09. 2月 2012 · (67) ミステリアス、リスト はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

次回定演で取り上げるリストの《レ・プレリュード》を練習していると、今までの曲と違うなあと感じます。完成が1854年ですから、古典派3巨匠やシューベルトの音楽と異なるのは当然ですが、76年初演のブラ1や、95年完成のドボコンとも異質なのです。理由を探るために、今回はリストの生涯をたどってみます。

リストは1811年生まれ(昨年、生誕200年でした)。1歳年上にシューマンとショパン、2歳年上にメンデルスゾーンがいます。3人はいずれも30代40代で亡くなりましたが、リストは1886年まで長生きしました。ブラームスは22歳、ドヴォルジャークは30歳も年下です。

ハンガリー出身。エステルハージ侯爵家の執事(領地管理)だった父は、アマチュアながら歌手やピアニストとして演奏会に出ることもあり、ハイドンとも知り合いだったそうです。1821年からウィーンで、対位法とスコア・リーディングをサリエリに(ということは、シューベルトの弟弟子。(32) 参照)、ピアノをチェルニーに学びました(チェルニーはベートーヴェンの弟子なので、巨匠の孫弟子にあたります1)。2人とも、無料でレッスンしてくれたそうです。

外国人であるために、パリのコンセルヴァトワール入学は認められませんでしたが、パリ音楽界にデビュー。社交界の寵児に。1830年に初演を聴いた、ベルリオーズの《幻想交響曲》の劇的な構成や、翌々年にパリに着いたショパンの音楽の叙情性に、大きな影響を受けます。

しかし、リストにもっとも大きな衝撃を与えたのは、ヴァイオリン・ヴィルトゥオーゾ、パガニーニ(1782〜1840)の演奏会。ヴィルトゥオーゾ(オーソとも)とは、きわめて高度なテクニックを持った演奏家のこと。以前エスブリッコさんがコメントに書いておられたように、パガニーニは特殊奏法(左手のピッツィカートなど)を考案し、人間業とは思えない演奏で聴衆を熱狂させました(「悪魔に魂を売った」と信じられ、亡くなったときに教会の埋葬許可が下りなかったそうです)。彼の超絶技巧をお手本に、リストは自らのピアノ様式を確立していくことになります。

6歳年上のマリ・ダグー伯爵夫人と恋愛し、2人は1835年にスイスへ逃避行。落ち着いた環境で、さらなるピアノ技法の開拓に励みます。39年からは、ピアノ・ヴィルトゥオーゾとして活動。名声がヨーロッパ中を席巻しますが、やがて旅また旅の生活に疲れ、1848年に宮廷音楽監督としてヴァイマールに定住。新たな恋人ウクライナ貴族のザイン–ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーネとともに、指揮と作曲に専念します。1850年にはヴァーグナーの《ローエングリン》を初演。

リストと正式に結婚するために、カロリーネは教皇ピウス9世に侯爵との離婚許可を求めますが、得られませんでした。そのままローマに留まったリストは、1865年に僧籍(!)に入ります2。その後も作曲やピアノ指導を続け、1886年に娘コジマに招かれてバイロイトに滞在中、肺炎で亡くなりました。

華やかな女性遍歴の一方で、僧侶になりオラトリオのような宗教作品を作るなど、多様な側面を持つリスト。このミステリアスさも、異質な理由の一端になるかもしれません。それに、リストはやはりピアノの人です。《レ・プレ》の中の息の長いフレーズや、甲斐の無い(!?)アルペジオ(分散和音)などに、ピアノの発想を感じます。

リストがピアニストとして初めてしたことを、まとめておきます3

  • プログラム全てを暗譜で演奏した
  • 古典(バッハ)から現代曲(ショパン)まで、当時の全レパートリーを演奏した
  • 聴衆に音がよく届くように、ステージ上にピアノを右向きに置いた
  • ヨーロッパ中(ピレネー山脈からウラル山脈まで)を演奏旅行した
  • 1840年に、リサイタル(ソロ・コンサートのこと)という言葉を初めて使った

それまでの演奏会は、様々なソリストが登場する、歌あり器楽あり即興演奏ありの多様なプログラムで構成されていました((17)(19)(22) などを参照)。聴きに来た誰もが何かしらを気に入って、皆が満足して帰れるようにです。しかし、リストは絶大な人気を誇っていたので、彼1人だけの演奏会が成立したのです。

図1はリストのベルリンでのリサイタル。聴衆の興奮が伝わって来ます。右の方には、失神して男の人に介抱されている女性もいますね。「悪魔的」と言われたパガニーニから学んだ、黒ずくめの服に白い手袋でステージに登場する、ミステリアスな雰囲気作りも上手ですが、この1841年のツァーでは、10週間のベルリン滞在中に、21回のリサイタルを開いて80曲を弾き、そのうち50曲は暗譜だったそうですから、絶句ですね。

図1:リストのピアノ・リサイタル。Adolf Brennglas の Berlin, wie es ist (Berlin, 1842) の口絵

図1:リストのピアノ・リサイタル。Adolf Brennglas の Berlin, wie es ist (Berlin, 1842) の口絵

  1. 30番練習曲などでおなじみのチェルニーの名前は Cze で始まるので、ツェルニーは誤りです。
  2. 結婚の望みが絶たれたからというよりもむしろ、マリ・ダグーとの間の3人の子どものうち、長男ダニエルが20歳の若さで亡くなり、長女ブランディーネも初めての出産後に亡くなり、唯一残った次女コジマは、夫ハンス・フォン・ビューローを捨ててヴァーグナーのもとに走るという、リストのプライヴェート・ライフにおける苦悩の時期であったことが影響したようです。
  3. Walker, Alan, “Liszt,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 14 (Macmillan, 2001), pp. 762-4.