コラールと言われたらみなさんは、ブラームスの交響曲第1番終楽章、序奏部のトロンボーン(とファゴット族)3重奏を思い浮かべるでしょうか。あるいはブルックナーの、たとえば第4番《ロマンティッシュ》第1楽章展開部終盤で、トランペット&トロンボーン&テューバがffで吹き鳴らすところ(305小節〜)? 第5番終楽章には、ブルックナーご本人が「コラール」と書き込んだ部分(583小節〜)もありますね。

でも、このようなコラールは正確には「コラール風」(あるいは「コラール的」)楽節。本物のコラールではありません(このようにな「コラール風」もコラールと呼ぶことがあるのでややこしいのですが)。

譜例1:J. S. バッハ:カンタータ BWV 140《目覚めよと呼ぶ声が聞こえ》より終曲(第3節)

譜例1:J. S. バッハ:カンタータ BWV 140《目覚めよと呼ぶ声が聞こえ》より終曲(第3節)

バッハの声楽作品に詳しい方は、本物をご存知ですよね。コラールは、ルター派プロテスタントの賛美歌。4声体のホモフォニーの形で(譜例1参照)、教会カンタータや受難曲の核になっています。上記「コラール風」楽節の元ですね。ただこれは、いわば成長した大人のコラール。もともとはモノフォニー(単旋律)でした。

カトリックの典礼音楽の歌詞は、聖職者以外は理解できないラテン語。聖歌隊が歌うお経のようなグレゴリオ聖歌や、複雑で難しいポリフォニーを、意味もわからずありがたく拝聴しているだけ。

宗教改革者マルティン・ルター(1483〜1546)は、「会衆を礼拝に積極的に参加させようとする意図から歌唱による祈願や賛美を重視」1。みんなで歌うには、母国語であるドイツ語の歌詞の曲が必要と考えました。単旋律なら、楽譜を読めない人も聞き覚えて歌えます。無伴奏のユニゾンで歌われたこのような曲は初め、geistliche Lieder(宗教的な歌)とか christliche Gesäng(キリスト教の歌)と呼ばれていました2(グレゴリオ聖歌の旋律を指す「コラール」という語で呼ばれるようになったのは、16世紀後半)。

1524年にヨハン・ヴァルター(1496〜1570)がヴィッテンベルクで、聖歌隊用に3〜5声に編曲した Geystliches Gesangk Buchleyn を出版(図1参照)。宗教改革の発端となった、ルターの「95か条の論題」発表から、わずから7年という早さに驚かされますが、考えてみると聖歌隊は、ついこの前まで壮麗なポリフォニーの宗教曲を歌っていた(し、信者たちだって、歌詞の意味はわからないながら聞いていた)のですからね。旋律1本を斉唱するだけでは、音楽的におもしろくなかったのでしょう。

図1:Johann Walter, Geystliches Gesangk Büchleyn, Titelpage, Wittenberg, 1524

図1:Johann Walter, Geystliches Gesangk Büchleyn, Titelpage, Wittenberg, 1524

ルターの序文が付いたこの最初の賛美歌集には、32の聖歌の詩用の35の旋律が、38種類に編曲されて収められています。カトリックの宗教曲のような複雑なポリフォニー様式と、旋律と同じ動きで和音を連ねる(より新しい)和弦様式の、2種類の編曲法が使われました。後者が、大人のコラールの出発点。

ただ、譜例1のようにコラール旋律がソプラノに置かれたのは、ルーカス・オジアンダー(1534〜1604)が1586年にニュルンベルクで出版した Fünffzig geistliche Lieder und Psalmen から3。ヴァルターの賛美歌集では、多声作品における最重要声部テノール((85) アルトは高い参照)に、主旋律が置かれていました。

まとめ:ルター派プロテスタントの賛美歌であるコラールは、もともとモノフォニーだった。4声体の編曲では、しばらく内声に置かれていた。バッハがカンタータの中で用いたような大人のコラールになってからも、そのまま引用した場合(たとえばメンデルスゾーンの通称「宗教改革」交響曲。(257) メンデルスゾーンが作った交響曲はいくつ?参照)以外、「コラール風」と呼ぶのが正しい。

来週のコラム更新はお休みさせていただきます。

  1. 辻荘一「コラール」『音楽大事典2』平凡社、1982、938ページ。
  2. Marshall, Robert L. / Leaber, Robin A., ‘Chorale,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 5. Macmillan, 2001, p. 737.
  3. Marshall, Robert L. / Leaber, Robin A., ‘Chorale settings,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 5. Macmillan, 2001, p. 748.
20. 4月 2016 · (277) コンチェルトは声楽曲だった?! はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

