21. 12月 2016 · (299) クリスマスに聴きたい音楽 part 9  はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

聖フィル♥コラム12月恒例、クリスマスに聴きたい音楽その9は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのクリスマス・オラトリオ BWV 248です。バロック音楽好きのオケ奏者には(もちろんバロック音楽好きに限らず)、1番人気の名曲でしょう。お待たせしました!

オラトリオはイタリア語で「祈祷所」の意味。「宗教的または道徳的な性格を持つ劇的な物語を、独唱・合唱・管弦楽のために作曲した作品」をオラトリオと呼び、「舞台装置、衣装、演技などを伴わず純粋に音楽的に演奏されるのが通例」です1。クリスマスに聴きたい音楽で最初に取り上げたヘンデルの《メサイア》は、英語のオラトリオの例ですね((6) part 1 参照)。

確かにバッハのクリスマス・オラトリオも、上記2つの条件を満たします。でも、オラトリオという名前にもかかわらず実際は、ルター派プロテスタント礼拝のための教会カンタータ集。コンサートやCDで一続きに聴くことが多いと思いますが、本来は分けて演奏されるべき6つのカンタータです。

なぜ6回分?? 教会暦では、クリスマスから1月6日エピファニー(不思議な星に導かれてベツレヘムに来た東方三博士が、イエスに礼拝した日。ルター派プロテスタントでは、顕現日 けんげんび)までの間を、降誕節と呼びます。この間、教会カンタータが必要な日が6回あったのですね。それぞれの内容は:

  1. 降誕節第1祝日(12月25日)用:主の降誕
  2. 降誕節第2祝日(12月26日)用:羊飼いへの告知
  3. 降誕節第3祝日(12月24日)用:羊飼いの礼拝
  4. 1月1日用:主の割礼と命名
  5. 新年の第1主日(日曜日)用:東方三博士の旅
  6. エピファニー(1月6日)用:東方三博士の礼拝

各カンタータは、曲数やレチタティーヴォ((102) 話すように歌うレチタティーヴォ参照)コラールなどの構成だけではなく、調や伴奏楽器の編成も異なります。もっとも編成が大きいのは、クリスマス第1祝日と第3祝日用で、トランペット3、ティンパニ、フルート2、オーボエ2(持ち替えでオーボエ・ダモーレも)、ヴァイオリン2、ヴィオラ、通奏低音((132) 楽譜どおりに演奏しても足りない場合参照)。もっとも編成が小さいのは第1主日用で、オーボエ・ダモーレ2、ヴァイオリン2、ヴィオラ、通奏低音です。もっとも曲数が多いのはクリスマス第2祝日用で、器楽のみのシンフォニーア(礼拝音楽の幕開けを告げる音楽ですね。(16)「交響曲」は開幕ベル参照)を含む14曲。

先日教会暦の説明をしたら、「クリスマス・オラトリオの謎が解けた」と感謝されました。クリスマスが終わった途端に新年の準備が始まる日本で暮らしていると、年明け6日のエピファニーまでクリスマスが続くなんて想像できないのも無理ありません。クリスマスではなくエピファニーにプレゼントをもらう国もありましたよね((217) クリスマスとは何か参照)。

ちなみに、クリスマス・シーズンである降誕節は、12月25日(正確には24日の日没)から始まり、エピファニー前日に終わるのだそうです2。だから、クリスマスからエピファニーまでを指すのに「クリスマスの12日 Ttwelve Days of Christmas」なのですね。皆さま、どうぞ楽しいクリスマスを。

  1. 服部幸三「オラトリオ」『音楽大事典1』平凡社、1981年、345ページ。
  2. 八木谷涼子『キリスト教歳時記』平凡社新書、2003年、42ページ。
11. 3月 2015 · (228) 《カルメン》音楽史クイズ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

オケ奏者やオケ・ファンって、オペラの中の曲を純粋な(?!)器楽曲のようにとらえて、弾いたり聴いたりする人が多いように感じられます。4月の聖フィル第12回定演で取り上げるカルメン組曲は、《カルメン》の中で歌われる、あるいは奏される曲を集めたもの。「カルメンのとりこになったホセが、闘牛士エスカミーリョに心変わりした彼女を殺す」という大筋しか知らない方、もったいないですよ! 有名なアリアがオペラのどのあたりでどのような状況で歌われるか、チェックしてみてくださいね。今回は《カルメン》の(西洋音楽史的な)おさらいです。

Q1:作曲者ビゼー(1838〜75)は何人?

