21. 8月 2013 · (147) 奏者のやりくり:18世紀のオーケストラ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

古典派初期のオーケストラにおける持ち替えは、オーボエ奏者がフルートも吹く((145) フルートは持ち替えだった参照)だけではありませんでした。18世紀半ばの例をご紹介しましょう。1743年、ライプツィヒの裕福な市民たちが、職業演奏家を経済的に支援しつつ自らが企画運営する、ライプツィヒ演奏会協会を結成(食堂と旅籠を兼ねたガストハウスで行われていた演奏会は、1781年以降、織物業者組合の見本市用建物ゲヴァントハウスで開催されるようになりました1。つまりこれは、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の前身オーケストラの話です)。図1は、誕生間もない1746〜48年の演奏会協会の配置図2

図1:ライプツィヒ演奏家協会、1746〜48年

図1:ライプツィヒ演奏会協会、1746〜48年

メンバー(クリックで拡大します)は、フルート1、オーボエ(兼フルート)2、ファゴット3、ホルン2、ファースト・ヴァイオリン5、セカンド・ヴァイオリン5、ヴィオラ1、チェロ2、コントラバス2、チェンバロ1、歌手3(ソプラノ2、アルト1)の計27名。ヴァイオリンが5人ずつなのに、ヴィオラは1人?!

「トラヴェルソ、またはオーボエ」と書いてあるように、オーボエ奏者がフルートを持ち替え。オーボエとフルートが同時に必要な場合は、ファゴット奏者のうちの1人がフルートに。ホルン奏者の1番はヴィオラ、2番はセカンド・ヴァイオリンも担当。トランペットとティンパニが必要な場合は、ファースト・ヴァイオリン奏者1人と第2オーボエ奏者がトランペット、第1ホルン奏者がティンパニに。歌手のうち2人は、ヴィオラの助っ人。声楽が含まれない曲を演奏するときは、歌手も(できるだけ)楽器演奏に加わったのですね。ということは、ヴァイオリン5人ずつにヴィオラが3人(あるいはホルン1番も加わって4人)。一方、歌手が足りない場合は、ファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンから1人ずつがテノールを、セカンド・ヴァイオリンの1人がバスを歌いました。

左上隅、第1ホルン奏者リーマー氏は大忙し。ホルンが含まれない弦楽合奏曲ではヴィオラを、祝祭的な曲ではティンパニを担当したのでしょう。でも、ティンパニが含まれる曲にホルンも必要だったら(おそらく必要ですよ)、どうしたんでしょうね?? 緩徐楽章のようなティンパニが休みの楽章では、ホルンを吹いたのかな?? 1曲の中で両方演奏した(=ティンパニが休みの部分でホルンを吹いた)とは考えにくいので、第2ホルン奏者だけで間に合わせたのでしょうか。

ハイドンが楽長をしていたエステルハージ侯爵のオーケストラでも、ファゴット奏者がヴィオラとティンパニを担当していましたね((100) ホルン奏者が多い理由参照)。あちらは1772年ですが、やりくりは似た感じ。実は、健康上・年齢上の理由で管楽器を吹けなくなったときに楽師としての地位を失わないように、管楽器奏者に早い段階から弦楽器も並行して学ばせたという、この時代ならではの事情もありました3

ところでこのリーマー氏、管・弦・打楽器をこなすのみならず、ライプツィヒ演奏会協会の年代記も記録していてくれました。図1もリーマー氏に基づく配置図ですが、よく見るとかなり奇妙です。中央のチェンバロ奏者が観客に背中を向けていたというのですが、18世紀の演奏会では、奏者は観客に背中を向けないのがエチケット(オペラの伴奏は別)。それに、客席がこの図の左側にあったとすると、ファースト・ヴァイオリン奏者はセカンド・ヴァイオリンよりも客席から遠いところで演奏し、歌手はさらにその後ろで歌ったことになりますね。普通はこの逆です。リーマー氏の間違いとみなして、チェンバロ奏者は観客に向かって座っていた、つまり図の右側が客席だったとすると、オーボエやフルートよりも手前にファゴットやコントラバス奏者がいたことに。これも普通ではありません。本当にこの配置で演奏したのか、不思議ですね。

  1. 小宮正安『オーケストラの文化史』春秋社、2011、82-84。
  2. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988, p. 39 (source: Dörffel, Geschichte der Gewandhausconcerte zu Leipzig, Concert-Direction, 1884, p. 6).
  3. マーリング、大崎滋生『オーケストラの社会史』音楽之友社、1990、255。
14. 8月 2013 · (146) フルートは持ち替えだった:2管編成完成まで はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

オーケストラで楽器の持ち替えと言えば、フルート奏者がピッコロ、オーボエ奏者がイングリッシュ・ホルン(コーラングレ)、クラリネット奏者が E♭クラやバス・クラ、ファゴット奏者がコントラファゴットという具合に、サイズ(→音域)が異る同族楽器の掛け持ちを思い浮かべると思います(ホルン奏者がワーグナーチューバを持ち替えるのは、少し事情が異なりますが)。フルートが持ち替えって、どういうこと??

