04. 6月 2014 · (188) イギリスの作曲家ヘンデル? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

このコラムを書くときもそうですが、私がよく使う音楽事典は The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2nd edition (音楽と音楽家についての新しいグローヴの事典、第2版)。全29巻で、2001年にイギリスのマクミラン社から出版されました(2004年、オックスフォード大学出版会に売却)1。誤記もありますが新しいし、項目数が多い。何よりも、英語で手っ取り早く読めるので助かります。

その New Grove Dictionary, 2nd edition のヘンデルの項。見出しが英語綴りの Handel なのは、イギリスの事典ですから当然と言えば当然(その後に、[Händel, Hendel]2)。でも、生没年・場所の後の書き出しが「ドイツ生まれのイギリスの作曲家(English composer of German birth.)」だったので、思わずニヤリ。

日本でヘンデルと言えば、バッハと並ぶドイツのバロック音楽の作曲家。ウムラウト付きの Händel と綴りますが、彼は半世紀近くをイギリスで過ごしました。1710年6月16日にハノーファーの宮廷楽長に任命されたのに、一月足らずで休暇を取ってロンドンへ(7月までにデュッセルドルフに進んでいたので、正確には一月足らずではなく半月足らずですね3)。1年後にハノーファーに戻るも、翌1712年末に再び休暇を申請し渡英。亡くなる1759年まで、イギリスで暮らします。50作近くのオペラ、30作近くのオラトリオのほとんどがイギリスで作曲されましたし、コンチェルト・グロッソやオルガン・コンチェルトも同様。有名な《水上の音楽》や《王宮の花火の音楽》も、イギリスでの作品です。1727年にはイギリスに帰化。

似たケースとして、リュリ(1632〜87)を思い出しました。ルイ14世の寵愛を得てフランス宮廷音楽の実権を握り、オペラ上演を独占。でも実は、彼はイタリア人。元はと言えば、ルイ14世のいとこにあたる公女のイタリア語会話の相手としてパリに来たのです((18) 「赤ちゃん交響曲」誕生まで参照)。リュリなら、イタリア生まれのフランスの作曲家と書いてあっても、違和感はありません(日本の音楽事典でも、イタリア語の綴り Lulli ではなく、フランス語の綴り Lully が先に書かれています4)。同じようにヘンデルも、イギリスの作曲家と考える方が実像に近いと言えますね。

  1. 『ニューグローヴ世界音楽大事典』(講談社、1993年)は、初版(1880年出版)の翻訳です。
  2. Hicks, Anthony, “Handel, George Frideric,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 10, Macmillan, 2001, 747.
  3. Ibid., 750.
  4. たとえば、内野允子「リュリ」『音楽大事典5」平凡社、1983、 2741。
14. 10月 2012 · (102) 話すように歌うレチタティーヴォ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

《第九》第4楽章冒頭。管打楽器の「恐怖のファンファーレ」でドラマティックに始まり、チェロとコントラバスが伴奏無しで朗々と奏でる旋律が続きます。ベートーヴェンはここにフランス語で、「レチタティーヴォ風に、ただしイン・テンポで」という指示を書き込みました。2度目の「恐怖のファンファーレ」や第1〜3楽章の回想を挟みながら繰り返される、「レチタティーヴォ風」の低弦旋律。このレチタティーヴォって何か、ご存知ですか?

「叙唱」と訳されるレチタティーヴォは、声楽書法の1種。オペラ、オラトリオ、カンタータなどで使われます。たとえばオペラにおいて、登場人物の「好き!」とか「困った〜」などの感情が歌われるアリア。歌詞は韻文。歌い手の技巧や音楽性の見せ場です。でも、全てをアリアで歌うと単調だし、話が進みません。だから、状況説明や複数の人物による対話には、アリアと異なるさくさく進む書法を使うのです。それがレチタティーヴォ。特徴は:

