18. 5月 2016 · (280) 主題が3つ!!? ブルックナーのソナタ形式 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

ブルックナーの交響曲は、第1楽章:ソナタ形式、第2楽章:歌謡的な緩徐楽章、第3楽章:スケルツォとトリオ、そして第4楽章:ソナタ形式の4楽章構成。第8番で緩徐楽章とスケルツォの順番を入れ替えた以外、全部同じです。ブラームスのように、終楽章で突然パッサカリアを使ったりしません(でも、あのパッサカリアもソナタ形式の枠内で作られていましたね。(251) ただのパッサカリアではない!参照)。

ブルックナーのソナタ形式と言えば、3主題ソナタ形式。2連符と3連符を組み合わせた「ブルックナー・リズム」や、ベートーヴェンの《第九》から影響を受けた「ブルックナー・オープニング」と並んで有名です。ソナタ形式は通常、性格が異なる2つの主題で構成しますが、ブルックナーは主題を3つも使うのです(主題1つなら単一主題ソナタ形式。モーツァルトの例は(189) 第1主題=第2主題!?のソナタ形式参照)。

第4番《ロマンティッシェ》第1楽章(第2稿)の場合、第1主題は冒頭のホルン独奏(主調=変ホ長調、譜例参照)、第2主題はヴァイオリンによる「シジュウカラのツィツィペーという鳴き声」を伴うヴィオラの旋律(変ニ長調、練習番号B)、第3主題は弦楽器ユニゾンのアルペジオ上で、ホルンやテューバなどがブルックナー・リズムで下降する旋律(D5度上の変ロ長調、D)。

譜例:ブルックナー作曲 交響曲第4番 第1楽章の3主題

譜例:ブルックナー作曲 交響曲第4番 第1楽章の3主題

展開部(G)の後、Mから第1主題がフルートのしみじみとした対旋律とともに、主調で再現されます。第2主題はOの3小節目から、なんとシャープが5つ必要なロ長調で登場。フラット3つの主調から、ものすごく遠い調です。第3主題は、Qからお約束通り主調で再現。Sからコーダ。長いクレッシェンドの頂点でホルンが第1主題の5度動機を高らかに吹き、第1楽章終了。

3つの主題のうち、第1主題は主調で提示&再現、第3主題は主調の5度上の属調で提示され、主調で再現されています。ということは、通常のソナタ形式の2主題と同じ関係。ここでは第3主題が、従来の第2主題にあたるようですね(表参照。(88) さらに刺激的(!?)により再掲)。

表:ベートーヴェン以降のソナタ形式

表:ベートーヴェン以降のソナタ形式

それでは、遠隔調の変ニ長調で提示され、さらに遠いロ長調で再現される第2主題は何に当たるのでしょうか? ソナタ形式の第1主題から第2主題へ移る部分は「推移」と呼ばれます。例えば長調の曲の提示部では、主調で第1主題を提示した後、第2主題を出す前に属調まで転調し、新しい調で落ち着かなければなりません。ソナチネのような小曲であれば、推移の部分はほんの数小節。でも、規模が大きいと推移も長くなり、その部分の旋律が第1主題に対抗しうる独自の性格を持つ「主題」に昇格(!?!)したわけです。

ブルックナーのソナタ形式は、提示部の主題部間に推移の部分がほとんど無いと言われますが、こんな事情があったのですね。使い古されたソナタ形式の枠組みを守りながら、新しい要素を組み込んだブルックナー。《ロマンティッシェ》終楽章では、第1主題を主調の変ホ短調(P)、第2主題をかなり遠いニ長調(S)で再現。第3主題の再現は省略して、コーダ(V)に進んでいます。

都合により、来週のコラムはお休みします。

27. 4月 2016 · (278) モーツァルトとアマデウス はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

モーツァルトのフルネームはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。でも、ピーター・シェーファーのお芝居でもおなじみの「アマデウス」は、洗礼名に含まれません。ザルツブルグ大聖堂で受けた洗礼の記録(図1参照)に記されているのは、左から:

図1:モーツァルトの洗礼記録

図1:モーツァルトの洗礼記録

  1. (モーツァルトは1756年1月)28日午前10時30分に洗礼を受け、前夜8時に生まれた。
  2. (洗礼名は)ヨハネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス Joannes Chrysost[omus] / Wolfgangus / Theophilus、嫡出子
  3. (両親は)宮廷音楽家レオポルト・モーツァルトとアンナ・マリア・ペルトル
  4. (名付け親は)ザルツブルク市評議委員で商人のヨハネス・テオフィルス・ぺルグマイヤー
  5. (記録者は)同上(ザルツブルク市の司祭レオポルト・ランプレヒト1

ヨハネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス・モーツァルト。長〜い名前のうちの最初の2つは、カトリック教会の慣習に従って付けられたもの。ヨハネス・クリュソストムスは「黄金の口を持つヨハネ」という意味。モーツァルトが生まれた1月27日は、説教がうまい聖ヨハネ(c.349〜407)の祝日でした。モーツァルト自身は、この最初の2つの名前を日常生活で使うことはありませんでしたが。

ヴォルフガングスは、ヴォルフガングのラテン語形。ラテン語で記録されたからですね。「走る狼」という意味で、母方の祖父の名前です。聖ヴォルフガング(c.934〜994)にちなみ、病気になっても死なないようにという願いが込められていたとも2。一方、テオフィルスは洗礼式にも立ち会ったモーツァルトの名付け親の名前。ギリシア語で「神に愛される」という意味。ドイツ語ではゴットリープ Gottlieb、ラテン語ではアマデウス Amadeus になります。

父レオポルトは、息子の誕生を知らせる手紙(Johann Jakob Lotter 宛て)の中で名前をヨハネス・クリュソストムス・ヴォルフガング・ゴットリープと書きました。ご本人はイタリアで、1770年にはヴォルフガンゴ・アマデオ Wolfgango Amadeo、1777年以降はヴォルフガング・アマデ Wolfgang Amadè と名乗っていました。このイタリア語形を気に入っていたらしく、1782年8月3日付のコンスタンツェ・ヴェーバーとの結婚契約書も、ヴォルフガンク・アマデ・モーツァルト Wolfgang Amade Mozart とサインしています。

自分の名前を各国語で使い分けるのは、モーツァルトに限ったことではありません。楽譜出版の際にベートーヴェンも、ルートヴィヒの代わりにイタリア語のルイージ Luigi やフランス語のルイ Louis を使っています。モーツァルトはイタリア語やフランス語のアクセントの書き方に無頓著で、自分の名前も Amadé、Amadè、アクセント無しの Amade が見られるそうです。一方、アマデウス Amadeus は3通の手紙のサインに使われました。ただそれは、彼がふざけてラテン語風に全部に us を付け、ヴォルフガングス・アマデウス・モーツァルトゥス Wolfgangus Amadeus Mozartus と書いたときです3

この「アマデウス」、モーツァルトの死後に使われるようになります。死亡当日(1791年12月5日)、ウィーンの行政官が死亡記録にヴォルフガング・アマデウスと記入。経済的に困窮したコンスタンツェは、皇帝への年金の嘆願書(12月11日付)に故ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの未亡人と記入。役人からの返事にも、同じ名前が使われます(彼女の願いは聞き届けられました!!)。初期の伝記作家たちは、ゴッドリープの名を使っていたのですが、1798年にブライトコプフ&ヘルテル社がアマデウスの名前で全集出版を開始。1810年頃にはアマデウスが支配的に。

ラテン語形の「アマデウス」の方が、イタリア語やフランス語のアマデオやアマデより偉そう?!?  ふざけて使っただけのアマデウスが死後200年間、自分の正式な名前として使われているのを知ったら……。モーツァルト、驚くより喜ぶかもしれませんね(来週はコラムをお休みします。皆さま、良いゴールデン・ウィークをお過ごしください)。

  1. 同上のIdemしか読めませんが、2行目はサイン(か名前の略記)ではないかと思います。
  2. 海老澤敏『モーツァルトの名曲』ナツメ社、2006年、112ページ。
  3. 例えば Steinberg, Michael, ‘Another Word for Mozart,’ For The Love of Music, by Michael Steinberg; Larry Rothe, Oxford University Press, 2006, p.21.
30. 3月 2016 · (274) 《古典交響曲》の古典的なところ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

10日後に迫った聖フィル第14回定期演奏会のオープニングは、プロコフィエフの交響曲第1番ニ長調作品25(これがまた難しくて……という個人的な愚痴は脇に置いておいて)。1891年に生まれたプロコフィエフが、今から99年前の1917年に完成させた音楽。今までに聖フィルが取り上げた中で、最も新しい曲です(今回の2曲目《エスタンシア》は、さらに新しいのですが。(272) (273) 参照)。

