14. 8月 2013 · (146) フルートは持ち替えだった:2管編成完成まで はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

オーケストラで楽器の持ち替えと言えば、フルート奏者がピッコロ、オーボエ奏者がイングリッシュ・ホルン(コーラングレ)、クラリネット奏者が E♭クラやバス・クラ、ファゴット奏者がコントラファゴットという具合に、サイズ(→音域)が異る同族楽器の掛け持ちを思い浮かべると思います(ホルン奏者がワーグナーチューバを持ち替えるのは、少し事情が異なりますが)。フルートが持ち替えって、どういうこと??

盛期古典派とそれに続く時期の、標準的なオーケストラ編成の復習から始めましょう。管楽器(特に4種類の木管楽器、フルート・オーボエ・クラリネット・ファゴット)が2つずつなので、日本では専ら2管編成と呼ばれます。典型は:

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、
ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦

ハイドンがこの編成を使ったのは、最後の第2期ザロモン交響曲群(1794〜95年作曲)だけ。さらに早い1788年に交響曲を書き終えたモーツァルトは、特殊な状況下で作った《パリ》と《ハフナー》交響曲だけしか、2管編成を使うことができませんでした((115) 愛の楽器? クラリネット(2)など参照)。

一方、第1番交響曲(1800年完成)からこの編成を使ったベートーヴェン(やスポンティーニ、メユール、ロッシーニら同時代の作曲家たち)は、変形を始めます。チェロと同じ旋律を演奏していたコントラバスに独自のパートを与え、弦楽4部から弦楽5部へ。また、ホルンを増やしたり(3つ:《エロイカ》、4つ:《第九》)、トロンボーンを加えたり(《運命》《田園》《第九》)しています。

それでは、この編成にたどり着く前はどのような編成だったのでしょうか。初期古典派(1740年代から80年ころ)の標準的なオーケストラ編成は:

オーボエ2、ホルン2、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ファゴット、
鍵盤楽器(チェンバロかオルガン)、オプションでトランペット&ティンパニ

ヴァイオリン1とオーボエ1、ヴァイオリン2とオーボエ2は、多くの場合、同じ旋律を演奏。チェロ、コントラバス、ファゴット、鍵盤楽器の左手は、同じ低音旋律を演奏(チェロとファゴットは、独自の旋律をもらう場合も)。鍵盤楽器の右手は、和音充填を担当((132) 楽譜どおりに演奏しても足りない場合参照)。

この編成は、ヨーロッパ中のイタリア・オペラ劇場、私的・公開コンサート、重要な礼拝、舞踏会などのオーケストラで使われました。特別な機会では弦の数を増やし、管を倍に。また、特殊効果のために例外的に加えられる楽器も(黄泉の国のシーンでトロンボーン、羊飼いのシーンでシャリュモーなど)。逆に低予算の場合、弦楽器は各パート2人、あるいは1人に減らされたそうです1。やがて

ファゴットが独自のパートをもらって独立、管はオーボエ2、ファゴット2、ホルン2に。
フルートが加わり、フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2に。
フルート2になり、フルート2、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2に。
クラリネット2も加わって、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2に。トランペットやティンパニも必須の楽器になり、盛期古典派の編成が完成!2

初めの疑問に戻って。フルートはいったい何と持ち替えだったのでしょう? 答えはオーボエ。古典派の初期においてフルートは、しばしばオーボエ奏者によって演奏されたのです。この2つの楽器は交換可能で、同時に用いられないのが普通でした。モーツァルトのフルート協奏曲第1番第2楽章で、第1・3楽章のオーボエに代わって使われるフルート。現在ではフルート奏者が演奏しますが、当時はオーボエ奏者がここだけフルートを吹いたのです。交響曲にもこのような例があります(ハイドンの24番など)。

そういえば、エステルハージ公のオーケストラ奏者は、弦楽器と管楽器(と打楽器)など複数の楽器を担当していましたね((105) ハイドンの給料 (1) 表1の13や19参照)。今ではほとんど考えられないオーボエとフルートの持ち替えですが、当時は朝飯前だったのかな?!!

