10. 8月 2016 · (288) ライプツィヒとバッハ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

ドイツのライプツィヒと言われて思い浮かべる作曲家は? 1835年にゲヴァントハウス管弦楽団の常任指揮者になった、メンデルスゾーン? 長くライプツィヒで活動したシューマン? ライプツィヒ生まれのヴァーグナー? 縁の作曲家は多いのですが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハも忘れないでください。1750年に没するまでの後半生を、ライプツィヒで過ごしました。

図1:ライプツィヒ

図1:ライプツィヒ

ケーテン公の宮廷楽長から、ライプツィヒ市主要教会のひとつトーマス教会のカントルに転職。社会的地位はカントルより宮廷楽長(カペルマイスター)の方が上。さらに、前任者ヨハン・クーナウ(1660〜1722)の死去に伴い、ライプツィヒ市参事会が後任の第1候補にしたのはゲオルク・フィリップ・テレマン(1681〜1767)、第2はクリストフ・グラウプナー(1683〜1760)でした。2人が辞退したため、3番目のバッハがカントルに。

トーマスカントルの職務は2種類。ひとつは、トーマス教会付属学校で教えること。バッハは音楽は自分で教えましたが、ラテン語の授業は自費で代理を雇っていました。もうひとつは、ライプツィヒ市の音楽監督。礼拝における教会カンタータの演奏の他、結婚式や葬式などにも音楽を提供しました。

1723年5月末にライプツィヒに移ったあと、バッハは初めの6年間に、教会暦5年分の教会カンタータを作ったようです(激務に関しては (159) バッハの一週間参照)。カンタータは1年間で約60曲必要ですから、5年分でおよそ300曲1!!!(散逸が惜しまれますね)。カンタータの他に、《ヨハネ受難曲》(1724)や《マタイ受難曲》(1727)も作曲。1729年以降は、コレギウム・ムジクムの活動を精力的に行いました。

私事で恐縮ですが、一昨年夏のボストン、昨夏のロンドンとフィレンツェ、今春のローマとパリ((271) ヴァティカン図書館で調査してきた!!参照)に続いて、今夏はライプツィヒで資料研究をしてきます((249) 今と同じ?! 16世紀の楽譜参照。研究費をいただけるのは今年度が最後)。短い滞在ですが、州立図書館で写本調査をしながら、バッハやメンデルスゾーンが暮らした街を目に焼き付けたいと思います。ライプツィヒの後、ブリュッセルとコペンハーゲンの王立図書館でも資料調査するため、聖フィル❤コラムは3週続けてお休みさせていただきます。みなさま、どうぞ良い夏をお過ごしください。

  1. Stauffer, George B., ‘Leipzig,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 14, Macmillan, 2001, p. 314.
06. 1月 2016 · (266) ジルベスターが大晦日を意味するわけ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

明けましておめでとうございます。今回の年末年始は、曜日の関係でちょっと慌ただしい感じでしたね。2016年がみなさまにとってよい年でありますように。6年目に入った聖フィル♥コラム、今年もよろしくお願いいたします。

新年最初のコラムなのに、年末のお話です。最近「ジルベスター・コンサート」という言葉を聞くようになりました。大晦日に行われる音楽会のことで、途中で新年を迎える年越しコンサートの場合も。「ジルベスターはドイツ語で大晦日のこと」と説明されます。もちろん正しいのですが、本当はもう少し説明が必要。12月31日は聖ジルベスターの日。だから、ジルベスターが大晦日を意味するようになったのです。

聖ジルヴェスター1世(Silvester I、ラテン語読みでシルウェステル1世)は、4世紀のローマ教皇(在位314〜335年)。コンスタンティヌス1世(272〜337)に洗礼を施したという伝説があります。このコンスタンティヌス1世は、313年のミラノ勅令でキリスト教を公認したローマ帝国皇帝でしたね(図1参照1)。

図1:教皇シルウェステル1世とコンスタンティヌス1世のモザイク画(1247年、ローマのサンティ・クアットロ・コロナーティ聖堂内サン・シルヴェストロ礼拝堂)

