07. 12月 2016 · (298) ストコフスキーの楽器配置 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

20世紀に入ってからも使われていた、オーケストラの対向配置((296) 英語で何と言うのか?参照)。セカンド・ヴァイオリン(以下、ファースト、セカンドはヴァイオリンを指す)を、ファーストに向き合う形で指揮者の右側に置く配置です。ファーストとセカンドを左側にまとめる現在の配置は、ヘンリー・ウッドが先に採用したにもかかわらず((297) 対向配置を変えたのは誰?参照)、「ストコフスキー・シフト」として知られていますね。実はストコフスキーは、これ以外にも様々な配置を試みました。

ユニークなのが、木管楽器と弦楽器の位置を逆にした配置(図1)。半円形に並んだ前2列に木管楽器、その後ろの左側に金管楽器、右側にホルンと打楽器。間にヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが座り、一番後ろはコントラバス。Koury はこれを「(いわゆる)upside-down seating 逆さま配置」と呼んでいます1

図1:逆さま配置

図1:逆さま配置

まさか本当に使われたんじゃないでしょ?!と思った方、本当だったんですよ(写真12)。1939年から40年にかけてのことです。当時の音楽において管楽器の重要性が高まったことや、後ろの壁に近い方が、弦楽器の音がより効果的に反響すると考えられたことなどが理由3。最後列にずらりと並んだコントラバスは、なかなか壮観ですね。1940年の全米青年管弦楽団(All American Youth Orchestra)演奏会では、コントラバスの前にチェロも一列に並ぶ「逆さま配置」が使われました。

写真1:フィラデルフィア管弦楽団、1939年

写真1:フィラデルフィア管弦楽団、1939年

写真2は、1957年のヒューストン交響楽団の配置。「逆さま配置」は放棄され、ヴァイオリンが手前左、ヴィオラがその右。ヴィオラの後ろの手前右に木管楽器、さらに後ろに打楽器。金管楽器は中央に並んでいます(左側にテューバが見えますね)。そして、最後部に横1列のコントラバス、その前にチェロが並びます。セリ台はかなりの高さ。コントラバスが乗る最上段は、打楽器奏者の頭ほどの高さです。

写真2:ヒューストン交響楽団、1957年

写真2:ヒューストン交響楽団、1957年

弦楽器を左側、管楽器を右側に分ける配置も試されました(図2)。弦と菅が互いに掛け合うようなフレーズで効果的と考えられたのです。楽器配置だけでなく、平らな舞台のままかセリ台を使うかなども、ストコフスキーの実験の対象でした。また、フィラデルフィア管弦楽団では弦楽器の上げ弓・下げ弓を定めず、個々の奏者に任せる「自由ボウイング free bowing」も採用されました4

ストコフスキーの試みは、このようにかなり風変わり。ただ彼は、奇をてらったり気まぐれでこれらを試したのではなく、より良い響きを求めて工夫を重ねていたのです。ヴァイオリンを左側にまとめるストコフスキー・シフトは、現在世界中のオーケストラのスタンダードですが、当時の人たちはきっと、私たちが図1や図2を見て驚くのと同じくらい驚いたのでしょうね。来週のコラムはお休みさせていただきます。

図2:弦楽器を左、管楽器を右に置く配置

図2:弦楽器を左、管楽器を右に分ける配置

  1. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988, p. 310. 図1と2は同書 p. 311より。
  2. Huffmann, Larry, “Interviews with Leopold Stokowski,” http://www.stokowski.org/. 写真2も。
  3. Koury, p. 310.
  4. Del Mar, Norman, Anatomiy of the Orchestra, Faber & Faber, 1981, p. 77.
30. 11月 2016 · (297) 対向配置を変えたのは誰?  はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

ロンドン生まれの指揮者、レオポルド・ストコフスキー(1882〜1977)。「全てのヴァイオリンを同じ側に置く彼の新手法は、今でも標準的な慣習である」と、イギリスの音楽事典にも書かれています1。彼は「伝統的なオーケストラ配置(対向配置)はもはや現代の要求を満たさないと、かなり早い時点で」判断。アメリカのフィラデルフィア管弦楽団で、実験的な試みを行いました2

セカンド・ヴァイオリン(以下、ファースト、セカンドはヴァイオリンを指す)をファーストの隣、ヴィオラを中央、チェロを右側にする配置は「ストコフスキー・シフト」と呼ばれ、アメリカのほとんどのオーケストラのスタンダードになりました。しかしながら、この新しい配置にしたのはストコフスキーが最初ではありません。彼がフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者になったのは1912年ですが、この配置を含む様々な実験を行うのは、1920年代後半以降3。それまでは、(296) 英語でなんというのか?の図3のように、右側にセカンドを置く伝統的な対向配置を使っていました。

