09. 4月 2014 · (180) 自由なソナタ形式とは はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

サン=サーンスの交響曲第3番ハ短調作品78《オルガン付き》の第1楽章第1部(この曲は2つの楽章から成りますが、それぞれ2部に分かれているので、実質的には伝統的な4楽章構成です)は、「序奏付きの自由なソナタ形式」と説明されます1。自由じゃない通常のソナタ形式とどこが違うのでしょう?

提示部で提示された第1主題と第2主題の2つが、展開部を挟んで再現部で再現されるソナタ形式。《オルガン付き》のように主調が短調のときは、第1主題が主調で提示された後、第2主題は新しい調、通常は長調である平行調で提示されます。再現部では両主題とも主調で再現されるのが基本でしたが、ベートーヴェン以降、第2主題がやはり長調である同主調で再現されるのがスタンダードになりました((88) さらに刺激的(!?)に:ソナタ形式の変遷参照。平行調や同主調については(77) 近い調、遠い調参照のこと)。短調と長調のコントラストを、提示部だけではなく再現部でも楽しめるようになったのでしたね。

《オルガン付き》を分析してみましょう。アダージョ11小節の序奏の後、アレグロ・モデラートですぐに始まる不安げな第1主題は、主調のハ短調。この第1主題は展開部の後、ハ短調で再現されます。p から ff に音量が変わり、木管楽器による対旋律が加わり、短縮される(3つともよく使われる「手」。全く同じに再現させるのではあまりにも芸が無いので)ものの、第1主題が再び主調で戻るので、弾いていて「ただいまー!」という感じ((66) 再現部は「ただいま」の気持ちで参照)。最も基本的な点は定型どおり。

ただ、第2主題が問題。変ニ長調で提示されるのです。主調(ハ短調)からも平行調(変ホ長調)からも2度調の、遠い調への転調ですね。しかも、この第2主題が「ただいま」するときには、ヘ長調。もしも本来の同主調のハ長調で再現されれば、最初に(提示部で)びっくりさせられても、「さっきの遠い調での提示は、ちょっとしたジョークだったのか」と笑って済ますことも可能(?!)ですが、これでは無理。しかも、9小節後から第2主題が繰り返されるときは、♯4つの、ものすごく遠いホ長調に(これも2度調)。

というわけで、自由じゃないソナタ形式と同じなのは、2つの主題が提示・再現されること、第1主題は主調で提示・再現されること、第2主題は長調で提示・再現されること、展開部も存在すること。異なるのは、第2主題が本来の平行調ではなくその遠隔調で提示され、同主調ではなくその下属調で再現されること。それに、主調で終わらないこと。♭3つの短調で始まり、実質的には♯4つの長調で静まります。この後、♭5つの変二長調の第2部(第2楽章に相当)に切れ目無く続くという、特殊事情によるのですが。

古典派においても、ソナタ形式の定型から部分的に外れるのはそれほど珍しいことではありません。ロマン派では、むしろ定型どおりに作曲するのは「ダサイ」と、何かしら変えるのが当たり前に。《オルガン付き》の第2主題はかなり遠い調で提示・再現されますが、それ以外はほぼ定型。このように、主題を本来と違う調で提示・再現するのは日常茶飯事。どちらかの主題が再現されないとか、第1主題よりも先に第2主題が再現されるとか、展開部が無いとか、そんなソナタ形式の曲もあるくらい。ロマン派のソナタ形式の曲は、ほとんど全て「自由なソナタ形式」で作られたことになりますから、わざわざ「自由な」という但し書きを付ける必要は無いのではと思ってしまいます。

  1. 井上さつき『サン=サーンス:交響曲第3番、ミニチュア・スコアの解説』(音楽之友社、2001、p.viii)、藤田由之「サン=サーンス:交響曲第3番」『名曲解説全集2、交響曲2』(音楽之友社、1979、88)など。
02. 4月 2014 · (179)《オルガン付き》が作られた時代 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

作曲者の紹介((178) サン=サーンスってどんな人? )に続いて、今回は交響曲第3番《オルガン付き》が作られた時代とサン=サーンスの功績について。まず初めに、彼が完成した交響曲のデータです。

