11. 11月 2012 · (107) 練習は何回?:《第九》の初演 (4) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

1824年5月7日に行われた「大音楽会」、演奏する方はさぞかし大変だったことでしょう。《第九》交響曲 op. 125 は世界初演1。《ミサ・ソレムニス 》op. 123 は半月前の4月18日にペテルスブルクで全曲初演されましたが、ヴィーンでは初めてです。曲が長くて難しいうえ、《ミサ・ソレ》と《第九》終楽章は合唱と独唱とオーケストラのアンサンブル。しかもその合唱やオーケストラは、ヴィーン楽友協会のアマチュアたちも加わった混成部隊でした((84) 倍管は珍しくなかった参照)。

いったいどれくらい練習したと思いますか? 『一般音楽新聞』はリハーサルが3回と伝えていますが、全員による総練習(ゲネラルプローベ)は2回だけでした2。当時の演奏会の総練習は1回ということもあったそうですから((22)《運命》交響曲の初演参照)、これでも念入りな方!?

  • 4月20日頃     初演用パート譜、作成終了
  • 5月2日 9〜14時 最初のオケ総練習、声楽(独唱者を含む)のパート別練習(女声は少年合唱)
  • 5月3日 午後     合唱練習、アマチュアのオケ・メンバー練習
  • 5月4日(時間?)劇場合唱団の練習
  • 5月5日 9〜14時 劇場オケと合唱団の第1回ゲネプロ
  • 5月6日 9時〜? 第2回ゲネプロ(管楽器第2奏者が初めて加わる)
  • 5月7日     本番

初演の日程は何度も変更されました。当初の予定では4月8日3。しかし、パート譜作成に時間がかかり(長いうえに、大編成ですから)、初演日を4月27日、28日に変更。楽譜の校正作業も必要で練習時間がとれず、再び延期せざるを得ませんでした(校正したにもかかわらず、第2楽章スケルツォの反復記号が抜けていて、5日の第1回ゲネプロで混乱が起こっています)。

ベートーヴェンは、皇帝が5月5日にヴィーンを離れる前に演奏会を開きたいと強く希望していました(5月1日付け『一般音楽新聞』に「5月4日」という誤った予告が掲載されたのは、そのためかもしれません)。でも、この日程を見ると、練習が間に合わなかったのは明らかですね。結局、5月7日金曜日午後7時という最終的な初演日時が告知されたのは、本番2日前だったそうです。ヴィーンの演奏会シーズンはすでに終了。皇帝一家の臨席は叶わず、ルドルフ大公をはじめ多くの貴族たちも領地に戻っていました。

肝心の演奏の出来は? 各楽章の途中や終わった後で大喝采があったとか、第2楽章スケルツォではアンコールも求められたとか、アルト歌手のカロリーネ・ウンガーが、歓呼に気づかないベートーヴェンの袖を引いて客席の方を向かせたとか、聴衆の熱狂ぶりが伝えられますが、演奏自体は不備であったと報告されています。『一般音楽新聞』は、「少なくとも声楽パートに関しては決して十分に仕上がっていなかった」と書いていますが、先を読むと仕上がっていないのは声楽パートだけではなかったことが伝わって来ます4。また、16日後に行われた再演の評は「あちこちに改められるべき余地が多々認められた」5

当時の曲としては(私たちにとっても ?!)長く、複雑で、途方もなく難しい《第九》。作曲者の生前にヴィーンで演奏されたのはこの2回と、亡くなる11日前の演奏会の、計3回だけでした。

  1. 《献堂式序曲》op. 124 の初演は、1822年10月3日でした。訂正しておわびいたします(12/11/13 追記)。
  2. 土田英三郎「ベートーヴェン《第九交響曲》作品史のための資料」国立音楽大学『音楽研究所年報』第17集(2003)。同研究所ホームページの研究報告より。
  3. 児島新(構成・解題:平野昭)「ベートーヴェン《第九交響曲》の初演について:会話帳に見られる新事実」『ベートーヴェン全集10』講談社、2000、202ページ。
  4. 土田英三郎「神話の醸成」『ベートーヴェン全集9』講談社、1999、144ページ。
  5. 同上、148ページ。