13. 4月 2016 · (276) 何が悲しくてなぜワルツなのか? 《悲しきワルツ》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

聖フィル第14回定期演奏会を聴きに来てくださった方々、どうもありがとうございました。名前とは裏腹に(??)しっかり現代的な《古典交響曲》、ほとんどの方が初めて聴いたであろう《エスタンシア》、メンデルスゾーンの最高傑作《スコットランド》、いかがでしたでしょうか? コラム恒例のアンコール・シリーズ、今回はシベリウスの 《悲しきワルツ》について。

短調でひっそりと終わるこの曲は、本来アンコールには向かないはず。指揮者の田部井剛先生が説明されたように、選ばれた理由は楽器編成。今回のプログラムは、3曲ともトロンボーン無し。アンコールもトロンボーンが無い曲になったのです。それにしても、フルート1、クラリネット1、ホルン2、ティンパニ(1個のみ)と弦楽器という不思議な編成はなぜ? 途中にフォルテの華やかな部分もあるのに、弦楽器は全て、最後まで弱音器をつけたままなのはなぜ? そもそも、いったい何が悲しくて、なぜワルツなの?

田部井先生が触れておられたように、《悲しきワルツ》は『クオレマ』という戯曲の、付随音楽の1曲に基づきます。義兄ヤンネフェルトが書いた『クオレマ』上演(1903年)は、成功しませんでした。シベリウスは翌年、6曲の付随音楽のうちの第1曲《Tempo di valse lente – Poco risoluto ゆっくりしたワルツのテンポで – 少し決然と》を改訂1。《悲しきワルツ》のタイトルをつけてヘルシンキで演奏しました。

オーボエ、ファゴット、トランペット無しという小編成は、劇付随音楽だったからですね。新しいタイトルの中の「悲しい」は、曲が悲しそうに始まって悲しそうに終わるからでしょう。それではなぜワルツで、しかもなぜ曲中で何度も雰囲気が変わるのでしょうか?

原曲 《ゆっくりしたワルツのテンポで〜》は、『クオレマ』第1幕の音楽。クオレマは「死」という意味で、第1幕では、主人公の母の死が描かれます。病で床についた女性が起き上がって、次々と現れる幻たちと踊るという内容2。音楽に合わせてワルツを踊るのですね。

曲は、シンプルでメランコリックに始まります。初めは1拍目のバスだけ。次に後打ちの和音、9小節目でもの悲しい主旋律が加わります。ゆっくりなのは、病人が踊っているからでしょう。途中で明るく弾んだ感じになったり、優雅になったり、元の静かで憂鬱な感じに戻ったり、急に活発になったりと、なんだか取り留めがないのは、ワルツのパートナーが変わっていくことを表しているのでしょうか。華やかな部分にも弱音器が外す指示がないのは、現実ではなく幻の華やかさであることを示しているのかもしれません。最後はヴァイオリン4つだけが残って3つの和音を弱奏し、余韻を残して終わります。

  1. Wikipedia 日本語版には義弟と書かれていますが、シベリウスは女男男の3人兄弟の真ん中。brother-in-low は義兄です。
  2. マイケル・スタインバーグによる解説。サン・フランシスコ響のホームページより。ワルツの踊るのは幻たちで、彼らは病気の女性を見ようとしないという説明もありました(Music With Ease やそれを引用した Wikipedia 英語版など)。
07. 10月 2015 · (254) どこへ行くのか? 組曲《カレリア》より《行進曲風に》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

聖フィル第13回定期演奏会を聴きに来てくださった方々、どうもありがとうございました。生誕150年のシベリウス、ほとんど聴く(弾く)機会の無い交響曲第6番はいかがでしたでしょうか? コラム恒例アンコール・シリーズ、今回はそのシベリウスの 組曲《カレリア》第3曲 《行進曲風に》 について。ピクニックに出かけるようなうきうきした曲ですが、いったいどこに行くための行進曲なのでしょうか?

図1:カレリア地方

図1:カレリア地方

フィンランド南東部、図1の緑色の部分がカレリア地方(クリックで拡大します)。南はバルト海に続くフィンランド湾、南東に大きなラドガ湖。すぐ近くには、帝政ロシアの首都サンクトペテルブルク(図1●印。フィンランドの首都ヘルシンキは、その西側にある一回り小さい●印です)。シベリウスは1892年、新婚旅行でこの地を訪れました。