コンチェルト(協奏曲)といえば、「独奏楽器(または独奏楽器群)とオーケストラとが協調しつつ優位を競い合うもの」1。器楽合奏の一形態に決まっています。この用語が声楽曲を指していたなんて、有り得ない!! 信じられない!! と思うのは当然。でも、本当なんですよ。というわけで、お久しぶりの「アマ・オケ奏者のための音楽史」シリーズです。

図1:A. & G. ガブリエーリ『コンチェルト集』(ヴェネツィア、1587)テノール・パートのタイトル・ページ(ボローニャ国際音楽図書館蔵)

図1:A. & G. ガブリエーリ『コンチェルト集』(ヴェネツィア、1587)テノール・パートのタイトル・ページ(ボローニャ国際音楽図書館蔵)

コンチェルトという語が初めて出版譜に使われたのは、1587年。アンドレアとジョヴァンニ両ガブリエーリの『コンチェルト集 Concerti di Andrea, et di Gio. Gabrieli』(図1参照)です。前年に亡くなったヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂オルガニスト、アンドレア・ガブリエーリの作品を、甥のジョヴァンニ(《ピアノとフォルテのソナタ》の作曲者。(190) コルネットとトロンボーンとヴァイオリンの八重奏参照)が校訂し、自作も含めて出版したもの。

このコンチェルト集に収められたのは、6声から16声の宗教歌曲とマドリガーレ(イタリア語の歌詞を持つ世俗曲)。歌曲集が、コンチェルト集と名付けられているのです。全声部に歌詞が印刷されていますが、序文中にほのめかされているように、楽器も使われたはずです(16声部の曲を、声だけで演奏するのは大変ですから)。

コンチェルトという用語が、このような編成の大きな声楽曲に使われたとは限りません。ロドヴィコ・ヴィアダーナの『100の教会コンチェルト集 Cento concerti ecclesiatici』(1602)は、1〜4人の歌い手とオルガン伴奏のための宗教曲集。17世紀前半においては、規模には関わりなく、楽器を伴う声楽曲がコンチェルトとみなされていたようです。

コンチェルトのタイトルは宗教歌曲集に使われることが多いのですが、世俗歌曲集の例も。モンテヴェルディのマドリガーレ集第7巻(通奏低音付き)は、その名も『コンチェルト Concerto. Settimo libro di madrigali』(1619)。ドイツでも、シュッツの『小教会コンツェルト Kleine geistliche Konzerte 』(第1集:1636、第2集:1639)のように、声と楽器のコンチェルトが作られました。

ルネサンス時代((27) 音楽史の時代区分参照)、声楽といえば無伴奏。楽器が加わったり、通奏低音((132) 楽譜どおりに演奏しても足りない場合参照)によって支えられるようになったバロック時代の新しい声楽に、新しい呼び名が必要だったのですね。コンチェルトの語は、アンサンブルやオーケストラなどの意味も含みながら、歌や楽器の様々な演奏媒体のための作品に使われました2。この用語が私たちが知っているような意味を一貫して指すようになったのは、18世紀の初め以降のことです3

  1. 東川清一「協奏曲」『音楽大事典2』平凡社、1982、713ページ。
  2. Hutchings, Arthur, ‘Concerto,’ New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 6. Macmillan, 2001, p. 240.
  3. 熊本地震で被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。
28. 1月 2015 · (222) ♯・♭・♮ の元 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

楽譜の中でいつもお世話になっている変化記号。♯(シャープ、嬰記号)は半音高く、♭(フラット、変記号)は半音低く、♮(ナチュラル、本位記号)は ♯ や♭を解除という意味ですね。五線の端で調号として使われたり、五線の途中で臨時記号として使われたり。

見慣れていて、いつも機械的に半音上げ下げするだけの ♯・♭・♮ ですが、起源をご存知でしょうか。次の3つのうち、正しくないものはどれでしょう?

