15. 4月 2015 · (233) 《マイスタージンガー》のライトモティーフ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

あちこちの大学の入学式で、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲が演奏されるようですね。堂々としていて落ち着いていて颯爽としていて、途中に甘い部分やユーモラスな部分もあり、長過ぎず短過ぎず、難し過ぎず簡単過ぎず。祝賀演奏にうってつけの曲ですが、それだけではありません。主人公が周囲の助けや愛情によって成長し、勝利を勝ち取るというオペラのストーリーも、入学式にふさわしいのです。

オペラ全体を凝縮した、かなり序曲的なこの前奏曲(序曲との違いは、(232)を参照)の冒頭旋律は、「マイスタージンガーのライトモティーフ Leitmotiv(独)」と呼ばれます。日本語では示導動機(しどうどうき)。楽曲解説に必ず出て来る用語ですが、いったい何でしょう?

ライトモティーフのライトは英語のリードなので、直訳すると「導く動機」。動機とは、旋律的なまとまりを持つ主題(テーマ)よりも、短い単位でしたね。マイスタージンガーのライトモティーフは、オペラの中でマイスタージンガーたちと結びつけて使われます。彼らが実際に登場するとき(歌合戦のために入場してくるる第3幕第5場など)はもちろん、マイスタージンガーのことが言及されるとき(マクダレーネがエーファの立場を説明する第1幕冒頭など)にも奏されます。

ここで、「イデー・フィクス(固定楽想)」を思い出した方は鋭い! ベルリオーズは《幻想交響曲》で、あこがれの女性を1つの旋律で表現していましたね。このイデー・フィクスが、ライトモティーフの直接の先駆。ただ、ベルリオーズのイデー・フィクスが1つだったのに対し、ヴァーグナーのライトモティーフは複数です。歌合戦で優勝を目指す「ヴァルターの動機」、そのライバル「ベックメッサーの動機」など人物だけではなく、優勝者に贈られる「花輪の動機」や、主人公の職業である「靴屋の動機」など物事、さらには「愛の動機」「情熱の動機」のような、目に見えない感情や想念のライトモティーフまで。

ある人・物・想いなどが関わるシーンで、それぞれのライトモティーフが奏されるヴァーグナーの新手法。オケ奏者なら、オペラの中に同じメロディーが何度も出て来てつまらない!なんて怒らないでくださいね。この手法は、演技や歌だけではなくオーケストラの音楽にも、意味を持たせることを可能にしました。これまで声楽では歌詞が何よりも重要でしたが、ライトモティーフを受け持つ伴奏部も、非常に複雑な内容を表現できるようになったのです。

しかも、ライトモティーフは真実の声。登場人物は嘘を歌うことができますが、ライトモティーフは嘘をつきません。もしも「あなたなんか大嫌い!」と歌っているときにオーケストラ伴奏が愛の動機を奏でていたら、本心は愛しているということ(ものすごく単純化したたとえ話ですが)。ライトモティーフの採用により、ヴァーグナーは劇音楽におけるオーケストラの役割を、各段に大きくしたと言えるのです。

10. 9月 2014 · (202) 循環形式の到達点!? チャイコフスキ―の第5交響曲 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

前の楽章の旋律を後の楽章でまた使うなんて、ありえなかった時代。ベートーヴェンの《運命》終楽章には、第3楽章の後半が唐突に登場します((13) 《運命》「掟破り」のベートーヴェン参照)。ベルリオーズは《幻想交響曲》で、1つの旋律(イデー・フィクス)を変形しながら全楽章に使いました((173) 《幻想交響曲》の奇妙さ参照)。その後、多くの作曲家がこの循環形式で曲を作りましたが、《幻想》のように旋律が全楽章に循環する例はそれほど多くありません。

チャイコフスキーの第5番交響曲で循環するのは、第1楽章冒頭の序奏主題。クラリネットによる低音域でつぶやくような地味な(暗い??)メロディーで、「運命の主題」と呼ばれます。チャイコフスキー本人がスケッチに、「序奏。運命の前での、あるいは同じことだが、人に計り難い神の摂理の前での完全な服従」と標題(プログラム)を書き込んでいるからです1。第1楽章で「運命の主題」が現われるのは、この序奏部分だけ。でも、クラリネットとファゴットが吹く主部の第1主題は、この「運命の主題」から生まれたもの。アウフタクトを除くと、3回の同音連打で始まり、ゆるやかに上行して下降する旋律線、実音でミとラ(ホ短調のトニックとサブドミナント)を繰り返す低音の動きなどがそっくり。第1楽章は「運命の主題」の最初の変形に基づいているとも言えます。