翌1893年、カレリア地方の主都ヴィポリ(図1★印。英語ではヴィボルグ、フィンランド語ではヴィープリ、ヴィポリはスウェーデン語)の学生協会から、カレリア地方の歴史を描く野外劇の、付随音楽を委嘱されます。報酬は500マルク1。シベリウスの家賃半年分でした。劇の上演(11月13日)の際、シベリウスがオーケストラを指揮。序曲の後、13世紀から19世紀までの7つのタブロー(場面)が続きます。
    1. カレリア人たちの故郷、戦いのメッセージ。1293年
    2. ヴィポリ城の創設。1293年
    3. リトアニア公国のナリマンタス公爵がカキサルミ地方で税を取り立てる。1333年(カキサルミはラドガ湖のほとりの町。スウェーデン語ではケックスホルム、現在のプリオゼルスク。図1◎印)
    4. ヴィポリ城のカール・クヌートソン。バラード。1446年(カール・クヌートソンは後のスウェーデン王カール8世)
    5. カキサルミ前のポントゥス・ドゥ・ラ・ガルディ。1580年
    6. ヴィプリの包囲。1770年
    7. カレリアがフィンランド大公国に再統合される。1811年

初演約1週間後の自作品演奏会で、シベリウスは 《カレリア》 から8曲をオーケストラ用組曲にして、指揮。付随音楽と同じく、壮麗に編曲されたフィンランド国歌で締めくくられました。11月23日の演奏会では、序曲と3曲を演奏。この3曲が後に組曲《カレリア》作品11になります。第1曲 《間奏曲》 は、第3タブロ-の音楽。第4タブローが第2曲の 《バラード》 に。劇中カールは、吟遊詩人が歌うメロディーを聴くのですが、組曲では代わりにコーラングレが奏でます。第3曲 《行進曲風に》 は、第5タブローの音楽がほぼそのまま使われています。

最初の疑問(どこへ行くのか)に戻って。5曲目の説明に出て来るポントゥス・ドゥ・ラ・ガルディ(と発音するのかどうかはわかりませんが。Pontus de la Gardie)を調べてみました。フランス貴族(c.1520 – 85)。初めデンマークの傭兵になるが、スウェーデン軍隊に捕らえられた後はスウェーデンに忠誠を誓い、ロシアと戦って1580年にはカレリアを獲得……2。えええっ、つまりこれは戦争の行進曲?!?   ダッダダッダダッダダッダと続く付点リズムや、後半の盛り上がりが勇ましいのは確かですが、戦いに行くってこんなにうきうきするものだったの?!?3

中世のころから領有権が争われたカレリア地方。シベリウスがこの曲を作った当時はフィンランド大公国に属していました(国境線は、図1の点線)が、第2次世界大戦後、ヴィポリを含むカレリア地方のほとんどがソ連領に。現在の国境は図1の実線です。

  1. 以下、タブローの記述などもSibelius http://www.sibelius.fi を参考にしました。
  2. 無記名, ‘Pontus de la Gardie,’ Wikipedia 英語版。
  3. CD解説に “the Alla marcia followed a call to battle.”とあるので、凱旋行進曲ではないでしょう。Layton, Robert, ‘The Aristocart of Symphonists,’ Notes for Sibelius: The Symphonies, etc., Ashkenazy & Philharmonia Orchestra, Decca, p.12.
05. 8月 2015 · (248) シベリウスの沈黙 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

田部井剛先生って、とっさに答えられない質問ばかりするんです((195) ウクライナと音楽(199) 3拍子で始まる協奏曲(201) 練習番号Jが無い理由(207) 6/8拍子で始まる交響曲(226) 指揮棒を最初に使った指揮者(227) 指揮棒とリュリなど参照)。先日の聖フィル練習で、またもや、難問が飛んで来ました。シベリウスが最後の30年くらい、何も作曲しなかったのはなぜか?! 4年前 (43) シベリウスと《フィンランディア》を書いて以来のご無沙汰(1865年生まれですから今年生誕150年。でも、西洋音楽史の講義ってアニヴァーサリー・イヤーとはあまり関係無いのです)。彼が長生きしたことくらいしか覚えていなかった私。

ジャン・シベリウスは、10月の定演で取り上げる交響曲第6番op. 104を1923年、交響曲第7番op. 105を翌1924年に完成。1925年に劇付随音楽《テンペスト》op. 109、1926年に交響詩《タピオラ》op. 112を発表した後、1957年に91歳で亡くなるまで、大きな作品を発表していません。

1927〜32年は、鬱状態と自信の衰えによる危機的な時期1。指揮活動を辞退し、人前に出るのを避けるように。ただ、作曲を完全にやめたわけではありません。フリーメイソンの儀式用音楽(男声合唱とハーモニウムまたはオルガン、op. 113、1927)、ピアノ小品集《5つのスケッチ》(op. 114、1929)、ヴァイオリンとピアノの小品集(op. 115は4曲、op. 116は3曲。いずれも1929年)を完成しています。

人々が待ち望んでいた新作交響曲。シベリウスは、1931年に第8番についてオリン・ダウンズに、「もうすぐ出版する準備ができる、他にもいくつかの新曲が頭の中にある」と書きました2。1933年に、多楽章構成の交響曲がほぼ完成。シベリウスは夏の終わりに、第1楽章と思われる1束23ページの楽譜を写譜屋に送り(写譜屋の請求書が現存)、このあとにもう7束続くと知らせました。でも、何も送られず。後にシベリウスの妻アイノは、1940年代半ば(ひょっとすると1945年)に夫が、洗濯籠に入った自筆譜を自宅の居間のストーヴの火に投げ入れていたと伝えます。第8番交響曲の楽譜ひとそろいも、このとき燃やされた?!

