17. 4月 2013 · (129) ワルツとチャイコフスキー はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

聖光学院の新講堂ラムネ・ホールで行われた、聖フィル第8回定期演奏会にいらしてくださいました皆さま、どうもありがとうございました。オール・チャイコフスキー・プログラム、聖光学院OBとの共演、サプライズなど盛り沢山のコンサート、いかがでしたでしょうか。演奏会を締めくくったのは、弦楽器のピッツィカートで始まるワルツ。王子ジークフリートの誕生日を祝いに集まった村の娘たちが踊る、《白鳥の湖》第1幕第2曲でした。というわけで、今回のアンコール特集はワルツについて。

円舞曲と訳されるように、回りながら滑るように踊るワルツ。新しい社交ダンスとして流行した理由は、宮廷で踊られていた形式ばったメヌエットとは対照的なステップの自由さもさることながら、何と言っても男女の組み方。手をつなぐ、あるいは腕を組む程度(!?)の他の踊りと違い、ワルツは男女がぐっと接近して、抱き合うように組むのがポイント。不道徳だと禁止された地域もあったようです1

舞踏会用の実用音楽ワルツを芸術的に洗練させたのが、ランナーと、「ワルツの父」「ワルツ王」のヨハン・シュトラウス父子。彼らはオーケストラとともに演奏旅行をし、ウィンナ・ワルツは国外でも大人気に((57) ヨハン・シュトラウスは人気者参照)。こうしてワルツは、19世紀から20世紀初頭にかけて、あらゆるジャンルの音楽に使われることになります。

作曲家の国籍にかかわらず、オペラ、オペレッタ、バレエなどの舞踏会シーンにはワルツ。上記の村の娘たちの踊りや《くるみ割り人形》の《花のワルツ》のようにバレエの群舞や、ソロ用にも(むしろ、バレエでは男女2人で踊るワルツは少数)。踊りと言えば、ヨハンではなくリヒャルトの方のシュトラウスが作ったオペラ《サロメ》の《7枚のヴェールの踊り》にも、ワルツが使われています。

一方、踊るためではないワルツもあります。ピアノを弾く人にとって、ワルツといえばショパン! きらびやかな曲、軽い曲、メランコリックな曲など、自由な形式による様々なワルツは、ピアノ初級者のあこがれの的です。プッチーニのオペラ《ラ・ボエーム》の中の《ムゼッタのワルツ》も同様。「私が街を歩けば」と始まるアリアの歌詞に、踊りは全く出て来ません。でも、金持ちのパトロンがいながら元恋人(貧乏画家)の気を惹く、派手なうぬぼれ女のように見えるムゼッタの真の想いを、揺れるワルツのリズムが絶妙に表現しています。

踊りと関係の無いワルツの極めつけは、チャイコフスキー。彼はなんと、交響曲にワルツを入れたのです。ベートーヴェン以来、交響曲の第3楽章はスケルツォ((101) メヌエットからスケルツォへ参照)がお約束。でも、チャイコフスキーは交響曲第5番の第3楽章に、ワルツを使ってしまいました。室内楽も同様。弦楽セレナード第2楽章は、流れるような優美なワルツです(《第九》のように第3楽章が緩徐楽章)。昨年のウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートで、《眠りの森の美女》のワルツなどが演奏されて話題になりましたが、考えてみるとチャイコフスキーはウィンナ・ワルツから、バレエやオペラに留まらない、計り知れない影響を受けています。

チャイコフスキーのワルツと言えば、もうひとつ。ピアノのための18の小品(op. 72)第16番のタイトルは、《5拍子のワルツ》。作曲家がワルツと書いているのだからワルツなのでしょうけれど、これってワルツ? 5拍子では、踊れませんよね。

  1. Lamb, Andrew, “Waltz” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 27. Macmillan, 2001, p. 73.
16. 1月 2013 · (116) 愛の楽器? クラリネット (3) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

小さい頃から興味を持っていたにもかかわらず((115) 愛の楽器? (2)参照)、モーツァルトがクラリネットを使った曲は、交響曲2(《パリ》と、聖フィルが演奏した39番 K. 543)、ピアノ協奏曲3(K. 482、K. 488、K. 491)、ホルン協奏曲(K. 447)、キリエ(K. 341/368a)など、ごくごく限られています。

