21. 12月 2016 · (299) クリスマスに聴きたい音楽 part 9  はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

聖フィル♥コラム12月恒例、クリスマスに聴きたい音楽その9は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのクリスマス・オラトリオ BWV 248です。バロック音楽好きのオケ奏者には(もちろんバロック音楽好きに限らず)、1番人気の名曲でしょう。お待たせしました!

オラトリオはイタリア語で「祈祷所」の意味。「宗教的または道徳的な性格を持つ劇的な物語を、独唱・合唱・管弦楽のために作曲した作品」をオラトリオと呼び、「舞台装置、衣装、演技などを伴わず純粋に音楽的に演奏されるのが通例」です1。クリスマスに聴きたい音楽で最初に取り上げたヘンデルの《メサイア》は、英語のオラトリオの例ですね((6) part 1 参照)。

確かにバッハのクリスマス・オラトリオも、上記2つの条件を満たします。でも、オラトリオという名前にもかかわらず実際は、ルター派プロテスタント礼拝のための教会カンタータ集。コンサートやCDで一続きに聴くことが多いと思いますが、本来は分けて演奏されるべき6つのカンタータです。

なぜ6回分?? 教会暦では、クリスマスから1月6日エピファニー(不思議な星に導かれてベツレヘムに来た東方三博士が、イエスに礼拝した日。ルター派プロテスタントでは、顕現日 けんげんび)までの間を、降誕節と呼びます。この間、教会カンタータが必要な日が6回あったのですね。それぞれの内容は:

  1. 降誕節第1祝日(12月25日)用:主の降誕
  2. 降誕節第2祝日(12月26日)用:羊飼いへの告知
  3. 降誕節第3祝日(12月24日)用:羊飼いの礼拝
  4. 1月1日用:主の割礼と命名
  5. 新年の第1主日(日曜日)用:東方三博士の旅
  6. エピファニー(1月6日)用:東方三博士の礼拝

各カンタータは、曲数やレチタティーヴォ((102) 話すように歌うレチタティーヴォ参照)コラールなどの構成だけではなく、調や伴奏楽器の編成も異なります。もっとも編成が大きいのは、クリスマス第1祝日と第3祝日用で、トランペット3、ティンパニ、フルート2、オーボエ2(持ち替えでオーボエ・ダモーレも)、ヴァイオリン2、ヴィオラ、通奏低音((132) 楽譜どおりに演奏しても足りない場合参照)。もっとも編成が小さいのは第1主日用で、オーボエ・ダモーレ2、ヴァイオリン2、ヴィオラ、通奏低音です。もっとも曲数が多いのはクリスマス第2祝日用で、器楽のみのシンフォニーア(礼拝音楽の幕開けを告げる音楽ですね。(16)「交響曲」は開幕ベル参照)を含む14曲。

先日教会暦の説明をしたら、「クリスマス・オラトリオの謎が解けた」と感謝されました。クリスマスが終わった途端に新年の準備が始まる日本で暮らしていると、年明け6日のエピファニーまでクリスマスが続くなんて想像できないのも無理ありません。クリスマスではなくエピファニーにプレゼントをもらう国もありましたよね((217) クリスマスとは何か参照)。

ちなみに、クリスマス・シーズンである降誕節は、12月25日(正確には24日の日没)から始まり、エピファニー前日に終わるのだそうです2。だから、クリスマスからエピファニーまでを指すのに「クリスマスの12日 Ttwelve Days of Christmas」なのですね。皆さま、どうぞ楽しいクリスマスを。

  1. 服部幸三「オラトリオ」『音楽大事典1』平凡社、1981年、345ページ。
  2. 八木谷涼子『キリスト教歳時記』平凡社新書、2003年、42ページ。
07. 9月 2016 · (289) コラム番外編 トーマス教会とバッハ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

行って来ました、ライプツィヒ((288) ライプツィヒとバッハ参照)!! 東ドイツの一部だったことが信じられないほど、おしゃれで魅力的な街でした。今回のコラム番外編は、写真を添えたご報告です。

