07. 12月 2016 · (298) ストコフスキーの楽器配置 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

20世紀に入ってからも使われていた、オーケストラの対向配置((296) 英語で何と言うのか?参照)。セカンド・ヴァイオリン(以下、ファースト、セカンドはヴァイオリンを指す)を、ファーストに向き合う形で指揮者の右側に置く配置です。ファーストとセカンドを左側にまとめる現在の配置は、ヘンリー・ウッドが先に採用したにもかかわらず((297) 対向配置を変えたのは誰?参照)、「ストコフスキー・シフト」として知られていますね。実はストコフスキーは、これ以外にも様々な配置を試みました。

ユニークなのが、木管楽器と弦楽器の位置を逆にした配置(図1)。半円形に並んだ前2列に木管楽器、その後ろの左側に金管楽器、右側にホルンと打楽器。間にヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが座り、一番後ろはコントラバス。Koury はこれを「(いわゆる)upside-down seating 逆さま配置」と呼んでいます1

図1:逆さま配置

図1:逆さま配置

まさか本当に使われたんじゃないでしょ?!と思った方、本当だったんですよ(写真12)。1939年から40年にかけてのことです。当時の音楽において管楽器の重要性が高まったことや、後ろの壁に近い方が、弦楽器の音がより効果的に反響すると考えられたことなどが理由3。最後列にずらりと並んだコントラバスは、なかなか壮観ですね。1940年の全米青年管弦楽団(All American Youth Orchestra)演奏会では、コントラバスの前にチェロも一列に並ぶ「逆さま配置」が使われました。

写真1:フィラデルフィア管弦楽団、1939年

写真1:フィラデルフィア管弦楽団、1939年

写真2は、1957年のヒューストン交響楽団の配置。「逆さま配置」は放棄され、ヴァイオリンが手前左、ヴィオラがその右。ヴィオラの後ろの手前右に木管楽器、さらに後ろに打楽器。金管楽器は中央に並んでいます(左側にテューバが見えますね)。そして、最後部に横1列のコントラバス、その前にチェロが並びます。セリ台はかなりの高さ。コントラバスが乗る最上段は、打楽器奏者の頭ほどの高さです。

写真2:ヒューストン交響楽団、1957年

写真2:ヒューストン交響楽団、1957年

弦楽器を左側、管楽器を右側に分ける配置も試されました(図2)。弦と菅が互いに掛け合うようなフレーズで効果的と考えられたのです。楽器配置だけでなく、平らな舞台のままかセリ台を使うかなども、ストコフスキーの実験の対象でした。また、フィラデルフィア管弦楽団では弦楽器の上げ弓・下げ弓を定めず、個々の奏者に任せる「自由ボウイング free bowing」も採用されました4

ストコフスキーの試みは、このようにかなり風変わり。ただ彼は、奇をてらったり気まぐれでこれらを試したのではなく、より良い響きを求めて工夫を重ねていたのです。ヴァイオリンを左側にまとめるストコフスキー・シフトは、現在世界中のオーケストラのスタンダードですが、当時の人たちはきっと、私たちが図1や図2を見て驚くのと同じくらい驚いたのでしょうね。来週のコラムはお休みさせていただきます。

図2:弦楽器を左、管楽器を右に置く配置

図2:弦楽器を左、管楽器を右に分ける配置

  1. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988, p. 310. 図1と2は同書 p. 311より。
  2. Huffmann, Larry, “Interviews with Leopold Stokowski,” http://www.stokowski.org/. 写真2も。
  3. Koury, p. 310.
  4. Del Mar, Norman, Anatomiy of the Orchestra, Faber & Faber, 1981, p. 77.
30. 11月 2016 · (297) 対向配置を変えたのは誰?  はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

ロンドン生まれの指揮者、レオポルド・ストコフスキー(1882〜1977)。「全てのヴァイオリンを同じ側に置く彼の新手法は、今でも標準的な慣習である」と、イギリスの音楽事典にも書かれています1。彼は「伝統的なオーケストラ配置(対向配置)はもはや現代の要求を満たさないと、かなり早い時点で」判断。アメリカのフィラデルフィア管弦楽団で、実験的な試みを行いました2

セカンド・ヴァイオリン(以下、ファースト、セカンドはヴァイオリンを指す)をファーストの隣、ヴィオラを中央、チェロを右側にする配置は「ストコフスキー・シフト」と呼ばれ、アメリカのほとんどのオーケストラのスタンダードになりました。しかしながら、この新しい配置にしたのはストコフスキーが最初ではありません。彼がフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者になったのは1912年ですが、この配置を含む様々な実験を行うのは、1920年代後半以降3。それまでは、(296) 英語でなんというのか?の図3のように、右側にセカンドを置く伝統的な対向配置を使っていました。

