06. 4月 2016 · (275) 《古典交響曲》の古典的でないところ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , ,

前回ご紹介したように、《古典交響曲》はプロコフィエフがハイドン風に作った交響曲です。しかし、ハイドン的ではない点もあります。

まず思い当たるのは、第3楽章がメヌエットではないこと。ベートーヴェンがスケルツォに変えるまで((81) 交響曲の中の冗談参照)、4楽章構成の交響曲の第3楽章は、3拍子のメヌエットでした。もともと急ー緩ー急の3楽章構成だった交響曲をより楽しめるように、当時流行していた踊りの音楽を加えたのでしたね((87) 流行音楽メヌエット参照)。

ところが、《古典交響曲》の第3楽章はガヴォット。古典派より前のバロック時代に組曲などに使われた、フランス起源の舞曲です。トリオが挟まる AーBーA’ の形をしてはいますが、4/4拍子でしかも pesante(重く)。むしろ、ゆっくりながら3拍子の第2楽章が、古典的で優雅なメヌエットに近い音楽です。

第2に、楽器の高音域が使われていること。たとえば、《古典交響曲》ではファースト・ヴァイオリンの最高音はレ。五線の上に加線2本のレの、そのまた1オクターヴ上です。加線6本!

ベートーヴェンは交響曲で、ヴァイオリンのラより高い音を使いませんでした((99) 高音域を使わない理由参照)。ハイドンの時代はさらに、使用する音域が狭かったようです。彼が最後に作った104番の交響曲((158) ハイドンの交響曲は106曲!参照)を調べてみたら、第1楽章の展開部の終わりでソを繰り返し使っているものの、他はほとんど加線2本のレ以下。第3ポジションで弾ける範囲です。フルートも、同じくソまででした(《古典交響曲》では、その上のドが当たり前に使われています)。

でも、何よりハイドンっぽくないところは、転調のし方でしょう。ハイドンの時代は、属調(5度上)、下属調(5度下)、平行調(同じ調号を持つ長調と短調)、同主調(同じ音から始まる長調と短調)などの近親調へ、さりげなく転調しました。ところがプロコフィエフは、平気で(?!?)遠隔調へ移ります。

特に目立つ(?)のが、ニ長調からハ長調への転調。主調であるニ長調ではファとドにシャープがつきますから、ハ長調の主音ドはニ長調に含まれません。ところが、この遠い調への転調をプロコフィエフは第1楽章冒頭でいきなり断行。2小節間の上行アルペジオの序奏に続いて、8小節から成る第1主題を主調のニ長調で提示した後、そのままハ長調で繰り返すのです(主題の「確保」と言います)。

ニ長調からハ長調に転調すると、落ち込む感じがします。主音がレからドに1音下がることだけが理由ではありません、シャープ2つの調から調号無しの調への転調は、(シャープが減ることになるので)フラット方向への移動。これが「ずり落ち」感を強めています。第1楽章第1主題がハ長調で再現される際も同様。

落ち込む感じがずっと続くのが、終楽章の第2主題部(43小節〜)。アルベルティ・バス音型による伴奏の和音は、2小節、ときには1小節ごとに自由に目まぐるしく変化。最低音が「レード♯ーシーラーソ♯ーファ♯ーミーレ♯ーレード♯ード」と順次進行で下るにつれて、和音もどんどん下降していきます。「ハイドンがもし今日生きていたら作曲する」ような交響曲という、プロコフィエフの意図が分かりやすく現れた、この曲の聴きどころです。

17. 12月 2014 · (216) モーツァルトの《そりすべり》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

《そりすべり》と言えば、ルロイ・アンダーソン以外に(よりも?)モーツァルト。アンダーソンの奥さんの回想にも登場しましたね((215) クリスマス以外にも聴きたい音楽参照)。3つのドイツ舞曲 K.605 第3曲のトリオ(A−B−AのB部分。(133) トリオはトリオだった参照)が、《そりすべり》のタイトル付き。

モーツァルトは1791年初め(同年12月に没)頃、舞曲をたてつづけに作りました。全自作品目録((23) 意外に几帳面だった(!?)モーツァルト参照)によると、ドイツ舞曲を作った2月12日には他にも2つのメヌエットK.604、その1週間前の2月5日には4つのメヌエットK.601、4つのドイツ舞曲K.602、2つのコントルダンスK.603、さらに1週間前の1月29日には6つのドイツ舞曲K.600を完成させています1