図1:教皇シルウェステル1世とコンスタンティヌス1世

亡くなった12月31日が、聖ジルヴェスター1世の記念日。キリスト教の聖人は、それぞれ特定の日と結びつけられています。たとえば、6月24日は洗礼者ヨハネの日でしたね((242) 真夏じゃなかった!? 《真夏の夜の夢》参照)。イエス・キリストに洗礼を施し、後にヘロデ王に捉えられて(サロメの望みによって)斬首される、あのヨハネを記念する日です。《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第2幕冒頭の歌詞「Johannistag」はヨハネ祭と訳されますが、直訳するとヨハネの日。同様に、12月31日は聖ジルヴェスターの日。だから、大晦日をジルヴェスターの日と言い換えられるのです。

ただ、聖人にはいくつかのランクがあり、記念日もそれに対応します。洗礼者ヨハネとは異なり、聖ジルヴェスターは重要度が低い聖人で、彼の日は記念しても記念しなくても良いという任意の記念日。たまたまそれが大晦日だったおかげで、最近急に、ヨーロッパから遠く離れた日本でまで名前が知られるようになって、聖ジルヴェスターご本人が1番驚いているかもしれません。

  1. ローマのサンティ・クアットロ・コロナーティ聖堂内サン・シルヴェストロ礼拝堂、1247年。
22. 4月 2015 · (234) 《マイスタージンガー》のライトモティーフ (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

ライトモティーフとは「オペラ、楽劇、標題音楽などにおいて、ある想念、人物、感情、事物などと結び付けて用いられる動機」1。前回 (233) はヴァーグナーの《マイスタージンガー》第1幕への前奏曲冒頭の「マイスタージンガーの動機」について説明しました。前奏曲にはこれ以外にも、オペラに使われるいろいろな動機(モティーフ)が登場します。

和音を連ねて上行する、シンプルで覚えやすいモティーフが、金管主体の「行進の動機」。主調ハ長調の主和音ドミソの響きを多用していて、「マイスタージンガーの動機」と性格が似ています。オペラ第3幕第5場で、マイスタージンガーたちが歌合戦の会場に次々と入って来るときの音楽がこれ。「マイスタージンガーの動機」も続き、これに合わせて主人公ハンス・ザックスが最後に入場します(下の動画で1:09くらいから。ザックスについては (220) を参照のこと)。前奏曲の短縮版という感じも。

前奏曲の中間部、テンポが遅くなってホ長調に転調すると「愛の動機」が登場。ファースト・ヴァイオリンが低音域で甘い旋律を奏でます。堂々としたハ長調の部分と、大きなコントラストを作っていますね。

この「愛の動機」の元の形は、一目惚れしたエーファを勝ち取るために歌合戦でヴァルターが歌う〈朝の光はバラ色に輝き〉の後半部分。歌合戦の優勝者が彼女と結婚できるのですが、騎士ヴァルターは歌の修業をしたことがありません。ザックスはヴァルターを励まし、彼の歌を A―A―B のバール形式に整えてやります。この歌は3拍子ですが、朗々と歌い上げられるB部分の旋律ラインは、前奏曲の「愛の動機」と同じ(下の動画では、2つ目のA部分が1:54〜、B部分は3:17〜。歌詞の日本語訳は註2を参照のこと)2

第1幕への前奏曲後半で、「マイスタージンガーの動機」がトロンボーン、ヴィオラとチェロの演奏で戻って来ます。引き続き、ファゴット、コントラバス、チューバによって低音域で演奏されますが、その上でヴァイオリン1、クラリネット1、ホルン1、チェロが奏しているのは「愛の動機」。そして、ヴィオラ、フルート、オーボエ、クラリネット2、ホルン2、3、4が奏しているのは、短い音価の音符による軽快な形に変えられた「行進の動機」。ライトモティーフの変形や対位法的な処理を伴う、前奏曲の聴き所です。