写真1左は、西日に映えるトーマス教会正面。1723年から亡くなる1750年まで、ヨハン・ゼバスティアン・バッハがカントルを務めた教会です。この右側面にあたる教会南側の広場(写真1中)には、オルガンの前に立つバッハ像(写真1右、1908年ゼフナー作1)。記念撮影の観光客で、朝から大にぎわい(ライプツィヒ在住20年以上の友人が勧めてくれた宿が、この像の真向かいでした)。右手に丸めた楽譜を持ち、指揮しようとしています。

写真1左:ライプツィヒのトーマス教会正面、中:トーマス教会南側広場、右:バッハ像

写真1

祭壇に向かって右側の窓には、ステンドグラスが施されています。バッハの肖像画(写真2左と中上)はもちろん、バッハと同様ライプツィヒに縁の深い、マルティン・ルター(写真2右)やメンデルスゾーンの肖像画(写真2中下)のステンドグラスもありました。

写真2

写真2

写真3左上は教会内部。向こう側=東側に祭壇があり、内陣にはバッハの墓(写真3左下)。第2次世界大戦で破壊されたため、1949年からここに置かれています。祭壇に向かって左側の2階には、2000年に設置されたバロック様式のオルガン(写真3中下)。祭壇の反対側、会衆席後ろの2階にあるオルガン(写真3右下)はロマン派様式で、礼拝などでは左側面のオルガンを弾いていました。

トーマス教会では、夏休みなどを除く毎週金曜6時からと土曜3時から、トーマス教会少年合唱団の公演が開かれます。金曜は無伴奏。土曜はゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーが伴奏に加わったカンタータも。バッハの時代も、この2階後ろの聖歌隊席(写真3右上)でカンタータが演奏されたそうです。

いずれの公演もオルガン演奏で始まり、会衆も一緒に歌う聖歌やコラールを含む礼拝形式で行われますが、途中に入るのは説教というよりむしろスピーチに近い短いもの(写真3中上は、2公演と日曜礼拝のプログラム)。私が行った金曜(8/19)のコンサートには、通奏低音の伴奏が加わっていました。また翌土曜の公演では、バッハのカンタータ33番などの演奏前に、新しいトーマスカントル(ゴットホルト・シュヴァルツ氏)の就任式があり、18世紀にバッハが担っていた伝統が、21世紀の現在まで引き継がれていることを実感させられました。

写真2

写真3

  1. ライプツィヒ観光局のサイトより。
10. 8月 2016 · (288) ライプツィヒとバッハ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

ドイツのライプツィヒと言われて思い浮かべる作曲家は? 1835年にゲヴァントハウス管弦楽団の常任指揮者になった、メンデルスゾーン? 長くライプツィヒで活動したシューマン? ライプツィヒ生まれのヴァーグナー? 縁の作曲家は多いのですが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハも忘れないでください。1750年に没するまでの後半生を、ライプツィヒで過ごしました。

図1:ライプツィヒ

図1:ライプツィヒ

ケーテン公の宮廷楽長から、ライプツィヒ市主要教会のひとつトーマス教会のカントルに転職。社会的地位はカントルより宮廷楽長(カペルマイスター)の方が上。さらに、前任者ヨハン・クーナウ(1660〜1722)の死去に伴い、ライプツィヒ市参事会が後任の第1候補にしたのはゲオルク・フィリップ・テレマン(1681〜1767)、第2はクリストフ・グラウプナー(1683〜1760)でした。2人が辞退したため、3番目のバッハがカントルに。

トーマスカントルの職務は2種類。ひとつは、トーマス教会付属学校で教えること。バッハは音楽は自分で教えましたが、ラテン語の授業は自費で代理を雇っていました。もうひとつは、ライプツィヒ市の音楽監督。礼拝における教会カンタータの演奏の他、結婚式や葬式などにも音楽を提供しました。

1723年5月末にライプツィヒに移ったあと、バッハは初めの6年間に、教会暦5年分の教会カンタータを作ったようです(激務に関しては (159) バッハの一週間参照)。カンタータは1年間で約60曲必要ですから、5年分でおよそ300曲1!!!(散逸が惜しまれますね)。カンタータの他に、《ヨハネ受難曲》(1724)や《マタイ受難曲》(1727)も作曲。1729年以降は、コレギウム・ムジクムの活動を精力的に行いました。

