03. 2月 2016 · (270) 庶民はいつからオペラを見られるようになったか はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

史上初の公開コンサートが行われたのは1672年でした((269) 庶民はいつからコンサートを聴けるようになったか参照)が、オペラは? 王侯貴族の娯楽として始まったオペラ。いつごろから庶民も楽しめるようになったのでしょうか。コンサートより早い?遅い? どちらだと思いますか?

答えは、バッハが生まれる前に始まったコンサートよりもさらに「早い」。ヴェネツィアに最初の公開オペラ劇場「サン・カッシアーノ」が作られたのは、なんと1637年!(西洋音楽史の重要年号の1つ)。実質的な最初のオペラであるモンテヴェルディの《オルフェオ》がマントヴァで初演されたのは、1607年でした((143) オーケストラの起源参照)。そのわずか30年後に、庶民にも解放されたなんて!

フィレンツェのアカデミー「カメラータ」の人々が、古代ギリシア劇を復興しようとして誕生させたオペラ((28) バロック時代はなぜ1750年までか?参照)。《オルフェオ》以来、富と権力を示したい王侯貴族たちに保護され、イタリア諸都市のみならずヨーロッパの他の国々にも広がりました。贅沢でプライヴェートな「セレブの愉しみ」だったオペラが、これほど早い時期に庶民に公開されたのはなぜでしょう?

ヴェネツィアは、地中海貿易で富を蓄えた商人たちの国。彼らは財力で王侯貴族の楽しみを手に入れただけではなく、それを使ってさらにお金を得ようと考えました。商業的なオペラ劇場の運営です。庶民は平土間で立見。座って楽しむならまわりをとり巻くボックス席ですが、入場料以外に権利金を払わなければなりませんでした。この権利金だけで、劇場の建設費を賄うことができたのです。サン・カッシアーノ劇場に続いて、17世紀末までにヴェネツィアには、10以上のオペラ劇場が建設されました。

ボックス席の奥には暖炉付きの控えの間があり、そこは食事やゲームだけではなく「政治上の話し合いや商取引が成り立つ大切な場所」。裕福な市民は複数の歌劇場にボックス席を持ち、「その権利を資産として子孫に伝え」ました。こうして、ヴェネツィアでは人口15,000人にひとつのオペラ劇場がゆきわたるほどになったのです1。庶民も楽しめる公開オペラ劇場の繁栄によって、オペラはその形を変えていくことになりますが、それについてはまた改めて。

来週から2月いっぱい、聖フィル♥コラムをお休みします。(249) 今と同じ?! 16世紀の楽譜で書いたヴァティカン図書館を初め、ローマのサンタ・チェチリア音楽院図書館、パリ国立図書館などに、16世紀の楽譜資料の調査に行くためです。みなさま、3週連続更新無しでも、聖フィル♥コラムを忘れないでくださいね。

  1. 服部幸三『西洋音楽史:バロック』音楽之友社、2001年、55ページ。
20. 1月 2016 · (268) マンドリンの調弦は? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

オケの弦楽器奏者のみなさま、弦楽器仲間マンドリンの調弦をご存じですか? 先日質問されたのですが、私、調弦はおろか弦の数も答えられませんでした。考えてみたら、西洋音楽史の講義でマンドリンに触れたのは、レスピーギの交響詩《ローマの祭》を教えたときくらい。撥弦楽器という以外何も知らないことに気づき、遅ればせながら調べてみました。

驚いたことに(赤面!)、マンドリンってヴァイオリンと同じソレラミに調弦するそうです(音域も同じ)。楽器の大きさもほぼ同じ(全長60cm)。ヴァイオリンと異なるのは:

  • 複弦。それぞれ2弦ずつ(2本1セットで1コース。マンドリンは8弦4コースという言い方をします)
  • 指板にフレットがあること
  • 弓や指ではなくピックで弾くこと。ピックはべっこうや合成樹脂の薄板。やや丸みを帯びたくさび形
  • 胴は、ご先祖リュートのような洋梨型(あるいは縦割りにしたイチジク型)。ギターのように構える
  • 響孔は円形や楕円形

現在のマンドリンは、1740年代初めにナポリで発達したナポリ型の系統。すぐにヨーロッパ中に広まり、1750〜1810年にはイタリアの奏者たちが各地でコンサートを催しました。パリの演奏会シリーズ、コンセール・スピリテュエルにもマンドリン演奏がしばしば登場。貴族たちにも流行しました。