  1. ♯・♭・♮ の原型は、1000年くらい前から存在する
  2. 3つとも同じ記号に由来する
  3. ♯ と♭は、元は同じ意味で使われた

♯・♭・♮ は、グイード・ダレッツォが理論書『ミクロロゴス』(c. 1030)などで用いた記号が起源。グイード・ダレッツォは、グレゴリオ聖歌の旋律を歌うための「ソルミゼーション」シラブル、ウト–レ–ミ–ファ–ソル–ラを考案した11世紀の僧でしたね((78) ドレミの元参照)。

四角い b

図1:四角い b

彼は、当時置換え(=ムタツィオ。(78) 参照)のために使われていた2種類のロ音を区別するために、通常のロ音を「四角い(またはかたい)b」、変ロ音を「丸い(または柔らかい)b」と呼びました。そして、後者をb、前者を角張ったb(図1参照)の形で記したのです。異なる記号で2つのロ音を区別したのは、グイード・ダレッツォが最初ではありません。b の逆である q や、他のアルファベットで記した資料もあります1。でも、グイードの記号がスタンダードに。

12世紀には ♮記号、13世紀には ♯ 記号が「四角いb」として登場。♯・♮ の2つに意味の違いは無く、写譜者や出版業者が自分の習慣で使っていました。♮ が、 ♯ や♭の解除だけを意味するようになったのは、18世紀。

というわけで、最初の3つの質問のうち間違っているのは3。♯ と♭ではなく、♯ と♮ が同じ意味でした。16世紀ドイツでは、出版業者たちが四角い b として h を使用2。現在のドイツ音名(B が変ロ音、H がロ音)に引き継がれています。

  1. Hilly, David, ‘Accidental,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 1, Macmillan, 2001, p. 51.
  2. 同上。
07. 5月 2014 · (184) 500年前の楽譜 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

前回、ペトルッチの史上初の活版印刷による楽譜『オデカトンA』をご紹介しました。「端正で美し」いと書いたページを図1として再載。1501年出版=今から約500年前の楽譜を、(82) 1000年前の楽譜でご紹介したネウマ譜と比較してみましょう。

図2:『オデカトンA』より

図1:『オデカトンA』第1曲、デ・オルト作曲《アヴェ・マリア》、カントゥスとテノール

4本だった譜線が、現在と同じ5本に。音域が狭いグレゴリオ聖歌用のネウマ譜は四線で十分ですが、中世でも聖歌以外の音楽には、五線譜が使われていました。それから、ネウマ譜の音符は全て黒色でしたが、こちらには黒い音符と白抜きの音符があります。四角い譜頭だけのネウマ譜と違って、棒(符幹)付きの音符も。譜頭が楕円ではなく四角い(ひし形◇◆も)ものの、全体の印象は現在の楽譜とそれほど変わりません。

この楽譜の音部記号は? 上3段はハ音記号。第2線がドなので、現在のメゾソプラノ記号ですね((139) 実はいろいろ! ハ音記号参照)。下3段は(ちょっと奇妙な形ですが)ヘ音記号。第3線がファなので、現在のバリトン記号。音部記号の右に調号も付いています。♭2つ?! いいえ、上の♭も下の♭もシ。現在と異なり、五線の中にシが2つ含まれていれば両方♭を付けてくれていますので、要注意。

えっ、右側に大きくはみ出た斜めの線が気になる!? これはラテン語で見張り、保護者などの意味の「クストス custos」(複数形は custode)と呼ばれる記号。もっと地味な形でネウマ譜にも使われ、次の段の最初の音を示します。段によって、音部記号の位置が急に変わったりするからでしょう。

現代譜とも較べてみましょう。最大の違いは、小節線が無いことかな。最後に複縦線が引かれているだけですね。このため、楽譜が不正確だと大変。もしも音符が1つでも抜けていると、その声部はその後全部、他の声部の音楽とずれてしまうのです。500年前の音楽は、横に旋律を重ねた複雑なポリフォニーが主流。仮に、歌っていてずれに気づいたとしても、修正は容易ではありません。

もう1つ大きな違いは、レイアウト。このページには、カントゥスとテノールのパートが印刷されています(4段目の左側に、Tenorと書いてありますね)。残りのパートは右頁に印刷され、見開き2ページで1曲分でした。左にカントゥスとテノール、右にアルトととバスというのが典型的なレイアウト。つまり、多声音楽なのに、パートごとに別々に書いてあったのです。500年前の人たちは、小節線が無く、スコアになっていないこのような楽譜を見ながら、アンサンブルしていたのですね。尊敬!

