20. 4月 2016 · (277) コンチェルトは声楽曲だった?! はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

コンチェルト(協奏曲)といえば、「独奏楽器(または独奏楽器群)とオーケストラとが協調しつつ優位を競い合うもの」1。器楽合奏の一形態に決まっています。この用語が声楽曲を指していたなんて、有り得ない!! 信じられない!! と思うのは当然。でも、本当なんですよ。というわけで、お久しぶりの「アマ・オケ奏者のための音楽史」シリーズです。

図1:A. & G. ガブリエーリ『コンチェルト集』(ヴェネツィア、1587)テノール・パートのタイトル・ページ(ボローニャ国際音楽図書館蔵)

図1:A. & G. ガブリエーリ『コンチェルト集』(ヴェネツィア、1587)テノール・パートのタイトル・ページ(ボローニャ国際音楽図書館蔵)

コンチェルトという語が初めて出版譜に使われたのは、1587年。アンドレアとジョヴァンニ両ガブリエーリの『コンチェルト集 Concerti di Andrea, et di Gio. Gabrieli』(図1参照)です。前年に亡くなったヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂オルガニスト、アンドレア・ガブリエーリの作品を、甥のジョヴァンニ(《ピアノとフォルテのソナタ》の作曲者。(190) コルネットとトロンボーンとヴァイオリンの八重奏参照)が校訂し、自作も含めて出版したもの。

このコンチェルト集に収められたのは、6声から16声の宗教歌曲とマドリガーレ(イタリア語の歌詞を持つ世俗曲)。歌曲集が、コンチェルト集と名付けられているのです。全声部に歌詞が印刷されていますが、序文中にほのめかされているように、楽器も使われたはずです(16声部の曲を、声だけで演奏するのは大変ですから)。

コンチェルトという用語が、このような編成の大きな声楽曲に使われたとは限りません。ロドヴィコ・ヴィアダーナの『100の教会コンチェルト集 Cento concerti ecclesiatici』(1602)は、1〜4人の歌い手とオルガン伴奏のための宗教曲集。17世紀前半においては、規模には関わりなく、楽器を伴う声楽曲がコンチェルトとみなされていたようです。

コンチェルトのタイトルは宗教歌曲集に使われることが多いのですが、世俗歌曲集の例も。モンテヴェルディのマドリガーレ集第7巻(通奏低音付き)は、その名も『コンチェルト Concerto. Settimo libro di madrigali』(1619)。ドイツでも、シュッツの『小教会コンツェルト Kleine geistliche Konzerte 』(第1集:1636、第2集:1639)のように、声と楽器のコンチェルトが作られました。

ルネサンス時代((27) 音楽史の時代区分参照)、声楽といえば無伴奏。楽器が加わったり、通奏低音((132) 楽譜どおりに演奏しても足りない場合参照)によって支えられるようになったバロック時代の新しい声楽に、新しい呼び名が必要だったのですね。コンチェルトの語は、アンサンブルやオーケストラなどの意味も含みながら、歌や楽器の様々な演奏媒体のための作品に使われました2。この用語が私たちが知っているような意味を一貫して指すようになったのは、18世紀の初め以降のことです3

  1. 東川清一「協奏曲」『音楽大事典2』平凡社、1982、713ページ。
  2. Hutchings, Arthur, ‘Concerto,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 6. Macmillan, 2001, p. 240.
  3. 熊本地震で被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。
18. 6月 2014 · (190) コルネットとトロンボーンとヴァイオリンの八重奏 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

ルネサンス音楽史の必修曲《8声のためのピアノとフォルテのソナタ》。作曲者ジョヴァンニ・ガブリエーリ(c.1554-7〜1612)は、アドリアン・ヴィラールト(c.1490〜1562)が創始したヴェネツィア楽派の1人です1。ジョヴァンニは、1584年にサン・マルコ大聖堂の臨時オルガン奏者になり、翌年、叔父アンドレアが第2オルガン奏者から第1オルガン奏者に昇進すると、第2奏者に。1586年のアンドレアの死後、亡くなるまで第1オルガン奏者を続けました。1597年に出版された《ピアノとフォルテのソナタ》は、

    • ソナタというタイトルを持つ最初期の曲
    • 強弱が指定された最初期の曲
    • 楽器名が指定された最初期の例

として重要。16世紀、器楽はもっぱら声の代わりか声楽の補助。手近にある楽器を使って演奏しました。このように楽器が指定された曲は、非常に珍しい(=新しい)のです。楽器編成は、