ストコフスキーより早い時期にファーストの隣にセカンドを置く配置を始めていたのは、同じロンドン生まれの指揮者ヘンリー・ウッド(1869〜1944)4。同世代のトスカニーニやメンゲルベルクらの陰に隠れた感がありますが、ロンドンの夏の名物「プロムス」の指揮を、第1回目(1895年)から務めた指揮者です。現在もプロムス期間中、彼の胸像がオルガン前に置かれるのが慣例になっています(昨年夏、初めてプロムスを体験をし、巨大なロイヤル・アルバート・ホールでその胸像を遠くから拝んできました)。

ヘンリー・ウッドは長く続いていた対向配置の慣例を破って、左側に全ヴァイオリンを並べました。この目新しい配置に「時に、作曲家によって意図された交互に歌い交わすような効果を破壊する」と反対する指揮者も 3。しかしヘンリー・ウッドはこの配置により、「より良いアンサンブルが保証される。全ての(ヴァイオリンの)f字孔が客席に向いているので、音量と音質が改良される」と述べています6

ヘンリー・ウッドは1911年に、ロンドン・フィルハーモニック協会オーケストラを、このヴァイオリン配置で指揮しました。図1は1920年にニュー・クイーンズ・ホール・オーケストラを指揮した際の写真です7。左からファースト、セカンド、ヴィオラ、チェロと並び、ヴィオラの後ろあたりにコントラバスが陣取っています。

この配置は次第に広がり、1925年にはクーセヴィツキーがボストン交響楽団で同様の配置を採用しました。ただ、ヘンリー・ウッドがこの配置を、ストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団で試したより早い時期に始めたのは確かですが、最初に始めたかは断言できません。彼はヨーロッパや北アメリカのオーケストラを度々客演しており、誰か他の指揮者のアイディアから着想を得た可能性もあります((298) ストコフスキーの楽器配置に続く)。

図1:ニュー・クイーンズ・オーケストラを指揮するサー・ヘンリー・ウッド(1920)

図1:ニュー・クイーンズ・オーケストラを指揮するサー・ヘンリー・ウッド(1920)

  1. Bowen, Jose, ‘Stokowski, Leopold,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 24. Macmillan, 2001, p. 426.
  2. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988, p.309.
  3. Ibid.
  4. Ibid., p.302.
  5. Ibid.
  6. Ibid., p. 303.「all the S holes」は「f」の誤りでしょう。
  7. Marks, Peter, “Divided violins: Sir Adrian would be pleased,” http://musicdirektor-smallgestures.blogspot.jp.
23. 11月 2016 · (296) 英語で何と言うのか? 対向配置について はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

最近はアマ・オケの演奏会でも、対抗配置がそれほど珍しくなくなりました。対向配置とは、セカンド・ヴァイオリンが客席から見て舞台の右側(以後、左右は全て客席側から見た方向)に置かれ、左側のファースト・ヴァイオリンと向かい合う配置(以後、ファースト、セカンドは全てヴァイオリン)。ファーストの隣にチェロ、その後ろにコントラバスが位置し、ヴィオラはチェロとセカンドの間です(図1参照)。舞台左側にファーストとセカンドを並べる配置が一般的になる前に、使われました。

図1:対抗配置(弦のみ)

図1:対向配置(弦のみ)

対向配置は、両翼配置、古典配置とも呼ばれます。これらを英語では何と言うのでしょうか? いろいろ探しているのですが、今のところ特定の用語は見つかりません。そもそも「配置」も、(seating)plan、arrangement、layout、position、placement、setting など、いろいろな語が使われます。「2つのヴァイオリン群が指揮者の両脇に」などと説明されるところを見ると、「対向、両翼」配置は、日本独特の用語?!

ただこれを「伝統的な traditional」配置と呼ぶ記事がいくつかありました1。一方、現在一般的な配置は「現代の modern」配置、あるいは「標準的な standard」配置などです2。また、現在の配置を「アメリカ式」、古い配置を「(古い)ドイツ式」と書いたものもありました3

ところで、対向(両翼)配置はいつ頃使われたのでしょうか。古典派時代? 確かにベートーヴェンは、この配置をうまく利用しています。よくあげられる例が、《第九》第2楽章のフガート。右端のセカンドから始まり、ヴィオラ、チェロ、ファースト、コントラバスと、フガート主題が順に左に受け渡されていきます。

