23. 2月 2012 · (69) ブルッフが使ったスコットランド民謡(2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

前回に続き、ブルッフが《スコットランド幻想曲》の正式なタイトルに、民謡の旋律を「自由に」用いたと書き添えた理由を考えます。第1楽章でブルッフは、《Thro’ the Wood, Laddie(森を抜けながら、若者よ)》の旋律を、ほぼそのままの形で引用していましたね。

第2楽章に使われた民謡は、《The Dusty Miller(粉まみれの粉屋)》。「ヘイ、粉まみれの粉屋、上着も粉まみれ、1シリング儲けるか、4ペンス使うか。上着も粉まみれ、顔も粉まみれ、あたしにしたキスも粉まみれだった」と歌っています。ブルッフのネタ本『音楽博物館』よりも前に出版された、『Compleat County Dancing Master(完全な上流階級のダンスの先生)』による《粉まみれの粉屋》の楽譜を、譜例1に挙げます。

譜例1:《The Dusty Miller(粉まみれの粉屋)》『Compleat County Dancing Master, 4th ed.』(London, c. 1740)より

譜例1:《The Dusty Miller(粉まみれの粉屋)》『Compleat County Dancing Master, 4th ed.』(London, c. 1740)より

2小節目はここでは「レララドシラ」ですが、『音楽博物館』では「レララシラソ」だそうです1。ブルッフは民謡の前半を、ほとんどそのまま使ったのですね。後半では、オクターヴ跳躍を含む全体の輪郭を保ちつつ、1、3小節目の上向ラインや最後の部分に華やかさを加えています。

第3楽章で使われた《I’m a’ doun for lack o’ Johnnie(ジョニーがいなくてがっかり)》は、『音楽博物館』ではなく『Songs of Scotland (スコットランド歌集)』が出典2。でも、この曲の古い楽譜は見つけられませんでした。

独奏ヴァイオリンとハープが歌い出す第4楽章の旋律は、《Scots wha hae wi’ Wallace bled(ウォレスとともに血を流したスコットランド人よ)》です。1314年にイングランド軍を破り、スコットランドの独立を認めさせたスコットランド王ロバート・ザ・ブルースの行進曲として使われた旋律。ウォレスは愛国者の名前で、「ブルースに導かれたスコットランド人よ、死の床すなわち勝利へようこそ。今日こそはその日の、今こそはその時。戦線はすぐそこまで来た。エドワード2世の軍勢が我々を奴隷にしようと鎖を持って近づいて来る」という内容です。

譜例2は、『Scots Minstrelsie』からの楽譜(それに近い演奏の動画を添えます)。あれあれ、終楽章冒頭の旋律は、譜例2の右ページ部分ですね。ブルッフはそれに続けて歌の最初の2小節を2度繰り返し、残りのクライマックス部分を書き加えています。悲壮な詞の内容にふさわしい、民謡のマエストーソ(荘重に)の雰囲気も一変。グエリエーロ(戦争のように)という形容詞が使われた終楽章は、戦争と言ってもまるで勝ちどきの声のよう。スコットランドの誇りを歌い上げています。

譜例2:《Scots wha hae wi’ Wallace bled(ウォレスとともに血を流したスコットランド人よ)》前掲書より

譜例2:《Scots wha hae wi’ Wallace bled(ウォレスとともに血を流したスコットランド人よ)》『Scots Minstrelsie』vol. 2(Edinburgh, 1893)より

民謡を「自由に」用いたと書き添えた理由は、第4楽章にありそうですね。彼は、この民謡をほとんど作り直してしまっています。既存の曲にもとづいて作曲する場合、曲の後半部分を前半として利用するというようなことは、まずありません。また、第1、第2楽章の引用のように原曲を尊重したり、第4楽章のように雰囲気まで大きく変えたり、さじ加減を「自由に」選択したという意味も込めたのかもしれません。

ブルッフは「一つのすぐれた民謡の旋律は200の芸術作品よりも価値があるものだ」と語っているそうです3。伝統的な音楽を重視するグループに属していたブルッフ((4) ブラームスの同時代人 ブルッフ参照)にとって、民謡は、創作のインスピレーションを得る源であると同時に、彼独自の音楽世界を形作るための手段だったのですね。

  1. Rod Smith によるネットの Folk and Traditional Song Lyrics の情報より。
  2. エディンバラ、1848〜49年出版。
  3. デイヴィッド・グレイソンによる五嶋みどりのCD解説(渡辺正訳)。
16. 2月 2012 · (68) ブルッフが使ったスコットランド民謡(1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