この後、弦の装飾音型とともに「行進の動機」が元の音価で奏され、最後は「マイスタージンガーの動機」で壮大に締めくくられる前奏曲。この前奏曲のエンディング部分は、オペラ全体のエンディングと呼応しています。マイスタージンガーになることを拒否するヴァルターにザックスがマイスターの重要性を説き、人々がザックスとドイツ芸術を讃えながら幕となるフィナーレ(動画の3:40〜)。幕が開く前に聴いた音楽がほぼそのまま、ハッピーエンドの歓呼の歌声の伴奏となるのです。

[お知らせ] 毎週水曜日に聖フィル♥コラムを更新していますが、来週4月29日(水・祝)は聖フィル第12回定期演奏会当日のため、コラム更新はお休みです。

  1. 「示導動機」『音楽大事典3』平凡社、1982年、1036ページ。
  2. 平尾力哉訳(The Metropolitan Opera のDVD字幕より)。この動画のみ演奏演出が異なります。

    朝の光はバラ色に輝き 花の香りは空に満ちる
    思いもよらぬ喜びに導かれ 私は花園に誘われた
    奇蹟の樹の 枝もたわわな木の実の下で
    熱い思いを叶えると 幸せな夢 見るように約束したのは
    こよなく美しい女性 エデンの園のエヴァ!

    たそがれゆく夕闇に包まれ 険しい道をたどる私に
    微笑みかけて誘うのは ささやく泉の清らかさ
    月桂樹の木陰で 星の光に照らされて
    やさしく清らかな様子で 泉の水を私に滴らせ
    うつつの夢を詩人にみせる こよなく気高い女性
    パルナソス山のミューズ!

    夢から覚めた詩人 その恵み深い日に
    夢にも見た楽園の 清く輝く神々しさ
    そこに至る明るい道を 示した泉の微笑み!
    私の選んだこの地の乙女の 世にも稀な愛らしさは
    尊くやさしく清らかな詩神ミューズとなって現れる
    勇をふるい求婚すれば さんさんと照る太陽の下
    歌の勝利で得たものこそ パルナソス山とエデンの園!

15. 4月 2015 · (233) 《マイスタージンガー》のライトモティーフ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

あちこちの大学の入学式で、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲が演奏されるようですね。堂々としていて落ち着いていて颯爽としていて、途中に甘い部分やユーモラスな部分もあり、長過ぎず短過ぎず、難し過ぎず簡単過ぎず。祝賀演奏にうってつけの曲ですが、それだけではありません。主人公が周囲の助けや愛情によって成長し、勝利を勝ち取るというオペラのストーリーも、入学式にふさわしいのです。

オペラ全体を凝縮した、かなり序曲的なこの前奏曲(序曲との違いは、(232)を参照)の冒頭旋律は、「マイスタージンガーのライトモティーフ Leitmotiv(独)」と呼ばれます。日本語では示導動機(しどうどうき)。楽曲解説に必ず出て来る用語ですが、いったい何でしょう?

ライトモティーフのライトは英語のリードなので、直訳すると「導く動機」。動機とは、旋律的なまとまりを持つ主題(テーマ)よりも、短い単位でしたね。マイスタージンガーのライトモティーフは、オペラの中でマイスタージンガーたちと結びつけて使われます。彼らが実際に登場するとき(歌合戦のために入場してくるる第3幕第5場など)はもちろん、マイスタージンガーのことが言及されるとき(マクダレーネがエーファの立場を説明する第1幕冒頭など)にも奏されます。

ここで、「イデー・フィクス(固定楽想)」を思い出した方は鋭い! ベルリオーズは《幻想交響曲》で、あこがれの女性を1つの旋律で表現していましたね。このイデー・フィクスが、ライトモティーフの直接の先駆。ただ、ベルリオーズのイデー・フィクスが1つだったのに対し、ヴァーグナーのライトモティーフは複数です。歌合戦で優勝を目指す「ヴァルターの動機」、そのライバル「ベックメッサーの動機」など人物だけではなく、優勝者に贈られる「花輪の動機」や、主人公の職業である「靴屋の動機」など物事、さらには「愛の動機」「情熱の動機」のような、目に見えない感情や想念のライトモティーフまで。

