31. 12月 2014 · (218) チャイコフスキーとリスト はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

(203) チャイコフスキーの気持ち良さで、コントラバスを除く弦楽器全体に同じ旋律を弾かせ、3、4オクターヴのユニゾンで朗々と響かせるチャイコフスキーの書法について書いたとき、「こうした”オケ鳴らしのしかけ”はチャイコフスキーが音楽としては嫌悪してたリストのピアノ曲の書法を手本にしてたようです」(原文ママ、下線筆者)というコメントをいただきました。どうもありがとうございます。

たしかにリストのピアノ曲には、両手のオクターヴ・ユニゾンが使われますね。でも、それだけで両者を結びつけるわけにはいきません。「ようです」のような推定ではなく、誰がそう考えてどこに書いているかを特定し、その主張が正しいか検討すべきだからです(音楽学に限らず、ネット上に出所不明の情報があふれ、どんどん拡散しているのは恐ろしいことです)。

結論から言うと、これまで私が調べた英語と日本語の資料の中には、チャイコフスキーのオーケストレーションがリストのピアノ曲からの影響という記述は見つかりませんでした。むしろ、逆の印象です。リストのピアノ協奏曲第1番は、ソロ・パートがオクターヴ・ユニゾンで始まってオクターヴ・ユニゾンで終わるような曲。でもチャイコフスキーはこの曲(と第2番)をいつも、「華やかだが空虚」と感じていたらしく、1887年3月、散歩の途中この協奏曲の主題をハミングし始めた友人を咎めて「あの役者を思い出させないでくれ。彼のうそっぽさとわざとらしさには耐えられない」と言いました 1。両手のオクターヴ・ユニゾンがリストの専売特許というわけではありませんしね(今後も関連資料に注意していくつもりですが)。

チャイコフスキーとリストの関係について、3つあげておきます。第1は、チャイコフスキーのリスト観。嫌悪していたかどうかはわかりませんが、彼がリストを高く評価していなかったことはたしかです。リストの70歳記念ガラ・コンサート(オール・リスト・プログラム)に出席し、このように書いています。

熱狂したイタリア人たちの大喝采に心が動かされ乱されているこの偉大な老人の姿を見て、感動しないではいられませんでした。しかしながら、リストの作品自体には感激しませんでした。本当の創造的な力よりも詩的な意図、デッサンよりも色を塗ることが優位に立っています。手短に言うと、すべての効果的な包装にもかかわらず、リストの作品は中身の空虚さによって台無しになっているのです。シューマンとは正反対です(メック夫人への手紙、1881年12月、ローマ)2

一方で、リストの全てに否定的だったわけではありません。彼の宗教的オラトリオを高く評価。また、《死の舞踏》に写実的な描写を望む人々に対し、「深淵で繊細な芸術家」とリストを擁護しています3

第2はリストの影響について。交響詩を創設し、ロシアの作曲家たちにも大きな影響を与えたリスト。チャイコフスキーも例外ではありません。交響詩と名付けた作品は残さなかったものの、初期の交響的幻想曲《運命》(1868。友人にリストの交響詩風と批判され、初演後にスコアを破棄。死後、残されたパート譜から作品77として出版)、幻想序曲《ロメオとジュリエット》(初稿:1869)、幻想曲《フランチェスカ・ダ・リミニ》(1876)、《マンフレッド》交響曲(1885)、幻想序曲《ハムレット》(1888)など、ほぼ生涯にわたって標題音楽を書いています。

第3に、彼らの直接の交流について。チャイコフスキーは1874年に、リストのピアノ伴奏付き歌曲《トゥーレの王》をオーケストラ用に編曲。1880年にリストは、チャイコフスキーのオペラ《エフゲニー・オネーギン》第3幕のポロネーズを元に、華やかなピアノ用パラフレーズを作りました。2人が初めて会ったのは、1876年夏の第1回バイロイト音楽祭。リストは1886年に亡くなる前、サイン入りの写真をチャイコフスキーに送っています。

  1. Brown, David, Tchaikovsky Remembered, Faber & Faber, 1993, 66.
  2. 英訳は ‘Tchaikovsky Research: Franz Liszt’(http://wiki.tchaikovsky-research.net/wiki/Main_Page.
  3. 同上。
12. 3月 2014 · (176) 「音楽の悪魔」in《死の舞踏》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

