17. 6月 2015 · (241) ややこしくなかったチェロ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

チェロの本名「ヴィオロンチェロ Violoncello」(小さなヴィオローネ)。ヴィオローネはコントラバスのご先祖様。チェロはそれより一回り小さいからついた名前だと思っていたら……。実はこれ、さまざまな意味で使われた楽器名でした((240) チェロはややこしい?参照)。現在のチェロなどに相当する楽器(英語でバス・ヴァイオリンと呼ばれます)は、名称だけではなくサイズも多種多様だったようです。

図1:フェッラーリ『奏楽の天使部分』(1534〜36)

図1:フェッラーリ『奏楽の天使部分』(1534〜36)

図1は、この楽器を描いた最古の図像と考えられる、フェッラーリの『天使の奏楽』の一部(フレスコ画、1534〜36。サロンノ、奇蹟の聖母礼拝堂)1。左側のリュートなどに較べると小振りですね(なんとなく変だなあと思ったら、f 字孔が逆! ガンバ蔟の C 字孔でないのは明らかですが)。一方、図2はクルースの「楽器のある静物」(1623)2。テールピース(緒止め板)のデザインがおしゃれ。良く見ると5弦です。左側にカメがいる!?(図1、2ともクリックで拡大します)。

図2:クルース『楽器のある静物』(1623)

図2:クルース『楽器のある静物』(1623)

「ヴィオロンチェロ Violoncello」の語が最初に登場する出版譜は、ヴェネツィアで1665年に出されたG. C. アッレスティの『ソナタ集 op. 4』。この新しい名前、ヴィオローネの変化を反映しています。この時期、以前よりも楽器が小さくなったのです。理由は、弦の改良。

当時の弦楽器には、羊の腸から作られたガット(カットグット、腸線)が使われていました。低い音を出すためには長い弦が必要ですが、左手で音程を決める弦楽器は鍵盤楽器と違って、長過ぎると指が届かない。長さを切り詰めるために太い弦が使われましたが、音質が悪く大きな音が出ませんでした。

この問題を解決したのが、ガットや絹糸の周りに細い針金を巻く新技術。17世紀半ばにボローニャで発明されたことが、ほぼ確実です3。弦の密度が増したため、低い音でもそれまでよりもずっと細く短い弦ですむようになりました。響きが良く、音量も豊かに。

弦が短くなった分、楽器本体も短縮。そのために「(前より)小さなヴィオローネ」ヴィオロンチェロと呼ばれるように。現存する古いタイプの楽器から、弦の改良前は楽器本体と弦の長さが4、5cmほど長かったことがわかります。現在のチェロの標準サイズ(本体が75〜76cm)は、18世紀初めにストラディヴァリによって確立されたもの4

わかってみると、「小さな大きなヴィオラ」violoncello という名前がついた理由、別にややこしいわけではありませんでした。でも、楽器のサイズが途中で変わった(しかも小さくなった)なんて、普通は考えつきませんよね。

  1. Ferrari, Gaudenzio, “Angel Concert,” on the dome of the sanctuary of the Madonna dei Miracoli in Saronno, 1534-36.
  2. Claesz, Pieter, “Stil-life with Musical Instruments,” 1623.
  3. Bonta, Stephen & Richard Partridge, ‘String,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 24, Macmillan, 2001, p. 582.
  4. Bonta, Stephen, ‘Violoncello,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, p. 747.
10. 6月 2015 · (240) チェロはややこしい? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

チェロの本名ヴィオロンチェロ violoncello は、イタリア語で「小さな大きなヴィオラ」の意味。擦弦楽器の総称 viola に増大の接尾辞 -one で大きな、縮小の接尾辞 -ello で小さなという意味が加わるからでしたね((37) ヴィオラはえらい?参照)。なんともややこしい名前ですが、私はずっと、チェロがコントラバスのご先祖様ヴィオローネ violone(大きなヴィオラの意)よりも小さいので、小さなヴィオローネという名前で呼ばれるのだと納得していました。音楽事典でヴィオローネをひくと:

弦楽器の1種で、ヴィオラ・ダ・ガンバ蔟の最低音楽器。6弦で調弦はベース・ガンバと同じだが、(中略)実音は楽譜よりオクターヴ低い。(中略)ガンバ蔟の中で、ヴァイオリン蔟と併用された最後の楽器であり、コントラバスが一般化するまでオーケストラの最低音域を受け持った(後略)1

