02. 7月 2014 · (192) こんなにある! オルフェウスのオペラ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

(143) オーケストラの起源で取り上げたモンテヴェルディの《オルフェオ》(1607)は、ギリシア神話のオルフェウスの物語。オルフェウスは、鳥や魚も耳を傾けるほどのたぐいまれな歌い手+竪琴の名手。紀元前3世紀の『アルゴナウティカ』には、オルフェウスの歌と竪琴が、航海する人を美しい声で惑わす海の怪物シレーヌ(セイレーン。上半身は人間の女性の姿)や他の危機から、仲間の乗組員たちを救ったと書かれています。

蛇にかまれて死んだエウリディーチェを、黄泉の国から取り戻すチャンスを与えられるエピソードは、モンテヴェルディ以外にもオペラの題材として取り上げられています。楽譜が現存する最古のオペラ《エウリディーチェ》(カメラータのメンバーであるペーリとカッチーニによる共作、1600年、フィレンツェ)も、このストーリー。オペラ成立期に限りません。グルックの《オルフェオとエウリディーチェ》や、オッフェンバックの《地獄のオルフェ(天国と地獄)》が有名ですが、実は主要なものだけでもこんなにあるのです!1

17世紀:ペーリ(1600)、カッチーニ(1602)2、モンテヴェルディ(1607)、ベッリ(1616)、ランディ(1619)、ロッシ(1647)、レーヴェ(1659)、サルトーリオ(1672)、ロック(1673)、クリーガー(1683)、ドラーギ(1683)、シャルパンティエ(c1685)、サバディーニ(1689)、リュリ(1690)、カイザー(1698)、カンプラ(1699)

18世紀:ウェルドン(c1701)、フックス(1715)、テレマン(1726)、ランプ(1740)、ラモー(c1740)、リストーリ(1749)、ヴァーゲンザイル(1750)、グラウン(1752)、グルック(1762、パリ版は1774)、バーテレモン(1767)、トッツィ(1773)、ベルトーニ(1776)、アスペルマイアー(1780、メロドラマ、消失)、ベンダ(1785)、ナウマン(1786)、ディッタースドルフ(1788)、ライヒャルト(1788、ベルトーニの改作)、トレント(1789)、ハイドン(1791)、パエール(1791)、ヴィンター(1792)、デエー(1793、グルックのパロディー)、ドーヴルニュ(1797前)

19世紀:カンナビヒ(1802)、カンネ(1807)、カウアー(1813)、オッフェンバック(1838)、ゴダール(1887)

20世紀:シルヴァ(1907)、ドビュッシー(1907−16、オルフェウス王)、ロジェ=デュカス(1913)、マリピエロ(1923)、ミヨー(1923)、クルシェネク(1926)、カゼッラ(1932)、バードウィッスル(1986)

えーっ、こんな人も!? というような作曲家(テレマンとかラモーとかハイドンとか)もいますが、名前しか知らない人や、名前も知らなくてカタカナでどう書くのか困った人も3

古代ギリシア・ローマ文化の再生を目指したルネサンス時代に限らず、目に見えない音楽が持つ大きな力の具体化とも言うべきオルフェウスのエピソードが、総合芸術であるオペラの題材として何度も選ばれたのは、当然ですね。オペラ以外でもオルフェウスを題材に、ガレンベルク(1831)やストラヴィンスキー(1948)がバレエ、リストが交響詩(1834、グルックのオペラの前奏曲として。後に2台ピアノ用と連弾用に編曲。さらに同オペラの後奏曲も)、ベルリオーズ(1827)やティペット(1982)が声楽曲を書いています。

図1:トラキア人たちの中のオルフェウス。クラテール(広口のかめ)、紀元前440年、ジェーラで出土

図1:トラキア人の中のオルフェウス。クラテール、紀元前440年、ジェーラで出土

  1. Anderson, Robert, ‘Orpheus, 2: Later Treatments,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 18, Macmillan, 2001, 753.
  2. 1600年の初演後、ペーリとカッチーニはそれぞれ自作を完成させました。
  3. ウィキペディア英語版の List of Orphean operas(http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Orphean_operas)には、21世紀の作品も含め、さらに多くリストアップされています。
14. 5月 2014 · (185) グリンカと同世代の作曲家は? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

次回10月の演奏会の曲目、オペラ 《ルスランとリュドミラ》の作曲者、グリンカ。ヨーロッパで評価された最初のロシア人作曲家で、ロシア音楽の父、ロシア国民楽派の創始者などと呼ばれます。裕福な貴族の第2子(成長した子の中では最年長)として生まれました。子供の頃の音楽体験は、農奴が歌う民謡や近隣に住むおじが所有(!!)していた「農奴のオーケストラ」など。この「農奴のオーケストラ」って、たとえばハイドンが務めていたエステルハージ家の(従僕の)オーケストラと、同じ感じでしょうか。

ところでこのグリンカがいつ頃の人か、ご存知ですか? 次の3人の中で、同世代は誰でしょう?