  1. J. Spitzer & N. Zaslaw, ‘Orchestra,’The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 18, Macmillan, 2001, p. 533.
  2. 鍵盤楽器が用いられた時期に関しては、様々な説があります。
22. 5月 2013 · (134) 楽器奏者が足りないとき はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

以前、オーケストラ・レポート((47) 見る人は見ている参照)で管楽器専攻の学生さんが、「オーケストラでは、必ず指定された楽器を使わなければならないの?」という素朴な疑問を書いていました。吹奏楽では、楽器が無いあるいは奏者がいない場合、そのパートは省略したり、他のパートと重なっていない部分を違う楽器で代奏したりします(私も高校時代、ブラスバンド部でした)。でもオーケストラでは、たとえ1曲だけしか使わない特殊な楽器でも、演奏会では賛助の方をお願いしますよね。管弦楽の楽器指定は絶対に守らなければならないもので、吹奏楽のような柔軟な対応は許されないのー?と思っていたら。モーツァルトが、自作を指定以外の楽器で演奏しても構わないと言っているではありませんか!

『イ長調』の協奏曲には、2本のクラリネットがあります。――もしそちらの宮廷にクラリネット奏者がいないなら、第1奏者がヴァイオリンに、第2奏者がヴィオラによって演奏されるよう、もとの調に、有能な写譜屋なら移調してくれるでしょう。――1

これは、1786年に書かれた手紙の中の、ピアノ協奏曲第23番イ長調 KV 488 についての記述。モーツァルトは同年8月8日、以前モーツァルト家の従僕であったゼバスティアン・ヴィンターを通じて、ドーナウエッシンゲンのヨーゼフ・ヴェンツェル・フォン・フュルステンベルク侯爵に「最近の」作品を売り込みました。9月30日付けヴィンター宛の手紙で、「自分のために、あるいは愛好家や音楽通の小さなサークルのために」書いた作品の中から、注文された交響曲3曲とククラヴィーア協奏曲3曲の楽譜を、翌日別便で送ると報告。クラリネットの対処法を書き、写譜代119フロリーン39クロイツァーを請求しています。

彼の時代、この新しい楽器((113) 愛の楽器? クラリネット (1)参照)を吹ける人は多くありませんでした。パリのコンセール・スピリテュエルや、マンハイム宮廷のような、クラリネットが2本揃ったオーケストラは例外的((115) 同 (2)参照)。「侯爵様はオーケストラをお持ち」だけれど、おそらくクラリネット奏者はいないだろうと考えたのでしょう。

なぜ侯爵が、奏者のいない楽器を含む曲を選んだのかという疑問(他の5曲はクラリネット無し)は、すぐに解けました。手紙の中には、室内楽以外の曲の楽器編成が書かれていなかったからです。図1のように、最近作のリストは冒頭3〜4小節の旋律(インキピット、インチピットとも)のみ。速さと調しかわかりません。つまりモーツァルトは、注文主が曲を選ぶ際に、楽器編成(特にクラリネット・パートの有無)は重要ではないと考えたということ。奏者がそろわなければ他の楽器を使えば良いのですから。

このヴィンター宛ての2通は、モーツァルトが自分の定収入を増やすために考えたアイディア(毎年、フュステンベルク侯のために何曲かの新作を書いて、年棒を受け取るという彼の提案は、実現しませんでしたが)などを伝える、貴重な資料になっています。しかし私は、オーケストラにおける柔軟な対応や代奏の容認という点からも、もっと注目されるべきだと思います。クラリネット代わりに弦楽器という指示も、興味深いですね(これについては改めて書くつもりです)。

図1は、8月8日の手紙にモーツァルトが同封した、インキピットのリスト2。五線紙の上の余白には、シンフォニーア(交響曲)、ヴォルフガング・アマデーオ・モーツァルトと書き込まれています(1段目の曲の速度記号も)。10段ある五線各段の記入事項は:

  1. 1(KV 425 36番《リンツ》) 2(KV 385 35番《ハフナー》)
  2. 3(KV 319 33番) 4(KV 338 34番)
  3. チェンバロ協奏曲(クラヴィーア協奏曲)
  4. 1(KV 453 17番) 2(KV 456 18番)
  5. 3(KV 451 16番) 4 (KV 459 19番)
  6. 5(KV 488 23番、クラリネット入り)
  7. ヴァイオリン付きチェンバロ・ソナタ(ヴァイオリン・ソナタ) チェンバロ、ヴァイオリン、チェロのための3重奏曲(クラヴィーア3重奏曲)
  8. (KV 481 KV 496)
  9. チェンバロ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための4重奏曲(クラヴィーア4重奏曲)
  10. (KV 478)

五線紙右側の余白の文字は「線引きして消していないものは選んだもの。1786年9月11日。ドーナウエッシンゲン、S. ヴィンター」。計6曲が、モーツァルトのインクよりも黒い色の、斜線によって消されています。下から3段目の斜線があまり黒くないのは、書き込んだ時期が違うためかもしれません。これだけの材料から、侯爵がどうやって6曲を選んだのか、ちょっと不思議ですね。

図1:モーツァルトの手紙(1786年8月8日)に添えられた、最新作のインキピット

図1:モーツァルトの手紙(1786年8月8日)に添えられた、「最近作」のインキピット

  1. 『モーツァルト書簡全集 VI』海老沢敏・高橋英郎編訳、白水社、2001年、299–304。他の短い引用もこの資料から。
  2. バーデン州立図書館HPより。Badische Landesbibliothek, Don Mus. Autogr. 44.
16. 1月 2013 · (116) 愛の楽器? クラリネット (3) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

小さい頃から興味を持っていたにもかかわらず((115) 愛の楽器? (2)参照)、モーツァルトがクラリネットを使った曲は、交響曲2(《パリ》と、聖フィルが演奏した39番 K. 543)、ピアノ協奏曲3(K. 482、K. 488、K. 491)、ホルン協奏曲(K. 447)、キリエ(K. 341/368a)など、ごくごく限られています。

でも劇音楽では、1780年に《イドメネオ》で初めて用いて以来、《後宮からの逃走》《劇場支配人》《フィガロの結婚》《ドン・ジョヴァンニ》《コジ・ファン・トゥッテ》《魔笛》《ティート帝の慈悲》と、オペラ・セリアであろうとオペラ・ブッファであろうと、歌詞がイタリア語であろうとドイツ語であろうと、亡くなるまで全ての作品でクラリネットを使用しました。

《コジ・ファン・トゥッテ》のクラリネット・パートを見てみましょう。老哲学者の賭けにのった2組のカップルの男性が、変装してそれぞれ婚約者ではない方の女性(姉妹)を口説き、両方とも成功する(=姉も妹も心変わりする)というストーリー(この全てが1日のうちに起こるところが、ありえなくておかしい)。イタリア語のタイトルは、《女はみんなこうした(=浮気する)もの》という意味です。登場人物6人(カップル2組と小間使い、老哲学者)の、ソロやアンサンブルを伴奏する楽器の組み合わせは多様。木管楽器のうち、フルート、オーボエ、クラリネットは曲によって使われたり使われなかったりします1。《コジ》の中で、これら3つのうちクラリネットだけが使われる6曲は:

  • 姉妹が、それぞれの恋人への愛を歌い合う2重唱「ああ、妹よご覧(4番)」
  • 別離を嘆く5重唱「ああ、この足はあなたの前に(6番)」
  • 男たちが別れを告げる2重唱「愛くるしい君の目が(7番)」
  • 男のうちの1人のアリア「いとしい人の愛のそよ風は(17番)」
  • 新しいカップル(妹と、姉の婚約者)の2重唱「このハートをあなたに贈りましょう(23番)」
  • 拒絶した姉をさらに口説く、すでに陥落してしまった妹の婚約者のアリア「よくわかる、その美しい魂が(24番)」

6曲とも恋人への、あるいは口説こうとする女性への熱い想いが歌われています。フルートなども後から加わるものの、前奏がクラリネットの主旋律で始まる曲も同様。クラリネットによるかなり長い甘い前奏がついているのは、男たちの愛情あふれた2重唱「やさしい風よ(21番)」、軽快な前奏がついているのは、新しい愛の喜びを天真爛漫に歌う妹のアリア「恋は盗人(28番)」です。