    • コルネット(ツィンクとも。現在のコルネットとは異なる円錐形の楽器):1
    • トロンボーン(サックバットとも):6
    • ヴァイオリン:1

えっ!! 金管アンサンブルの中に、1つだけヴァイオリン?! 何かの間違いでは?? いいえ、楽譜にもはっきりと「Violino」の指示(譜例1右上の矢印先。クリックで拡大します)。

譜例1:ジョヴァンニ・ガブリエーリ《8声のピアノやフォルテのソナタ》第7声部(「サクラ・シンフォニーア》(ヴェネツィア、1598)より)

譜例1:G. ガブリエーリ《ピアノとフォルテのソナタ》第7声部(ヴェネツィア、1597)

サン・マルコ大聖堂でミサを執り行うために楽器奏者が雇われ初めたのは、1568年2。1586年暮れの支払い記録には、12人もの楽器奏者が言及されています。コルネット奏者とトロンボーン奏者に混じって、ヴァイオリン奏者が2人3。1603年のクリスマス・ミサの支払い記録にも、コルネット4、トロンボーン5、ファゴット1とともに、ヴァイオリン2とヴィオローネ(コントラバスの先祖)1が。オルガンとトロンボーン以外は世俗の楽器((42) 神の楽器 ? トロンボーン参照)。コルネットもヴァイオリンも、ファゴットもヴィオローネも、たいして違わなかった?

ところで譜例1の第7声部には、ヴァイオリンの最低音ソよりも低い音が使われています(丸で囲った部分)。音部記号もアルト記号。ヴァイオリンと指定しているのに、不思議ですね。

  1. 個人的な話ですが、私、ヴィラールトの声楽曲集で修士論文を書きました。
  2. Ongaro, Giulio, ‘Venice,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, 401.
  3. Bryant, David, ‘Gabrieli, Giovanni,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 9, Macmillan, 2001, 392.
04. 6月 2014 · (188) イギリスの作曲家ヘンデル? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

このコラムを書くときもそうですが、私がよく使う音楽事典は The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2nd edition (音楽と音楽家についての新しいグローヴの事典、第2版)。全29巻で、2001年にイギリスのマクミラン社から出版されました(2004年、オックスフォード大学出版会に売却)1。誤記もありますが新しいし、項目数が多い。何よりも、英語で手っ取り早く読めるので助かります。

その New Grove Dictionary, 2nd edition のヘンデルの項。見出しが英語綴りの Handel なのは、イギリスの事典ですから当然と言えば当然(その後に、[Händel, Hendel]2)。でも、生没年・場所の後の書き出しが「ドイツ生まれのイギリスの作曲家(English composer of German birth.)」だったので、思わずニヤリ。

日本でヘンデルと言えば、バッハと並ぶドイツのバロック音楽の作曲家。ウムラウト付きの Händel と綴りますが、彼は半世紀近くをイギリスで過ごしました。1710年6月16日にハノーファーの宮廷楽長に任命されたのに、一月足らずで休暇を取ってロンドンへ(7月までにデュッセルドルフに進んでいたので、正確には一月足らずではなく半月足らずですね3)。1年後にハノーファーに戻るも、翌1712年末に再び休暇を申請し渡英。亡くなる1759年まで、イギリスで暮らします。50作近くのオペラ、30作近くのオラトリオのほとんどがイギリスで作曲されましたし、コンチェルト・グロッソやオルガン・コンチェルトも同様。有名な《水上の音楽》や《王宮の花火の音楽》も、イギリスでの作品です。1727年にはイギリスに帰化。

似たケースとして、リュリ(1632〜87)を思い出しました。ルイ14世の寵愛を得てフランス宮廷音楽の実権を握り、オペラ上演を独占。でも実は、彼はイタリア人。元はと言えば、ルイ14世のいとこにあたる公女のイタリア語会話の相手としてパリに来たのです((18) 「赤ちゃん交響曲」誕生まで参照)。リュリなら、イタリア生まれのフランスの作曲家と書いてあっても、違和感はありません(日本の音楽事典でも、イタリア語の綴り Lulli ではなく、フランス語の綴り Lully が先に書かれています4)。同じようにヘンデルも、イギリスの作曲家と考える方が実像に近いと言えますね。

  1. 『ニューグローヴ世界音楽大事典』(講談社、1993年)は、初版(1880年出版)の翻訳です。
  2. Hicks, Anthony, “Handel, George Frideric,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 10, Macmillan, 2001, 747.
  3. Ibid., 750.
  4. たとえば、内野允子「リュリ」『音楽大事典5」平凡社、1983、 2741。
07. 9月 2011 · (45) いびつな真珠 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

音楽史の7つの時代区分の1つ、バロック時代((27) 音楽史の時代区分参照)。このバロックという言葉が「いびつな真珠」を意味するポルトガル語「バロッコ」に由来するという説は、よく知られていますね。ビーズ専門店で売られている、様々な形の「バロック・パール」と同じバロックです。

