04. 3月 2015 · (227) 指揮棒とリュリ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

前回、指揮棒を最初に使った指揮者はシュポーアと言われていると書きましたが、えっリュリじゃないの?!と思った方がおられると思います。実際、田部井剛先生が質問なさった際に、リュリをあげた人が複数いました。今回のコラムは「指揮棒を最初に使った指揮者がリュリではない理由」(初めこのタイトルにしたのですが、長過ぎるのでやめました)。

ジャン=バティスト・リュリ(1632〜87)は、杖を床に打ちつけて拍子をとっているときに、誤って自分の足を打ち、それが元で亡くなったという不名誉なエピソードで有名((18)「赤ちゃん交響曲」誕生までの註1参照)。フイヤン教会で自作の《テ・デウム》を指揮していたときでした。踊れなくなるからと足の切断を拒否1。壊疽が広がり、けがから約3ヶ月後に死去。

リュリについて、これ以外にどんなことをご存知でしょうか。宮廷バレエでルイ14世のお相手をして気に入られましたが、実はイタリア出身でしたね((188) イギリスの作曲家ヘンデル?参照)。彼の曲を聴いたことがある方は、あまり多くないでしょう。西洋音楽史の講義では、バロック時代の最重要作曲家の1人として必ず取り上げますが、私も彼の音楽をよく知りません。彼が形を整えたウヴェルチュール(フランス風序曲。(18) 参照)のサンプルとして、叙情悲劇《アルミード》(1686)序曲を講義で使う程度。バレエや宗教曲もたくさん書いたのに、持っているCDはコメディ・バレエ《町人貴族》(1670)だけ。

さて、指揮棒を最初に使った指揮者がリュリでは無い理由に話を戻します。リュリが拍を刻んだ杖って、指揮棒でしょうか? 日本語では杖も棒ですが、ちょっと苦しいように思います。これが1つ目の理由。英語では指揮棒は一般に baton ですが、リュリが使っていたものは stick とか staff と書かれています。もっとも、baton の語源はフランス語で棒、杖という意味の båton。英語になっても、指揮棒やリレーで使うバトンという意味以外に、官位や権威の象徴の職杖、指令杖という意味が出て来ます(リュリはフランス宮廷音楽の実権を握り、オペラ上演を独占。彼の指揮杖をその象徴と見ることができるでしょう)。

もう1つの理由は、使い方。現在の指揮棒は、指揮者が空中で動かすもの。音を出すことは(基本的に)ありません。リュリがもしも短くて細い棒を使ったとしても、やはり現在の意味での指揮棒とは言えませんね。1820年のシュポーアまで待たなければならないのです。

歌い手や楽器奏者、踊り手に聞こえるよう大きな木の杖で拍を打つのは、リュリや《テ・デウム》に限りません。ルソーは『音楽事典』の中で、パリ・オペラ座オーケストラを覆い隠すほどの拍打ちの「耐え難い雑音」について、苦情を述べています2。これが出版されたのは、リュリが亡くなった80余年後の1768年ですが、この方法はその後も続くのです。ただ、「拍を打つ人」=指揮者だったのはフランスだけ。他の地域では、指揮者と言えば兼業(!?)指揮者でした。2種類の兼業、覚えていますか?

  1. Anthony, James R. et al., The New Grove French Baroque Masters: Lully, Charpentier, Lalande, Couperin, Rameau, W. W. Norton, 1986, p. 16.
  2. Rousseau, Jean Jaques, ‘Orchestre,’ Dictionnaire de Musique, Paris, 1768, p. 355. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices, Univ. of Rochester, 1981, p. 55より。
04. 6月 2014 · (188) イギリスの作曲家ヘンデル? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

このコラムを書くときもそうですが、私がよく使う音楽事典は The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2nd edition (音楽と音楽家についての新しいグローヴの事典、第2版)。全29巻で、2001年にイギリスのマクミラン社から出版されました(2004年、オックスフォード大学出版会に売却)1。誤記もありますが新しいし、項目数が多い。何よりも、英語で手っ取り早く読めるので助かります。

その New Grove Dictionary, 2nd edition のヘンデルの項。見出しが英語綴りの Handel なのは、イギリスの事典ですから当然と言えば当然(その後に、[Händel, Hendel]2)。でも、生没年・場所の後の書き出しが「ドイツ生まれのイギリスの作曲家(English composer of German birth.)」だったので、思わずニヤリ。

日本でヘンデルと言えば、バッハと並ぶドイツのバロック音楽の作曲家。ウムラウト付きの Händel と綴りますが、彼は半世紀近くをイギリスで過ごしました。1710年6月16日にハノーファーの宮廷楽長に任命されたのに、一月足らずで休暇を取ってロンドンへ(7月までにデュッセルドルフに進んでいたので、正確には一月足らずではなく半月足らずですね3)。1年後にハノーファーに戻るも、翌1712年末に再び休暇を申請し渡英。亡くなる1759年まで、イギリスで暮らします。50作近くのオペラ、30作近くのオラトリオのほとんどがイギリスで作曲されましたし、コンチェルト・グロッソやオルガン・コンチェルトも同様。有名な《水上の音楽》や《王宮の花火の音楽》も、イギリスでの作品です。1727年にはイギリスに帰化。

