16. 12月 2015 · (264) 飲んだくれでもなかった?! ベートーヴェンの父 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

2015年12月16日は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの245回目の誕生日です。と言いたいところですが、正確には16日が「誕生日と考えられる」ですね。1770年12月17日に、ボンの聖レミギウス教会で洗礼を受けた記録が残っているからです。

幼いベートーヴェンと言えば、酔っぱらった父親に無理矢理ピアノ(この時代の楽器はフォルテピアノと呼ぶべきですが。(49) ベートーヴェンのピアノ参照)を練習させられたというイメージがありませんか。昔読んだ子供向けの伝記などで植え付けられたように思うのですが、これは史実でしょうか?

ベートーヴェンの父ヨハン・ヴァン・ベートーヴェンは、ボン(ケルン大司教兼選帝侯の居城がありました)の宮廷歌手(テノール)。祖父ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンもバス歌手で、1761年からは宮廷楽長も務めました。職業は世襲の時代。ベートーヴェン、最初は父から音楽を学んだはずです。

実はこのお父さん、生まれた年がわかりません。ボンのどの教会にも、洗礼記録が残っていないのです。父だけではなく、ベートーヴェンの幼い頃もよくわかりません。憶測と作り話はたくさん語られて来ましたが、証明された事実はほとんど無いからです。ベートーヴェンは「いつもピアノのそばに立たされて泣いていた」と伝えられています。ヨハンは激しい気性だったようで、いかにも「ありそう」な話。でも、スパルタ教育の証拠は残っていないのです1

驚いたことに、「酔っぱらった父親」部分も史実では無いそうです。ヨハンが大酒を飲むようになるのは、「妻が亡くなる前のある時期から」2。マリア・マグダレーナが結核で亡くなったのは1787年ですから、ヨハンは、息子の年少時から飲んだくれていたわけではなかったのです。

意外にも(ほとんどの伝記作家の記述とは異なり)、ベートーヴェンが幼い頃の彼の家庭は、それほど貧乏ではなかったそうです。ヨハンは宮廷歌手の仕事以外に、声楽だけではなくピアノやヴァイオリンを教えて収入を得ていました。1780年代半ばまで、彼はそれなりに一家を支えていたのです。

しかしその後、経済状態が悪化。1784年の公式報告にヨハンの声が「とてもひどい」と記されていることから、仕事の手段を失ったと考えられます3。飲酒癖も関係ありそうですね。そして、息子がハイドンに学ぶためにウィーンへ発った翌月、1792年12月18日にボンで亡くなりました。

  1. Kerman, Joseph, Tyson, Alan (with Burnham, Scott G.), “Beethoven,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 3. Macmillan, 2001, p. 73.
  2. Ibid., p. 74.
  3. Ibid., loc. cit.
01. 5月 2013 · (131) シュタインヴェークからスタインウェイへ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

聖光学院の新講堂に設置された、スタインウェイのフル・コンサート・グランド。先日行われた聖フィル定演のピアノ協奏曲で使われたのはもちろん、3月のスプリング・コンサートや先週末の聖光祭で、生徒さんたちが演奏しました。いいなぁ。私も弾きたい……。今回は、良い(すごく良い)ピアノの代名詞であるアメリカのピアノ・メーカー、スタインウェイ Steinway & Sons の歴史について。

ハインリヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェーク(1797〜1871)は1825年頃、ドイツのゼーセンでピアノ作りを始めました1。1840年代には、毎年に10台以上、生産していたようです。1949年に次男をアメリカに送り、ビジネスの可能性を探らせた上で、翌年家族8人で移住。次男と合流します。既にドイツで四半世紀もの間ピアノを製作し、高い評価を得たにもかかわらず、ハインリヒと息子たちは3年間、ニューヨークのピアノ・メーカーで働きました。彼らはこうして英語を身につけ、アメリカのビジネスや商取引の慣習も学んだのです。

1853年3月5日に Steinway & Sons を設立。当時、アメリカで最も普及していたスクエア・ピアノ(文字通り長方形のピアノ。現在のグランド・ピアノを短く切った感じ)から作り始め、1856年にグランド・ピアノ、1862年にはアップライト・ピアノの製造も始めました(スクエア・ピアノは1888年で製造終了)。会社名にわざわざ書かれているように、「息子たち」も重要な役割を果たしました。カール(アメリカではチャールズ)、ハインリヒ(ヘンリー)、ヴィルヘルム(ウィリアム)、アウグスト(アルバート)、始めゼーセンに残った長男のテオドール(セオドア。1865年に渡米)の新しい技術開発と商才で、会社はどんどん拡大していきます。1866年には最初のスタインウェイ・ホール(約2000席!)も建てられ、アメリカにおける文化の中心地の1つになりました。

図1、スタインウェイ&サン、The Instrument of the Immortals キャンペーン広告の1つ

図1:Steinway, The Instrument of the Immortals 広告の1つ(ヨゼフ・ホフマン、1924)