盛期古典派とそれに続く時期の、標準的なオーケストラ編成の復習から始めましょう。管楽器(特に4種類の木管楽器、フルート・オーボエ・クラリネット・ファゴット)が2つずつなので、日本では専ら2管編成と呼ばれます。典型は:

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、
ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦

ハイドンがこの編成を使ったのは、最後の第2期ザロモン交響曲群(1794〜95年作曲)だけ。さらに早い1788年に交響曲を書き終えたモーツァルトは、特殊な状況下で作った《パリ》と《ハフナー》交響曲だけしか、2管編成を使うことができませんでした((115) 愛の楽器? クラリネット(2)など参照)。

一方、第1番交響曲(1800年完成)からこの編成を使ったベートーヴェン(やスポンティーニ、メユール、ロッシーニら同時代の作曲家たち)は、変形を始めます。チェロと同じ旋律を演奏していたコントラバスに独自のパートを与え、弦楽4部から弦楽5部へ。また、ホルンを増やしたり(3つ:《エロイカ》、4つ:《第九》)、トロンボーンを加えたり(《運命》《田園》《第九》)しています。

それでは、この編成にたどり着く前はどのような編成だったのでしょうか。初期古典派(1740年代から80年ころ)の標準的なオーケストラ編成は:

オーボエ2、ホルン2、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ファゴット、
鍵盤楽器(チェンバロかオルガン)、オプションでトランペット&ティンパニ

ヴァイオリン1とオーボエ1、ヴァイオリン2とオーボエ2は、多くの場合、同じ旋律を演奏。チェロ、コントラバス、ファゴット、鍵盤楽器の左手は、同じ低音旋律を演奏(チェロとファゴットは、独自の旋律をもらう場合も)。鍵盤楽器の右手は、和音充填を担当((132) 楽譜どおりに演奏しても足りない場合参照)。

この編成は、ヨーロッパ中のイタリア・オペラ劇場、私的・公開コンサート、重要な礼拝、舞踏会などのオーケストラで使われました。特別な機会では弦の数を増やし、管を倍に。また、特殊効果のために例外的に加えられる楽器も(黄泉の国のシーンでトロンボーン、羊飼いのシーンでシャリュモーなど)。逆に低予算の場合、弦楽器は各パート2人、あるいは1人に減らされたそうです1。やがて

ファゴットが独自のパートをもらって独立、管はオーボエ2、ファゴット2、ホルン2に。
フルートが加わり、フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2に。
フルート2になり、フルート2、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2に。
クラリネット2も加わって、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2に。トランペットやティンパニも必須の楽器になり、盛期古典派の編成が完成!2

初めの疑問に戻って。フルートはいったい何と持ち替えだったのでしょう? 答えはオーボエ。古典派の初期においてフルートは、しばしばオーボエ奏者によって演奏されたのです。この2つの楽器は交換可能で、同時に用いられないのが普通でした。モーツァルトのフルート協奏曲第1番第2楽章で、第1・3楽章のオーボエに代わって使われるフルート。現在ではフルート奏者が演奏しますが、当時はオーボエ奏者がここだけフルートを吹いたのです。交響曲にもこのような例があります(ハイドンの24番など)。

そういえば、エステルハージ公のオーケストラ奏者は、弦楽器と管楽器(と打楽器)など複数の楽器を担当していましたね((105) ハイドンの給料 (1) 表1の13や19参照)。今ではほとんど考えられないオーボエとフルートの持ち替えですが、当時は朝飯前だったのかな?!!

  1. J. Spitzer & N. Zaslaw, ‘Orchestra,’The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 18, Macmillan, 2001, p. 533.
  2. 鍵盤楽器が用いられた時期に関しては、様々な説があります。
24. 7月 2013 · (143) オーケストラの起源 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

管・弦・打楽器が一定の秩序に基づいて一緒に音楽を奏でるオーケストラ。用語は古代ギリシア劇の「円形舞踏場オルケストラ」に由来します((29) オーケストラは「踊り場」だった参照)が、オーケストラ音楽の出発点は?

全てはここから始まった!と言えるような、唯一無二の起点というわけではありませんが、モンテヴェルディの《オルフェオ》が出発点の1つであることは間違いありません。1607年(バロック時代の初め)に北イタリアのマントヴァで初演された、最初期のオペラの傑作で、オペラの(実質的な)出発点。その伴奏アンサンブルがオーケストラの出発点と考えられる理由は、以下の3点。

第1は楽器編成。図1は、1609年に出版された《オルフェオ》スコアの楽器リストとそれを3つに分類したもの。ずいぶんいろいろな楽器が必要です1。キタローネ(ネックがすごく長い大型リュート)など、現在使われていない楽器の名も。

図1:モンテヴェルディ作曲オペラ《オルフェオ》の楽器リスト

図1:モンテヴェルディ《オルフェオ》の楽器リスト(クリックで拡大します)

オペラの歌唱を伴奏する通奏低音楽器((132) 楽譜どおりに演奏しても足りない場合参照)もさまざま。伴奏楽器を変えて、登場人物を描き分けているからです。たとえば、竪琴の名手オルフェオにはハープや柔らかい音のする木管オルガンを用いる一方、冥府の番人カロンテには耳障りな音がするレガール(金属リードのオルガン)が使われます。弦楽器の数や管楽器の種類も多いですね。トロンボーン((44) 神の楽器? トロンボーン(2)参照)やコルネット(現在のコルネットとは異なる、円錐形の木管楽器)は冥界、リコーダーは地上の場面と、管楽器も描き分けに加わります。

