30. 1月 2013 · (118) ヴィブラートは装飾音だった (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

バロック時代には「恐れ」「冷たさ」など、主に否定的な感情を強調するために、長い音にのみ用いられたヴィブラート((117) 参照)。18世紀半ばにレオポルト・モーツァルトは、「中風持ちのように全ての音を絶え間なく震わせる」のではなく、「最後の音、長く保持される音」にのみ用いよと書いています。ところが、ほぼ同じ時期にイタリア人ヴァイオリニスト、ジェミニアーニが『ヴァイオリン奏法(1751)』「よいセンスで演奏するために必要な装飾法」の中で書いたのは:

クローズ・シェイク(close shake 訳注:ヴィブラート)を(中略)音を徐々に長くスウェリングさせ、弓はブリッジに近づけてひき、強く終わると、威厳や権威を表すことができる。しかし、短く、低く、小さくすると苦悩や恐怖などを表わす(ママ)ことができる。そして、短い音にこのクローズ・シェイクをつけると、音を快いものにする効果がある。このためだけだとしても、これはできるだけしばしば使われるべきである1

L. モーツァルトの、ヴィブラートは長い音にだけという記述と異なりますね2。イタリア語圏とドイツ語圏のヴァイオリン奏法の違いの反映かと思ったのですが、L. モーツァルトのヴィブラートの記述全体は、イタリア人ヴァイオリニスト、タルティーニの装飾に関する論文に由来しているという指摘もあり、そのような単純な理由ではなさそうです3

ザスローはこのジェミニアーニの説を例外とみなし、モーツァルトの時代は「ヴィブラートはソリストによってつつましく使われるもので、よく訓練されたオーケストラ奏者による使用は一般に控えられていた」と書きました4。これに異を唱えたのがノイマン。フランスのフルート奏者オトテールがフルート奏法の著作(1707)の中で「ほとんど全ての長い音に」ヴィブラートを使うように書いていることなどを理由に、(ソロ奏法とオーケストラ奏法との間に、違いが存在したことは認めつつ)オーケストラ奏者ノン・ヴィブラート説に反対しています5。確かに、オーケストラ奏者はヴィブラートを控え目にと書かれた資料は、見つかっていないのです。

このように、どの程度の頻度でソリストが、あるいはオーケストラ奏者がヴィブラートを用いていたか、見解はまとまっていません。確実に言えるのは、

  • 音を豊かにするために、常にヴィブラートをかけながら弦楽器を演奏するようになったのは、20世紀最初の四半世紀以降6

ということ(だけ)。それまでずっとヴィブラートは、特別な効果のためにとっておくものでした。

ヴィブラートについて調べていて印象に残ったのは、20世紀におけるこの大きな転換が、「オーケストラでガット弦に代わってスティール弦が使われるようになったことと、密接に関係していたと思われる」「古い時代の装飾音としてのヴィブラートは、その豊かな表現能力を失ってしまった」というメーンス=ヘーネンの指摘7。「ヴィブラートを使わない=ピリオド奏法」というような単純で極端なものではありません。指揮者や演奏者の「センス」や「眼識」が問われる、非常に繊細な問題であることを忘れてはならないでしょう。

  1. フランチェスコ・ジェミニアーニ『バロックのヴァイオリン奏法』サイモン・モリス解説、内田智雄訳、シンフォニア、1993、27。
  2. 橋本英二は「あくまで装飾音として扱っていて、いつも使うとは述べていない」と書いていますが(『バロックから初期古典派までの音楽の奏法』音楽之友社、2005、73)、いささか苦しい解釈のように思われます。
  3. Neumann, Frederick, ‘The Vibrato Controversy’ Performance Practice Review, vol. 4 (1991), 22.
  4. Zaslaw, Neal, Mozart’s Symphonies, Oxford Univ. Press, 1989, 480 – 81(邦訳が出ていますが未確認)。
  5. Neumann、15。
  6. ノリントンは2003年2月16日付けニューヨーク・タイムズで、絶え間なくヴィブラートを使い始めたのはクライスラーらしいと書いています(’Music: Time to Rid Orchestras of the Shake’ http://www.nytimes.com/2003/02/16/arts/music-time-to-rid-orchestras-of-the-shakes.html?src=pm)。レオポルト・アウアーやカール・フレッシュのように、20世紀のヴァイオリニストの中にもヴィブラートを控えめに、あるいは妥当な意味があるときだけに用いるようにと述べる者もいました。
  7. Moens-Haenen, Greta, ‘Vibrato,’  New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, p. 525.
23. 1月 2013 · (117) ヴィブラートは装飾音だった (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