ストコフスキーより早い時期にファーストの隣にセカンドを置く配置を始めていたのは、同じロンドン生まれの指揮者ヘンリー・ウッド(1869〜1944)4。同世代のトスカニーニやメンゲルベルクらの陰に隠れた感がありますが、ロンドンの夏の名物「プロムス」の指揮を、第1回目(1895年)から務めた指揮者です。現在もプロムス期間中、彼の胸像がオルガン前に置かれるのが慣例になっています(昨年夏、初めてプロムスを体験をし、巨大なロイヤル・アルバート・ホールでその胸像を遠くから拝んできました)。

ヘンリー・ウッドは長く続いていた対向配置の慣例を破って、左側に全ヴァイオリンを並べました。この目新しい配置に「時に、作曲家によって意図された交互に歌い交わすような効果を破壊する」と反対する指揮者も 3。しかしヘンリー・ウッドはこの配置により、「より良いアンサンブルが保証される。全ての(ヴァイオリンの)f字孔が客席に向いているので、音量と音質が改良される」と述べています6

ヘンリー・ウッドは1911年に、ロンドン・フィルハーモニック協会オーケストラを、このヴァイオリン配置で指揮しました。図1は1920年にニュー・クイーンズ・ホール・オーケストラを指揮した際の写真です7。左からファースト、セカンド、ヴィオラ、チェロと並び、ヴィオラの後ろあたりにコントラバスが陣取っています。

この配置は次第に広がり、1925年にはクーセヴィツキーがボストン交響楽団で同様の配置を採用しました。ただ、ヘンリー・ウッドがこの配置を、ストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団で試したより早い時期に始めたのは確かですが、最初に始めたかは断言できません。彼はヨーロッパや北アメリカのオーケストラを度々客演しており、誰か他の指揮者のアイディアから着想を得た可能性もあります((298) ストコフスキーの楽器配置に続く)。

図1:ニュー・クイーンズ・オーケストラを指揮するサー・ヘンリー・ウッド(1920)

図1:ニュー・クイーンズ・オーケストラを指揮するサー・ヘンリー・ウッド(1920)

  1. Bowen, Jose, ‘Stokowski, Leopold,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 24. Macmillan, 2001, p. 426.
  2. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988, p.309.
  3. Ibid.
  4. Ibid., p.302.
  5. Ibid.
  6. Ibid., p. 303.「all the S holes」は「f」の誤りでしょう。
  7. Marks, Peter, “Divided violins: Sir Adrian would be pleased,” http://musicdirektor-smallgestures.blogspot.jp.
23. 11月 2016 · (296) 英語で何と言うのか? 対向配置について はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

最近はアマ・オケの演奏会でも、対向配置がそれほど珍しくなくなりました。対向配置とは、セカンド・ヴァイオリンが客席から見て舞台の右側(以後、左右は全て客席側から見た方向)に置かれ、左側のファースト・ヴァイオリンと向かい合う配置(以後、ファースト、セカンドは全てヴァイオリン)。ファーストの隣にチェロ、その後ろにコントラバスが位置し、ヴィオラはチェロとセカンドの間です(図1参照)。舞台左側にファーストとセカンドを並べる配置が一般的になる前に、使われました。

図1:対抗配置(弦のみ)

図1:対向配置(弦のみ)

対向配置は、両翼配置、古典配置とも呼ばれます。これらを英語では何と言うのでしょうか? いろいろ探しているのですが、今のところ特定の用語は見つかりません。そもそも「配置」も、(seating)plan、arrangement、layout、position、placement、setting など、いろいろな語が使われます。「2つのヴァイオリン群が指揮者の両脇に」などと説明されるところを見ると、「対向、両翼」配置は、日本独特の用語?!

