりも協奏曲。ハイドンの、オーボエ・ファゴット・ヴァイオリン・チェロのための協奏交響曲は、ホーボーケンが交響曲第105番(Hob.I:105)に分類しましたが、現在は交響曲の中に含めません( (158) ハイドンの交響曲は106曲!参照)。

バロック時代のコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲。(59) クリスマスに聴きたい音楽 part 3で、コレッリの《クリスマス・コンチェルト》をご紹介しました)も、複数の独奏楽器を持つ協奏曲です。ただ、似ているのは形だけ。コンチェルト・グロッソではソロとトゥッティの対比が重視されましたが、サンフォニー・コンセルタントではソロ群が中心。カデンツァも付きます。

1767年5月に、出版譜に初めてサンフォニー・コンセルタントの名が使われて以来(実はこの曲、5重奏曲でしたが)、1830年頃までに570曲ほどが作られました(sinfonia concertante や concertante だけのタイトルを含む)2。半数は、フランス人、あるいはフランスで活動した作曲家によるものです。多作の筆頭は、半世紀以上をパリで過ごしたと言われるイタリア人カンビーニ(1746〜1825?)で、なんと82曲! 次いで、マンハイム楽派第2世代カール・シュターミツ(1745〜1801)の、30曲以上。

緩徐楽章を欠く2楽章構成と、通常の協奏曲と同じ急―緩―急の3楽章構成が、ほぼ1:1。緩徐楽章でも、アンダンテよりも遅いテンポ(アダージョなど)は全く使われていないそうです。速い方が、ソリストの妙技披露に向きますものね。耳に快いメロディーが次々と出て来るのは、セレナードやディヴェルティメントなど、当時の「軽い」ジャンルの音楽と似ています。短調の曲は全体のわずか0.5%。古典派時代は圧倒的に長調の曲が多いのですが、交響曲の2.5%と較べても、短調の少なさが際立っています。

独奏楽器の数は、2、3から時に8、9まで。ソロ楽器の組み合わせも様々で、鍵盤楽器の4手連弾(テオドール・フォン・シャハト作)、ハープシコード・ヴァイオリン・ピアノ(ジャン=フランソワ・タプレ)、ピアノ・マンドリン・トランペット・コントラバス(レオポルト・コジェルフ)、2ヴァイオリン・2ヴィオラ・2オーボエ・2ホルン・1チェロ(ヨハン・クリスティアン・バッハ)など、響きが想像しにくいユニークなものも。

モーツァルトは、1778年にパリで作ったフルート・オーボエ・ホルン・ファゴットのための K. Anh.9 (297B)(消失。19世紀半ばに見つかった楽譜は、真作かどうかわかりません)と、翌年のヴァイオリンとヴィオラのための K.364 (320d) を、サンフォニー・コンセルタントと呼びました。一方、同じ1778年にパリで作ったフルートとハープのための K.299(297c) は、複数の独奏楽器を持つのに、ただの(!?)協奏曲。その理由は?

サンフォニー・コンセルタントは本来、独奏楽器の名演奏家(ヴィルトゥオーゾ)たちのための、公開演奏会用の作品でした。チケットを購入すれば、一般市民も楽しめる公開演奏会。複数のソリストの妙技を同時に楽しむことができるサンフォニー・コンセルタントは、メイン・プログラムにうってつけ。モーツァルトは、アマチュアのフルート奏者ド・ギーヌ公爵が娘と一緒にサロンで演奏するために注文した曲と、パリの名高い公開演奏会コンセール・スピリテュエル用の曲とを、はっきりと区別していたのです。

  1. 西原稔「サンフォニー・コンセルタント」『音楽大事典2』、平凡社、1982、1001ページ。
  2. Brook, Barry / Gribenski, Jean, “Symphonie concertante,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 24. Macmillan, 2001, 807.
06. 11月 2013 · (158) ハイドンの交響曲は106曲! はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

ハイドンの交響曲は全部で104曲と思っている方、多いですね。小さなことに目くじら立てるなと言われそうですが、やはり気になります。ハイドンが最後に作曲したのは、《ロンドン》というニックネームの104番。でも、これは総数ではありません。ハイドンの交響曲は、初期のコラム((15) 交響曲の成長期)で言及したように、全部で106曲です。