マンドリンの人気が増すにつれて、オペラにマンドリン伴奏のセレナーデが登場するように。最も有名なのはモーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》第2幕〈Deh, vieni alla finestra(窓辺においで)〉。主人公がドンナ・エルヴィーラの侍女(端役!?も口説く!!)に歌う、「ドン・ジョヴァンニのセレナーデ」です。

でもここでは、先週のコラムで取り上げた今年没後200年のパイジェッロ((267) メモリアル・イヤーの作曲家参照)の代表作《セビリアの理髪師》第1幕から、アルマヴィーヴァ伯爵が身分を隠してロジーナに歌うカヴァティーナ〈Saper bramate(「とても知りたいなら」とでも訳すのでしょうか)〉をご紹介します。下の動画の前奏や間奏部分にマンドリン演奏が写っています。

マンドリンは19世紀に入ってからも南イタリア、特にナポリで広く演奏されました。でも、それ以外のヨーロッパの演奏会場や歌劇場からは、ほとんど完全に消えてしまいました。ベルリオーズは1843年に、パリのオペラ座でさえマンドリンが単なる小道具になり、上記ドン・ジョヴァンニのセレナーデがヴァイオリンのピッツィカート伴奏で歌われたと悲し気に記しているそうです1

  1. Tyler, James, ‘Mandolin,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 15. Macmillan, 2001, p. 742.
13. 1月 2016 · (267) メモリアル・イヤーの作曲家:パイジェッロ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

今年は、ジョヴァンニ・パイジェッロの没後200年です。パイジェッロは、ハイドンが生まれた8年後の1740年にイタリアのタラント(タランテラの名前の元になった町)で生まれ、ハイドンが亡くなった7年後の1816年にナポリで亡くなりました。80以上のオペラを作っています。こんな人知らない!という方が(特にオケ奏者には)多いでしょうね。でもパイジェッロの《セビリアの理髪師》は、モーツァルトが《フィガロの結婚》を作るきっかけになりました。

えーっ、《セビリアの理髪師》ってロッシーニじゃないの?!! 確かに《セビリア》はロッシーニの代表作。でも、ロッシーニはモーツァルトが亡くなった翌年(1792年)生まれ。彼の《セビリア》はモーツァルトの生前には存在しません。モーツァルトに影響したのは、パイジェッロの《セビリアの理髪師》。

《セビリアの理髪師》は、フランスの劇作家ボーマルシェの3部作のなかの第1作。《フィガロの結婚》はその後日談です。召使いが機転をきかせて貴族をやりこめるお話ですから、ウィーンでは原作の上演は禁止。オペラ化もかなりの冒険でした。でも、1781年にウィーンに移って以来、イタリア・オペラ上演の機会に恵まれなかったモーツァルトは、台本作者のロレンツォ・ダ・ポンテと組んでリスクを取ります。パイジェッロの《理髪師》の成功を、目の当たりにしていたからです。

パイジェッロが、ペトロセッリーニの台本でオペラにした《セビリアの理髪師》は、彼が宮廷楽長をしていたペテルブルクで1782年に初演。翌1783年8月のウィーン初演後、ここでも大人気でした。86年のシーズン終了までに40回以上も上演されています1。ウィーンの人たちが、《セビリア》の続きである《フィガロ》を早く見たいと望んでいることをモーツァルトは知っていましたから、勝算があったのです。もしもパイジェッロがいなかったら、モーツァルトの代表作《フィガロの結婚》は生まれなかった!?!

パイジェッロは晩年ナポレオンに寵愛されましたが、彼の時代が終わるとともに復位した旧王の不興を買い、1816年不遇のうちに没しています2。同年、24歳のロッシーニが《セビリアの理髪師》を作曲。この大成功で、パイジェッロの同名作品は忘れられることになりました。運命のいたずらですね。

ピアノや声楽を学んだ人は、きっと、パイジェッロの曲を1つご存じですよ。ピアノ学習者が、ベートーヴェンのピアノ変奏曲の(ほぼ)最初に学ぶ《〈うつろの心〉による6つの変奏曲》WoO. 70(1795年。WoO.については (239) ベートーヴェンの作品番号参照)の〈うつろの心〉は、パイジェッロが1788年に作ったオペラ《水車小屋の娘》のなかの二重唱です。パリゾッティは最初の部分を独唱曲にして、イタリア古典歌曲集に収めました。パガニーニなども同じ旋律で変奏曲を作っていますから(1820年)、とても人気がある作品だったのですね。