真珠は真円であることに価値があります。バロックであるということは、歪んで価値が無いということ。啓蒙思想家ルソーは、『百科全書』補遺(1776)の中でバロックな音楽を以下のように定義しています。

音楽におけるバロック。バロックな音楽というのは、和声が混乱し、転調や不協和音が多すぎ、音の抑揚が難しく、そして無理な動きをしているような音楽を言う1

若いシャイベがバッハの声楽曲を「あまりに技巧的で、誇張され混乱した芸術」と批判したことも思い出されますね((28) バロック時代はなぜ1750年までか?参照)。バッハの音楽はバロックでいやしいと言われたわけです。

これはどういうことでしょうか。たとえばバロック音楽を代表するオペラでは、登場人物の感情が聴衆にしっかり伝わるように、少々大げさでストレートな表現が不可欠です。悲しみや怒りなどを表すには、不協和音や突然の転調が使われました。ルネサンス時代に重視された均整や調和よりもむしろ、動きが求められます。このような新しい感情表現の手法は、保守的な人々の耳に不快に響いたことでしょう。声楽や器楽の即興に用いられる装飾が、時に大げさで悪趣味だったかもしれません。

19世紀末から20世紀にかけて、美術史家ヴェルフリンらによって、まずバロック芸術の中の美術が再評価されました。軽蔑的な色合いを取り除き、前のルネサンス時代の音楽とは対照的な、独自の様式と性格の価値を認めたのです。この考え方をザックス(民族音楽学や楽器学で有名)が音楽史に導入し、「バロック音楽」という論文を書いたのが1920年。今日では語源のネガティヴな意味は薄れ(と言うか忘れられ)、バロック音楽は、率直でいきいきとした感情表出や、躍動感あふれる音楽と捉えられています2

  1. 服部幸三『西洋音楽史:バロック』(音楽之友社、2001)27ページ。ルソーはいびつな真珠ではなく、イタリア語の論理学の用語を語源としてあげています。
  2. フランスではデュフルクのようにバロック時代という用語を避ける傾向がありました。
13. 5月 2011 · (28) バロック時代はなぜ1750年までか? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

今回は、いつもコラムを編集してくださるつぶ担さんの「(27) 音楽史の時代区分の中で、バロック時代の終わりだけきっかり1750年までなのはなぜ?」という鋭い質問を取り上げます。確かに、16世紀末から18世紀半ばまでと書くべきだったかもしれませんが、あえて数字を書いたのは、私自身がバロック時代(の目安)を1600年から1750年までと習ったからです。

単に切りが良い数字というだけではありません。1600年は、楽譜が現存する最古のオペラ、ペーリとカッチーニ共作による《エウリディーチェ》が上演された年です。一方1750年は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの没年。以前はバロック時代を、この時代(とは限りませんが)の最重要ジャンルであるオペラが成立した年から、この時代最大の作曲家の死までの、150年としていたのです。

現在では、バロック時代の開始をもう少し早めて考えます。オペラは1600年に突然出来上がったわけではないからです。16世紀後半にフィレンツェで、カメラータと呼ばれる知識人たちのグループ(上述のペーリやカッチーニ、地動説で有名なガリレオ・ガリレイの父で歌手のヴィンチェンツォ・ガリレイなどが属していました)が、古代ギリシア劇の復興を目指して、より効果的な音楽表現を探求した結果、オペラが誕生しました1。その試行錯誤の期間も、バロック時代に含めるべきだと考えるようになったのです。

1750年の方はどうでしょうか。たとえば、なぜヘンデルでなくてバッハの没年なのか。バッハとヘンデルは同じ1685年生まれですが、生前は、ローカル作曲家バッハよりも、国際的に活躍したヘンデルの方がずっと有名でした。ちなみに、ヘンデルが亡くなったのは1759年です(区切りに使うには、ちょっと半端ですか?)2。また、バッハは1737年、弟子だった音楽批評家シャイベに「あまりに技巧的で、誇張され混乱した芸術」と、声楽曲を痛烈に批判されました。このエピソードからも、時代は移り変わりつつあったことがうかがえます。

  1. ルネサンスはフランス語で再生という意味ですが、建築や彫刻とは異なり音楽には、再生すべき古代ギリシア・ローマ時代の「音」がありません。そのため、音楽史においてルネサンスという語を使うことが疑問視されたこともありました。しかし、古代の音楽理論を研究していますし、他の文芸と同様に人文主義的な考え方を土台にしています。
  2.  2人は晩年、同じ眼科医ジョン・テイラーに受けた手術がいずれも失敗に終わり、失明しました。