04. 12月 2013 · (162) 20世紀以降のオーケストラ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

バロック、古典派、せいぜいロマン派止まり。古い話ばかりの聖フィル♥コラム。みなさんが大好きなマーラーとかストラヴィンスキーなど(もちろん私も好きです!)の話が出て来ません。聖フィルがそのような曲をまだ取り上げていないのが最大の理由ですが、それだけではありません。オーケストラの歴史って、19世紀の後半以降はあまり書くことがないからです。

編成はずいぶん大きくなりました。たとえば、ほとんどのマーラーの交響曲では木管楽器奏者が4人以上ずつ必要ですし、金管楽器も増加(特にホルン)。バランスをとるために弦楽器の人数も増えますから、ステージ上が人でいっぱいに。

これって、とても原始的な(!?! シンプルなと言うべき??)発想ですよね。大きな会場で大勢の聴衆に届くような大きな音が必要なら、楽器の数を増やせ! オーケストラには、20世紀に発明されたマイクやアンプなどの文明の利器は不要。19世紀後半どころか、ベートーヴェンやハイドンの時代の演奏会と、考え方は同じです。

もちろん、20世紀に入って変化したこともあります。弦楽器のガット弦に代わってスティール弦や金属を巻いた合成弦が主流に。1930年代には、常にヴィブラートをかけて演奏するようになりました((118) ヴィヴラートは装飾音だった(2)参照)。弦セクションの音量や輝かしさが、一段と増加。管楽器奏者もヴィブラートを使うように。

しかし、オーケストラの楽器編成は基本的に変わりません。19世紀後半に加わってオーケストラの定位置(ほぼ)を占めるようになったのは、チューバくらいではないでしょうか。管楽器ではサクソフォーン、コルネット、フリューゲルホルン、ワーグナー・チューバなどが使われたものの、定着せず。テルミン、オンド・マルトノなどの電子楽器や、録音された音やコンピューター処理された音がオーケストラとともに使用される曲も作られましたが、実験的試みの域を出ません。

ただ、打楽器は様変わり。多種多様なものが使われるようになりました。木魚(テンプル・ブロック)、どら、マラカス、ギロなど、ヨーロッパ以外の地域の楽器も目につきます1。主音と属音に合わせた2個のティンパニを1人の奏者が叩いていた時代を考えると、夢のようです。鍵盤楽器もオーケストラに再登場。通奏低音の担い手だった18世紀とは違って、打楽器とみなされます。

管弦打楽器がそれぞれセクションごとに陣取って、指揮者の合図で一緒に演奏し音楽を作り上げるというオーケストラの基本スタイルは、ここ100年以上変わっていません。オーケストラって、19世紀中にほぼ完成してしまいました。現在私たちは、その伝統・遺産を受け継ぎ、保存を続けています。

50年後、100年後、オーケストラはどうなっているのでしょうね。録音や録画の技術が進歩し、会場へ行かなくても臨場感あふれる演奏を体験できるようになっていることでしょう。「昔は、わざわざ音楽会に出かけて行かなければならなかったんだよ」なんて。完璧な技術と音楽性を備えたロボットたちが、演奏しているかもしれません。あるいは、過去100年間ほとんど変わらなかったように、この先100年間もこのまま変化しないかな? うーん、オーケストラの未来の姿を想像するのは難しいですね。

  1. Spitzer, John & Zaslaw, Neal, “Orchestra” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 18. Macmillan, 2001, p. 543.
25. 9月 2013 · (152) 交響楽団 vs. 管弦楽団 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

オーケストラには、2種類の呼び方がありますね。聖フィル(聖光学院管弦楽団)のような管弦楽団と、N響のような交響楽団(わかりやすい例でしょう!?)。この交響楽団と管弦楽団の違いは規模の違い?という質問をいただきました。結論から言うと、構成や規模、役割の違いによる使い分けは特にありません。

交響楽団は symphony orchestra、管弦楽団は philharmonic orchestra の訳。シンフォニー・オーケストラは文字通り、交響曲を演奏するオーケストラという意味ですね。オーケストラだけですでに管弦楽(団)ですから、後者の「フィルハーモニック」部分は訳出されていません。

聖フィルのフィルであるフィルハーモニックとは何か? philo-(母音の前では phil-)は古代ギリシア語で「愛、愛すること」1。哲学 philosophy という言葉が「智 sophia」への「愛 philo-」に由来することはよく知られていますね。同じように philharmony は「ハーモニー(=調和)への愛」。調和といえば、もともとは神が創造した世界の秩序ハルモニア((63) 音楽は数学だった参照)でしたが、和声(ハーモニー)と考えると。

フィルハーモニーは音楽ヘの愛、音楽を愛する人という意味になります(フィルハーモニックはその形容詞形)。たとえば、1666年にプロの音楽家たちによって設立されたボローニャのアカデミア・フィラルモニカ(Accademia Filarmonica di Bologna)は、ボローニャ音楽愛好アカデミーということ。1770年には当時14歳のモーツァルトが試験を受け、入会を認められています。