別名《古典交響曲》。プロコフィエフは、「ハイドンがもし今日生きていたら、彼が前にやったように、しかし同時に彼の作曲法において何か新しいものを含むように、作曲すると思った。私はそんな古典派様式の交響曲を作りたかったのだ」と語っています1。マーラーが第10番交響曲を未完のまま亡くなったのが1911年。ストラヴィンスキーがロシア・バレエ団のために《春の祭典》を完成したのが1913年。それより後に作られたにもかかわらず、この曲には確かに、ハイドン的(?!)な点がたくさんあります。

  1. オーケストレーション:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦。トロンボーンとテューバはもちろん、ピッコロやコントラファゴットなども無し。ホルンとトランペットも2つずつ。ハイドンが第2期ザロモン交響曲で完成させた2管編成です ((146) フルートは持ち替えだった:2菅編成完成まで参照)。
  2. 構成:4楽章構成、第2楽章は緩徐楽章。
  3. 調性:主調はシャープ2つの二長調。古典派オーケストラの核である弦楽器が良く響くので、この時代に多用された調です。モーツァルトが彼のおよそ50曲の交響曲((14) モーツァルトが作った交響曲はいくつ?参照)で最も多く使ったのも、ニ長調。第1、第3、第4楽章が主調、第2楽章が属調のイ長調なのも、ハイドン時代の典型。
  4. 長さ:全楽章で10〜15分足らず。交響曲が開幕ベル代わりだった時代、コンサートの枠組みだった時代の長さです((16) 交響曲は開幕ベル参照)。
  5. 和音:3和音(ドミソのような、3度を2つ重ねた3つの音から成る和音)が基本。アルベルティ・バスが使用されています。アルベルティ・バスは古典派時代に鍵盤楽器(例えばフォルテピアノ)などで使われた伴奏法で、ドソミソのような分散和音のパターン。プロコフィエフは第4楽章で、第2主題の伴奏に使用(これがまた超難しくて……という個人的な愚痴も脇に置いておきます)。
  6. 形式:第1、第4楽章はソナタ形式。提示部、展開部、再現部の3部分から成ることや、展開部が提示部や再現部よりもずっと短いことはハイドン的。ソナタ形式の基本形をコラムできちんと説明していませんでしたが、ベートーヴェンが《エロイカ》第1楽章で展開部とコーダを拡大するまで、前者は提示部と再現部のつなぎ、後者は曲を締めくくる、文字通りしっぽに過ぎませんでした。

ハイドンやモーツァルトの交響曲のような、古典派的な要素がたくさん。この時代の、キュートで肩の凝らない交響曲ですが、そこはやはりプロコフィエフ。古典的ではない要素もあります(続く)。

  1. 英文は Redepenning, Dorothea, ‘Prokofiev, Sergey,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 20. Macmillan, 2001, p. 408.
13. 1月 2016 · (267) メモリアル・イヤーの作曲家:パイジェッロ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

今年は、ジョヴァンニ・パイジェッロの没後200年です。パイジェッロは、ハイドンが生まれた8年後の1740年にイタリアのタラント(タランテラの名前の元になった町)で生まれ、ハイドンが亡くなった7年後の1816年にナポリで亡くなりました。80以上のオペラを作っています。こんな人知らない!という方が(特にオケ奏者には)多いでしょうね。でもパイジェッロの《セビリアの理髪師》は、モーツァルトが《フィガロの結婚》を作るきっかけになりました。

えーっ、《セビリアの理髪師》ってロッシーニじゃないの?!! 確かに《セビリア》はロッシーニの代表作。でも、ロッシーニはモーツァルトが亡くなった翌年(1792年)生まれ。彼の《セビリア》はモーツァルトの生前には存在しません。モーツァルトに影響したのは、パイジェッロの《セビリアの理髪師》。

《セビリアの理髪師》は、フランスの劇作家ボーマルシェの3部作のなかの第1作。《フィガロの結婚》はその後日談です。召使いが機転をきかせて貴族をやりこめるお話ですから、ウィーンでは原作の上演は禁止。オペラ化もかなりの冒険でした。でも、1781年にウィーンに移って以来、イタリア・オペラ上演の機会に恵まれなかったモーツァルトは、台本作者のロレンツォ・ダ・ポンテと組んでリスクを取ります。パイジェッロの《理髪師》の成功を、目の当たりにしていたからです。

パイジェッロが、ペトロセッリーニの台本でオペラにした《セビリアの理髪師》は、彼が宮廷楽長をしていたペテルブルクで1782年に初演。翌1783年8月のウィーン初演後、ここでも大人気でした。86年のシーズン終了までに40回以上も上演されています1。ウィーンの人たちが、《セビリア》の続きである《フィガロ》を早く見たいと望んでいることをモーツァルトは知っていましたから、勝算があったのです。もしもパイジェッロがいなかったら、モーツァルトの代表作《フィガロの結婚》は生まれなかった!?!