    1. メンデルスゾーン(1809〜47)
    2. ブラームス(1833〜97)
    3. マーラー(1860〜1911)

《ルスラン》序曲で、ドビュッシーに先駆けて全音音階を使ったりしている((123) 《白鳥の湖》の物語を音楽で説明するには?参照)から、かなり後の人だろうと想像していたのですが、グリンカの同世代はなんとメンデルスゾーン。彼よりも5歳も年上の、1804年生まれでした。シューベルトよりも7歳若いだけ。ヨハン・シュトラウス1世と同い年。グリンカって、そんなに昔の人だったの!?

幼い頃はおばあさんに溺愛され、暑いほどの室温を保った部屋で育てられました1。ロシアでは、さぞかし贅沢なことだったはずですが、これが病弱だった原因とも考えられています。1830年から3年間イタリアに滞在したのも、病気治療として医学的に勧められたため。父親が経済的に援助しました。3歳年上のベッリーニや7歳年上のドニゼッティと知り合い、イタリア・オペラのスタイルでピアノ曲などを作曲。若い「ロシアのマエストロ」の作品は、リコルディによって「こぎれいに」出版されました2。イタリアを発った後、ドイツでも作曲を学び、4年後に帰国。

2作目のオペラ《ルスランとリュドミラ》(1842)が受け入れられなかったことに落胆して(これについては改めて書きます)、1844年に再びヨーロッパへ。パリやスペイン、ワルシャワに住み、作曲を続けました(お金持ちはいいですね~)。1年近く滞在したパリでは、ベルリオーズと知り合います。ベルリオーズはグリンカの作品を演奏会で紹介し、1845年4月には、当代の傑出した作曲家の1人と賞賛しました。そのベルリオーズは、1803年生まれ。まさにグリンカと同世代でした。

  1. Campbell, James Stuart, “Glinka, Mikhail Ivanovich,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 10, Macmillan, 2001, p. 3.
  2. 森田稔「グリンカ」『音楽大事典2』平凡社、1982、809ページ。
16. 4月 2014 · (181) 《ファウスト》のバレエ音楽 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

聖フィル第10回記念定期演奏会にいらしてくださった皆さま、どうもありがとうございました。聖光学院ラムネホールに設置されたベネディクト・オルガンと、スタインウェイ・ピアノを使ったサン=サーンスの交響曲第3番《オルガン付き》など、オール・フランス・プログラム。楽しんでいただけましたでしょうか。コラム恒例アンコール・シリーズは、シャルル・グノー作曲《ファウスト》のバレエ音楽について。

オケ奏者の方は《ファウスト》と聞くと真っ先に、7曲のバレエ音楽を思い浮かべると思います。でも、《ファウスト》ってバレエではありませんよね。ゲーテの《ファウスト》第1部に基づく、フランス語のオペラです。《ファウスト》が1859年に初演されたときには、このバレエ音楽は含まれていませんでした。10年後にパリのオペラ座で初演される際、台詞の部分が管弦楽伴奏付きのレシタティーフ(レチタティーヴォのフランス語版。(102) 話すように歌うレチタティーヴォ参照)に変えられ、グランド・オペラに。さらに、このグランド・オペラの習慣に従ってバレエ音楽が加えられたのです(オペラ座では、全てが歌われ、バレエ・シーンも含まれるグランド・オペラだけしか、上演できませんでした。フランス・オペラとバレエの関係については、また改めて)。

観客が何よりも(!?)楽しみにしていたバレエ・シーンは、第5幕に追加。悪魔メフィストフェレスによって、ヴァルプルギスの前夜にブロッケン山で行われる魔女や悪魔たちの大饗宴に連れて来られたファウスト。逃げ腰の彼を誘惑しようと、美女たちが入れ替わり立ち代わり華やかで艶かしい踊りを披露します。