セカンドがファーストの隣りに座るのが一般的になるのは、実はかなり最近のことです。既にご紹介したメンデルスゾーンの革命的配置((96) オーケストラの楽器配置、ライプツィヒ、1835参照。左右逆でしたね)や、パリ((174) パリ、1828)、ロンドン((260) ロンドン、1840)の例のように、19世紀もずっと、対向(両翼)配置が使われました。チャイコフスキーの《悲愴》交響曲(1893)で、ファーストとセカンドが1音ずつ旋律を分担する終楽章冒頭(譜例1参照)は、対向配置によりステレオ効果が際立ちます。

譜例1:チャイコフスキー《悲愴》交響曲終楽章冒頭

譜例1:チャイコフスキー《悲愴》交響曲 終楽章冒頭

マーラーが1905年に《第九》を演奏したときの写真(図2)では、指揮者の左側にチェロが見えます。ストコフスキーが1916年3月2日に、フィラデルフィア管弦楽団とマーラーの《一千人の交響曲》のアメリカ初演を行ったときの写真(図3)も、対向配置ですね。そう、20世紀になっても対向配置が使われていたのです。あれれ、現在の配置を始めたのはストコフスキーではなかったかな……?? ((297) 対向配置を変えたのは誰?(298) ストコフスキーの楽器配置に続く4

図2:ベートーヴェン《第九》を指揮するマーラー(ストラスブール、1905)

図2:ベートーヴェン《第九》を指揮するマーラー(ストラスブール、1905)

図3:ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団(1916)

図3:ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団(1916)

  1. Huffmann, Larry, “Interviews with Leopold Stokowski,” http://www.stokowski.org や、Marks, Peter, “Divided violins: Sir Adrian would be pleased,” http://musicdirektor-smallgestures.blogspot.jp など。後者は「自分は伝統的配置と呼ぶ」と但し書き付きです。図2、図3も Marks より。
  2. 「現代の」は上記 Marks。「標準的」は Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988 など。
  3. Rasmussen, Karl Aage, Laursen, Lasse, “Orchestra size and setting,” trans. by Reinhard, http://theidiomaticorchestra.net.
  4. 漢字のミスを指摘してくださった読者の方、どうもありがとうございます。私、ずっと間違って覚えていました。皆さま、ごめんなさい。
03. 8月 2016 · (287) ヴァイオリンのハイ・ポジション はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

いつ頃からヴァイオリンのハイ・ポジションを使うようになったのでしょう?? 《ロマンティッシュ》第2楽章ヴィオラの努力目標((285) ヴィオラの出番!!参照)達成のため練習に励んで(?!)いて、不思議に思いました。ヴァイオリン族の弦楽器における左手の位置を、ポジションと言います。ネックの先端寄りが第1ポジションで、ト音(真ん中のドの下のソ)から2点ロ音(ト音記号の上に加線1本のシ)までの音域をカバー。これよりも高い音を出すためには、左手をより高いポジションに移動させなければなりません。

図1は初期のヴァイオリン演奏図((99) 高音域を使わない理由から再掲。2年前に出版した『オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識』の口絵にも入れました。(0) ”パレストリーナ” プロフィール参照)。こんな楽器の構え方では、左手を動かせそうにありませんね。

図1:ヘリット・ドウ『ヴァイオリン奏者』(1665)

図1:ヘリット・ドウ『ヴァイオリン奏者』(1665)

それもそのはず。「ヴァイオリンはその誕生以来16世紀末までは主として舞踏の伴奏に用いられ、現在より短くて幅広いネックと指板をもち、左胸と左手でささえられた。音域は上3弦の第1ポジションのみ(後略)1」。G線は使わなかったということ?!! この奏法、フランスでは18世紀初頭まで残りましたが、イタリアでは17世紀半ばにソナタが盛んになり、ヴァイオリンは旋律楽器に。

ソナタの発展と並行して楽器が改良され、ネックと指板は以前より長くなりました。また、左手が自由に動けるようヴァイオリンを肩の上にのせ、ポジション移動のときは緒止板の右側をあごでおさえるように。ヨハン・ゼバスティアン・バッハが使ったヴァイオリンの音域は、この時代一般的だった3点ホ音を超えて、3点イ音(加線4本)まで2。一方で彼のヴィオラの音域が第3ポジションの2点ト音までなのは、旋律楽器として使われることが少なかったからでしょう。

高いポジションは、次第に低い弦でも使われるようになりました。レオポルト・モーツァルト(1756)とフランチェスコ・ジェミニアーニ(1751)は良いヴァイオリン奏者に、すべての弦で第7ポジションまで弾けることを要求しています3。緒止板の左側でヴァイオリンを保持することで、高いポジションやG線の徹底的な使用を可能にしたのがヴィオッティ(1755〜1824)。1820年にシュポーア(1784〜1859)が初めて固定したあご当てを使用。左手はさらに自由に動かせるようになりました。