一方で、シニカルな老哲学者や「恋人がいないなら楽しみなさい」と浮気をそそのかす小間使いの曲には、クラリネット・パートは無し。また、クラリネットだけが使われる曲でも愛から逸れた部分、たとえば恋人たちに別れを告げる6番の中で、「(彼女たちの嘆きを)見たか(=もう賭けに勝ったも同然)」と男たちが哲学者と内緒話をする部分では、クラリネットはお休み。モーツァルト、細かい。

《コジ》に限ったことではありません。《フィガロ》ではケルビーノのアリア「自分で自分がわからない(6番)」や伯爵夫人のカヴァティーナ「愛の神よ(10番)」、《ドン・ジョヴァンニ》ではオッターヴィオのアリア「私の宝のあの人を(プラハ版21番)」など、真剣に愛を歌う曲がクラリネットだけで伴奏されています。

少なくともモーツァルトの劇作品では、クラリネットは愛の楽器と言えそうですね。神聖なものや超自然的なものに関連した部分だけに使われたトロンボーン((95) 怖い (?!) 音楽参照))とは異なり、歴史的な根拠がある((42) 神の楽器? トロンボーン参照)わけではないようです2。モーツァルトだけが、クラリネットをこのように特別に扱ったのでしょうか。それともこの時代の一般的な傾向? 機会があれば、他の作曲家の劇作品におけるクラリネットの使い方も調べてみたいと思っています。

  1. フルート、オーボエ、クラリネットの3つのうちの1つ以上が使われる曲では、必ずファゴットも一緒に使われます。
  2. Shackleton, ‘Clarinet, 2: The clarinet of Western art music’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 5 (Macmillan, 2001, pp. 897-910) にも、愛との関連については特に言及されていません。
09. 1月 2013 · (115) 愛の楽器? クラリネット (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

オーケストラの4種の木管楽器の中で最も遅く、18世紀初めに誕生したクラリネット((113) 愛の楽器? (1)参照)。名曲を多く残したモーツァルトが、クラリネットを初めて知ったのはいつでしょう?

ヴィーン宮廷楽団に仕えたクラリネットの名手シュタードラーはモーツァルトの3歳上。五重奏曲(1789)や協奏曲(1791)は、彼のために作られました。《セレナード〈グラン・パルティータ〉》(1784)も、彼の演奏会用と言われています。フリーメイソンの盟友でもあり、プラハでの《皇帝ティートの慈悲》初演に友情出演。シュタードラーの優れた演奏技術から、モーツァルトは大きな刺激を受けました。しかし、クラリネットを知ったのはもっと前のことです。

  • 1778年(22歳)の就活旅行の際、パリで、クラリネットを用いた初めての交響曲を作ったとき?

パリのコンセール・スピリテュエルのオーケストラは、当時、モーツァルトが仕えていたザルツブルク宮廷楽団(オーボエ2+ホルン2+弦約20、時にトランペットやティンパニも。この時代の標準的な編成)の、ほぼ2倍。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2+ティンパニ+弦約40の大編成!1 このオーケストラの演奏会用に作られたのが《パリ》交響曲です((11) 旅によって成長したモーツァルト参照)。しかし、クラリネットを知ったのはもっと前。

  • 同じ1778年、パリに向かう前に訪れたマンハイムでクラリネットが入った宮廷楽団に接したとき?

選帝候カール・テオドールが質・量ともに高めたマンハイムのオーケストラ。1758年という早い時期からクラリネット奏者が雇われていて、この楽器がオーケストラで定席を得るのに貢献しました。もしも、マンハイム楽派の祖ヨハン・シュターミッツ(1757年没)作と伝えられるクラリネット協奏曲の帰属が正しいならば、記録が残るよりも前から、優秀なクラリネット奏者が在籍したことになります。ただし、モーツァルトがクラリネットを知ったのはこのマンハイム滞在よりも前。

  • 15歳で初めてクラリネットを用いた作品を書いたとき?