第2楽章アンダンテ・カンタービレでは、稀代のメロディー・メーカーの名旋律が贅沢に使われる中、突然「運命の主題」が登場。あの地味な主題が、全奏の堂々とした響きに様変わり。その後、何事も無かったかのようにもの悲しく美しく楽章が終わる……と思いきや、最後にもう一度「運命の主題」。1回目よりもさらに激しく劇的に、現実を突きつけます。

第3楽章は優美なワルツ。まさかもう現われないだろうと油断させておいて、最後の最後に「運命の主題」登場。クラリネットとファゴットが低音域で、3拍子に変わった(ワルツですから当たり前ですが)旋律を吹きます。「運命はあなたを忘れていませんよ」ということ?? でも、ぼそぼそしたつぶやきがちょっとユーモラスにも聞こえます。

終楽章は第1楽章と同様に、「運命の主題」で始まります。相変わらず低音域ですが、ここではホ短調ではなくホ長調。ヴァイオリンとチェロによって、朗々と歌われます。主部に入ってからも、提示部や再現部の最後(後者はコーダへの移行部)に現われますが、何と言っても圧巻はコーダ。「運命の動機」長調版が華やかに高らかに奏され、まるで勝利宣言のよう。さらに、この旋律から生まれた第1楽章第1主題の長調版が戻って来て、曲を締めくくります。

循環形式は、旋律を複数の楽章で繰り返し使うことで楽曲全体に統一感をもたらすと同時に、旋律を変形し続けることで音楽を展開し前に進む原動力を生み出します。変形には無限の可能性がありますから、まさに作曲家の腕の見せ所。チャイコフスキーは交響曲第5番で、「イデー・フィクス」型の循環手法を有機的かつ構築的に用い(ベートーヴェンが《エロイカ》や《運命》で多用した、主題動機労作を思い出させます)、野心的な作品に仕上げていますね。

  1. 訳は森垣桂一「ミニチュア・スコア解説」『チャイコフスキー交響曲第5番、音楽之友社、2010、v。英語では「the agency of fate」(Horton, Julian, “Cyclical Thematic Processes in the Nineteenth Century” The Cembridge Companion to the Symphony, ed. by Julian Horton, Cambridge University Press, 2013, 212)なので、正確には「運命」ではなく「運命の力」の主題。スケッチの中の「神の摂理(Providence)」とも関連しています。

マーラーの交響曲の変な(!?)ポイントについて書きながら((169) (170))、マーラーよりももっとずっと変てこりんな、いえ大胆で独創的な交響曲についてまだきちんと書いていないことを思い出しました。それは《幻想交響曲》。すでに何度か触れているので一部重複しますが、この曲についてまとめてみます。

フランスの作曲家エクトル・ベルリオーズが1830年に作りました。遅いテンポの序奏部付きアレグロ、ワルツ、緩徐楽章、マーチ、フィナーレの5楽章構成とか、コーラングレや Es管クラリネットの持ち替えとか、ハープが2台必要とか、ティンパニ奏者は4人も必要とか、そういうことはちょっと脇に置いて。

変てこりんなポイントその1は、ひとつの旋律が形を変えながら全ての楽章に現われ、全体を統一していること。ロマン派音楽で盛んに使われる循環形式の、出発点ですね。ポイントその2は、この曲が「ある芸術家の生涯におけるエピソード」であり(副題)、それを説明する標題(プログラム)がついていること(=標題音楽。英語ではプログラム・ミュージック)。「失恋して絶望した若い芸術家がアヘンを飲んで自殺を図るが死に切れず、奇怪な夢をみる」というような曲全体の標題だけではなく、楽章ごとの標題も(ベルリオーズは標題を何度も改訂し、《幻想》が演奏される時はパンフレットとして印刷しました)。

詳細に書かれた標題を音楽で表現するのに重要なのが、ポイントその1の循環する旋律。しかし、ただ何度も戻って来るだけではありません。この旋律は、芸術家が崇拝している女性の幻影「イデー・フィクス idée fixe(固定楽想)。ポイントその3です。第1楽章の初出ではチャーミングでエレガントな旋律が、終楽章の魔女たちの宴では、装飾音がごちゃごちゃ加えられ、甲高いEs管クラリネットが担当するグロテスクな旋律に。ポイントその1とその2は、いずれもベートーヴェンが先駆ですが(前者は《運命》、後者は《田園》)、ポイントその3の、旋律に特定の意味を持たせるのは交響曲では新しい試み!