でも劇音楽では、1780年に《イドメネオ》で初めて用いて以来、《後宮からの逃走》《劇場支配人》《フィガロの結婚》《ドン・ジョヴァンニ》《コジ・ファン・トゥッテ》《魔笛》《ティート帝の慈悲》と、オペラ・セリアであろうとオペラ・ブッファであろうと、歌詞がイタリア語であろうとドイツ語であろうと、亡くなるまで全ての作品でクラリネットを使用しました。

《コジ・ファン・トゥッテ》のクラリネット・パートを見てみましょう。老哲学者の賭けにのった2組のカップルの男性が、変装してそれぞれ婚約者ではない方の女性(姉妹)を口説き、両方とも成功する(=姉も妹も心変わりする)というストーリー(この全てが1日のうちに起こるところが、ありえなくておかしい)。イタリア語のタイトルは、《女はみんなこうした(=浮気する)もの》という意味です。登場人物6人(カップル2組と小間使い、老哲学者)の、ソロやアンサンブルを伴奏する楽器の組み合わせは多様。木管楽器のうち、フルート、オーボエ、クラリネットは曲によって使われたり使われなかったりします1。《コジ》の中で、これら3つのうちクラリネットだけが使われる6曲は:

  • 姉妹が、それぞれの恋人への愛を歌い合う2重唱「ああ、妹よご覧(4番)」
  • 別離を嘆く5重唱「ああ、この足はあなたの前に(6番)」
  • 男たちが別れを告げる2重唱「愛くるしい君の目が(7番)」
  • 男のうちの1人のアリア「いとしい人の愛のそよ風は(17番)」
  • 新しいカップル(妹と、姉の婚約者)の2重唱「このハートをあなたに贈りましょう(23番)」
  • 拒絶した姉をさらに口説く、すでに陥落してしまった妹の婚約者のアリア「よくわかる、その美しい魂が(24番)」

6曲とも恋人への、あるいは口説こうとする女性への熱い想いが歌われています。フルートなども後から加わるものの、前奏がクラリネットの主旋律で始まる曲も同様。クラリネットによるかなり長い甘い前奏がついているのは、男たちの愛情あふれた2重唱「やさしい風よ(21番)」、軽快な前奏がついているのは、新しい愛の喜びを天真爛漫に歌う妹のアリア「恋は盗人(28番)」です。

一方で、シニカルな老哲学者や「恋人がいないなら楽しみなさい」と浮気をそそのかす小間使いの曲には、クラリネット・パートは無し。また、クラリネットだけが使われる曲でも愛から逸れた部分、たとえば恋人たちに別れを告げる6番の中で、「(彼女たちの嘆きを)見たか(=もう賭けに勝ったも同然)」と男たちが哲学者と内緒話をする部分では、クラリネットはお休み。モーツァルト、細かい。

《コジ》に限ったことではありません。《フィガロ》ではケルビーノのアリア「自分で自分がわからない(6番)」や伯爵夫人のカヴァティーナ「愛の神よ(10番)」、《ドン・ジョヴァンニ》ではオッターヴィオのアリア「私の宝のあの人を(プラハ版21番)」など、真剣に愛を歌う曲がクラリネットだけで伴奏されています。

少なくともモーツァルトの劇作品では、クラリネットは愛の楽器と言えそうですね。神聖なものや超自然的なものに関連した部分だけに使われたトロンボーン((95) 怖い (?!) 音楽参照))とは異なり、歴史的な根拠がある((42) 神の楽器? トロンボーン参照)わけではないようです2。モーツァルトだけが、クラリネットをこのように特別に扱ったのでしょうか。それともこの時代の一般的な傾向? 機会があれば、他の作曲家の劇作品におけるクラリネットの使い方も調べてみたいと思っています。

