04. 8月 2011 · (40) 変更された《未完成》第1楽章コーダ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

コーダはイタリア語で「しっぽ」のこと1。曲の最後の締めくくり部分を指します。たとえば、《未完成》交響曲第1楽章のコーダは、チェロ&バスによる序奏部メロディーの回想から最後まで。シューベルトは、地の底から響いてくるようなオープニング部分を、再現部の導入には使わずにコーダに取っておいたんですね。憎い演出です。

譜例1の《未完成》ピアノ・スケッチ第1楽章コーダ部分(2小節目〜)を見ると、シューベルトがオーケストレーションするときに、この部分を大きく変更したことがわかります2。まず長さが違いますね。スケッチのコーダ、短いでしょう。現在のコーダは41小節ですが、スケッチでは24小節しかありません3

譜例1 《未完成》ピアノ・スケッチ第1楽章コーダ2小節目〜

譜例1 《未完成》ピアノ・スケッチ第1楽章コーダ2小節目〜

何よりも驚かされるのは最後の音。譜例1の2段目を見てください。5小節目から、ロ短調の主和音し-れ-♯ふぁ(このような暗い響きの三和音を、短三和音と言います)が、p から2小節間クレッシェンドし、次の2小節で からデクレッシェンドします。次に最後の和音が3小節続きますが、 pp の右隣にあるのは……なんと♯です!  左手パートにも♯。つまり、スケッチ段階でシューベルトは、《未完成》第1楽章をし-♯れ-♯ふぁの響き(こちらは長三和音と言います)で終わらせるつもりだったのです。

16世紀には、短三和音を主和音にする曲(ルネサンス時代には、まだ長調も短調も存在しなかったため、このようなややこしい表現になります)の最後の和音に♯を付けて、そこだけ明るい響きにすることがよくありました。この半音上げた音を、「ピカルディーの3度」と呼びます。聴いていると、曲の最後でふわっと浮き上がるような印象を受けます。

この習慣はバロック時代でも引き続き用いられましたが、古典派の時代にはあまり使われなくなりました。シューベルトもオーケストレーションの際、放棄しています4。さらに、強弱も変更。スケッチの最後の和音は、すでに述べたように pp と指示されていますから、第2楽章のみならず第1楽章も、静かに終わるつもりだったのですね……。弾く立場からすると、シューベルトが 第1楽章コーダをff で終わるように書き直してくれたのは、とてもありがたいと思うのですが、いかがでしょうか。

  1. 12/01/11追記:「シューベルトもコーダを変更した!」から改題。
  2. Franz Schubert: Sinfonie in h-Moll “Die Unvollendete”: vollständiges Faksimile der autographen Partitur und der Entwürfe. Emil Katzbichler, c1987. ドヴォルジャークもコーダを変更しました。(36) ドボコンに込められた想いを読み解くと、(38) ドボコンを読み解く試み その2を参照のこと。
  3. 続けて書かれた第2楽章のスケッチは、ほぼそのまま使われています。スケッチ2段目と3段目の間に、2小節分の音楽が加えられましたが、斜めの線で消された3段目の4小節も、そのまま使われています。
  4. 実はこのスケッチの最後の和音は、《未完成》の「普通でないこと」の1つを、部分的に説明してくれます。シューベルトは第1楽章のロ短調に続けて、ホ長調の第2楽章を書きました。これは実は、とても大胆な調選択です。でも、第1楽章をロ長調の和音で終わらせるつもりだったとすると、その大胆さがかなり薄まるのです。ただ、第2楽章をホ長調で終えたあと、何のクッションも置かずに第3楽章が再びロ短調で始まるので、調選択が「普通でないこと」は変わらないのですが。

(32)《未完成交響曲》はなぜ未完成か?でふれたように、フランツ・ペーター・シューベルトが未完のまま残した交響曲は、ロ短調1曲ではありません。彼が生涯に手がけた交響曲の総数は13 (!) ですが、完成したのは7曲だけでした。

表1を見ると、初期の習作断片の後、6曲の交響曲がわずか4年半ほどの間に相次いで完成されたことがわかります(青字は完成されなかったもの)。これらは、シューベルトがヴァイオリンを弾いていたコンヴィクト(帝室王立寄宿制学校。彼は難関オーディションに合格し、1808年にウィーン宮廷礼拝堂の少年聖歌隊員になったので、質の良いギムナジウム教育を無料で受けることができました)の学生オーケストラの、主なレパートリーだったハイドンとモーツァルトや、ベートーヴェンの初期交響曲の影響が色濃く反映されています1