ただこれを「伝統的な traditional」配置と呼ぶ記事がいくつかありました1。一方、現在一般的な配置は「現代の modern」配置、あるいは「標準的な standard」配置などです2。また、現在の配置を「アメリカ式」、古い配置を「(古い)ドイツ式」と書いたものもありました3

ところで、対向(両翼)配置はいつ頃使われたのでしょうか。古典派時代? 確かにベートーヴェンは、この配置をうまく利用しています。よくあげられる例が、《第九》第2楽章のフガート。右端のセカンドから始まり、ヴィオラ、チェロ、ファースト、コントラバスと、フガート主題が順に左に受け渡されていきます。

セカンドがファーストの隣りに座るのが一般的になるのは、実はかなり最近のことです。既にご紹介したメンデルスゾーンの革命的配置((96) オーケストラの楽器配置、ライプツィヒ、1835参照。左右逆でしたね)や、パリ((174) パリ、1828)、ロンドン((260) ロンドン、1840)の例のように、19世紀もずっと、対向(両翼)配置が使われました。チャイコフスキーの《悲愴》交響曲(1893)で、ファーストとセカンドが1音ずつ旋律を分担する終楽章冒頭(譜例1参照)は、対向配置によりステレオ効果が際立ちます。

譜例1:チャイコフスキー《悲愴》交響曲終楽章冒頭

譜例1:チャイコフスキー《悲愴》交響曲 終楽章冒頭

マーラーが1905年に《第九》を演奏したときの写真(図2)では、指揮者の左側にチェロが見えます。ストコフスキーが1916年3月2日に、フィラデルフィア管弦楽団とマーラーの《一千人の交響曲》のアメリカ初演を行ったときの写真(図3)も、対向配置ですね。そう、20世紀になっても対向配置が使われていたのです。あれれ、現在の配置を始めたのはストコフスキーではなかったかな……?? ((297) 対向配置を変えたのは誰?(298) ストコフスキーの楽器配置に続く4

図2:ベートーヴェン《第九》を指揮するマーラー(ストラスブール、1905)

図2:ベートーヴェン《第九》を指揮するマーラー(ストラスブール、1905)

図3:ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団(1916)

図3:ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団(1916)

  1. Huffmann, Larry, “Interviews with Leopold Stokowski,” http://www.stokowski.org や、Marks, Peter, “Divided violins: Sir Adrian would be pleased,” http://musicdirektor-smallgestures.blogspot.jp など。後者は「自分は伝統的配置と呼ぶ」と但し書き付きです。図2、図3も Marks より。
  2. 「現代の」は上記 Marks。「標準的」は Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988 など。
  3. Rasmussen, Karl Aage, Laursen, Lasse, “Orchestra size and setting,” trans. by Reinhard, http://theidiomaticorchestra.net.
  4. 漢字のミスを指摘してくださった読者の方、どうもありがとうございます。私、ずっと間違って覚えていました。皆さま、ごめんなさい。
25. 11月 2015 · (261) 続・オーケストラの楽器配置(ロンドン、1840) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

前回に引き続き、19世紀前半のロンドンのオーケストラ配置について。ベルギー出身の音楽評論家フェティス(François-Joseph Fétis, 1784〜1871)は、1829年にロンドンのフィルハーモニー協会オーケストラを聴き、パリのオーケストラ(パリ音楽院演奏協会や、コンセール・スピリテュエルなど)と異なる点を指摘しています1

    1. ひな壇が急。他の人たちのほとんど頭の上の位置で演奏する者も
    2. 指揮者が奏者ではなく聴衆のほうを向いている
    3. 全てのコントラバス奏者が最前列にいる。ただし、演奏する位置は他の楽器奏者よりも低い

1の高低差についてフェティスは、「自分の上や下で行われていることが、奏者にほとんど聴こえない」と批判。でも、3の「フランスの音楽家たちがきっとすごく驚く」であろうコントラバス配置は、「音響学の原理に反する」にもかかわらず、「思ったほど不快ではない」と認めています。理由は1と関連していて、おそらく後ろのヴァイオリン奏者たちがコントラバス奏者よりずっと高い位置で弾いているために、彼らの音がコントラバスの音に妨げられないからと分析しています。

コントラバス最前列の理由は、演奏の拠り所となる低音を目立たせるためでした2。指揮棒の普及とともに、良いアンサンブルを保つための低音重視の慣習は廃れていきます。コントラバスがステージ最前列を占めることもなくなり、前回 (260) 図1でご紹介したように、左右後方2か所に配置されることに。ただ、位置は完全には定まっていなかったようです。下の1843年のロンドンのオーケストラ((260) 図2を再掲)では、左端最前列に2台のコントラバスが見えます。

このオーケストラのイラスト、興味深いですね。歌い手がいなくても、指揮者は舞台の中央に位置していて、前にかなりの数の楽器奏者がいます。(141) どこを向いていたのか? 指揮者のお仕事図2のルイ・ジュリアンも、中央で指揮していました。ここが指揮しやすかったのでしょうか? それとも、1番手前に立つと何人もの奏者が聴衆から見えなくなるから?

