16. 9月 2015 · (252) 第1楽章第1主題 in パッサカリア ブラ4の秘密2 はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

バロック時代の古めかしい変奏形式パッサカリアで作られた、ブラームスの交響曲第4番終楽章。でもこの楽章、ソナタ形式とも考えられるのでしたね((251) ただのパッサカリアではない!参照)。終楽章には、実は同じ交響曲の第1楽章第1主題が登場します。ただし、すぐにわかる形で引用されているわけではありません。変形されています。

「3度下がって6度上がる」で始まる、第1楽章第1主題。ヴァイオリンのオクターヴ・ユニゾンが、切なく響きます。冒頭4小節の中の、上行した音(2小節目のドなど)をオクターヴ下の同じ音に入れ替えると……。シ−ソ−ミ−ド−ラ−ファ♯−レ♯(−シ)と、3度下降が連続する形になります(同じリズムで同じように演奏されても、これでは切なさはあまり感じられませんね)。

終楽章パッサカリアに出て来る第1楽章第1主題は、「下がって上がる」切ない旋律ではなく、3度下降の変形バージョン。そう、最後の2つの変奏です。第29変奏では弦楽器がピッツィカートの後打ちで(譜例1参照)、第30変奏ではチェロと1拍遅れのヴァイオリンが、ミ−ド−ラ−ファ♯−レ♯−シ−ソ−ミ−ド−ラ−ファ♯−レ♯ の3度下降型を弾いています。交響曲の1番初めに聴いた旋律が、最後の最後(コーダの前ですが)に回帰。しかも、わかる人にだけわかる形で。「構築型」ブラームス、お見事!

譜例1:ブラームス作曲 交響曲第4番 終楽章 229〜36小節

譜例1:ブラームス作曲 交響曲第4番 終楽章 230〜36小節

ところで、第1楽章冒頭4小節の3度下降形 シ−ソ−ミ−ド−ラ−ファ♯−レ♯(譜例2b)、順番を入れ替えてみてください。ホ短調の音階になります(譜例2c)。つまりこの第1主題、主調の音階の7つの音をすべて1回ずつ使って構成されているのです。「和声的短音階のすべての音を重複することなく使いきる……これはシェーンベルクが提唱した『12音技法』に、あと一歩のところまで近づいている」1

うーん、十二音技法まではまだちょっと遠い気もしますが((97) ドレミが平等社会だったら:十二音技法参照)、ブラームスが意図的に作ったことは確か。「良い旋律を思いついたら、それが偶然、音階の7音を1回ずつ使っていた」なんて、有り得ません。その後(5〜8小節)、同じ音のオクターヴ跳躍をはさみながらミ−ソ−シ−レ−ファ−ラ−ドと進みます。3度進行の上行型ですから、1〜4小節の下降型と対。さらに!!  こちらは入れ替えると、レもファも ♯ 無しのミ−ファ−ソ−ラ−シ−ド−レ−ミ。これは、第2楽章冒頭で使われるフリギア旋法ですね(第3楽章のハ長調の7音全てを1回ずつ使ったと考えることもできますが、ミから始まっています。2015/09/23 追記)。交響曲が始まったばかりのところで、さりげなく予示。ブラームスって本当に「構築型」の作曲家です。

譜例2:同第1楽章第1主題とその変形

譜例2:同第1楽章第1主題とその変形

  1. 三宅幸夫『Brahms: Symphonie Nr.4 ミニチュア・スコア解説』音楽之友社、2004、viiページ。譜例2も同ページ。
09. 9月 2015 · (251) ただのパッサカリアではない! ブラ4の秘密 はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

第13回定期演奏会まで、1ヶ月足らず。今回のメイン・プログラムは、ブラームスの交響曲第4番(1884〜85年作曲)。彼のような構築型の作曲家の作品は、演奏するのも分析するのも楽しいものです。

この交響曲終楽章の出発点である J. S. バッハのカンタータは、既に(221) パッサカリアについてでご紹介しました(これを書いたときは、まさかすぐにこの曲を演奏できるとは思いませんでした〜)。ブラームスはバッハ(とは限りませんが)のバス旋律を19世紀風に変形しつつ、8小節パターンを堅持。パターンが崩れるのは、最後の第30変奏だけです(4小節拡大されて、Più Allegro のコーダに突入)。