パイジェッロは晩年ナポレオンに寵愛されましたが、彼の時代が終わるとともに復位した旧王の不興を買い、1816年不遇のうちに没しています2。同年、24歳のロッシーニが《セビリアの理髪師》を作曲。この大成功で、パイジェッロの同名作品は忘れられることになりました。運命のいたずらですね。

ピアノや声楽を学んだ人は、きっと、パイジェッロの曲を1つご存じですよ。ピアノ学習者が、ベートーヴェンのピアノ変奏曲の(ほぼ)最初に学ぶ《〈うつろの心〉による6つの変奏曲》WoO. 70(1795年。WoO.については (239) ベートーヴェンの作品番号参照)の〈うつろの心〉は、パイジェッロが1788年に作ったオペラ《水車小屋の娘》のなかの二重唱です。パリゾッティは最初の部分を独唱曲にして、イタリア古典歌曲集に収めました。パガニーニなども同じ旋律で変奏曲を作っていますから(1820年)、とても人気がある作品だったのですね。

  1. (268) マンドリンの調弦は?に、このオペラ1幕のカヴァティーナの動画を紹介しています(2016/1/20追記)。
  2. 小林緑「パイジェッロ」『音楽大事典4」平凡社、1982年、1802ページ。
17. 12月 2014 · (216) モーツァルトの《そりすべり》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

《そりすべり》と言えば、ルロイ・アンダーソン以外に(よりも?)モーツァルト。アンダーソンの奥さんの回想にも登場しましたね((215) クリスマス以外にも聴きたい音楽参照)。3つのドイツ舞曲 K.605 第3曲のトリオ(A−B−AのB部分。(133) トリオはトリオだった参照)が、《そりすべり》のタイトル付き。

モーツァルトは1791年初め(同年12月に没)頃、舞曲をたてつづけに作りました。全自作品目録((23) 意外に几帳面だった(!?)モーツァルト参照)によると、ドイツ舞曲を作った2月12日には他にも2つのメヌエットK.604、その1週間前の2月5日には4つのメヌエットK.601、4つのドイツ舞曲K.602、2つのコントルダンスK.603、さらに1週間前の1月29日には6つのドイツ舞曲K.600を完成させています1

モーツァルトに限らずウィーンの人々は大のダンス好きでしたが、彼がこんなに舞曲を作ったのは、1787年12月7日付けでヨーゼフ2世に、グルックの後任として宮廷作曲家の称号を与えられたから。レント(復活祭前の悔い改めの時期。カトリックとプロテスタントでは四旬節、聖公会では大斎節)前の舞踏会シーズンに、宮廷舞踏会用の曲がたくさん必要だったのです。洗練されたメヌエット、より庶民的なドイツ舞曲やコントルダンス。いずれも彼の時代によく踊られました。

《そりすべり》が含まれる第3番のドイツ舞曲は元気に始まりますが、トリオでは、ファゴット以外の木管楽器やティンパニ、トランペットはお休み。代わりに、ド、ミ、ファ、ソ、ラの音程の鈴と、2種類のポストホルンが、ウィーンの冬の風物詩だったそりすべりの楽しげな様子を描写します。元気な部分が戻った後にコーダ。そりが遠ざかっていくように、最後は鈴とポストホルンだけが残ります。宮廷舞踏会で演奏されたら、さぞかし「うけた」ことでしょう。

ところで、お父さんのレオポルトにも《そりすべり》があるのをご存知ですか。ヴォルフガンクが生まれる前年1755年作曲の《音楽のそりすべり Musikalische Schlittenfahrt》です。続けて演奏される12の部分から成るヘ長調のディヴェルティメントで、《そりすべり》は2曲目。やはりド、ミ、ファ、ソ、ラの鈴が使われます(上の動画)。

あれれ、この動画の曲、自分が知っているレオポルトの《そりすべり》と違う!という方がおられるかもしれません。楽譜を調べたところ、そちら(下の動画の音楽)はレオポルト・モーツァルト作曲《音楽のそりすべり》を Franz Theodor Cursch-Bühren(1859-1908)が編曲した『子供のための交響曲』。雰囲気は似ていますが、よく聴くと、これでも編曲?!と驚くほど違いますね。

