03. 9月 2014 · (201) 練習番号 J が無い理由 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

オーケストラの楽譜に練習番号 J が無いのはなぜ? これも、田部井剛先生から練習中に飛んで来たご質問。ぜーんぜん気づきませんでした〜。確かにチャイコフスキーの交響曲第5番も、ブラームスのヴァイオリン協奏曲も、練習番号 I の次は K(ちなみにどちらも、Breitkopf & Härtel に基づく Kalmus 版。Public Domain)。アルファベットの I と J は区別しにくいので、I だけにしたと考えるのがまあ普通でしょう。

ただ、私がとっさに思い浮かべたのは、ドレミの元になったグレゴリオ聖歌でした。洗礼者ヨハネの祝日用聖歌《Ut queant laxis(貴方の僕たちが)》(この「僕」は「ぼく」ではなく「しもべ」と読んでくださいね)では、6行の歌詞の始まりの音が1音ずつ高くなっています(譜例1)。11世紀の僧グイード・ダレッツィオがそれぞれの音を、それと対応する歌詞の最初のシラブル(ut re mi fa sol la ウト–レ–ミ–ファ–ソル–ラ)で呼ぶことにしたのでしたね((78) ドレミの元参照)。後に、歌いにくい ut を do に。7番目の音には、7行目の歌詞「聖ヨハネ」の頭文字を。ラテン語に J は無かったので、sj ではなくsi になりました1

譜例1:《Et queant laxit(貴方の僕たちが)》

譜例1:《Et queant laxit(貴方の僕たちが)》

J はもともと I と同じ文字2。中高ドイツ語において区別され始め、1524年に初めて、異なる文字とした書物が書かれたそうです3。イタリア語では現在でも、J(イルンゴ=「長い I 」の意)は、ラテン語や外来語の固有名詞に稀に使われるだけ。たとえば日本はイタリア語では Giappone(ジャッポーネ)。J では無いのです。修士課程のセミナーで輪読した、16世紀にイタリア語で書かれた音楽理論書などにももちろん J は出て来ません。アルファベットの J がとんでいても、私はあまり(全く??)違和感が無いのですが……。

スコアを調べてみました。確かに《エロイカ》、ベト7、ブラ1、《悲愴》、《新世界》など大多数で、I の次は K 。一方、田部井先生が言われるように J がとばずにアルファベットが揃った曲も(たとえば前回演奏した《オルガン付き》)。ふーん……と、いろいろめくっていて気づきました。 J のようにアルファベットの W も、ラテン語や現代イタリア語に無いのに、練習番号 W はとんでいません!

さらに、ドヴォ8やチャイコの《ロメジュリ》のように、J はあるけれど代わりに I がとんでいるスコアもありました! ということは、歴史的・言語学的背景とは関係無く、単に I と J が紛らわしいから、片方(多くの場合は J )を省くのが慣例になっていたというだけのようですね。

それにしても、いったい誰がいつどのようにして練習番号を決めたのでしょう?!! 最初に練習番号を含めた楽譜を出版する出版社?? 《英雄の生涯》やショスタコの5番には、アルファベットではなく数字が付いています。これなら本当に「練習番号」で、J を省く、I を省く、両方とも使うなどの決定が不要です。あらら《オケコン》では、小節番号がところどころ(かなり頻繁に)太字になっているだけ。これなら、どこに「練習番号」を付けるかの決定も不要。シンプルながら、これで十分にわかりやすいですね。

  1. ただし、ラテン語に J が無かったのは古典期(松本千秋、国原吉之助『新ラテン文法』南江堂、1968、6)。その後、J も使われるようになりました。
  2. J の文字は、ローマ数字で i が複数続くときの最後に使われた、髭付き書体(って swash character の正しい訳語かわかりませんが)が起源。たとえば23は xxiii ではなく xxiij と表記されました。英語版 wikipedia “J”。
  3. Gian Giorgio Trissino (1478–1550), Ɛpistola del Trissino de le lettere nuωvamente aggiunte ne la lingua italiana(イタリア語に近年加わった文字についてのトリッシーノの書簡), 1524。同上。中高ドイツ語とは、1050〜1350年頃にドイツ中部・南部で使われていたドイツ語(高地ドイツ語)のこと。
25. 6月 2014 · (191) 《ピアノとフォルテのソナタ》再び はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