フェティスの報告のように、指揮者はこちら=聴衆のほうを向いていますね。長い指揮棒を振っているので、指揮者の後ろ側の奏者がタイミングを合わせることは可能かも。でも、指揮者の手前でこちらを向いて座っている奏者はどうするの? 背中で指揮者の気配を感じる? 指揮者の鼻息に合わせる? 慣れないと(慣れても?!?)かなり難しそうですね。

図2:ロンドンのオーケストラ、1843年

ロンドンのオーケストラ、1843年

  1. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988, p. 211 (source: Fétis, François-Joseph, Curiosités historiques de la musique, complément nécessaire de la musique mise à la portée de tout le monde, Paris, Janet et Cotelle, 1830, 186-88).
  2. Ibid., op.cit.
18. 11月 2015 · (260) オーケストラの楽器配置(ロンドン、1840) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

ずいぶん前になりますが、19世紀のオーケストラ配置をご紹介しました。メンデルスゾーンによるライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の配置((96) ライプツィヒ、1835)と、アブネックが創立したパリ音楽院演奏協会の配置((174) パリ、1828)。前者は「革命的」と称されながら、ヴィオラが大きく(!!)差別されていましたね。今回はロンドン。フィルハーモニー協会オーケストラの楽器配置です(図11)。1840年ですから上のライプツィヒの時代に近いのに、むしろパリの配置に似ています。

図1:ロンドン、フィルハーモニー協会オーケストラの楽器配置、1840年

図1:ロンドン、フィルハーモニー協会オーケストラの楽器配置、1840年

最前列はもちろん、歌の人たち(ソリストだけではなく合唱も含まれます。(89) どこで弾いていたのか参照)。次に指揮者。その左側にファースト、右側にセカンド・ヴァイオリン。指揮者の奥にはピアノが置かれ、その後ろにチェロとコントラバスのトップ。コントラバスは、両ヴァイオリンの後ろにも書かれていますが、チェロはこのトップだけ。今回はチェロが差別されている??

おそらく、コントラバスと一緒のあたりで弾いたのでしょう(あるいは、ファーストが5プルト、セカンドが4プルトなのにコントラバスが6プルト書かれていますから、チェロと「込み」かもしれません)。ヴィオラもないと思ったら、テノール=ヴィオラだそうです。左右の低弦楽器をつなぐように、1列に並んでいます(ヴィオラのトップは前に出ないのですね……)。

ヴィオラの後ろに木管楽器4種。音域が高い順番に左から、やはり1列(パリの配置と異なりますね)。金管は2手に分かれ、ホルンとトロンボーンが左、トランペットは右。中央にティンパニ。シンバルなどの打楽器はトランペットの後ろ。

奥のひな壇は、前の奏者たちの頭の位置くらいと、かなり高かったようです。図2は、図1と同じハノーヴァー・スクエア・ルームスでの、同じオーケストラによる(と考えられる)1843年の演奏会のイラスト2。金管楽器奏者たち(特に右側)は、それくらいの高さですね。左側にホルン、右側にトランペットやオフィクレイド((243) オフィクレイドってどんな音?参照)が見えます。でも、図1から3年しか経っていないのに、楽器配置が違うみたい……(続く)。

図2:ロンドンのオーケストラ、1843年

図2:ロンドンのオーケストラ、1843年

  1. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988, p. 212 (source: Carse, Adam, The Orchestra from Beethoven to Berlioz. New York, Broude Bro., 1949, p. 478).
  2. Ibid., p. 213 (source: op. cit. p. 221).
23. 4月 2014 · (182) 何しにコンサートへ行ったのか はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

図1は、1843年のパリ音楽院演奏協会コンサートの様子です。パリ音楽院ホールのステージ上の2人の男。ステージに対して斜めに立っていますね。客席におしりを向けるのは失礼だからでしょう((141) どこを向いていたのか参照。メンデルスゾーンと逆に、左側をオケに向けていますが)。

図1:パリ音楽院協会演奏会、パリ音楽院ホール、1840

図1:パリ音楽院協会演奏会、1843(クリックで拡大します)

