10. 4月 2013 · (128) ロマン派の協奏曲:「作り付け」カデンツァ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

第8回定期で演奏するチャイコフスキーのピアノ協奏曲と、第6回定演で取り上げたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。今回は、協奏曲に登場するカデンツァを、ロマン派と古典派で比較してみましょう。その前にまず、カデンツァとは何か。以下の説明の中で正しくないはどれでしょう。

    1. オーケストラの伴奏無しで、ソリストが自由に技巧を発揮する部分
    2. 協奏曲だけに使われる
    3. 古典派時代に成立した
    4. 楽章の最後に置かれる
    5. 本来、即興で演奏された

正しくないのは2と3。ソリストが華やかな名人芸を披露するカデンツァは、協奏曲だけではなく、オペラのアリアにおいても重要です。またカデンツァは、古典派より前のバロック時代((27) 音楽史の時代区分参照)の協奏曲やオペラでも使われました。カデンツァは、4のように楽章の最後、正確にはソナタ形式の再現部の最後に置かれ、その後に終結部が続きます。ただ、展開部と再現部の間に置かれた、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のような例外もあります。

本題に戻りましょう。2曲のカデンツァの違いは? チャイコフスキーもベートーヴェンも、第1楽章の終わりにカデンツァがあります。場所は同じですが、中身は大違い。ベートーヴェンがヴァイオリン協奏曲の独奏パート譜に書いたのは、フェルマータとトリルの記号付きのミの2分音符だけ(譜例1)。中身は作っていません。一方、チャイコフスキーのカデンツァは、チャイコフスキー本人の作。

譜例1:ベートーヴェン作曲ヴァイオリン協奏曲第1楽章カデンツァ

譜例1:ベートーヴェン作曲ヴァイオリン協奏曲第1楽章カデンツァ

ここで重要なのが5。カデンツァはもともと、即興で演奏するものでした(多くの場合、ソリストは予め考えておいたのでしょうけれど)。ベートーヴェンは、基本的に自分で独奏するために作ったピアノ協奏曲では、自作のカデンツァを残しています。ヴァイオリン協奏曲は、独奏者にお任せして自分では書きませんでしたが、これを編曲して作ったピアノ協奏曲には、カデンツァが4種類も残されているそうです。

重要なのは、誰かがこれらのピアノ協奏曲を独奏する場合、ベートーヴェンが作ったカデンツァを弾いても弾かなくてもどちらでも良いこと。現在ではほとんどの場合、彼のカデンツァが使われますが、ソリスト自身が作ったカデンツァでも、他の誰かが作ったカデンツァでも構わないのです。

でも、ロマン派の時代になると、作曲家はカデンツァも自分で作曲してしまうようになります。ソリストはこの「作り付け」を、そのまま弾かなければなりません。気に入らないからと自分で作ったり、難しいからと変更したり省略したりしてはダメ(そのようなケースも稀にあったようですが)。

もともとソリストが自由に演奏するものだったカデンツァ。古典派時代でも、どれを使うかはソリストに任されていたのに、ロマン派になると作曲家が全て作るようになったのはなぜでしょうか。作曲家と演奏家の分業が進んだことが理由の1つ。自由に即興する部分だからと、何でも好き勝手に弾いて良いわけではなく、それぞれの協奏曲に合うカデンツァでなければなりません。曲中の主要主題やその一部(動機)を展開しながら、自分が持つ高度なテクニックと豊かな音楽性を示すことができる個性的なカデンツァを作るなんて、作曲の素人には難し過ぎます。