似たケースとして、リュリ(1632〜87)を思い出しました。ルイ14世の寵愛を得てフランス宮廷音楽の実権を握り、オペラ上演を独占。でも実は、彼はイタリア人。元はと言えば、ルイ14世のいとこにあたる公女のイタリア語会話の相手としてパリに来たのです((18) 「赤ちゃん交響曲」誕生まで参照)。リュリなら、イタリア生まれのフランスの作曲家と書いてあっても、違和感はありません(日本の音楽事典でも、イタリア語の綴り Lulli ではなく、フランス語の綴り Lully が先に書かれています4)。同じようにヘンデルも、イギリスの作曲家と考える方が実像に近いと言えますね。

  1. 『ニューグローヴ世界音楽大事典』(講談社、1993年)は、初版(1880年出版)の翻訳です。
  2. Hicks, Anthony, “Handel, George Frideric,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 10, Macmillan, 2001, 747.
  3. Ibid., 750.
  4. たとえば、内野允子「リュリ」『音楽大事典5」平凡社、1983、 2741。
13. 3月 2011 · (18) 「赤ちゃん交響曲」誕生まで はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , , ,

フランス語で「あけるもの」という意味のウヴェルチュール。実は単なる「幕開けに演奏される器楽曲」というだけに留まらない、しっかりと形が定まった音楽形式で、日本語では『フランス風序曲』と呼ばれます。ルイ14世に仕えたジャン・バティスト・リュリ(1632〜87)が、「赤ちゃん交響曲」が生まれる前の1650年代から、宮廷バレエやオペラの序曲として作曲し始めました1

ウヴェルチュールの形式は:

  • 緩—急—緩の三部分から成る。
  • 三部分が途切れることなく、連続している。
  • すべての部分が同じ調で書かれる。
  • 最初の遅い部分は2拍子系で、付点のリズムを使う。
  • 早い部分は対位法を使う。まず1声部が演奏を始め、他の声部が1つずつ、同じような旋律を演奏しながら加わって行く。
  • 冒頭と同じ(または似た)付点リズムの音楽で締めくる。この部分は省略可。

フランス国外でも流行し、ヘンデルは自作のイタリア・オペラの序曲に使いましたし2、G線上のアリアなどが含まれるバッハの《管弦楽組曲》の本名(=バッハが書いたタイトル)も、ウヴェルチュールです。オペラの序曲から離れて、「ウヴェルチュールで始まる組曲」という意味も持つようになったのです。

ウヴェルチュールに遅れること数十年、ようやく「赤ちゃん交響曲」シンフォニーアが誕生します。シンフォニーアは、古代ギリシア語の syn(共に)- phonia(響き)に由来する言葉で、複数の音が同時に鳴り響く楽曲に広く(古い時代には声楽曲にも!)使われていました。しかし、ナポリ派オペラの作曲家アレッサンドロ・スカルラッティ(1660〜1725)が、1680年代以降に作り始めた、ウヴェルチュールと異なる定型のオペラ序曲を指す用語になります(日本語では『イタリア風序曲』)。

シンフォニーアの形式は、ウヴェルチュールとは対照的です。

  • 急—緩—急の三部分から成る。
  • 三部分はそれぞれ独立している。
  • 最初と最後の部分は同じ調、真ん中はそれとは違う調が使われる。
  • 真ん中の部分は音量が小さく叙情的に作曲され、非常に短いこともある。
  • 対位法は使われず、旋律声部と伴奏声部の区別がはっきりしている。

ほーら、赤ちゃんでも、形の上では後の交響曲の特徴をしっかり備えていますね。これにハイドンがメヌエットを加えた4楽章構成を整え、ベートーヴェンがメヌエットをスケルツォに変えれば、私たちに馴染み深い交響曲の出来上がり!3

緩—急—緩のウヴェルチュールと急—緩—急のシンフォニーアは、しばらく仲良く?並存していたのですが、やがて正反対の運命を辿りました。シンフォニーアはオペラや演奏会の導入曲として作曲され続け、後に最重要の器楽ジャンルにまで上り詰めましたが、ウヴェルチュールは1750年頃までに廃れてしまいます。付点音符やら対位法やら、作曲上のお約束事が多くて窮屈だったことや、王侯貴族の世にはふさわしかった壮麗な雰囲気が、都市市民が音楽の担い手になった時代にそぐわなくなったなどの理由が考えられます。

でも、今回の聖フィル定演曲である、モーツァルトの交響曲39番の第1楽章。付点のリズムとともに荘重に始まる序奏部は、ウヴェルチュールのスタイルを模しています。速い下降・上行音階による合いの手や、不協和音や半音進行を活かしたハーモニーを織り込んで、モーツァルトは流行遅れの形式を、モダンに違和感なく再生していますね。

  1. このリュリさん、当時の指揮法であった、重い杖を床に打ち付けて拍子をとっているときに、誤って自分の足を打ち、そのけがが元で亡くなったという不名誉なエピソードで有名ですが、実は彼はイタリア人だったことを、ご存知ですか。もともと貴族のイタリア語会話の相手としてフランスに連れて来られたらしいのですが、いつの間にかバレエや楽器演奏の技術を身につけ、ルイ14世自身も太陽役などを踊った宮廷バレエ(太陽王のニックネームはここから来ている)を作曲したり、相手役を務めて王のお気に入りになり、やがて宮廷オペラの上演権を独占してしまいます。
  2. ゆっくりした付点のリズムで始まる《メサイア》の序曲も、ウヴェルチュールの形式です。でも、ウヴェルチュールとは書いていません。キリストの生涯を描いた神聖なオラトリオの序曲に、世俗曲の代表であるオペラの序曲の名前と書くのは、はばかられたようです。
  3. もちろん交響曲の成立には、シンフォニーア以外にも、様々な要素が複雑に影響しています。