モーツァルトに限らずウィーンの人々は大のダンス好きでしたが、彼がこんなに舞曲を作ったのは、1787年12月7日付けでヨーゼフ2世に、グルックの後任として宮廷作曲家の称号を与えられたから。レント(復活祭前の悔い改めの時期。カトリックとプロテスタントでは四旬節、聖公会では大斎節)前の舞踏会シーズンに、宮廷舞踏会用の曲がたくさん必要だったのです。洗練されたメヌエット、より庶民的なドイツ舞曲やコントルダンス。いずれも彼の時代によく踊られました。

《そりすべり》が含まれる第3番のドイツ舞曲は元気に始まりますが、トリオでは、ファゴット以外の木管楽器やティンパニ、トランペットはお休み。代わりに、ド、ミ、ファ、ソ、ラの音程の鈴と、2種類のポストホルンが、ウィーンの冬の風物詩だったそりすべりの楽しげな様子を描写します。元気な部分が戻った後にコーダ。そりが遠ざかっていくように、最後は鈴とポストホルンだけが残ります。宮廷舞踏会で演奏されたら、さぞかし「うけた」ことでしょう。

ところで、お父さんのレオポルトにも《そりすべり》があるのをご存知ですか。ヴォルフガンクが生まれる前年1755年作曲の《音楽のそりすべり Musikalische Schlittenfahrt》です。続けて演奏される12の部分から成るヘ長調のディヴェルティメントで、《そりすべり》は2曲目。やはりド、ミ、ファ、ソ、ラの鈴が使われます(上の動画)。

あれれ、この動画の曲、自分が知っているレオポルトの《そりすべり》と違う!という方がおられるかもしれません。楽譜を調べたところ、そちら(下の動画の音楽)はレオポルト・モーツァルト作曲《音楽のそりすべり》を Franz Theodor Cursch-Bühren(1859-1908)が編曲した『子供のための交響曲』。雰囲気は似ていますが、よく聴くと、これでも編曲?!と驚くほど違いますね。

  1. 全自作品目録には2つのドイツ舞曲として記入。《そりすべり》の第3番は含まれていません。でも、同年にK.600、K.602とともに出版された《12のドイツ舞曲》には含まれています。藤本一子『モーツァルト事典』東京書籍、1991、383。
21. 5月 2014 · (186) ダ・カーポ後の繰り返し はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

先日、モーツァルトの交響曲の講義で、トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンサートによる40番ト短調 K.550 のCDを使いました。オリジナル楽器(ピリオド楽器とも)やそのレプリカによる、作曲家が生きていた頃の響きや、彼らがイメージした響きを知って欲しいと思うからです。第3楽章の授業後、「さっきの演奏団体はどこですか?」と何人も質問に来ました。「フルートの音がリコーダーみたいだった」。そりゃそうでしょうね。モーツァルトの時代(や19世紀)、フルートは木製でしたから。

ところで、第3楽章メヌエットでは、トリオ((133) トリオはトリオだった参照)の最後にD.C.と書かれ、2回目のメヌエットの記譜は省略されます(D.C.はダ・カーポ Da capo の略。イタリア語で「頭から」という意味)。メヌエットもトリオもそれぞれ2部分から成り、どちらも反復記号付き。ただ「ダ・カーポ後は繰り返しせずに1回ずつ演奏し、Fineで終わる」ものだと思っていたのですが……。

ピノックのCD、ダ・カーポ後のメヌエットも繰り返しています。ジョン・エリオット・ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツのCDも同様。クリストファー・ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団や、フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラによるベートーヴェンの交響曲第3楽章でも、ダ・カーポ後のスケルツォ2部分がそれぞれ繰り返されます。

少し古い辞書には、「ダ・カーポの後は反復記号を無視して終止に至るのが慣習となっている。”Scherzo da capo senza ripetizione”(スケルツォの曲首から反復なしにの意)はその反復記号の省略を明記した指定である」1とあります。私が習ったのは、これ。しかしイギリスのより新しい事典には、「古典派の交響曲において、メヌエットやスケルツォのトリオの後には決まって『ダ・カーポ』と記された。作曲家は時に、最初(すなわちメイン)部分の再現の際、内部反復の省略を求め、”D.C. senza repetizione(曲頭から繰り返し無しに)”と書いてこれを示した」2