  1. 全自作品目録には2つのドイツ舞曲として記入。《そりすべり》の第3番は含まれていません。でも、同年にK.600、K.602とともに出版された《12のドイツ舞曲》には含まれています。藤本一子『モーツァルト事典』東京書籍、1991、383。
20. 8月 2014 · (199) 3拍子で始まる協奏曲 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

練習中は、2分音符=140なんて(まだ)速すぎる〜!とか、付点型に16分休符入れたり入れなかったりする意図は〜?とか、いろいろ考えながら弾くだけで十分忙しいのに、田部井剛先生からまた((195) ウクライナと音楽参照)質問が飛んで来ました。ブラームスに3拍子の曲が多いのはなぜか? 次回定期で演奏するブラームスのヴァイオリン協奏曲第1楽章も3拍子です。というわけで、今回は協奏曲の拍子について。

初めに質問です。モーツァルトの50曲近い協奏曲の中で、3拍子で始まる曲はいくつあるでしょう??

難しい問題でしょう! フルート協奏曲やクラリネット協奏曲など、有名どころ(!?)は3拍子ではない。ピアノ協奏曲はたくさんありすぎて、何がなんだか……。答えは3つ。ピアノ協奏曲第11番ヘ長調、同第14番変ホ長調、同第24番ハ短調、これだけです。ベートーヴェンの協奏曲(ピアノ5、ヴァイオリン1、トリプル1)には、3拍子で始まる曲はありません。ハイドンの代表的な協奏曲(チェンバロ1、ヴァイオリン3、チェロ2、トランペット1)も同様。3人とも、ほとんどの第1楽章を4/4拍子で作曲しています1

既に書いたように、西洋音楽の歴史においてまず生まれたのは、完全分割である3分割でした((110) 3分割から始まった!参照。たとえて言うと、全音符1つが2分音符3つ分)。でも、14世紀に2分割が(も)可能になると、こちらが主流に。ルネサンス時代を通じて3分割は、大規模な曲の中の、あるいは1曲の中の、三位一体に関連する歌詞の部分など、特別な部分や強調する部分を中心に使われました。

バロック時代も、2分割つまり2拍子4拍子が中心。ヴィヴァルディは第1楽章が3拍子の協奏曲も書いていますが、『調和の霊感』作品3の12曲中3曲、有名な《四季》が含まれる『和声と創意の試み』作品8でも、同じく12曲中3曲のみ。バロック組曲の定型に含まれる、スペイン起源の緩やかな3拍子の舞曲サラバンドのように、音楽に多様さやコントラストを与える意味合いが強かったのではないでしょうか。

古典派協奏曲では3拍子で始まる割合がさらに低くなるのは、上に書いたとおりです。秩序や調和、均衡が重視された古典派時代。不安定な3拍子よりも、どっしり落ち着きの良い2拍子系(特に4拍子)が多用されたのでしょう。ロマン派で3拍子の割合が高くなったのは、その反動とも考えられます。ブラームスのヴァイオリン協奏曲以外にも、ショパンのピアノ協奏曲第1番や、聖フィルでも演奏したチャイコフスキーのピアノ協奏曲の第1楽章が3拍子。ヴェーバーのクラリネット協奏曲第1番やクラリネットのためのコンチェルティーノ、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番、チェロ交響曲第2番なども。

ブラームスは6/4拍子で始まる協奏曲も作っていますね(ピアノ協奏曲第1番)。珍しい選択です。今回参考にした名曲解説全集の協奏曲 IIに収められた(カール・シュターミツのフルート協奏曲から、ヴォーン=ウィリアムズのテューバ協奏曲までの)113曲中、6/4で始まるのはこの1曲だけ2。6/8、9/8、12/8拍子の第1楽章が少ないのは、終楽章で使われる拍子だから避けたと考えられますが、6/4はさらに異質3。ブラームスが4拍子で作ったのは、ピアノの第2番とドッペルの2曲ですね。

  1. ハイドンには2/4拍子で始まる協奏曲が1つ、モーツァルトとベートーヴェンは2/2拍子が1つずつ。
  2. 『名曲解説全集9 協奏曲 II』音楽之友社、1980。
  3. 前掲書の中で、8/12拍子で始まる協奏曲は3曲(パガニーニ、ラロ、ピエルネ)、9/8拍子が1曲(エルガー)、6/8拍子で始まるのはマクダウエルのピアノ協奏曲第2番だけでした。
11. 6月 2014 · (189) 第1主題=第2主題 !? のソナタ形式 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