今回、最初に演奏した1曲目の〈ヌビアの踊り〉は、クレオパトラに仕える奴隷たちの踊り(2曲目ではクレオパトラ自身も踊りに加わります)。ヌビアは、エジプト南部からスーダンにかけての、鉱物資源の豊富な地域の名称です。一方、アンコールで演奏した5曲目〈トロイの娘たちの踊り〉は、トロイの女王ヘレネを中心とした踊り。ヘレネは、ギリシア神話の三美神、ヘラ、アテナ、アプロディテから最も美しい女神を選ばせられたパリスが、「人間界で最も美しい女」をくれるというアプロディテを選んで(「パリスの審判」)見返りに得た美女。人妻を略奪したため、トロイア戦争の発端に。

クレオパトラやヘレネなど、絶世の美女たちによる妖艶なバレエ付き。純愛あり魔法あり裏切りあり。独唱あり合唱あり重唱あり器楽曲あり(第2幕のワルツも単独で演奏されます)。グノーの旋律美と豊かなオーケストレーション。ファウストに捨てられ、絶望して彼との子供を殺してしまったマルグリートは、牢で息絶えた後に救済され天国へ。一方メフィストは大天使に倒される、ドラマティックな幕切れ。スペクタクルで豪華な舞台演出が可能な《ファウスト》が、うけないはずありません。1950年頃まで、パリのみならずロンドンやニューヨークで絶大な人気を誇りました。実は、オペラ史上最大のヒット作は、《フィガロの結婚》でも《魔弾の射手》でも《アイーダ》でもなく、この《ファウスト》なのだそうです1

  1. 池内修「イントロダクション」『フランス&ロシア・オペラ+オペレッタ』音楽之友社、1999年、no.pag.
05. 2月 2014 · (171) いろいろなシンフォニーア はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , ,

先日、「シンフォニーアという語は意味が2種類あってわかりづらい、バロック・オペラの序曲(急―緩―急のイタリア風序曲)も、それが元になって交響曲が成立するまでの初期交響曲もシンフォニーアだから、混乱する」と指摘されました(このコラムでは、前者をシンフォニーア、後者を「交響曲」または「赤ちゃん交響曲」と書き分け……ようとしつつ、やはり後者もシンフォニーアと書いていますね)。大人の交響曲もイタリア語ではシンフォニーアですから、意味は3種類。

これは、「日本では、この(=交響曲)訳語が生まれたころにはまだシンフォニーの成立史についての理解が不足していたために、交響曲という言葉は、もっぱらヨーロッパ音楽の中で最も大きく中心的な曲種であったハイドン以降のシンフォニーを指す言葉として用いられてきた」から1。赤ちゃんでも交響曲は交響曲なのに、違う用語で呼ぶ慣習が続いているのです。

でもこの言葉は昔から、3種類どころではなくもっといろいろなものを指してきたんですよ。シンフォニーやシンフォニーアは、ギリシア語で「共に」をあらわす syn と「響き」をあらわす phonia に由来する言葉。音楽って、複数の音が鳴り響くことが多いですから。

シンフォニーアは、出版楽譜のタイトルとして使われました。ジョヴァンニ・ガブリエーリの《Sacrae symphoniae》(1597)は、器楽曲も含まれますが(〈弱と強のソナタSonata pian e forte a 8〉など)、メインはラテン語の歌詞を持つ無伴奏の多声声楽曲。少し時代が下がると、ガブリエーリの弟子ハインリヒ・シュッツの〈Symphoniae sacrae〉(1629)のように、器楽伴奏付きの宗教声楽曲集に使われます。

器楽曲という意味もありました2。器楽アンサンブルの中のプレリュード的性格を持つ曲や、宗教声楽曲の前に置かれて歌い出しの音を示す鍵盤楽器用プレリュードのいくつかが、シンフォニーアと名付けられています。1650年以降、舞曲の第1曲としてシンフォニーアが置かれ始めました。

声楽曲の中の器楽曲を指す言葉としても使われました。16世紀以来、劇作品の導入曲や、舞台転換の際に出る雑音を隠すために演奏される器楽曲が、シンフォニーアとも呼ばれていました。17世紀初めころ、声楽曲集に含まれる器楽曲シンフォニーアは、必ずしも演奏しなくても良かったようです。17世紀のオペラにおいては、シンフォニーアは独唱や合唱の前や間、後に置かれる器楽曲でした。