プログラムの変遷のコラムで取り上げた、ロンドンのフィルハーモニック協会(Philharmonic Society of London)も同様。1813年にプロの音楽家によって、器楽の公開演奏会を促進するために作られました。《第九》やメンデルスゾーンの《イタリア》(1833)、サン=サーンスの《オルガン》(1886)などを委嘱。このような協会は各地にありましたが、ヨーロッパで最初に作られたのは、なんとロシアはペテルブルクのフィルハーモニー協会(1802)でした。1842年には、ニューヨークにも2

これらのフィルハーモニー協会は、宮廷ではなく主に市民階級によって運営され、自分たちが聴きたい曲を中心にした演奏会を主催していました。小規模な曲はサロンなどの私的コンサートで聴くことができましたから、協会コンサートの中心はオーケストラ曲。定期演奏会ではベートーヴェン(やモーツァルト、ハイドン)の交響曲が頻繁に演奏され、レパートリーの核として特別な地位を得ていく一因に((151) 生きてる? オケ演奏会のプログラム (2)参照)。シンフォニー・オーケストラは、このようにして交響曲が器楽曲の最重要ジャンルに就いた後に使われるようになった名称です。

というわけで、フィルハーモニック・オーケストラとシンフォニー・オーケストラは、敢えて言うなら歴史の違い。必ずしも前者が後者より古いわけではありません(各地のフィルハーモニー協会が、現在の◯◯フィルの母胎とは限らないので)3。でも、交響楽団は少なくとも、19世紀最後の1/3以降の創立のはず(もしも1860年代にできた交響楽団があったら教えてください)。ボストン交響楽団(1881)、シカゴ交響楽団(1891)のように、アメリカにシンフォニー・オーケストラが多いのもうなずけます。オーケストラが生まれてから100年そこそこの日本では、愛好家という意味などあまり気にしていないようですね。もちろん、交響楽団も交響曲だけを演奏するわけではありませんし、音楽を愛する者の集まりであることに変わりはありませんから。

  1. h は子音ですが、ラテン語ではほぼ発音されません。
  2. 会員たちが演奏を楽しむ会場がフィルハーモニーと呼ばれたり、そこを本拠とするオーケストラが「フィルハーモニック・オーケストラ」と呼ばれることもありました。
  3. たとえば、ロンドンの協会は創立100周年の1912年にロイヤル・フィルハーモニック協会と改称し、現在も活動を続けていますが、自前のオーケストラは持っていません。似た名前のオーケストラは、協会とは直接関係がありません。
24. 7月 2013 · (143) オーケストラの起源 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

管・弦・打楽器が一定の秩序に基づいて一緒に音楽を奏でるオーケストラ。用語は古代ギリシア劇の「円形舞踏場オルケストラ」に由来します((29) オーケストラは「踊り場」だった参照)が、オーケストラ音楽の出発点は?

全てはここから始まった!と言えるような、唯一無二の起点というわけではありませんが、モンテヴェルディの《オルフェオ》が出発点の1つであることは間違いありません。1607年(バロック時代の初め)に北イタリアのマントヴァで初演された、最初期のオペラの傑作で、オペラの(実質的な)出発点。その伴奏アンサンブルがオーケストラの出発点と考えられる理由は、以下の3点。

第1は楽器編成。図1は、1609年に出版された《オルフェオ》スコアの楽器リストとそれを3つに分類したもの。ずいぶんいろいろな楽器が必要です1。キタローネ(ネックがすごく長い大型リュート)など、現在使われていない楽器の名も。

図1:モンテヴェルディ作曲オペラ《オルフェオ》の楽器リスト

図1:モンテヴェルディ《オルフェオ》の楽器リスト(クリックで拡大します)

オペラの歌唱を伴奏する通奏低音楽器((132) 楽譜どおりに演奏しても足りない場合参照)もさまざま。伴奏楽器を変えて、登場人物を描き分けているからです。たとえば、竪琴の名手オルフェオにはハープや柔らかい音のする木管オルガンを用いる一方、冥府の番人カロンテには耳障りな音がするレガール(金属リードのオルガン)が使われます。弦楽器の数や管楽器の種類も多いですね。トロンボーン((44) 神の楽器? トロンボーン(2)参照)やコルネット(現在のコルネットとは異なる、円錐形の木管楽器)は冥界、リコーダーは地上の場面と、管楽器も描き分けに加わります。