1771年、第2回イタリア旅行中にミラノで作った、弦4部、クラリネット2、ホルン2のための《8声のディヴェルティメント変ホ長調(K.113)》が、彼の初クラリネット入り音楽2。しかし、モーツァルトはさらに前の1764年にクラリネットを使っています。

「西方への大旅行」中に長逗留したロンドンで、モーツァルトは当地で活躍していたアーベルの交響曲op. 7, no. 6を筆写。新しいジャンルである交響曲を学ぶためですね(上記 (11) 参照)3。でも、そのまま写したのではありませんでした。アーベルが書いたオーボエ・パートを、移調してB♭クラリネット用に書き替えているのです 4。このとき彼、8歳。

モーツァルトがクラリネットを初めて知ったのがいつかは、はっきりわかりません。このロンドンでかもしれませんし、あるいは、前年、ザルツブルクを発ったばかりの頃に立ち寄ったマンハイムでという可能性もあります。いずれにしろ、彼はこの新興の楽器が持つ大きな可能性に早い段階で気づき、亡くなる直前に協奏曲を完成するまで、生涯をかけてその魅力を引き出し続けたのですね。

それにしても、今回も「愛」の話は全く出て来ません。タイトルを変更したほうが良さそう……。

  1. 海老澤敏編著『図解雑学モーツァルトの名曲』ナツメ社、2006、21ページ。
  2. この曲には、オーボエ、イングリッシュ・ホルン、ファゴット各2の第2稿が存在。これを、第1稿のクラリネットとホルンに加えると考えると、同じ編成(オーボエ、クラリネット、イングリッシュ・ホルン、ホルン、ファゴット各2)のための2曲のディヴェルティメント(K. 166/159dとK. 186/159b)のように、第3回イタリア旅行のために書かれたことになります。一方、クラリネットが不要と考えると、奏者がいないザルツブルクで演奏するために書き替えられたことになります。竹内ふみ子『モーツァルト事典』東京書籍、1991、319ページ。
  3. ケッヘルは自筆譜に基づいてモーツァルトの交響曲第3番K.18とし、旧全集にも収められました。
  4. アーベルのオーボエ・パートを旧全集のクラリネット・パートと比較してみたところ、数カ所、音が違っていました。他パートとの平行進行を避けるためと思われる所もありましたが、理由がよくわからない変更もありました。
02. 1月 2013 · (114) ヨシとアシ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

明けましておめでとうございます。今年も、聖フィル♥コラムをよろしくお願いいたします。

新年と言えば日本音楽(というのも変なのですが。(9) 新年の音楽参照)。今回は、雅楽で主旋律を担当する縦笛、篳篥(ひちりき)についてです((52) なぜ管弦打楽と呼ばないのか参照)。長さ18cmほどの竹製(下図左)で、オーボエのようなダブル・リード属。リードはヨシで作ります。ヨシは、沼や川岸などの湿地に茂るイネ科の多年草(図中)。2〜3mも伸びる軽くて丈夫な茎は、よしずの材料です。

以前、大阪府高槻市に住んでいた時、篳篥奏者の友人が、東京からヨシを取りに来たことがあったので、高槻の淀川河川敷にある鵜殿(うどの)に自生するヨシが、篳篥のリード(盧舌)としてベストであることは知っていました。この鵜殿のヨシ原の上を横断する高速道路の着工が決定されたと聞き、雅楽の伝承の危機!と計画見直しの署名集めに協力したのですが、考えてみたら、篳篥のリードがどういうものでヨシからどうやって作るのか、全くわかりません。この機会にと、友人に聞いてみました1

篳篥に使うヨシは、外径11.5mmくらい。節の間を6cmほどの長さに鋸で切り(図右A)、吹き口になる方の外皮を繰り小刀で削ります(B)。そして、割れないように和紙を張りつけて(C)水に濡らし、炭火の上で温めながら鉄のこてでひしぐ(=押しつけてつぶす。D)。丸くて堅いヨシを水蒸気で柔らかくし、形を変えるのです。それをさらに薄く削って調整します(E)。平らにした部分は丸く戻ろうとするので、ちょうどよい形に保つために、真ん中あたりに「セメ」をはめます(F)。

図1左:篳篥、中:ヨシ、右:盧舌製作の過程(クリックで拡大します)

図左:篳篥  中:ヨシ  右:盧舌製作の過程(クリックで拡大します)