と書いてあるからです。でもこれは、現代の用語法。歴史的にみると、ヴィオローネは他にもさまざまな意味を持つ、すごくややこしい名称でした2

  1. 1530年代以降、すべてのサイズのガンバ(=ヴィオール)蔟を指していた。
  2. 1600年ころまでに、低音のヴィオラ・ダ・ガンバを指すようになった。1609年にバンキエーリは、ヴィオローネ・ダ・ガンバを G’-C-F-A-d-g、ヴィオローネ・デル・コントラバッソを D’- G’-C-E-A-d に調弦すると書いている。
  3. 同時に、(いつからかはっきりしないものの)ヴァイオリン蔟の低音楽器も指すようになった。バス・ドゥ・ヴィオロン、バッソ・ディ・ヴィオラ、バス・ヴィオール・デ・ブラッチョ、バッス・ドゥ・ヴィオロン、バッセット、バッセット・ディ・ヴィオラ、バッソ・ダ・ブラッチョ、バッソ・ヴィオラ・ダ・ブラッゾ、ヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ブラッチョ、ヴィオラ・ダ・ブラッゾ、ヴィオレッタ、ヴィオロンチーノ、ヴィオローネ、ヴィオローネ・バッソ、ヴィオローネ・ダ・ブラッゾ、ヴィオローネ・ピッコロ、ヴィオロンジーノ、ヴィオロンゾーノ、ヴィヴォラ・ダ・ブラッゾなど、さまざまな名称が使われた3
  4. 例外的にヴェネツィアでは、1660年以降コントラバスを指した。

ガンバ(ヴィオール)蔟とヴァイオリン蔟は、似て非なる楽器。形(ガンバ蔟はなで肩)、弦の数(ガンバ蔟は多い)、調弦(ガンバ蔟は3、4度調弦)、フレットの有無(ガンバ蔟は有り)などが異なります((31) 仲間はずれはだれ?参照)。その両方の低音楽器をヴィオローネと呼んでいたとは……。ややこしすぎ!と文句を言いたくなりますが、ガンバ蔟もヴァイオリン蔟も、擦弦楽器つまりヴィオラ。大型のものをヴィオローネと呼ぶのは自然だったのでしょう。イタリアでヴィオローネがコントラバスを指していたのはヴェネツィアだけ。ヴィオローネより一回り小さいからヴィオロンチェロの名がついたわけではなかったのです。(続く)

図1:プレトリウス《シンタグマ・ムジクム》II(Theatrum instrumentorum, 1620, pp. 20-21)

図1:プレトリウス《シンタグマ・ムジクム》II(Theatrum instrumentorum, 1620, pp. 20-21)

  1. 高野紀子「ヴィオローネ」『音楽大事典1』平凡社、1981、182ページ。
  2. Bonta, Stephen, ‘Violoncello,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26. Macmillan, 2001, pp. 745-47.  Borgir, Tharald / Stephen Bonta, ‘Violone,’ op. cit., p. 765.
  3. bas de violon (Jambe de Fer, 1556), basso di viola (Zacconi, 1592), bass viol de braccio (Praetorius, 1619), basse de violon (Mersenne, 1637), bassetto, bassetto di viola, basso da brazzo, basso viola da brazzo, viola, viola da braccio, viola da brazzo, violetta, violoncino, violone, violone basso, violone da brazzo, violone piccolo, violonzino, violonzono, vivola da brazzo など。これらのうち -ino、-etto、-etta、piccoloは小さな、braccio、brazzoは腕の意味。
19. 6月 2013 · (138) 弦楽四重奏:不公平な編成はなぜ? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , ,

各パートを1人で演奏する音楽である室内楽の中で、最も重要でレパートリーも多いのが、弦楽四重奏曲。ヴァイオリン2人にヴィオラとチェロが1人ずつ。弦楽五重奏やピアノ五重奏などと違って、弦楽四重奏の編成は必ずこの組み合わせと決まっています。

弦楽器って4種類あるのだから、4重奏ならヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス各1の方が自然ですよね。でもそうではなく、ヴァイオリンが2人。その分コントラバスは入れてもらえない。不公平! 以前書いたように、弦楽器の中でコントラバスだけがヴィオール属の血を色濃く残していますが((31) 仲間はずれはだれ?参照)、それが理由ではありません。

「弦楽四重奏の父」ハイドンがこの(不公平な)編成で作曲したいきさつについて、グリージンガーは伝記の中で以下のように述べています。「フュルンベルク男爵という人が、ときどきちょっとした音楽を演奏させるために、彼の主任司祭、管理人、ハイドン、そしてアルブレヒツベルガーを招いた。男爵はハイドンに、この4人のアマチュアが演奏出来るような曲を何か作るようにリクエストした。当時18歳だったハイドンはこれを受けて、彼の最初の弦楽四重奏曲 op. 1, no. 1 を考案した。それが世に出るや否や、世間一般に良く受け入れられたので、ハイドンは思い切ってこの形でさらに作曲した」1

えーっ、たまたまヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1が集まったから、このジャンルが生まれたということ?!? もしも集まった4人のうちの3人がチェリストだったら、ハイドン(とその後)の弦楽四重奏はヴァイオリン1、チェロ3の編成になっていたかもしれないの?!? まさか、そんなはずありませんよね。彼がこの編成のジャンルを「考案」したわけではありません。ちなみに、ハイドンが最初期の弦楽四重奏曲10曲を作ったのは、1757〜62年頃。20代後半です2。18歳なんて、グリージンガーさんサバ読み過ぎ!