あとひと月あまりに迫った第10回記念定期演奏会は、オール・フランス・プログラム。19世紀後半に作られた3人の作曲家による4曲を演奏します。聖フィルがフランス人の作品を取り上げるのは、これが初めて。今回は、サン=サーンスの交響詩《死の舞踏》について書きます。

毎年、ハロウィーンの日の真夜中に死神が現れ、墓から死者(→骸骨)たちを呼び出してダンスを踊らせるという言い伝えに基づく音楽。もとは、フランスの医師・象徴派の詩人アンリ・カザリス(1840〜1909)の詩を歌詞とした、ピアノ伴奏付き歌曲でした。2年後の1874年、交響詩(正確には音詩)に改訂。夜中の12時の鐘をあらわすハープ、レクイエム(死者のためのミサ曲)で用いられるグレゴリオ聖歌(セクエンツィアという種類)の一部「ディエス・イレ(怒りの日)」の引用(長調に変えられているので、それらしくありませんが)、骨が擦れる音をあらわすシロフォンなど、描写的。踊りの興奮が高まりますが、雄鶏が夜明けを告げると(フランスの鶏の鳴き方、コケコッコーとは微妙に異なります。オーボエに注意!)、みな、あわてて墓に戻っていきます。

死神が弾くフィドルをあらわす独奏ヴァイオリンの不協和音は、ラとミ♭。この減5度(=増4度)音程は、3つの全音から成る「音楽における悪魔 diabolus in musica」でしたね((122)「音楽の悪魔」in《白鳥の湖》参照」。横の動き(旋律)としても縦の響き(和声)としても、古くから使用が避けられてきた音程です。死神をあらわすのにぴったり。

《死の舞踏》ではこの「音楽の悪魔」の音程にスコルダトゥーラが使われることをご存知の方も多いと思います。(楽器の)調子を狂わすという意味のイタリア語 scordare に由来するスコルダトゥーラは、弦楽器を通常と違う音に調弦すること。バロック時代によく使われました。ハインリヒ・ビーバー(1644〜1704)の《ロザリオのソナタ》では、ヴァイオリン・ソナタ15曲と終曲パッサカリアの全16曲のうち、通常のソレラミのチューニングを使用するのは最初と最後の2曲のみ。他の14曲は、ソレラレとかソドソレとか、すべて異なった組み合わせでスコルダトゥーラされます。弾いていて頭が混乱するのは間違いなし。

《死の舞踏》では、1番細い弦(E線)を半音下げるスコルダトゥーラ(ソレラミ♭)。こうするとラとミ♭の減5度が、高い方の開放弦2つの重音で出せるのです。開放弦は、ヴィブラートを(基本的に)使えないなど、指で押さえて出す他の音とは異質の響き(しかも2本分)を作ります。この減5度と一緒に使われるもう1つの和音レとラも、開放弦2つの重音です。不協和音ではありませんが、真ん中の音を欠く空虚5度で、やはり落ち着きが悪い。これらの「普通じゃない」響きが、「普通じゃない」登場人(?!)物を効果的にあらわしています。

15. 1月 2014 · (168) 演奏会用序曲と交響詩 (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

交響詩を作ったのはスメタナ、ボロディン、シベリウスのような国民楽派、サン=サーンスやフランクなどフランスで活躍した作曲家たち、ドイツではリヒャルト・シュトラウス。音楽外の要素と結びついた標題音楽の1分野で、わかりやすいようにタイトル(表題)やプログラム(標題)が付く場合もあります。

1850年ころにこの新しいジャンルを創始したのは、リスト。でも、彼の交響詩のうち《プロメテウス》(1850、1855改訂)や《ハムレット》(1858)は、初め序曲として作曲されました。リストはこの2曲を演奏会用序曲と呼ぼうと、ほとんど決めるところだったそうです1。ですから交響詩は、演奏会用序曲の発展形と言えます。

それでは、演奏会用序曲と交響詩の音楽上の違いは何でしょう? 答えは、ソナタ形式を使うか否か。18世紀、モーツァルトが《フィガロの結婚》などの序曲を作るときに使ったソナタ形式を、19世紀のメンデルスゾーンも使いました。序曲《ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)》では、スケッチに書き留めた((167) 演奏会用序曲と交響詩 (1) 参照)短調の寂しい感じの第1主題と、ふっと日が射したような長調の優しい感じの第2主題が提示され、展開部をはさんで再現されます。