ダブル・リード属でも、篳篥のリードは(つぶされていますが)単体2。よい音を出すためには良いリードが不可欠であることは、オーボエやクラリネット、ファゴットなどと同じ。篳篥のリードとして使用するためには、ヨシの繊維の密度、茎の太さ、肉の厚みなど、微妙な条件を満たさなければなりません。雅楽を伝承する宮内庁式部職楽部では、鵜殿のヨシのみを使用。琵琶湖や利根川などのヨシも試したものの、鵜殿のヨシに叶う品質ではなかったのだそうです3。高速道路を作ってみて、やはり環境に影響があった、ヨシが減ってしまった、ヨシの質が落ちて良い音が出なくなった、では遅すぎますね。

さて、署名集めに協力していただく中で出た素朴な疑問:オーボエのリードもヨシ?

オーボエ奏者さんに「いいえ、ヨシではなく葦(アシ)です!」と言われて、そうかー、篳篥とは違うのねーと、皆といっしょに納得した私。そもそもリード reed って、英語で葦のことだし。

でも! アシとヨシは同じもの。アシは「悪し」に通じるため、「良し」と呼び替えられたのです。さきほど触れた「よしず」は漢字で「葦簀」あるいは「葭簀」、いずれもアシ。篳篥用リードである盧舌の盧もアシですね。

ただ、オーボエやファゴット、クラリネット用リードのアシ=ヨシ材(Arundo donax)は、篳篥用リードのヨシ=アシ(Phragmites communis または Phragmites australis)と異なります。日本語で暖竹(ダンチク)と呼ばれ、径が2〜4cmにも達するイネ科多年草。関東以西から中国、インドなどに広く分布していますが、地中海沿岸に自生しているものがリードとして使われるのだそうです。

  1. このコラムを書くために詳しい情報をくださった htm3nkmrさん、どうもありがとうございました。また、yu-tontonさんにも感謝いたします。
  2. 13/1/17追記:一方、たとえばオーボエのリードは、丸いアシをうすい舟形にし、水につけて半分に折り、裏表両側を削って加工。さらに、折った先端をカットして微調整するというプロセスで作るそうです。したがって、もとは単体ですが、最終的に2枚は離れています。IsaMorimさん、ありがとうございました。
  3. 東儀兼彦の言葉。「SAVE THE 鵜殿ヨシ原:雅楽を未来につなぐ」パンフレットより。図の写真もすべて同パンフレットより(http://www.save-udono.com/)。
25. 12月 2012 · (113) 愛の楽器? クラリネット (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

ブラスバンドの花形で、クラシックはもちろんジャズなどにも使われるクラリネット。シングル・リード属を代表する吹奏楽器です。オーケストラの木管楽器の、高い方から3つ目。文字通りの意味は、Allegro → Allegretto のように、Clarino + etto で「小さなクラリーノ」((37) ヴィオラはえらい?註1参照)。えっ、クラリーノって何?

claro とか clario などは、「はっきりとした、よく通る、騒がしい、かん高い」などを意味するラテン語 clarus に由来する語1。フランス語では claron で、14世紀には clairin、clarin、clerain、clerin、clairon など、様々な形で使われました。トランペットとペアで言及されることが多かったということは、トランペットに似た楽器だったのでしょう。当時は様々なサイズや形のトランペットがあったので、よく通る、かん高い音を出す短いトランペットが clairin、clarin……と呼ばれたのではないかと考えられています。

16世紀のスペインでは、clarin が高音を出すトランペットだけではなく、通常のトランペットの高いパートを指す言葉としても使われたようです。17世紀半ば以降、ドイツでもトランペットのパートが、クラリーノ1、クラリーノ2などと書かれるようになりました。当時のトランペットはもちろんナチュラル・トランペット。ただの管ですから、自然倍音(図1)しか出せません。低音域はドミソだけ(ファンファーレを吹くくらいですね)。旋律を吹くなら、高音域を使う以外に方法はありませんでした。この高音域を受け持つのが clarin(o) パート、この高音域を演奏する高度な技術が「クラリーノ奏法」です。