この曲が面白いのは、これだけ律儀にパッサカリアの形を守りながら、実はソナタ形式の枠組みを取り入れているところ。主題と30の変奏は、提示部・展開部・再現部に分けられます。と書くと、ゆっくりした長調部分からテンポが戻り、短調のパッサカリア主題が再登場する第16変奏(129小節)が再現部!と思う方が多いと思います(ミ−ファ♯−ソ−ラと上がって行く主題に、ラ−ソ−ファ♯と下りてくる対旋律が加わるところ、ゾクゾクしますね!)。でも、これはひっかけ。同じ形ですが、ここは展開部の開始部分です。

じゃあ再現部はどこから? それは第24変奏(193小節)。展開部の開始のように区切りがはっきりわからない??! そんなことはありませんよ。前の小節の3拍目は、全ての楽器が休むゲネラル・パウゼ。展開部ではずーっと、何かしら音が鳴っていました。完全な空白はこのs1拍だけです。

それに、毎回異なる変奏のように聴こえますが、ここではちゃんと提示部が再現されていますよ。わかりやすいのは、第25変奏のオーボエとヴァイオリン(とファゴット)。mpff に変わっているものの、第2変奏の木管メロディーの再現です(譜例1左ページ参照)。第26変奏のホルンも、第3変奏の木管の再現(でスタッカート→ でレガート。譜例1右ページ参照。E管なので実音はミ−レ♯−ミ−ファ♯ー)。第24変奏でも第1変奏のホルンのリズムなどが再現されていますし、第27、28変奏の低音のオクターヴ跳躍は第4変奏の低音と関係していますね。第1変奏に先立つ主題は第23変奏に反映されていますが、これだけ先走って(??)展開部に食い込んでいるのも芸が細かいところ。区分をあいまいにするのもロマン派風なのです。

というわけで、この終楽章は第2主題の再現を欠くソナタ形式とみなすことが可能。バロック時代の変奏形式パッサカリアの形で作曲しつつ、古典派時代(以降)に使われたソナタ形式にも嵌め込んで、二重の意味を持たせているのです。構築型の作曲家ブラームスならではの終楽章! さらに……(つづく)。

譜例1:ブラームス作曲交響曲第4番終楽章(200〜14小節)

譜例1:ブラームス作曲 交響曲第4番 終楽章(200〜14小節)

21. 1月 2015 · (221) パッサカリアについて:バッハとブラームス はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

パッサカリアと言われると、ブラームスの交響曲第4番を思い浮べるオケ奏者やオケ・ファンの方が多いと思います。CD解説などに、この曲の第4楽章がシャコンヌまたはパッサカリアの形で作られていると、書いてありますよね。どういうことか、ご存知ですか。

ブラームスは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのカンタータ150番《主よ、わが魂は汝を求め Nach dir, Herr, verlanget mich》第7曲〈わたしの苦難の日々を Meine Tage in dem Leide〉の低音旋律をモデルにしました。この曲はチャッコーナ。イタリア語でシャコンヌのことです。シャコンヌは、3拍子の緩やかなテンポの舞曲。低音旋律に基づく変奏曲で、バロック時代にはパッサカリアとほぼ同義に使われました 1

ロ短調の主音シから順番に5度上行しオクターヴ下がる、シ−シ−ド♯−ド♯−レ−レ−ミ−ファ♯−ファ♯。低声部はこの4小節パターンを何度も繰り返しながら、ニ長調、嬰ヘ短調、イ長調、ホ長調に転調します。ロ短調に戻り、最後はミ−ファ♯−ファ♯の後に主音シが続いて終了。このしつこく繰り返される低音、バッソ・オスティナート(イタリア語で「がんこな低音」の意)の上で、旋律や和声、リズムが変わっていきます。

ブラームスはこの低音旋律の最後に主音を付け加えて、1回毎に完結する形にしました。さらに、ロマン派的にアレンジ。オクターヴ跳躍の前に1音加えてラ−ラ♯−シの半音進行に。この8音1フレーズを、バスだけではなく旋律や和音の中で繰り返します。変奏主題として最初に上声で提示されるときも、主和音で始まらないなど19世紀的。メロディーやハーモニー、リズムやオーケストレーション、時にはテンポも変わっていきますが、8小節パターンを律儀に繰り返すのはバッハのチャッコーナと同じです。

