01. 5月 2013 · (131) シュタインヴェークからスタインウェイへ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

聖光学院の新講堂に設置された、スタインウェイのフル・コンサート・グランド。先日行われた聖フィル定演のピアノ協奏曲で使われたのはもちろん、3月のスプリング・コンサートや先週末の聖光祭で、生徒さんたちが演奏しました。いいなぁ。私も弾きたい……。今回は、良い(すごく良い)ピアノの代名詞であるアメリカのピアノ・メーカー、スタインウェイ Steinway & Sons の歴史について。

ハインリヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェーク(1797〜1871)は1825年頃、ドイツのゼーセンでピアノ作りを始めました1。1840年代には、毎年に10台以上、生産していたようです。1949年に次男をアメリカに送り、ビジネスの可能性を探らせた上で、翌年家族8人で移住。次男と合流します。既にドイツで四半世紀もの間ピアノを製作し、高い評価を得たにもかかわらず、ハインリヒと息子たちは3年間、ニューヨークのピアノ・メーカーで働きました。彼らはこうして英語を身につけ、アメリカのビジネスや商取引の慣習も学んだのです。

1853年3月5日に Steinway & Sons を設立。当時、アメリカで最も普及していたスクエア・ピアノ(文字通り長方形のピアノ。現在のグランド・ピアノを短く切った感じ)から作り始め、1856年にグランド・ピアノ、1862年にはアップライト・ピアノの製造も始めました(スクエア・ピアノは1888年で製造終了)。会社名にわざわざ書かれているように、「息子たち」も重要な役割を果たしました。カール(アメリカではチャールズ)、ハインリヒ(ヘンリー)、ヴィルヘルム(ウィリアム)、アウグスト(アルバート)、始めゼーセンに残った長男のテオドール(セオドア。1865年に渡米)の新しい技術開発と商才で、会社はどんどん拡大していきます。1866年には最初のスタインウェイ・ホール(約2000席!)も建てられ、アメリカにおける文化の中心地の1つになりました。

図1、スタインウェイ&サン、The Instrument of the Immortals キャンペーン広告の1つ

図1:Steinway, The Instrument of the Immortals 広告の1つ(ヨゼフ・ホフマン、1924)

宣伝方法も洒落ていました。有名ピアニストたちにスタインウェイ・ピアノの良さをコメントしてもらったり、人気雑誌に The Instrument of the Immortals(神々の楽器)のシリーズ広告を載せたり(図1参照)。また、一流ピアニストの国内演奏ツアー(たとえば、1873年から翌年にかけて、ルビンシュタインがアメリカ国内で行った215回のコンサート・ツアーや、1892年から翌年にかけての、パデレフスキーの75回のツアーなど)のスポンサーを引き受けています。

大恐慌や第2次世界大戦を乗り切ったものの、1972年にCBSに売却され、さらに個人投資家などを経て1995年にセルマーの傘下に入りました。現在スタインウェイ&サンズでは、同社設計の廉価ブランドを2つ持っています。中級者用モデルの「ボストン」は日本のカワイ楽器製作所で生産されており、さらに廉価な初心者用モデル「エセックス」 は、中国の广州珠江钢琴集团有限公司で生産されています。

社名である一族の名字は、ドイツ語のシュタインヴェーグ Steinweg から英語のスタインウェイ Steinway に。ドイツ語で「道」の意味である Weg を英語の way に替え、シュタインの発音は英語式のスタインになりました。でも、なぜ前半は発音しか変えなかったのでしょうね。シュタインはドイツ語で「石」の意味。Weg を way にしたように Stein も英語の stone に変えていたなら、「Stoneway & Sons」だったはずです。Weg という単語と違って、Stein という単語は英語に存在するからでしょうか(「ビール用陶製ジョッキ」の意味だそうです)。石はピアノと関係ありませんから、やはりストーンウェイよりもスタインウェイのほうが、ピアノの名前に向く感じがしますね。

  1. Hoover, Cynthia Adams, “Steinway” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 24. Macmillan, 2001, pp. 344-45.