[表1 シューベルトの手がけた交響曲]
D番号 調 作曲年代 旧目録 新目録 特記 (I, II: 楽章)
1 2b ニ長調 1811年? 断片:Iのみ(以前は=D997)
2 82 ニ長調 1813年10月28日
以前
1 1
3 125 変ロ長調 1814年12月10日~
1815年3月24日
2 2
4 200 ニ長調 1815年5月24日~
7月19日
3 3
5 417 ハ短調 1816年4月27日
以前
4 4 悲劇的
6 485 変ロ長調 1816年9月~
10月3日
5 5
7 589 ハ長調 1817年10月~
1818年2月
6 6 The Little
8 615 ニ長調 1818年5月 スケッチ I & IV
9 708a ニ長調 1820年以降 スケッチ全楽章
10 729 ホ長調 1821年8月 7 スケッチ完成、スコア I:1/3
11 759 ロ短調 1822年10月 8 7 未完成》スコア I & II、
スケッチ III:途中
12 936a ニ長調 1828年秋? 10 スケッチほぼ完成(3楽章構成)
13 944 ハ長調 1825~8年 9 8 《The Great》(《グムンデン=
ガシュタイン交響曲》?)

その後、交響曲を完成できない時期が続きます。シューベルトはロ短調を含む4曲の交響曲を試みますが、ピアノ・スケッチによると調の選択や循環形式(近いうちにコラムで取り上げる予定です)のような構成など、時に野心的な内容を含む、前途有望な滑り出しであるにも関わらず、いずれも途中で放棄してしまいます。

しかし、独自の様式を探し求める彼の苦闘は、ハ長調《グレート》にみごとに結実しました。ベートーヴェンが多用した動機労作や、3度調転調を使いながらも、はるかかなたへ穏やかに投げかけるような冒頭の響きから既に、先人たちとは決定的に異なる世界。600曲を超える歌曲を作ったシューベルトの、「メロディー・メーカー」としての強みも最大限に活かされています。シューベルトはもう1曲、ニ長調交響曲のスケッチをほぼ仕上げているそうです2。この独自の世界をさらに押し進めようとしたのでしょう。

ところで、《未完成》や《グレート》には複数のナンバリングが存在するため、混乱が生じています。広く使われている番号は、ドイッチュが1951年に刊行した主題総目録によるものです。ピアノ・スケッチが完成しているホ長調が7番、ロ短調《未完成》が8番、《グレート》が9番でした。ところが、改訂された新目録(1978年)では、オーケストレーションを補わなければならないホ長調に番号を与えるのをやめ、ロ短調《未完成》を7番、《グレート》を8番に繰り上げたのです(上記表1の旧目録と新目録参照)。

次回の聖フィル定演のプログラムやチラシの表記、悩ましいところです。現行の目録に従って「交響曲第7番(従来8番)《未完成》」にするか、大多数のCDのように古いナンバリングを用いて「交響曲第8番《未完成》」にするか3。悩むくらいならいっそのこと、ドイッチュ番号とニックネームのみの「交響曲ロ短調 D 759《未完成》」とするか。そのような表記のCDも存在します4。この情報で十分ですし、シンプルでかえって良いかもしれませんね5

  1. 家で弦楽四重奏曲を演奏するときは、父がチェロ、兄たちがヴァイオリンを弾き、フランツはヴィオラを受け持っていました。彼の14人兄弟の中で、成人したのはフランツを含む5人だけです。
  2. この表は、Winter, Robert, “Schubert” in The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol.22 (Oxford Univ. Press, 2001) を基に、ドイッチュ番号順に並べてありますが、実際にはD936aは《グレート》より後に試みられたようです。
  3. 少ないながら、新番号が付けられたCDもあります。デイヴィス、ジュリーニ、スイトナーなどがドイツのオーケストラを振ったものなどです(スイトナー以外は輸入版)。
  4. 私が持っているブロムシュテットの《グレート》のCDには、ドイッチュ番号とニックネームしか書かれていません。
  5. 補筆された旧第7番ホ長調交響曲の中で最も有名なヴァインガルトナー版(1934)は、こちらから試聴できます:http://youtu.be/2j95oSmx0os(第1楽章は途中で途切れていて、最後の数分と第2楽章は http://youtu.be/gAFznN_Bq6Q に続きます)。シューベルトは亡くなる前にこの曲のピアノ・スケッチをほぼ仕上げ、第1楽章110小節をオーケストレーションしただけではなく、残りの部分もメロディー・ライン、時に低音パートや対位法的な処理などを、14段の五線紙に書き込んでいるそうです。
08. 6月 2011 · (32)《未完成交響曲》はなぜ未完成か? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