ソナタ形式は型が決まっています((66) 再現部は「ただいま」の気持ちで参照)。この型の中でストーリーを表現するのは、かなり難しいですよね。メンデルスゾーンが序曲の中で描いたのは、海から高く厳しくそびえる洞窟の「雰囲気」でした。

一方、交響詩には型がありません。リヒャルト・シュトラウスは交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》(正確には交響詩ではなく「音詩」)の中で、14世紀に実在した人の、民間伝承されたエピソードを描きました。作曲者によると冒頭部は「むかしむかしあるところに」。続くホルンによるティルの主題は、「いたずら好きの道化がおりまして、その名をティル・オイレンシュピーゲルと申します」。クラリネットによる第2のティルの主題は、「それはとびきりのいたずら者でありました」という口上に相当2。その後も型に押し込められること無く、魔法の長靴で高飛びしたり、牧師に扮して説教を垂れたりするいたずらを音楽で様々に表現しています。

もちろん、ただストーリーを描写しているだけではありません。リヒャルト・シュトラウスは、再現部(的な部分)を入れたり、ティルの主題を変形しながら何度も使うことで、音楽に構築感や統一感を与えています。《レ・プレ》のように、単一楽章の中に多楽章構造を組み込んだ交響詩も少なくありませんでした(((75) 《レ・プレ》とソナタ形式参照))。

このように19世紀後半は、ソナタ形式の枠組みの中で、それを変形・応用しながら序曲を作った作曲家たちと、標題を描くために独創的な形を捜しながら交響詩を書いた作曲家たちが、併存した時代だったのです。

  1. Temperley, Nicholas, “Overture” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 18. Macmillan, 2001, p. 826.
  2. マー、ノーマン・デル。オイレンブルク・スコア、リヒャルト・シュトラウス:交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》解説、杉山洋一訳、全音楽譜出版社、n.d.、ivページ。
08. 1月 2014 · (167) 演奏会用序曲と交響詩 (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

既にコラムで何度か取り上げた交響詩((74) ミステリアス、《レ・プレ》(43) シベリウスと《フィンランディア》)。詩が付いた交響曲ではないこと、みなさんご存知ですよね。それでは、演奏会用序曲って何でしょう? オペラの序曲のように、演奏会の幕開けに演奏される曲? もとは、イタリア風序曲シンフォニーアなどから成立した「交響曲」(赤ちゃん交響曲)が、演奏会の最初に演奏されていました((18)「赤ちゃん交響曲」誕生までなど参照)。が、それと演奏会用序曲は別物です。

演奏会の1曲目に演奏される序曲? 確かにオーケストラのコンサートでは、オープニングの短めの曲として序曲が演奏されることもあります(聖フィルでも、《フィガロの結婚》《エグモント》《オーリドのイフィジェニー》などの序曲を、1曲目に演奏してきました)。でも、オペラなどの序曲だけが演奏会で取り上げられても、それは(ただの)序曲。演奏会用序曲とは呼びません。

正解は、19世紀以降に単独楽章として作曲された、序曲という名称を持つ管弦楽曲。劇作品などの導入曲ではなく、序曲だけで独立した作品です。原型はベートーヴェンの、たとえば序曲《霊名祝日》(1814〜15)。最初のスケッチ(1809)には「あらゆる機会のための――あるいは演奏会のための序曲」と書かれていて、彼が単独の曲を意図していたことがわかります1。皇帝の霊名祝日の祝賀行事用として作曲が進められた時期があったためにこの名で呼ばれますが、結局、霊名祝日のプログラムからはずされました。最終的に、最初に考えたような「あらゆる機会のための序曲」になったと言えます。

ベートーヴェンの11の序曲の中で、オペラや演劇と無関係に成立したのはこれだけですが、音楽的に独立した序曲は他にもあります。《コリオラン》序曲(1807)は、ウィーン宮廷劇場で成功を収めていた、ハインリヒ・フォン・コリン作の舞台劇用序曲として作られました。コリンに献呈したものの、この序曲をつけた舞台上演の記録は残されていないそうです2。また、《献堂式》(1822)序曲は、劇場のこけら落とし公演の祝典劇用に作曲したもの。劇中音楽の多くは同様の機会のために作られた《アテネの廃墟》(1811)からの転用なので、新作の序曲は、独立した曲と言えなくもありません。

演奏会用序曲の原型がベートーヴェンなら、典型はメンデルスゾーン。たとえば《ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)》(1830)は、オペラや演劇と関係の無い、序曲だけの音楽です。彼は、スコットランド旅行中ヘブリディーズ諸島に魅了され、「心に浮かんだものを書き留め」ました(譜例1)。序曲冒頭は、拍子以外ほぼスケッチそのまま。寄せては返す波のような、もの悲しい第1主題になっていますね。