と調べてきて、ようやく気がつきました。ハイ・ポジションは、第7ポジションよりも高い位置を一括する呼び方なのですね4。《ロマンティッシュ》のヴィオラの努力目標、私は途中からD線も使うので第7ポジションまでに収まります。ハイ・ポジションとは言わないのでした。

  1. 柴田純子「ヴァイオリン」『音楽大辞典1』、平凡社、1981、135ページ。
  2. 久保田慶一「ヴァイオリン」『バッハ キーワード事典』、春秋社、2012、355ページ。「1点ト音から」書かれていますが、「ト音」の誤りでしょう。
  3. Monosoff, Sonya, ‘Position,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 20, Macmillan, 2001, p. 207.
  4. 無記名「ポジション」『音楽大辞典5』、平凡社、1983、2350ページ。
29. 6月 2016 · (283) 弦楽器の穴 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

弦楽器の表板には、左右に2つの穴が空いています。これが響孔。英語の soundhole の直訳ですね。ヴァイオリン属の穴は f の形をしているので、f 字孔と呼ばれます。響孔は初めから f 字型だったわけではなく、変化を繰り返してきました。

ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスは、弦を擦って音を出す擦弦楽器。このヴァイオリン属のご先祖様ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(イタリア語で「腕のヴィオラ」の意味)や、コントラバスのご先祖様ヴィオラ・ダ・ガンバ(「脚のヴィオラ」。(31) 仲間はずれはだれ?参照))も含まれます。元来、リュートのような指で弾いて音を出す撥弦楽器を弓奏したと考えられます。つまり、初めの響孔は円型。リュートでは彫刻が施され、ロゼッタと呼ばれます(図1参照)。

図1:ハーレムのリュート、賢王アルフォンソ10世の『ゲームの書』、1283より

図1:ハーレムのリュート、賢王アルフォンソ10世の『ゲームの書』、1283より

弓で擦ると、指で爪弾くよりずっと大きな張力がかかります。そのため、弦は駒の上を通って緒止め板に固定されるようになりました。表板の中央に駒が置かれたので、響孔は半円形2つに分かれ(図2左)、やがて細くなります。フィドル(擦弦楽器を指す英語)の図像の多くはこの形(図2右)。

図2左:14世紀の写本に描かれたフィドル弾き。図2右:フィドルとパイプを奏する天使、Francesco Botticini、c.1475-97

図2左:ボエティウス『音楽綱要』の14世紀の写本に描かれたフィドル弾き。右:フランチェスコ・ボッティチーニ、奏楽の天使より、c. 1475〜97

両端の弦を弓奏するときの邪魔にならないよう、楽器本体の側面にくびれがつけられました。響孔の半円形は、くびれに従って逆の向きに。これが、ヴィオラ・ダ・ガンバの C 字孔です(図3)。やがて、その曲がった柄が反対方向にねじれ、f 字形に。「表板の振動力線を最も阻害しない形」になりました1。13〜15世紀にかけてのことです。このような変化は直線的ではありませんし、様々な変種も存在しますが、擦弦楽器の理想を求めて改良が加えられてきたのです(来週の聖フィル♥コラムはお休みします)。

図3:ヴィオラ・ダ・ガンバ

図3:ヴィオラ・ダ・ガンバ

  1. 『図解音楽事典』ミヒェルス編、白水社、1989年(dtv−Atlas zur Musik, Verlag GmbH & Co., 1977, 1983)、38ページ。
18. 6月 2014 · (190) コルネットとトロンボーンとヴァイオリンの八重奏 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

ルネサンス音楽史の必修曲《8声のためのピアノとフォルテのソナタ》。作曲者ジョヴァンニ・ガブリエーリ(c.1554-7〜1612)は、アドリアン・ヴィラールト(c.1490〜1562)が創始したヴェネツィア楽派の1人です1。ジョヴァンニは、1584年にサン・マルコ大聖堂の臨時オルガン奏者になり、翌年、叔父アンドレアが第2オルガン奏者から第1オルガン奏者に昇進すると、第2奏者に。1586年のアンドレアの死後、亡くなるまで第1オルガン奏者を続けました。1597年に出版された《ピアノとフォルテのソナタ》は、

    • ソナタというタイトルを持つ最初期の曲
    • 強弱が指定された最初期の曲
    • 楽器名が指定された最初期の例

として重要。16世紀、器楽はもっぱら声の代わりか声楽の補助。手近にある楽器を使って演奏しました。このように楽器が指定された曲は、非常に珍しい(=新しい)のです。楽器編成は、

