23. 11月 2016 · (296) 英語で何と言うのか? 対向配置について はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

最近はアマ・オケの演奏会でも、対向配置がそれほど珍しくなくなりました。対向配置とは、セカンド・ヴァイオリンが客席から見て舞台の右側(以後、左右は全て客席側から見た方向)に置かれ、左側のファースト・ヴァイオリンと向かい合う配置(以後、ファースト、セカンドは全てヴァイオリン)。ファーストの隣にチェロ、その後ろにコントラバスが位置し、ヴィオラはチェロとセカンドの間です(図1参照)。舞台左側にファーストとセカンドを並べる配置が一般的になる前に、使われました。

図1:対抗配置(弦のみ)

図1:対向配置(弦のみ)

対向配置は、両翼配置、古典配置とも呼ばれます。これらを英語では何と言うのでしょうか? いろいろ探しているのですが、今のところ特定の用語は見つかりません。そもそも「配置」も、(seating)plan、arrangement、layout、position、placement、setting など、いろいろな語が使われます。「2つのヴァイオリン群が指揮者の両脇に」などと説明されるところを見ると、「対向、両翼」配置は、日本独特の用語?!

ただこれを「伝統的な traditional」配置と呼ぶ記事がいくつかありました1。一方、現在一般的な配置は「現代の modern」配置、あるいは「標準的な standard」配置などです2。また、現在の配置を「アメリカ式」、古い配置を「(古い)ドイツ式」と書いたものもありました3

ところで、対向(両翼)配置はいつ頃使われたのでしょうか。古典派時代? 確かにベートーヴェンは、この配置をうまく利用しています。よくあげられる例が、《第九》第2楽章のフガート。右端のセカンドから始まり、ヴィオラ、チェロ、ファースト、コントラバスと、フガート主題が順に左に受け渡されていきます。

セカンドがファーストの隣りに座るのが一般的になるのは、実はかなり最近のことです。既にご紹介したメンデルスゾーンの革命的配置((96) オーケストラの楽器配置、ライプツィヒ、1835参照。左右逆でしたね)や、パリ((174) パリ、1828)、ロンドン((260) ロンドン、1840)の例のように、19世紀もずっと、対向(両翼)配置が使われました。チャイコフスキーの《悲愴》交響曲(1893)で、ファーストとセカンドが1音ずつ旋律を分担する終楽章冒頭(譜例1参照)は、対向配置によりステレオ効果が際立ちます。

譜例1:チャイコフスキー《悲愴》交響曲終楽章冒頭

譜例1:チャイコフスキー《悲愴》交響曲 終楽章冒頭

マーラーが1905年に《第九》を演奏したときの写真(図2)では、指揮者の左側にチェロが見えます。ストコフスキーが1916年3月2日に、フィラデルフィア管弦楽団とマーラーの《一千人の交響曲》のアメリカ初演を行ったときの写真(図3)も、対向配置ですね。そう、20世紀になっても対向配置が使われていたのです。あれれ、現在の配置を始めたのはストコフスキーではなかったかな……?? ((297) 対向配置を変えたのは誰?(298) ストコフスキーの楽器配置に続く4

図2:ベートーヴェン《第九》を指揮するマーラー(ストラスブール、1905)

図2:ベートーヴェン《第九》を指揮するマーラー(ストラスブール、1905)

図3:ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団(1916)

図3:ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団(1916)

  1. Huffmann, Larry, “Interviews with Leopold Stokowski,” http://www.stokowski.org や、Marks, Peter, “Divided violins: Sir Adrian would be pleased,” http://musicdirektor-smallgestures.blogspot.jp など。後者は「自分は伝統的配置と呼ぶ」と但し書き付きです。図2、図3も Marks より。
  2. 「現代の」は上記 Marks。「標準的」は Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988 など。
  3. Rasmussen, Karl Aage, Laursen, Lasse, “Orchestra size and setting,” trans. by Reinhard, http://theidiomaticorchestra.net.
  4. 漢字のミスを指摘してくださった読者の方、どうもありがとうございます。私、ずっと間違って覚えていました。皆さま、ごめんなさい。
22. 1月 2014 · (169) 交響曲と歌曲:マーラーの《巨人》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

アマ・オケ奏者のあこがれ、オケ・ファンが大好きなマーラーの交響曲。特徴は:

  1. 編成がでかい(「大きい」と言うより「でかい」だと思いませんか?)
  2. 曲が長い(交響曲1曲で演奏会が成立するものも。私、3番1曲だけの演奏会に、タッチの差で遅刻したことがあるんです。第1楽章が終わるまで40分近く、ロビーで呆然と立ち尽くしていました……)
  3. 交響曲と歌曲を近づけた

今回は3について。わかりやすいのは第2、3、4番交響曲。ベートーヴェンの《第九》のように歌付きの楽章が含まれます。自身が交響曲と呼んだ《大地の歌》は、オーケストラ伴奏付きの連作歌曲集。《一千人の交響曲》のニックネームをもつ第8番は、実質的に2部から成るカンタータです。

歌が含まれていなくても、歌曲と近い関係の交響曲があります。たとえば第1番。ソプラノ歌手ヨハンナ・リヒターへの失恋をきっかけに作られた歌曲集《さすらう若人の歌》と、密接に関連しています。4曲とも、マーラーが歌詞も書きました。

第2曲〈今朝、野を行くと〉は、さわやかな曲。第1曲〈いとしい人が結婚する時〉でダイレクトに歌われた失恋の痛みは、忘れられてしまったかのよう。朝の野を歩く自分に、ヒワや釣鐘草が「すてきな世界じゃないですか」と呼びかけます。でも、最後の第3節が進むうち、音楽は次第にテンポを落として切れ切れに。「いや、いや、自分の幸せは決して花咲くものか!」の最終行が、明るい響きの中に切ない余韻を残します。

マーラーの交響曲第1番をご存知の方は、これを聴いて驚かれたことでしょう。第1楽章に〈今朝、野を行くと〉の「旋律が使われている」という解説は、正確ではありませんよね。歌以外のほぼ全て(歌の旋律を楽器に移し、オーケストラごと)が、提示部に使われています。途中に、新しいフレーズを挟んだのかなと思われた方、歌曲の第3節(1’27〜)までお待ちください。第1主題の続きはこちら(1’39〜)。「歌が含まれていなくても、歌曲と近い関係」と書いた意味を理解していただけたと思います。

しかも、歌曲を交響曲に使うという単純なプロセスではなかったようです。マーラーがピアノ伴奏の《さすらう若人の歌》を作曲したのは、1884〜85年。オーケストラ伴奏にしたのは、1990年代。一方、交響曲第1番の第1稿(2部構成5楽章から成る交響詩)の作曲は、1884〜88年1。つまり、歌曲に基づいて交響曲を書き、さらにその交響曲を歌曲に転用したことになります。

一方を他方に組み込むという次元を越えて、両者を行ったり来たりする相互乗り入れの次元へ。第1番第1楽章においてマーラーは、相反する性格を持つ交響曲と歌曲を、「近づけた」と言うよりむしろ融合させたと言うべきかもしれません。

  1. この後もタイトルや副題を付けたり、それらを削り、4楽章構成にして交響曲に仕立て直したり(タイトルは削られたままなので、《巨人》と呼ぶのは正しくないのですが)と、改訂は続きます。