特定の形式を持つわけではなく、器楽曲を指す他の用語(たとえばソナタ)と取り替え可能だったシンフォニーア。急—緩—急の3楽章形式の序曲をこの名で最初に(1681)作ったのは、アレッサンドロ・スカルラッティです。18世紀初め以降、次第にシンフォニーアはこの形のオペラ序曲を指すようになりました。単独で演奏されたり、演奏会用に独立曲として作られるようにもなり、やがて(大人の)交響曲へ。

ただ、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが長男の学習用に書いた《インヴェンションとシンフォニア》のような例もあります。教会カンタータやパルティータの冒頭曲をシンフォニーアと呼ぶ、より一般的な使い方もしているバッハ。修辞学で「第1段階」を意味するラテン語インヴェンツィオに由来するインヴェンションはともかく、3声用がシンフォニーアなのは??3 やはり一筋縄ではいかない用語です。

  1. 大崎滋生「交響曲」『音楽大事典2』平凡社、1982、889。
  2. Cusick, Suzanne G., “Sinfonia (i)” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 23. Macmillan, 2001, p. 419-20.
  3. 久保田慶一「インヴェンション」『バッハ キーワード事典』春秋社、2012、162。
18. 12月 2013 · (164) クリスマスに聴きたい音楽 part 6 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

仕事だ!コラムだ!練習だ!とばたばたしているうちに、2013年も残りわずか。「クリスマスに聴きたい音楽」の季節(!?)になりました。今回取り上げるのは《ヘンデルとグレーテル》……ではなく(失礼)《ヘンゼルとグレーテル》。ドイツでクリスマスの時期に上演される、フンパーディンクのオペラです。

森にいちご摘みに行かされた兄妹が見つけた、お菓子の家。喜んでかじっていたら、お菓子の家の魔女に捕まってしまいました。小間使い代わりに働かされるグレーテルは、檻に閉じ込められたヘンゼルを救出。2人で魔女をかまどの中に押し込むとかまどが爆発し、魔法でお菓子に変えられていた子どもたちが現われます。2人を捜しに来た両親も加わって神の恵みを讃え、幕。

作曲者エンゲルベルト・フンパーディンク(1854〜1921)は1890年のクリスマスに、このオペラの前身であるジングシュピール版を婚約者にプレゼントしました1。また、オペラ版の初演は1893年12月23日(指揮はリヒャルト・シュトラウス)。でも、昨年ご紹介した《くるみ割り人形》((112) クリスマスに聴きたい音楽 part 5)のように、クリスマスに直接関わるお話ではありません。この時期に上演される理由は?

グリム童話の中の怖さや残酷さが削られた、お子様向けのストーリー。兄妹が大好きなお菓子を食べまくったり、悪い魔女をやっつけたり、他の子どもたちを助けたりする痛快さに、子どもはわくわく。一方で「悪い事をするとばちが当たる」「魔女につかまらないように親のいいつけを守る」というような教訓が(押し付けがましくなく)伝わります。長さも手頃で、家族みんなで楽しめます。神へ祈りを捧げる場面もあり、まさにクリスマスの時期にうってつけ。

お勧めは、《ヘンゼルとグレーテル》の前奏曲。そう、序曲ではなく前奏曲です。ヴァーグナーみたい!と思った方、そのとおり。フンパーディンクは、ヴァーグナーに気に入られてバイロイトに招かれ、写譜や少年合唱の訓練を手伝うなど《パルジファル》の初演を補佐しました。《ヘンゼル》にもヴァーグナーの影響が見られます(《ヘンゼル》の第2幕への前奏曲は、その名も〈魔女の騎行〉)。

第1幕への前奏曲は、オペラの重要な旋律を使って全体の雰囲気を予示しています。冒頭のホルンのメロディー(《魔弾の射手》序曲を思い出しますね)は、森の中で眠くなった兄妹が歌う〈夕べの祈り〉(第2幕)。トランペットの元気なメロディー(2:22頃〜)は、グレーテルが第3幕でこっそりヘンゼルの魔法を解くときなどに使われます。森で目を覚ましたグレーテルが歌う旋律が弦楽器で続き(3:04頃〜)、その後のオーボエは、お菓子にされた子どもたちの魔法がとけるメロディー(3:31頃〜)。これらが対位法的に展開された後に〈夕べの祈り〉が戻るのは、オペラの最後でこの旋律を使った〈神は、み手を差しのべたもう〉が合唱されるからでしょう。