  1. (268) マンドリンの調弦は?に、このオペラ1幕のカヴァティーナの動画を紹介しています(2016/1/20追記)。
  2. 小林緑「パイジェッロ」『音楽大事典4」平凡社、1982年、1802ページ。
23. 12月 2015 · (265) クリスマスに聴きたい音楽 part 8 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

例年にない暖冬で油断しているうちに、2015年も残りわずか。気忙しい年の瀬ですが、なんだか静かにオルガン曲を聴きたい気分。クリスマスに聴きたい音楽 part 8(昨年の (215) クリスマス以外にも聴きたい音楽《そりすべり》を part 7 と考えてくださいね)は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの《パストレッラ》BWV 590にしました。パストレッラはパストラーレの指小語。小さなパストラーレという意味。

ベートーヴェンも《田園交響曲 シンフォニーア・パストラーレ》として使ったパストラーレは、音楽用語として2つの意味があります。ひとつは、16世紀の「牧歌劇」。「田園という理想郷(アルカディア)を舞台に牧童たちが繰り広げるのどかな恋物語」で、 17世紀初頭に成立するオペラの、演劇上の母胎の1つとなりました1

もうひとつは「田園曲」。バグパイプ風のドローン(飛ばす方ではなく、保続低音の方!)の上で、6/8 や 12/8 拍子3分割リズムの2声の旋律が、3度(あるいはカノン)で進行する音楽。コレッリのクリスマス・コンチェルト最終曲を思い浮かべてください((59) クリスマスに聴きたい音楽 part 3 参照)。このような音楽がクリスマスと結びつけられたのは、聖書の記述と関係があります。

天使たちが天に去ると、羊飼いたちは、「ではベトレヘムに行って、主の示されたその出来事を見よう」と相談し、急いでマリアとヨゼフとまぐさおけに寝かされたみどり児を見に行った。それを見て彼らは、この子について天使の話されたことを知らせたので、それを聞いた人々はみな、羊飼いの話を不思議に思い、マリアは注意深くそのことを心にとどめて考え続けた。羊飼いたちは、天使が話したとおりのことを見聞きしたので、神をあがめ、たたえながら帰っていった(ルカによる福音書第2章15〜20節)2

かつてイタリアでは、この記述に倣って、クリスマスの日に羊飼いたちがバグパイプを吹きながら各都市に贈り物を運ぶ民俗儀礼があったそうです3。その音楽の特徴が、キリスト降誕や羊飼いのイメージとともに田園曲に引き継がれたのです。

4つの短い楽章から成る《パストレッラ》ヘ長調。バッハが1723年からカントルを務めたライプツィヒのクリスマス礼拝で、何らかの形で使われたはずですが、確かなことはわかりません。第1楽章では、両手でゆったりとした12/8の旋律、足鍵盤でドローン(初めファ、次にド)を演奏します(下の動画では、足鍵盤の音はそれほど聴こえませんが、ファからドに替わるのは 0:55くらい。スコットランドの画家デイヴィッド・ロバーツのリトグラフ『ベツレヘム』から、オルガ・ミンキナの演奏風景に戻るあたりです)。残りの3楽章は、手鍵盤のみ。キリスト降誕を静かに思い浮べてくださいね。

来週はコラムお休みします。みなさま、どうぞ楽しいクリスマスと良い新年をお迎えください。2016年も、聖フィル♥コラムをよろしくお願いいたします。

  1. 加藤拓未「パストラーレ」『バッハ キーワード事典』春秋社、2012、269ページ。
  2. 『新約聖書』バルバロ訳、講談社、1981、147ページ。
  3. 加藤、269-70ページ。
29. 7月 2015 · (247) 《運命の力》序曲に使われた旋律 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲のように(234)、《運命の力》序曲にもオペラ本体から旋律が引用されています。序曲の前半で、フルート、オーボエ、クラリネットがユニゾンで奏する、悲しげな旋律がありますね(譜例1)。これは、第4幕のアルヴァーロとカルロの2重唱〈アルヴァーロ、隠れても無駄だ Invanno Alvaro〉の一部です。