  • 語りを歌でまねしたもの。歌と語りの中間
  • 歌詞は散文
  • アリアとアリア(または合唱、器楽曲)の間におかれる
  • 筋の説明や、対話に使われる

英語の recite(朗唱する)のイタリア語、recitare に由来するように、朗唱風で言葉の抑揚を活かす歌い方です。話すときのように狭い音域内に短い音符を連ねたり、同音反復も多く使われます。管絃楽や弦楽の伴奏がつくこともありますが、低音楽器と鍵盤楽器だけの伴奏でも多く作られました。歌い手の自由度が増えますし、歌詞が聴き取りやすくなります。器楽曲において同様の書法で書かれた器楽レチタティーヴォとしては、《第九》以外に、ハイドンの交響曲第7番《昼》の第2楽章や、ベートーヴェンのピアノ・ソナタop.110の第3楽章4小節目(通常の1小節よりも長い)からなどが有名。

話を《第九》に戻しましょう。「恐怖のファンファーレ」が3度目にトゥッティで奏された後、バリトン独唱者が歌い始めます。「おお、友よ、これらの調べではなく!」の最初(216小節)に Recitativo の指示。弦楽器パートの Recit. (224小節)は、長い音符がレチタティーヴォの伴奏だということです。冒頭の低弦旋律はここの先取りで、歌詞と関連させてしばしば「否定のレチタティーヴォ」と呼ばれます。

最後に、より典型的なレチタティーヴォとして、ヘンデルのオペラ《セルセ》(1738)の動画をあげておきましょう。弦楽伴奏付きのレチタティーヴォが40秒ほどで終わった後、器楽による導入があり、1’30頃からアリア《オンブラ・マイ・フ(樹木の蔭で)》が続きます。歌詞を読むと、情景が書かれた行がレチタティーヴォに、感情が書かれた最後の行がアリアに作曲されていることがわかりますね1

私が愛するスズカケの木の柔らかく美しい葉よ、運命はお前たちに輝いている。

雷鳴や稲妻や嵐がけっしてお前たちの平安を乱すこと無く、貪欲な南風もお前たちを冒瀆することの無いように。

樹木の蔭で、これほどいとしく愛すべく快いものは無かった。

  1. 戸口幸策訳。畑中良輔編『イタリア歌曲集1』全音楽譜出版社、n.d.(1971?)、158ページ。詩はニコロ・ミナート。
13. 5月 2011 · (28) バロック時代はなぜ1750年までか? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

今回は、いつもコラムを編集してくださるつぶ担さんの「(27) 音楽史の時代区分の中で、バロック時代の終わりだけきっかり1750年までなのはなぜ?」という鋭い質問を取り上げます。確かに、16世紀末から18世紀半ばまでと書くべきだったかもしれませんが、あえて数字を書いたのは、私自身がバロック時代(の目安)を1600年から1750年までと習ったからです。

単に切りが良い数字というだけではありません。1600年は、楽譜が現存する最古のオペラ、ペーリとカッチーニ共作による《エウリディーチェ》が上演された年です。一方1750年は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの没年。以前はバロック時代を、この時代(とは限りませんが)の最重要ジャンルであるオペラが成立した年から、この時代最大の作曲家の死までの、150年としていたのです。

現在では、バロック時代の開始をもう少し早めて考えます。オペラは1600年に突然出来上がったわけではないからです。16世紀後半にフィレンツェで、カメラータと呼ばれる知識人たちのグループ(上述のペーリやカッチーニ、地動説で有名なガリレオ・ガリレイの父で歌手のヴィンチェンツォ・ガリレイなどが属していました)が、古代ギリシア劇の復興を目指して、より効果的な音楽表現を探求した結果、オペラが誕生しました1。その試行錯誤の期間も、バロック時代に含めるべきだと考えるようになったのです。

1750年の方はどうでしょうか。たとえば、なぜヘンデルでなくてバッハの没年なのか。バッハとヘンデルは同じ1685年生まれですが、生前は、ローカル作曲家バッハよりも、国際的に活躍したヘンデルの方がずっと有名でした。ちなみに、ヘンデルが亡くなったのは1759年です(区切りに使うには、ちょっと半端ですか?)2。また、バッハは1737年、弟子だった音楽批評家シャイベに「あまりに技巧的で、誇張され混乱した芸術」と、声楽曲を痛烈に批判されました。このエピソードからも、時代は移り変わりつつあったことがうかがえます。