ある人・物・想いなどが関わるシーンで、それぞれのライトモティーフが奏されるヴァーグナーの新手法。オケ奏者なら、オペラの中に同じメロディーが何度も出て来てつまらない!なんて怒らないでくださいね。この手法は、演技や歌だけではなくオーケストラの音楽にも、意味を持たせることを可能にしました。これまで声楽では歌詞が何よりも重要でしたが、ライトモティーフを受け持つ伴奏部も、非常に複雑な内容を表現できるようになったのです。

しかも、ライトモティーフは真実の声。登場人物は嘘を歌うことができますが、ライトモティーフは嘘をつきません。もしも「あなたなんか大嫌い!」と歌っているときにオーケストラ伴奏が愛の動機を奏でていたら、本心は愛しているということ(ものすごく単純化したたとえ話ですが)。ライトモティーフの採用により、ヴァーグナーは劇音楽におけるオーケストラの役割を、各段に大きくしたと言えるのです。

08. 4月 2015 · (232) 《マイスタージンガー》:序曲と前奏曲 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

4月の聖フィル第12回定演のオープニングは、リヒャルト・ヴァーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲。オペラの最初の音楽なのに、序曲じゃないのはなぜ?! 序曲と前奏曲、どこが違うのでしょうか?

オペラ誕生後、その幕開けの音楽として、リュリにより緩―急―緩のウヴェルチュール(フランス風序曲)が成立。少し遅れて A. スカルラッティにより、急―緩―急のシンフォニーア(イタリア風序曲)が生まれたのでしたね((18) 赤ちゃん交響曲誕生まで参照)。序曲は、これらの定型に従って作るもの。オペラの内容とは関係ありませんでした。シンフォニーアが交響曲のルーツの1つになる一方、モーツァルト以降の序曲は、ソナタ形式で作曲されるように。19世紀には、オペラやオラトリオなど大規模な曲に先立たない、独立した序曲(演奏会用序曲)も作られます((167) 演奏会用序曲と交響詩 (1) など参照)。

一方の前奏曲はもともと、後に続く音楽の旋法や調性を示すために、即興的に奏された器楽曲。ラテン語で前奏曲を意味する praeambulum という語には、聴衆の注意を引きつけ、トピックを提示するという修辞学的な意味も 1。楽譜に残る最も古い前奏曲は、教会で声楽曲に先だって演奏されたオルガン曲。歌い出しの音を示したのですね。

前奏曲は、組曲や多楽章楽曲の第1曲として置かれたり、フーガの前にそれと対を成す曲として置かれたりしました。後者の場合、途切れなくフーガに続く「序奏」とは異なり、完結します。コラール前奏曲のような単独曲もありますが、礼拝の前などに奏され、導入のための音楽という性格は共通しています。

19世紀になると、ショパンの《雨だれ》の前奏曲のような、前奏とか導入の意味をもたない前奏曲も作られるようになりました。とはいうものの、《雨だれ》も含まれるショパンの前奏曲集作品28は、全ての長短調(24種類)の前奏曲とフーガを収めた J. S. バッハの《平均律クラヴィーア曲集》の、前奏曲だけヴァージョンなのですが。スクリャービンやショスタコーヴィチなど多くの作曲家が、ピアノのための24の前奏曲集を書いています。

話をヴァーグナーに戻して。彼は《ローエングリン》(1848年)以降、前奏曲 Vorspiel という語を使うようになりました。オペラ全体の導入曲である序曲とは異なり、各幕を導く音楽です2。続く幕の概念や、そこで起こる音楽的・劇的な出来事を、より限定的に明確に示すことができます。たとえば 《ローエングリン》第1幕への Vorspiel はグラールの聖杯を描く荘厳な、同じく第3幕への Vorspiel は結婚の喜びを描く祝祭的な曲です。

《マイスタージンガー》前奏曲では、オペラで使われる旋律素材が次々に登場。ヴァーグナーは、ときには複数の旋律を組み合わせながら、ソナタ形式の枠組みにとらわれることなく自由に曲を構成しました。オペラに先立って演奏される場合は完結せず、最後の和音が第1幕冒頭のコラールの開始音になります。オペラ本体の内容を(ある程度)示しながら、前奏曲をドラマと一体化させ、歌い出しの音を示すという前奏曲のもともとの目的も果たしていますね。