ヴァーグナー後に停滞していたドイツ・オペラの新しい道として、メルヘン・オペラ(メルヒェンオーパー)が流行しました。《ヘンゼルとグレーテル》は、そのほぼ唯一の生き残りです。素朴で親しみやすい民謡(風)旋律、ドイツ人の心の故郷である森を舞台にしたわかりやすいストーリーもさることながら、世紀末の厚いオーケストレーションや、ヴァーグナーのライトモティーフのような音楽の使い方も、大きな魅力になっています。

  1. Denley, Ian, “Humperdinck,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 11. Macmillan, 2001, 837-8.
20. 11月 2013 · (160) 宝塚とバイロイト はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags:

先日、念願かなって宝塚歌劇を見て来ました。今年度の聖光学院中学・高校(横浜)の藝術鑑賞会が、東京宝塚歌劇の鑑賞。余った席に保護者も入れてくれると言うので、希望したのです。素敵なお姉様方が繰り広げる歌やダンス。華やかなショーでは、学院名やらモットーやらアドリブで加えてくださって、生徒さんたちはもちろん保護者も大興奮! 男子校の貸切公演は初めてで心配したとのことでしたが(組長さんの終演後のご挨拶)、1階前方に座る高3生が「めっちゃ」うらやましいとか、これから毎年、宝塚(鑑賞)だといいのにとか、みんな大喜びでした。

宝塚って、バイロイトと共通点があるんですね。今年、生誕200年を迎えたリヒャルト・ヴァーグナーが、自作だけを上演するために建てたバイロイト祝祭劇場。欧米の歌劇場につきものの桟敷席や、華やかなシャンデリアなどはありません。1階席だけで、クッション無しの堅い木の椅子(居心地が良いと居眠りしてしまうから)。かなり特殊な劇場です。共通していると思ったのは、オーケストラ・ピット。

宝塚劇場では、2階席からオペラグラスでオーケストラ・ピットばかり(舞台そっちのけで)覗き込んでいた私。休憩時間に、近くに行ってみました。舞台両脇から弧の形に伸びたエプロンステージ(銀橋と呼ぶそうです。巾120cm)が客席とピットを隔てています。横から確認できないのですが、ピットの客席側が銀橋の下に入り込んでいるようでした。

バイロイトのオーケストラ・ピットも、舞台の下に潜り込んでいます(反対側ですが)。しかも、客席に近い方に蓋をかぶせています(図1左参照。クリックで拡大します。図の右側の高い方が客席)。蓋とステージの間の「神秘の裂け目」から音は立ち上ってきますが、観客からは演奏者・指揮者の姿はもちろん、指揮棒の先も見えません。観客の気を舞台からそらすものを、徹底的に排除してあるのです。図1右は、ピット内の楽器配置。上が客席側(階段の高い方)で、弦は16、16、12、12、8のようです。ヴァイオリンのファーストとセカンドの位置が逆なのが、バイロイトの特徴1。中は相当狭そうですね(図2)。

配置図

図1左:バイロイト祝祭劇場オーケストラ・ピット断面図。右:楽器配置

図1:バイロイト祝祭劇場のオーケストラ・ピット

図2:指揮はジークフリート・ヴァーグナー

もともと、観客と同じ平面で演奏していた楽器奏者たち。舞台を見ていると多少視界に入るけれど、あえて気にしないものだったオーケストラを、ヴァーグナーはとうとう、完全に見えない存在にしてしまいました。音だけで十分。指揮者すら消してしまったのです。宝塚歌劇の楽器奏者も、1階席の観客からは見えません(たとえ見えたとしても、宝塚の観客の目に入らないはずですが)。バイロイトも宝塚も観客の注意を舞台だけに集中させ、舞台上の「別の」世界をより完璧にしているのです。

  1. 画像は両方とも Lexikus HP の Bibliothek から。
30. 10月 2013 · (157) 《ロザムンデ》:シューベルトと劇音楽 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

台風一過の秋晴れの中、聖光学院管弦楽団 第9回定期演奏会にいらしてくださったみなさま、どうもありがとうございました。前半は古典派ハイドン&モーツァルト、後半は前期ロマン派シューマンというラインナップ、楽しんでいただけましたでしょうか。最後は、古典派とロマン派を橋渡しするシューベルトの、《ロザムンデ》から第3幕後の間奏曲で、しっとり締めくくりました。というわけで恒例のアンコール特集は、劇付随音楽《キプロスの女王、ロザムンデ》(D797)について。