譜例1:

譜例1:メンデルスゾーン《ヘブリディーズ諸島》のスケッチ前半、1829年8月7日

《静かな海と楽しい航海》(1830)はゲーテの同名の本からインスピレーションを得たもの。また、《夏の夜の夢(真夏の夜の夢)》の序曲(1826年)も、シェイクスピアの独語訳を読んだ17歳のメンデルスゾーンが、単独で作った演奏会用序曲でした(初めはピアノ連弾用。有名な結婚行進曲などの劇付随音楽を作曲したのは、16年後の1942年)。

以前から、オペラの序曲が本体と切り離されて、コンサート・ピースとして演奏されていました。ヘンデル、モーツァルト、ケルビーニらのオペラ本体が忘れられた後も、序曲は残りましたし、モーツァルトは《ドン・ジョヴァンニ》序曲の演奏会用エンディングを作っています。19世紀に演奏会用序曲というジャンルが成立するのは、ごく自然な流れだったのでしょう。

しかし、1850年代に交響詩が生まれると衰退に向かいます。前回ご紹介したショスタコーヴィチの《祝典序曲》は、20世紀に作られた(かなり稀な)例の1つ((166) おめでたい (!?) 音楽参照)。ソナタ形式による長過ぎない単一楽章の管絃楽曲という伝統が、受け継がれています。

  1. 大久保一「序曲《霊名祝日》ハ長調 Op. 115」『ベートーヴェン事典』東京書籍、1999、121。
  2. 平野昭「悲劇《コリオラン》序曲 Op. 62」前掲書、492。
27. 3月 2012 · (74) ミステリアス、《レ・プレ》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

今回の演奏会は、少し不思議な雰囲気の曲、リストの交響詩《ラマルティーヌの『詩的瞑想』によるレ・プレリュード》で始まります。作曲者がちょっと(結構??)変わった人だったことは、(67)ミステリアス、リストでご紹介しました。今回は、作品がちょっと(結構??)変わっていることについて書きます。

まず、タイトル。交響詩とは、リストが創始したオーケストラ音楽の新しいジャンル。交響曲と違い、1楽章構成が普通です。風景や物語、絵画など、音楽以外のものと深く関連した標題音楽の一分野で、作者の意図を示す標題(プログラム)が添えられることもあります。

プレリュード、すなわち前奏曲は、バッハの「前奏曲とフーガ」やヴァーグナーの「第1幕への前奏曲」のように、何かの曲の前に置かれる音楽。ところがこの《レ・プレ》には、後に続く曲はありません。しかも、その前には、フランス語の単数の定冠詞「ル」ではなく、複数の定冠詞「レ」がついています。交響詩《前奏曲たち》ってどういうこと??

出版スコアには「わたしたちの人生は、死が最初の厳かな音を歌い始めるというその未知なる歌への、一連の前奏曲以外の何物であろうか」と始まる、フランス語の序文が印刷されています。これが、《レ・プレ》の標題。持って回った言い方ですが、「人は、生まれた瞬間から死へ向かって進んでいるから、生とは、死に至る過程における(様々な)前奏曲に他ならない」ということ。人生を描いた音楽とも考えられます(序文と音楽の関係については、(75) 《レ・プレ》とソナタ形式をお読みください)。

曲は、弦楽器によるドの音のピッツィカートで始まります。弱音で、譜例1を見るとわかるように、4拍子の3拍目。小節の前半には、音がありません。それを2回繰り返した後、同じドからユニゾンで、そろそろと動き出します。これも2拍目から。

譜例1:リスト作曲交響詩《レ・プレリュード》冒頭部分

譜例1:リスト作曲交響詩《レ・プレリュード》冒頭部分

この旋律から浮かび上がるのは、ラドミソの響き。ドミソならばハ長調の主和音として落ち着くのに、付加音ラによって、どこへ向かうのかあいまいです。実際に響く最初の和音は、6小節目のラドミで、これも2拍目からです。8小節目でようやく、1拍目にミソシの和音が鳴り、次の小節でラド♯ミに達して一区切り。フェルマータ付き休符の後、レのピッツィカートからほぼ同じ動きが、長2度上で繰り返されます。その後も、休みやタイによって拍節感がうまくかわされたまま、不安定な響き(減七の和音と言います)が続きます。属七の和音ソシレファが響くのが29小節目。主調ハ長調の主和音ドミソが登場するのは、35小節目のアレグロ・マエストーソです。