譜例1:《運命の力》序曲 61小節〜

譜例1:《運命の力》序曲 61小節〜

インカ王国の末裔アルヴァーロ(テノール)は、カルロ(バリトン)の妹レオノーラ(ソプラノ)と駆け落ちしようとして、誤って彼らの父親カラトラーヴァ侯爵を殺してしまいます。無抵抗を示すために投げ捨てたピストルが、暴発したのです。逃げる間にアルヴァーロとレオノーラは離れ離れに。復讐のためアルヴァーロを執念深く捜すカルロは、修道僧になったアルヴァーロを見つけ、2人は決闘することに。

〈アルヴァーロ、隠れても無駄だ〉は、その決闘前に歌われます。でも、仇同士の歌にしてはずいぶん感傷的ですよね。不思議に思いませんか? どんな内容を歌っているのでしょう?

この2重唱は、とうとうアルヴァーロを見つけたことを喜ぶカルロの独白で始まります。僧侶姿のアルヴァーロが登場(下の動画の1:15)。「ドン・カルロ!」(1:31)と驚くアルヴァーロに、カルロは決闘のため、2本の剣のうちのどちらかを選べと歌います。後悔している、ここで罪を償っている、放っておいてくれと頼むアルヴァーロ(2:30)。臆病者と言われてかっとします(3:10)が、すぐに自分を押さえて「主よ、私を助けたまえ」と祈ります。序曲に引用されるのは、それに続く部分(3:35)。

挑発にのらず、「おお兄弟よ、慈悲を、慈悲を! O fratel, pietà, pietà!」と繰り返しますが、カルロは同じ旋律で、妹を棄てたとなじります(5:03)。それを否定し、レオノーラを愛していた、今も愛していると歌う部分は、長調に(5:36)。跪いて許しを乞うアルヴァーロの家名を傷付け、侮辱するカルロ。我慢に我慢を重ね、手に取ってしまった剣を投げ捨てて、立ち去るよう頼むアルヴァーロ(7:53。引用旋律が再登場)。でも、平手打ちされ(8:42)遂に決闘を受け、死へ赴こうと2人一緒に歌います。

《運命の力》最大の聴きどころ、聴かせどころ。緊迫したドラマティックな2重唱ですが、決闘を迫っているのはカルロだけ。アルヴェーロは避けようとしています。それに、序曲に使われるのは、決闘と直接関係がない歌詞につけられた旋律(アルヴァーロが許しを乞う部分や、カルロが妹を歌う部分)。このため、決闘前の2重唱ながら、争いや殺し合いから遠い性格の音楽になっているのです。

さて結末は? 決闘に勝ったのは、アルヴァーロ。瀕死のカルロは再会したレオノーラを刺し、彼女は〈先に天国に行っております Lieta poss’io precederti〉と歌って息を引き取ります。絶望したアルヴァーロが自殺し、主役3人全員が亡くなる初演のエンディング(ペテルブルク帝室歌劇場、1862)は悲惨過ぎると、再演時(ミラノ・スカラ座、1869)に改訂されたのでしたね。

イタリア・オペラの巨匠ジュゼッペ・ヴェルディ(1813〜1901)。オケ奏者にとってヴェルディと言えば、聖フィルが次回定演で取り上げる《運命の力》序曲でしょうか。オーケストラのコンサートで比較的多く(というか、最も頻繁に?!)演奏されますね。オペラにあまり興味が無い方でも、《アイーダ》や《椿姫》はご存じのはず。

それでは質問です。87年の生涯でヴェルディはいったいいくつオペラを作ったでしょうか? 答えは26! 上記以外にどんなオペラがあるのか、《運命の力》は何作目か、たどってみましょう。

幸運にもミラノのスカラ座で初演され、成功した処女作《オベルト》(初演1839)、大失敗に終わった2作目のオペラ・ブッファ《1日だけの王》(1840)。3作目の《ナブッコ》(1842)が熱狂的に迎えられ、一躍大人気のオペラ作曲家に。特に、第3部の合唱〈行け、思いよ、黄金の翼に乗って〉がリゾルジメント(イタリア統一運動。当時イタリアは、オーストリアの支配下にありました)と結びつき、大ヒット。