この勘違い、モーツァルトの交響曲とよく似ています。19世紀にケッヘルがナンバリングしたモーツァルトの交響曲番号は未だに広く使われていて(最新のケッヘル目録第6版ではこの番号を除いていますが)、最後に作曲したのは確かに41番《ジュピター》。でも、欠番もありますし、ケッヘル没後に見つかった真作交響曲もあります。総数はおよそ50曲でしたね((14) モーツァルトが作った交響曲はいくつ?参照)。

ハイドンの作品目録(器楽曲は1957年出版)を作ったホーボーケン(大感謝!)が交響曲につけた番号は、H I:1から108まで。そのうち1~104は、実は1908年にブライトコップ社から刊行されたハイドン旧全集の、マンディツェフスキーがつけた番号をそのまま踏襲しています。ホーボーケンが加えたのは、残りの105~108番。

108から除外されるのは、105番と106番。105番は協奏交響曲。18世紀に流行した、複数の独奏者を持つ協奏曲(バロック時代のコンチェルト・グロッソにあたります)で、現在は協奏曲に含めます。一方106番は、第1楽章しか現存しません(1769年に作られたオペラ《漁師の娘たち》の序曲として作曲されたと考えられています1)。

それでは、107番と108番が旧全集から漏れた理由は? 107番は変ロ長調 3楽章構成。1762年以前に作曲された初期の交響曲。ハイドンの交響曲Aと呼ばれます。管楽器パート(オーボエ2とファゴット2)を取り除いた形で、1764年に弦楽四重奏曲作品1の5として出版されたのが混乱のもと。ハイドン存命中に作られたエルスラー目録(ジャンル別。ハイドンの写譜屋ヨハン・エルスラーが、1805年に作製)に弦楽四重奏として記載され、ホーボーケンも弦楽四重奏のカテゴリー(III)の5番に(現在、H III:5は欠番)2

108番は、同じく変ロ長調で1765年以前に作曲されました。こちらはハイドンの交響曲B。オーボエ2、ファゴット1、ホルン2と弦の編成です。1769年にパリで交響曲として出版され、しかもエルスラー目録の交響曲の項に記載されていました。旧全集に納められなかった理由はわかりません。

ところで、モーツァルトの交響曲数が研究者によってまちまちなのに対して、ハイドンの交響曲数はどの資料でも106曲。信頼度が高くない(少なくとも西洋音楽史に関しては)ウィキペディア日本語版にも、106曲と出ています。

でも、ハイドンが交響曲とみなしていたのは、この106曲(当時は協奏交響曲も交響曲の範疇に入っていたので、正確には107曲)だけではなかったはず。エルスラー目録も、当時まだ交響曲というジャンルが確立していなかった状況を反映しています。たとえばフルート1、オーボエ2、ホルン2、ヴァイオリン2と通奏低音のためのスケルツァンド(H II:6)が、シンフォニーアとして記入されていましたし、交響曲グループの最初には、オペラ《薬剤師》(H XXVIII:3)の序曲が記載されていました3

それにしても、モーツァルトにしてもハイドンにしても、一度流布してしまった情報を修正するのは難しいですね。マンディツェフスキーは作曲年代順に番号をつけたのですが、その後の研究で年代が修正された交響曲も少なくありません。というわけで、ハイドンの交響曲総数は106曲(面倒ならいっそ「100曲以上」とでも)、番号は作曲年代順ではないということを、どうぞお忘れなく。

  1. Webster, James, “Haydn.” The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol.11, Macmillan, 2001, p. 232.
  2. ウィーン宮廷作曲家だったヴァーゲンザイル(1715〜77)の作とする資料もあります。
  3. 大宮真琴『新版ハイドン』音楽之友社、1981、p. 173。
28. 8月 2013 · (148) バッハもヴィオラを弾いていた はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

ベートーヴェンはボン時代、劇場でヴィオラを弾いていました。シューベルトは、家族で弦楽四重奏をするとき、ヴィオラを担当していました((33) シューベルトの未完成交響曲たち参照)。時代は下がって、ドヴォルジャークはチェコの国民劇場仮劇場オーケストラでヴィオラを弾いていました((30) スメタナとドヴォルジャーク参照)し、ヒンデミットも室内楽やソロ活動をするヴィオラ奏者でした。