バッハの音源をあげます2。バッソ・オスティナートが何回繰り返されるか、数えてみてください。嬰ヘ短調に転調するあたりで急にメロディーが半音下がり、違和感をおぼえる部分があります(0:56くらい)。歌詞「茨(いばら)」の不快さを、音楽で表現しているのです。その前のニ長調部分で、細かく動くたくさん音をひとつのシラブルで歌う(0:33くらいから)部分は、歌詞「喜び」のうれしさの表現でしょう。バッハは、歌詞の言葉と音楽を密接に結びつけて作曲しています。ロ短調よりもピッチが高いのは、彼らがコーアトーンを使っているということですね((104) a’=440になるまで(1):コーアトーン参照)。

  1. 金沢正剛「パッサカリア」『音楽大事典4』音楽之友社、1982、1863−64。
  2. 歌詞:わたしの苦難の日々を神は喜びに変えて終わらせてくださる、茨の道を歩むキリストの者たちを天の御力と祝福が導かれる。神がわたしの真の守りであられるかぎり、人に逆らわれることなど気にしない。キリストはわれらをかたわらで支えられ、日々、わたしの戦いの勝利を助けられる。
03. 12月 2014 · (214) 「イタリア」ではなかった!! メンデルスゾーンの「イタリア」 はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

メンデルスゾーンの交響曲第4番イ長調「イタリア」はいかにも南国的だし、恵まれた環境で早くから才能を発揮したメンデルスゾーンのイメージにも重なります。でもご本人は、演奏・出版には改訂が必要と考えていました((213) こんなはずではなかった?!参照)。もしも改訂が実現していれば、特に第1楽章は大幅に変更されるはずだったなんて、ちょっと(かなり?!)ショック! もうひとつ驚いたのは、作曲者が「イタリア」と名付けたのではなかったこと!

メンデルスゾーンが、1830年11月1日から翌年4月10日まで滞在したローマで、この曲を着想・作曲したことは皆さんもご存じでしょう。当時、彼は家族への手紙の中で、この曲を「イタリア交響曲」と呼んでいました1。でもその後、身内に対してもこの呼び名を使わなくなります。1833年5月3日ロンドンでの初演では「交響曲イ長調」、1851年の出版では「交響曲第4番イ長調作品90」だけです。

1829年のスコットランド旅行中に着想を得た交響曲も、同様でした。同年7月30日付けの家族への手紙に「私のスコットランド交響曲の始まりを見つけました」2と書き、イタリア旅行中もそう呼んでいたのですが……。やがてこの名を使わなくなり、1842年3月3日の初演では「交響曲イ短調」、翌年の初版では「交響曲第3番イ短調作品56」のみ。こちらは上記第4番とは異なり生前出版ですから、改訂を終え、作曲者本人が納得した形での出版。彼が自分で、「スコットランド」無しと決めたのです。

作曲者本人は公の場では決して用いず、演奏・出版の際も伏せていたにもかかわらず、「イタリア」「スコットランド」と呼ばれるようになった理由は? メンデルスゾーンの没後、彼の友人たちが旅行と作品を結びつけて語り出しました。たとえば、ベネディクトによるメンデルスゾーンの伝記(1850年)。「イタリア」交響曲はイタリア旅行中の体験から生まれたもので、「イタリアの印象の完璧な縮図」3。さらに、1861年にメンデルスゾーンの『旅行書簡集』が出版され、彼が旅行中、イ短調交響曲を「スコットランド」、イ長調交響曲を「イタリア」と呼んでいたことが明らかに。1875年の旧全集には含まれていなかったこれらのニックネームが、1882年の主題目録に明記されることになります。

出版などの関わりがあるから一時期「ロンドン」と呼ばれたドヴォルジャークの8番((208) 《イギリスと呼んでいたのは日本だけ??参照)とは異なり、メンデルスゾーンのイ長調交響曲は、イタリア旅行中の体験が作曲や構想の明確な出発点。また、この呼び名のおかげで、親しみやすく理解しやすい作品と捉えられています。「イタリア」のニックネームは、この交響曲に無くてはならないもの。ただ、こう呼ぶのは作曲者の意図に反することを、覚えておいてくださいね。メンデルスゾーンは、作曲する際の自分のアイディアを言葉で表現することはできないし、それが可能であったとしても他人に伝えたくない、なぜなら、誤解を引き起こすことはあっても、理解の助けにはならないからと考えていたそうです4