ベルリオーズがこのような変てこりんな、いえ大胆で独創的な交響曲を作った直接の発端は、1827年9月11日に見た、イギリスのシェイクスピア劇団による《ハムレット》公演。オフィーリア役のハリエット・スミッソンに一目惚れしただけではありません。全くわからない英語による上演であったにもかかわらず、ベルリオーズはシェイクスピア劇のもつ壮大さ、崇高さ、劇的構想の豊かさに衝撃を受けました。

もうひとつ重要なのは、1828年3月に初めて、ベートーヴェンの第3番と第5番の交響曲を聴いたこと(アブネック指揮パリ音楽院演奏協会)。それまで声楽中心だった彼の音楽世界(ベルリオーズが音楽の道に進むきっかけとなったのはオペラ((103) ベルリオーズの人生を変えた音楽参照)。1830年にローマ大賞を受賞するまで26年から毎年、課題曲として作っていたのはカンタータでした)。それが、器楽の持つポテンシャルに気づいたことで、大きく広がります。

ベートーヴェンへの敬意の表明だったはずなのに、このような変てこりんな、いえ、大胆で独創的な交響曲になってしまった理由は? いろいろ考えられますが、たとえば交響曲では用いられなかったハープや鐘、コーラングレは、オペラでは以前から用いられていました。また、ベルリオーズは音楽を、表現力豊かで劇的な芸術と考えていて、《幻想》も「ベートーヴェンの交響曲の枠組みの中に、劇的および詩的なアイディアをうまく入れ込もうとした慎重で意図的な試み」と捉えることができます1。それに、《幻想》だけではなくご本人も、かなりエキセントリックな性格だったようですね。

  1.  Macdonald, Hugh, ‘Berlioz,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., 3, Macmillan, 2001, 387.
09. 8月 2012 · (93) 《新世界》と循環形式 (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , , ,

前回書いたように、《新世界》交響曲(1893)では第1楽章第1主題が、変形を加えられながら全楽章で使われます。このような循環形式の手法は、19世紀最後の四半世紀に広く使われました。

ブルッフは《スコットランド幻想曲》(1879〜80)において、第1楽章で引用したスコットランド民謡《森を抜けながら、若者よ》を、第2・第3楽章のつなぎの部分と、第4楽章のコーダで回想していましたね((68) ブルッフが使ったスコットランド民謡 (1)参照)。古くから歌い継がれて来た民謡を素材にしつつ、最新の手法で曲を組み立てたのです。他にも、たとえばチャイコフスキーの交響曲第5番(1888)では、「運命の主題」(ジャ・ジャ・ジャ・ジャーンの「運命動機」ではなく)と呼ばれる第1楽章のオープニングが、「イデー・フィクス(固定楽想)」的に使われ、全体を統一しています。

ところで、《新世界》の中で循環するのは、第1楽章第1主題(ホルンの分散和音)だけではありません。終楽章には、第2楽章《家路》の旋律と、第3楽章スケルツォの主題も現れます。しかも、第4楽章の第1主題も同時進行。ホルンやトランペットによる吼えるような提示とは一変し、ヴィオラがひとりごとをつぶやくような形に変えられています(譜例1参照)。そういえば、ドヴォルジャークはドボコンでも、第1楽章第1主題と第2楽章の《ひとりにして》の旋律を、終楽章のコーダで再現していましたね((38) ドボコンを読み解く試み その2参照)。

譜例1:ドヴォルジャークの循環形式(《新世界》第4楽章、155〜60小節。クリックで拡大します)

終楽章の中でそれ以前の楽章の素材を回想し全曲を統合する手法は、前回も名前を挙げたフランクの得意技。交響曲ニ短調(1888)やヴァイオリン・ソナタ(1886)などで使われています。彼が前駆作品として挙げたのが、ベートーヴェンの《第九》。終楽章冒頭で、第1〜第3楽章の一部がほぼそのまま引用されるからです。このように《新世界》では、ある主題や動機が他楽章に現れる《運命》型と、先行する全ての楽章の主題が最終楽章に現れる《第九》型(2つのネーミング、いかがでしょう?)の、両方の循環手法が使われています。

ドヴォルジャークは、さらにもう一ひねりしました。メロディーだけではなく、ハーモニーも循環させたのです。第2楽章冒頭で管楽器が ppp で奏する、漂うような7つの和音。第1楽章の調=シャープ1つのホ短調から、遠い遠い第2楽章《家路》の調=フラット5つの変ニ長調へと導く、コラール風の響きが、第4楽章のコーダに出現(299小節〜)1。あちらこちらに顔を出す第1〜第3楽章の主題を補強するように、ff で高らかに歌い上げられます。圧巻!