いつもトリオの終わりまでしかCDをかけていなかった(講義時間は限られているのです)ため気づかなかったのですが、「明記されない場合は、ダ・カーポ後も反復を省略しない」のが普通になったようですね3。逆に、ダ・カーポ後に反復しなくなったのは、いつ頃からでしょうか。資料を捜し続けてみようと思います。

  1. 伴紀子「反復記号」『音楽大事典4』、平凡社、1982、1973ページ。
  2. Westrup, Jack, “Da capo,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 6, Macmillan, 2001, p. 829. repetizione の綴りはママ。
  3. ウィキペディア日本語版には「特に注意書きがない場合であっても、伝統的に繰り返し記号は無視して進めることとされる」と書いてありますが、英語版(の譜例)には、省略しないで演奏する、新しい情報が書かれています。
12. 5月 2013 · (133) トリオはトリオだった はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

交響曲の第3楽章は、メヌエットでもスケルツォでも、AーBーAの形で作られることが多いですね。中間部分Bはトリオと呼ばれ、その後にA部分がダ・カーポ(イタリア語で「頭から」=冒頭に戻る)されます。でも、第3楽章の中間部分って、3重奏ではありませんよね。どうしてトリオと呼ばれるのでしょうか。

17世紀、バロック舞踏のステップ・パターンをひと通り終えるためには、かなりの長さの曲が必要でした。たとえばメヌエットの一連の動作には、120小節もの音楽が必要だったそうです1。しかし、メヌエットにしてもガヴォットにしてもサラバンドにしても、舞曲はそれほど規模の大きいものではありません。1つの曲を踊りが終わるまで何度も何度も繰り返すのでは、踊る人も伴奏する人もつまらない。やがて、同じ舞曲がもう1つ加えられ、最初の曲がそのあとで繰り返されるようになりました。編成や響きが異なる2曲を交代させれば、変化を楽しむことができます。

第2舞曲を3重奏で作曲したのは、リュリ(あの、重い杖を床に打ちつけながら指揮していたときに、誤って自分の足を打ち、その怪我がもとで亡くなった人((18) 「赤ちゃん交響曲」誕生まで参照)。叙情悲劇《アルミード》(1686)のプロローグで、第1メヌエットを弦5声部で作曲する一方、第2メヌエットは2本のオーボエとファゴット用に。《ペルセ》(1682)でも、3声部の第2パスピエを作り、1回目はオーボエ2本とファゴット、2回目はソプラノ2人と通奏低音((132) 楽譜どおり演奏しても足りない場合参照)という異なった組み合わせを指定2。2交代5部構成(A – B – A – B’ – A)で、踊りに十分な長さにしたのです。第2舞曲が3重奏ではなく2重奏や4重奏で作られるときもありましたが、それでもトリオと呼ばれました。

バッハは《ブランデンブルク協奏曲》第1番の第2メヌエット(=トリオ)を、リュリと同じ3重奏編成(オーボエ2とファゴット)にしました。さらに、異なる3重奏編成(ホルン2とオーボエ・ユニゾン)用の2拍子のトリオや、弦楽器のみのポラッカ(=ポロネーズ。メヌエットと違う舞曲!)もはさんで、M – T1 – M – P – M – T2 – M の7部構成に3。舞踏の伴奏音楽ではありませんから、多様性のためでしょう。

初期は3楽章構成だった交響曲の第3楽章としてメヌエットが取り入れられたのは、おもしろみの少ない交響曲を少しでも楽しんでもらうための聴衆サービスでしたね((87) 流行音楽メヌエット。それをベートーヴェンがスケルツォに置き換えたのでした((101) メヌエットからスケルツォへ参照)。実用的な舞曲と同じ、「第1メヌエット – 第2メヌエット – ダ・カーポして第1メヌエット」という形や、第2メヌエットがトリオと呼ばれる慣習が、交響曲に持ち込まれたのも当然。

トリオを2回繰り返して A – B – A – B – A にしたり(ベト7など。《運命》については((81) 音楽における冗談参照)、2種類のトリオで A – B – A – C – A にしたり(シューマンなど)、トリオ部分の拍子を変えたり(《田園》など)するのも、バロック時代に前例があるのですね。また、通常はメヌエットよりも薄い編成で作られたり、弦楽器よりも管楽器を活躍させて趣を変えること(《エロイカ》のホルン3重奏が好例)も、バロック時代からの流れでした(この概念は20世紀でも続きます)。というわけで、現在は名称と概念しか残っていないものの、交響曲第3楽章のトリオの大元は本当に3重奏だったというお話でした。