しかも、楽器や数が楽譜に指定されています。これが2つ目の理由。当時の器楽は主に即興(踊りの伴奏など)か、声楽の代わりや支えとして使われていました。どんな楽器を使うか、どのパートを担当するかは、奏者に任されていたのです。《オルフェオ》は、ジョヴァンニ・ガブリエーリの《弱と強のソナタ》などとともに、楽器が指定された最初期の例です。

そして第3の理由は、オペラにおいて器楽曲が重要な役割を果たしていること。たとえば、幕が上がる前に奏される《トッカータ》。五声部の最上声にクラリーノ(高音域のトランペット)が指定された華やかなファンファーレ風の曲は、マントヴァ侯爵らが入場し、席に着く間に奏される音楽です2。でも、現実と異なる時間の始まりを告げるオペラの序曲と捉えても、違和感はありません。楽器名は書かれていません(し、上記の楽器リストにも含まれていません)が、ティンパニのような打楽器が一緒に奏されたことは間違いないでしょう。《トッカータ》に続いて音楽の神が歌うプロローグの、間奏として何度も繰り返される《リトルネッロ》は、第2幕や第5幕でも奏されます。冒頭の音楽が戻って来ることで共通の雰囲気を醸し出し、まとまり感を与えています。

前回((141) やかましかった!参照)のオペラ指揮の話を読んで、オペラとオーケストラは大きく異なるジャンルなのにと思われた方もおられたでしょう。しかし、オーケストラの起源(の1つ)はオペラの器楽伴奏アンサンブルですし、交響曲の直接の先祖(の1つ)はシンフォニーア(イタリア風序曲)と呼ばれるオペラ序曲((18) 赤ちゃん交響曲誕生まで参照)。オーケストラはオペラに多くを負っているのです。

  1. 1615年に再版されたスコアより。内容は1609年出版の初版と変わりません。
  2. 石多正男『交響曲の生涯』東京書籍、2006年、38ページ。
19. 6月 2013 · (138) 弦楽四重奏:不公平な編成はなぜ? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , ,

各パートを1人で演奏する音楽である室内楽の中で、最も重要でレパートリーも多いのが、弦楽四重奏曲。ヴァイオリン2人にヴィオラとチェロが1人ずつ。弦楽五重奏やピアノ五重奏などと違って、弦楽四重奏の編成は必ずこの組み合わせと決まっています。

弦楽器って4種類あるのだから、4重奏ならヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス各1の方が自然ですよね。でもそうではなく、ヴァイオリンが2人。その分コントラバスは入れてもらえない。不公平! 以前書いたように、弦楽器の中でコントラバスだけがヴィオール属の血を色濃く残していますが((31) 仲間はずれはだれ?参照)、それが理由ではありません。

「弦楽四重奏の父」ハイドンがこの(不公平な)編成で作曲したいきさつについて、グリージンガーは伝記の中で以下のように述べています。「フュルンベルク男爵という人が、ときどきちょっとした音楽を演奏させるために、彼の主任司祭、管理人、ハイドン、そしてアルブレヒツベルガーを招いた。男爵はハイドンに、この4人のアマチュアが演奏出来るような曲を何か作るようにリクエストした。当時18歳だったハイドンはこれを受けて、彼の最初の弦楽四重奏曲 op. 1, no. 1 を考案した。それが世に出るや否や、世間一般に良く受け入れられたので、ハイドンは思い切ってこの形でさらに作曲した」1

えーっ、たまたまヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1が集まったから、このジャンルが生まれたということ?!? もしも集まった4人のうちの3人がチェリストだったら、ハイドン(とその後)の弦楽四重奏はヴァイオリン1、チェロ3の編成になっていたかもしれないの?!? まさか、そんなはずありませんよね。彼がこの編成のジャンルを「考案」したわけではありません。ちなみに、ハイドンが最初期の弦楽四重奏曲10曲を作ったのは、1757〜62年頃。20代後半です2。18歳なんて、グリージンガーさんサバ読み過ぎ!

不公平な編成の理由は、バロック音楽の通奏低音の中に見つかります。低音旋律楽器と鍵盤楽器の左手が、低音旋律を演奏するのでしたね((132) 楽譜どおり演奏しても足りない場合参照)。前者にはチェロやファゴットだけではなく、コントラバスも含まれます。つまり、チェロとコントラバスは同じパートを演奏していたのです。だから、各パート1人の室内楽ではコントラバスはあぶれて(?!)しまいました。

それならなぜ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの弦楽3重奏が主流にならなかったのでしょうか。この理由もバロック音楽のトリオ・ソナタの中に見つかります。トリオとカルテットじゃ1人違う……のではなく、トリオ・ソナタの演奏者も4人でしたね((135) トリオはトリオじゃなかった?参照)。最も一般的だったのは、ヴァイオリン2つとチェロ、チェンバロという組み合わせ。