ウィーン(に限らずほとんどの都市)で音楽家として富と名声を得る最も確実な方法は、オペラで成功すること。かのベートーヴェンも、《フィデリオ》を何度も改訂していましたっけ。シューベルトの努力(と甲斐の無さ)は、ベートーヴェン以上。1811年から27年までの間に少なくとも16(!!)の本格的な劇作品(半数はジングシュピール)を書き始め、そのうち半数を完成させたのに、生前に上演されたのは……たった3つ(いずれも不成功)。そのうちの1つが《ロザムンデ》です。

劇のストーリーは? 台本は残っていないのですが、Karl Schumannによると登場人物は「船乗りたちに育てられた呪われた王女、読んだら死んでしまう毒入りの手紙を持った追跡者、羊飼いたちと暮らさなければならない王子。不思議な難破船、幽霊、狩人、羊飼いなどがカラフルなおとぎ話の中に出て来」て(なんだかわかりませんが)、めでたくハッピーエンドに 1

シューベルトが、フェルミーネ・フォン・シェジー(ヴェーバーの《オイリュアンテ》の台本作者)の台本《ロザムンデ》の付随音楽を作るよう説得されたのが、1823年12月の初めころ2。女優エミリー・ノイマンの慈善公演として、アン・デア・ヴィーン劇場で初演されたのが12月20日。

時間が限られていたため、シューベルトは全10曲のうちの半数以上で、以前の作品を再利用しました3。序曲は、前年に完成させたけれど初演できなかったオペラ《アルフォンソとエストレッラ》(D732)序曲。今回演奏した第3幕後の間奏曲は、「もはや私はこの悲しみの重荷に耐えられない」という歌詞で始まるリート《苦悩する人 Der Leidende》(D432)に基づいています(2つ目の短調部分。下のYouTube参照)。また第1幕後の間奏曲は、もとは《未完成交響曲》の終楽章であった可能性が指摘されています。理由の1つは本格的なソナタ形式の楽章であること4。もう1つはロ短調であること。(32)《未完成交響曲》はなぜ未完成か?で述べたように、この時代、オーケストラ曲がロ短調で書かれるのは非常に珍しいことでした。

最後に、《魔王》(D328)のような劇的表現に優れたシューベルトが、劇音楽の分野で成功できなかった理由は5

  • 規模の大きな音楽を構成したり、劇的要素を積み重ね発展させていく力が、彼に欠けていた
  • 当時のヴィーンのドイツ語オペラ環境が良くなかった(2つの宮廷劇場は経済的問題に直面。郊外の3劇場も同様。しかも、ロッシーニ旋風が吹き荒れていた)
  • メッテルニヒが導入した厳格な検閲制度のため題材が限られ、それを嫌ったプロの台本作者がヴィーンからいなくなってしまった

経験(成功体験)から学ぶことができなかったシューベルト。《ロザムンデ》も台本が弱く、上演は2回で打ち切りに。でも、10曲の付随音楽は彼の劇音楽の中で最も賞賛され、演奏され続けています。

  1. Steven Ritter のCD評(MD&G Records、Audiophile Audition)より。でも彼自身は「貧しい未亡人に育てられたロザムンデ王女は、17歳の誕生日に新しい支配者としてキプロスの人々に示され、愛と陰謀の中に巻き込まれる」と書いていて、Karl Schumannからの引用と少々矛盾しています。
  2. Winter, Robert, “Schubert.” The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol.22, Macmillan, 2001, p. 666.
  3. 前掲書、p. 682.
  4. 同上。
  5. 前掲書、p. 681.
07. 8月 2013 · (145) a’=440になるまで (3):フランスは低かった はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

バロック・ピッチ、ドイツ((104)  (143))に続いて、今回はフランスについて。1680年以前にフランスで作られたパイプオルガンは、a’=388〜396Hz1。低いですね。したがって、礼拝堂ピッチ ton de chapelle と現在の標準音高の差は、2半音(=1全音)でした。

17世紀後半にできたパリ・オペラ座でも、同じ(低い)ピッチがオペラ座ピッチ ton de l’opera と名前を変えて使われました。フランスやオペラにかぎらず、歌い手にとってピッチは低ければ低いほどありがたいはず。現在のラは、オペラ座ピッチならシ。シまで出ると言う方が、ラまでよりも聞こえが良いですし。