私事で恐縮ですが、一昨年夏のボストン、昨夏のロンドンとフィレンツェ、今春のローマとパリ((271) ヴァティカン図書館で調査してきた!!参照)に続いて、今夏はライプツィヒで資料研究をしてきます((249) 今と同じ?! 16世紀の楽譜参照。研究費をいただけるのは今年度が最後)。短い滞在ですが、州立図書館で写本調査をしながら、バッハやメンデルスゾーンが暮らした街を目に焼き付けたいと思います。ライプツィヒの後、ブリュッセルとコペンハーゲンの王立図書館でも資料調査するため、聖フィル❤コラムは3週続けてお休みさせていただきます。みなさま、どうぞ良い夏をお過ごしください。

  1. Stauffer, George B., ‘Leipzig,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 14, Macmillan, 2001, p. 314.
03. 8月 2016 · (287) ヴァイオリンのハイ・ポジション はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

いつ頃からヴァイオリンのハイ・ポジションを使うようになったのでしょう?? 《ロマンティッシュ》第2楽章ヴィオラの努力目標((285) ヴィオラの出番!!参照)達成のため練習に励んで(?!)いて、不思議に思いました。ヴァイオリン族の弦楽器における左手の位置を、ポジションと言います。ネックの先端寄りが第1ポジションで、ト音(真ん中のドの下のソ)から2点ロ音(ト音記号の上に加線1本のシ)までの音域をカバー。これよりも高い音を出すためには、左手をより高いポジションに移動させなければなりません。

図1は初期のヴァイオリン演奏図((99) 高音域を使わない理由から再掲。2年前に出版した『オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識』の口絵にも入れました。(0) ”パレストリーナ” プロフィール参照)。こんな楽器の構え方では、左手を動かせそうにありませんね。

図1:ヘリット・ドウ『ヴァイオリン奏者』(1665)

図1:ヘリット・ドウ『ヴァイオリン奏者』(1665)

それもそのはず。「ヴァイオリンはその誕生以来16世紀末までは主として舞踏の伴奏に用いられ、現在より短くて幅広いネックと指板をもち、左胸と左手でささえられた。音域は上3弦の第1ポジションのみ(後略)1」。G線は使わなかったということ?!! この奏法、フランスでは18世紀初頭まで残りましたが、イタリアでは17世紀半ばにソナタが盛んになり、ヴァイオリンは旋律楽器に。

ソナタの発展と並行して楽器が改良され、ネックと指板は以前より長くなりました。また、左手が自由に動けるようヴァイオリンを肩の上にのせ、ポジション移動のときは緒止板の右側をあごでおさえるように。ヨハン・ゼバスティアン・バッハが使ったヴァイオリンの音域は、この時代一般的だった3点ホ音を超えて、3点イ音(加線4本)まで2。一方で彼のヴィオラの音域が第3ポジションの2点ト音までなのは、旋律楽器として使われることが少なかったからでしょう。

高いポジションは、次第に低い弦でも使われるようになりました。レオポルト・モーツァルト(1756)とフランチェスコ・ジェミニアーニ(1751)は良いヴァイオリン奏者に、すべての弦で第7ポジションまで弾けることを要求しています3。緒止板の左側でヴァイオリンを保持することで、高いポジションやG線の徹底的な使用を可能にしたのがヴィオッティ(1755〜1824)。1820年にシュポーア(1784〜1859)が初めて固定したあご当てを使用。左手はさらに自由に動かせるようになりました。

と調べてきて、ようやく気がつきました。ハイ・ポジションは、第7ポジションよりも高い位置を一括する呼び方なのですね4。《ロマンティッシュ》のヴィオラの努力目標、私は途中からD線も使うので第7ポジションまでに収まります。ハイ・ポジションとは言わないのでした。

  1. 柴田純子「ヴァイオリン」『音楽大辞典1』、平凡社、1981、135ページ。
  2. 久保田慶一「ヴァイオリン」『バッハ キーワード事典』、春秋社、2012、355ページ。「1点ト音から」書かれていますが、「ト音」の誤りでしょう。
  3. Monosoff, Sonya, ‘Position,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 20, Macmillan, 2001, p. 207.
  4. 無記名「ポジション」『音楽大辞典5』、平凡社、1983、2350ページ。
13. 7月 2016 · (284) バッハの数 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