この後、《ナブッコ》路線の愛国オペラが続きます。④《第1次十字軍のロンバルド人たち》(1843)でミラノでの成功を確実にした後、イタリア各地に進出。⑤《エルナーニ》(ヴェネツィア、1844)、⑥《2人のフォスカリ》(ローマ、1844)、⑦《ジョヴァンナ・ダルコ》(ミラノ、1845)、⑧《アルツィラ》(ナポリ、1845)、⑨《アッティラ》(ヴェネツィア、1846)、⑩《マクベス》(フィレンツェ、1847)、⑪《群盗》(ロンドン、1847)、⑫《海賊》(トリエステ、1848)と続き(ほとんど知らないタイトルばかり……)、愛国オペラの決定版⑬《レニャーノの戦い》(ローマ、1849)へ。しかし、1848年のイタリア革命は失敗。

レチタティーヴォを充実された⑭《ルイザ・ミラー》(1849)、⑮《スティッフェリオ》(1850)の失敗の後、中期三大作⑯《リゴレット》(1851)、⑰《トロヴァトーレ》(1852)、⑱《トラヴィアータ(椿姫)》(1853)が登場。当時のオペラとしては「有り得ない」主人公(せむしの道化、ジプシーの老婆、娼婦)の個性と心理を、歌唱だけではなく管弦楽も駆使して繊細にドラマティックに描きました。

この後、⑲《シチリアの晩鐘》(1855)、⑳《シモン・ボッカネグラ》(1857)、㉑《仮面舞踏会》(1859)と続いて、ようやく22作目が《運命の力》(1862)。ペテルブルク帝室劇場の依頼で、パリのオペラ座依頼の㉓《ドン・カルロ》(1867)、カイロのオペラ劇場依頼の㉔《アイーダ》(1871)のような、グランド・オペラのスタイルで作曲。

各地の劇場からの注文に追いまくられ「苦役の年月」だった愛国オペラ時代。1年に2作書いた年も。しかし、中期以降は1年に1作、あるいはそれ以上の間が空きます。そして、名声も富も手に入れたヴェルディが、だれからの依頼も無しに数年がかりで作った25作目《オテッロ》の初演は、1887年。前作《アイーダ》の初演から、実に16年後でした。

そして26作目は、シェイクスピアの喜劇を題材にした《ファルスタッフ》(1893)。第2作目で手痛い失敗を経験(初日だけで公演打ち切り。妻の死など家族の不幸も重なり、一時はオペラの作曲を放棄しようと考えました)1。以来、一度も手を出さなかった喜劇に、79歳で挑戦。完成させます。自分の楽しみのために作ったこの最後のオペラ、終幕が〈世の中はすべて冗談〉と締めくくられるなんて、出来過ぎ! いえ、さすがですね。

  1. Parker, Roger,  ‘Verdi, Giuseppe,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., 26, Macmillan, 2001, p. 436.
06. 5月 2015 · (235) 《アルルの女》第2組曲よりメヌエット はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

先週は聖フィル♥コラムをお休みしてごめんなさい。聖光学院管弦楽団 第12回定期演奏会 on 聖光ホームカミングデー本番当日だったからです。聴きに来てくださった方々、どうもありがとうございました。コラム恒例アンコール・シリーズ、今回はビゼー作曲《アルルの女》第2組曲第3曲のメヌエットについて。

フルートの穏やかなメロディーと、ハープのアルペジオ(分散和音)。ゆったりとしていてなんだか満ち足りた気分にさせる曲ですが、《アルルの女》の劇付随音楽として小編成オーケストラ用に作られた27曲(ほんの数小節のものも含めて)には、含まれていません。

1872年10月1日の初演で音楽が複雑過ぎると批判されたビゼーは、すぐに前奏曲、メヌエット(フルート&ハープのメヌエットとは別の曲)、アダージェット、カリオンをフル・オーケストラ用に編曲1。この《アルルの女》管弦楽組曲、翌月に演奏されて大成功します。2匹目のどじょうの(?!)第2組曲は、数年後に(ビゼーが既に亡くなっていたので)友人のエルネスト・ギローが組んだもの。

ギローは《カルメン》の台詞部分をレチタティーヴォに直し、グランド・オペラにした人でしたね((228) 《カルメン》音楽史クイズ参照)。彼は、《アルルの女》のパストラール、間奏曲、ファランドールに、ビゼーのなぜか《美しきペルトの娘》(1866)からメヌエットを加え、第2組曲としました。