    • コルネット(ツィンクとも。現在のコルネットとは異なる円錐形の楽器):1
    • トロンボーン(サックバットとも):6
    • ヴァイオリン:1

えっ!! 金管アンサンブルの中に、1つだけヴァイオリン?! 何かの間違いでは?? いいえ、楽譜にもはっきりと「Violino」の指示(譜例1右上の矢印先。クリックで拡大します)。

譜例1:ジョヴァンニ・ガブリエーリ《8声のピアノやフォルテのソナタ》第7声部(「サクラ・シンフォニーア》(ヴェネツィア、1598)より)

譜例1:G. ガブリエーリ《ピアノとフォルテのソナタ》第7声部(ヴェネツィア、1597)

サン・マルコ大聖堂でミサを執り行うために楽器奏者が雇われ初めたのは、1568年2。1586年暮れの支払い記録には、12人もの楽器奏者が言及されています。コルネット奏者とトロンボーン奏者に混じって、ヴァイオリン奏者が2人3。1603年のクリスマス・ミサの支払い記録にも、コルネット4、トロンボーン5、ファゴット1とともに、ヴァイオリン2とヴィオローネ(コントラバスの先祖)1が。オルガンとトロンボーン以外は世俗の楽器((42) 神の楽器 ? トロンボーン参照)。コルネットもヴァイオリンも、ファゴットもヴィオローネも、たいして違わなかった?

ところで譜例1の第7声部には、ヴァイオリンの最低音ソよりも低い音が使われています(丸で囲った部分)。音部記号もアルト記号。ヴァイオリンと指定しているのに、不思議ですね。

  1. 個人的な話ですが、私、ヴィラールトの声楽曲集で修士論文を書きました。
  2. Ongaro, Giulio, ‘Venice,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, 401.
  3. Bryant, David, ‘Gabrieli, Giovanni,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 9, Macmillan, 2001, 392.
28. 8月 2013 · (148) バッハもヴィオラを弾いていた はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

ベートーヴェンはボン時代、劇場でヴィオラを弾いていました。シューベルトは、家族で弦楽四重奏をするとき、ヴィオラを担当していました((33) シューベルトの未完成交響曲たち参照)。時代は下がって、ドヴォルジャークはチェコの国民劇場仮劇場オーケストラでヴィオラを弾いていました((30) スメタナとドヴォルジャーク参照)し、ヒンデミットも室内楽やソロ活動をするヴィオラ奏者でした。

ヴィオラと言えばもう1人、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ。好んでヴィオラを弾いたと、彼の次男、カール・フィリップ・エマヌエルが伝えています1。譜例1は、その(間接的な)証拠と考えられるもの。

譜例1:バッハ作曲《ブランデンブルク協奏曲》第5番 BWV 1050 第1楽章冒頭

譜例1:バッハ作曲《ブランデンブルク協奏曲》第5番 BWV 1050 第1楽章冒頭

ブランデンブルク協奏曲第5番と言えば、バッハの最も人気がある世俗曲の1つ。独奏楽器は、フルートとヴァイオリンとチェンバロ。複数の独奏楽器を持つバロック時代の協奏曲、コンチェルト・グロッソです。でも、全体としてチェンバロの比重が非常に大きく、実質的にはチェンバロ協奏曲と言えます。ブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒに献呈するために(この被献呈者の名前で呼ばれますが、バッハが付けたタイトルは『種々の楽器を伴う協奏曲集 Concerts avec plusleurs instruments』)丁寧に清書された自筆スコアは、上から順に独奏フルート、独奏ヴァイオリン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ヴィオローネ(コントラバスのご先祖)、独奏チェンバロ。

チェンバロ・パート右手部分は、最初の和音のみで残りはずーっと空白。左手の楽譜の上には、何やら不思議な書き込みがいっぱい。これは、通奏低音奏者に和音の種類を示す数字で、8分音符のように見えるのは数字の6(3度上と6度上の音を弾けということ。(132) 楽譜どおり演奏しても足りない場合参照)。このオープニング部分では、チェンバロ奏者は独奏者ではなく、通奏低音担当の伴奏者。数字で指示された和音を、即興で充填します。一方、譜例1の最後の小節からは、右手パートも記入されていますね。通奏低音の数字はありません。ここからチェンバロ奏者は独奏者に早変わり。1人2役、大忙し。

話をヴィオラに戻しましょう。ヴィオラのパートは、通常のハ音記号で記譜されていますね。この曲がどうして、バッハがヴィオラを弾いていた証明になるのでしょうか。よく見ると、ちょっと変わったところがありますよ。独奏ヴァイオリン・パートの下、伴奏(リピエーノと呼びます)ヴァイオリンが、1パートしかありませんね。通常は(たとえヴァイオリン協奏曲でも)、オーケストラのヴァイオリンにはファーストとセカンドの2パートあるもの。それなのに、この曲は1パートだけ。これは普通ではありません。