  1. ルネサンスはフランス語で再生という意味ですが、建築や彫刻とは異なり音楽には、再生すべき古代ギリシア・ローマ時代の「音」がありません。そのため、音楽史においてルネサンスという語を使うことが疑問視されたこともありました。しかし、古代の音楽理論を研究していますし、他の文芸と同様に人文主義的な考え方を土台にしています。
  2.  2人は晩年、同じ眼科医ジョン・テイラーに受けた手術がいずれも失敗に終わり、失明しました。
13. 3月 2011 · (18) 「赤ちゃん交響曲」誕生まで はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , , ,

フランス語で「あけるもの」という意味のウヴェルチュール。実は単なる「幕開けに演奏される器楽曲」というだけに留まらない、しっかりと形が定まった音楽形式で、日本語では『フランス風序曲』と呼ばれます。ルイ14世に仕えたジャン・バティスト・リュリ(1632〜87)が、「赤ちゃん交響曲」が生まれる前の1650年代から、宮廷バレエやオペラの序曲として作曲し始めました1

ウヴェルチュールの形式は:

  • 緩—急—緩の三部分から成る。
  • 三部分が途切れることなく、連続している。
  • すべての部分が同じ調で書かれる。
  • 最初の遅い部分は2拍子系で、付点のリズムを使う。
  • 早い部分は対位法を使う。まず1声部が演奏を始め、他の声部が1つずつ、同じような旋律を演奏しながら加わって行く。
  • 冒頭と同じ(または似た)付点リズムの音楽で締めくる。この部分は省略可。

フランス国外でも流行し、ヘンデルは自作のイタリア・オペラの序曲に使いましたし2、G線上のアリアなどが含まれるバッハの《管弦楽組曲》の本名(=バッハが書いたタイトル)も、ウヴェルチュールです。オペラの序曲から離れて、「ウヴェルチュールで始まる組曲」という意味も持つようになったのです。

ウヴェルチュールに遅れること数十年、ようやく「赤ちゃん交響曲」シンフォニーアが誕生します。シンフォニーアは、古代ギリシア語の syn(共に)- phonia(響き)に由来する言葉で、複数の音が同時に鳴り響く楽曲に広く(古い時代には声楽曲にも!)使われていました。しかし、ナポリ派オペラの作曲家アレッサンドロ・スカルラッティ(1660〜1725)が、1680年代以降に作り始めた、ウヴェルチュールと異なる定型のオペラ序曲を指す用語になります(日本語では『イタリア風序曲』)。

シンフォニーアの形式は、ウヴェルチュールとは対照的です。

  • 急—緩—急の三部分から成る。
  • 三部分はそれぞれ独立している。
  • 最初と最後の部分は同じ調、真ん中はそれとは違う調が使われる。
  • 真ん中の部分は音量が小さく叙情的に作曲され、非常に短いこともある。
  • 対位法は使われず、旋律声部と伴奏声部の区別がはっきりしている。

ほーら、赤ちゃんでも、形の上では後の交響曲の特徴をしっかり備えていますね。これにハイドンがメヌエットを加えた4楽章構成を整え、ベートーヴェンがメヌエットをスケルツォに変えれば、私たちに馴染み深い交響曲の出来上がり!3

緩—急—緩のウヴェルチュールと急—緩—急のシンフォニーアは、しばらく仲良く?並存していたのですが、やがて正反対の運命を辿りました。シンフォニーアはオペラや演奏会の導入曲として作曲され続け、後に最重要の器楽ジャンルにまで上り詰めましたが、ウヴェルチュールは1750年頃までに廃れてしまいます。付点音符やら対位法やら、作曲上のお約束事が多くて窮屈だったことや、王侯貴族の世にはふさわしかった壮麗な雰囲気が、都市市民が音楽の担い手になった時代にそぐわなくなったなどの理由が考えられます。