  1. 1831年2月22日付けの手紙。星野宏美『メンデルスゾーンのスコットランド交響曲』音楽之友社、2003、112。
  2. 前掲書、74。
  3. 前掲書、452-53。
  4. 彼の無言歌に関するコメント。前掲書、457。
26. 11月 2014 · (213) こんなはずではなかった?! メンデルスゾーンの「イタリア」 はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

さんさんと降り注ぐ日の光や、開放的で陽気な南国の雰囲気。メンデルスゾーンの交響曲第4番イ長調のオープニングは、いかにも「イタリア的」。彼の代表作ですね。ロンドンのフィルハーモニー協会の委嘱作として1833年5月に初演。作曲者の没後(1851年)、この初演稿が出版されて現在も使われています。でもこの通称「イタリア」交響曲、作曲者の意図は少々(かなり?!)異なっていたようです。

メンデルスゾーン自身の指揮で行われた初演は大成功でしたが、4ヶ月後には彼はこの「イタリア」交響曲に手を加えると言及しています1。翌年、ロンドンから再演の知らせが届きました。彼は訪ねて来た友人に見せるため、記憶を頼りに(初演に使った自筆スコアは、フィルハーモニー協会に置いて来ました)楽譜を書き起こし始めます。1834年6月26日付けの手紙には:

私は私のイ長調交響曲からいくらかを彼に示すことができたらと思い、今それが手元にないので、アンダンテ[第2楽章]を再び書き起こし始めた。すると、すぐに多くの誤植が生じ、私は面白くなった。そこで、メヌエット[第3楽章]とフィナーレ[第4楽章]をも書き起こした。その際、多くの箇所に改良がどうしても必要だった。(中略)

第1楽章だけは今回、書き起こさなかった。というのも、いったん手を付け始めたら、第4小節以降主題全体を変更することとなり、それに伴って、第1楽章全体を大きく変更せざるを得なくなると恐れるからだ。それには今、時間がない。僕には、第4小節[第5小節の勘違い]のドミナントがどうも不快だ。これはゼプティーヌ(a、g)でなければならないと思うのだ2

この作業の中で、彼は第2〜4楽章の多くの箇所を変更(=「誤植」)および改良したわけですが、第1楽章には手をつけませんでした。初演稿では、主和音(ラド♯ミ)4小節の後、属7の和音(ミソ♯シレ)が続きます。手紙に書かれた「ラとソが入った7の和音」なら、ラド♯ミソ。この和音では、ミーレシという現在のメロディーが合わないのみならず、次にニ長調へ向かうことになりますから、和声が変わり、全く異なる旋律が必要になるのです。

翌年2月16日付けの、第1楽章の改訂に手こずっているという手紙にも、「全く異なるものになる」ことは確かで、おそらく「全く新しいもの」になると書いています3。しかし、この第1楽章の改訂作業は途中で放棄され、何の資料も残っていません。メンデルスゾーンの生前、ロンドン以外でこの曲が演奏されることはありませんでしたし、彼は楽譜の出版も許可しませんでした4

イタリアのイメージ、メンデルスゾーンのイメージにぴったりはまるイ長調交響曲ですが、もしも第1楽章の改訂が完了していたら、大きく異なる音楽になっていたはず。この曲を楽しむときは、作曲家本人が初演稿に満足していなかったことを、(ほんのちょっとだけでも)思い出してください。

  1. 星野宏美『メンデルスゾーンのスコットランド交響曲』音楽之友社、2003、136。
  2. デュッセルドルフのメンデルスゾーンから、ロンドンのモシュレス夫妻に宛てた手紙より。前掲書、173。
  3. 前掲書、137-38。
  4. Mercer-Taylor, Peter, The Life of Mendelssohn. Cambridge University Press, 2000, 116-7.
29. 10月 2014 · (209) ドヴォルジャークとイギリス はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