しかも、楽器や数が楽譜に指定されています。これが2つ目の理由。当時の器楽は主に即興(踊りの伴奏など)か、声楽の代わりや支えとして使われていました。どんな楽器を使うか、どのパートを担当するかは、奏者に任されていたのです。《オルフェオ》は、ジョヴァンニ・ガブリエーリの《弱と強のソナタ》などとともに、楽器が指定された最初期の例です。

そして第3の理由は、オペラにおいて器楽曲が重要な役割を果たしていること。たとえば、幕が上がる前に奏される《トッカータ》。五声部の最上声にクラリーノ(高音域のトランペット)が指定された華やかなファンファーレ風の曲は、マントヴァ侯爵らが入場し、席に着く間に奏される音楽です2。でも、現実と異なる時間の始まりを告げるオペラの序曲と捉えても、違和感はありません。楽器名は書かれていません(し、上記の楽器リストにも含まれていません)が、ティンパニのような打楽器が一緒に奏されたことは間違いないでしょう。《トッカータ》に続いて音楽の神が歌うプロローグの、間奏として何度も繰り返される《リトルネッロ》は、第2幕や第5幕でも奏されます。冒頭の音楽が戻って来ることで共通の雰囲気を醸し出し、まとまり感を与えています。

前回((141) やかましかった!参照)のオペラ指揮の話を読んで、オペラとオーケストラは大きく異なるジャンルなのにと思われた方もおられたでしょう。しかし、オーケストラの起源(の1つ)はオペラの器楽伴奏アンサンブルですし、交響曲の直接の先祖(の1つ)はシンフォニーア(イタリア風序曲)と呼ばれるオペラ序曲((18) 赤ちゃん交響曲誕生まで参照)。オーケストラはオペラに多くを負っているのです。

  1. 1615年に再版されたスコアより。内容は1609年出版の初版と変わりません。
  2. 石多正男『交響曲の生涯』東京書籍、2006年、38ページ。
10. 7月 2013 · (141) どこを向いていたのか? 指揮者のお仕事 (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

問題です。19世紀初め、コンサート指揮者はどこを向いていたでしょうか? わざわざクイズにするくらいだから、現在のようにオーケストラ奏者の方を向いていたのではなかったのかなと考えた方、鋭い! 正解はなんと「聴衆の方を向いていた」。

図1 ヨハン・シュトラウス2世:《コヴェント・ガーデンの思い出》ピアノ独奏楽譜の表紙

図1 ヨハン・シュトラウス2世:《コヴェント・ガーデンの思い出》ピアノ独奏楽譜の表紙

それで思い出したのが、ヨハン・シュトラウス2世がイギリス・ツアーをしたときに作曲&演奏した、《コヴェント・ガーデンの思い出》ピアノ譜(1868出版)の表紙イラスト(図1。(57) ヨハン・シュトラウスは人気者(96) オーケストラの楽器配置に続いて3回目の登場。ロッシーニみたいですみません)。右端で弓を振り上げて指揮しているのが、シュトラウス2世ご本人。どうしてお客さんの方を向いているのかな?と、ちらっと不思議に思ったのですが、あまり気にしなかった私(現在も指揮者が客席を振り向くことがありますし)。でも、イギリスの聴衆への特別サービスではなく、指揮ってこういうものだったのですね。

ステージの最も聴衆側で指揮するとも限らなかったようです。図2左は、1849年にロンドンでプロムナード・コンサートを指揮するルイ・ジュリアン1。こちら側を向いているだけではなく、オーケストラの真ん中に立って指揮をしていますね。コヴェント・ガーデン劇場でオーケストラと4つの軍楽隊のための《イギリス陸軍カドリーユ》を指揮したときも、ジュリアンは奏者の中にいます(図2右)2。もちろん、様々なソロの部分にさしかかるときは、その奏者の方に向いて指示を与えたそうですが。

図2左:ロンドン、プロムナード・コンサート、1849年。図2右:ロンドン、コヴェント・ガーデン劇場でのコンサート、1846年

図2:ルイ・ジュリアンの指揮。左:プロムナード・コンサート、1849年。右:《イギリス陸軍カドリーユ》、1846年

1881年にドイツの音楽学者 Hermann Zopff が、指揮者は全ての奏者を見ることができるように、また彼らが指揮者の顔の表情を見ることができるように(聴衆に背を向けて)指揮するように勧めています3。1889年に同じことを書いている Schroeder によると、多くのコンサート指揮者は軍楽隊やプロムナード・コンサートの指揮者と同様に聴衆の方に顔を向け、可能なときには聴衆の気を引こうとしていたそうです4

さらに、「斜め」という選択も。1829年ベルリンで、バッハの《マタイ受難曲》を復活上演したメンデルスゾーン(当時若干20歳!)。彼は右側をオーケストラに向け、舞台を斜めに見渡す角度で指揮したそうです5。ドイツでは1890年代になっても、ステージの中央ではなく少し右側に立って、左側を少し聴衆の方に向ける指揮の構えが残っていました。聴衆への礼儀(おしりを向け続けているのは失礼?!)と音楽上の必要性のどちらが大切かという問題だけではなく、コンサート・オーケストラが成立するまでの道のりも影響しているように思います。この件については改めて。