古典派の音楽とは異なり、ロマン派の音楽は主和音で始まるとは限りません(むしろ、主和音で始めるのはダサイそうです1)。でも、拍節や響きの方向性をあいまいにしたまま、ここまでひっぱるのはなかなか新鮮。時代を先取りしたリストならではです。

この冒頭は、人生の始まりである誕生を描いているのでしょうか。ここの新奇さが、《レ・プレ》を異質に感じさせる大きな要因のひとつ。でも、この不安定で神秘的な開始のおかげで、ようやく確立したハ長調の主調がいかにも頼もしく、マエストーソ(荘厳な)の主題が際立って印象的に聴こえますね。

  1. 分析を含め、作曲がご専門のhus-RyISKWさんのコメントに感謝します。
24. 8月 2011 · (43) シベリウスと《フィンランディア》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

フィンランドを代表する作曲家シベリウス(1865〜1957)は、父方、母方双方にスウェーデン人の血が混ざっていて、エリート層の言語でもあったスウェーデン語で育ちました1。しかし、1890年から1年間のウィーン留学中にフィンランド語の文化に傾倒し始め、後に、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』を題材に、数々の作品を生み出すことになります。

12世紀以来のスウェーデン統治から離れ、1809年からロシア帝国の支配下に置かれたフィンランド。スカンディナヴィア半島の根元に位置するこの国は、超大国ロシアと地続きです。皇帝ニコライ2世は1899年に2月宣言を発布し、自治権を剥奪。言論や集会が制限され、フィンランド最大の新聞が休刊に追い込まれます。表現の自由を奪われたジャーナリストたちは、同年11月に『歴史的情景』という愛国的な舞台劇の上演を企画。シベリウスはその音楽を担当しました。

翌1900年、パリ万博でのヘルシンキ・フィル公演が決定。このヨーロッパ遠征公演用に既作の改訂を進めていたシベリウスに、匿名の手紙が届きます2。公演を飾る序曲のような音楽を作り、「それに『フィンランディア』という名前を付けるべきだ」という内容でした。『フィンランディア』とは、「フィンランドを賞賛する」という意味です3

シベリウスは新しい曲を作らずに、『歴史的情景』の付随音楽の最終曲《フィンランドは目覚める》を、交響詩に改作します。曲が象徴する内容と、この挑発的なタイトルが結び付いたのでしょうか。ただ、ロシア当局の厳しい検閲のため、初演(遠征の壮行会)ではフィン語でフィンランドを指す《スオミ》、遠征先ではさらに無難な《祖国》というタイトルにせざるを得ませんでした。《フィンランディア》の名は、1901年2月10日のヘルシンキ・フィル演奏会で使われ、定着したそうです4

支配国ロシアの圧力と、それにさらされるフィンランドの絶望を表すような、金管楽器による重苦しく威圧的な音楽で始まる《フィンランディア》。長調に変わると、勇壮で伸びやかな勝利の歌が何度も繰り返され、さらにその後、喜びを静かに噛みしめるような「賛歌」の旋律が、木管楽器により浮かび上がります5。この「賛歌」の冒頭を金管楽器が高らかに歌い上げて、曲が閉じられます6

心に留めておいていただきたいのは、この曲が作られた時点ではまだ、フィンランドは独立国家ではなかったという事実です。フィンランドが独立したのは、ロシア革命により帝政が倒れた1917年のことでした。《フィンランディア》は、ロシアの支配に従うことを余儀なくされていた国民に、フィンランドの誇りを訴え、士気を鼓舞し、輝かしい勝利のイメージを与え続けたのです。

  1. Hepokoski, James, “Sibelius” in The Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 23 (Macmillan, 2001), p. 319.
  2. 神部智『シベリウス:交響詩《フィンランディア》ミニチュア・スコア解説』(音楽之友社、2010)、p. vii。
  3. 同書、p. iii。
  4. 同上。
  5. 後に合唱曲《フィンランディア賛歌》に改編されるこの旋律は、同じフィンランドの作曲家エミール・ゲネッツの合唱曲《目覚めよ、フィンランド》(1882)に影響されたと考えられます。Hepokoski, p. 328.
  6. この現行版まで、シベリウスはコーダを2度改訂しています。