先日、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのチェンバロ協奏曲 全曲演奏会に行きました。バッハのチェンバロ協奏曲って、いくつあるかご存知ですか? なんと全部で14曲もあるのですね。お見それしました1。でも、その多さよりもこの数をさらっと「バッハの数」と表現していたのが、心に残りました。

そう、14はバッハの数です。なぜ?  アルファベットのAから順番に数字を対応させると、BACHのBが2、Aが1、Cが3、そしてHが8。合計14になるからです。彼自身、自分の数として意識していました。たとえば、平均律クラヴィーア曲集第1巻 第1番のフーガ。

平均律クラヴィーア曲集とは、長調短調各12ずつ、24の調全てのプレリュードとフーガのセットを、ハ長調から順番に収めたもの。第1巻はケーテン時代の1722年、第2巻はライプツィヒ時代の1742年に完成されました。ハンス・フォン・ビューローが「ピアノの旧約聖書」と呼んだことも知られています。

平均律第1番ハ長調の4声フーガでは、フーガ主題はアルト声部に始まります(譜例1)。「ド-レ-ミ-ファ-ソ-ファ-ミ-ラ-レ-ソ-ラ-ソ-ファ-ミ」と、計14個の音から成っていますね。この曲集へのバッハの署名とみなされます2

譜例1:J.S.バッハ作曲 平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番ハ長調 BWV846 よりフーガ冒頭

譜例1:バッハの署名(平均律第1巻 第1番ハ長調 BWV846 よりフーガ冒頭)

ヨハンとゼバスティアンの頭文字、J(9番目)とS(18番目)を加えると、9+8+14で413。14の逆!  平均律第1巻を締めくくる、第24番ロ短調のプレリュードとフーガの小節数合計は、47+76で123。ハリー・ハーンは、これが41の3倍であり、詩篇41が詩篇の第1部を閉じるものであったため、バッハはこれに従って曲集を閉じたと書いています4

でも、14はともかく、41や123をバッハが意識したのかどうか。2巻最後のプレリュードとフーガを調べてみましたが、小節数の合計は66+100の166小節。41の4倍より微妙に(2小節)多いのです。詩篇第2部は第72までありますが、その倍数でもありません。

音符や声部、小節などの数をさまざまに計算し、キリスト(CHRISTUS = 112)、クレド(CREDO = 43)のような数も含めて意味づけを試みると、際限が無くなります。私には、詩篇と小節数を結びつけるハーンの説よりも、平均律第1巻最後のフーガと、第2巻最初のフーガの主題の音符の数が、どちらも21であることの方が興味深く感じられました。ちなみに、バッハの名前全て(JOHANN SEBASTIAN BACH)を数字に置き換えると、158。この総和(1+5+8)も14です。神秘的ですね。

  1. 4台用が1曲、3台用2曲、2台用3曲、そして1台用が8曲で、BWV1052〜1065です。
  2. 岸啓子「バロックの器楽」『はじめての音楽史 増補改訂版』音楽之友社、2009年、67ページ。
  3. ラテン語とは異なりドイツ語にはIとJが両方存在するのに、IもJも9と数えます((291) 練習番号Jが無い理由参照)。バッハが精通していたと考えられる中世ユダヤ教の「カバラ」と呼ばれる伝統では、このような数え方をするということでしょうか。
  4. 堀朋平「象徴法と引用」『バッハ キーワード事典』春秋社、2012年、126ページ。

コラールと言われたらみなさんは、ブラームスの交響曲第1番終楽章、序奏部のトロンボーン(とファゴット族)3重奏を思い浮かべるでしょうか。あるいはブルックナーの、たとえば第4番《ロマンティッシュ》第1楽章展開部終盤で、トランペット&トロンボーン&テューバがffで吹き鳴らすところ(305小節〜)? 第5番終楽章には、ブルックナーご本人が「コラール」と書き込んだ部分(583小節〜)もありますね。