  1. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. 1988, Univ. of Rochester Press, p. 81 (Nettel, The Orchestra in England, J. Cape, 1956, p. 137).
  2. Spitzer, John & Zaslaw, Neal, “Orchestra” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 18. Macmillan, 2001, p. 542 (Illustrated London News, 1846年11月7日).
  3. Koury, 前掲書, p. 80.
  4. 同上。
  5. 同上、pp. 79-80.
22. 5月 2013 · (134) 楽器奏者が足りないとき はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

以前、オーケストラ・レポート((47) 見る人は見ている参照)で管楽器専攻の学生さんが、「オーケストラでは、必ず指定された楽器を使わなければならないの?」という素朴な疑問を書いていました。吹奏楽では、楽器が無いあるいは奏者がいない場合、そのパートは省略したり、他のパートと重なっていない部分を違う楽器で代奏したりします(私も高校時代、ブラスバンド部でした)。でもオーケストラでは、たとえ1曲だけしか使わない特殊な楽器でも、演奏会では賛助の方をお願いしますよね。管弦楽の楽器指定は絶対に守らなければならないもので、吹奏楽のような柔軟な対応は許されないのー?と思っていたら。モーツァルトが、自作を指定以外の楽器で演奏しても構わないと言っているではありませんか!

『イ長調』の協奏曲には、2本のクラリネットがあります。――もしそちらの宮廷にクラリネット奏者がいないなら、第1奏者がヴァイオリンに、第2奏者がヴィオラによって演奏されるよう、もとの調に、有能な写譜屋なら移調してくれるでしょう。――1

これは、1786年に書かれた手紙の中の、ピアノ協奏曲第23番イ長調 KV 488 についての記述。モーツァルトは同年8月8日、以前モーツァルト家の従僕であったゼバスティアン・ヴィンターを通じて、ドーナウエッシンゲンのヨーゼフ・ヴェンツェル・フォン・フュルステンベルク侯爵に「最近の」作品を売り込みました。9月30日付けヴィンター宛の手紙で、「自分のために、あるいは愛好家や音楽通の小さなサークルのために」書いた作品の中から、注文された交響曲3曲とククラヴィーア協奏曲3曲の楽譜を、翌日別便で送ると報告。クラリネットの対処法を書き、写譜代119フロリーン39クロイツァーを請求しています。

彼の時代、この新しい楽器((113) 愛の楽器? クラリネット (1)参照)を吹ける人は多くありませんでした。パリのコンセール・スピリテュエルや、マンハイム宮廷のような、クラリネットが2本揃ったオーケストラは例外的((115) 同 (2)参照)。「侯爵様はオーケストラをお持ち」だけれど、おそらくクラリネット奏者はいないだろうと考えたのでしょう。

なぜ侯爵が、奏者のいない楽器を含む曲を選んだのかという疑問(他の5曲はクラリネット無し)は、すぐに解けました。手紙の中には、室内楽以外の曲の楽器編成が書かれていなかったからです。図1のように、最近作のリストは冒頭3〜4小節の旋律(インキピット、インチピットとも)のみ。速さと調しかわかりません。つまりモーツァルトは、注文主が曲を選ぶ際に、楽器編成(特にクラリネット・パートの有無)は重要ではないと考えたということ。奏者がそろわなければ他の楽器を使えば良いのですから。

このヴィンター宛ての2通は、モーツァルトが自分の定収入を増やすために考えたアイディア(毎年、フュステンベルク侯のために何曲かの新作を書いて、年棒を受け取るという彼の提案は、実現しませんでしたが)などを伝える、貴重な資料になっています。しかし私は、オーケストラにおける柔軟な対応や代奏の容認という点からも、もっと注目されるべきだと思います。クラリネット代わりに弦楽器という指示も、興味深いですね(これについては改めて書くつもりです)。

図1は、8月8日の手紙にモーツァルトが同封した、インキピットのリスト2。五線紙の上の余白には、シンフォニーア(交響曲)、ヴォルフガング・アマデーオ・モーツァルトと書き込まれています(1段目の曲の速度記号も)。10段ある五線各段の記入事項は:

  1. 1(KV 425 36番《リンツ》) 2(KV 385 35番《ハフナー》)
  2. 3(KV 319 33番) 4(KV 338 34番)
  3. チェンバロ協奏曲(クラヴィーア協奏曲)
  4. 1(KV 453 17番) 2(KV 456 18番)
  5. 3(KV 451 16番) 4 (KV 459 19番)
  6. 5(KV 488 23番、クラリネット入り)
  7. ヴァイオリン付きチェンバロ・ソナタ(ヴァイオリン・ソナタ) チェンバロ、ヴァイオリン、チェロのための3重奏曲(クラヴィーア3重奏曲)
  8. (KV 481 KV 496)
  9. チェンバロ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための4重奏曲(クラヴィーア4重奏曲)
  10. (KV 478)

五線紙右側の余白の文字は「線引きして消していないものは選んだもの。1786年9月11日。ドーナウエッシンゲン、S. ヴィンター」。計6曲が、モーツァルトのインクよりも黒い色の、斜線によって消されています。下から3段目の斜線があまり黒くないのは、書き込んだ時期が違うためかもしれません。これだけの材料から、侯爵がどうやって6曲を選んだのか、ちょっと不思議ですね。