中央の指揮者は、フランソワ=アントワーヌ・アブネック(1781〜1849)。パリ音楽院でヴァイオリンを学び、首席で卒業。パリ・オペラ座オーケストラでコンサート・マスター、1821年から監督、24年から46年まで指揮者を務めます。1823年にパリ音楽院演奏協会が発足すると、指揮者に就任。25年からパリ音楽院のヴァイオリン科教授に。左隣はコンサート・マスターでしょう(コン・マスの重要さがわかりますね)。彼も斜めに立っています1

舞台奥にはせり台。座っている人数は異なりますが、(174) オーケストラの楽器配置(パリ、1828)と同じ4段です。最上段にいるのはトロンボーンとオフィクレイド、打楽器、コントラバスのはず。中央の2人(打楽器?)以外、左側に楽器の先が長く突き出ているように見えます(コントラバスやオフィクレイドとしても、ちょっと長過ぎでは? トロンボーンとは角度が合いませんね)。ステージ手前に歌手たちがこちらを向いて座っています。向かって右が女性、左が男性ということは、(174)の配置図と逆2

天井には大きなシャンデリア。奥の3つのうちの真ん中のシャンデリアが少し小さいのは、両側よりも奥に付いているからでしょう。ステージ全体を明るく照らすためですね。客席側のシャンデリアは手前に1つだけ。これなら客席は暗く、明るいステージが引き立ちます。

ところで、右下隅に注目。女性が後ろを振り向いています。指揮者やコン・マスの姿勢から、明らかに何か演奏中なのに。左下隅でも同様に、後ろの男性を振り向く女性。演奏中も互いに見つめ合っている……というよりも、2人でおしゃべりしていると考える方が自然。よく見ると、バルコニーにも舞台とは異なる方を向いている客がちらほら。右上隅の女性2人は、何かお話中。

実は、19世紀の音楽会はかなり騒がしかったそうです3。お金を払えば誰でも行ける公開演奏会。社交の場と考える人も多かったのです。それに、当時のプログラムを思い出してください。独唱あり協奏曲あり即興演奏あり合唱あり。誰でも何かしら気に入るように配慮されたごった煮のプログラム。逆に言えば、あまり興味の無い曲も含まれていたということ。興味がある曲以外は、おしゃべりしている方が有意義と考える人もいたのでしょう。というわけで、コンサートへ行く目的が音楽を聴くためだけではなかったというのが、今回の結論です。

  1. 1828年から60年までのコン・マスは、Tilmant aîné (Théophile Tilmant) でした。
  2. (174) の配置図も、今回の図1も、パリ音楽院演奏協会の研究 Holdman, D. Kern, The Société des Concerts du Conservatoire (1828-1967), http://hector.ucdavis.edu/sdc/ から。写真ではないので裏焼きということは無いですね。
  3. 西原稔『新編音楽家の社会史』音楽之友社、2009、100ページ。
26. 2月 2014 · (174) オーケストラの楽器配置(パリ、1828) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

以前(96) オーケストラの楽器配置で、現在の配置の元になったと言われるメンデルスゾーンの「完全に革命的」な楽器配置(ライプツィヒ、1835)をご紹介しました。ヴァイオリンのファーストとセカンドの位置が逆だったり(現在でもこの配置で演奏しているところもありますが)、ヴィオラがとばされて他の弦楽器よりも後ろだったり、なかなか興味深い配置でしたよね。

今回は、パリの配置について。ベルリオーズが1828年にベートーヴェンの《英雄》と《運命》を聴いて大きな影響を受けた((173) 幻想交響曲の奇妙さ参照)、パリ音楽院演奏協会(Société des Concerts du Conservatoire Impérial de Musique、直訳すると帝国音楽院演奏会協会)オーケストラの配置図(図1)1。指揮者アブネックが設立の1828年に採用したと考えられる配置です。

図1:パリ音楽院演奏協会オーケストラ楽器配置、1828年

図1:パリ音楽院演奏協会オーケストラ楽器配置、1828年

1番客席側にソプラノとテノール、間にソロ歌手、その後ろに指揮者(ソロさんたちは、振り返らないと指揮が見えませんね……?)。ソプラノの後ろにファースト・ヴァイオリン、テノールの後ろにセカンド・ヴァイオリンが向かい合い、その間にバス。バスの前にピアノ、後ろにハープ。(89) どこで弾いていたのか?に書いたように、ステージ手前が合唱団と独唱者の場所であることは、パリも変わりません。おもしろいのは、ハープがほとんどの楽器よりも前に置かれていること。よく聴こえるように??