《美しきペルト(英語ではパース)の娘》は、ウォルター・スコットの小説にもとづくオペラ。14世紀、スコットランド王国の首都パースが舞台です。カトリーヌ(英語ではキャサリン)とアンリ(ヘンリー)は恋人同士。でも、カトリーヌは美しいジプシー女マブがアンリの部屋から出て来たのを誤解し、アンリはロスシー公爵に言い寄られたカトリーヌが彼に会いに出かけたと誤解し(実は公爵の愛人であるマブの変装)、2人とも相手が不貞を働いたと絶望。アンリは決闘することになるやら、カトリーヌは狂ってしまうやらの紆余曲折の末、ハッピー・エンドに。

メヌエットの原曲は、第3幕でロスシー公爵がカトリーヌ(の変装をしたマブ)と歌う〈やっと二人きりだ Nous voila seuls〉。でもギローは、大事な二重唱のメロディーを省略。あのしっとりしたフルートや堂々とした中間部が対旋律だったなんて、驚きです(原曲を聴くと、歌が邪魔みたいな不思議な感じ……)。

《美しきパースの娘》といえば、〈小さな木の実〉を思い出す方も多いと思います。原曲は、第2幕でアンリがカトリーヌの愛を取り戻そうと歌うセレナード〈誠実な恋人の声に A la voix d’un amant fidèle〉(旋律は、ビゼーの初期のオペラ《ドン・プロコピオ》からの借用。日本語の歌詞は、オペラとは無関係)。セレナードは前奏曲、行進曲、ジプシーの踊りとともに《美しきパースの娘》管弦楽組曲に収められました。ギローは、メヌエットがこの組曲から漏れているのを残念に思って、《アルルの女》第2組曲に入れたのでしょうか?(下の動画では、メヌエットの原曲は1:28:55〜、セレナードの原曲は1:05:50〜と2:21:40〜。字幕はスペイン語)。

  1. MacDonald, Hugo, ‘Bizet,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 3. Macmillan, 2001, p. 646.
22. 4月 2015 · (234) 《マイスタージンガー》のライトモティーフ (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

ライトモティーフとは「オペラ、楽劇、標題音楽などにおいて、ある想念、人物、感情、事物などと結び付けて用いられる動機」1。前回 (233) はヴァーグナーの《マイスタージンガー》第1幕への前奏曲冒頭の「マイスタージンガーの動機」について説明しました。前奏曲にはこれ以外にも、オペラに使われるいろいろな動機(モティーフ)が登場します。

和音を連ねて上行する、シンプルで覚えやすいモティーフが、金管主体の「行進の動機」。主調ハ長調の主和音ドミソの響きを多用していて、「マイスタージンガーの動機」と性格が似ています。オペラ第3幕第5場で、マイスタージンガーたちが歌合戦の会場に次々と入って来るときの音楽がこれ。「マイスタージンガーの動機」も続き、これに合わせて主人公ハンス・ザックスが最後に入場します(下の動画で1:09くらいから。ザックスについては (220) を参照のこと)。前奏曲の短縮版という感じも。

前奏曲の中間部、テンポが遅くなってホ長調に転調すると「愛の動機」が登場。ファースト・ヴァイオリンが低音域で甘い旋律を奏でます。堂々としたハ長調の部分と、大きなコントラストを作っていますね。

この「愛の動機」の元の形は、一目惚れしたエーファを勝ち取るために歌合戦でヴァルターが歌う〈朝の光はバラ色に輝き〉の後半部分。歌合戦の優勝者が彼女と結婚できるのですが、騎士ヴァルターは歌の修業をしたことがありません。ザックスはヴァルターを励まし、彼の歌を A―A―B のバール形式に整えてやります。この歌は3拍子ですが、朗々と歌い上げられるB部分の旋律ラインは、前奏曲の「愛の動機」と同じ(下の動画では、2つ目のA部分が1:54〜、B部分は3:17〜。歌詞の日本語訳は註2を参照のこと)2