図1:モーツァルトの手紙(1786年8月8日)に添えられた、最新作のインキピット

図1:モーツァルトの手紙(1786年8月8日)に添えられた、「最近作」のインキピット

  1. 『モーツァルト書簡全集 VI』海老沢敏・高橋英郎編訳、白水社、2001年、299–304。他の短い引用もこの資料から。
  2. バーデン州立図書館HPより。Badische Landesbibliothek, Don Mus. Autogr. 44.
30. 1月 2013 · (118) ヴィブラートは装飾音だった (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

バロック時代には「恐れ」「冷たさ」など、主に否定的な感情を強調するために、長い音にのみ用いられたヴィブラート((117) 参照)。18世紀半ばにレオポルト・モーツァルトは、「中風持ちのように全ての音を絶え間なく震わせる」のではなく、「最後の音、長く保持される音」にのみ用いよと書いています。ところが、ほぼ同じ時期にイタリア人ヴァイオリニスト、ジェミニアーニが『ヴァイオリン奏法(1751)』「よいセンスで演奏するために必要な装飾法」の中で書いたのは:

クローズ・シェイク(close shake 訳注:ヴィブラート)を(中略)音を徐々に長くスウェリングさせ、弓はブリッジに近づけてひき、強く終わると、威厳や権威を表すことができる。しかし、短く、低く、小さくすると苦悩や恐怖などを表わす(ママ)ことができる。そして、短い音にこのクローズ・シェイクをつけると、音を快いものにする効果がある。このためだけだとしても、これはできるだけしばしば使われるべきである1

L. モーツァルトの、ヴィブラートは長い音にだけという記述と異なりますね2。イタリア語圏とドイツ語圏のヴァイオリン奏法の違いの反映かと思ったのですが、L. モーツァルトのヴィブラートの記述全体は、イタリア人ヴァイオリニスト、タルティーニの装飾に関する論文に由来しているという指摘もあり、そのような単純な理由ではなさそうです3

ザスローはこのジェミニアーニの説を例外とみなし、モーツァルトの時代は「ヴィブラートはソリストによってつつましく使われるもので、よく訓練されたオーケストラ奏者による使用は一般に控えられていた」と書きました4。これに異を唱えたのがノイマン。フランスのフルート奏者オトテールがフルート奏法の著作(1707)の中で「ほとんど全ての長い音に」ヴィブラートを使うように書いていることなどを理由に、(ソロ奏法とオーケストラ奏法との間に、違いが存在したことは認めつつ)オーケストラ奏者ノン・ヴィブラート説に反対しています5。確かに、オーケストラ奏者はヴィブラートを控え目にと書かれた資料は、見つかっていないのです。

このように、どの程度の頻度でソリストが、あるいはオーケストラ奏者がヴィブラートを用いていたか、見解はまとまっていません。確実に言えるのは、

  • 音を豊かにするために、常にヴィブラートをかけながら弦楽器を演奏するようになったのは、20世紀最初の四半世紀以降6

ということ(だけ)。それまでずっとヴィブラートは、特別な効果のためにとっておくものでした。

ヴィブラートについて調べていて印象に残ったのは、20世紀におけるこの大きな転換が、「オーケストラでガット弦に代わってスティール弦が使われるようになったことと、密接に関係していたと思われる」「古い時代の装飾音としてのヴィブラートは、その豊かな表現能力を失ってしまった」というメーンス=ヘーネンの指摘7。「ヴィブラートを使わない=ピリオド奏法」というような単純で極端なものではありません。指揮者や演奏者の「センス」や「眼識」が問われる、非常に繊細な問題であることを忘れてはならないでしょう。

  1. フランチェスコ・ジェミニアーニ『バロックのヴァイオリン奏法』サイモン・モリス解説、内田智雄訳、シンフォニア、1993、27。
  2. 橋本英二は「あくまで装飾音として扱っていて、いつも使うとは述べていない」と書いていますが(『バロックから初期古典派までの音楽の奏法』音楽之友社、2005、73)、いささか苦しい解釈のように思われます。
  3. Neumann, Frederick, ‘The Vibrato Controversy’ Performance Practice Review, vol. 4 (1991), 22.
  4. Zaslaw, Neal, Mozart’s Symphonies, Oxford Univ. Press, 1989, 480 – 81(邦訳が出ていますが未確認)。
  5. Neumann、15。
  6. ノリントンは2003年2月16日付けニューヨーク・タイムズで、絶え間なくヴィブラートを使い始めたのはクライスラーらしいと書いています(’Music: Time to Rid Orchestras of the Shake’ http://www.nytimes.com/2003/02/16/arts/music-time-to-rid-orchestras-of-the-shakes.html?src=pm)。レオポルト・アウアーやカール・フレッシュのように、20世紀のヴァイオリニストの中にもヴィブラートを控えめに、あるいは妥当な意味があるときだけに用いるようにと述べる者もいました。
  7. Moens-Haenen, Greta, ‘Vibrato,’  New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, p. 525.