舞台の奥は4段になっていて(ドイツでは、せり台は使われなかった2)、1段目は左からクラリネット2、オーボエ2、フルート2、その隣は読みにくいのですが、ピッコロ1ではないかと思います。その右にチェロ、コンバス、チェロ、コンバス、チェロ、チェロ。2段目はホルン4、バズーン(バソン)4、チェロ4。3段目はトランペット2、コンバス3、チェロ4、コンバス2。1番上はトロンボーン3、後ろの消えかかっているのは低音楽器オフィクレイド。そしてティンパニ、打楽器、コンバス2。

チェロとコントラバスは混ざり合って、右側のあちこちに。ホルンの位置はよく考えてありますね。木管と合わせやすいと同時に、トランペット、トロンボーン、オフィクレイドと続く、金管楽器のライン上。同オーケストラの1840年の楽器配置(図2)も、ピアノ、ハープ、ピッコロ、オフィクレイド、打楽器が省かれている程度で、配置自体は変わりません3

あれれ、何か足りないような……。そうか、ヴィオラがとんでる(また!?)。ヴィオラはどこ??? えええっ、ヴィオラが無い! ヴィオラ、いないのーー?!!

と思ったのですが、いました。フランス語でヴィオラは alto。ハープの後ろに1列に10人並ぶのは、合唱団のアルトではなく、弦楽器のヴィオラ(つまり、合唱団はソプラノ、テノール、バスの3声なのですね)。舞台の一番後ろ、せり台のすぐ手前。音は聴こえにくそう(チェロより人数が少ないし)ですが、ヴィオラ、とばされてはいません。当然と言えば当然ですが、よかったですね〜。

図2:パリ音楽院演奏協会オーケストラ楽器配置、1840年

図2:パリ音楽院演奏協会オーケストラ楽器配置、1840年

  1. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices in the Nineteenth Century. Univ. of Rochester Press, 1988, p. 204 (source: Elwart, Histoire de la Société des Concerts du Conservatoire Impérial de Musique, 2e éd. Paris, Castel, 1864, pp. 114-15).
  2. 前掲書、p. 201.
  3. 前掲書、p. 205 (source: Carse, Adam, The Orchestra from Beethoven to Berlioz. New York: Broude Bro., 1949, p. 476).
04. 12月 2013 · (162) 20世紀以降のオーケストラ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

バロック、古典派、せいぜいロマン派止まり。古い話ばかりの聖フィル♥コラム。みなさんが大好きなマーラーとかストラヴィンスキーなど(もちろん私も好きです!)の話が出て来ません。聖フィルがそのような曲をまだ取り上げていないのが最大の理由ですが、それだけではありません。オーケストラの歴史って、19世紀の後半以降はあまり書くことがないからです。

編成はずいぶん大きくなりました。たとえば、ほとんどのマーラーの交響曲では木管楽器奏者が4人以上ずつ必要ですし、金管楽器も増加(特にホルン)。バランスをとるために弦楽器の人数も増えますから、ステージ上が人でいっぱいに。

これって、とても原始的な(!?! シンプルなと言うべき??)発想ですよね。大きな会場で大勢の聴衆に届くような大きな音が必要なら、楽器の数を増やせ! オーケストラには、20世紀に発明されたマイクやアンプなどの文明の利器は不要。19世紀後半どころか、ベートーヴェンやハイドンの時代の演奏会と、考え方は同じです。

もちろん、20世紀に入って変化したこともあります。弦楽器のガット弦に代わってスティール弦や金属を巻いた合成弦が主流に。1930年代には、常にヴィブラートをかけて演奏するようになりました((118) ヴィヴラートは装飾音だった(2)参照)。弦セクションの音量や輝かしさが、一段と増加。管楽器奏者もヴィブラートを使うように。

しかし、オーケストラの楽器編成は基本的に変わりません。19世紀後半に加わってオーケストラの定位置(ほぼ)を占めるようになったのは、チューバくらいではないでしょうか。管楽器ではサクソフォーン、コルネット、フリューゲルホルン、ワーグナー・チューバなどが使われたものの、定着せず。テルミン、オンド・マルトノなどの電子楽器や、録音された音やコンピューター処理された音がオーケストラとともに使用される曲も作られましたが、実験的試みの域を出ません。

ただ、打楽器は様変わり。多種多様なものが使われるようになりました。木魚(テンプル・ブロック)、どら、マラカス、ギロなど、ヨーロッパ以外の地域の楽器も目につきます1。主音と属音に合わせた2個のティンパニを1人の奏者が叩いていた時代を考えると、夢のようです。鍵盤楽器もオーケストラに再登場。通奏低音の担い手だった18世紀とは違って、打楽器とみなされます。

