29. 7月 2015 · (247) 《運命の力》序曲に使われた旋律 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲のように(234)、《運命の力》序曲にもオペラ本体から旋律が引用されています。序曲の前半で、フルート、オーボエ、クラリネットがユニゾンで奏する、悲しげな旋律がありますね(譜例1)。これは、第4幕のアルヴァーロとカルロの2重唱〈アルヴァーロ、隠れても無駄だ Invanno Alvaro〉の一部です。

譜例1:《運命の力》序曲 61小節〜

譜例1:《運命の力》序曲 61小節〜

インカ王国の末裔アルヴァーロ(テノール)は、カルロ(バリトン)の妹レオノーラ(ソプラノ)と駆け落ちしようとして、誤って彼らの父親カラトラーヴァ侯爵を殺してしまいます。無抵抗を示すために投げ捨てたピストルが、暴発したのです。逃げる間にアルヴァーロとレオノーラは離れ離れに。復讐のためアルヴァーロを執念深く捜すカルロは、修道僧になったアルヴァーロを見つけ、2人は決闘することに。

〈アルヴァーロ、隠れても無駄だ〉は、その決闘前に歌われます。でも、仇同士の歌にしてはずいぶん感傷的ですよね。不思議に思いませんか? どんな内容を歌っているのでしょう?

この2重唱は、とうとうアルヴァーロを見つけたことを喜ぶカルロの独白で始まります。僧侶姿のアルヴァーロが登場(下の動画の1:15)。「ドン・カルロ!」(1:31)と驚くアルヴァーロに、カルロは決闘のため、2本の剣のうちのどちらかを選べと歌います。後悔している、ここで罪を償っている、放っておいてくれと頼むアルヴァーロ(2:30)。臆病者と言われてかっとします(3:10)が、すぐに自分を押さえて「主よ、私を助けたまえ」と祈ります。序曲に引用されるのは、それに続く部分(3:35)。

挑発にのらず、「おお兄弟よ、慈悲を、慈悲を! O fratel, pietà, pietà!」と繰り返しますが、カルロは同じ旋律で、妹を棄てたとなじります(5:03)。それを否定し、レオノーラを愛していた、今も愛していると歌う部分は、長調に(5:36)。跪いて許しを乞うアルヴァーロの家名を傷付け、侮辱するカルロ。我慢に我慢を重ね、手に取ってしまった剣を投げ捨てて、立ち去るよう頼むアルヴァーロ(7:53。引用旋律が再登場)。でも、平手打ちされ(8:42)遂に決闘を受け、死へ赴こうと2人一緒に歌います。

《運命の力》最大の聴きどころ、聴かせどころ。緊迫したドラマティックな2重唱ですが、決闘を迫っているのはカルロだけ。アルヴェーロは避けようとしています。それに、序曲に使われるのは、決闘と直接関係がない歌詞につけられた旋律(アルヴァーロが許しを乞う部分や、カルロが妹を歌う部分)。このため、決闘前の2重唱ながら、争いや殺し合いから遠い性格の音楽になっているのです。

さて結末は? 決闘に勝ったのは、アルヴァーロ。瀕死のカルロは再会したレオノーラを刺し、彼女は〈先に天国に行っております Lieta poss’io precederti〉と歌って息を引き取ります。絶望したアルヴァーロが自殺し、主役3人全員が亡くなる初演のエンディング(ペテルブルク帝室歌劇場、1862)は悲惨過ぎると、再演時(ミラノ・スカラ座、1869)に改訂されたのでしたね。

22. 7月 2015 · (246) テューバのご先祖様その3、チンバッソ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

先日、聖フィル仲間に「セルパン((194) セルパンってどんな音?)、オフィクレイド((243) オフィクレイドってどんな音?)と来たら、次はチンバッソ? 10月の定演、《運命の力》だし」と聞かれました1。チンバッソって、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラに使われている低音楽器ですよね。でも、名前しか知りません。どんな形!?  名前の由来は!? あわてて調べてみました。

図1:チンバッソ(コントラバス・ヴァルヴ・トロンボーン)

図1:チンバッソ(ヴァルヴ付きコントラバス・トロンボーン)

チンバッソはトロンボーン族の低音金管楽器(図1参照)。G. C. ペリッティ(1837〜1903)が、ヴェルディのリクエストに応じて1881年に作りました。B♭管で、正式名は「トロンボーネ・バッソ・ヴェルディ trombone basso Verdi」(実際はバスではなくコントラバス・トロンボーンですが)。ヴェルディは彼のオペラ26作品((245)《運命の力》は何番目? ヴェルディのオペラ参照)のうち、1881年以降の2作《オテッロ》(1887)と《ファルスタッフ》(1893)で、この楽器を使っています。

この後イタリアでは、ほとんど全てのオーケストラにチンバッソが急速に普及。1881年以前に作られた曲の低音パートも、この「トロンボーネ・バッソ・ヴェルディ」が使われるように。1920年代にイタリアでもバス・テューバが採用されますが、チンバッソは20世紀後半まで使われ続けました。

ここで、「ヴェルディのオペラって、最後の2作品以外にもチンバッソ・パートがあるのに??」と思った方、鋭い! それは別のチンバッソ。チンバッソという用語、19世紀イタリアで、複数の低音楽器を指していたのです。