自作の交響曲の1つが《イギリス》として知られていたドヴォルジャーク((208)《イギリス》と呼んでいたのは日本だけ??参照)。彼にとってイギリスは特別な国になります。1841年生まれのドヴォルジャークが初めてイギリスを訪れたのは、1884年3月。ロンドンのフィルハーモニー協会から、自作を指揮するよう招かれたのです。ロンドンでは既に1879年にスラヴ舞曲集、1880年にスラヴ狂詩曲や弦楽六重奏曲、1882年に交響曲第6番、1883年に《スターバト・マーテル》が演奏され、彼の名は知られていました。イギリス音楽界はドヴォルジャークの訪英を最重要イヴェントと位置づけ、「当代の音楽ヒーロー」を熱烈大歓迎。指揮した演奏会は:

  1. 3月13日(アルバート・ホール):《スターバト・マーテル》
  2. 3月20日(セント・ジェイムス・ホール):序曲《フス教徒》、第6交響曲、スラヴ狂詩曲
  3. 3月22日(クリスタル・パレス):スケルツォ・カプリチオーソ、夜想曲ロ長調

フィルハーモニー協会により名誉会員に推挙されて、新作交響曲を約束。また、翌1885年のバーミンガム音楽祭と翌々年1886年のリーズ音楽祭のための合唱作品も期待されたドヴォルジャーク。この後さらに8回もイギリスを訪れ、いずれも暖かく迎えられました。

  1. 1884年11月:《スターバト・マーテル》(ウースター)
  2. 1885年4月:交響曲第7番 初演(ロンドン)
  3. 同年8月:カンタータ《幽霊の花嫁》イギリス初演(バーミンガム)
  4. 1886年10月:オラトリオ《聖ルドミラ》初演(リーズ)
  5. 1890年4月:交響曲第8番 イギリス初演(ロンドン)
  6. 1891年7月:ケンブリッジ大学名誉博士号を受ける(ケンブリッジ)
  7. 同年10月:レクイエム初演(バーミンガム)
  8. 1896年3月:チェロ協奏曲 初演(ロンドン)

ドヴォルジャークのイギリスでの大成功は、実は大きな意味を持っています。彼の祖国チェコは、当時ハプスブルク帝国の一部。ナショナリズムの高まりとともに、1880年代には政治的な緊張が歌劇場やコンサート・ホールにまで影響しました。ウィーンでは、チェコの作曲家の作品を重要視するのは賢明ではないと考えられたのです1。1880年末に行われるはずだった彼の交響曲第6番のウィーン初演はキャンセルされ、その後も何度か延期。1888年2月、ウィーンでの《スターバト・マーテル》演奏会も、(既にたとえばロンドンで高く評価されていたにもかかわらず)「反チェコ感情」の犠牲に。

しかし、大陸の政治的いざこざから遠く離れたイギリスでは、ドヴォルジャークの作品は純粋に音楽的に、正当に評価されました。またドヴォルジャークもイギリスで委嘱された作品では、(ドイツやオーストリアで持たれるような偏見を心配せずに)チェコの主題を取り上げることができました。《幽霊の花嫁》はチェコのおとぎ話、《聖ルドミラ》はチェコの伝説が題材。交響曲第7番も、序曲《フス教徒》と関連する動機が使われる、愛国的な内容を暗示させる作品です。イギリスにおける成功は、ドヴォルジャークの国際的な名声を高めました。そして彼の音楽を、チェコ国民楽派のレパートリーに留まらない普遍的な存在としたのです。

  1. Doge, Klaus, ‘Dvořák, Antonín,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 7, Macmillan, 2001, pp. 780-81.
22. 10月 2014 · (208) 《イギリス》と呼んでいたのは日本だけ?? はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

第1回聖フィル♥コラム《運命》と呼ぶのは日本だけ!? で書いた「まあ、そこで出版されたというだけで、一時期『イギリス』と呼ばれていた交響曲があったくらいですからね……」。オケ・ファンなら、ドヴォルジャークの交響曲第8番!とピンと来ると思います。この交響曲は1892年に、ロンドンのノヴェッロ社から(第8番ではなく)交響曲第4番として出版されました。

それまでドヴォルジャークの作品を出版していたのは、ベルリンのジムロック。ブラームスの紹介(推薦)による《モラヴィア二重唱曲集》と、委嘱による新作《スラヴ舞曲集》を1878に出版。これらが評判を呼び、ドヴォルジャークは一躍脚光を浴びることになります。それ以来の縁がきしみ出したのは、1884年初め1。第7番交響曲の出版の際にジムロックが提示した3,000マルクは、彼がブラームスの交響曲に支払った額のちょうど1/5、ドヴォルジャークが希望した額の1/2に過ぎませんでした2。このとき(1885)は、ドヴォルジャークの額をジムロックが受け入れ、ドヴォルジャークは《スラヴ舞曲集第2集》を作ることで折り合いがついたのですが……。1890年に、前年から依頼されていたプラハ音楽院の作曲と管弦楽法の教授職を引き受けたのは、第8番交響曲の出版料に関してジムロックと決裂したことが、理由のひとつと考えられます。