  1. Ledbetter, David, ‘Prelude,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 20. Macmillan, 2001, p. 291.
  2. 同じ傾向は、ヴェルディやビゼーにも見られます。
18. 2月 2015 · (225) 波瀾万丈ヴァーグナーの生涯:お尋ね者編 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

リガでの借金を踏み倒し、パリにやって来たヴァーグナー((224) 夜逃げ編参照)。しかし、赤貧にあえぐ惨めな2年半(1839年9月〜42年4月)の後、この大都会での成功をあきらめ、《リエンツィ》上演が決まったザクセン王国の首都ドレスデンへ。大好評により、ベルリン初演の予定だった《さまよえるオランダ人》もドレスデンで初演されました(前作ほどの好評は得られず)。しかも、当地の宮廷歌劇場 第2指揮者のポストが空き、定職を手に入れます(43年2月)。29歳にしてはじめて生活が安定し、波瀾万丈を卒業。

彼の仕事は、オペラやオーケストラの指揮と、宮廷の特別な機会のための作曲。イギリスで亡くなったヴェーバーの遺骨が1844年12月15日にドレスデンに改葬された際、ヴェーバーの《オイリアンテ》の2つの動機による葬送曲(吹奏楽)や、《ヴェーバーの墓前に》という無伴奏男声合唱曲を作っています。宮廷家劇場では、グルックの《アルミーダ》や《オーリドのイフィジェニー》などを指揮。

さらに重要なのは、1846年の枝の主日(イースター前の日曜日)コンサートで、ベートーヴェンの交響曲第9番を取り上げたこと。《第九》は当時もまだ、近寄りがたい謎の作品とみなされていていました。当然、上層部は反対。でも、財政的にも芸術的にも大きな成功を収めることができました(ヴェーバー、グルック、ベートーヴェン、いずれもドイツ作曲界の重鎮たちですね)。相変わらず借金は多かったものの、《タンホイザー》や《ローエングリン》を完成。

彼を波瀾万丈な人生に引き戻したのは、1848年のパリ二月革命、ウィーン三月革命に影響された、ドレスデン蜂起(49年5月3日)でした。劇場改革や、国民劇場の計画(監督の選出、演劇学校の設立、宮廷楽団の充実、自主運営組織など)に関する提案が当局に却下され、不満が募っていたヴァーグナー1。ロシア人無政府主義者バクーニンに影響され、「あらゆる支配権をぶち壊す……権力を、法律の力を、私有財産を破壊する」というような物騒な檄文を書くのですが……2

図1:ヴァーグナーの人相書(1853)

図1:ヴァーグナーの人相書

国王軍の軍事力は圧倒的で、反乱はすぐに鎮圧。5月16日、首謀者の1人とみなされたヴァーグナーの逮捕状が出されます。「当時の宮廷楽長(ママ)リヒャルト・ヴァーグナーは、当市に起こった反乱に全面的に荷担したかどにより、取り調べを受けることになっているが、もっかのところ行方不明である……ヴァーグナーは37、8歳、中背、頭髪は茶色、眼鏡を着用」3。お尋ね者ヴァーグナーは、ヴァイマール宮廷楽長リストに匿われ、偽のパスポートでスイスに亡命。追放が完全に解除されたのは、1862年のことでした。

  1. Millington, Barry, ‘Wagner: (1) Richard Wagner,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, p. 934.
  2. 西原稔『クラシックでわかる世界史』アルテスパブリッシング、2007、247ページ。
  3. 前掲書、246ページ。
11. 2月 2015 · (224) 波瀾万丈ヴァーグナーの生涯:夜逃げ編 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

音楽史を教えていると、作曲家ってあまりお友達になりたくないタイプが多いなあと感じます。中でも、絶対に近寄りたくないタイプ(?!)が、リヒャルト・ヴァーグナー(1813ライプツィヒ〜83ヴェネツィア)。性格も難ありですが、生涯が波瀾万丈過ぎ。「ジェットコースターに乗ったような」一生でした。