作品が作られた当時の演奏習慣を用いるピリオド奏法。「その時代の」という意味ですね。ロジャー・ノリントンらの指揮によって、ピリオド奏法の特徴のひとつとしてかなり広く知られるようになったのが、ノン・ヴィブラート奏法(ここでは、ヴィブラートを全く使わないだけではなく、あまり使わない奏法を含めてこの語を使います)です。しかし、たとえばベートーヴェンの時代になぜ弦楽器をノン・ヴィブラートで演奏していたのか、理由をご存知でしょうか。ヴィブラートはもともと、特別な理由が存在する場合にのみ用いるものだったからです1

中世初期から記述が残るヴィブラート。バロック時代には、ある種の情緒を表現するために使われました。「恐れ」「冷たさ」「死」「眠り」「悲しみ」、あるいは「優しさ」「愛らしさ」などです2。歌詞を持つ声楽曲のみならず器楽曲においても、このような情緒を強調するためにヴィブラートを使うことが許されました。つけても良いのは、アクセントがある長い音だけ。装飾音の一種と捉えられていたのです。音を豊かにするためという現在の目的とは、全く違いますね。

ヴィブラートやグリッサンドのような特別な「装飾」は、アンサンブルではなく独奏に必要なもの3。教本や、フランスの愛好家向け楽譜などに、波線や「x」などでヴィブラートの指示が記入された例もありますが、ごくわずか。どの音につけるかは、演奏家の解釈次第です。ただ、ギターやリュート等の撥弦楽器のための曲においては、情緒とは関係なしに、音の長さを延長する手段としてヴィブラートが許されていました4

18世紀半ば以降は、「甘美さ」などの肯定的な意味あいで捉えられるようになります。ほとんどの音(少なくともほとんどの長い音)にヴィブラートを使う演奏家もいて、レオポルト・モーツァルトは彼の『ヴァイオリン奏法(1756)』第11章「トレモロ、モルデント、その他即興の装飾音について」の中で、以下のように諌めています。

トレモロ(訳注:ヴィブラート)は、『自然の女神』が生んだ装飾音で、長い音に魅力的に使うことができ、優れた器楽家のみならず、賢明な歌い手によっても使われます。(中略)全ての音をトレモロで弾くのは間違いです。演奏者の中には中風持ちのように全ての音を絶え間なく震えされている人がいます。(中略)曲の終わり、または、長い音符で終わるパッセージの終わりでは、例えばピアノ(Flügel、Clavichord)で弾いたような場合、その音は明らかに後までずっと響き続けます。従って、最後の音、または、長く保持される音はトレモロで装飾します5

それならフレーズの最後に入れるトリルのようなつもりで、それ以外の音にはヴィブラートを使わなければ良いんでしょ……という単純な話ではないようです。レオポルトと同時代に、異なる記述を残したヴァイオリニストもいました。次週に続く。

  1. 小林義武『バッハ 伝承の謎を追う』春秋社、1995、p. 91。
  2. Moens-Haenen, Greta, ‘Vibrato,’  New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, p. 524. このメーンス=ヘーネンの研究によって、バロック時代のヴィブラートの状況が明らかにされたのですが、彼女の Das Vibrato in der Musik des Barock(Akademische Druck- und Verlagsanstalt, 1988)が、日本語訳はおろか英訳もされていないのは残念です。
  3. 同上。
  4. 小林、同上。
  5. モーツァルト、レオポルト『バイオリン(ママ)奏法』塚原晢夫訳、全音楽譜出版社、1974、p. 177。