  1.  Schwandt, Erich, “Trio” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 25. Macmillan, 2001, p. 743.
  2. (135) トリオはトリオじゃなかった?註1を参照のこと(13/06/01追記)。
  3. M: メヌエット(ホルン2、オーボエ3、ヴァイオリン2、ヴィオラ、通奏低音)。T1: 第1トリオ(オーボエ2とファゴット)。P: ポラッカ(弦、3/8拍子)。T2: 第2トリオ(ホルン2とオーボエのユニゾン、2/4拍子)。
04. 10月 2012 · (101) メヌエットからスケルツォへ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

新デザインでの1回目。図1のイラストは、交響曲の中の楽章の1つ。さて、何楽章でしょう?

図1:工場で生産される交響曲(部分)Dyries & Lemery, The Story of Music in Cartoon より

左側は2人ずつ手をつないで踊っています。右半分では1人ずつジャンプしたり、ぶつかったりしています。真ん中には「危険! 飛び跳ねる冗談好きに注意!」と書かれた青い看板。そう、メヌエットからスケルツォに変わった第3楽章ですね1。この枠の外には「ベートーヴェンがメヌエットを、飛び跳ねるリズムのスケルツォ(冗談という意味)に取り替えた」という補足もあります。(81) 交響曲の中の冗談で《田園》や《新世界》を例に説明したように、拍がずれたりいびつだったり、イレギュラーな予期しない動きが含まれるスケルツォをうまく表していますね。

みんな同じ青い制服制帽なのは、彼らが工場労働者だから。男女1組のはずのメヌエットを男同士で踊っているのも、同じ理由です。ここは、交響曲を生産する工場の3つ目の作業場。18世紀において「交響曲」(=初期の交響曲=シンフォニーア)は、同じような型でたくさん作曲され(かつ、ほぼ使い捨てのように消費され)ていました(交響曲の誕生シリーズ参照)。

(16)「交響曲」は開幕ベルで既にふれたように、ラルー編纂の『18世紀交響曲主題目録』によると、1720年から1810年ころまでの演奏会に現われた「交響曲」は16,558曲! これは、楽譜が現存する、あるいは曲の開始部主題が確認できたものだけの数です2。そのように大量生産されていた「交響曲」が、ベートーヴェン以降、1曲ずつ全身全霊をこめて作られる記念碑的なジャンルに変わるのです。

メヌエットがスケルツォに替わって変化したのは、テンポだけではありません。より多くの人がコンサート会場に足を運んでくれるように、また、より多くの聴衆が交響曲を楽しめるようにと加えられた、当時流行のダンス音楽メヌエット((87) 流行音楽メヌエット参照)。一方スケルツォは、(形はメヌエットと同じですが)ダンスのための実用音楽ではなく、純粋な音楽ジャンル。つまり、ベートーヴェンによって交響曲は、芸術的な要素だけで構成されるものになったのです。

ただ、彼が第3楽章の曲種を替えたのは、おそらく社会の変化の反映です。18世紀末になると、メヌエットの人気が衰退してしまったのです。ハイドンやモーツァルトの時代には最も人気が高い舞曲だったメヌエットですが、ベートーヴェンが交響曲を書き始める1790年代半ばには流行遅れに3

それでは、メヌエットに代わって1790年代に人気になった、同じ3拍子の舞曲は何でしょう? ヒント:男女が抱き合うように組んで踊るので、不道徳だと禁止された時期もありました。そうです、答えはワルツ。「会議は踊る、されど進まず」のウィーン会議は、1814年でしたね。

  1. Dyries & Lemery The Story of Music in Cartoon: From Pre-History to Present(漫画による音楽の話:有史以前から現在まで), trans. by Sadler, Macdonald & Co, 1983, p. 54. 漫画と言っても風刺漫画のタイプ、日本人がイメージする漫画とはかなり違います。RyISKWさんの情報に感謝いたします。
  2. 『ベートーヴェン事典』、東京書籍、1999、22ページ。
  3. 石多正男『交響曲の生涯』、東京書籍、2006、229ページ。
27. 6月 2012 · (87) 流行音楽メヌエット はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