木管楽器のピッチは高かったのですが、教会では使われなかったので問題ありませんでした。でも、新しいオペラ座のオーケストラに木管楽器を入れたい! → ピッチが合わない! → 設計し直さなければ!ということに。オペラ座が、オペラ座ピッチの楽器を揃えていて、奏者に貸し出した可能性もあります2

一方、世俗曲は? 「太陽王」ルイ14世の時代の室内ピッチ(宮廷ピッチ) ton de la chambre は、現在よりもおよそ1.5半音低い a’=404 くらいだったようです。現存する当時のフランスの木管楽器、オルガン、民俗楽器の多くから、これくらいの高さの音が出ます(同時代のイギリスでも、コンソート・ピッチと呼ばれるこの高さが支配的でした)。

ただ、オペラ座ピッチの木管楽器も残っているので、現在より1.5半音低い室内ピッチと2半音低いオペラ座ピッチが並行して用いられたのでしょう。現在、フランスのいわゆるバロック時代の音楽を演奏する際に、a’=392(a’=440 で12平均律の場合の、ラより2半音低いソのピッチ)が使われることがありますが、カンマートーンとして a’=415(同じくラより半音低いラ♭のピッチ)を使うのと同様、便宜上の数値であることを忘れないでください3

18世紀半ば、フランスにヴェネツィアの新しいピッチが到来。イタリアでは教会のオルガンに、高いピッチ(a’=464くらい)が使われていたのですが、1740年ころヴェネツィアで、それまでより半音低い、現在とほぼ同じピッチのオルガンが製作されるようになったのです4。ヴェネツィアの聖歌隊ピッチ corista Veneto と呼ばれるこの音高が他の楽器にも取り入れられ、18世紀末までにヨーロッパ中に広まりました。現在の標準 a’=440 は、このヴェネツィアのピッチに由来するとも考えられるそうです 5

  1. B. Hynes, ‘Pitch, §1: Wetern Pitch Standards,’The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 19, Macmillan, 2001, p. 795.
  2. 前掲書、p. 796.
  3. a’=392 をヴェルサイユ・ピッチと呼ぶ人がいるようですが、英語や仏語でこの語が使われているのを、まだ見たことがありません。
  4. 前掲書、p. 795.
  5. 同上。
24. 7月 2013 · (143) オーケストラの起源 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

管・弦・打楽器が一定の秩序に基づいて一緒に音楽を奏でるオーケストラ。用語は古代ギリシア劇の「円形舞踏場オルケストラ」に由来します((29) オーケストラは「踊り場」だった参照)が、オーケストラ音楽の出発点は?

全てはここから始まった!と言えるような、唯一無二の起点というわけではありませんが、モンテヴェルディの《オルフェオ》が出発点の1つであることは間違いありません。1607年(バロック時代の初め)に北イタリアのマントヴァで初演された、最初期のオペラの傑作で、オペラの(実質的な)出発点。その伴奏アンサンブルがオーケストラの出発点と考えられる理由は、以下の3点。

第1は楽器編成。図1は、1609年に出版された《オルフェオ》スコアの楽器リストとそれを3つに分類したもの。ずいぶんいろいろな楽器が必要です1。キタローネ(ネックがすごく長い大型リュート)など、現在使われていない楽器の名も。

図1:モンテヴェルディ作曲オペラ《オルフェオ》の楽器リスト

図1:モンテヴェルディ《オルフェオ》の楽器リスト(クリックで拡大します)

オペラの歌唱を伴奏する通奏低音楽器((132) 楽譜どおりに演奏しても足りない場合参照)もさまざま。伴奏楽器を変えて、登場人物を描き分けているからです。たとえば、竪琴の名手オルフェオにはハープや柔らかい音のする木管オルガンを用いる一方、冥府の番人カロンテには耳障りな音がするレガール(金属リードのオルガン)が使われます。弦楽器の数や管楽器の種類も多いですね。トロンボーン((44) 神の楽器? トロンボーン(2)参照)やコルネット(現在のコルネットとは異なる、円錐形の木管楽器)は冥界、リコーダーは地上の場面と、管楽器も描き分けに加わります。

しかも、楽器や数が楽譜に指定されています。これが2つ目の理由。当時の器楽は主に即興(踊りの伴奏など)か、声楽の代わりや支えとして使われていました。どんな楽器を使うか、どのパートを担当するかは、奏者に任されていたのです。《オルフェオ》は、ジョヴァンニ・ガブリエーリの《弱と強のソナタ》などとともに、楽器が指定された最初期の例です。