    1. イ長調 1850年作曲
    2. 第1番変ホ長調作品2 1853年作曲、同年初演
    3. ヘ長調(首都ローマ) 1855-56年作曲、1857年初演
    4. 第2番イ短調作品55 1859年作曲、同年初演
    5. 第3番ハ短調作品78 1885-86年作曲、1886年ロンドンで初演

1835年生まれですから、《オルガン付き》以外の4曲は10代、20代の作品ですね。その後30年近くの空白期間をおいて、1886年にぽこっと(??)第3番《オルガン付き》が出現。その前の70年代には交響詩に取り組み、《死の舞踏》を含む4曲を書き上げています。オーケストレーションの工夫や主題変容の試みが、《オルガン付き》のたとえば循環主題の変形などに活かされることになります。

第3番がロンドンで初演された1886年には、他にもダンディの《フランスの山人の歌による交響曲》やラロの交響曲ト短調、1888年にはベルギー出身のフランクの交響曲ニ短調、1890年にはショーソンの交響曲変ロ長調が作曲されています。フランス(語圏)の作曲家によって交響曲がこれほど続けざまに作られたのは、もちろん偶然ではありません。1871年に国民音楽協会が設立されたからです。

19世紀フランスでは、オペラやバレエの作曲は盛んでしたが、器楽曲はドイツ語圏の作品を輸入(!?)し続けていました。パリ音楽院演奏協会のコンサートで、ベートーヴェンの交響曲が次々と紹介されていたことを思い出してください((175)《エロイカ》で始まるコンサート参照)。ところが1871年、普仏戦争に敗北。ドイツ音楽をありがたがっている場合ではないという対抗意識が高まります。フランスにおける器楽の発展のために、サン=サーンスらが中心となって設立したのが国民音楽協会でした。

アルス・ガリカ ars gallica(フランス芸術)をモットーに、交響曲や室内楽の作曲を奨励。協会主催の演奏会で多くの曲を初演し、新しいフランス音楽の普及に務めました。1894年には、若干22歳のドビュッシー作曲による《牧神の午後への前奏曲》を初演。好評を博しています。国民音楽協会に刺激されたパリの他の演奏団体も、コンサートでフランスの作曲家の作品を取り上げるように。こうして、世紀末から20世紀初頭にかけてフランス管弦楽曲の黄金期を迎えるのです。

西洋音楽史においてサン=サーンスは、《動物の謝肉祭》や《オルガン付き》交響曲の作曲者としてよりもむしろ、国民音楽協会の設立者として重要。それでいて、1887年パリ音楽院演奏協会で《オルガン付き》のフランス初演が大成功したとき、「フランスのベートーヴェンと讃えられた」のですから、なんだかおかしいですね。

26. 3月 2014 · (178) サン=サーンスってどんな人? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

今回の演奏会で聖フィルが2曲取り上げる(交響曲第3番《オルガン付き》と交響詩《死の舞踏》)サン=サーンスについて、まとめてみました。

1、サン=サーンスは長生きした! 1835年生まれ、1921年没。生年で並べると(*はフランス人):

  • 1820年代:フランク*(1822) ブルックナー、スメタナ(1824) J・シュトラウス2世(1825)
  • 1830年代:ブラームス、ボロディン(1833) サン=サーンス*(1835) ビゼー*(1838) ムソルグスキー(1839)
  • 1840年代:チャイコフスキー(1840) シャブリエ*、ドヴォルジャーク(1841) グリーグ(1843) リムスキ−=コルサコフ(1844) フォーレ*(1845)

年が近いのはブラームスやボロディン(ちょっと意外)。ところで、上の作曲家の中で20世紀まで生きたのは、サン=サーンス以外にドヴォルジャーク(1904)、グリーグ(1907)、リムスキ−=コルサコフ(1908)、フォーレ(1924)だけ。1860年生まれのマーラーも1862年生まれのドビュッシーも、サン=サーンスよりも先に亡くなっています。19世紀に86歳まで生きるって、かなり稀なことだったようですね。

2、サン=サーンスは神童だった! 3歳でピアノを始め、10歳のときサル・プレイエルで公式デビュー。プログラムはベートーヴェンのハ短調のピアノ協奏曲(第3番)や、モーツァルトの変ロ長調の協奏曲(第15番)などで、モーツァルトのカデンツァは自作。すべて暗譜で演奏(当時はすごい離れ業とみなされました1)。ピアノだけではなく、古典や宗教、ラテン語やギリシア語も短期間で習得、天文学、考古学、哲学などの自然科学の知識も身につけています。1848年からパリ音楽院でオルガンを学び、51年には1等に。