フランス起源の3拍子の舞曲メヌエット。17世紀半ばから18世紀末にかけて、フランス宮廷を中心に、貴族階級のダンス音楽として広く普及します。おだやかなテンポによるエレガントな踊りは典型的な宮廷舞曲で、市民層にも非常に人気がありました。

このメヌエット、18世紀初め以降、特にイタリア人作曲家たちによって、誕生間もない「交響曲」(シンフォニーア)に使われることがありました。(18)「赤ちゃん交響曲」誕生までに書いたように、シンフォニーアは 急―緩―急 の3楽章構成。その終楽章が、メヌエットの様式で作られたのです。しかし、1740年代になるとドイツ語圏では、緩徐楽章とフィナーレの間に第3楽章としてメヌエットが加えられ、4楽章構成の交響曲が主流になりました。急―緩―急 から 急―緩―やや急(メヌエット)―急 に変化したのです。

ドイツやオーストリアで、交響曲の中にメヌエットが定着したのはなぜでしょうか。それは、当時この地域でメヌエットが流行していたからです。要するに、聴衆サービス。18世紀の人々にとって「交響曲」は、コンサートで妙技を楽しむことができる独奏者をもたない、伴奏者だけで演奏する、おもしろみの少ない音楽でした。そこで、最も人気が高いダンスの音楽を取り入れて、聴衆が楽しめるようにしたのです。交響曲の途中で流れるメヌエットの舞曲を聴いて、人々は、自分が踊っているような気持ちを味わったのでしょう。ただ、ドイツ語圏と限定しなければ、18世紀末になっても交響曲の主流は、メヌエット無しの3楽章構成でした。モーツァルトがパリで作曲したいわゆる《パリ》交響曲ハ長調(第31番、1778)が良い例です。

さて、モーツァルトとメヌエットと言えばやはり、交響曲からは離れますが、オペラ《ドン・ジョヴァンニ》(1787)ですね。次回の聖フィル定演で演奏する序曲ではなく、第1幕フィナーレの「3つのオーケストラの場」。観客たちが、自らメヌエットを踊って楽しむ気分を味わったはずの場面です。ドン・ジョヴァンニとは、イタリア語でドン・ファンのこと(ドン・ファンはスペイン語)。従者のレポレッロが《カタログの歌》(第1幕第5場)の中で、犠牲になった女性は「イタリアでは640、ドイツでは231、フランスで100、トルコで91、スペインではもう1003」人と数え上げる、稀代の女たらしです。

彼は今、自邸での大宴会で村娘ツェルリーナを誘惑中。「音楽、再開!」という合図とともに、たくさんの客が自分の身分にふさわしいダンスを踊ります。最初に始まる音楽がメヌエットで、踊るのは仮面をつけたドンナ・アンナとドン・オッターヴィオ(ト長調、3/4拍子)。ドンナとドンという敬称からわかるように、2人は貴族。メヌエットにふさわしい踊り手です。演奏するのは、下の動画では舞台奥に並ぶ、第1オーケストラ(オーボエ2、ホルン2、弦4部)。

次いで、舞台右側の第2オーケストラ(ヴァイオリン2部と低弦。1’10″くらいに見えます)が、中流のための舞曲コントルダンス(2/4拍子)を弾き始めます(1’02″くらいから)1。踊るのはドン・ジョヴァンニとツェルリーナ。さらに、舞台左側の第3オーケストラ(ヴァイオリン2部と低弦)が、3/8拍子の、農民のためのドイツ舞曲を演奏(1’30″くらいから)。レポレッロはツェルリーナの婚約者マゼットと、無理矢理いっしょに踊ります。

ドン・ジョヴァンニによって別室へ連れ込まれたツェルリーナの悲鳴(1’57″くらい)によって中断するまで、拍子が異なる3種類の舞曲が同時進行。それぞれの舞曲が、踊り手の社会階級を示す場面です。芸が細かいモーツァルトは、遅れて加わる第2、第3オケの調弦の音まで書き込んでいます(1’17″くらいから、第3オケのヴァイオリンが、開放弦の和音を何回か鳴らしています)。

  1. ベートーヴェンの《12のコントルダンス集》WoO 14 第7曲は、《プロメテウスの創造物》や《エロイカ》終楽章の主題のもとになった曲でしたね。