不公平な編成の理由は、バロック音楽の通奏低音の中に見つかります。低音旋律楽器と鍵盤楽器の左手が、低音旋律を演奏するのでしたね((132) 楽譜どおり演奏しても足りない場合参照)。前者にはチェロやファゴットだけではなく、コントラバスも含まれます。つまり、チェロとコントラバスは同じパートを演奏していたのです。だから、各パート1人の室内楽ではコントラバスはあぶれて(?!)しまいました。

それならなぜ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの弦楽3重奏が主流にならなかったのでしょうか。この理由もバロック音楽のトリオ・ソナタの中に見つかります。トリオとカルテットじゃ1人違う……のではなく、トリオ・ソナタの演奏者も4人でしたね((135) トリオはトリオじゃなかった?参照)。最も一般的だったのは、ヴァイオリン2つとチェロ、チェンバロという組み合わせ。

実はこのトリオ・ソナタは、弦楽四重奏の主要な先駆形態のうちの1つ。2パートのヴァイオリンのかけあいをチェロとチェンバロの通奏低音が支えていたのですが、このバロック時代の伴奏習慣は次第に廃れていきます。チェンバロ(の右手)に代わって、旋律と低音の間を埋めるために使われるようになったのが、ヴィオラ(ようやく登場! (37) ヴィオラはえらい?参照)。でも、ヴィオラ1つで和音充填するのはかなり難しい。そのため、ヴァイオリン1は旋律、2はヴィオラとともに伴奏という分業が普通に。

というわけで、弦楽四重奏の編成が不公平なのは、バロック時代のトリオ・ソナタがご先祖様の1つだったから。もう1つのご先祖様については、また改めて。

  1. Jones, David Wyn, “The Origins of the Quartet” The Cambridge Companion to the String Quartet. Cambridge University Press, 2003, p. 177(グリージンガーの『伝記』の英訳が引用されている)。大宮真琴はアルブレヒツベルガーを有名な対位法家本人と書いていますが(大宮真琴『ハイドン』音楽之友社、1981、44ページ)、Jonesはその兄弟のチェリストとしています。
  2. Jones, 前掲書、178。

12月15日の聖光学院新講堂こけら落とし公演に向けて、《第九》の練習が始まりました。ファースト・ヴァイオリン ・パートの人たちは、一息ついていることでしょう。ついこの前まで練習していた《新世界》に比べて、《第九》は音域がずっと低いからです。

それにしても《新世界》のファーストは、高音域が多かったですよね。ト音記号の五線の中に納まっているのは数音だけで、ほとんどが上にあふれている段もありました。ボウイングを書き入れようにも、加線が何本も重なって五線と五線の間にすき間がほとんど無い。真ん中のドから3オクターヴ上のドも登場。ト音記号の上に加線2本を補ったドの、さらに1オクターヴ上です。日本語で4点ハ音と呼ばれるこの音が《新世界》の最高音かと思えば、さにあらず。第3、4楽章ではその上の4点ニ音(レ)も使われています。加線は6本! 何の音か、とっさに読めません。

一方、《第九》のファーストの最高音は、ドどころかその3度下のラ。第7ポジションまでです。《第九》に限らず、ベートーヴェンはヴァイオリン・パートでシ♭以上を避けています。

彼がこのように慎重だった最大の理由は、おそらく、当時の楽器が現在の、あるいはドヴォルジャークの時代と異なっていたためでしょう。19世紀初期にはまだ、弦楽器用の肩当てはもちろん、あご当ても無かったのです。あご当てを発明したのはシュポーア(1784〜1859)で、1820年ごろですが、一般に普及するまで時間がかかりました1。肩当ては、ピエール・バイヨ(1771〜1842)が1834年に「厚いハンカチかクッションの一種」を推薦したのが最初2

つまり、《第九》の時代のヴァイオリンやヴィオラは、(86) 見た! さわった!! ヴィオラ・ダモーレの図1のように、本体だけ。しっかりと挟み込んで楽器を構えることができず、不安定でした。これでは左手のポジション移動も制限されてしまいますし、高音域の演奏も容易ではありません。

もちろん、チェロのエンドピンもまだ考案されていませんでした。教則本がエンドピンの使用を初めて提唱したのは1880年頃3。それまでは基本的に、ヴィオラ・ダ・ガンバのように脚で支えながら演奏していたのです。両足で挟み込み、主に左のふくらはぎで支えるだけで中空に保つのですから、やはり楽器が安定しません。《第九》の最高音(ト音記号の五線の真ん中のシ)が《新世界》よりも3度も低い(2楽章の最後にレ♭が登場)のは、このような事情の反映と言えます。

最後に、時代はかなり遡りますが、17世紀後半のヴァイオリン演奏図をご紹介しましょう。オランダ生まれのヘリット(ヘラルド)・ドウ(1613〜75)が1665年に描いた「ヴァイオリン奏者」に基づくリトグラフ。典型的な胸置きポシションです。(59) クリスマスに聴きたい音楽 part 3 で《クリスマス・コンチェルト》をご紹介したときにも書いたように、コレッリ(1653〜1713)の作品のヴァイオリン・パートは、ほとんどが第3ポジションまでで弾けるそうですが、彼が12歳の時に描かれたこの図像を見ると納得。ヴァイオリンをこのように構えたのでは、忙しいポジション移動や高音域での演奏は、ほとんど無理でしょうから。

図1:ヘリット・ドウ『ヴァイオリン奏者』(1665)クリックで拡大します

  1. R. Stowell, ‘Violin,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, p. 724.
  2. 同上。
  3. T. Russell, ‘Endpin,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 8, Macmillan, 2001, pp. 198-9.
11. 10月 2011 · (50) 藤森亮一先生 特別インタビュー はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

白いチェロ・ケースとともに、聖フィルとの2回目の練習に颯爽と現われた藤森先生。聖光学院弦楽オーケストラ部の生徒さんたちが見守る中で行われた、ドボコンの合わせのみならず、なんとその後、《未完成》の練習にもつきあってくださいました。1列目で静かに穏やかにチェロを弾かれただけなのに、その圧倒的存在感安定感安心感!