3、サン=サーンスは多作だった! (177) で書いたように、交響曲は番号付きが3曲、番号なしが2曲、未完が3曲。リストに鼓舞されて書いた交響詩が4曲(リストは、マドレーヌ教会でのサン=サーンスのオルガン即興演奏を聴き、「最高のオルガニスト」と絶賛。《オルガン付き》はリストの思い出に捧げられています)。ピアノ協奏曲5曲、ヴァイオリン協奏曲3曲、チェロ協奏曲2曲。他に《序奏とロンド・カプリチオーソ》(ヴァイオリンとオケ)や《アレグロ・アパショナート》(ピアノとオケ)。ホルンやフルート、ハープとオーケストラのための作品も。

室内楽では、チェロの名曲《白鳥》が含まれる《動物の謝肉祭》、ピアノ三重奏曲2曲・四重奏曲・五重奏曲、弦楽四重奏曲2曲、トランペット2、ピアノ、弦4種各1のための七重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ2曲、チェロ・ソナタ2曲、オーボエ・ソナタ、クラリネット・ソナタ、バスーン・ソナタ……。ピアニスト、オルガニストとして有名でしたから、ピアノ独奏曲(様々な作曲家の作品のトランスクリプションも)やオルガン曲も多数。吹奏楽用の作品も。

さらに、完成させたオペラが13作! 1幕もののオペラ・コミックや他の作曲家の遺作を完成させたものも含まれますが、それにしても13って多いですよ。やはり、何よりもオペラ作曲家として認められたかったのでしょうね(1880年代に彼のオペラが相次いで上演され、この願いは叶いました。現在では《サムソンとダリラ(デリラ)》以外はほとんど忘れられましたが)。バレエ、演劇、映画のための音楽や宗教曲(オラトリオ3曲、ミサ曲など)、世俗合唱曲(カンタータも)、歌曲がざっと100曲。音楽批評、詩や哲学のエッセーなど、著作もずらり。

サン=サーンスはあらゆるジャンルの作品を残したという、4番目のまとめが必要ですね。

  1. Ratner, Sabina Teller, “Saint-Saëns, Camille” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 22. Macmillan, 2001, p. 124.
19. 3月 2014 · (177) オルガン付きの交響曲 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

第10回聖フィル定期演奏会のメインは、サン=サーンスの交響曲第3番《オルガン付き》。オルガン、どうするの?!と心配された方、どうぞご安心を。聖光学院はカトリック的精神にもとづく学校。ミサを行えるように、新講堂ラムネホールの客席右側上方にベネディクト・オルガンが設置されていているのです。

交響曲のオーケストラにオルガンを加えるという発想、いったいどこからきたのでしょう。サン=サーンスはリストに即興演奏を絶賛された、すご腕オルガニスト。パリのオルガニストの最高位ともいえるマドレーヌ教会の奏者を務めていました。でも、オルガニストを務めた作曲家は彼だけではありません。たとえばブルックナーも卓越したオルガニストでしたが、交響曲にオルガン・パートを入れることはありませんでした(交響曲自体がオルガン的な響きをしていますが)。

オルガン・パートが加わったオーケストラ作品として、リストの交響詩《フン族の戦い》(1857)があります。でも、楽譜を見ると、オルガンは曲の最後で40小節ほど使われる程度。演奏量、重要度、存在感、どれをとっても《オルガン付き》交響曲とは比較になりません。

サン=サーンスにとって「交響曲はある精神性を湛えた音楽でなければなら」ず、「ブルックナーがコラールを使ったように、サン=サーンスはパイプオルガンの音響を必要とした」という指摘も1。でも、3曲の番号付き、2曲の番号無し、そして未完の3曲の交響曲のなかでオルガンを使ったのは、最後に作られたこの3番だけ。精神性・宗教性の象徴であることは確かですが、オルガンを入れることを思いついたのは、初演会場にどのオルガンがあるかを知っていたからではないかというシンプルな推測の方が、説得力があるように思います2