おかげさまで、聖フィル♥コラム100回目! いつも読んでくださる皆さま、今、初めて読んでくださっている皆さま、どうもありがとうございます。

毎日、編集者用の統計ページで訪問者数や閲覧数、オンライン中の訪問者数などをチェックしながら一喜一憂。アメリカからは週末を中心に、珍しいところではウクライナからたびたびアクセスがあります。いつも同じ方(方々)でしょうか。ツイートやいいね!ボタンを押してくださる方、お知り合いに紹介してくださる方、どうもありがとうございます。やはり、たくさんの方に読んでいただけると書き甲斐があります。今年11月の2周年、来年11月の3周年を目指して続けますので、どうぞこれからもご愛読くださいませ。

100回目の今回は、私の人生を変えた曲についてです。大学3年の時、ハイドンの交響曲を概観するゼミを受講しました。皆(20人くらい)で手分けして100余曲の基本データ(成立や資料の整理と、各楽章の調性・拍子・速度・小節数・使用楽器とその音域など)をまとめる一方、主要な曲を分担して特徴を調べ、譜例を用いて発表するという内容でした。予め成立年代順にリストアップしていた交響曲を、T先生が受講生の名簿順に機械的に割り当てたところ、私は45番の担当になりました。

《告別》というニックネームで知られる45番。作曲のいきさつは、(55) ハイドンの場合:管弦と管絃 part 3で説明したとおりです。「急―緩―メヌエット―急」の通常の4楽章構成だと思ったら、終楽章が速いまま終わらずに、拍子も調性も速度も異なる音楽が始まり、しかも奏者が次第に減ってしまいます。数あるハイドンの交響曲の中でも、背景や音楽内容が特殊なこの45番が当たる(!!)とは、なんてラッキー!

譜例1:ハイドン作曲 交響曲 Hob. I/45《告別》第4楽章 Adagio

第4楽章後半アダージォは、12声部で書かれています(譜例1)。最初にオーボエ1とホルン2、次にファゴットという具合に、短いソロをした後、ろうそくを吹き消して奏者が退場1。最後まで残るヴァイオリン1と2を弾いていたのは、エステルハージ候お気に入りのイタリア人コンサート・マスター、ルイジ・トマジーニと楽長ハイドン。弱音器をつけたヴァイオリン二重奏が静かに終了し、彼らも退場。真っ暗にという趣向。

ここで疑問に思ったのは、ヴァイオリン奏者の人数でした。4パートのうち、1と3がファースト、2と4がセカンドですが、各パート1人ずつで弾いていたのか、あるいは3と4のパートは複数の奏者から成り立っていたのか。規模については先生もご存知無く、私は翌週まで、当時のエステルハージのオーケストラの編成に関する資料を捜すことになりました。

幸いにも、ランドンの分厚い研究書の中に、この交響曲が作曲された1772年の楽士の月給リストを発見(表1)2。ヴァイオリン奏者は3人だけ!?! でもよく読むと、ヴァイオリンとヴィオラを弾ける者は全部で8名。そのうち2人がヴィオラを担当したとしても、トマジーニとハイドン以外に、ヴァイオリン3と4のパートを2人ずつ演奏できたはずとわかりました。2つのパートを計3人ずつで弾いていたのが弱音器を付けた2人だけに減るなら、寂しい感じが高まり、効果的です。

給料リストを載せた配布資料を見ながら、先生が「他に何かコメントは?」と尋ねてくださったので、ホルン奏者が6人もいる理由を説明しました。「当時は複数の楽器を演奏できる楽士が多かった→ホルン奏者は狩りのお供をする仕事もあり、給料が高かった→(少しでも)ホルンを演奏できる楽士は、最初に契約する際にホルン奏者として契約した」のだそうです(表1の右側に、他にも演奏できた楽器名を加えてあります)。

まるで、事件を解き明かしていく探偵みたい。資料を探して音楽に関する疑問を解決するリサーチって、おもしろいものだなと私が初めて感じたのは、この発表の時でした。これをきっかけに大学院進学を真剣に考え始め、後にはアメリカの大学の博士課程にも進むことになります。

もしも学籍番号が、あるいは受講生の数が1つでもずれていたら、私は《告別》の担当にならなかったはず。奏者の人数についての疑問も持たず、分担に必要な資料だけ読んで発表を終え、大学院には進まず、今頃、全く違う人生を歩いていたことでしょう(実際、後期に発表したもう1曲の方は、番号すら覚えていません)。ほんのわずかの偶然が、私を《告別》に引き寄せ、音楽学の楽しさを教えてくれたのです。そして現在、楽譜を音にする以外にもある音楽のおもしろさを、なるべく多くの人に伝えたくて、こうして毎週コラムを書いています。人生って本当に不思議です。

表1:楽士の給料リスト(1772年1月)クリックで拡大します

  1. チェロ以外は立って演奏していたので、退場も楽でした。(96) オーケストラの楽器配置参照。
  2. H. C. Robbins Landon, Haydn: Chronicle and Works, Haydn at Eszterháza 1766-1790. Thames and Hudson, 1978, p. 91. これは1月の支給額ですが、《告別》の作曲はおそらく同年11月後半です。前掲書、pp. 181-2.
29. 8月 2012 · (96) オーケストラの楽器配置(ライプツィヒ、1835) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

