16. 7月 2014 · (194) セルパンってどんな音? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

フランス語で「蛇」の名前を持つ楽器セルパン(図1)。1度見たら忘れられない形ですね。英語では(同じ綴りで)サーペント。円錐管の内径は、およそ1.3cm〜10.2cm。金属製クルック部分も加えると、全長約2.44m! 楽器部分は木製(クルミ)で、孔が6つ(見える側だけで、親指用の孔が無いのが特徴)。でも、唇の振動で音を作る金管楽器の仲間です。孔は3つずつ2カ所に分かれていて、両手で上から押さえます(図1左)が、右手は下から押さえることも(図1右)。

図1:セルパン(右はロンドン、セント・ジェームス・パレスの衛兵交代図より、1790年頃)

図1:セルパン(右はロンドン、セント・ジェームス・パレスの衛兵交代図より、1790年頃)

1590年頃の発明とされ、フランスで聖歌隊(特に定旋律=グレゴリオ聖歌を歌うテノール声部。(85) アルトは高い参照)の補強に用いられました。低音域の楽器で、指孔のおかげで自然倍音以外の音も出せるからですね((42) 神の楽器? トロンボーン参照)。ドイツやイギリスでは、軍楽隊の楽器として使われ始めました(図1右)。ヴァーグナーは《リエンツィ〉でコントラファゴットの代わりに用いています。

図2:メルセンヌ、セルパン(1777)

図2:メルセンヌ、セルパン(1636)

図2は、メルセンヌによるセルパンの楽器図解と音域表(Harmonie universelle、1636-7)。最低音はヘ音記号の下に加線1本のミ(クリックで拡大すると音域表の真ん中あたりのヘ音記号がわかりますから、ファ、レ、シ、と線を下に数えていきましょう)。音域は2オクターヴ以上。リコーダーのように穴を半分開けて半音を出しました。後に孔が増え、音域も拡大します。

いったいどんな音がするのでしょう? テオルボとアーチリュートの伴奏でセルパンがソロをしている動画を見つけました。曲は、ヴェネツィアで活躍した木管楽器奏者ジョヴァンニ・バッサーノ(1560/61〜1617)による、無原罪の御宿りを歌ったパレストリーナの5声モテット〈Tota pluchra es(あなたは全て美しい)〉の器楽用アレンジ(1591、ヴェネツィア)。

素朴で柔らかい音色ですね。聖歌隊の補強に使われたのもうなずけます。テューバのご先祖様(のご先祖様)ですが、それほど低い感じではありません。この動画では1分過ぎくらいから演奏風景になります(が、セルパンがよく見えないのは残念)。テオルボとアーチリュートは、よく似たリュート属の撥弦楽器。向かって左がテオルボで、本来はネックはいずれも左側です。

07. 6月 2012 · (84) 倍管は珍しくなかった:《第九》の初演 (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

ベートーヴェンの交響曲第9番は、1824年5月7日に、ウィーンのケルントナートーア劇場で初演されました。当日のプログラムは:

  1. 大序曲(《献堂式序曲》op. 124)
  2. 独唱と合唱を伴う三つの大讃歌(《ミサ・ソレムニス》op. 123より《キリエ》《クレド》《アニュス・デイ》)
  3. 終楽章にシラーの『歓喜に寄せて』による独唱と合唱が入る大交響曲(交響曲第9番 op. 125)

オーケストラは大編成。弦楽器奏者の人数は、ファースト・ヴァイオリン12、セカンド12、ヴィオラ10、低弦(チェロとコントラバス)121。バランスをとるために、管楽器は2倍(倍管)だったと考えられます。合唱は90数名。ピアノも使われましたが、ミサ曲のオルガン・パートを弾いただけだった可能性もあります。5月23日の再演は、王宮内の広い大レドゥーテンザール(舞踏ホール)で行われたので、弦楽器の数が14、14、10、12に増やされました。

ケルントナートーア劇場所属の合唱団員は、ソプラノとアルトを受け持つ少年が16人ずつ、テノールとバスの大人が各17人前後。この時期の劇場オーケストラの人数はわかりませんが、1796年の記録では、弦が上から6、6、4、3、4の計23、木管4種とホルン、トランペット各2、ティンパニ1。全部で36人でした2。1824 年でもそれほど変わらなかったでしょうから、プロだけでは足りません。1812年に設立されたアマチュア団体ウィーン楽友協会が、オケと合唱の両方を補強したと、「ウィーン一般音楽新聞」が報告しています(7月1日付け)。

《第九》には合唱が入るため、特別にこのような大編成にしたのかと思っていたのですが、違いました。同じ大レドゥーテンザールで1814年2月27日に行われた交響曲第8番の初演と、それに先立って1月2日に行われた交響曲第7番の再々演。ベートーヴェン自身が弦の数を、18、18、14、12、7と日記に書いているそうです。弦楽器が合計69ですから、管楽器はもちろん倍管だったはず。全ての管パートが2倍だったとすると、24。ティンパニを加えて、総勢94名?!

前年12月8日と12日に、ウィーン大学講堂で行われた第7交響曲の初演・再演も、これと同じ編成だった可能性があります。「ウィーン一般音楽新聞」が12月11日付けで、「ウィーンの最も卓越した音楽家たち(およそ100名)」と書いているからです。これら4回の演奏会のメイン曲は、《ウェリントンの勝利(戦争交響曲)》op. 91。戦闘や勝利の場面で使われる一斉射撃(!!)や打楽器のために、奏者が増やされましたが、その人数を割り引いてもものすごい大編成。アマチュア奏者がたくさん参加したと考えられます。

マイクが無いどころか、楽器の改良もあまり進んでいなかったこの時代。大きな会場で演奏する場合、十分な音量を確保するためには、奏者の人数を増やす以外に方法がありませんでした。聴衆に強く訴えかけるためにも、大きな音量による迫力が欠かせません。楽友協会オーケストラの弦楽器奏者は常時70人おり、1815年に始まった演奏会では、必要に応じて倍管にしていました3

ところで、ベートーヴェンは大レドゥーテンザールでの第7番、第8番の演奏会に関して、日記に弦楽器の数だけではなく、スコアにはないコントラファゴット2とも書き込んでいるそうです(ということは、オケ総勢96名!?)。当時の演奏者の数は、倍管も含め、私たちが考えるよりもずっと柔軟に変えられていたことがわかります。それから、ピアニッシモ部分では、パート譜に「ソロ」と記入されているそうです。倍管と言っても常に全員が吹いていたわけではありませんでした。

  1. 土田英三郎『ベートーヴェン:交響曲第9番ミニチュアスコア、解説』音楽之友社、2003。同編「神話の醸成」『ベートーヴェン全集9』講談社、1999、143ページでは、チェロとコントラバスが各12と書かれていますが、ここではより新しい資料を使いました。
  2. シェーンフェルトのウィーン・プラーグ音楽年鑑の数字。児島新「ベートーヴェン《第九交響曲》の初演について:会話帳に見られる新事実」『ベートーヴェン全集10』講談社、2000、203ページ。
  3. 土田英三郎編「世俗的な成功」『ベートーヴェン全集6』講談社、1999、131ページ。