第6回聖フィル定期演奏会では、第4回に引き続き川畠成道先生をお迎えします。今回、2曲共演していただくうちの1曲が、ブルッフの《スコットランド幻想曲》。正式なタイトルは《スコットランド民謡の旋律を自由に用いた、ヴァイオリン独奏と管弦楽とハープのための幻想曲》。バグパイプと並んでスコットランドの人々に馴染み深い、ヴァイオリンとハープを前面に押し出した曲です。

考えてみるとこのタイトル、くどいですよね。古典派以降の「幻想曲」は、ソナタ形式などの定型を使わない、自由に作られた曲のこと。ロマン派の時代には、ポピュラーな旋律にもとづく即興的な音楽を、幻想曲と名付けることもありました(たとえばリストは、《〈魔弾の射手〉の主題による幻想曲》S. 451などのピアノ作品を作っています)。「自由に」作るのが当たり前の幻想曲のタイトルに、わざわざ民謡を「自由に」用いたとブルッフが書き添えたのは、なぜでしょうか。

彼が、どの曲をどのように引用しているかを見てみましょう。スコットランド民謡と言えば、日本でも《蛍の光 Aule Lang Syne》や《故郷の空 Comin’ Thro’ The Rye》がおなじみですね。ドイツ人ブルッフ((4) ブラームスの同時代人 ブルッフ参照)のネタ本は、スコットランドの曲が600近く収められた『The Scots Musical Museum(スコットランド音楽博物館 )』(残念ながら、表紙すら画像が見つけられませんでした)1。これを使って、声楽とピアノ用の《12のスコットランド民謡》も作っています。

日本楽譜出版社ミニチュア・スコアの解説や、音楽之友社の名曲解説全集、日本語版ウィキペディア、多くのCD解説には、《スコットランド幻想曲》序奏部に続く第1楽章で、《Auld Rob Morris(年とったロブ・モリス)》が引用されると書かれています。譜例1は、『音楽博物館 』のほぼ1世紀後に出版された『Scots Minstrelsie(スコットランドの吟遊詩人の歌)』に収められた楽譜(譜例はいずれもクリックで拡大します)。

譜例1:《Auld Rob Morris(年とったロブ・モリス)》Scots Minstrelsie(Edinburgh, 1893)より

譜例1:《Auld Rob Morris(年とったロブ・モリス)》Scots Minstrelsie(Edinburgh, 1893)より

あれあれ、第1楽章の旋律とは全然違います。実は、引用された民謡はこれではなく、《Thro’ the Wood, Laddie(森を抜けながら、若者よ)》なのです。英語版 Wikipedia のように、この2曲は歌詞が異なる同じ曲と書かれているものもあります(3拍子ではあるものの、全く別の曲です。譜例2参照)2。このような誤りが広く流布している状態は、早く正されなければなりませんね。

《森を抜けながら、若者よ》では、「おおサンディ、なぜあなたのネリーが嘆くままにしておくの? 何も喜ばしいことがない時に、あなたがいれば私は救われるのに。小川のほとりで、森を抜けながら、私は溜め息をつく、若者よ、あなたが戻るまで」と歌われます3。譜例2は、『音楽博物館』より早い時期に出版された『A Collection of Scots Tunes(スコットランド歌曲集)』に収められた楽譜。ブルッフが《森を抜けながら、若者よ》の冒頭を、ほぼそのまま引用したことがわかります。

この旋律は、第1楽章だけではなく、第2楽章と第3楽章のつなぎの部分と、第4楽章のコーダでも回想されます(循環形式)。曲全体を統一する大事な主題として、民謡をオリジナルに近い形で使ったのですね。でも、これならタイトルに「自由に」と書き添える必要は無いはず……。まだ謎は解けません。第2楽章以降については (69) に書きます。

譜例2:《Thro’ the Wood, Laddie(森を抜けながら、若者よ)》A Collection of Scots Tunes(Edinburgh, 1742)より

譜例2:《Thro’ the Wood, Laddie(森を抜けながら、若者よ)》A Collection of Scots Tunes(Edinburgh, 1742)より

  1. 全6巻。エディンバラ、1787〜1803年出版、1839年と53年に再版。
  2. ネットの The Mudcat Café 中の、masato sakurai のコメントを参考にしました。
  3. 以下、歌詞は全て、デイヴィッド・グレイソンによる五嶋みどりのCD解説の、渡辺正の日本語訳からです。