シベリウスが作品を発表しなくなった理由は、いくつか推測できそうです。第1に、必要無かったこと。彼は既に国際的な評価(特に北欧とイギリス、アメリカで)も終身年金も得ていました。第2に、交響曲第8番のいきさつにも現われているように、自分に厳しく批判的になり、自作になかなか満足できなかったこと。そして第3に、周りでは新しい音楽が作られていたこと。1930年代以降、シベリウスは多くの時間を、自宅のラジオの前で過ごしたそうです3。十二音技法などを用いたアヴァンギャルドな音楽((97) ドレミが平等社会だったら参照)、自分の世界とは異質な音楽を、彼は聞き知っていたに違いありません。

亡くなるまで約30年間、新作をほとんど発表しなかったシベリウス。彼の自宅の地名を付けて「ヤルヴェンパーの沈黙」と呼ばれます。残念ではありますが、賢明な選択だったような気もするのです。

  1. Hepokoski, James, ‘Sibelius,’ The Grove Dictionary of Music, 2nd ed., 23, Macmillan, 2001, p. 338.
  2. 同上。
  3. 神部智『シベリウス:交響詩《フィンランディア》ミニチュア・スコア解説』、音楽之友社、2010、p. xiv.
24. 8月 2011 · (43) シベリウスと《フィンランディア》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

フィンランドを代表する作曲家シベリウス(1865〜1957)は、父方、母方双方にスウェーデン人の血が混ざっていて、エリート層の言語でもあったスウェーデン語で育ちました1。しかし、1890年から1年間のウィーン留学中にフィンランド語の文化に傾倒し始め、後に、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』を題材に、数々の作品を生み出すことになります。

12世紀以来のスウェーデン統治から離れ、1809年からロシア帝国の支配下に置かれたフィンランド。スカンディナヴィア半島の根元に位置するこの国は、超大国ロシアと地続きです。皇帝ニコライ2世は1899年に2月宣言を発布し、自治権を剥奪。言論や集会が制限され、フィンランド最大の新聞が休刊に追い込まれます。表現の自由を奪われたジャーナリストたちは、同年11月に『歴史的情景』という愛国的な舞台劇の上演を企画。シベリウスはその音楽を担当しました。

翌1900年、パリ万博でのヘルシンキ・フィル公演が決定。このヨーロッパ遠征公演用に既作の改訂を進めていたシベリウスに、匿名の手紙が届きます2。公演を飾る序曲のような音楽を作り、「それに『フィンランディア』という名前を付けるべきだ」という内容でした。『フィンランディア』とは、「フィンランドを賞賛する」という意味です3

シベリウスは新しい曲を作らずに、『歴史的情景』の付随音楽の最終曲《フィンランドは目覚める》を、交響詩に改作します。曲が象徴する内容と、この挑発的なタイトルが結び付いたのでしょうか。ただ、ロシア当局の厳しい検閲のため、初演(遠征の壮行会)ではフィン語でフィンランドを指す《スオミ》、遠征先ではさらに無難な《祖国》というタイトルにせざるを得ませんでした。《フィンランディア》の名は、1901年2月10日のヘルシンキ・フィル演奏会で使われ、定着したそうです4

支配国ロシアの圧力と、それにさらされるフィンランドの絶望を表すような、金管楽器による重苦しく威圧的な音楽で始まる《フィンランディア》。長調に変わると、勇壮で伸びやかな勝利の歌が何度も繰り返され、さらにその後、喜びを静かに噛みしめるような「賛歌」の旋律が、木管楽器により浮かび上がります5。この「賛歌」の冒頭を金管楽器が高らかに歌い上げて、曲が閉じられます6

心に留めておいていただきたいのは、この曲が作られた時点ではまだ、フィンランドは独立国家ではなかったという事実です。フィンランドが独立したのは、ロシア革命により帝政が倒れた1917年のことでした。《フィンランディア》は、ロシアの支配に従うことを余儀なくされていた国民に、フィンランドの誇りを訴え、士気を鼓舞し、輝かしい勝利のイメージを与え続けたのです。

  1. Hepokoski, James, “Sibelius” in The Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 23 (Macmillan, 2001), p. 319.
  2. 神部智『シベリウス:交響詩《フィンランディア》ミニチュア・スコア解説』(音楽之友社、2010)、p. vii。
  3. 同書、p. iii。
  4. 同上。
  5. 後に合唱曲《フィンランディア賛歌》に改編されるこの旋律は、同じフィンランドの作曲家エミール・ゲネッツの合唱曲《目覚めよ、フィンランド》(1882)に影響されたと考えられます。Hepokoski, p. 328.
  6. この現行版まで、シベリウスはコーダを2度改訂しています。