(89) どこで弾いていたのか? 第九の初演 (2) の図2を見て、オーケストラが合唱団の後ろで演奏していたことだけではなく、楽器の配置が現在とずいぶん違うことに驚かれたことでしょう。現在の配置の元を作ったのは、メンデルスゾーンと言われています。1835年にカペルマイスターとなったライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団で彼が採用したオーケストラの配置は、1843年にロンドンにも導入され、多くの点で「完全に革命的」と評されたそうです(図1。図はすべてクリックで拡大します)1

図1:メンデルスゾーンによる「完全に革命的」な楽器配置

手前が客席。指揮者を中心に、半円形に楽器奏者が並びます。いわゆる対向型とか両翼型と呼ばれる形ですが、ファーストとセカンドの位置が現在と逆。その間に書かれた楽器名はチェロ、その後ろがコントラバスのご先祖さま Violone ですね 。あれれ、何か足りないような……。そうか、ヴィオラがとんでいる。ヴィオラはどこ? ありました。3列目、木管楽器の右側。他の弦楽器よりも冷遇されていますね。

4種類の木管楽器は、音域が高い方から順番に右から一列に並んでいますね。その後ろに金管楽器。人数が多いホルンとトロンボーンが手前。バロック時代から祝祭的な音楽にペアで使われて来たトランペットとティンパニが、最も後ろです(ちゃんとPaukenもあります!)。図2は、1850年の、ゲヴァントハウス管弦楽団のリハーサルを描いたもの2。チェロの手前は、セカンド・ヴァイオリンということでしょうか。1人だけ台の上で弾いているのは、コンサート・マスターでしょうね。彼をはじめ、ヴァイオリンは立っています。

図2:ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏風景

ところで、この「革命的」な配置が導入されるまで、オーケストラの楽器はどのような配置だったのでしょう。ロンドンでは、指揮者を中心に奏者が客席に顔を向けて演奏していて、コントラバスが前にいたので、ヴァイオリンの主旋律が聴こえにくかったそうです。現在と全く違うので、想像しづらい……?

実は、全くの偶然ながら、既にこのような配置をご紹介していました。(57) ヨハン・シュトラウスは人気者の図1としてあげた楽譜の表紙を再掲します(図3)。右上に描かれたコヴェント・ガーデンでの演奏図(1867年)。観客席に向いて弓を振りながら指揮するヨハン・シュトラウス2世の左側に、ずらっと並んだ譜面台。演奏している楽器ははっきりしませんが、譜面台がこの向きで置かれているということは、奏者も客席の方を向いているということですね。それと、指揮者の右側の端に見えるのは、もしかしたらコントラバスと弓(白い横線)ではないでしょうか? このコラムを書いたときには、大人気のヨハン・シュトラウス楽団だからかと思ったのですが、それほど変わった風景ではなかったようです。

作曲家としての活躍以外に、バッハの《マタイ受難曲》を蘇演してバッハ・リバイバルのきっかけを作ったメンデルスゾーン。指揮者としても、大きな功績があったのですね。

図3:ヨハン・シュトラウス2世:《コヴェント・ガーデンの思い出》ピアノ独奏楽譜の表紙

  1. 森泰彦「ベートーヴェンのオーケストラ作品の演奏解釈」『ベートーヴェン全集10』講談社、2000、138ページ。
  2. 田村和紀夫『クラシック音楽の世界』新星出版社、2011、173ページ。
12. 7月 2012 · (89) どこで弾いていたのか?:《第九》の初演 (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

「もちろん、オーケストラはステージ前方でしょ? 奥に合唱団が並んで」とお思いの方が多いでしょうが、残念ながら違います。(26) クラシック音楽ファンの常識?で書いたように、音楽と言ったら声楽。器楽は1段(?)劣る脇役と考えられていました。ステージ上で演奏する(できる)のは、ソリスト(声楽でも器楽でも)と、歌の人。

オーケストラが演奏する場所は、いわゆる「オーケストラ」。古代ギリシアの劇場で舞踏場だった、ステージと客席の間のスペースですね((29) オーケストラは「踊り場」だった!?参照)。客席とは仕切りを隔てているだけです。図1は《第九》が初演された、ヴィーンのケルントナートーア劇場の「オーケストラ(踊り場」)。指揮者の位置は、現在と違って舞台のすぐ下。奏者は、客席に背を向けるようにして演奏していました。オーケストラだけの演奏会では、舞台には幕が下ろされていたそうです1

図1:ケルントナートーア劇場の「オーケストラ」

オーケストラがステージの上で演奏するようになるのは、19世紀半ば。ただ、上は上でも……。図2は、ヴィーンのコンセール・スピリチュエル(楽友協会と並ぶ、アマチュアの音楽団体)の楽器配置。舞台手前は独唱と合唱団の場所で、楽器奏者はその後です。相変わらず、声楽の方が器楽よりも偉かったというか、重用視されていたことがわかります。奥左側にヴァイオリンとヴィオラ(読み取れないのですが、最前列右端がコンサート・マスターのようです)、中央のオルガンの前に低弦、右側が管楽器(図2’をクリックで拡大してご覧ください)。打楽器が見当たらないのですが?