さらに大きな理由は、作曲家が自分の作品の創作を、たとえ一部でも他人に委ねることをきらうようになったこと。曲に合わないカデンツァを付けて弾かれたら、作品の統一感が無くなりますし、全体のバランスも崩れてしまいます。リスクを回避するために、作曲家が自分で作品を完成させるようになったのです。実は古典派のベートーヴェンも、最後のピアノ協奏曲に、カデンツァは入れずに楽譜どおりに弾けと書き込んでいます。彼も、自分で全てをコントロールした協奏曲を作りたくなったのでしょう。モーツァルトが、亡くなる年に作ったクラリネット協奏曲のどの楽章にもカデンツァを置かなかったのも、同じ理由からかもしれません。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の序奏のように、本来の場所ではないものの、ソリストのみが技巧的で装飾的な演奏を繰り広げる部分もカデンツァと呼ばれます。協奏曲以外でも同様。《くるみ割り人形》の中の《花のワルツ》序奏の最後、ロマンティックなハープ・ソロもカデンツァです。

03. 4月 2013 · (127) ロマン派の協奏曲:なぜすぐソロが加わるか はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

今回の定期で演奏するチャイコフスキーのピアノ協奏曲を、前々回の定演で取り上げたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と比べてみましょう。独奏楽器以外の相違点は? 最初に気づくのは、チャイコフスキーではホルンのイントロの後、5小節目からピアノが大活躍を始めることではないでしょうか。ベートーヴェンでは、ヴァイオリンが登場するまで延々待たされたのに。

協奏曲で使われるソナタ形式は、二重提示が特徴でしたね((73) 協奏曲のソナタ形式参照)。古典派を代表する作曲家ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ソロ楽器が加わる前にオーケストラだけで演奏される第1提示部と、ソリストも加わって演奏される第2提示部を持つ、この基本タイプ。

でもロマン派になると、チャイコフスキーのように「お待たせしない」タイプが増えます。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲やグリーグのピアノ協奏曲、以前、聖フィルで演奏したメンデルスゾーンのピアノ協奏曲やブルッフのヴァイオリン協奏曲も、独奏楽器がすぐに加わりました。この変化の理由は明らか。待ちきれないから。

前座(第1提示部)をなるべくコンパクトに作るにしても、2つの主題を提示してハイおしまいというわけにはいきません。主題は1回提示するより繰り返した方が印象に残るし(主題の「確保」と言います)、2つの主題をつなぐ「経過部」や提示部を締めくくる「コデッタ」も必要。これら、最低限のパーツを提示するだけでも、それなりの時間が必要です。

しかも、ほとんどのパーツは真打ち登場後の第2提示部で繰り返されます。ソロ楽器の魅力を示すための新しい旋律が加わり、今度は第2主題以降が新しい調で提示されるものの、主調が長調の場合は転調先も長調。コントラストはそれほどはっきりしません。さらに、これらの各パーツは再現部で再々登場するのです。同じようなことを何度も繰り返さなくても、真打ち登場の第2提示部からで十分、前座部分は端折ろう!と考えるのは、ごく自然な流れ。こうして、たくさんの「お待たせしない」協奏曲が作られました。

表1:主調が長調のときの協奏ソナタ形式(ソナタ形式との比較)(73) 表1再録

表1((73) 表1再録):主調が長調のときの協奏ソナタ形式(ソナタ形式との比較)

表1のように、第1提示部が省略されると、協奏(風)ソナタ形式は普通の(?!)ソナタ形式に逆戻り。チャイコフスキーのピアノ協奏曲は、交響曲と同じソナタ形式で作られています。もちろんロマン派の時代でも、ショパンのピアノ協奏曲や、聖フィルで取り上げたドヴォルジャークのチェロ協奏曲のように、第1提示部を持つ協奏(風)ソナタ形式で作られる場合もあります。

あれれ、古典派の協奏曲の中にもソロ楽器がすぐに加わるものがあるよと気づかれた方、鋭い! ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番はピアノ独奏で始まりますし、第5番(《皇帝》)も、オケの主和音の後、すぐにピアノの華やかなアルペジオ(分散和音)が入ります。モーツァルトにも、オーケストラとピアノの対話で始まる K. 271(《ジュノム》)がありますね。でも、これらは二重提示1。冒頭からソロが加わるものの、その後にオケだけの第1提示部が続きます。秩序やバランスが尊重された古典派時代には、反復も楽曲構成上の大事な要素でした。