イギリス的な性格やイギリス音楽の特徴を持っているわけでもなく、イギリスの団体に委嘱されたわけでもない「イギリス」交響曲。このニックネームは、どれくらい一般的? 私が持っている国内版CD3枚のうち2枚には、ジャケットや裏の曲目リスト、帯などに「イギリス」の表記が入っています。また、外には書かれていない1枚を含む3種類全ての解説の中に、イギリスで出版されたから「イギリス」と呼ばれる(た)こともあると記されています。一方、輸入版2枚には、外側にも内側(解説)にもニックネームは書かれていません。Wikipediaでも、英語版にはノヴェッロから出版されたと書いてあるだけ。New Grove 音楽事典第2版も同様。もしかして「イギリス」と呼んでいたのは日本だけ??

いえいえ、ネットで検索してみたらいろいろ出て来ました。イギリスのアマ・オケの曲目解説に「サブタイトル “The English”」と書いてあったということは、本家のイギリスでも使われていたということ。他にも、ニュージーランド人が書いた曲目解説に「しばらくは “English” として知られていた」、ロサンジェルス・フィルの解説に「かつて the “English” Symphony と呼ばれた」、ドイツ語版Wikipediaに「Die Englische」などなど。「イギリス」は日本だけではなく、各国で使われたニックネームだったのですね。

  1. Doge, Klaus, ‘Dvořák, Antonín,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 7, Macmillan, 2001, p. 781.
  2. 前掲書, p. 782.
15. 10月 2014 · (207) 6/8拍子で始まる交響曲 はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

そもそもの発端は、田部井先生の「ブラームスの拍子の選択は変わっている」というご指摘でした。ブラームスのヴァイオリン協奏曲のように3拍子で始まる曲を調べて((199) 3拍子で始まる協奏曲)気づいたのが、6/8拍子の協奏曲の少なさ。(199) 註3に書いたように、名曲解説全集9 協奏曲 II(音楽之友社)に収められたC. シュターミツからヴォーン=ウィリアムズまでの113の協奏曲中、6/8拍子で始まるのは1曲だけ。その6/8拍子を、ブラームスは最初の交響曲の第1楽章に使いました。これはどれくらい「変わっている」のでしょう。

交響曲の拍子は古典派でも、協奏曲のように4拍子が圧倒的というわけではありません。たとえばベートーヴェン。9つの交響曲の冒頭部(序奏の有無にかかわらず)の拍子は:

4/4:第1番(以下数字のみ)、7
3/4:2、3、8
2/4:5、6、9
2/2:4

ハイドンは3拍子で始まる曲が多く、モーツァルトは4拍子が多いものの、3拍子2拍子も。

でも協奏曲と同様、6/8拍子で始まる曲はほとんどありません。1876年完成のブラームス第1番より前に6/8拍子で作られた交響曲は、メンデルスゾーンの4番(《イタリア》1833)とドヴォルザークの3番(1873)くらい。これより後も、サン=サーンスの3番《オルガン付き》(1886)やドヴォルザークの7番(1885)など、稀。ハイドンの94番《驚愕》、101番《時計》、103番《太鼓連打》、ベートーヴェンの7番などソナタ形式の主部が6/8の曲はありますが、違う拍子の序奏で始まります。

理由は明らか。(199) に書いたように、3/8、6/8、9/8などは終楽章で使われる拍子だったからでしょう。交響曲の最大のルーツ、シンフォニーア(イタリア風序曲)において急―緩―急の2つ目の急の部分は、速いメヌエットやジーグのような舞曲風に作られました1。つまり、3/8や6/8拍子だったということ。「赤ちゃん交響曲」が成長しても、この伝統が受け継がれたのですね。各楽章がなるべく多様な方が(聴くのも演奏するのも)良いですから、終楽章に使うべき拍子や性格を第1楽章に避けるのは、当然。