作曲を委嘱したロンドンのフィルハーモニック協会は、1869年に、約800人収容のハノーヴァー・スクエア・ルームから、2,000人以上(!!)を収容できるセント・ジェイムズ・ホール(他に小ホールも2つ)に、本拠を移しました。サン=サーンス自身、1879年にこのホールのオルガンを演奏したことがあるそうです。図1は、セント・ジェイムズ・ホールのオープン時の合唱コンサート。舞台上に立派なパイプオルガン見えます。サン=サーンスの交響曲《オルガン付き》はここで、1886年5月19日に初演。作曲家自身が(オルガンではなく)指揮をし、大成功を収めました3

図1:セント・ジェイムズ・ホールのオープニング時の合唱コンサート、Illustrated London News、1958年4月10日

図1:セント・ジェイムズ・ホールのオープニング時の合唱コンサート、Illustrated London News、1958年4月10日

  1. 田村和紀夫『交響曲入門』講談社選書メチエ、2011、175ページ。
  2. 井上さつき『サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調作品78、音楽之友社ミニチュアスコア、解説』、音楽之友社、2001、ivページ。
  3. 実は初演時には、彼も演奏したこのオルガンとは異なる新しいオルガンが設置されていて、サン=サーンスが意図した効果が半減した可能性もあるそうです。同上。
12. 3月 2014 · (176) 「音楽の悪魔」in《死の舞踏》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

あとひと月あまりに迫った第10回記念定期演奏会は、オール・フランス・プログラム。19世紀後半に作られた3人の作曲家による4曲を演奏します。聖フィルがフランス人の作品を取り上げるのは、これが初めて。今回は、サン=サーンスの交響詩《死の舞踏》について書きます。

毎年、ハロウィーンの日の真夜中に死神が現れ、墓から死者(→骸骨)たちを呼び出してダンスを踊らせるという言い伝えに基づく音楽。もとは、フランスの医師・象徴派の詩人アンリ・カザリス(1840〜1909)の詩を歌詞とした、ピアノ伴奏付き歌曲でした。2年後の1874年、交響詩(正確には音詩)に改訂。夜中の12時の鐘をあらわすハープ、レクイエム(死者のためのミサ曲)で用いられるグレゴリオ聖歌(セクエンツィアという種類)の一部「ディエス・イレ(怒りの日)」の引用(長調に変えられているので、それらしくありませんが)、骨が擦れる音をあらわすシロフォンなど、描写的。踊りの興奮が高まりますが、雄鶏が夜明けを告げると(フランスの鶏の鳴き方、コケコッコーとは微妙に異なります。オーボエに注意!)、みな、あわてて墓に戻っていきます。

死神が弾くフィドルをあらわす独奏ヴァイオリンの不協和音は、ラとミ♭。この減5度(=増4度)音程は、3つの全音から成る「音楽における悪魔 diabolus in musica」でしたね((122)「音楽の悪魔」in《白鳥の湖》参照」。横の動き(旋律)としても縦の響き(和声)としても、古くから使用が避けられてきた音程です。死神をあらわすのにぴったり。

《死の舞踏》ではこの「音楽の悪魔」の音程にスコルダトゥーラが使われることをご存知の方も多いと思います。(楽器の)調子を狂わすという意味のイタリア語 scordare に由来するスコルダトゥーラは、弦楽器を通常と違う音に調弦すること。バロック時代によく使われました。ハインリヒ・ビーバー(1644〜1704)の《ロザリオのソナタ》では、ヴァイオリン・ソナタ15曲と終曲パッサカリアの全16曲のうち、通常のソレラミのチューニングを使用するのは最初と最後の2曲のみ。他の14曲は、ソレラレとかソドソレとか、すべて異なった組み合わせでスコルダトゥーラされます。弾いていて頭が混乱するのは間違いなし。

《死の舞踏》では、1番細い弦(E線)を半音下げるスコルダトゥーラ(ソレラミ♭)。こうするとラとミ♭の減5度が、高い方の開放弦2つの重音で出せるのです。開放弦は、ヴィブラートを(基本的に)使えないなど、指で押さえて出す他の音とは異質の響き(しかも2本分)を作ります。この減5度と一緒に使われるもう1つの和音レとラも、開放弦2つの重音です。不協和音ではありませんが、真ん中の音を欠く空虚5度で、やはり落ち着きが悪い。これらの「普通じゃない」響きが、「普通じゃない」登場人(?!)物を効果的にあらわしています。