聖フィル♥コラムを書く時にいつも一番苦労するのは、短くまとめること。でも今回は、すごく短く仕上がりそうです。

問い: 第5回定演で取り上げる《未完成交響曲》はなぜ未完成か?
答え: わかりません。

おわり。

……というわけにもいかないので、このロ短調交響曲に関して「わかっていること」をまとめます1

  1. 表紙に、シューベルトのサインと、ウィーン、1822年10月30日と記入された自筆スコアを、アンゼルム・ヒュッテンブレンナーが1865年まで保有していた。このフル・スコアには1、2楽章全体と3楽章冒頭が書かれ、残りの五線紙は白紙。
  2. アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは1815年、ウィーン宮廷楽長サリエリの弟子になり、先輩弟子であるシューベルトと知り合った2
  3. シューベルトは1823年4月6日に、グラーツのシュタイアーマルク音楽協会の名誉会員に迎えられ、同協会の会員であったアンゼルムは同年9月に、ウィーンに住む弟のヨーゼフを介してシューベルトにその証書を届けた。
  4. シューベルトは1823年9月20日付の手紙の中で、シュタイアーマルク音楽協会に感謝し、「近いうちに自分の交響曲のスコアを送る」と述べた。
  5. ピアノ・スケッチが存在する3。最初の数ページは失われていて、1楽章は最後約1/3のみ。2楽章は完成稿とほとんど一致。3楽章のスケルツォは、譜例1の真ん中あたりや一番下の段に見られるように、ところどころ左手パートに空白があるものの、ほぼ完成。トリオは16小節しか書かれておらず、しかも右手のみ。
  6. その後、シューベルトの自筆スコアの続き(第3楽章スケルツォの10〜20小節。裏側は白紙)が発見された。第3楽章冒頭9小節が書かれたページの次のシートが切り取られていて、新しく見つかったシートの端は、スコアに残る部分と一致する。切り取ったのはおそらくシューベルト本人。スケルツォ冒頭の9小節は、第2楽章の最後が書かれた裏に書き込まれていたために残された4

譜例1《未完成》ピアノ・スケッチ第3楽章24〜100小節部分(クリックすると拡大できます)

シューベルトは《未完成》のスコアを、名誉会員資格の返礼として進呈したのでしょう。しかし、なぜお礼に未完の交響曲スコアを送ったのか、なぜ完成させなかったのかは、わかりません。

ピアノ・スケッチの途切れ方から、シューベルトは3楽章の作曲中に、突然中断したと推測されます。1楽章、2楽章とも3拍子で作曲し、3楽章スケルツォもやはり3拍子なので行き詰まったとか、書きかけの3楽章が凡庸で放棄したとか、2楽章までで完成していると考えてそれ以上作るのをやめたとか、いろいろな説があります(個人的には、いずれの説も説得力に欠けると感じます)が、確実なのは、映画『未完成交響楽』(1933)の名せりふ「わが恋の成らざるが如く、この曲もまた未完成なり」という理由ではないということくらいです。

偶然が重なって、スコアを渡した方も受け取った方も忘れてしまったのでしょうか。ロ短調という、当時のオーケストラ曲には非常に珍しい調を選択していることなど、野心的な作品を計画していたように思われます。実はこの時期、規模の大きな器楽曲は途中で放棄されたものが多く、未完成の交響曲もロ短調だけではありません。この続きは、また改めて書きます。

  1. Schubert: Symphony in B minor, Revised, ed. by Chusid. Norton, 1971.
  2. シューベルトがアンゼルムの弦楽四重奏曲第1番を主題にピアノ変奏曲を作曲(D573)したり、アンゼルムがシューベルトの《魔王》に基づくワルツ (!!) 作って出版したこともありました。アンゼルムが故郷グラーツに帰ってからも交流は続きます。
  3. 音楽におけるスケッチとは絵画におけるそれと同様に、メロディーなどのアイディアをラフに書き付けたもの。シューベルトの場合、完成された交響曲にはピアノ・スケッチは存在しません。
  4. Landon, Christa. “New Schubert Finds” MR, XXXI/3, 1970.