でも、このようなコラールは正確には「コラール風」(あるいは「コラール的」)楽節。本物のコラールではありません(このようにな「コラール風」もコラールと呼ぶことがあるのでややこしいのですが)。

譜例1:J. S. バッハ:カンタータ BWV 140《目覚めよと呼ぶ声が聞こえ》より終曲(第3節)

譜例1:J. S. バッハ:カンタータ BWV 140《目覚めよと呼ぶ声が聞こえ》より終曲(第3節)

バッハの声楽作品に詳しい方は、本物をご存知ですよね。コラールは、ルター派プロテスタントの賛美歌。4声体のホモフォニーの形で(譜例1参照)、教会カンタータや受難曲の核になっています。上記「コラール風」楽節の元ですね。ただこれは、いわば成長した大人のコラール。もともとはモノフォニー(単旋律)でした。

カトリックの典礼音楽の歌詞は、聖職者以外は理解できないラテン語。聖歌隊が歌うお経のようなグレゴリオ聖歌や、複雑で難しいポリフォニーを、意味もわからずありがたく拝聴しているだけ。

宗教改革者マルティン・ルター(1483〜1546)は、「会衆を礼拝に積極的に参加させようとする意図から歌唱による祈願や賛美を重視」1。みんなで歌うには、母国語であるドイツ語の歌詞の曲が必要と考えました。単旋律なら、楽譜を読めない人も聞き覚えて歌えます。無伴奏のユニゾンで歌われたこのような曲は初め、geistliche Lieder(宗教的な歌)とか christliche Gesäng(キリスト教の歌)と呼ばれていました2(グレゴリオ聖歌の旋律を指す「コラール」という語で呼ばれるようになったのは、16世紀後半)。

1524年にヨハン・ヴァルター(1496〜1570)がヴィッテンベルクで、聖歌隊用に3〜5声に編曲した Geystliches Gesangk Buchleyn を出版(図1参照)。宗教改革の発端となった、ルターの「95か条の論題」発表から、わずから7年という早さに驚かされますが、考えてみると聖歌隊は、ついこの前まで壮麗なポリフォニーの宗教曲を歌っていた(し、信者たちだって、歌詞の意味はわからないながら聞いていた)のですからね。旋律1本を斉唱するだけでは、音楽的におもしろくなかったのでしょう。

図1:Johann Walter, Geystliches Gesangk Büchleyn, Titelpage, Wittenberg, 1524

図1:Johann Walter, Geystliches Gesangk Büchleyn, Titelpage, Wittenberg, 1524

ルターの序文が付いたこの最初の賛美歌集には、32の聖歌の詩用の35の旋律が、38種類に編曲されて収められています。カトリックの宗教曲のような複雑なポリフォニー様式と、旋律と同じ動きで和音を連ねる(より新しい)和弦様式の、2種類の編曲法が使われました。後者が、大人のコラールの出発点。

ただ、譜例1のようにコラール旋律がソプラノに置かれたのは、ルーカス・オジアンダー(1534〜1604)が1586年にニュルンベルクで出版した Fünffzig geistliche Lieder und Psalmen から3。ヴァルターの賛美歌集では、多声作品における最重要声部テノール((85) アルトは高い参照)に、主旋律が置かれていました。

まとめ:ルター派プロテスタントの賛美歌であるコラールは、もともとモノフォニーだった。4声体の編曲では、しばらく内声に置かれていた。バッハがカンタータの中で用いたような大人のコラールになってからも、そのまま引用した場合(たとえばメンデルスゾーンの通称「宗教改革」交響曲。(257) メンデルスゾーンが作った交響曲はいくつ?参照)以外、「コラール風」と呼ぶのが正しい。

来週のコラム更新はお休みさせていただきます。

  1. 辻荘一「コラール」『音楽大事典2』平凡社、1982、938ページ。
  2. Marshall, Robert L. / Leaber, Robin A., ‘Chorale,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 5. Macmillan, 2001, p. 737.
  3. Marshall, Robert L. / Leaber, Robin A., ‘Chorale settings,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 5. Macmillan, 2001, p. 748.
23. 12月 2015 · (265) クリスマスに聴きたい音楽 part 8 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