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図1:自然倍音列

トランペットの話が長くなってしまいましたが、クラリネットという名前は、つまり、音が明るいことに由来します2。クラリネットは、18世紀初めころ、ニュルンベルクの楽器製作者デンナーがシャリュモーから改良したことになっていますね。でも、詳しいことは不明。だいたい、シャリュモーという楽器がよくわからないのです。しばしば、シングル・リードの円筒管と説明されますが、17世紀には、シングル・リードのみならず、チャルメラのようなダブル・リードも含めた様々な管楽器がシャリュモーの名で呼ばれていました。もとの楽器がはっきりしないので、その改良もはっきりしません。

ただ、左手の親指で操作する「レジスター・キー(スピーカー・キー)」が、明るい音を作ります。発明者が誰かはわからないこのキーに触れながら、低音域(シャリュモー音域と呼ばれます)と同じ運指で吹くと、それぞれの音の12度上の音が出るのです。これがクラリーノ音域。太い低音域にくらべて、つややかではっきりした音色です。オクターヴではなく、オクターヴ+5度上の第3倍音が出ますから、幅広い音程の跳躍が得意。シャリュモー音域とクラリーノ音域の間の音は響きがあまり良くなく、クラリーノ音域よりも高い音域はやや鋭い音になりますが、この4種類の音色のコントラストがクラリネットの大きな魅力になっています。

  1. Dahlqvist & Tarr, “Clarino” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 5. Macmillan, 2001, p. 911.
  2. 瀬木悠「クラリネット」『音楽大事典2』平凡社、1982、791ページ。

モーツァルトの音楽を読み解くキーワード、「自由音楽家」に続くもう1つは「旅」です。35年という短い一生のうち、1/3近くが旅に費やされました。幼いヴォルフガンクの天賦の才能に気づいた父レオポルトは、それを人々に知らしめ、また正しく伸ばすことが、神に与えられた自分の使命と考えたのです。父が計画した旅行は、ベルリン、アムステルダム、ロンドン、ローマ、ナポリにまで及び、この時代に音楽活動が盛んだった地を網羅しています。

旅の目的は、神童披露→オペラ上演→就活へと変わりますが、ヨーロッパ各地への旅を通してモーツァルトは大きく成長していきます。今回は、交響曲に関連する2つの旅について書いてみます。

「西方への大旅行」と呼ばれる、1763年から3年半に及ぶ旅の目的地の一つロンドンで、モーツァルトは最初の交響曲(1764)を作曲しました。レオポルトが重い病気にかかり、ピアノを弾くことを禁じられたので代わりに作曲をしたと、同行した姉ナンネルが後に回想しています。イタリア風序曲型の「急—緩—急」3楽章構成や、明るくはつらつとした旋律などに、ロンドンで親しくなったヨハン・クリスティアン・バッハ(1735〜82。ヨハン・ゼバスティアンの末子)の影響が、はっきり現れています。ところで、この時モーツァルトは何歳?   1756年生まれだから……?  そうです。わずか8歳! でも、シンプルながらチャーミングな交響曲ですよ1

就活のために1777年から翌年にかけて滞在したマンハイムでは、ヨーロッパ随一と言われた宮廷オーケストラのレパートリーや優秀な管楽器奏者たちに、大きな刺激を受けました。新興の楽器クラリネットが加わった交響曲を聴き、父への手紙に、自分たち(のザルツブルク宮廷オーケストラ)にもクラリネット奏者がいたらなあ!と書いています。その足で向かったパリで、公開演奏会シリーズ「コンセール・スピリテュエル」用の音楽を注文されたモーツァルトは、初めてクラリネットを使った交響曲を作りました。ここのオーケストラにも、クラリネット奏者がいたからです。彼が初めからクラリネットを使った交響曲は、《パリ交響曲》と呼ばれるこの31番と、今回聖フィルが取り上げる39番の2曲だけです。

「旅をしない者は、まったく哀れむべき存在です」と、モーツァルトはパリから父に書き送りました。テレビやCDの無い時代。それぞれに異なった状況を呈していたヨーロッパ各都市の、さまざまな音楽に触れ音楽家たちに接し、それらを吸収しながら、モーツァルトの音楽は育まれていったのです。

  1. モーツァルト作曲交響曲第1番変ホ長調 K. 16の第1楽章 Molto Allegro は、ここから試聴できます。http://www.youtube.com/watch?v=lC6eQdeNOjU&feature=related