ずうずうしくも練習後のインタビューをお願いしたところ、快く受けてくださいました。学校の食堂で、団員からの質問を交えながらお話を伺っていたら、途中で食堂を閉める時間になり、最後は立ち話に。藤森先生、お疲れのところ本当に申しわけありませんでした1

——最初に、共演させていただくドボコンについて伺います。この曲の魅力は何でしょうか?

藤森亮一先生(以下敬称略) ソロはもちろんですが、なんと言ってもオーケストラのパートが充実していて、弾きごたえがあることです。その分、ソロにかぶりやすいので(オケとソロの)バランスが難しいのですが、(聖フィルでは)マエストロがうまく整理をしてくださるので、弾きやすいですね。チェロはふくよかな音色を持ち、音域も広い機能的な楽器ですが、音の通りが良くない。ソロを弾くときはそのへんを考えて、たとえ p と指示されていても実際には f で弾くこともあります。

——ドボコンのここが好きというところは?

藤森 (間髪入れず)ホルン! 1楽章(第1提示部)第2主題や、2楽章の3本のハーモニーなど、素晴らしいですね。独奏チェロでは、旋律と伴奏の分担を交代したりするオーケストラとの絡みが好きです。

——逆に、ここが難しいというところは?

藤森 音楽的に弾こうとすることから生まれる難しさがあります。楽器の都合で、ソロはイン・テンポで弾くのがとても難しいけれど、間を空けずにすっと続く方が音楽的だという箇所ですね。たとえば3楽章の185小節。オケは前の小節でクレッシェンドしてそのまま入りたいのに、ソロに跳躍があるのです(ソリストとオケ奏者と両方なさる藤森先生ならではのコメントです)。

——先ほどの《未完成》は、ずいぶん控えめにお弾きになっている感じでしたが。

藤森 いえ、あれでもいつもより大きめに弾きました。特に1楽章のオープニングは、本当はもっと静かです。

——N響やいろいろな室内楽でお忙しい毎日ですが、どのように練習なさるのですか?

藤森 オケで難しい新曲を演奏するときなどは、予め楽譜を見てどの部分の練習がどれくらい必要かを見きわめ、本番から逆算してさらいます。朝、N響の練習場へ早めに行って、練習することもあります。複数のプログラムを平行して準備しなければならないことが多いのですが、難しいものが2つ続いていても、どうしても差し迫った方が気になってしまって。実は、来週のメシアン(N響定期のトゥランガリラ交響曲)の後に、プレヴィンが作曲したトリオの日本初演(ピアノは作曲者本人)が控えていて、準備が大変です……。

——貴重なお時間を、本当にありがとうございます。次に、楽器について伺います。ラ・クァルティーナ演奏会ではストラディヴァリウスをお使いでしたね。

藤森 あれは日本音楽財団に返してしまったので、楽器は1台だけです。弓は折れたのを使っています(通りかかったコンミスさんが「藤森先生、よく弓を折られるんですよ。」えーっ?!!)。ケースに入れている2本とも、弾いている時に折れました。20年くらい使い慣れて気に入っている方は、先が飛んじゃった。くさびでつないだけれど、やはりちょっと調子が良くない。もう1本はまっ二つに折れたわけではなかったので、にかわで着けてひもを巻いて使っています。2本の弓を、用途によって使い分けるということはありません。弦は切れるまでそのままですが、室内楽やオケで1日10時間くらい弾くことも多いので、頻繁に切れてしまいます。弓の毛もすぐにすり減ってしまうので、2本の弓を毎月毛替えしてもらっています。使っている弦はごくスタンダードに、上2本がラーセン、下2本はスピロコアのタングステン巻です(企業秘密を教えてくださってありがとうございます!)。

——チェロを始める前の音楽経験は?

藤森 3歳の時にピアノを習わせてみたけれど、椅子に座ると泣いて固まってしまうのでやめたそうです(自分では覚えていません)。その後は学校で習う音楽だけでしたが、中学校の音楽教師だった父が、家で歌ったりクラシックのレコードをかけたりするのを聞きながら育ちました。

——11歳でチェロを始められたきっかけは?