ケーテンの宮廷楽長時代、協奏曲を演奏するときには、バッハはヴィオラを弾きながら指揮していたと考えられます。でも、ケーテン宮廷が新しく購入した、ベルリンのチェンバロ製作家 ミヒャエル・ミートケ作の2段鍵盤チェンバロをお披露目するために作曲されたこの協奏曲では、バッハ自身がチェンバロ・パートを受け持ったことは、まず間違いありません。ということは:

    1. バッハはいつものヴィオラを受け持つことができなかった
    2. でもヴィオラはアンサンブルに必須!
    3. セカンド・ヴァイオリン奏者にヴィオラを担当させた
    4. セカンド・ヴァイオリンを弾く人がいなくなった
    5. ヴァイオリンを1パートのみにした

この場合、リピエーノ・ヴァイオリンのパートは、1人で弾いていたことになりますね。ケーテン宮廷楽団はバッハの頃、16名の団員が在籍していたそうですから、ヴァイオリンが2人というのはちょっと少なすぎる感じ2。でも、弦パートは1人ずつで弾いたと主張するリフキンのような研究者もいます。チェンバロの長く華やかなカデンツァを持つこの協奏曲、意外にも室内楽のように演奏されていたのかもしれません。

  1. 角倉一朗『バッハ:ブランデンブルク協奏曲ミニチュア・スコア解説』全音出版、n.d.、13ページ。
  2. 久保田慶一編『バッハキーワード事典』春秋社、2012、332ページ。
19. 6月 2013 · (138) 弦楽四重奏:不公平な編成はなぜ? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , ,

各パートを1人で演奏する音楽である室内楽の中で、最も重要でレパートリーも多いのが、弦楽四重奏曲。ヴァイオリン2人にヴィオラとチェロが1人ずつ。弦楽五重奏やピアノ五重奏などと違って、弦楽四重奏の編成は必ずこの組み合わせと決まっています。

弦楽器って4種類あるのだから、4重奏ならヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス各1の方が自然ですよね。でもそうではなく、ヴァイオリンが2人。その分コントラバスは入れてもらえない。不公平! 以前書いたように、弦楽器の中でコントラバスだけがヴィオール属の血を色濃く残していますが((31) 仲間はずれはだれ?参照)、それが理由ではありません。

「弦楽四重奏の父」ハイドンがこの(不公平な)編成で作曲したいきさつについて、グリージンガーは伝記の中で以下のように述べています。「フュルンベルク男爵という人が、ときどきちょっとした音楽を演奏させるために、彼の主任司祭、管理人、ハイドン、そしてアルブレヒツベルガーを招いた。男爵はハイドンに、この4人のアマチュアが演奏出来るような曲を何か作るようにリクエストした。当時18歳だったハイドンはこれを受けて、彼の最初の弦楽四重奏曲 op. 1, no. 1 を考案した。それが世に出るや否や、世間一般に良く受け入れられたので、ハイドンは思い切ってこの形でさらに作曲した」1

えーっ、たまたまヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1が集まったから、このジャンルが生まれたということ?!? もしも集まった4人のうちの3人がチェリストだったら、ハイドン(とその後)の弦楽四重奏はヴァイオリン1、チェロ3の編成になっていたかもしれないの?!? まさか、そんなはずありませんよね。彼がこの編成のジャンルを「考案」したわけではありません。ちなみに、ハイドンが最初期の弦楽四重奏曲10曲を作ったのは、1757〜62年頃。20代後半です2。18歳なんて、グリージンガーさんサバ読み過ぎ!

不公平な編成の理由は、バロック音楽の通奏低音の中に見つかります。低音旋律楽器と鍵盤楽器の左手が、低音旋律を演奏するのでしたね((132) 楽譜どおり演奏しても足りない場合参照)。前者にはチェロやファゴットだけではなく、コントラバスも含まれます。つまり、チェロとコントラバスは同じパートを演奏していたのです。だから、各パート1人の室内楽ではコントラバスはあぶれて(?!)しまいました。

それならなぜ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの弦楽3重奏が主流にならなかったのでしょうか。この理由もバロック音楽のトリオ・ソナタの中に見つかります。トリオとカルテットじゃ1人違う……のではなく、トリオ・ソナタの演奏者も4人でしたね((135) トリオはトリオじゃなかった?参照)。最も一般的だったのは、ヴァイオリン2つとチェロ、チェンバロという組み合わせ。