下の譜例1は、以前、聖フィルで取り上げたモーツァルトの交響曲第39番変ホ長調 K.543 の終楽章。左はヴァイオリン2つだけで始まる冒頭部。ソナタ形式の第1主題とその伴奏です。右は、新しい調((72) 第2主題は「ようこそ」の気持ちで参照)変ロ長調でファースト・ヴァイオリンが奏でる、第2主題。あれれ、4度下がった(=5度上がった)だけで、第1主題と変わりません。旋律だけではなく、セカンド・ヴァイオリンの伴奏まで全く同じ。休符以降は異なるものの、メロディーで最も重要な冒頭部1小節間はそっくり。

譜例1:モーツァルト作曲交響曲編ホ長調 K. 543 終楽章の第1、第2主題

譜例1:モーツァルト作曲交響曲編ホ長調 K. 543 終楽章の第1、第2主題

ソナタ形式の第1主題と第2主題は、たいてい対照的な性格で作られます。たとえば、第1主題が元気良くじゃーん!と出るなら、第2主題はドルチェで細やかに。第1主題が16分音符でせわしなく動くなら、第2主題は2分音符などでのんびりと。第1主題がスタッカートではずんだ感じなら、第2主題はレガートにという具合。オーケストラ曲であれば、第1主題は全部の楽器(トゥッティ)、第2主題は木管楽器(あるいはヴァイオリン)だけというようなコントラストも可能。もちろん、第1主題がピアノで密やかに、第2主題がフォルテで堂々とというようなケースも。いずれにしろ、全く同じく始まる2主題なんて有り得ない?!

ところが、初期のソナタ形式では2主題間のコントラストは重視されませんでした。ソナタ形式で最も重要なのは、調のコントラスト。前半部分で主調から対立調へ転調し、後半部分で対立調から主調に戻って終わるという型さえしっかりしていれば、この終楽章のように第1主題と第2主題が同じでも、構わなかったのです。

このような例は、単一主題ソナタ形式とよばれます。ほとんどの場合、第2主題部後半などで新しい主題が使われるので、厳密な意味での単一主題ソナタ形式の曲は多くありません 1。でもこの終楽章では、提示部をしめくくるコデッタ主題にも、第1主題と第2主題に共通な冒頭の7音音型が使われていますから、単一主題ソナタ形式にかなり近いと思います。主題は1つだけで、あとはそれから派生した旋律でソナタ形式を構成するって、経費(??)節約にはなりますが、作るのはかえって難しそうですね。

  1. Webster, James, “Sonata form,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 23, Macmillan, 2001, 692.
21. 5月 2014 · (186) ダ・カーポ後の繰り返し はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

先日、モーツァルトの交響曲の講義で、トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンサートによる40番ト短調 K.550 のCDを使いました。オリジナル楽器(ピリオド楽器とも)やそのレプリカによる、作曲家が生きていた頃の響きや、彼らがイメージした響きを知って欲しいと思うからです。第3楽章の授業後、「さっきの演奏団体はどこですか?」と何人も質問に来ました。「フルートの音がリコーダーみたいだった」。そりゃそうでしょうね。モーツァルトの時代(や19世紀)、フルートは木製でしたから。

ところで、第3楽章メヌエットでは、トリオ((133) トリオはトリオだった参照)の最後にD.C.と書かれ、2回目のメヌエットの記譜は省略されます(D.C.はダ・カーポ Da capo の略。イタリア語で「頭から」という意味)。メヌエットもトリオもそれぞれ2部分から成り、どちらも反復記号付き。ただ「ダ・カーポ後は繰り返しせずに1回ずつ演奏し、Fineで終わる」ものだと思っていたのですが……。

ピノックのCD、ダ・カーポ後のメヌエットも繰り返しています。ジョン・エリオット・ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツのCDも同様。クリストファー・ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団や、フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラによるベートーヴェンの交響曲第3楽章でも、ダ・カーポ後のスケルツォ2部分がそれぞれ繰り返されます。

少し古い辞書には、「ダ・カーポの後は反復記号を無視して終止に至るのが慣習となっている。”Scherzo da capo senza ripetizione”(スケルツォの曲首から反復なしにの意)はその反復記号の省略を明記した指定である」1とあります。私が習ったのは、これ。しかしイギリスのより新しい事典には、「古典派の交響曲において、メヌエットやスケルツォのトリオの後には決まって『ダ・カーポ』と記された。作曲家は時に、最初(すなわちメイン)部分の再現の際、内部反復の省略を求め、”D.C. senza repetizione(曲頭から繰り返し無しに)”と書いてこれを示した」2