管弦打楽器がそれぞれセクションごとに陣取って、指揮者の合図で一緒に演奏し音楽を作り上げるというオーケストラの基本スタイルは、ここ100年以上変わっていません。オーケストラって、19世紀中にほぼ完成してしまいました。現在私たちは、その伝統・遺産を受け継ぎ、保存を続けています。

50年後、100年後、オーケストラはどうなっているのでしょうね。録音や録画の技術が進歩し、会場へ行かなくても臨場感あふれる演奏を体験できるようになっていることでしょう。「昔は、わざわざ音楽会に出かけて行かなければならなかったんだよ」なんて。完璧な技術と音楽性を備えたロボットたちが、演奏しているかもしれません。あるいは、過去100年間ほとんど変わらなかったように、この先100年間もこのまま変化しないかな? うーん、オーケストラの未来の姿を想像するのは難しいですね。

  1. Spitzer, John & Zaslaw, Neal, “Orchestra” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 18. Macmillan, 2001, p. 543.
02. 10月 2013 · (153) 音楽愛好家協会:ウィーンの場合 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

(152)  管弦楽団 vs.交響楽団で書いたフィルハーモニー協会と似ているのが、音楽を愛するウィーンの市民や貴族が1812年に設立した、Gesellschaft der Musikfreunde in Wien。直訳するとウィーン音楽友達協会です(楽友協会って名訳!)。自分たちが聴きたい曲の演奏会を主催するために、自前のオーケストラを組織していました。

フィルハーモニー協会はプロ音楽家たちが設立した団体でしたが、こちらは音楽を愛する人々の集まり。会員はもちろんオーケストラ奏者にも、プロやプロの卵たちだけではなくアマチュアが含まれていました。専門家ではありませんから、演奏会でむずかしい曲が取り上げられると大変!

ベートーヴェンの《第九》初演の際、ウィーン宮廷楽団のメンバーだけでは足りなかったため、楽友協会オーケストラのメンバーも参加。ゲネプロの前に、アマチュア団員だけの練習が1回行われましたが((107) 練習は何回?参照)、その程度では足りなかったはず。長くて音楽的に複雑で、つまりすっごく難しいこの曲の初演がうまくいかなかった理由は練習不足。アマとの混成チームであれば、なおさらです1

生まれも育ちもウィーンのシューベルトも、八重奏曲などの室内楽や歌曲が公開コンサートで演奏されるなど、楽友協会とはいろいろご縁がありました。1825年10月、素晴らしい献呈辞をつけて協会に正式にハ長調交響曲(《グレート》)のスコアを贈呈したのに、初演してもらえなかったことは、よく知られていますね。協会の運営委員会は返礼として彼に100フロリン送り、パート譜の写譜も手配したのですが、結局、演奏は見送られました2。とにかく長いし(特に終楽章)、複雑。(上手とは言え)アマチュアも含まれているオーケストラでは、手に余ると判断したのでしょう(シューマンがスコアを「再発見」し、メンデルスゾーンの指揮でライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団が初演したのは、1839年)。

1827年、シューベルトは若干30歳でその協会運営委員に選出されます。また、1828年3月26日(ベートーヴェン没後1周年)には、協会主催によるシューベルトの作品だけ(歌曲や室内楽)の演奏会が開かれました。ホールは満席3。純益は800フロリンに上りました。公務員の数ヶ月分の給料にあたる(生涯初の)大金を手に入れたシューベルトは友人たちにおごり、さらにパガニーニのウィーン公演チケットを購入4

話を戻して。音楽の都ウィーンにプロのオーケストラが誕生したのは意外に遅く、1842年。ウィーン宮廷歌劇場オーケストラのメンバーによる、フィルハーモニッシェ・アカデミー(音楽愛好アカデミー。ここでもフィルハーモニーですね。現在のウィーン・フィルの前身です)。自主運営で、歌劇場での仕事の合間に演奏していたので、42年から48年までに14回の演奏会を催しただけ。定期演奏会が開かれるようになったのは1860年以降です。