    1. イタリア
    2. フランス
    3. スペイン

A:2。9歳でパリ音楽院入学し、1857年ローマ大賞((26) クラシック音楽ファンの常識参照)受賞。《カルメン》の舞台はスペインですが、ビゼーはスペインに行ったことはありませんでした

Q2:ビゼーと生まれた年が最も近い作曲家は?

    1. ヴァーグナー
    2. ブラームス
    3. ドヴォルジャーク

A:3。ヴァーグナーはずっと年上(1813年)。ブラームスは同じ1830年代生まれ(1833年)ですが、1841年生まれのドヴォルジャークが3歳違いで正解

Q3. そのドヴォルジャークが、《カルメン》(1873〜74年作曲)と近い時期に作ったのは?

    1. チェコ組曲
    2. 交響曲第8番
    3. チェロ協奏曲

A.:1。いずれも聖フィルで取り上げた(あるいは4月に取り上げる)曲。チェロ協奏曲はドヴォルジャークのアメリカ時代(1890年代)の作品、ドボ8は、やはりアメリカで作られた《新世界より》の1つ前の交響曲で、1880年代。1879年に作曲・初演されたチェコ組曲が正解

Q4:ビゼーが作曲したオペラは《カルメン》だけ?

A:No。彼が計画したオペラ30のうち、《真珠取り》《美しきパースの娘》など6つが上演可能な形で残っています1。《カルメン》と並んで組曲が有名な《アルルの女》は、オペラでなく劇の付随音楽

Q5:ビゼーの《カルメン》についての以下の文で正しいのは?

    1. 全3幕である
    2. せりふが含まれる
    3. 初演は成功だった

A:2。フランス人ビゼーが作った《カルメン》は、フランス語のオペラ。全3幕がお約束のイタリア・オペラと違い、4幕から成ります(3幕とする演出が多いのですが)。ビゼーは、オペラ・コミックと呼ばれるせりふが含まれた形で作曲。1875年3月3日に行われた初演は、聴衆にも批評家にも不道徳と批判されました。ちょうど3ヶ月後の6月3日、ビゼーは36歳で死去。

ところが、批判が逆に評判を呼び、初演の年だけで45回も再演(亡くなった日には、33回目の再演が行われたそうです)2。同年10月のウィーン公演のため、エルネスト・ギローがレチタティーヴォ((102) 話すように歌うレチタティーヴォ参照)を作曲。(外国人)歌手にとって、ステージでフランス語のせりふを話すよりも、フランス語の歌を歌う方が楽。全て歌われるこのグランド・オペラ版が、世界中の歌劇場における《カルメン》の普及・定着に大きく貢献することになりました3

  1. MacDonald, Hugo, ‘Bizet,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 3. Macmillan, 2001, p. 647.
  2. 同上。
  3. 東日本大震災から4年の2015年3月11日に、被災地の一日も早い復興を祈りつつ。
13. 11月 2013 · (159) バッハの1週間(ライプツィヒ、1723年) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

「 聖フィル♥コラム、始めます」をアップしたのが2010年11月4日。最初の「《運命》と呼ぶのは日本だけ !?」は、同9日付けでした。石の上にも3年。おかげさまで聖フィル♥コラム、当初の目標だった3周年を迎えることができました。読んでくださるみなさま、どうもありがとうございます!