いつもトリオの終わりまでしかCDをかけていなかった(講義時間は限られているのです)ため気づかなかったのですが、「明記されない場合は、ダ・カーポ後も反復を省略しない」のが普通になったようですね3。逆に、ダ・カーポ後に反復しなくなったのは、いつ頃からでしょうか。資料を捜し続けてみようと思います。

  1. 伴紀子「反復記号」『音楽大事典4』、平凡社、1982、1973ページ。
  2. Westrup, Jack, “Da capo,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 6, Macmillan, 2001, p. 829. repetizione の綴りはママ。
  3. ウィキペディア日本語版には「特に注意書きがない場合であっても、伝統的に繰り返し記号は無視して進めることとされる」と書いてありますが、英語版(の譜例)には、省略しないで演奏する、新しい情報が書かれています。
12. 2月 2014 · (172) 音楽の商品価値 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

音楽ジャンルに、上下関係はありません。交響曲だけが偉い、いえ重要!ではなく、歌曲もオペラも室内楽も、みんな同じように重要です、と書こうと思ったら……。モーツァルトにとって音楽は、ジャンルによって価値が異なるものでした1。1783年に作曲した交響曲第36番《リンツ》と、1784年に作曲した4つのピアノ協奏曲(第14〜17番)の自筆譜に関する父への指示に、それがあらわれています。

レオポルト・モーツァルトへ(1784年2月20日、ウィーンにて) 交響曲の譜はオリジナルですので、いつか写しを取ってください。そうしたらぼくに送り返すか、あるいは誰かにあげるか、お好きなところで演奏させても結構です。協奏曲(第14番)もオリジナルですから、これもどうぞ写しをとってください。でも取り終わったらできるだけ早くぼくに返してください。忘れないでほしいのですが、これは誰にも見せないでください。ぼくはこれを、[バーバラ・]ブロイヤー嬢のために作曲しました。この人はぼくに気前よく払ってくれたからです。

レオポルト・モーツァルトへ(1784年5月15日、ウィーンにて) リンツで例のトゥーン伯爵のために書いた交響曲、それに4つの協奏曲を、今日の郵便に乗せました。交響曲についてはかまいませんが、4つの協奏曲のほうは、家で写しをとるようにしてください。ザルツブルクの写譜屋はウィーンの連中と同じくあまり信用できませんから。確かな話ですが、ホーフシュテッターは、ハイドンの音楽の写しを二部取ったそうです。(中略)これらの新しい協奏曲のうち変ロ長調(第15番)とニ長調(第16番)はぼくだけのものですし、変ホ長調(第14番)とト長調(第17番)のはぼくとブロイアー嬢だけのものですから、誰かの手に入るとすれば、こういう不正行為以外に方法はありません。ぼく自身は、何でもぼくの部屋で、ぼくの見ている前で写譜させています。

18世紀後半には、大編成の合奏曲を出版する場合、彫版を作って印刷するよりも手で書き写すほうがまだ一般的だったそうです2。でも、手紙に書かれているように、こっそり余計に写して売りさばく不届き者の写譜屋もいたのです。海賊版が出てしまうと作曲者の得になりません。モーツァルトにとって写譜屋は、料金や仕事のスピード、正確さだけではなく、信用できるかどうかが大問題でした。

ところで、手紙の中でモーツァルトは、協奏曲の海賊版が出ることをとても心配し、家で(家族が)写すようにとか、誰にも見せないようになどと指示していますね。一方で交響曲は、だれかにあげてもよいとか、どこかで演奏されてもかまわないと書いています。つまり、モーツァルトにとって協奏曲の方が、交響曲よりも商品価値がずっと高かったということになります。

(16)「交響曲」は開幕ベルなどで書いたように、18世紀の交響曲は演奏会の序曲。開幕ベル代わりの、ほぼ使い捨ての音楽でした。一方の協奏曲は、観客がソリストの妙技を楽しむ、演奏会のメイン。どちらが重要か、考えるまでもありません。しかも、モーツァルトにとってピアノ協奏曲は、自分の予約演奏会の呼び物。1784年の2〜4月に作られたこれら4曲は、できたてのほやほやの「最新作」。まだウィーンの人々に知れ渡っていない、大事な大事な財産だったのです。交響曲が偉い、いえ重要!どころか、モーツァルトは交響曲の海賊版をあまり気にしていなかったというお話でした。