  1. フルート、オーボエ、クラリネットの3つのうちの1つ以上が使われる曲では、必ずファゴットも一緒に使われます。
  2. Shackleton, ‘Clarinet, 2: The clarinet of Western art music’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 5 (Macmillan, 2001, pp. 897-910) にも、愛との関連については特に言及されていません。
19. 10月 2012 · (103) ベルリオーズの人生を変えた音楽 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

劇団の看板女優に恋をして、想いが叶えられなかった経験を《幻想交響曲》にしたベルリオーズ(1803〜69)。ロマン派時代にたくさん作られる「標題音楽」の出発点となったこの作品の作曲・初演は、1830年。ベートーヴェンの死のわずか3年後に、このような独創的な音楽が作られたことに、驚かされます(ドイツ音楽とは異なる、フランス音楽の伝統の上に生み出された曲ではありますが)。

エクトル・ベルリオーズは、フランス南部の小村ラ・コート=サンタンドレの、何代も続く旧家の長男として生まれました。父は高名な医者。エクトルも1821年、医学部に通うためにパリに出ます。ところが、もともと医学が嫌いだった彼はオペラ座通いを始め、ついには医学を捨て、音楽の道に進んでしまいます。

いったいベルリオーズは、オペラ座で誰のオペラを見たのでしょう? オーベールやマイヤベーアらがフランス独特の新しい「グランド・オペラ」を作るのは、1830年頃以降のこと。20年代に上演されていたのは、サリエリ、サッキーニ、メユール、スポンティーニ、ボワエルデューらのオペラでした。ベルリオーズは、初期の大規模作品の参考にしています1

でも、彼が深い感銘を受けて心の底から崇拝し続けたのは、グルック。聖フィル第3回定演で《オーリドのイフィジェニー(アウリスのイフィゲニア)》序曲を演奏した、あのグルックです。《幻想交響曲》の斬新さと、とっさに結び付きませんね。でも、1822年にグルックのオペラを抜き書きした楽譜が残されているそうです。

ベルリオーズが生まれて初めて見たオペラのうちの1つが、グルックの《トーリドのイフィジェニー》(1779年、オペラ座で初演)。ギリシア軍の総大将アガメムノン王は、狩りの女神ディアーナの怒りをかったため、順風が吹かず、アウリス(フランス語でオーリド)の港から出陣できません。怒りを鎮めるために、自分の娘イフィジェニーを生贄にするのが《オーリド》のストーリー。《トーリド》はその後日譚で、イフィジェニーはタウリス(フランス語でトーリド)にあるディアーナ神殿の祭司長として生きていて、生贄として連れて来られた弟オレストと再会します。

最近、《トーリドのイフィジェニー》をビデオで見ました2。彼の「オペラ改革」の理念が最も良く表された作品と言われるとおり、歌い手の名人芸を聴かせるイタリア・オペラとはかなり趣が異なります。イフィジェニーは、オレストか彼の親友ピラードのいずれかを生贄に選ばなくてはならず、しかも選んだ方のオレストが自分の弟であることが判明するという緊迫感が、ドラマの推進力。3人が室内で生と死について歌い交わす地味な内容ですが、情感あふれる歌詞とシンプルな音楽が緊密に結びついています。

《トーリド》をはじめとするグルックのオペラに魅せられなければ、両親と不仲になることもなく、送金を減らされ(時に止められ)て貧乏暮らしをすることもなかったベルリオーズ。でも、もし彼がそのまま医者になっていたら、コラムが2つも3つも書けるほど斬新な《幻想交響曲》は作られず、リスト(《幻想》の初演も聴いています)やヴァーグナーらに影響を与えることも無かったでしょう。グルックは、ベルリオーズの人生だけではなく、西洋音楽の歴史も変えたと言えますね。

  1. 以下、Macdonald, ‘Berlioz,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., 3, Macmillan, 2001, pp. 385-6 に基づきます。
  2. kuko-cell さんの提供に感謝いたします。
14. 10月 2012 · (102) 話すように歌うレチタティーヴォ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

《第九》第4楽章冒頭。管打楽器の「恐怖のファンファーレ」でドラマティックに始まり、チェロとコントラバスが伴奏無しで朗々と奏でる旋律が続きます。ベートーヴェンはここにフランス語で、「レチタティーヴォ風に、ただしイン・テンポで」という指示を書き込みました。2度目の「恐怖のファンファーレ」や第1〜3楽章の回想を挟みながら繰り返される、「レチタティーヴォ風」の低弦旋律。このレチタティーヴォって何か、ご存知ですか?