実はこのトリオ・ソナタは、弦楽四重奏の主要な先駆形態のうちの1つ。2パートのヴァイオリンのかけあいをチェロとチェンバロの通奏低音が支えていたのですが、このバロック時代の伴奏習慣は次第に廃れていきます。チェンバロ(の右手)に代わって、旋律と低音の間を埋めるために使われるようになったのが、ヴィオラ(ようやく登場! (37) ヴィオラはえらい?参照)。でも、ヴィオラ1つで和音充填するのはかなり難しい。そのため、ヴァイオリン1は旋律、2はヴィオラとともに伴奏という分業が普通に。

というわけで、弦楽四重奏の編成が不公平なのは、バロック時代のトリオ・ソナタがご先祖様の1つだったから。もう1つのご先祖様については、また改めて。

  1. Jones, David Wyn, “The Origins of the Quartet” The Cambridge Companion to the String Quartet. Cambridge University Press, 2003, p. 177(グリージンガーの『伝記』の英訳が引用されている)。大宮真琴はアルブレヒツベルガーを有名な対位法家本人と書いていますが(大宮真琴『ハイドン』音楽之友社、1981、44ページ)、Jonesはその兄弟のチェリストとしています。
  2. Jones, 前掲書、178。
30. 1月 2013 · (118) ヴィブラートは装飾音だった (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

バロック時代には「恐れ」「冷たさ」など、主に否定的な感情を強調するために、長い音にのみ用いられたヴィブラート((117) 参照)。18世紀半ばにレオポルト・モーツァルトは、「中風持ちのように全ての音を絶え間なく震わせる」のではなく、「最後の音、長く保持される音」にのみ用いよと書いています。ところが、ほぼ同じ時期にイタリア人ヴァイオリニスト、ジェミニアーニが『ヴァイオリン奏法(1751)』「よいセンスで演奏するために必要な装飾法」の中で書いたのは:

クローズ・シェイク(close shake 訳注:ヴィブラート)を(中略)音を徐々に長くスウェリングさせ、弓はブリッジに近づけてひき、強く終わると、威厳や権威を表すことができる。しかし、短く、低く、小さくすると苦悩や恐怖などを表わす(ママ)ことができる。そして、短い音にこのクローズ・シェイクをつけると、音を快いものにする効果がある。このためだけだとしても、これはできるだけしばしば使われるべきである1

L. モーツァルトの、ヴィブラートは長い音にだけという記述と異なりますね2。イタリア語圏とドイツ語圏のヴァイオリン奏法の違いの反映かと思ったのですが、L. モーツァルトのヴィブラートの記述全体は、イタリア人ヴァイオリニスト、タルティーニの装飾に関する論文に由来しているという指摘もあり、そのような単純な理由ではなさそうです3

ザスローはこのジェミニアーニの説を例外とみなし、モーツァルトの時代は「ヴィブラートはソリストによってつつましく使われるもので、よく訓練されたオーケストラ奏者による使用は一般に控えられていた」と書きました4。これに異を唱えたのがノイマン。フランスのフルート奏者オトテールがフルート奏法の著作(1707)の中で「ほとんど全ての長い音に」ヴィブラートを使うように書いていることなどを理由に、(ソロ奏法とオーケストラ奏法との間に、違いが存在したことは認めつつ)オーケストラ奏者ノン・ヴィブラート説に反対しています5。確かに、オーケストラ奏者はヴィブラートを控え目にと書かれた資料は、見つかっていないのです。

このように、どの程度の頻度でソリストが、あるいはオーケストラ奏者がヴィブラートを用いていたか、見解はまとまっていません。確実に言えるのは、

  • 音を豊かにするために、常にヴィブラートをかけながら弦楽器を演奏するようになったのは、20世紀最初の四半世紀以降6

ということ(だけ)。それまでずっとヴィブラートは、特別な効果のためにとっておくものでした。

ヴィブラートについて調べていて印象に残ったのは、20世紀におけるこの大きな転換が、「オーケストラでガット弦に代わってスティール弦が使われるようになったことと、密接に関係していたと思われる」「古い時代の装飾音としてのヴィブラートは、その豊かな表現能力を失ってしまった」というメーンス=ヘーネンの指摘7。「ヴィブラートを使わない=ピリオド奏法」というような単純で極端なものではありません。指揮者や演奏者の「センス」や「眼識」が問われる、非常に繊細な問題であることを忘れてはならないでしょう。