図2:19世紀初めのチンバッソ

図2:19世紀初めのチンバッソ

図2は、19世紀初期にチンバッソと呼ばれていたイタリア特有の楽器。木製の、まっすぐなセルパンの一種。金属製の大きく広がったベルと、1〜4個のキーが付いています。チンバッソ cimbasso の名は corno in basso(低音の角笛、バス・ホルン)の省略形(c. in basso)に由来すると考えられ、simbasso、gimbasso などと綴られることもありました2。ミラノのスカラ座で、1816年にセルパンに代わって使われたとシュポーアが記しています。最初に使ったのはパガニーニ??(1816年のヴァイオリン協奏曲第1番)。ドニゼッティやベッリーニを含む多くのイタリア人作曲家が続きました。

図3:チンバッソ(ヴァルヴ付きオフィクレイド)

図3:チンバッソ(ヴァルヴ付きオフィクレイド)

木製チンバッソは1830年代半ばまで人気がありましたが、その後、この用語は金管の低音楽器を指すようになります。ヴェルディの初期作品のチンバッソは、おそらく図3のようなヴァルヴ付きオフィクレイド。チンバッソ第3世代(!?)の「トロンボーネ・バッソ・ヴェルディ」が発明される1881年は、まだまだ先ですから。

というわけで、チンバッソなんて言葉、初めて聞いた!という方は、イタリアの低音楽器の総称と覚えてくださいね。チンバッソをヴェルディが使った特殊なトロンボーンと考えておられた方は、実はトロンボーンだけではなかったことを押さえておいてください。チンバッソは、19世紀イタリアで、さまざまなリップリード(トランペットのように、唇の振動で音を出す)の低音楽器を指す用語でした。それにしても、テューバが普及するまでの歴史って本当に複雑ですね。

  1. takefmiuさん、ありがとうございました。
  2. Meucci, Renato, ‘Cimbasso,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., 5, Macmillan, 2001, p. 858.

イタリア・オペラの巨匠ジュゼッペ・ヴェルディ(1813〜1901)。オケ奏者にとってヴェルディと言えば、聖フィルが次回定演で取り上げる《運命の力》序曲でしょうか。オーケストラのコンサートで比較的多く(というか、最も頻繁に?!)演奏されますね。オペラにあまり興味が無い方でも、《アイーダ》や《椿姫》はご存じのはず。

それでは質問です。87年の生涯でヴェルディはいったいいくつオペラを作ったでしょうか? 答えは26! 上記以外にどんなオペラがあるのか、《運命の力》は何作目か、たどってみましょう。

幸運にもミラノのスカラ座で初演され、成功した処女作《オベルト》(初演1839)、大失敗に終わった2作目のオペラ・ブッファ《1日だけの王》(1840)。3作目の《ナブッコ》(1842)が熱狂的に迎えられ、一躍大人気のオペラ作曲家に。特に、第3部の合唱〈行け、思いよ、黄金の翼に乗って〉がリゾルジメント(イタリア統一運動。当時イタリアは、オーストリアの支配下にありました)と結びつき、大ヒット。

この後、《ナブッコ》路線の愛国オペラが続きます。④《第1次十字軍のロンバルド人たち》(1843)でミラノでの成功を確実にした後、イタリア各地に進出。⑤《エルナーニ》(ヴェネツィア、1844)、⑥《2人のフォスカリ》(ローマ、1844)、⑦《ジョヴァンナ・ダルコ》(ミラノ、1845)、⑧《アルツィラ》(ナポリ、1845)、⑨《アッティラ》(ヴェネツィア、1846)、⑩《マクベス》(フィレンツェ、1847)、⑪《群盗》(ロンドン、1847)、⑫《海賊》(トリエステ、1848)と続き(ほとんど知らないタイトルばかり……)、愛国オペラの決定版⑬《レニャーノの戦い》(ローマ、1849)へ。しかし、1848年のイタリア革命は失敗。

レチタティーヴォを充実された⑭《ルイザ・ミラー》(1849)、⑮《スティッフェリオ》(1850)の失敗の後、中期三大作⑯《リゴレット》(1851)、⑰《トロヴァトーレ》(1852)、⑱《トラヴィアータ(椿姫)》(1853)が登場。当時のオペラとしては「有り得ない」主人公(せむしの道化、ジプシーの老婆、娼婦)の個性と心理を、歌唱だけではなく管弦楽も駆使して繊細にドラマティックに描きました。

この後、⑲《シチリアの晩鐘》(1855)、⑳《シモン・ボッカネグラ》(1857)、㉑《仮面舞踏会》(1859)と続いて、ようやく22作目が《運命の力》(1862)。ペテルブルク帝室劇場の依頼で、パリのオペラ座依頼の㉓《ドン・カルロ》(1867)、カイロのオペラ劇場依頼の㉔《アイーダ》(1871)のような、グランド・オペラのスタイルで作曲。

各地の劇場からの注文に追いまくられ「苦役の年月」だった愛国オペラ時代。1年に2作書いた年も。しかし、中期以降は1年に1作、あるいはそれ以上の間が空きます。そして、名声も富も手に入れたヴェルディが、だれからの依頼も無しに数年がかりで作った25作目《オテッロ》の初演は、1887年。前作《アイーダ》の初演から、実に16年後でした。

そして26作目は、シェイクスピアの喜劇を題材にした《ファルスタッフ》(1893)。第2作目で手痛い失敗を経験(初日だけで公演打ち切り。妻の死など家族の不幸も重なり、一時はオペラの作曲を放棄しようと考えました)1。以来、一度も手を出さなかった喜劇に、79歳で挑戦。完成させます。自分の楽しみのために作ったこの最後のオペラ、終幕が〈世の中はすべて冗談〉と締めくくられるなんて、出来過ぎ! いえ、さすがですね。

  1. Parker, Roger,  ‘Verdi, Giuseppe,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., 26, Macmillan, 2001, p. 436.