そして第3の理由は、オペラにおいて器楽曲が重要な役割を果たしていること。たとえば、幕が上がる前に奏される《トッカータ》。五声部の最上声にクラリーノ(高音域のトランペット)が指定された華やかなファンファーレ風の曲は、マントヴァ侯爵らが入場し、席に着く間に奏される音楽です2。でも、現実と異なる時間の始まりを告げるオペラの序曲と捉えても、違和感はありません。楽器名は書かれていません(し、上記の楽器リストにも含まれていません)が、ティンパニのような打楽器が一緒に奏されたことは間違いないでしょう。《トッカータ》に続いて音楽の神が歌うプロローグの、間奏として何度も繰り返される《リトルネッロ》は、第2幕や第5幕でも奏されます。冒頭の音楽が戻って来ることで共通の雰囲気を醸し出し、まとまり感を与えています。

前回((141) やかましかった!参照)のオペラ指揮の話を読んで、オペラとオーケストラは大きく異なるジャンルなのにと思われた方もおられたでしょう。しかし、オーケストラの起源(の1つ)はオペラの器楽伴奏アンサンブルですし、交響曲の直接の先祖(の1つ)はシンフォニーア(イタリア風序曲)と呼ばれるオペラ序曲((18) 赤ちゃん交響曲誕生まで参照)。オーケストラはオペラに多くを負っているのです。

  1. 1615年に再版されたスコアより。内容は1609年出版の初版と変わりません。
  2. 石多正男『交響曲の生涯』東京書籍、2006年、38ページ。
17. 7月 2013 · (142) やかましかった! 指揮者のお仕事 (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

通奏低音を受け持つ鍵盤楽器奏者か、ヴァイオリンのトップ奏者(あるいはこの両者)の合図で演奏していたバロック時代。兼業指揮(?!)体制はその後も続きます。たとえばモーツァルト。「コンセール・スピリチュエルの幕開けのために書いたぼくのシンフォニー(註《パリ》交響曲)は、前の晩、生まれてこのかた聴いたこともないひどい練習につきあって、心配と不安と怒りのあまり眠れないほどでした(中略)覚悟を決めました。もし、稽古のときのようにまずく行ったら、なんとしても第1ヴァイオリンの手から楽器を取り上げて、ぼく自身が指揮をしようと」(1778年7月3日付けレオポルト宛の手紙1。下線筆者。(115) 愛の楽器? クラリネット(2)も参照)。

ザルツブルク宮廷楽団のコンサート・マスターですから、オケを率いるのはお手のものだったのでしょう(幸い本番はとてもうまくいったので、彼が飛び入りする必要はありませんでした)。ハイドンのロンドン招聘を実現させた興行師ザロモンもすぐれたヴァイオリニストで、もちろん兼業指揮をしていました。

当時は「音が出る指揮(というか指示)」が多かったそうです。具体的には「手を叩く」「台を叩く」「足を打ち鳴らす」「叫ぶ」など。しかも「演奏の間中、ほとんどずっと」鳴っていた2。たとえばパリのオペラ座の「足を踏み鳴らす、あるいは杖や弓で音が出るように叩く」指揮は、1803年に「しばしば、間違いと同じくらい邪魔になる」と評されています3

メンデルスゾーンは1831年にナポリの歌劇場で、オペラの間中ずっとファースト・ヴァイオリン奏者がブリキのろうそく立てを4分音符の速さで(=1小節4つずつ)打っているのを聞いて「(オブリガート・カスタネットのようだけれどそれよりやかましく)歌よりもはっきり聞こえる。それなのに、歌声は決して揃わない」と書き残しているそうです4。オペラだけではありません。ヴァーグナーは、1832年にプラハで、「乾いたひどくうるさいつえの音の」ディオニス・ヴェーバーに自分の交響曲のリハーサルしてもらったと書いています5

指揮者が「オーケストラの中で唯一音を出さない(出せない)奏者」になったのは、それほど昔ではなかったのですね。現在の指揮者像は、19世紀後半以降に作られたものなのです。

  1. マーシャル『モーツァルトは語る』高橋他訳、春秋社、1994。
  2. Botstein, Leon, “Conducting” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 6. Macmillan, 2001, p. 265.
  3. Koury, Daniel J., Orchestral Performance Practices, Univ. of Rochester, 1981, p. 76.
  4. 前掲書、p. 77.
  5. 同上。