藤森 これもはっきりは覚えていないのですが、学研の月刊誌「学習」に、パブロ・カザルスの伝記が載っていたんですよ。それと、家にあったチェロのレコードを聴いて、これはいいなと思ったからでしょうか。小学校5年生の終わりにチェロをやりたいと自分から頼み、6年生からやらせてもらいました(下線筆者)。

——練習をさぼることはありませんでしたか? 他にもやりたいことがたくさんある時期だと思いますが。

藤森 練習がいやということは全然無かったですね。もちろん遊びたかったけれど、音楽が好きだったので。ただ、中学1年から毎週、京都から東京までレッスンに通ったため、吹奏楽部に入部できませんでした。いろいろな楽器をやりたかったのですが(やはり、本人が上手くなりたいと思わないとだめなんですね。子どもに楽器を習わせている親としてため息……。気をとり直して)。

——カラオケがお好きと伺ったのですが、レパートリーは?

藤森 チェロを始めるまでテレビっ子でしたので、歌謡曲(なつかしい言葉!)を毎日聞いて、歌ったり踊ったりしていました。郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹の新御三家や、山口百恵、桜田淳子の時代で、今も車の中で聞いています。カラオケで歌うのはサザンの桑田さんとかチューブの前田さんなど。女子で好きなのは今井美樹さん。

——体調管理のために注意されていることは何ですか?

藤森 チェロを習い始めるまで運動していました。剣道は段を持っていますし、水泳もかなり速いですよ(すごい! だから、スリムなのに筋肉質でたくましい体型なのですね)。今は、オケでチェロを弾くことが運動みたいなものです。それと、肉ばかりではなく野菜を食べるとか、1日30品目など種類を多く食べるようにするとか、食事に気をつかっています。

——最後に、アマ奏者である聖フィル・メンバーに、何かアドヴァイスをお願いします。

藤森 (かなりお考えになったあげく)練習の始めに必ず弾くルーティンを作ったら良いと思います。長いものでなく、たとえば30秒くらいでも。バッター・ボックスに入る時などに、毎回同じことをする野球選手がいますよね。私も、楽器を出すたびにする、自分の調弦法と最初に必ず弾くスケールのルーティンがあります。全部で1分くらいですが、楽器をひととおり動かしてみるのです(次の合わせの前や、本番前にも弾かれるそうです。みなさん、注目!)。チェロはケースから出すだけでも面倒ですが、忙しくて練習するのが難しいときも、ケースを開けて30秒のルーティンを毎日弾くだけで違うと思います。そういうつきあい方をしてみたらいかがでしょうか。

練習中は寡黙で近寄り難い方かと思ったのですが、とても気さくにあれこれ教えてくださった藤森先生。お忙しい中、インタビューにお答えくださいまして、本当にありがとうございました。弦楽器のプロでいらっしゃるのに、歌謡曲やカラオケがお好きという意外な一面(音楽学関係者でも、カラオケ好きは聞いたことがありません)のほかに、録音用の古いデジカメをさりげなくチェックなさるなど、ラ・クァルティーナ演奏会のプログラムに書かれていた「メカ好き」の一面も、垣間見ることができました。

今回のインタビューで最も印象に残ったのは、藤森先生が聖フィル・メンバーのためのアドヴァイスを、時間をかけて考えてくださったこと。プロの音楽家はアマとは異なった次元にいるのですから、アマのためのアドヴァイスは答えに窮する質問だったのですね。しかし先生は通り一遍の答えではなく、私たちのためになることを一生懸命に探してくださいました。その誠実さは、先生が作るドボコンの音楽にも現れています。

演奏会まで残すところわずかですが、私たち聖フィルは、藤森先生の音楽を受けとめ、それに応える準備を整えておかなければと改めて思いました。

  1. このコラム執筆のためにお世話になった方々に、お礼申し上げます。たくさんの質問に答えてくださった藤森先生、原稿チェックや連絡のためにお世話になった sonorous Ryoichi Fujimori Official Website さん(http://www.vc-fujimori.jp/ 本文中のコンサート情報もこちらからご覧いただけます)、情報を提供してくださった chezUedさん、どうもありがとうございました。質問の順番は変えているのもあります。
20. 7月 2011 · (38) ドボコンを読み解く試み その2 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

(36) ドボコンに込められた想いを読み解くを読んだ方から、初演で指揮したドヴォルジャークは、引用について楽団員に明かしたのだろうかと尋ねられました。プライベートな「裏事情」がこれほど知れ渡ってしまったのはなぜ? ドヴォルジャークのヨゼフィーナへの初恋や、《ひとりにして》が彼女のお気に入りだったことは、実は家族から聞き取りをもとにシュウレクが1954年に書いた伝記が源だそうです1

ドボコン第2楽章と第3楽章における《ひとりにして》の引用について、もう少し考えてみたいと思います。

「病気で臥せっている、寂しい」というヨゼフィーナの手紙(1894年11月26日付)を受け取ってから、第1楽章を完成させ(12月12日)第2楽章に取りかかるまで、ドヴォルジャークは引用について考える時間が十分あったはずです。第2楽章での《ひとりにして》は、molto espressivo と指示された独奏チェロによる引用も、独奏チェロが装飾を加えながら木管楽器とともに繰り返す2度目の引用も、全体の中にごく自然に溶け込んでいます2