本人のせいではないものの、生まれたときから問題が。「公式な」父親は、警察関係の保険計理士カール・フリードリヒ・ヴァーグナー。リヒャルトは第9子として、3兄5姉の後に生まれました。誕生からちょうど半年後に、フリードリヒが流行病で死亡。母ヨハンナは、俳優兼画家ルートヴィヒ・ガイヤーと再婚します。これが、前夫死亡のわずか9ヶ月後。ガイヤーがリヒャルトの実父ではないかという疑問が浮上します。8年後、継父ガイヤーも病死。リヒャルト本人も、終生真の父親が誰かわからないままでした(彼の作品の中にしばしば親子間の葛藤が織り込まれるのは、自分の親子関係と無縁ではないでしょう1)。

1831年2月、音楽を学ぶためにライプツィヒ大学に入学するも、「放埒にふけって中退」2(「大学生のワーグナーは酒びたりの生活を送り、賭け事にも手を出した。あるときなど懐にしていた母親の年金まで掛け金に使って(中略)」と書かれた本も3)。同年10月から、トーマス教会カントル(100年前に J. S. バッハが務めていた職)クリスティアン・テオドール・ヴァインリヒに作曲を学びました。半年ほどの短い期間でしたが集中的に学習し、ピアノ曲や管弦楽、声楽作品を残しています。

ヴァーグナーの最初の仕事は、ヴュルツブルク劇場の合唱長(1833)。マルデブルクの旅一座の指揮者(1834〜。36年に一座のミンナ・プラーナーと結婚)、ケーニヒスベルクのオペラ指揮者(1837、すぐ失業)を経て、1837年にはリガの劇場指揮者に(ロシア領リガって、現ラトヴィアの首都。遠い!)。この職も危うくなり、契約に関して口論したあげく、以前から成功の野望を抱いていたパリへ向かいます。

リヒャルトにもミンナも借金が嵩んで、パスポートを没収されていました。2人とペットのニューファンドランド犬は、武装コサック兵が見張る中、闇に紛れて国境の水路を這うように進み、プロシアの港ピラウ(現バルチースク)へ4。借金を踏み倒して、文字通りの夜逃げです。ロンドンに向かう小さな商船に乗り込み、密出国。順調であれば8日間の船旅が、途中大時化にあい、命からがらロンドンに着いたのは3週間後でした5。嵐の中の危険な航海や、ノルウェーのフィヨルドの岸壁にこだまする乗組員たちの叫び声などは、後に《さまよえるオランダ人》に活かされることになります。パリに着いたのは、1839年9月でした。

  1. Millington, Barry, ‘Wagner: (1) Richard Wagner,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, p. 931.
  2. 高木卓「ヴァーグナー」『音楽大事典1』平凡社、1981、145ページ。
  3. 三光長治『ワーグナー』新潮文庫、1990、31ページ。
  4. Barry、前掲書、932ページ。
  5. 三光、前掲書、40ページ。
14. 1月 2015 · (220) マイスタージンガー、ハンス・ザックス はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の主人公、ハンス・ザックス。靴屋の親方ですから、マイスタージンガー((219) マイスタージンガーになるには?参照)たちの中でも役所の書記より階層的に下のようですし、金細工師ほど裕福でもないでしょう。でも、規則から逸脱した歌の良さを認める、柔軟な考えの持ち主。市民にとても敬愛されています。本当はエーファを好きなのに、愛し合っている騎士ヴァルターと結ばれるよう、彼にアドヴァイスしわがままをいさめて若い2人を助けます。

図1:ハンス・ザックス(1545)

図1:ハンス・ザックス

理想の男性像のような(?!)ハンス・ザックスですが、彼は実在したドイツの詩人兼マイスタージンガー1。1494年11月5日に、ニュルンベルクに生まれました。1501年から09年までラテン語学校に通った後、靴職人の仕事を学び(=徒弟)、11年から15年までドイツ中を旅しながら腕を磨きました(=職人)。ニュルンベルクに戻り、1520年に靴屋の親方に。マイスタージンガー組合には、1509〜11年という早い時期(10代ですね)に所属。リネン職人ヌンネンベックに学びました。

