多くのクラシック音楽愛好家の方は、以下のように考えていることでしょう。

  1. 音楽と言えばドイツ(語圏)が本場
  2. 音楽と言えばピアノ曲やオーケストラ曲などの器楽
  3. 一番重要なジャンルは交響曲

でも、長い音楽の歴史の中でこれらが常識になったのは、ごく最近のことです。

交響曲が最重要ジャンルに落ち着いたのは、ベートーヴェン以降でした。このコラムで「交響曲の誕生シリーズ」をお読みくださった方は、既にご存知ですよね。交響曲の原型は17世紀末に生まれた((18)「赤ちゃん交響曲」誕生まで)ものの、しばらくはBGMのような存在でした((17) 聴かなくてもよかった交響曲)。「交響曲を聴きに演奏会に行く」ようになったのは18世紀末以降((19) 独り立ちする交響曲)、演奏会のトリに落ち着いたのは1830年代以降((22)《運命》交響曲の初演)。それからまだ200年足らずです。

音楽の本場と言えば、イタリアでした。バッハは、ヘンデルのように現地でイタリア音楽を吸収する機会がなかったので、ヴィヴァルディなどの協奏曲の楽譜を研究し、オルガンやチェンバロ用に編曲しながら、新鮮で刺激的なイタリア音楽の書法を学びました。また、モーツァルトがなかなか定職を得られなかった((10) 自由音楽家としてのモーツァルト)最大の理由は、彼がドイツ語圏の出身だったからです。楽長などの要職は、ほとんどイタリア人が占めていました(ウィーンの宮廷楽長はサリエリ)。

ベルリオーズやラヴェルが目指したのは「ローマ大賞」。フランスにおける若手芸術家の登竜門で、絵画、音楽など各部門の優勝者はローマに国費留学し、イタリア文化の中で数年間過ごすことができました(ちなみに、ベルリオーズは4度目の挑戦で大賞を射止め、留学しましたが、ラヴェルは計5回応募したものの、大賞を得られずに終わっています)1

器楽に高い地位が与えられるようになったのは、19世紀になってから2。独立したジャンルとして成立したのも遅く、バロック時代のことです。それまで何百年もの間、音楽と言えば声楽でした(もちろん、器楽が全く無かったわけではありませんが)。音楽の常識も、時代とともに変化してきたのです3

クラシック音楽好きの方が弾いたり聴いたりする音楽は、ほとんどがここ2、300年程の間に作られたものです。それ以前の音楽は、どのようなものだったのでしょうか。古い時代から現在まで、音楽において変わることなく受け継がれてきたものは何か、また私たちにとっての常識はいつ頃作られたのか、考えてみませんか。古い音楽を知ることによって、音楽の聴き方感じ方が、少し変わって来るかもしれません。

というわけで、「アマ・オケ奏者のための音楽史」シリーズ、始めます。奏者に限らず、クラシック音楽がお好きな皆様、どうぞお楽しみに。

  1. 既に《水の戯れ》などで新進作曲家の地位を固めつつあった1905年の応募(年齢制限のため、これが最後のチャンス)では、予選で落とされてしまったため、ジャーナリズムが追求する「ラヴェル事件」に発展。パリ音楽院院長が更迭される騒ぎになりました。
  2. 一部表現を変更しました。2012/7/12追記。
  3. 音楽といえばドイツの器楽をイメージするようになった理由はいろいろ考えられます。ベートーヴェンが音楽史上で転換点を作る大きな役割を担ったことと、彼に続いてドイツ語圏で優れた作曲家が輩出したことはもちろんですが、音楽を学問的に研究する音楽学が、ドイツ語圏を中心に発展したことや、日本の場合は明治期の西欧文化の導入が、軍事技術の模範であったドイツを中心に行われたことなども、あげられるように思います。