ヴィオラと言えばもう1人、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ。好んでヴィオラを弾いたと、彼の次男、カール・フィリップ・エマヌエルが伝えています1。譜例1は、その(間接的な)証拠と考えられるもの。

譜例1:バッハ作曲《ブランデンブルク協奏曲》第5番 BWV 1050 第1楽章冒頭

譜例1:バッハ作曲《ブランデンブルク協奏曲》第5番 BWV 1050 第1楽章冒頭

ブランデンブルク協奏曲第5番と言えば、バッハの最も人気がある世俗曲の1つ。独奏楽器は、フルートとヴァイオリンとチェンバロ。複数の独奏楽器を持つバロック時代の協奏曲、コンチェルト・グロッソです。でも、全体としてチェンバロの比重が非常に大きく、実質的にはチェンバロ協奏曲と言えます。ブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒに献呈するために(この被献呈者の名前で呼ばれますが、バッハが付けたタイトルは『種々の楽器を伴う協奏曲集 Concerts avec plusleurs instruments』)丁寧に清書された自筆スコアは、上から順に独奏フルート、独奏ヴァイオリン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ヴィオローネ(コントラバスのご先祖)、独奏チェンバロ。

チェンバロ・パート右手部分は、最初の和音のみで残りはずーっと空白。左手の楽譜の上には、何やら不思議な書き込みがいっぱい。これは、通奏低音奏者に和音の種類を示す数字で、8分音符のように見えるのは数字の6(3度上と6度上の音を弾けということ。(132) 楽譜どおり演奏しても足りない場合参照)。このオープニング部分では、チェンバロ奏者は独奏者ではなく、通奏低音担当の伴奏者。数字で指示された和音を、即興で充填します。一方、譜例1の最後の小節からは、右手パートも記入されていますね。通奏低音の数字はありません。ここからチェンバロ奏者は独奏者に早変わり。1人2役、大忙し。

話をヴィオラに戻しましょう。ヴィオラのパートは、通常のハ音記号で記譜されていますね。この曲がどうして、バッハがヴィオラを弾いていた証明になるのでしょうか。よく見ると、ちょっと変わったところがありますよ。独奏ヴァイオリン・パートの下、伴奏(リピエーノと呼びます)ヴァイオリンが、1パートしかありませんね。通常は(たとえヴァイオリン協奏曲でも)、オーケストラのヴァイオリンにはファーストとセカンドの2パートあるもの。それなのに、この曲は1パートだけ。これは普通ではありません。

ケーテンの宮廷楽長時代、協奏曲を演奏するときには、バッハはヴィオラを弾きながら指揮していたと考えられます。でも、ケーテン宮廷が新しく購入した、ベルリンのチェンバロ製作家 ミヒャエル・ミートケ作の2段鍵盤チェンバロをお披露目するために作曲されたこの協奏曲では、バッハ自身がチェンバロ・パートを受け持ったことは、まず間違いありません。ということは:

    1. バッハはいつものヴィオラを受け持つことができなかった
    2. でもヴィオラはアンサンブルに必須!
    3. セカンド・ヴァイオリン奏者にヴィオラを担当させた
    4. セカンド・ヴァイオリンを弾く人がいなくなった
    5. ヴァイオリンを1パートのみにした

この場合、リピエーノ・ヴァイオリンのパートは、1人で弾いていたことになりますね。ケーテン宮廷楽団はバッハの頃、16名の団員が在籍していたそうですから、ヴァイオリンが2人というのはちょっと少なすぎる感じ2。でも、弦パートは1人ずつで弾いたと主張するリフキンのような研究者もいます。チェンバロの長く華やかなカデンツァを持つこの協奏曲、意外にも室内楽のように演奏されていたのかもしれません。

  1. 角倉一朗『バッハ:ブランデンブルク協奏曲ミニチュア・スコア解説』全音出版、n.d.、13ページ。
  2. 久保田慶一編『バッハキーワード事典』春秋社、2012、332ページ。