毎週ネタを捜すのが大変でしょうと言われます。でも、オケの練習、仕事、音楽会など日常の中に、あれれ、どうして?とか、あらら、書いておかなければ!と思うことがいっぱい。ネタには不自由しません。

一方、ああいうのがさらっと書けていいですねと言われると、言葉に詰まります。さらさらっと書けたらいいのに。テーマを決めて資料を捜すのに2日、それを読んで構成を考えるのに2日、下書きと推敲に3日。合間を縫って、仕事や家事や練習をしている感じ。アップしたらすぐまた次。1週間はあっという間。

でも、290年前のバッハの1週間は、こんなものではなかったはず。1723年、トーマス教会カントル兼市音楽監督として、ライプツィヒに移り住んだ1年目のことです。日曜とそれ以外の主要祝祭日の礼拝で教会カンタータを演奏することが、彼の仕事の1つでした。

バロック時代のイタリアの世俗歌曲、カンタータ(イタリア語で「声楽曲」の意味)。ルター派プロテスタントの礼拝に取り入れられ、ドイツ語の歌詞を持つ教会カンタータに。器楽伴奏付きで、合唱、独唱によるレチタティーヴォ(伴奏は通奏低音のみ。(102) 話すように歌うレチタティーヴォ参照)とアリア、コラール(ルター派の賛美歌)などで構成されます(2重唱や器楽曲が入る場合も)。牧師の説教の前に演奏され(楽章数が多ければ、説教後に後半を演奏)、その日に朗読される聖書の内容を音楽で表わします。この聖書朗読の部分は毎回異なりますから、毎回異なるカンタータが必要です。

バッハの教会カンタータのストックは、あまり多くありませんでした(前任地ケーテンはカルヴァン派プロテスタント。カンタータを使いません)。したがって、1723年5月22日にライプツィヒに到着した直後から、カンタータ作りが始まります。5月30日にライプツィヒ第1作を初演してから、翌1724年5月30日までの1年間に作ったカンタータは、46曲! これだけでもすごいのに、作って終わりではないのです。

バッハの1週間を想像してみましょう。礼拝でカンタータを演奏した日曜日の夜は、さすがのバッハも一息入れたとして(そう思いたいですよね)。翌日から、次の日曜日のカンタータの準備。作曲に月・火・水と3日間くらい? 仕上がった曲から、順次パート譜作り。この作業も火・水・木と3日間くらいかかったのでは? バッハが書いたスコアから、各パート1部ずつ、原則として1人のコピストが筆写したそうです1。主に、バッハが教えていたトーマス教会付属学校の生徒たちが担当しました。ヴァイオリンのように、同じ楽譜が2枚以上必要なパートもあります。正しく筆写されたかどうかをチェックする時間も必要。

演奏譜をそろえて練習開始。週の残りを使って伴奏アンサンブルの練習、合唱の練習、ソリストの練習(ソプラノやアルトの独唱は、トーマス学校の声変わり前の生徒たち。指導に時間がかかったことでしょう)、そして全体練習。

この間バッハには、トーマス学校で音楽などを教える義務もありましたし、時には結婚式や葬儀の音楽やその演奏を頼まれることもありました。しかも、家には5人の子どもたち。長女(15歳)や長男(13歳、ヴィルヘルム・フリーデマン)は頼りになったでしょうけれど、2人目の妻アンナ・マグダレーナとの最初の子クリスティーナ・ゾフィア・ヘンリエッタは、まだ1歳にもなっていません2。お父さんとしても大忙しだったはず。

てんやわんや(想像ですが)で練習し、日曜日の礼拝で本番を終えると、また次週のカンタータの準備。作曲、写譜、練習の1週間が始まります。一息つけるはずの待降節と四旬節(オペラ上演が禁じられたように、カンタータ演奏もお休み。(56) アドヴェントと音楽参照)にも、前者では3日間祝われるクリスマスを含む降誕節のカンタータの準備、後者では聖金曜日に演奏する、カンタータよりもはるかに規模が大きい受難曲の準備がありました。ライプツィヒ2年目も、50曲以上の教会カンタータを作曲しています。毎週、違う曲を演奏するだけでも大変なのに。脱帽。