一方第3楽章の引用は、コーダ(=結尾部)改訂の際に加えられました。ヨゼフィーナが亡くなったのが1895年5月27日で、改訂が終わったのは6月6日。このため、改訂はしばしばヨゼフィーナの死がきっかけと説明されます。

しかし Smaczny(この名前の発音がわからなくて、カタカナ書きに出来ません……)は、いずれにしろコーダを書き直す必要があったと述べています3。第1楽章の堂々とした第1提示部(独奏チェロが加わるまでの部分)がポイントであるこの協奏曲に、初稿の40小節のコーダはものたりなく感じられたはずだからです。改訂後のコーダは95小節。この拡大のおかげで終楽章は、先立つ2つの楽章の規模と荘重さにふさわしく締めくくられています。

コーダにおける第1楽章第1主題の引用と、独奏ヴァイオリンによる《ひとりにして》長調版の引用はわかりやすいのですが、その後に、この2つを組み合わせた引用があることをご存知ですか。《ひとりにして》の旋律は、冒頭のオクターヴ跳躍を除くと、どんどん下降していきます(譜例1参照)。したがって、485小節目から独奏チェロが奏でる下降の音型も、《ひとりにして》の変形とみなすことができますし、これを支える弦楽器の音型は、第1楽章第1主題の変形ですね(譜例2参照)4

譜例1 第3楽章469小節アウフタクト〜

譜例1 第3楽章コーダ《ひとりにして》の引用(469小節アウフタクト〜)

譜例2 第3楽章485小節〜

譜例2 第3楽章コーダ、第1楽章第1主題と《ひとりにして》を組み合わせた回想(485小節〜)

カザルスが「最後の呼吸の瞬間––英雄の死の描写」と解釈したという、独奏チェロの動き(492小節、譜例2の x )が ppで締めくくられた後、アンダンテ・マエストーソ ff の中でトロンボーンが奏でるのは、第3楽章主題の拡大型5。アレグロ・ヴィーヴォでファースト・ヴァイオリンが奏でるのは同じく縮小型です。終楽章のコーダで来し方を振り返る、循環形式によるみごとな結末です。

ドヴォルジャークが、この曲の委嘱者であるヴィハンが終楽章用に書いたカデンツァを強く拒否したというエピソードも、ヨゼフィーナへの想いと結びつける解説書が多いようですが、練りに練った構成を崩されたくなかったからと考えるべきでしょう。プライベートな要素もさりげなく折り込みつつ、それを普遍化するのに成功しているところも、ドボコンが名曲とされる所以ではないでしょうか。

  1. Šourek, Otakar. Život a dílo Antonín Dvořáka (The Life and Works of Antonín Dvořak), vol. 1: 1841-1877 (Prague, 1954).
  2. 第2楽章の引用について、(36)のコラムで、ドヴォルジャークがより率直な第5連の意味を念頭においたのではないかと書いたのは、これら2回の引用の性格があまりに異なるため、普通であれば当然であるはずの1回目の引用が第2連、2回目が第5連の意味を暗示するとは考えにくいと思うからです。
  3. Smaczny, Dvořák: Cello Concerto, Cambridge Univ. Press, 1999, pp. 40-41. 彼は、ドヴォルジャークが完全に音楽的な理由から(つまりヨゼフィーナの死とは無関係に)コーダの改訂を考えていた可能性もあると指摘しています。
  4. この2つの旋律を組み合わせた部分を、Smaczny は「もしもヨゼフィーナへの愛が受け入れられていた場合のドヴォルジャークの人生を想像させる」と評しています(同書 p. 83)が、私にはちょっと飛躍し過ぎのように思われます。この部分は、ヴァイオリン独奏による引用が与える特別な印象を、和らげていますね。
  5. 同書 p. 84.
13. 7月 2011 · (37) ヴィオラはえらい? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

「居なくてもきっとなにも変わらないさ」(槇原敬之「ビオラは歌う」)と歌われてしまったヴィオラ。以前、コメントをくださった生涯一中提琴さんとお約束した、「中提琴(中国語でヴィオラ)はえらい?」の立証にトライしてみましょう。以下の3つの理由でヴィオラはえらい……か?

1. 弦楽器のイタリア語名はヴィオラ viola に由来するからヴィオラはえらい?

  • ヴァイオリン violino = viola + イタリア語で縮小の意味を表す接尾辞 -ino = 小さなヴィオラ (Andante → Andantinoも同様)1
  • コントラバスのご祖先ヴィオローネ violone = viola + 増大の接尾辞 -one = 大きなヴィオラ(トロンボーン trombone は tromba らっぱ + -one で大きならっぱ)
  • チェロ violoncello =大きなヴィオラ violone + 縮小の接尾辞 -ello=小さな大きなヴィオラ

ここまではご存知の方も多いと思いますが、残念ながらこのヴィオラは中提琴ではありません。ヴィオラやヴィオールという言葉は、中世以来ヨーロッパで、弓で音を出す擦弦楽器の総称として使われました。16世紀の始めに、ヴィオラ・ダ・ガンバ属とヴィオラ・ダ・ブラッチオ属に分かれ、後者がヴァイオリン属を形成していきます((31) 仲間はずれはだれ?参照)。中提琴はえらい……わけではありませんでした。

2. 音響学的に不利だからヴィオラはえらい?