第1幕への前奏曲後半で、「マイスタージンガーの動機」がトロンボーン、ヴィオラとチェロの演奏で戻って来ます。引き続き、ファゴット、コントラバス、チューバによって低音域で演奏されますが、その上でヴァイオリン1、クラリネット1、ホルン1、チェロが奏しているのは「愛の動機」。そして、ヴィオラ、フルート、オーボエ、クラリネット2、ホルン2、3、4が奏しているのは、短い音価の音符による軽快な形に変えられた「行進の動機」。ライトモティーフの変形や対位法的な処理を伴う、前奏曲の聴き所です。

この後、弦の装飾音型とともに「行進の動機」が元の音価で奏され、最後は「マイスタージンガーの動機」で壮大に締めくくられる前奏曲。この前奏曲のエンディング部分は、オペラ全体のエンディングと呼応しています。マイスタージンガーになることを拒否するヴァルターにザックスがマイスターの重要性を説き、人々がザックスとドイツ芸術を讃えながら幕となるフィナーレ(動画の3:40〜)。幕が開く前に聴いた音楽がほぼそのまま、ハッピーエンドの歓呼の歌声の伴奏となるのです。

[お知らせ] 毎週水曜日に聖フィル♥コラムを更新していますが、来週4月29日(水・祝)は聖フィル第12回定期演奏会当日のため、コラム更新はお休みです。

  1. 「示導動機」『音楽大事典3』平凡社、1982年、1036ページ。
  2. 平尾力哉訳(The Metropolitan Opera のDVD字幕より)。この動画のみ演奏演出が異なります。

    朝の光はバラ色に輝き 花の香りは空に満ちる
    思いもよらぬ喜びに導かれ 私は花園に誘われた
    奇蹟の樹の 枝もたわわな木の実の下で
    熱い思いを叶えると 幸せな夢 見るように約束したのは
    こよなく美しい女性 エデンの園のエヴァ!

    たそがれゆく夕闇に包まれ 険しい道をたどる私に
    微笑みかけて誘うのは ささやく泉の清らかさ
    月桂樹の木陰で 星の光に照らされて
    やさしく清らかな様子で 泉の水を私に滴らせ
    うつつの夢を詩人にみせる こよなく気高い女性
    パルナソス山のミューズ!

    夢から覚めた詩人 その恵み深い日に
    夢にも見た楽園の 清く輝く神々しさ
    そこに至る明るい道を 示した泉の微笑み!
    私の選んだこの地の乙女の 世にも稀な愛らしさは
    尊くやさしく清らかな詩神ミューズとなって現れる
    勇をふるい求婚すれば さんさんと照る太陽の下
    歌の勝利で得たものこそ パルナソス山とエデンの園!

11. 3月 2015 · (228) 《カルメン》音楽史クイズ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

オケ奏者やオケ・ファンって、オペラの中の曲を純粋な(?!)器楽曲のようにとらえて、弾いたり聴いたりする人が多いように感じられます。4月の聖フィル第12回定演で取り上げるカルメン組曲は、《カルメン》の中で歌われる、あるいは奏される曲を集めたもの。「カルメンのとりこになったホセが、闘牛士エスカミーリョに心変わりした彼女を殺す」という大筋しか知らない方、もったいないですよ! 有名なアリアがオペラのどのあたりでどのような状況で歌われるか、チェックしてみてくださいね。今回は《カルメン》の(西洋音楽史的な)おさらいです。

Q1:作曲者ビゼー(1838〜75)は何人?

    1. イタリア
    2. フランス
    3. スペイン

A:2。9歳でパリ音楽院入学し、1857年ローマ大賞((26) クラシック音楽ファンの常識参照)受賞。《カルメン》の舞台はスペインですが、ビゼーはスペインに行ったことはありませんでした

Q2:ビゼーと生まれた年が最も近い作曲家は?

    1. ヴァーグナー
    2. ブラームス
    3. ドヴォルジャーク

A:3。ヴァーグナーはずっと年上(1813年)。ブラームスは同じ1830年代生まれ(1833年)ですが、1841年生まれのドヴォルジャークが3歳違いで正解

Q3. そのドヴォルジャークが、《カルメン》(1873〜74年作曲)と近い時期に作ったのは?

    1. チェコ組曲
    2. 交響曲第8番
    3. チェロ協奏曲

A.:1。いずれも聖フィルで取り上げた(あるいは4月に取り上げる)曲。チェロ協奏曲はドヴォルジャークのアメリカ時代(1890年代)の作品、ドボ8は、やはりアメリカで作られた《新世界より》の1つ前の交響曲で、1880年代。1879年に作曲・初演されたチェコ組曲が正解

Q4:ビゼーが作曲したオペラは《カルメン》だけ?