  1. 2主題が2回ずつ提示されることを二重提示と言う場合もありますが、ここでは、オーケストラだけの第1提示部と独奏楽器が加わった第2提示部を持つことを二重提示として書いています。

前回のヨハン・シュトラウスは人気者に対して、音楽の感じが違うので、ブラームスがシュトラウスを高く評価したというのがピンと来ないというコメントをいただきました。確かに、昨年聖フィルも演奏したブラ1とウィンナ・ワルツは、似ても似つかないかもしれませんね。今回はブラームスを中心にヨハン・シュトラウス2世と同時代の音楽家たちについて補足しながら、2人の音楽を考えたいと思います。

リストやヴァーグナーの進歩的な楽器法を取り入れたワルツや、ウィーンでは初め受け入れられなかったヴェルディの、オペラの旋律を使った作品を書いたシュトラウス1。先に敬意を表された彼らが、シュトラウスを評価したのは当然でしょう。他にも、オペラ作曲家レオンカヴァッロや、同じ名字ですが血縁関係はないリヒャルト・シュトラウス、指揮者ハンス・フォン・ビューロー、ロシアのピアニストでサンクトペテルブルク音楽院の創立者アントン・ルビンシテインなど錚々たる人々が、シュトラウス2世の音楽性を賞賛しています。

でも、極めつけはブラームス。シュトラウスの代表作のひとつであるワルツ《美しく青きドナウ》の一節を書いて、「残念ながらブラームスの作品にあらず」と書き添えたというエピソードは有名です。もっともこれは、シュトラウス2世の(3番目の)奥さんアデーレにサインを求められたブラームスが、彼女の扇に書いたもの2。ブラームスは、高級保養地バート・イシュルで夏を過ごすことが多かったのですが、お隣がヨハン・シュトラウス2世だったそうです。図1は、そこで撮られた写真。シュトラウスは1825年、ブラームスは1833年生まれですが、ブラームスの方が年上に見えませんか?

図1 バート・イシュルでのヨハン・シュトラウス2世とブラームス、1894年

図1 バート・イシュルでのヨハン・シュトラウス2世とブラームス、1894年

ところで、この2人の音楽は本当に大きく異なるのでしょうか。確かにヨハン・シュトラウス2世は、オペレッタも含め娯楽音楽の作曲家。ブラームスのような宗教曲や交響曲などは作っていません。でも、大衆のために量産した小品にもかかわらず、現在までレパートリーとして残っているものがたくさんあります。それぞれの曲からあふれる、品が良く新鮮で親しみやすいメロディーが、時代を超える魅力の元になっていると感じます。

ブラームスの音楽というと無骨な印象があるかもしれません。しかし、彼もロマン派時代の作曲家。常に歌謡性や旋律性を追求していました。歌曲もたくさん作っていますし、4つの交響曲においては、メヌエットでもスケルツォでもない独特の世界を持つ第3楽章に、旋律重視の姿勢がよく現われています。歩む道、取り組むジャンルが異なっていも、ブラームスは、稀代のメロディー・メーカーであるヨハン・シュトラウス2世の音楽センスを尊敬していたのでしょうね。

  1. Kemp, Peter, “Johann Strauss (ii)” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 24  (Macmillan, 2001), p. 481。前者はopp. 141, 146など。その前年、良い批評をもらっていたウィーン音楽界の大御所、辛口評論家のハンスリックに「新しいワルツのレクイエム」と退けられました。後者はopp. 112, 272などのカドリーユ。
  2. でも、このエピソードは単なる奥さんへのサービスではありません。ブラームスは、シュトラウス2世のオペレッタ《ヴァルトマイスター(ドイツでポピュラーなハーブの名前)》の初演(1895年)について、ハンスリックに「シュトラウスの見事なオーケストレーションは、モーツァルトを思い出させた」と伝えました。