まず音域を考えてみましょう。単純に言うとヴィオラは、ヴァイオリンのE線を取り去ってあとの3本を残し、下にC線を加えたような楽器。ヴィオラの最低音はヴァイオリンより5度低くなります。一方チェロはヴィオラと同じ「どそれら」調弦。最低音はヴィオラよりも1オクターヴ、つまり8度低いのです。

次に楽器の大きさを思い浮かべてください。チェロはヴィオラに比べてずっーと大きいのに、ヴィオラとヴァイオリンの差はわずか。8度の音程差でチェロがヴィオラよりあれだけ大きいのなら、5度の音程差があるヴィオラだって、本当はヴァイオリンよりかなり大きいはずですよね。

ヴァイオリンと音響学的に同等のヴィオラを作るとすると、ネックを除く本体の長さが約 53cm 必要だそうです2。低音弦も豊かに美しく響くこの理想的なサイズは、しかしながら腕に対して長過ぎて演奏不可能。だから、現在の約40cmほどの大きさに押し込んでいるのです。楽器構造上の無理は、ヴィオラの音色や音量に影響します。それでも、本来の大きさの楽器から輝かしく力強い音色を奏でるヴァイオリンやチェロに、渋い音色で対抗しているのだから、ヴィオラはえらい!!……かも。

3. 重視されなかったバロック時代を生き抜いたからヴィオラはえらい?

バロック時代、アンサンブルにおいてヴィオラがソロとして扱われるのは(フーガを除くと)非常に稀でした。また、17世紀以降、数えきれないほどのヴァイオリン協奏曲やたくさんのチェロ協奏曲が作られた一方で、最初のヴィオラ協奏曲がテレマンによって作られたのは1740年頃。しかもこの時代のヴィオラ協奏曲は、他にわずか3曲だけなのだそうです3

バロック時代には、同じ音域の楽器2つによる独奏のかけあいを、通奏低音(この時代特有の伴奏体系)で支えるトリオ・ソナタと、独奏+通奏低音のソロ・ソナタが流行します。ヴァイオリンはしばしば独奏楽器として、チェロは通奏低音を担う楽器として重要でしたが、ヴィオラには出番がありませんでした4。ヴィオラの個性が求められるようになったのは、ハイドンやモーツァルトによって、弦楽四重奏曲が声部均等に(部分的にせよ)作られるようになってから。長い間、廃れず地味に存続し、「誰かの為の旋律」(槙原)を歌うようになったヴィオラはえらい……。

というわけで生涯一提琴さん、「ヴィオラはえらい」ではなく「ヴィオラは健気!!」という結論になってしまいました。どうぞご了承ください。

  1. 女性形は -ina。他に -etto(女性形 -etta)も縮小の接尾語。Allegro → Allegretto など。
  2. Boyden & Woodward, “Viola” in The New Grove Dictionary of Music, vol.26 (Macmillan, 2001), p. 687.
  3. 同 p. 691。他の3曲は、J. M. Dömming、A. H. Gehra、G.Graun の作(実はグラウン以外は初めて見た名前です)。この4曲以外のほとんどは、他の楽器のための協奏曲のアレンジ。以前ヘンデル作とされたロ短調の協奏曲のように、後世の人(この場合はヴィオラ奏者アンリ・カサドシュ)がバロック風に作ってしまった作品もありました。
  4. 場合によってはヴィオローネやコントラバスも、通奏低音楽器としてソナタに参加しました。
06. 7月 2011 · (36) ドボコンに込められた想いを読み解く はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

ドヴォルジャークのチェロ協奏曲(以下ドボコン)には、彼の歌曲《ひとりにして》が使われています。アメリカで、妻アンナの姉ヨゼフィーナが重病と聞いた彼は、ドボコン第2楽章の中でヨゼフィーナが好きだった《ひとりにして》の旋律を引用しました1。これを奏でる独奏チェロは、molto espressivo(非常に表情豊かに)と指示されています(譜例1参照)。

第2楽章43小節目アウフタクトから独奏チェロ

譜例1 第2楽章 43小節目アウフタクト〜

ヨゼフィーナが1895年5月に亡くなった後、彼は第3楽章コーダを変更。ここでも《ひとりにして》を引用するように書き直しました。ドヴォルジャークは若い頃、女優の卵だったヨゼフィーナに片思いしていたのだそうです。ドボコン解説でよく紹介されるエピソードです。

“Lasst mich allein” というタイトルは、確かに「私をひとりにして」という意味ですが、いったいどんな歌曲なのだろうかと、以前から不思議に思っていました。まさか、好きだとうちあける男の人に対して、放っておいてと拒絶する女性の心情を歌った曲ではないですよね(もしもそんな内容だったとしたら、それを引用するなんてドヴォルジャーク、自虐的過ぎますから)。というわけで、この歌曲について調べてみました。

《ひとりにして》は、1887年末からわずか2週間ほどで作曲された『4つの歌』op. 82 (B. 157) の第1曲。女流詩人オティリエ・マリブロック=シュティーレルによるドイツ語の詩(各4行5連)には、彼を想い焦がれる乙女心が描かれています(下に全訳をあげました)2。「ひとりにして」欲しいのは、「彼の面影を夢に見られるように、彼の面影と共にいられるように」という理由でした。納得!