《新世界》というと、ドローンや5音音階、スピリチュアルとの類似性などがクローズ・アップされがち。確かに、ボヘミアやアメリカの民族音楽的な要素はこの曲の大きな魅力ですが、ドヴォルジャークのオリジナリティあふれる構築的な循環手法にもご注目ください。

  1. 和声分析では、hus-RyISKWさんにお世話になりました。感謝いたします。

「多楽章形式の楽曲において、同じ主題材料を全楽章あるいは数楽章に用いて、性格的統一をはかる手法」を循環形式と言います1。循環形式はしばしば、ベルギー出身の作曲家セザール・フランク(1822〜90)と結びつけられますが、実はルネサンス時代から存在します。たとえばパレストリーナは、(7) クリスマスに聴きたい音楽 part 2でご紹介したミサ曲《今日キリストが生まれたまえり Missa Hodie Christus natus est》において、「パロディ」と呼ばれる循環手法を使いました。

ルネサンス時代のミサ曲は、後の時代のオペラや交響曲のように、作曲家の力量を測る最重要ジャンル。パロディのような複雑な技法が編み出されたのは、このためです。交響曲と異なり、「キリエ」「グロリア」「クレド」「サンクトゥス」「アニュス・デイ」の5楽章は、ミサ典礼の中で続けて歌われるわけではありません。それでも作曲家たちは、循環する素材を用いて、5部分に統一感を与えようとしたのです。

ところで、19世紀の循環形式の開祖(?!)は、ベルリオーズ。恋人の幻影を表わす「イデー・フィクス idée fixe(固定楽想)」を、自伝的作品《幻想交響曲》(1830)の全楽章で、形を変えながら使用しました。初めは優雅なメロディーですが、第5楽章「サバトの夜の夢」では、前打音やトリルを加えEs管クラリネットに担当させて、魔女を連想させるようなグロテスクなものに(ふられた腹いせ!)。この手法に影響された、ヴァーグナーの「ライトモティーフ(示導動機)」や、リストの1つの主題を変容させながら曲を構成する手法((75)《レ・プレ》とソナタ形式参照)も、循環形式の一種と考えられます。

でも、ベルリオーズよりも先に、前の楽章の音楽を循環させた作曲家がいましたね。このコラムでも取り上げました。そうです、ベートーヴェン。《運命》の終楽章で、第3楽章の幽霊スケルツォ(弱音で奏される、トリオの後のスケルツォ)が回想されます((13) 《運命》掟破りのベートーヴェン参照)。また、(旋律とは言えないまでも)運命動機が変形されながら全楽章に使われ((5) 第2楽章の『運命動機』はどこ?参照)、全体を有機的に統一していますから、《運命》をロマン派循環形式の先駆とみなすことが出来るでしょう。

1880年前後から流行したこの形式を、ドヴォルジャークも取り入れています。《ドボコン》でも、終楽章に2楽章で引用した《ひとりにして》の旋律の回想がありましたね((36) ドボコンに込められた想いを読み解く参照)。《新世界》交響曲でも、ホルンによる厳かな第1楽章第1主題(上がって降りる分散和音。(90) 《新世界より》第1楽章の第2主題参照)が、すべての楽章に現われます。

  • 第2楽章:コーラングレの主題が戻って来る直前にトロンボーンが大音響で(96小節〜。前半の上行部分のみ)
  • 第3楽章:第2トリオの直前にチェロ(154〜)とヴィオラ(166〜)が密やかに。コーダでホルン&木管楽器が華やかに(252〜)
  • 第4楽章:展開部クライマックスの直前にファゴット、ホルン、低弦が力強く(190〜。前半の上行部分のみ)。コーダ直前にファゴットと低弦が力強く(275〜)

いずれも印象的! でも、《新世界》で循環するのはこれだけではありません。ドヴォルジャーク、さらに凝った構成を考えました。次回に続く。

  1. 音楽大事典3、平凡社、1982、1207ページ。