6/8で交響曲を書き始めたブラームス、確かにかなり「変わって」います。完成までに20年以上かかった曲ですから、偶然、レアな拍子を選んで作っちゃったわけでは無いでしょう。しかも、メンデルスゾーンの第4番第1楽章は舞曲的(終楽章は本物の舞曲)ですが、ブラームスの第1番第1楽章は、序奏も主部も6/8拍子ながら舞曲とは似ても似つかないシリアスな音楽です。今までほとんど使われなかった拍子を意識的に選び、伝統的な(舞曲風ではない)交響曲第1楽章を書いたブラームス。交響曲の遺産を受け継ぎ、それ(特にベートーヴェンの9曲)を越える曲を作ろうという彼の意気込みが、拍子からも静かに伝わって来るようです。

  1. Fisher, Stephen C., ‘Italian Overture,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 12, Macmillan, 2001, 637.
08. 10月 2014 · (206) ワルツの世紀 はコメントを受け付けていません · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

台風接近による暴風雨と京浜東北線の乱れにもかかわらず、聖フィル第11回定期演奏会にいらしてくださった皆さま、どうもありがとうございました。田部井剛先生の指揮、梅津美葉さんのしなやかで情熱的なヴァイオリン、楽しんでいただけましたでしょうか。コラム恒例アンコール解説シリーズは、(練習中に飛んで来た田部井先生のご質問への回答も兼ねて)ワルツについて。

(129) ワルツとチャイコフスキーに既に書いたように、今回のアンコール《眠りの森の美女》第1幕のワルツだけではなく、チャイコフスキーは三大バレエ全てに優美なワルツを書いています。オペラ《エウゲニー・オネーギン》第2幕冒頭、タチアーナの命名日を祝う舞踏会シーンのワルツも有名。チャイコフスキーって、ワルツのスペシャリスト??

1814〜15年のウィーン会議によって、ヨーロッパ中に広まったワルツ。ウィンナ・ワルツ(ランナー、ヨハン・シュトラウス父子が大成)に代表される舞踏会用ワルツは、オペレッタにも取り入れられ、ウィーン以外でも「肩の凝らない」クラシックの重要なレパートリーに。《ドナウ川のさざなみ》(イヴァノヴィチ)、《スケーターズ・ワルツ》(ヴァルトトイフェル)、《金と銀》(レハール)など、ご存知でしょう。

バレエではチャイコフスキー以外に、ドリーブ《コッペリア》や《シルヴィア》。オペラではグノー《ファウスト》の〈ファウストのワルツ〉、ヴェルディ《ラ・トラヴィアータ》の〈乾杯の歌〉、プッチーニ《ラ・ボエーム》の〈ムゼッタのワルツ〉、リヒャルト・シュトラウス《サロメ》の〈7枚のヴェールの踊り〉、《バラの騎士》の〈オックス男爵のワルツ〉などが浮かびます。

実用ではない芸術音楽としてのワルツと言えばショパンのピアノ用ワルツですが、シューベルトはそれより前に、演奏会用ワルツをたくさん作りました。ヴェーバーの《舞踏への招待》の「序奏+いくつのワルツ+コーダ」という形は、後にウィンナ・ワルツの定型に。リストは《メフィスト・ワルツ》が有名。4手用ワルツ集を出版したのは、ヨハン・シュトラウスと親しかったブラームス((58) ヨハン・シュトラウス(2世)とブラームス参照)。彼は、4重唱曲集《愛の歌》《新・愛の歌》を、全て(それぞれ18曲と15曲)ワルツで作曲しているそうです。

オーケストラ曲では、ベルリオーズの《幻想交響曲》第2楽章〈舞踏会〉、前回の定演で演奏したサン=サーンスの《死の舞踏》、シベリウスの〈悲しいワルツ〉(オペラ《クオレマ》から演奏会用に編曲)、ラヴェルの《高雅で感傷的なワルツ》や《ラ・ヴァルス》。19世紀から20世紀初めにかけて活躍した作曲家のほとんどが、オーケストラや器楽のためのワルツを手がけています。

でも、絶対音楽である交響曲や室内楽にワルツを取り入れたのは、チャイコフスキーくらい。今回のメイン、交響曲第5番第3楽章や、弦楽のためのセレナード第2楽章がそれ(《幻想交響曲》は標題音楽。絶対音楽ではありません。(173) 《幻想交響曲》の奇妙さ参照)。メヌエットやスケルツォと同様に3拍子とはいえ、完全に意表を突く組み合わせ。それでいて、特に違和感はありません。これだけでも、ワルツのスペシャリストと呼べるかもしれませんね。

以前、ピアノ協奏曲や三大バレエを練習したときにも感じましたが、チャイコフスキーの音楽って、演奏していて・聴いていて気持ち良いですよね。なぜでしょうか?