  1. フランチェスコ・ジェミニアーニ『バロックのヴァイオリン奏法』サイモン・モリス解説、内田智雄訳、シンフォニア、1993、27。
  2. 橋本英二は「あくまで装飾音として扱っていて、いつも使うとは述べていない」と書いていますが(『バロックから初期古典派までの音楽の奏法』音楽之友社、2005、73)、いささか苦しい解釈のように思われます。
  3. Neumann, Frederick, ‘The Vibrato Controversy’ Performance Practice Review, vol. 4 (1991), 22.
  4. Zaslaw, Neal, Mozart’s Symphonies, Oxford Univ. Press, 1989, 480 – 81(邦訳が出ていますが未確認)。
  5. Neumann、15。
  6. ノリントンは2003年2月16日付けニューヨーク・タイムズで、絶え間なくヴィブラートを使い始めたのはクライスラーらしいと書いています(’Music: Time to Rid Orchestras of the Shake’ http://www.nytimes.com/2003/02/16/arts/music-time-to-rid-orchestras-of-the-shakes.html?src=pm)。レオポルト・アウアーやカール・フレッシュのように、20世紀のヴァイオリニストの中にもヴィブラートを控えめに、あるいは妥当な意味があるときだけに用いるようにと述べる者もいました。
  7. Moens-Haenen, Greta, ‘Vibrato,’  New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, p. 525.
23. 1月 2013 · (117) ヴィブラートは装飾音だった (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

作品が作られた当時の演奏習慣を用いるピリオド奏法。「その時代の」という意味ですね。ロジャー・ノリントンらの指揮によって、ピリオド奏法の特徴のひとつとしてかなり広く知られるようになったのが、ノン・ヴィブラート奏法(ここでは、ヴィブラートを全く使わないだけではなく、あまり使わない奏法を含めてこの語を使います)です。しかし、たとえばベートーヴェンの時代になぜ弦楽器をノン・ヴィブラートで演奏していたのか、理由をご存知でしょうか。ヴィブラートはもともと、特別な理由が存在する場合にのみ用いるものだったからです1

中世初期から記述が残るヴィブラート。バロック時代には、ある種の情緒を表現するために使われました。「恐れ」「冷たさ」「死」「眠り」「悲しみ」、あるいは「優しさ」「愛らしさ」などです2。歌詞を持つ声楽曲のみならず器楽曲においても、このような情緒を強調するためにヴィブラートを使うことが許されました。つけても良いのは、アクセントがある長い音だけ。装飾音の一種と捉えられていたのです。音を豊かにするためという現在の目的とは、全く違いますね。

ヴィブラートやグリッサンドのような特別な「装飾」は、アンサンブルではなく独奏に必要なもの3。教本や、フランスの愛好家向け楽譜などに、波線や「x」などでヴィブラートの指示が記入された例もありますが、ごくわずか。どの音につけるかは、演奏家の解釈次第です。ただ、ギターやリュート等の撥弦楽器のための曲においては、情緒とは関係なしに、音の長さを延長する手段としてヴィブラートが許されていました4

18世紀半ば以降は、「甘美さ」などの肯定的な意味あいで捉えられるようになります。ほとんどの音(少なくともほとんどの長い音)にヴィブラートを使う演奏家もいて、レオポルト・モーツァルトは彼の『ヴァイオリン奏法(1756)』第11章「トレモロ、モルデント、その他即興の装飾音について」の中で、以下のように諌めています。

トレモロ(訳注:ヴィブラート)は、『自然の女神』が生んだ装飾音で、長い音に魅力的に使うことができ、優れた器楽家のみならず、賢明な歌い手によっても使われます。(中略)全ての音をトレモロで弾くのは間違いです。演奏者の中には中風持ちのように全ての音を絶え間なく震えされている人がいます。(中略)曲の終わり、または、長い音符で終わるパッセージの終わりでは、例えばピアノ(Flügel、Clavichord)で弾いたような場合、その音は明らかに後までずっと響き続けます。従って、最後の音、または、長く保持される音はトレモロで装飾します5

それならフレーズの最後に入れるトリルのようなつもりで、それ以外の音にはヴィブラートを使わなければ良いんでしょ……という単純な話ではないようです。レオポルトと同時代に、異なる記述を残したヴァイオリニストもいました。次週に続く。

  1. 小林義武『バッハ 伝承の謎を追う』春秋社、1995、p. 91。
  2. Moens-Haenen, Greta, ‘Vibrato,’  New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, p. 524. このメーンス=ヘーネンの研究によって、バロック時代のヴィブラートの状況が明らかにされたのですが、彼女の Das Vibrato in der Musik des Barock(Akademische Druck- und Verlagsanstalt, 1988)が、日本語訳はおろか英訳もされていないのは残念です。
  3. 同上。
  4. 小林、同上。
  5. モーツァルト、レオポルト『バイオリン(ママ)奏法』塚原晢夫訳、全音楽譜出版社、1974、p. 177。