例年にない暖冬で油断しているうちに、2015年も残りわずか。気忙しい年の瀬ですが、なんだか静かにオルガン曲を聴きたい気分。クリスマスに聴きたい音楽 part 8(昨年の (215) クリスマス以外にも聴きたい音楽《そりすべり》を part 7 と考えてくださいね)は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの《パストレッラ》BWV 590にしました。パストレッラはパストラーレの指小語。小さなパストラーレという意味。

ベートーヴェンも《田園交響曲 シンフォニーア・パストラーレ》として使ったパストラーレは、音楽用語として2つの意味があります。ひとつは、16世紀の「牧歌劇」。「田園という理想郷(アルカディア)を舞台に牧童たちが繰り広げるのどかな恋物語」で、 17世紀初頭に成立するオペラの、演劇上の母胎の1つとなりました1

もうひとつは「田園曲」。バグパイプ風のドローン(飛ばす方ではなく、保続低音の方!)の上で、6/8 や 12/8 拍子3分割リズムの2声の旋律が、3度(あるいはカノン)で進行する音楽。コレッリのクリスマス・コンチェルト最終曲を思い浮かべてください((59) クリスマスに聴きたい音楽 part 3 参照)。このような音楽がクリスマスと結びつけられたのは、聖書の記述と関係があります。

天使たちが天に去ると、羊飼いたちは、「ではベトレヘムに行って、主の示されたその出来事を見よう」と相談し、急いでマリアとヨゼフとまぐさおけに寝かされたみどり児を見に行った。それを見て彼らは、この子について天使の話されたことを知らせたので、それを聞いた人々はみな、羊飼いの話を不思議に思い、マリアは注意深くそのことを心にとどめて考え続けた。羊飼いたちは、天使が話したとおりのことを見聞きしたので、神をあがめ、たたえながら帰っていった(ルカによる福音書第2章15〜20節)2

かつてイタリアでは、この記述に倣って、クリスマスの日に羊飼いたちがバグパイプを吹きながら各都市に贈り物を運ぶ民俗儀礼があったそうです3。その音楽の特徴が、キリスト降誕や羊飼いのイメージとともに田園曲に引き継がれたのです。

4つの短い楽章から成る《パストレッラ》ヘ長調。バッハが1723年からカントルを務めたライプツィヒのクリスマス礼拝で、何らかの形で使われたはずですが、確かなことはわかりません。第1楽章では、両手でゆったりとした12/8の旋律、足鍵盤でドローン(初めファ、次にド)を演奏します(下の動画では、足鍵盤の音はそれほど聴こえませんが、ファからドに替わるのは 0:55くらい。スコットランドの画家デイヴィッド・ロバーツのリトグラフ『ベツレヘム』から、オルガ・ミンキナの演奏風景に戻るあたりです)。残りの3楽章は、手鍵盤のみ。キリスト降誕を静かに思い浮べてくださいね。

来週はコラムお休みします。みなさま、どうぞ楽しいクリスマスと良い新年をお迎えください。2016年も、聖フィル♥コラムをよろしくお願いいたします。

  1. 加藤拓未「パストラーレ」『バッハ キーワード事典』春秋社、2012、269ページ。
  2. 『新約聖書』バルバロ訳、講談社、1981、147ページ。
  3. 加藤、269-70ページ。
20. 5月 2015 · (237) BWV Anh. の Anh とは?:バッハの作品番号 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

先日、「モテット《全地よ、主に向かって喜びの声をあげよ》BWV Anh.160」という曲目中の Anh. って何?と質問されました。Anh. は Anhang の略。英語なら appendix。補遺、付録という意味です。いったい何のおまけ?

BWV は、J. S. バッハの作品番号ですね。ビー・ダブリュー・ヴイとつい英語式に読んでしまいますが、ドイツ語の頭文字ですから、本来はベー・ヴェー・ファオと読むべきでしょう。ヴォルフガンク・シュミーダーが1950年(=バッハの没後200年)に出版した、『Bach Werke Verzeichnis(バッハ作品目録)』によります。BWV番号は、バッハ作品の演奏や研究の際に世界中で使われています。