宣伝方法も洒落ていました。有名ピアニストたちにスタインウェイ・ピアノの良さをコメントしてもらったり、人気雑誌に The Instrument of the Immortals(神々の楽器)のシリーズ広告を載せたり(図1参照)。また、一流ピアニストの国内演奏ツアー(たとえば、1873年から翌年にかけて、ルビンシュタインがアメリカ国内で行った215回のコンサート・ツアーや、1892年から翌年にかけての、パデレフスキーの75回のツアーなど)のスポンサーを引き受けています。

大恐慌や第2次世界大戦を乗り切ったものの、1972年にCBSに売却され、さらに個人投資家などを経て1995年にセルマーの傘下に入りました。現在スタインウェイ&サンズでは、同社設計の廉価ブランドを2つ持っています。中級者用モデルの「ボストン」は日本のカワイ楽器製作所で生産されており、さらに廉価な初心者用モデル「エセックス」 は、中国の广州珠江钢琴集团有限公司で生産されています。

社名である一族の名字は、ドイツ語のシュタインヴェーグ Steinweg から英語のスタインウェイ Steinway に。ドイツ語で「道」の意味である Weg を英語の way に替え、シュタインの発音は英語式のスタインになりました。でも、なぜ前半は発音しか変えなかったのでしょうね。シュタインはドイツ語で「石」の意味。Weg を way にしたように Stein も英語の stone に変えていたなら、「Stoneway & Sons」だったはずです。Weg という単語と違って、Stein という単語は英語に存在するからでしょうか(「ビール用陶製ジョッキ」の意味だそうです)。石はピアノと関係ありませんから、やはりストーンウェイよりもスタインウェイのほうが、ピアノの名前に向く感じがしますね。

  1. Hoover, Cynthia Adams, “Steinway” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 24. Macmillan, 2001, pp. 344-45.
21. 3月 2012 · (73) 協奏曲のソナタ形式 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の最初って、とてもユニークですよね。ティンパニの、主音レのトントントントンに続いて、オーボエ、クラリネット、ファゴットが、静かに優しく第1主題を奏でます。このピアノ&ドルチェ(&木管)は、普通は「ようこそ」の第2主題のために、取っておかれる組み合わせ((72)参照)1。ベートーヴェンさん、定型から微妙にはずして始めましたが、続きはどうでしょうか。今回はソナタ形式の考え方シリーズ ③ として、この第1楽章を例に、協奏曲のソナタ形式について説明します。

古典派の協奏曲も交響曲も、ソナタ形式の本質は変わりません。提示部・展開部・再現部の3部分構成。2つの主題が提示され、再現されます。転調する先も同じ。この協奏曲はニ長調(レから始まる明るい感じの調。ファとドに♯)ですから、5度上のイ長調(ラから始まる明るい感じの調。ファとドとソに♯)に転調し、またニ長調に戻って終わるはずです。

ただ、提示部に違いがあります。古典派の協奏曲は通常、まずオーケストラだけが始めて大切な素材をひと通り提示し、その後ソロが加わって、もう一度最初からやり直しします。協奏曲に使われるソナタ形式(協奏ソナタ形式、あるいは協奏風ソナタ形式と呼ばれます)は、この二重提示が特徴。初めから2つありますから、交響曲のように提示部を繰り返す必要はありません。

第1主題と第2主題は、両方の提示部で提示されます。ポイントは第2主題。オーケストラだけで演奏する第1提示部ではそのまま主調で提示され、ソリストが加わった後の第2提示部で初めて、転調した調で提示されます(表1参照)。第2提示部は主調で始めるのがお約束。その前に転調してしまうと、主調に戻すために第1提示部が長くなってしまうのです。協奏曲の第1提示部はいわば前座ですから、コンパクトな方がベター(この部分を序奏とみなす解説もあります)。

表1:主調が長調のときの協奏ソナタ形式(ソナタ形式との比較)

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章を、この協奏ソナタ形式の図式と比べてみましょう。第1提示部の第1主題と第2主題は、両方とも主調のニ長調。(72)の譜例1は、この第1提示部をスキャンしたものでした。独奏ヴァイオリンが加わり、ニ長調の第1主題を、1オクターヴ高い音域で装飾を加えながら演奏します。クラリネットとファゴットが 第2主題を演奏するときは、さきほどのファ♯ソラではなく、ド♯レミと始まります(スコアでは、クラリネットはA管、ファゴットはテノール記号なのでちょっと混乱しますが、約束どおりイ長調に転調しています)。