前回コルネットとトロンボーンとヴァイオリンの8重奏でとりあげた、ガブリエーリの《8声のためのピアノとフォルテのソナタ》について、3点補足します。まず第1に、これが教会の礼拝で使われる宗教曲であることを忘れないでください。

16世紀半ば以降、イタリア各地で対抗宗教改革が行われていました。カトリックの浄化を目指して開かれたトリエント公会議では、「歌詞が聴き取りにくいから、典礼(礼拝)においてポリフォニー(多声音楽)の使用を禁止し、グレゴリオ聖歌のみを歌うことにしよう」という過激(!!)な原点回帰の提案もあったほど1(《教皇マルチェルスのミサ曲》を作ってそれに反論し、ポリフォニーの救い主とされたのが、私がペンネームに名前をお借りしているパレストリーナです。あくまで伝説ですが)。しかし、ローマから遠いヴェネツィアでは、ポリフォニーどころか、コルネットやヴァイオリンなど世俗の楽器も用いた器楽曲が、教会で演奏されていたのですね。

第2にこの曲は、1597年に出版されたガブリエーリの『サクラ・シンフォニーア』に納められていること。『サクラ・シンフォニーア』とは「聖なる(複数の)響き」つまり宗教曲集ということですね。(171) いろいろなシンフォニーアに書いたように、ラテン語の歌詞を持つ声楽曲がメインで、45曲も収められています。器楽曲は、カンツォーナ(最後の母音を省略してカンツォンと表記)14曲とソナタ2曲の計16曲。

譜例1:G. ガブリエーリピアノやフォルテのソナタ》第7声部(「サクラ・シンフォニーア》(ヴェネツィア、1598)より)再掲

譜例1:G. ガブリエーリ作曲《ピアノとフォルテのソナタ》第7声部 『サクラ・シンフォニーア』(ヴェネツィア、1598)より(再掲)

当時の楽譜の慣例に従って、声部数が少ない曲(6声用)から順番に並べられています。最も曲数が多いのが8声用。声楽曲19曲の後に5曲のカンツォーナが続き、《ピアノとフォルテのソナタ》は最後。その後に、10声用の声楽曲、器楽曲、12声用の声楽曲、器楽曲、14声用声楽曲、15声用の声楽曲、器楽曲、16声用声楽曲と続きます。器楽も声楽と同等の扱い受けていますね。器楽曲には歌詞が無いので、ページが白っぽく見えますが、その中でピアノとフォルテのソナタ》だけ、ところどころに「Pian」「Forte」と印刷されています(譜例1)。

第3に補足したいのは、『サクラ・シンフォニーア』のレイアウト。スコアではなく、ペトルッチのオデカトンのような、見開きに全声部を納める聖歌隊用レイアウト(「クワイアブック・フォーマット」と呼びます。(184) 500年前の楽譜参照)でもなく、1声部ずつ分かれた「パートブック」スタイルです。この時代、声楽曲もほとんどがパートブックの形で出版されましたが、16声部の曲も含まれる『サクラ・シンフォニーア』は、全部で12分冊! 1冊も失くさないように、教会の財産として大切に管理したのでしょう。

14声部以上の曲は、1分冊に2パート印刷されています。巻末に目次もありますが、使いやすいように各分冊の同じページに同じ曲が印刷されています(そのため、不要なページ数は省かれ、たとえば第12分冊は50ページから始まります)。《ピアノとフォルテのソナタ》のような声部数が多く長い曲を、小節線が無い当時の楽譜で演奏するのは、さぞかしスリリングだったでしょうね。

  1. Nagaoka, Megumi, The Masses of Giovanni Animuccia: Context and Style, Ph.D. Diss., Brandeis University, 2004, pp.2-3.
01. 12月 2011 · (57) ヨハン・シュトラウスは人気者 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

聖フィルは先週、第4回聖光音楽祭でヨハン・シュトラウスの作品を演奏しました。「ワルツの父」ヨハン・シュトラウス1世の《ラデツキー行進曲》op. 228と、「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世(=1世の長男)の《取り壊しポルカ》op. 269。父の曲も子の曲も、作品番号が200番台ですよ。すごいですね!