実はこのトリオ・ソナタは、弦楽四重奏の主要な先駆形態のうちの1つ。2パートのヴァイオリンのかけあいをチェロとチェンバロの通奏低音が支えていたのですが、このバロック時代の伴奏習慣は次第に廃れていきます。チェンバロ(の右手)に代わって、旋律と低音の間を埋めるために使われるようになったのが、ヴィオラ(ようやく登場! (37) ヴィオラはえらい?参照)。でも、ヴィオラ1つで和音充填するのはかなり難しい。そのため、ヴァイオリン1は旋律、2はヴィオラとともに伴奏という分業が普通に。

というわけで、弦楽四重奏の編成が不公平なのは、バロック時代のトリオ・ソナタがご先祖様の1つだったから。もう1つのご先祖様については、また改めて。

  1. Jones, David Wyn, “The Origins of the Quartet” The Cambridge Companion to the String Quartet. Cambridge University Press, 2003, p. 177(グリージンガーの『伝記』の英訳が引用されている)。大宮真琴はアルブレヒツベルガーを有名な対位法家本人と書いていますが(大宮真琴『ハイドン』音楽之友社、1981、44ページ)、Jonesはその兄弟のチェリストとしています。
  2. Jones, 前掲書、178。
29. 5月 2013 · (135) トリオはトリオじゃなかった? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

ついこの前、トリオはトリオだった (133) と言っていたのに、今度は逆か、嘘つき!とお怒りの皆さま、すみません。あれは交響曲のトリオの話。第3楽章の中間部トリオのもとをたどると、3重奏で作曲されることも多かった、バロック時代の2つ目の舞曲(第2メヌエットなど)へ行き着きます。でも同じ頃、3重奏ではないトリオも存在していました。今回はそのお話。

バロック時代の最も重要な室内楽形式、トリオ・ソナタ。器楽の中でおそらく最も人気が高く、アマチュアを中心にヨーロッパ中で盛んに演奏されました。編成は、旋律楽器2つと低音楽器(譜例1参照)。イタリアでは17世紀後半から、旋律楽器として専らヴァイオリンが使われましたが、ドイツでは管楽器も好まれ、オーボエ、フルート、リコーダー、ファゴット、コルネットなどが用いられました。低音楽器は、チェロやヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオローネ(コントラバスのご先祖様)などです。

譜例1:コレッリ作曲トリオ・ソナタ op. 1, no. 1, 第1楽章

譜例1:コレッリ作曲トリオ・ソナタ op. 1, no. 1, 第1楽章冒頭

トリオ・ソナタの音楽的な特徴は、3つの声部、特に2つの上声が音楽的にほぼ対等だったこと。現在のオーケストラ曲や室内楽曲では、ファースト・ヴァイオリンの方がセカンド・ヴァイオリンよりも音域が高いので、ファーストが旋律、セカンドが和声付けあるいは伴奏ということが多いですよね。トリオ・ソナタでも同様ですが、ときには1つのメロディーを2つの旋律楽器が代わる代わる弾いたり、途中でセカンドの音域がファーストより高くなって、メロディーを受け持ったりしました。

でもこれなら、トリオ・ソナタも3重奏でトリオ? いいえ、(132) 楽譜どおり演奏しても足りない場合をお読みの方は、低音声部の上に書かれた6や7などの数字にお気づきですよね。そうです。これは、和音の種類を示す数字。バロック時代の伴奏法、通奏低音です。通奏低音では、低音旋律楽器以外にハープシコードやオルガンのような鍵盤楽器が必要。左手で低音旋律を弾きながら、数字を読み解いて右手で和音を充填して行くのです。したがって、譜例1のトリオ・ソナタを演奏するには、奏者が4人必要1

トリオ・ソナタとは3重奏のソナタではなく、譜例1のように、独立した3つの声部から成るソナタという意味。奏者は4人と限りません。バッハのオルガン用トリオ・ソナタは、1人用(両手+足鍵盤で3声)。同じくバッハの、オブリガート・チェンバロ(両手の旋律が作曲された=即興で右手の和音を補う通奏低音ではないチェンバロ・パート)を伴う独奏楽器ソナタ(フルート用やヴァイオリン用など)は、2人用(独奏楽器1+チェンバロの両手で3声)。トリオが、3重奏つまり3つの楽器編成を意味するようになるのは、古典派以降です。