チャイコフスキーの音楽の特徴と言えば、まず何よりもメロディー。甘く切なく泣かせてくれます。でも、よく見ると彼のメロディーって音階ばかり!? ほとんどが、上か下の隣の音に進む順次進行でできています。フレーズの変わり目で、ちょっと遠くに跳ぶ(跳躍進行)くらい。

たとえば、交響居曲第5番冒頭の「運命の動機』((202) 循環形式の到達点?! 参照) 。同じ高さの反復音を省くと、「ソ-ラ-ソ-ファ-ソ–ミ シ-ド-シ-ラ-シ–ソ ミ-レ-ド-シ-ラ-ソ」(実音。ファはファ♯。以下同)。「ソ–ミ」と「シ–ソ」以外、お隣に進むだけです。この動機から生まれた第1主題も、反復音やタイ、休符、スラーなどで複雑に見えますが、追加された最初の「ド」以外、順番に上がって下りています(ド–ミ-ファ-ソ-ラ-ソ-ファ-ミ ド–ソ-ファ-ミ)。

主旋律だけではありません。弦楽器がこの第1主題を受け持つ、57小節からの対旋律。それまで主題を吹いていたクラリネットとファゴットによる16分音符も、上がって下りる順次進行です。また、第1主題が fff で奏される108小節からの低音旋律。オクターヴの折り返しをしながら「ミ-レ-ド-シ-ラ♯-ラ-ソ-ファ……」とずんずん下りていきます。ただの(?!)順次進行ですが、いったいどこまで下がるのかと、思わず低音に集中してしまいます。シンプル・イズ・ベスト!

この「ずんずん下り」を「そろそろ上り」と組み合わせたのが、提示部の締めくくり(コデッタ)に向かう部分(譜例1)。主旋律は、第2主題のシンコペーションの音型で「ミ-ファ-ソ-ソ♯-ラ……」と半音を多用しながら上ります(188小節)。低音部も「レ-ド-シ-シ♭-ラ-ソ-ファ-ファ♮……」とずんずん下降(186小節)。ストリンジェンド(次第に急き込んで。イタリア語の動詞 stringere 「締め付ける」のジェルンディオ形 (193) アニマートとアニマンド参照)とクレッシェンドしながら音域を拡げ、前半の頂点へ。

「そろそろ上り」の主旋律はフルート、オーボエ、クラリネット、ヴァイオリン1と2、ヴィオラ、チェロが担当。「ずんずん下り」の低音旋律はファゴット、トロンボーン3番、チューバ、コントラバス。これだけ演奏するパートが多いのに、どちらにも和音を構成する下の音はついていません。上り下りとも、全員で同じ旋律(ユニゾン)を演奏します。チャイコフスキーはこのユニゾンの使い方が絶妙! ヴァイオリン1と2、あるいはヴィオラとチェロが同じ旋律を弾くことはよくありますが、チャイコフスキーは、コントラバス以外の全弦楽器にユニゾンさせるのです。

ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロはそれぞれ音域が異なるので、「そろそろ上り」は同じ音とはいえ3オクターヴの幅で進みます。頂上にたどり着いた194小節からは、なんと4オクターヴ幅に。コントラバス以外の弦楽器が全て同じメロディーを fff で弾いているだけでも大迫力なのに、4オクターヴの厚みは圧倒的。しかも、同属楽器ですから楽器同士で互いに共鳴し合い倍音も鳴って、オーケストラ全体がより豊かな響きに。シンプル・イズ・ベスト!

演奏していて・聴いていて気持ち良いのは、このようなチャイコフスキーならではのしかけ(シンプルさ)のおかげなのですね。

譜例1:チャイコフスキー作曲交響曲第5番第1楽章 183〜95 小節 弦楽器

譜例1:チャイコフスキーの交響曲第5番第1楽章 183〜95小節 弦楽器