こう書くと、200くらいでどうしてすごいのと不思議に思う方がいらっしゃるでしょう。モーツァルトのケッヘル番号は600を超えるし、ヨハン・ゼバスティアンのバッハ作品番号も1000を超えます。シューベルトのドイッチュ番号も1000近く。でも、これらは作品目録番号。その作曲家の作品カタログを作るために、研究者が一定の規則に従って作品を並べた順番を示す数字ですから、すべての曲に番号がつけられています。一方op.は、楽譜を出版した際の番号。出版されなかった曲にはop.番号はありません。

シュトラウスの作品表を計算してみると、父は全作品の9割以上、息子も9割近くの楽譜が出版されています1。しかもほとんどが初演の年の出版です。2世のop. 番号はなんとop. 479まで! 番号無しで出版されたものを加えると500曲以上になります。

これって、すごいことですよ。楽譜を出せば必ず売れたということですから。彼らの音楽はそれだけ人気があったのですね。

オーケストレーションの見事さと美しく親しみやすいメロディーは、同時代のヴァーグナーやブラームスからも、高く評価されています。また、イタリア独立運動を鎮圧したラデツキー将軍の凱旋祝賀会用マーチや、ウィーンを囲んでいた城壁の取り壊し工事に由来するポルカなど、常にタイムリーでウィットに富んだ作品を提供し続けたのも人気の理由です。

それにしても、ウィーンにはいつも出版譜を買ってくれるダンス用オーケストラが、そんなにたくさんあったの ?? と思ったら、違いました。父子が作曲したワルツやポルカは、オーケストラ・スコアではなく、まずピアノ独奏用の楽譜として出版されたのです。ヨハン・シュトラウスの新作を、家でピアノで弾いて楽しみたい人がたくさんいたということですね。もちろん多くの作品は、ピアノ連弾やヴァイオリン独奏(ピアノ伴奏付き)用、オーケストラ用としても出版されました2

図1は、ヨハン・シュトラウス2世がイギリスへ演奏旅行した際に作曲した、イギリスの民謡に基づくワルツ《コヴェント・ガーデンの思い出》op. 329(ウィーン、Spina社、1868)のピアノ譜の表紙。1867年に彼はここで、63回のプロムナード・コンサートを指揮したそうです。ヴァイオリンを左手に弓で指揮する彼の姿が、右側の舞台上に見えますね。

図1 ヨハン・シュトラウス2世:《コヴェント・ガーデンの思い出》ピアノ独奏楽譜の表紙

図1 ヨハン・シュトラウス2世:《コヴェント・ガーデンの思い出》ピアノ独奏楽譜の表紙3

  1. Peter KempによるNew Grove Dictionary of Music, 2nd edition, vol. 24(Macmillan, 2001)の作品表(父がpp. 477-78、子がpp. 483-87)を数えました。父は、番号付きで出版された作品がop. 251までで、番号無しで出版された曲が8曲。一方、出版されずに手稿譜で残されている作品は25曲です。息子は、番号付きで出版された作品が op. 479までで、番号無しで出版された作品が33曲、ロシアで出版された作品が10曲。18あるオペレッタ、オペラ、バレエ作品も、番号無しで出版されています。一方、出版されなかった作品13曲と、出版されずに失われた作品61曲が、リストアップされていました。
  2. 劇作品も、ほとんどがオーケストラ用ではなくいわゆるピアノ・ヴォーアル・スコアの形で出版されました。
  3. 同上、481ページより。