  1. (133) トリオはトリオだったで例に挙げた中で、リュリの《アルミード》とバッハの《ブランデンブルク協奏曲》第1番のトリオ部分は、3人で演奏する3重奏ですが、《ペルセ》のトリオ部分(第2パスピエ1回目と2回目)は通奏低音付き。4人で演奏します。
12. 5月 2013 · (133) トリオはトリオだった はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

交響曲の第3楽章は、メヌエットでもスケルツォでも、AーBーAの形で作られることが多いですね。中間部分Bはトリオと呼ばれ、その後にA部分がダ・カーポ(イタリア語で「頭から」=冒頭に戻る)されます。でも、第3楽章の中間部分って、3重奏ではありませんよね。どうしてトリオと呼ばれるのでしょうか。

17世紀、バロック舞踏のステップ・パターンをひと通り終えるためには、かなりの長さの曲が必要でした。たとえばメヌエットの一連の動作には、120小節もの音楽が必要だったそうです1。しかし、メヌエットにしてもガヴォットにしてもサラバンドにしても、舞曲はそれほど規模の大きいものではありません。1つの曲を踊りが終わるまで何度も何度も繰り返すのでは、踊る人も伴奏する人もつまらない。やがて、同じ舞曲がもう1つ加えられ、最初の曲がそのあとで繰り返されるようになりました。編成や響きが異なる2曲を交代させれば、変化を楽しむことができます。

第2舞曲を3重奏で作曲したのは、リュリ(あの、重い杖を床に打ちつけながら指揮していたときに、誤って自分の足を打ち、その怪我がもとで亡くなった人((18) 「赤ちゃん交響曲」誕生まで参照)。叙情悲劇《アルミード》(1686)のプロローグで、第1メヌエットを弦5声部で作曲する一方、第2メヌエットは2本のオーボエとファゴット用に。《ペルセ》(1682)でも、3声部の第2パスピエを作り、1回目はオーボエ2本とファゴット、2回目はソプラノ2人と通奏低音((132) 楽譜どおり演奏しても足りない場合参照)という異なった組み合わせを指定2。2交代5部構成(A – B – A – B’ – A)で、踊りに十分な長さにしたのです。第2舞曲が3重奏ではなく2重奏や4重奏で作られるときもありましたが、それでもトリオと呼ばれました。

バッハは《ブランデンブルク協奏曲》第1番の第2メヌエット(=トリオ)を、リュリと同じ3重奏編成(オーボエ2とファゴット)にしました。さらに、異なる3重奏編成(ホルン2とオーボエ・ユニゾン)用の2拍子のトリオや、弦楽器のみのポラッカ(=ポロネーズ。メヌエットと違う舞曲!)もはさんで、M – T1 – M – P – M – T2 – M の7部構成に3。舞踏の伴奏音楽ではありませんから、多様性のためでしょう。

初期は3楽章構成だった交響曲の第3楽章としてメヌエットが取り入れられたのは、おもしろみの少ない交響曲を少しでも楽しんでもらうための聴衆サービスでしたね((87) 流行音楽メヌエット。それをベートーヴェンがスケルツォに置き換えたのでした((101) メヌエットからスケルツォへ参照)。実用的な舞曲と同じ、「第1メヌエット – 第2メヌエット – ダ・カーポして第1メヌエット」という形や、第2メヌエットがトリオと呼ばれる慣習が、交響曲に持ち込まれたのも当然。

トリオを2回繰り返して A – B – A – B – A にしたり(ベト7など。《運命》については((81) 音楽における冗談参照)、2種類のトリオで A – B – A – C – A にしたり(シューマンなど)、トリオ部分の拍子を変えたり(《田園》など)するのも、バロック時代に前例があるのですね。また、通常はメヌエットよりも薄い編成で作られたり、弦楽器よりも管楽器を活躍させて趣を変えること(《エロイカ》のホルン3重奏が好例)も、バロック時代からの流れでした(この概念は20世紀でも続きます)。というわけで、現在は名称と概念しか残っていないものの、交響曲第3楽章のトリオの大元は本当に3重奏だったというお話でした。

  1.  Schwandt, Erich, “Trio” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 25. Macmillan, 2001, p. 743.
  2. (135) トリオはトリオじゃなかった?註1を参照のこと(13/06/01追記)。
  3. M: メヌエット(ホルン2、オーボエ3、ヴァイオリン2、ヴィオラ、通奏低音)。T1: 第1トリオ(オーボエ2とファゴット)。P: ポラッカ(弦、3/8拍子)。T2: 第2トリオ(ホルン2とオーボエのユニゾン、2/4拍子)。