ドヴォルジャークは最後の第5連を繰り返すことで前半3連、後半3連の構成にし、かなり抑制のきいた音楽を付けています。人知れず燃える想いを象徴するような、静かな分散和音の短い前奏に導かれて、第1連はsotto voceで(声をひそめて)歌い出されます。次第にクレッシェンドして高揚しますが、すぐに引いていきます。

冒頭よりさらに静かな pp で第2連が始まります(pp でこのオクターヴ跳躍を歌うのは、すごく難しそうですね)。前半の旋律は、第1連と同じ。ただ、ロ長調だった第1連に対し、第2連はロ短調です。後半は少しずつ音高も音量も上がり、ff の最高音で歌われる「allein」が前半のクライマックスになります。第3連の旋律線も、それまでと同様に順次進行を多用しながらゆるやかな弧を描き、最後は瞑想するように lasst mich allein を3回繰り返しながら ppp まで静まって一段落。後半3連は、前半3連と同じ音楽で歌われ、まるで祈るようなピアノの後奏が、静かな余韻を残します。

ドボコン第2楽章で引用されるのは、短調に転じた第2連前半の旋律です3。ここで歌われている歌詞は:

私をひとりにしておいて! あなたたちの騒々しい言葉で
私の胸のうちの平安を乱さないで

ふむふむ……。同じ旋律が使われる第5連の歌詞は(譜例2参照):

私をひとりで夢見させたままにして!
彼は私を愛していると言ったのよ! 深い静けさを私に残したままにしておいて

こちらかな。ドヴォルジャークは昔好きだった女性と、彼女が好きだった曲の中の主人公をオーバーラップさせ、他の人にはわからない彼女の熱烈な愛の独白を、独奏チェロで再現させたのではないでしょうか(作曲家の特権ですね)4

《一人にして》39小節アウフタクトから

譜例2 《ひとりにして》39小節アウフタクト〜(クリックすると拡大します)

一方、彼女の死後に書き直した第3楽章コーダでは、第1節(第4節)の長調の旋律が引用されます(468小節〜)。「私にひとりで夢を見させて」という歌曲の冒頭部分を、ヨゼフィーナの言葉としてもう一度思い起こしているのでしょう。ヴァイオリンの独奏にしたのは、「ひとりで」を象徴するためですよね5

チェコ語で歌われた《ひとりにして》、しみじみ素敵です6。ヨゼフィーナを失った悲しみ、彼女の友情に対する感謝、思い出をドボコンに織り込んた小さな喜びなど、ドヴォルジャークの様々な想いを想像してしまいます。

ひとりにして Lasst mich allein

Op. 82 (B. 157), no. 1(Malybrok-Stieler 詩、nyanKo.iwa 訳)

私にたったひとりで夢を見させて、
私の心の恍惚を妨げないで、
私が彼を見てからというもの心に満ちている
すべての幸せ、苦しみをそのまま放っておいて!

私をひとりにしておいて!
私がどこにいても彼の姿を見、彼の声を聞けるように
あなたたちの騒々しい言葉でこの胸の平安を乱さないで!
私を光り輝く彼の面影と二人っきりにしておいて!

私の心を満たす魔法について、訊かないで!
彼の愛、ただ私だけ、私ひとりだけに向けられた愛のおかげで
私が感じているこの上ない幸せは
あなたたちにはどうせわからない。

焼け付くような苦しみ、燃え盛る魅力の
重荷と共に、私を置き去りにして、
そして私の哀れな心よ、あなたをあなたたちに押しつぶして欲しい。
私の心よ、あなたはひとりぼっちで、愛する人から受け取ったものを耐えるのよ。

私をひとりにして、夢を見させておいて!
彼は私を愛していると言ったのよ! この言葉が私にもたらした深い静けさを、
言葉と切り離して私に残したままにしておいて!
憧れのあまり、魂は焦がれ消えゆきそう。

  1. ドヴォルジャークは若い頃、ヴィオラ奏者の収入を補うために2人にピアノを教えていました。
  2. 歌詞を的確に訳してくださった nyanKo.iwa さんに、心から感謝します。
  3. 全音出版のミニチュア・スコアでは、冒頭第1連(長調)の旋律が譜例に使われています。
  4. 追記(2011/07/11):これについては改めて書きたいと思います。
  5. このような個人的な含みを考慮に入れなくても、このコーダ部分は、先の楽章を回想しながら締めくくる循環形式と解釈できます(循環形式については、改めて書きます)。本人も公には「フィナーレはだんだんとディミヌエンドで終わります――第1楽章と第2楽章を思い出しながら」と語っています。
  6. チェコ語版の楽譜は、《孤独な私の魂に》というタイトルで『ドヴォルジャーク声楽作品集』(匂坂恭子編、全音楽譜出版社、1995年)に収められています。