「叙唱」と訳されるレチタティーヴォは、声楽書法の1種。オペラ、オラトリオ、カンタータなどで使われます。たとえばオペラにおいて、登場人物の「好き!」とか「困った〜」などの感情が歌われるアリア。歌詞は韻文。歌い手の技巧や音楽性の見せ場です。でも、全てをアリアで歌うと単調だし、話が進みません。だから、状況説明や複数の人物による対話には、アリアと異なるさくさく進む書法を使うのです。それがレチタティーヴォ。特徴は:

  • 語りを歌でまねしたもの。歌と語りの中間
  • 歌詞は散文
  • アリアとアリア(または合唱、器楽曲)の間におかれる
  • 筋の説明や、対話に使われる

英語の recite(朗唱する)のイタリア語、recitare に由来するように、朗唱風で言葉の抑揚を活かす歌い方です。話すときのように狭い音域内に短い音符を連ねたり、同音反復も多く使われます。管絃楽や弦楽の伴奏がつくこともありますが、低音楽器と鍵盤楽器だけの伴奏でも多く作られました。歌い手の自由度が増えますし、歌詞が聴き取りやすくなります。器楽曲において同様の書法で書かれた器楽レチタティーヴォとしては、《第九》以外に、ハイドンの交響曲第7番《昼》の第2楽章や、ベートーヴェンのピアノ・ソナタop.110の第3楽章4小節目(通常の1小節よりも長い)からなどが有名。

話を《第九》に戻しましょう。「恐怖のファンファーレ」が3度目にトゥッティで奏された後、バリトン独唱者が歌い始めます。「おお、友よ、これらの調べではなく!」の最初(216小節)に Recitativo の指示。弦楽器パートの Recit. (224小節)は、長い音符がレチタティーヴォの伴奏だということです。冒頭の低弦旋律はここの先取りで、歌詞と関連させてしばしば「否定のレチタティーヴォ」と呼ばれます。

最後に、より典型的なレチタティーヴォとして、ヘンデルのオペラ《セルセ》(1738)の動画をあげておきましょう。弦楽伴奏付きのレチタティーヴォが40秒ほどで終わった後、器楽による導入があり、1’30頃からアリア《オンブラ・マイ・フ(樹木の蔭で)》が続きます。歌詞を読むと、情景が書かれた行がレチタティーヴォに、感情が書かれた最後の行がアリアに作曲されていることがわかりますね1

私が愛するスズカケの木の柔らかく美しい葉よ、運命はお前たちに輝いている。

雷鳴や稲妻や嵐がけっしてお前たちの平安を乱すこと無く、貪欲な南風もお前たちを冒瀆することの無いように。

樹木の蔭で、これほどいとしく愛すべく快いものは無かった。

  1. 戸口幸策訳。畑中良輔編『イタリア歌曲集1』全音楽譜出版社、n.d.(1971?)、158ページ。詩はニコロ・ミナート。
31. 8月 2011 · (44) 神の楽器? トロンボーン part 2 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

均質で柔らかな音色を持ち、すべての音高を出すことができるため、ルネサンス時代に聖歌隊の支えや教会での奏楽に使われたトロンボーン((42) part 1参照)。今回は「トロンボーンは神聖な楽器なので、17、18世紀にはオペラで使用できなかった」が、◯か×か考えます。

トロンボーンは、オラトリオには使用されます。オラトリオはオペラと同様「独唱・合唱+オーケストラ」で構成されますが、題材が宗教的・道徳的だからです((7) クリスマスに聴きたい音楽 part 1参照)。旧約聖書を題材にした、ヘンデルの《エジプトのイスラエル人》やハイドンの《天地創造》などがその例です(《メサイア》には使われませんが)。