でも、今回の聖フィル定演曲である、モーツァルトの交響曲39番の第1楽章。付点のリズムとともに荘重に始まる序奏部は、ウヴェルチュールのスタイルを模しています。速い下降・上行音階による合いの手や、不協和音や半音進行を活かしたハーモニーを織り込んで、モーツァルトは流行遅れの形式を、モダンに違和感なく再生していますね。

  1. このリュリさん、当時の指揮法であった、重い杖を床に打ち付けて拍子をとっているときに、誤って自分の足を打ち、そのけがが元で亡くなったという不名誉なエピソードで有名ですが、実は彼はイタリア人だったことを、ご存知ですか。もともと貴族のイタリア語会話の相手としてフランスに連れて来られたらしいのですが、いつの間にかバレエや楽器演奏の技術を身につけ、ルイ14世自身も太陽役などを踊った宮廷バレエ(太陽王のニックネームはここから来ている)を作曲したり、相手役を務めて王のお気に入りになり、やがて宮廷オペラの上演権を独占してしまいます。
  2. ゆっくりした付点のリズムで始まる《メサイア》の序曲も、ウヴェルチュールの形式です。でも、ウヴェルチュールとは書いていません。キリストの生涯を描いた神聖なオラトリオの序曲に、世俗曲の代表であるオペラの序曲の名前と書くのは、はばかられたようです。
  3. もちろん交響曲の成立には、シンフォニーア以外にも、様々な要素が複雑に影響しています。
13. 12月 2010 · (6) クリスマスに聴きたい音楽 part 1 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

今回は、クリスマスにちなんだ音楽から2曲、ご紹介しましょう。

まず、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685〜1759)のオラトリオ《メサイア》です。ローカルな作曲家だった同い年のバッハとは異なり、ヘンデルは音楽の先進地イタリアで学び、国際的に活躍しました。イギリスではオペラで名を上げた後、聴衆がイタリア語のオペラに飽きて来たと見ると、英語のオラトリオに転向します。

オラトリオはオペラと同様、独唱や重唱、合唱とオーケストラによる、ストーリーを持った大規模な声楽曲です。オペラとの違いは、宗教的・道徳的な題材に限られることと、演技や衣装、舞台背景無し(今で言う「演奏会形式」)で演奏されること。イギリスのようなキリスト教の国では、受難の季節(灰の水曜日から復活祭までの一ヶ月半もの期間)はオペラ公演が禁じられました1。内容や形式が地味なオラトリオは、この時期にオペラの代わりに上演されたのです。

しかし《メサイア》は、クリスマス・シーズンの音楽としても親しまれています。救世主イエス・キリストの誕生・死・復活を題材にしていますが、合唱曲『我らに1人のみどりごが生まれた For unto us a Child is born』など、キリスト誕生の喜びを歌う第一部が、特に印象深いからでしょう2

私が留学していたボストンでも、12月になると、いろいろな団体が競うように《メサイア》演奏会を開いていました(《第九》演奏会の話は聞いたことがありません)。赤や緑のクリスマス・カラーでおしゃれしたお年寄りたちや、華やいだ雰囲気を、懐かしく思い出します。ただ私にとっては、学期末レポートの締切時期。毎年、かろうじて全部の課題をクリアし、開放感にひたりつつ息も絶え絶えで《メサイア》へ。暖かいホールで心地よい音楽を聴きながら、うとうと→→ぐっすりというパターンが繰り返されました。今年の《メサイア》でも、きっとまた「ボストンでは寝まくっていた」と言われるだろうなあ。もう爆睡なんかしないのに。

ちなみに、バッハ・コレギウム・ジャパンの《メサイア》は、当時ボストンで聴いたどの団体よりも素晴らしい! お薦めです。

長くなってしまったので、もう1曲は改めて。

  1. 2011/12/12追記:(56) アドヴェントの音楽もご覧ください。
  2. 日本の「年末メサイア」の習慣については、吉田純子『芸大メサイア』60年:日本流の『儀式』定着、朝日新聞、2010年12月7日。