シュミーダーはバッハの数多い作品をジャンル毎にまとめて目録化し、1から1080まで通し番号を付けました。声楽曲から始まります。BWV1〜224:カンタータ、BWV225〜231:モテット、BWV232〜243:ミサ曲とマニフィカト、BWV244〜249:受難曲とオラトリオという具合。器楽曲の最初はオルガン曲で、BWV525〜771。その後(BWV772〜994)にオルガン以外の鍵盤楽器(チェンバロなど)の曲が続くので、ピアノの初〜中級者の必須レパートリーであるインヴェンションには、意外に早い番号(BWV772〜786)が付いていますね。協奏曲や管弦楽曲は、最後の方の BWV1000番代(BWV1046〜51:ブランデンブルク協奏曲、BWV1066〜69:管弦楽組曲)。

作品の中には、帰属がはっきりしないものもあります。シュミーダーは、疑作や断片、楽譜が失われた作品、誤ってバッハ作とされた他人の作品などを Anhang 補遺に整理しました。有名(?!)な例が、BWV Anh.114のメヌエット ト長調。『アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集』に記入され、バッハのメヌエットとして親しまれてきた「レーソラシドレーソッソ」ですが、1979年になって、バッハの友人でドレスデンのオルガニストであったクリスティアン・ペッツォルト(1677〜1733)の作と判明。コラム冒頭のモテットBWV Anh.160 は、バッハとテレマンが作った楽章を集めた曲でした。

バッハ作品目録の1番最後は、彼の未完の大作《フーガの技法》BWV1080だと思っていたら……。1990年に出版された目録の改訂版には、1950年以降の研究によってバッハの真作と認められた曲が、1080の後に追加されています。1985年にイエール大学所蔵の古文書中に確認されたオルガンのためのノイマイスター・コラール(BWV1090〜1120、ただし1096を除く)や、2005年5月17日にヴァイマールで自筆譜が発見された、ソプラノと弦楽器、通奏低音のためのアリア《すべては神とともにあり》BWV1127など。

現時点での最後は、BWV 1128。2008年3月15日に、ライプツィヒのオークションに出された品の中から発見された、オルガン・コラール《主が私たちのそばに立ってくださらなければ》に付けられました。研究が進み偽作であることや真の作曲者が判明する曲がある一方で、死後250年以上過ぎてもまだ新たな真作が見つかるのですから、ワクワクしますね。

01. 4月 2015 · (231) 1年中で1番特別な1週間 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

聖光学院がある横浜も私が住む東京の郊外も、桜が満開です。まだ咲いていない地域や、桜が無い地域で読んでくださっている方には申し訳ないのですが、まさに春爛漫。だから、今週は1年中で1番特別?! いえいえ、キリスト教徒にとってのお話。次の日曜日4月5日は、十字架にかけられて亡くなったイエスの蘇りを祝うイースター(復活祭。東方教会では4月12日)。その前の1週間だからです。

イースター前の40日間は、レント。日本語では、カトリックとルター派プロテスタントが40日間を意味する四旬節、聖公会が節制を意味する大斎(たいさい)節と呼びます。「イエスが荒野で過ごした40日間の苦しみを分ち合うため」節食・断食を行い改悛する期間です1。この断食期間の前に、好きなものを好きなだけ飲み食いして楽しもう!という世俗のお祭りが、カーニバル(謝肉祭)。

イースター1週間前の日曜日(枝の主日)に始まるレントの最終週が、聖週間(ルター派プロテスタントでは聖週、聖公会では受難週)。「十字架に磔にされたイエス・キリストの受難と死を悼み、その喪に服し、悔恨するための1週間」です2。イエスの最後の晩餐を記念するのが、聖木曜日。ピラトの裁判後、イエスがゴルゴタの丘で十字架にかけられて亡くなったことを記念するのが聖金曜日。聖書によると、午後3時頃に息を引き取り、埋葬されます。聖土曜日にイエスは墓の中で安息し、日曜日に復活。

クラシック音楽ファンにとって、聖週間と言えば受難曲でしょう。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの《ヨハネ受難曲》(1824年)、《マタイ受難曲》(1827年初演が定説)は、それぞれ新約聖書のヨハネによる福音書とマタイによる福音書の中の、イエスの受難と死に関する記述を元に構成されています。いずれも聖金曜日の晩課のために作られたものですから、4月3日の日没後に聴く曲ということになります。