  1. 《第九》の作曲を委嘱したロンドンのフィルハーモニック協会オーケストラは、上述のようにプロだけのオーケストラですが、1825年にこの曲を初演した後、1837年まで再演しませんでした。ベートーヴェンの他の8曲の交響曲をほぼ毎年取り上げていたのとは大違いです。
  2. Winter, Robert, ‘Schubert.’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol.22. Macmillan, 2001, p. 671.
  3. 現在の楽友協会ホールが建設されたのは1870年。
  4. 前掲書、p. 674.  (33) シューベルトの未完成交響曲たちへのコメントので、エスブリッコさんがこれについて触れておられますが、「貧乏絶頂期」というネットからの転載部分は誤りですね。
25. 9月 2013 · (152) 交響楽団 vs. 管弦楽団 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

オーケストラには、2種類の呼び方がありますね。聖フィル(聖光学院管弦楽団)のような管弦楽団と、N響のような交響楽団(わかりやすい例でしょう!?)。この交響楽団と管弦楽団の違いは規模の違い?という質問をいただきました。結論から言うと、構成や規模、役割の違いによる使い分けは特にありません。

交響楽団は symphony orchestra、管弦楽団は philharmonic orchestra の訳。シンフォニー・オーケストラは文字通り、交響曲を演奏するオーケストラという意味ですね。オーケストラだけですでに管弦楽(団)ですから、後者の「フィルハーモニック」部分は訳出されていません。

聖フィルのフィルであるフィルハーモニックとは何か? philo-(母音の前では phil-)は古代ギリシア語で「愛、愛すること」1。哲学 philosophy という言葉が「智 sophia」への「愛 philo-」に由来することはよく知られていますね。同じように philharmony は「ハーモニー(=調和)への愛」。調和といえば、もともとは神が創造した世界の秩序ハルモニア((63) 音楽は数学だった参照)でしたが、和声(ハーモニー)と考えると。

フィルハーモニーは音楽ヘの愛、音楽を愛する人という意味になります(フィルハーモニックはその形容詞形)。たとえば、1666年にプロの音楽家たちによって設立されたボローニャのアカデミア・フィラルモニカ(Accademia Filarmonica di Bologna)は、ボローニャ音楽愛好アカデミーということ。1770年には当時14歳のモーツァルトが試験を受け、入会を認められています。

プログラムの変遷のコラムで取り上げた、ロンドンのフィルハーモニック協会(Philharmonic Society of London)も同様。1813年にプロの音楽家によって、器楽の公開演奏会を促進するために作られました。《第九》やメンデルスゾーンの《イタリア》(1833)、サン=サーンスの《オルガン》(1886)などを委嘱。このような協会は各地にありましたが、ヨーロッパで最初に作られたのは、なんとロシアはペテルブルクのフィルハーモニー協会(1802)でした。1842年には、ニューヨークにも2

これらのフィルハーモニー協会は、宮廷ではなく主に市民階級によって運営され、自分たちが聴きたい曲を中心にした演奏会を主催していました。小規模な曲はサロンなどの私的コンサートで聴くことができましたから、協会コンサートの中心はオーケストラ曲。定期演奏会ではベートーヴェン(やモーツァルト、ハイドン)の交響曲が頻繁に演奏され、レパートリーの核として特別な地位を得ていく一因に((151) 生きてる? オケ演奏会のプログラム (2)参照)。シンフォニー・オーケストラは、このようにして交響曲が器楽曲の最重要ジャンルに就いた後に使われるようになった名称です。

というわけで、フィルハーモニック・オーケストラとシンフォニー・オーケストラは、敢えて言うなら歴史の違い。必ずしも前者が後者より古いわけではありません(各地のフィルハーモニー協会が、現在の◯◯フィルの母胎とは限らないので)3。でも、交響楽団は少なくとも、19世紀最後の1/3以降の創立のはず(もしも1860年代にできた交響楽団があったら教えてください)。ボストン交響楽団(1881)、シカゴ交響楽団(1891)のように、アメリカにシンフォニー・オーケストラが多いのもうなずけます。オーケストラが生まれてから100年そこそこの日本では、愛好家という意味などあまり気にしていないようですね。もちろん、交響楽団も交響曲だけを演奏するわけではありませんし、音楽を愛する者の集まりであることに変わりはありませんから。

  1. h は子音ですが、ラテン語ではほぼ発音されません。
  2. 会員たちが演奏を楽しむ会場がフィルハーモニーと呼ばれたり、そこを本拠とするオーケストラが「フィルハーモニック・オーケストラ」と呼ばれることもありました。
  3. たとえば、ロンドンの協会は創立100周年の1912年にロイヤル・フィルハーモニック協会と改称し、現在も活動を続けていますが、自前のオーケストラは持っていません。似た名前のオーケストラは、協会とは直接関係がありません。