それにしてもライプツィヒの人々、ほぼ毎週、バッハの新作カンタータを聴くことができたわけですね。激務が続くバッハに同情しつつ、やはりうらやましいですね。

  1. 久保田慶一『バッハ キーワード事典』春秋社、2012年、p. 44。
  2. 前掲書、p. 28。彼女は3年後に亡くなりました。
14. 10月 2012 · (102) 話すように歌うレチタティーヴォ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

《第九》第4楽章冒頭。管打楽器の「恐怖のファンファーレ」でドラマティックに始まり、チェロとコントラバスが伴奏無しで朗々と奏でる旋律が続きます。ベートーヴェンはここにフランス語で、「レチタティーヴォ風に、ただしイン・テンポで」という指示を書き込みました。2度目の「恐怖のファンファーレ」や第1〜3楽章の回想を挟みながら繰り返される、「レチタティーヴォ風」の低弦旋律。このレチタティーヴォって何か、ご存知ですか?

「叙唱」と訳されるレチタティーヴォは、声楽書法の1種。オペラ、オラトリオ、カンタータなどで使われます。たとえばオペラにおいて、登場人物の「好き!」とか「困った〜」などの感情が歌われるアリア。歌詞は韻文。歌い手の技巧や音楽性の見せ場です。でも、全てをアリアで歌うと単調だし、話が進みません。だから、状況説明や複数の人物による対話には、アリアと異なるさくさく進む書法を使うのです。それがレチタティーヴォ。特徴は:

  • 語りを歌でまねしたもの。歌と語りの中間
  • 歌詞は散文
  • アリアとアリア(または合唱、器楽曲)の間におかれる
  • 筋の説明や、対話に使われる

英語の recite(朗唱する)のイタリア語、recitare に由来するように、朗唱風で言葉の抑揚を活かす歌い方です。話すときのように狭い音域内に短い音符を連ねたり、同音反復も多く使われます。管絃楽や弦楽の伴奏がつくこともありますが、低音楽器と鍵盤楽器だけの伴奏でも多く作られました。歌い手の自由度が増えますし、歌詞が聴き取りやすくなります。器楽曲において同様の書法で書かれた器楽レチタティーヴォとしては、《第九》以外に、ハイドンの交響曲第7番《昼》の第2楽章や、ベートーヴェンのピアノ・ソナタop.110の第3楽章4小節目(通常の1小節よりも長い)からなどが有名。

話を《第九》に戻しましょう。「恐怖のファンファーレ」が3度目にトゥッティで奏された後、バリトン独唱者が歌い始めます。「おお、友よ、これらの調べではなく!」の最初(216小節)に Recitativo の指示。弦楽器パートの Recit. (224小節)は、長い音符がレチタティーヴォの伴奏だということです。冒頭の低弦旋律はここの先取りで、歌詞と関連させてしばしば「否定のレチタティーヴォ」と呼ばれます。

最後に、より典型的なレチタティーヴォとして、ヘンデルのオペラ《セルセ》(1738)の動画をあげておきましょう。弦楽伴奏付きのレチタティーヴォが40秒ほどで終わった後、器楽による導入があり、1’30頃からアリア《オンブラ・マイ・フ(樹木の蔭で)》が続きます。歌詞を読むと、情景が書かれた行がレチタティーヴォに、感情が書かれた最後の行がアリアに作曲されていることがわかりますね1

私が愛するスズカケの木の柔らかく美しい葉よ、運命はお前たちに輝いている。

雷鳴や稲妻や嵐がけっしてお前たちの平安を乱すこと無く、貪欲な南風もお前たちを冒瀆することの無いように。

樹木の蔭で、これほどいとしく愛すべく快いものは無かった。

  1. 戸口幸策訳。畑中良輔編『イタリア歌曲集1』全音楽譜出版社、n.d.(1971?)、158ページ。詩はニコロ・ミナート。