図2:ヴィーンのコンセール・スピリチュエルの楽器配置

図2’:ヴィーンのコンセール・スピリチュエルの楽器配置

図3は、1874年に行われたベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》の演奏会。《第九》初演の際に、ヴィーンでの部分初演が行われた曲です。手前に聴衆が座っています。黒い服を着た指揮者の左側に、独唱者が4人、右側にヴァイオリンの独奏者。左右両側に、合唱の女性たち。男性は、その後ろのようです。そして、ソリストたちの後ろ、舞台の中央にオーケストラの団員たち2。譜面台が置かれているので、区別できますね。最前列にヴァイオリンが見えます。ベートーヴェンの胸像が置かれた正面バルコニーの下にも、奏者が並んでいるようです。合唱、オーケストラとも大人数! 管楽器は倍管でしょうか((84) 倍管は珍しくなかった参照)。

図3:ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》の上演(1874)

そうそう、図2を見て、合唱の後ろでは楽器奏者は指揮が見えなかったのではとご心配の方へ。オケのメンバーも立って演奏していました。ご安心ください。

  1. 小宮正安『オーケストラの文明史』、春秋社、2011、115ページ。図2〜3も同書より。図2:103ページ、図3:109ページ(図版提供:ウィーン楽友協会資料室)。
  2. 前掲書109ページに「舞台の前方はあいかわらず声楽によって占められているが、彼らの中に独奏ヴァイオリンが唯一の器楽として姿を見せている」と書かれた説明は正確ですが、図2のような「器楽は後ろ半分」の配置ではなくなっているのが、大きな変化と言えるでしょう。
02. 11月 2011 · (53) 打楽器は部屋の外?!:管絃と管弦 part 2 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

(52) なぜ管弦打楽と呼ばないのか:管絃 part 1で紹介したように、雅楽の「管絃」は、平安時代から続く日本の伝統音楽です。私たちは西洋のオーケストラについては詳しいのに、自国の器楽アンサンブルについてはあまり(ほとんど?)知りませんよね。というわけで、 オーケストラとの比較も交えながら「管絃」についてもう少し説明したいと思います。

図1 管絃の楽器配置

図1 管絃の楽器配置

すでに述べたように、雅楽の中の(舞を伴わない)管絃の楽器編成は、三管二弦三鼓。管楽器は、横笛・篳篥・笙3つのパートを同人数で演奏します。現在は、3人ずつの「三管どおり」(三管編成ですね。図1参照)が基本。楽琵琶と楽箏の絃楽器は、管より少ない2人ずつになることが多いのですが、打楽器(鞨鼓、楽太鼓、鉦鼓)は編成の大小に関わらず、必ず各パート1人ずつです。

雅楽の曲は最初はゆっくり始まり、次第にゆるやかにテンポが上がります。指揮者の代わりにテンポ・メーカーとしてアンサンブルを統率するのは(オーケストラならヴァイオリンのトップですが)、管絃では鞨鼓奏者(図1手前右③)。先端が豆状の2本の細い桴で一定のリズム・パターンを繰り返し打ちながら、少しずつテンポを上げていきます。他の奏者は、阿吽の呼吸でこれに合わせます。

西洋音楽では普通、打楽器奏者は打楽器しか受け持ちません。雅楽の場合、打ちもの専門の奏者はおらず、鞨鼓は楽人たちの中の一の者、太鼓はニの者、鉦鼓は三の者が担当したそうです。つまり打楽器は、管楽器などの経験も豊富で上手な者しか打てなかった。もし演奏に何か問題があれば、鞨鼓奏者は腹を切るくらいの覚悟で臨んでいたといいますから、大変な重責だったのですね1

現在、雅楽を伝承する宮内庁式部職楽部において、楽師たちは三管(笙・横笛・篳篥)から1つ、ニ絃(琵琶・箏)のいずれか、三鼓(鞨鼓・楽太鼓・鉦鼓)はすべて、それに2種類の舞(右舞・左舞)のいずれかと、歌もの(神楽歌・郢曲)すべてを教習します。演奏会で鞨鼓を担当するのは、主席楽長。楽部に限らず現代の雅楽コンサートでは、オーケストラの指揮者のように、鞨鼓奏者が代表しておじぎします。

というわけで、今回のまとめ:

  1. 西洋のオーケストラの歴史は、モンテヴェルディの《オルフェオ》((44) 神の楽器 ? トロンボーン part 2 参照)以来としてもわずか (?!) 400年。一方、日本の雅楽の管絃は1000年以上の伝統を持つ2
  2. その管絃におけるリーダーは、打楽器である。

前回のコラム図2で、打ちものの楽人たちが部屋の外で演奏しているのは、彼らが庶民だからであって、打楽器奏者だからではありません。もしも貴族の管楽器奏者が揃わなければ、あるいは補強が必要であれば、楽人が部屋の外で管楽器を演奏したはずです3。打楽器の皆さま、「打楽器は部屋の外とは、悲しい〜!」なんて、思わないでくださいね。

  1. htm3nkmrさんの情報に感謝します。
  2. 管絃は9世紀ころに新しく生まれた合奏形式。様々な楽舞を伝承するために、大宝律令によって雅楽寮(うたまいのつかさ)が設立されたのは、701年のことでした。
  3. 楽琵琶と楽箏の弾きもの(と歌もの)は、殿上人=貴族以外は演奏出来ませんでした。