  1. 手紙の抜粋も含めて、マーシャル『モーツァルトは語る』高橋英郎、内田文子共訳、春秋社、1994、94-95。
  2. 前掲書、91。
25. 12月 2013 · (165) 交響曲? 協奏曲? サンフォニー・コンセルタント はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

日本語で協奏交響曲と訳されるサンフォニー・コンセルタントsymphonie concertante(仏)。18世紀後半から19世紀にかけてパリやマンハイムなどで流行した、「複数の独奏楽器をもつ交響曲と協奏曲の中間形態」です1。実際には交響曲というよりも協奏曲。ハイドンの、オーボエ・ファゴット・ヴァイオリン・チェロのための協奏交響曲は、ホーボーケンが交響曲第105番(Hob.I:105)に分類しましたが、現在は交響曲の中に含めません( (158) ハイドンの交響曲は106曲!参照)。

バロック時代のコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲。(59) クリスマスに聴きたい音楽 part 3で、コレッリの《クリスマス・コンチェルト》をご紹介しました)も、複数の独奏楽器を持つ協奏曲です。ただ、似ているのは形だけ。コンチェルト・グロッソではソロとトゥッティの対比が重視されましたが、サンフォニー・コンセルタントではソロ群が中心。カデンツァも付きます。

1767年5月に、出版譜に初めてサンフォニー・コンセルタントの名が使われて以来(実はこの曲、5重奏曲でしたが)、1830年頃までに570曲ほどが作られました(sinfonia concertante や concertante だけのタイトルを含む)2。半数は、フランス人、あるいはフランスで活動した作曲家によるものです。多作の筆頭は、半世紀以上をパリで過ごしたと言われるイタリア人カンビーニ(1746〜1825?)で、なんと82曲! 次いで、マンハイム楽派第2世代カール・シュターミツ(1745〜1801)の、30曲以上。

緩徐楽章を欠く2楽章構成と、通常の協奏曲と同じ急―緩―急の3楽章構成が、ほぼ1:1。緩徐楽章でも、アンダンテよりも遅いテンポ(アダージョなど)は全く使われていないそうです。速い方が、ソリストの妙技披露に向きますものね。耳に快いメロディーが次々と出て来るのは、セレナードやディヴェルティメントなど、当時の「軽い」ジャンルの音楽と似ています。短調の曲は全体のわずか0.5%。古典派時代は圧倒的に長調の曲が多いのですが、交響曲の2.5%と較べても、短調の少なさが際立っています。

独奏楽器の数は、2、3から時に8、9まで。ソロ楽器の組み合わせも様々で、鍵盤楽器の4手連弾(テオドール・フォン・シャハト作)、ハープシコード・ヴァイオリン・ピアノ(ジャン=フランソワ・タプレ)、ピアノ・マンドリン・トランペット・コントラバス(レオポルト・コジェルフ)、2ヴァイオリン・2ヴィオラ・2オーボエ・2ホルン・1チェロ(ヨハン・クリスティアン・バッハ)など、響きが想像しにくいユニークなものも。

モーツァルトは、1778年にパリで作ったフルート・オーボエ・ホルン・ファゴットのための K. Anh.9 (297B)(消失。19世紀半ばに見つかった楽譜は、真作かどうかわかりません)と、翌年のヴァイオリンとヴィオラのための K.364 (320d) を、サンフォニー・コンセルタントと呼びました。一方、同じ1778年にパリで作ったフルートとハープのための K.299(297c) は、複数の独奏楽器を持つのに、ただの(!?)協奏曲。その理由は?

サンフォニー・コンセルタントは本来、独奏楽器の名演奏家(ヴィルトゥオーゾ)たちのための、公開演奏会用の作品でした。チケットを購入すれば、一般市民も楽しめる公開演奏会。複数のソリストの妙技を同時に楽しむことができるサンフォニー・コンセルタントは、メイン・プログラムにうってつけ。モーツァルトは、アマチュアのフルート奏者ド・ギーヌ公爵が娘と一緒にサロンで演奏するために注文した曲と、パリの名高い公開演奏会コンセール・スピリテュエル用の曲とを、はっきりと区別していたのです。

  1. 西原稔「サンフォニー・コンセルタント」『音楽大事典2』、平凡社、1982、1001ページ。
  2. Brook, Barry / Gribenski, Jean, “Symphonie concertante,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 24. Macmillan, 2001, 807.