A:No。彼が計画したオペラ30のうち、《真珠取り》《美しきパースの娘》など6つが上演可能な形で残っています1。《カルメン》と並んで組曲が有名な《アルルの女》は、オペラでなく劇の付随音楽

Q5:ビゼーの《カルメン》についての以下の文で正しいのは?

    1. 全3幕である
    2. せりふが含まれる
    3. 初演は成功だった

A:2。フランス人ビゼーが作った《カルメン》は、フランス語のオペラ。全3幕がお約束のイタリア・オペラと違い、4幕から成ります(3幕とする演出が多いのですが)。ビゼーは、オペラ・コミックと呼ばれるせりふが含まれた形で作曲。1875年3月3日に行われた初演は、聴衆にも批評家にも不道徳と批判されました。ちょうど3ヶ月後の6月3日、ビゼーは36歳で死去。

ところが、批判が逆に評判を呼び、初演の年だけで45回も再演(亡くなった日には、33回目の再演が行われたそうです)2。同年10月のウィーン公演のため、エルネスト・ギローがレチタティーヴォ((102) 話すように歌うレチタティーヴォ参照)を作曲。(外国人)歌手にとって、ステージでフランス語のせりふを話すよりも、フランス語の歌を歌う方が楽。全て歌われるこのグランド・オペラ版が、世界中の歌劇場における《カルメン》の普及・定着に大きく貢献することになりました3

  1. MacDonald, Hugo, ‘Bizet,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 3. Macmillan, 2001, p. 647.
  2. 同上。
  3. 東日本大震災から4年の2015年3月11日に、被災地の一日も早い復興を祈りつつ。
01. 10月 2014 · (205) 序曲の作り方:グリンカの場合 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

ヴェーバーの《魔弾の射手》のように((41) 涼しくなる(?!)音楽参照)、グリンカの《ルスランとリュドミラ》序曲にもオペラ本体の旋律が使われています。どれがどんな場面からの旋律か、ご存知ですか。

まず、序曲の終盤に出てくる全音音階の下降型。ロシア音楽ではグリンカ以降、悪の力の象徴として使われるのでしたね((123) 《白鳥の湖》の物語を音楽で説明するには?参照)。キエフ大公の娘リュドミラが、騎士ルスランとまさに結婚しようしている第1幕で使われる音型です。父王と別れるのが悲しいとリュドミラがカヴァティーナを歌った後、急にまっ暗に。悪い小人チェルノモールが来て、姫をさらって行くときに鳴り響きます(動画の 0:27 くらいから。上記(123)の譜例2Bの部分)。

次は、のびのびとした序曲の第2主題。これは、第2幕第3場のルスランのアリア(直訳すると「おお荒れ野よ、誰が死者の骨をまき散らしたのか」)の一部。ライバル2人とともに、リュドミラを取りもどしに出かけたルスラン。かつての戦いで打ち捨てられた武具や死者の骨がころがる荒れ地で歌います(第2主題の旋律は、1:27 くらいから)。

最後に、最も印象的な序曲の第1主題。これは、第5幕フィナーレの音楽です。チェルノモールは破ったものの、リュドミラは魔術で眠らされたまま。でも、良い魔法使いフィンがくれた魔法の指輪のおかげで、ルスランは彼女を目覚めさせることができました。めでたしめでたしの場面で、序曲の序奏部を含む第1主題が戻ってきます。オペラの1番最初と1番最後に同じ音楽を置いて、枠組みにしたのですね。フィナーレでは、これを伴奏に大合唱。主旋律は、2分音符と4分音符が主体(序曲冒頭タータタのリズムなど)なので、歌う人たちは速くても平気(動画の2:47くらいから)。

この動画(ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団、1995年)のテンポ、2分音符がおよそ188! 序曲も速いですが(指定された2分音符140を目標に練習している私、呆然)、さらにパワーアップしています。ルスランのアリアもフィナーレの合唱も歌詞がわからないのですが、雰囲気を味わってください。おまけとして、同じ公演の序曲の動画も上げておきますね(始まるのは 2:24 くらいです)。