一方オペラは、愛や嫉妬、裏切りなどが描かれる上、政争や豪奢とも結び付きやすい究極の世俗音楽ジャンル。神聖なトロンボーンを使うなんてもってのほか!のはずですが……。「《魔笛》にトロンボーンが使われているよ」というあなたは鋭い! そのとおりです。

オペラでトロンボーンを使うことが許された理由は、2つあると思います。1つは、複数のトロンボーンが作り出す深く厚い響きによって、この楽器が、死や地下の(=死者の)世界と結びつけられていたこと。もう1つは、トロンボーンをまさにその(=死や闇の世界の)象徴として使ったオペラが、ごく早い時期に作られ、前例になったことです。

1607年に初演されたモンテヴェルディ作曲のオペラ《オルフェオ》では、トロンボーンがレガール(金属リードにより、少し耳障りな音を出す小型オルガン。リーガルとも)などとともに、地下の世界を表す楽器として使われます1。そして、妻エウリディーチェを生き返らせてくれるように懇願する主人公を伴奏する、ハープ(ギリシア神話のオルフェウスは、竪琴の名手です)や木管オルガンの音色と、大きなコントラストを作り出します2

17世紀の末以降、トロンボーンは多くの国で使われなくなってしまいました。しかし、オーストリアとドイツでは、教会と劇場用の楽器として生き残ります3。モーツァルトもこの伝統を受け継ぎ、宗教曲(中でも、レクイエム《トゥーバ・ミルム》のソロが有名)とオペラだけにトロンボーンを使いました。もちろん、宗教的な、あるいは超自然的な力が登場するシーンや、地下や闇の世界に限定して。

オペラ《ドン・ジョヴァンニ》では、動かないはずの石像が晩餐に登場し、悔い改めようとしないドン・ジョヴァンニ(イタリア語でドン・ファンのこと)が地獄に堕ちるまでの部分に、3本のトロンボーンが使われます4。しかも、3人の掛け合いの中、石像が歌う小節だけという念の入れよう(後半は、石像が沈黙した後もずっと使われますが)。《魔笛》での使用箇所が多いのは、夜の女王やザラストロ、僧侶たちといった、超自然的、あるいは神聖な登場人物が多いからでは? 興味深いのは《魔笛》序曲でのトロンボーン使用。モーツァルトも序曲を、オペラの筋を予示するというほどではないものの((41) 涼しくなる (?!) 音楽参照)、全体を概観するものと考えたということでしょうか5

というわけで、今回の結論も×。むしろ、「トロンボーンは神聖な楽器なので、17、18世紀にもオペラに用いられた」と言うべきかもしれません。

  1. 2年後に出版されたスコア冒頭の楽器リストには、トロンボーン4本と書かれていますが、第3幕の霊たちの合唱のページには、トロンボーン5本と指定されています。
  2. 楽譜が現存する最古のオペラに遅れること7年((27) 音楽史の時代区分参照)。《オルフェオ》の成熟した音楽表現は、後のオペラに大きな影響を与えました。
  3. Herbert, Trevor “Trombone” in The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 25 (Macmillan, 2001), p. 771.
  4. 12/02/03追記:石像が突然口をきく場面にも、3本のトロンボーンが使われます。
  5. しかし、《ドン・ジョヴァンニ》の序曲はこの石像シーンの音楽で始まるにもかかわらず、トロンボーンは使われていません。この他にモーツァルトは、《イドメネオ》にもトロンボーンを用いました。
18. 5月 2011 · (29) オーケストラは「踊り場」だった !? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

アマ・オケ奏者のための音楽史第2回は、古代ギリシアについてです。実際の音の響きはわからないものの、西洋音楽史において古代は、「音楽」という言葉やその概念を考える上でとても重要な時代(……とは理解しつつ、中世から講義を始めることが多い私)。実は、オーケストラという言葉の由来も、古代ギリシアまで遡るのです。

アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスに代表されるギリシア悲劇や、アリストパネスのギリシア喜劇は、台詞が交わされるのではなく歌い踊られる、オペラのような音楽劇でした(古代ギリシア劇を復興する中でオペラが生まれたのですから、当然です。(28) バロック時代はなぜ1750年までか参照)。コロスと呼ばれる合唱隊が配置され、劇の進行に応じて彼らが歌ったり踊ったりする円形スペースの名前が、オルケストラだったのです。