彼が生まれた頃、南ドイツの帝国都市ニュルンベルクは、経済的・文化的発展の絶頂期。15世紀から続くこの地のマイスタージンガー組合は、アウグスブルク、ウルム、ブレスラウ、コルマール、ストラスブルクなどの組合の手本になっています。

ハンス・ザックスは多作家でした。1576年に亡くなるまでに彼が作った詩は、6,000以上。そのうち、マイスタージンガーの歌であるマイスターゲザンクは、4,286(他は、風刺詩、教訓詩、悲劇、喜劇、謝肉祭の劇など)。ただし、これは4,286種類の歌ということではありません2。1つの Ton(旋律)で複数の詩が歌われたのです。彼が使った Ton は全部で275種類。その中で、彼が作曲した Ton は、13種類でした。1513年にブラウナウで作った〈銀の曲 Silberweise〉が最も有名だそうです(Weise も旋律の意味)。

図2:ハンス・ザックス(1576)

図2:ハンス・ザックス(1576)

《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第3幕第5場。華やかな歌合戦の場にザックスが最後に登場。皆は起立して〈目覚めよ、朝は近づいた!  Wach auf, es nahet gen den Tag!〉を合唱し、彼を迎えます。この歌詞は、実際にザックスが書いた『ヴィッテンベルクの鶯』の一部。ヴァーグナーは、ザックスが同じ時代を生きた宗教改革者マルティン・ルターを讃えた長編詩を使ったのです。

ハンス・ザックスの肖像としては、図1が有名ですね。でも、イギリスの音楽事典には、これではなく図2が載っていました3。彫られた年が30年以上も隔たっているとはいえ(図1は下方に1545と見えます)、ずいぶん感じが違いますね。

  1. Brunner, Horst, ‘Sachs, Hans,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 22, Macmillan, 2001, p. 76.
  2. Brunner, Horst, ‘Ton (i),’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 25, Macmillan, 2001, p. 580.
  3. 上記註1に同じ。Jost Ammanによる版画。
07. 1月 2015 · (219) マイスタージンガーになるには? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

第12回定期演奏会では、ヴァーグナーの楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲を取り上げます。マイスタージンガーはドイツ語で「親方(Meister)歌手(Singer)」。音楽事典によると「14世紀から17世紀にかけてドイツで栄えた世俗的な文芸および音楽運動を担った詩人・歌手のこと」1

マイスタージンガーは、主に中流あるいは下層階級の市民(聖職者や弁護士も含まれていましたが)。都市に定住し自分の職業に従事するかたわら、その市のマイスタージンガー組合(ギルド)に属していました。メンバーは5種類に区別されます。最上級はもちろん親方(Meister)。その下に詩人(Dichter)、歌手(Singer)、仲間(Schulfreund)と続き、1番下は弟子(Schüler)。組合はドイツ中に組織され、その都市の当局に厳しく管理されました。

ニュルンベルクの16・17世紀の組合規則は、以下のようなものでした2。年長の12人のマイスタージンガーが組合の中心になります。役員は、記録係3人(その中で最も年若い者が書記の役目を果たす)と、会計2人。毎年、聖トマスの日(12月21日)の直前の日曜日に、会計により年次収支が発表され、会費の支払い、役員選挙、新メンバー受け入れが行われます。

公開コンサート(Singschulen の文字通りの意味は「歌学校」)は、通常毎月1回、日曜日の昼の礼拝後に開催。ニュルンベルクでは16世紀以降、使われていないさまざまな教会が会場となり、ポスターで告知されました。メインの歌唱(Hauptsingen)では、聖書に基づく、20行以上の長さの旋律(Ton)を歌わなければなりません。記録係は黒い幕で覆われた小部屋の中にすわり、歌がルター派聖書の内容と言葉に一致しているかを審査。歌詞と演奏がタブラトゥーア(成文化された厳格な規則)と一致しているか、旋律が正しく歌われているかも記録します。間違いの数が最も少ない者が勝ち。コインを吊るした銀の鎖が与えられ、次のコンサートの記録係になることが許されました(銀の鎖は、次回の優勝者へ)。