展開部の後、第1主題の「ただいま」はニ長調に戻り、独奏ヴァイオリンも含めた全奏(トゥッティ)のフォルティッシモで再現されます。本来の第1主題の提示の仕方です。第2主題は、再びクラリネットとファゴットが、第1提示部と同じファ♯ソラのニ長調で再現。カデンツァ(ソリストが、伴奏無しで本来は即興で演奏する部分)の後、第2主題も使いながら楽章が締めくくられます。主題間のコントラストは弱く、驚かされる和音や調があちこちで使われているものの、ベートーヴェンは(珍しく)2つの主題を、全て規則どおりの調で提示&再現しています2

もちろん、提示部や再現部は、2つの主題だけで構成されるわけではありません。多くの協奏曲では第2提示部に、ソリストの技巧や音楽性を見せるための新しい旋律が加わります。弾いていても聴いていても、いろいろな要素が気になるのは当然。でも、慣れるまでは最も大切な2つの主題に集中し、出るべき調で出ているかを意識することをお薦めします。

また、反復記号が使われない協奏曲では、展開部の開始部分を見つけるのは難しいですよね。いつの間にか雰囲気が変わっていたと感じられれば、十分です。ちなみにこの曲の展開部は、イ長調から、フェイントでいきなり遠いヘ長調に転じる224小節(練習番号E)から。提示部で使われた素材が、めまぐるしい転調とともに展開されます。

  1. ベートーヴェンはピアノ協奏曲第1番の第1楽章も、静かに始めています。
  2. ベートーヴェンはピアノ協奏曲の第1楽章では、1番から5番までの全てにおいて、本来の調からどこかはずしてあります。19世紀にはこのように、ソナタ形式の基本形が様々に変形されます。
05. 10月 2011 · (49) ベートーヴェンのピアノ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

ボンのベートーヴェン・ハウス(ベートーヴェンの生家にある記念館)のおみやげの絵葉書(図1)。彼が所蔵していたピアノが写っています。現在のピアノとどこが違うでしょうか。

図1 ベートーヴェンのピアノ(グラーフ製)

図1 ベートーヴェンのピアノ(グラーフ製)

色や、譜面台の形が違いますね。他には? 注意していただきたいのは鍵盤です。黒鍵が2つ、3つ、2つとまとまっていて、その右に白鍵が2つ。だから、1番右の白鍵はファです。低い方はちょっと見にくいけれど、同じように2つ、3つ、2つと黒鍵をたどると、1番左の白鍵は黒鍵2つの左隣のドです。あれれれ? ピアノって、1番下がラで1番上がドじゃないの……?

そうです。このピアノ、鍵盤の数が違います。現代のピアノは全部で7オクターヴ+3度の88鍵ですが、このピアノはドからファまで6オクターヴ+4度の78鍵。10鍵少ないのです(が、意外な盲点らしく、ピアノ科の学生さんにこの写真を見せてもなかなか気付きません)。

78鍵でも、このウィーンのグラーフ製ピアノは当時としては大きいのです1。ベートーヴェンが所蔵していたピアノは3台現存しますが、1818年に贈られたロンドンのブロードウッド製は、ドからドまで6オクターヴ73鍵(図1の向こう側に見えるのが、それと同型のピアノ)。1803年に贈られたパリのエラール製のピアノは、ファからドまでの68鍵しかありません。

弦を叩く強さによって、弱い(ピアノ)音も強い(フォルテ)音も出すことができるから、ピアノフォルテと名付けられた楽器。弦をはじいて音を出すために音量が小さく、かつ強弱の差が無い鍵盤楽器チェンバロは、このピアノフォルテ(略してピアノ)によって取って代わられました。古典派の時代に改良が進みます。ピアニストとしても有名だったベートーヴェンに、ピアノ製作者たちは最新式のピアノを寄贈し、ベートーヴェンは新しいピアノの特色を活かした曲を作りました。彼のピアノ作品は、音域が広がり音量が増しタッチが深くなるといった、当時のピアノ改良の歴史を反映しています。

ただ、上のグラーフ製のピアノの音を聴くと、現代のピアノの音とずいぶん異なる(特に高音域)ことがわかります。現在のピアノに至るには、フレームやハンマー、打鍵メカニズムなどにまだまだたくさんの改良が必要でした。ベートーヴェンや同時代の人々が聴いたりイメージしたピアノの音は、私たちのそれと似て非なるものだったのですね。現代の楽器と区別するために、ピアノの前身楽器を「フォルテピアノ」あるいは「ハンマーフリューゲル」と呼ぶことがあります(フリューゲルはドイツ語で「翼」)。絵葉書と一緒にもらったCDには、図1のグラーフ製ピアノで演奏したベートーヴェンのピアノ・ソナタ op. 110 と、op. 126 のバガテルが収められていました。同じピアノによるベートーヴェン最後のピアノ・ソナタ op. 111 は、こちらから試聴できます。

  1. マホガニー材、奥行き2.43m。低音域14鍵のみ3重弦張り、残りはすべて4重弦張り。耳が聞こえなくなったベートーヴェンのための特注と考えられています。