図1  古代ギリシアの劇場

野外劇場は多くの場合、山の斜面を利用してすり鉢型に作られました。テアトロンと呼ばれる観覧席がとり囲むのが、円形の舞踏場オルケストラ。初めは、オルケストラの向こうに、衣装替えなどのためのスケネと呼ばれる楽屋のような建物があるだけでしたが、やがて俳優たちが演技するスペースを広げるため、プロスケニオン(「スケネの前」という意味)と呼ばれる舞台が設けられ、オルケストラは舞台と客席のあいだに位置することになりました(右図1参照1)。

時代は下って、1637年ヴェネツィアに史上初の公開オペラ劇場サン・カッシアーノが建てられたとき、歌を支える楽器奏者のためのスペースは舞台と客席のあいだに置かれ、古代ギリシアにならってオルケストラと呼ばれました。その言葉がやがて、ここで演奏する合奏団を指すようになったのです。ジャン=ジャック・ルソーが音楽辞典(1754)の中で、オーケストラを「合奏団員全体の集合」と定義していることから、18世紀半ばには現在の意味が一般的になっていたようです2。既にお気づきだと思いますが、コロスはコーラス、テアトロンはシアター、スケネーはシーン(場面)の語源になりました。

  1. 片桐功「古代ギリシア」『はじめての音楽史』音楽之友社、2009、17ページ。
  2. 上野大輔「オーケストラ」『音楽通論』久保田慶一編、アルテス、2009。
13. 5月 2011 · (28) バロック時代はなぜ1750年までか? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

今回は、いつもコラムを編集してくださるつぶ担さんの「(27) 音楽史の時代区分の中で、バロック時代の終わりだけきっかり1750年までなのはなぜ?」という鋭い質問を取り上げます。確かに、16世紀末から18世紀半ばまでと書くべきだったかもしれませんが、あえて数字を書いたのは、私自身がバロック時代(の目安)を1600年から1750年までと習ったからです。

単に切りが良い数字というだけではありません。1600年は、楽譜が現存する最古のオペラ、ペーリとカッチーニ共作による《エウリディーチェ》が上演された年です。一方1750年は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの没年。以前はバロック時代を、この時代(とは限りませんが)の最重要ジャンルであるオペラが成立した年から、この時代最大の作曲家の死までの、150年としていたのです。

現在では、バロック時代の開始をもう少し早めて考えます。オペラは1600年に突然出来上がったわけではないからです。16世紀後半にフィレンツェで、カメラータと呼ばれる知識人たちのグループ(上述のペーリやカッチーニ、地動説で有名なガリレオ・ガリレイの父で歌手のヴィンチェンツォ・ガリレイなどが属していました)が、古代ギリシア劇の復興を目指して、より効果的な音楽表現を探求した結果、オペラが誕生しました1。その試行錯誤の期間も、バロック時代に含めるべきだと考えるようになったのです。

1750年の方はどうでしょうか。たとえば、なぜヘンデルでなくてバッハの没年なのか。バッハとヘンデルは同じ1685年生まれですが、生前は、ローカル作曲家バッハよりも、国際的に活躍したヘンデルの方がずっと有名でした。ちなみに、ヘンデルが亡くなったのは1759年です(区切りに使うには、ちょっと半端ですか?)2。また、バッハは1737年、弟子だった音楽批評家シャイベに「あまりに技巧的で、誇張され混乱した芸術」と、声楽曲を痛烈に批判されました。このエピソードからも、時代は移り変わりつつあったことがうかがえます。

  1. ルネサンスはフランス語で再生という意味ですが、建築や彫刻とは異なり音楽には、再生すべき古代ギリシア・ローマ時代の「音」がありません。そのため、音楽史においてルネサンスという語を使うことが疑問視されたこともありました。しかし、古代の音楽理論を研究していますし、他の文芸と同様に人文主義的な考え方を土台にしています。
  2.  2人は晩年、同じ眼科医ジョン・テイラーに受けた手術がいずれも失敗に終わり、失明しました。