マイスタージンガー組合のメンバーになるには、どうすればよいでしょうか? まず第一に、メンバーのだれかの弟子にならなければ。そして、たくさんの旋律(Ton)と、タブラトゥーアの規則を覚えなければなりません。この Ton は伝承により蓄積され、1630年にはおよそ1400種(!!)3。実は、Ton を作れなければマイスタージンガーになれないというヴァーグナーの設定は、正確ではありません。彼らはほとんどいつも、すでに存在する Ton を使って歌いました。詩作も義務ではなく、多くのマイスタージンガーたちは、他の人が作った歌を歌っていたのだそうです4

  1. 丹羽正明「マイスタージンガー Meistersinger」『音楽大事典5』平凡社、1983、2394。
  2. Brunner, Horst, ‘Meistergesang,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 16, Macmillan, 2001, p. 298. 他の組合の規則も基本的には同じでしたが、ニュルンベルクで15世紀にこのように組織されていたかどうかはわかりません。
  3. 前掲書、p. 296。
  4. 同上。
17. 7月 2013 · (142) やかましかった! 指揮者のお仕事 (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

通奏低音を受け持つ鍵盤楽器奏者か、ヴァイオリンのトップ奏者(あるいはこの両者)の合図で演奏していたバロック時代。兼業指揮(?!)体制はその後も続きます。たとえばモーツァルト。「コンセール・スピリチュエルの幕開けのために書いたぼくのシンフォニー(註《パリ》交響曲)は、前の晩、生まれてこのかた聴いたこともないひどい練習につきあって、心配と不安と怒りのあまり眠れないほどでした(中略)覚悟を決めました。もし、稽古のときのようにまずく行ったら、なんとしても第1ヴァイオリンの手から楽器を取り上げて、ぼく自身が指揮をしようと」(1778年7月3日付けレオポルト宛の手紙1。下線筆者。(115) 愛の楽器? クラリネット(2)も参照)。

ザルツブルク宮廷楽団のコンサート・マスターですから、オケを率いるのはお手のものだったのでしょう(幸い本番はとてもうまくいったので、彼が飛び入りする必要はありませんでした)。ハイドンのロンドン招聘を実現させた興行師ザロモンもすぐれたヴァイオリニストで、もちろん兼業指揮をしていました。

当時は「音が出る指揮(というか指示)」が多かったそうです。具体的には「手を叩く」「台を叩く」「足を打ち鳴らす」「叫ぶ」など。しかも「演奏の間中、ほとんどずっと」鳴っていた2。たとえばパリのオペラ座の「足を踏み鳴らす、あるいは杖や弓で音が出るように叩く」指揮は、1803年に「しばしば、間違いと同じくらい邪魔になる」と評されています3

メンデルスゾーンは1831年にナポリの歌劇場で、オペラの間中ずっとファースト・ヴァイオリン奏者がブリキのろうそく立てを4分音符の速さで(=1小節4つずつ)打っているのを聞いて「(オブリガート・カスタネットのようだけれどそれよりやかましく)歌よりもはっきり聞こえる。それなのに、歌声は決して揃わない」と書き残しているそうです4。オペラだけではありません。ヴァーグナーは、1832年にプラハで、「乾いたひどくうるさいつえの音の」ディオニス・ヴェーバーに自分の交響曲のリハーサルしてもらったと書いています5

指揮者が「オーケストラの中で唯一音を出さない(出せない)奏者」になったのは、それほど昔ではなかったのですね。現在の指揮者像は、19世紀後半以降に作られたものなのです。

  1. マーシャル『モーツァルトは語る』高橋他訳、春秋社、1994。
  2. Botstein, Leon, “Conducting” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 6. Macmillan, 2001, p. 265.
  3. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices, Univ. of Rochester, 1981, p. 76.
  4. 前掲書、p. 77.
  5. 同上。