ただし、これは2015年だけの話。イースターは年によって日付が変わるのです。「春分の次の満月後の最初の日曜日」というすごい(と思いませんか?!)決め方は、325年の第1回ニケア公会議以来。満月と曜日のタイミングにより、最も早ければ3月22日、遅ければ4月25日と1ヶ月以上も前後します。子どもたちがイースター・エッグ・ハンティングをする楽しい日なのに、クリスマス(やハロウィーン)のように日本に根付かないのは、移動祝祭日のわかりにくさも大きな原因でしょう(西欧でも同じことなのですが)。

というわけで、関東以南で春たけなわのこの時期に聖週間が重なったのは偶然。桜満開の時期に、1番特別な1週間が来るとは限りません。昨年のイースターは4月20日でしたし、来年2016年は3月27日です。

  1. 八木谷涼子『キリスト教歳時記』平凡社新書、2003、108ページ。
  2. 前掲書、119ページ。
21. 1月 2015 · (221) パッサカリアについて:バッハとブラームス はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

パッサカリアと言われると、ブラームスの交響曲第4番を思い浮べるオケ奏者やオケ・ファンの方が多いと思います。CD解説などに、この曲の第4楽章がシャコンヌまたはパッサカリアの形で作られていると、書いてありますよね。どういうことか、ご存知ですか。

ブラームスは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのカンタータ150番《主よ、わが魂は汝を求め Nach dir, Herr, verlanget mich》第7曲〈わたしの苦難の日々を Meine Tage in dem Leide〉の低音旋律をモデルにしました。この曲はチャッコーナ。イタリア語でシャコンヌのことです。シャコンヌは、3拍子の緩やかなテンポの舞曲。低音旋律に基づく変奏曲で、バロック時代にはパッサカリアとほぼ同義に使われました 1

ロ短調の主音シから順番に5度上行しオクターヴ下がる、シ−シ−ド♯−ド♯−レ−レ−ミ−ファ♯−ファ♯。低声部はこの4小節パターンを何度も繰り返しながら、ニ長調、嬰ヘ短調、イ長調、ホ長調に転調します。ロ短調に戻り、最後はミ−ファ♯−ファ♯の後に主音シが続いて終了。このしつこく繰り返される低音、バッソ・オスティナート(イタリア語で「がんこな低音」の意)の上で、旋律や和声、リズムが変わっていきます。

ブラームスはこの低音旋律の最後に主音を付け加えて、1回毎に完結する形にしました。さらに、ロマン派的にアレンジ。オクターヴ跳躍の前に1音加えてラ−ラ♯−シの半音進行に。この8音1フレーズを、バスだけではなく旋律や和音の中で繰り返します。変奏主題として最初に上声で提示されるときも、主和音で始まらないなど19世紀的。メロディーやハーモニー、リズムやオーケストレーション、時にはテンポも変わっていきますが、8小節パターンを律儀に繰り返すのはバッハのチャッコーナと同じです。

バッハの音源をあげます2。バッソ・オスティナートが何回繰り返されるか、数えてみてください。嬰ヘ短調に転調するあたりで急にメロディーが半音下がり、違和感をおぼえる部分があります(0:56くらい)。歌詞「茨(いばら)」の不快さを、音楽で表現しているのです。その前のニ長調部分で、細かく動くたくさん音をひとつのシラブルで歌う(0:33くらいから)部分は、歌詞「喜び」のうれしさの表現でしょう。バッハは、歌詞の言葉と音楽を密接に結びつけて作曲しています。ロ短調よりもピッチが高いのは、彼らがコーアトーンを使っているということですね((104) a’=440になるまで(1):コーアトーン参照)。

  1. 金沢正剛「パッサカリア」『音楽大事典4』音楽之友社、1982、1863−64。
  2. 歌詞:わたしの苦難の日々を神は喜びに変えて終わらせてくださる、茨の道を歩むキリストの者たちを天の御力と祝福が導かれる。神がわたしの真の守りであられるかぎり、人に逆らわれることなど気にしない。キリストはわれらをかたわらで支えられ、日々、わたしの戦いの勝利を助けられる。