13. 8月 2014 · (198) チャイコフスキーの調選択 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

チャイコフスキーの交響曲第5番の4つの楽章は、ホ短調ーニ長調ーイ長調ーホ長調。この選択は、ちょっと変わっています。

古典派の交響曲では、第3&4楽章は第1楽章と同じ調(主調)。第2楽章(緩徐楽章)だけが対立調でした。そもそも、交響曲のご先祖様シンフォニーア(イタリア風序曲)の「独立した3部分」が、主調ー対立調ー主調で作られました((18) 「赤ちゃん交響曲」誕生まで参照)から、メヌエットが加わって、主調ー対立調ー主調(メヌエット)ー主調が標準パターンになったのです。モーツァルトの時代なら、40番交響曲「ト短調ー変ホ長調ート短調ート短調」のような調選択になったはずです。

ベートーヴェンのほとんどの交響曲も、ほぼこの標準パターン(例外は、第3楽章も主調と異なる「イ長調ーイ短調ーヘ長調ーイ長調」の第7番)。ただ、ひねり(!?)が加わりました。《運命》交響曲の主調はハ短調なのに、終楽章はハ短調ではなくハ長調。この短調における「暗黒から光明へ」「苦悩を乗り越えて歓喜へ」型が、ロマン派の作曲家たちに好まれます。

チャイコフスキーの5番も、第1楽章ホ短調、終楽章ホ長調の部分は、ロマン派の標準パターン(しかも、終楽章の序奏部とコーダ部分はホ長調ですが、ソナタ形式の主部は、主調のホ短調ですね)。ただ、第2楽章がニ長調というのが珍しい選択。遠隔調ではありません(ニ長調は、ホ短調の平行調の属調。(77) 近い調、遠い調参照)が、第1楽章の導音嬰ニ音(レ♯)を元に戻したニ音を主音とした調だからです。

この交響曲の調号にお気づきでしょうか。第1楽章ホ短調は♯1つ、第2楽章ニ長調は♯2つ、第3楽章イ長調が♯3つ、終楽章ホ長調が♯4つ。4つの楽章を全部違う調にしたのみならず、♯が1つずつ増えています。偶然?? 「ホ短調で始まりホ長調で終わる交響曲を作ろう……ということは、第1楽章は♯1つ、終楽章は♯4つ……それなら2楽章は♯2つ、3楽章は♯3つにしちゃおう!……ホ短調とニ長調の楽章を並べるのは、ちょっと無理があるかな?……ま、いいか……」とチャイコフスキーが考えた……わけではないと思いますが。

28. 5月 2014 · (187)「運命動機」を英語では? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: ,

「外国でベートーヴェンの第5交響曲を《運命》と呼ばないなら、『運命動機』はどう呼ぶのですか?」先日出版された『オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識』を読んでくださった方からの、鋭いご質問((1) 運命と呼ぶのは日本だけ!?も参照)1。確かに、ニックネーム「運命」がなければ、一言でジャ・ジャ・ジャ・ジャーンが浮かぶ「運命動機」という言葉も使えない……? 手元にあった5冊の英文研究書で、「運命動機」が何度も形を変えて現われるという部分を調べてみました。

  • 「4音動機」the four-note motif2
  • 「4音の最初の音型」the initial figure of four notes3
  • 「最も重要な動機」the principle motive4
  • 「主要な動機」the main motive5
  • 「有名なオープニング動機」the famous opening motif6
  • 「オープニング動機」the opening motif7
  • 「最初の4音動機」the initial four-note motive8
  • 「オープニングの4音動機」an opening four-note motive9
  • 「短−短−短−動機」the short-short-short-LONG motive10

というわけで「運命」という言葉が無くても、ベートーヴェンの第5交響曲を論じている部分なら、第1楽章の「出だし」や「4音」など、ありきたりの言葉で十分通じます。

「有名な『運命』動機」the famous ‘fate’ motive 」という記述もありました11 。ベートーヴェンがこの部分について「運命は斯くのごとく戸を叩く」と言ったと、シンドラーが伝えているのは事実12。だから、(捏造の可能性は大きいものの)シンドラーが主張するところの「運命」の動機と呼ぶことは間違いではないと思います(いささか逆説的ですが)。1カ所しか見つけられなかったことは、むしろ意外でした。

日本のように「当たり前」ではないものの、日本以外で第5交響曲を《運命》と呼ばないわけではありません。ジャケットに Fate と書かれたCDを2枚見つけました13。mp3 や Sacd-Dsd なども含め、曲名に Symphony No.5 in C minor op. 67  (Fate) と書かれたものも。もしかしたら近い将来、’Fate’ のニックネームが海外でももっと広く使われるようになるかもしれませんね。

  1. itta-mbjg-sdfnさんに感謝します。
  2.  Solomon, Maynard, Beethoven, Schirmer, 1977, 205.
  3. Tovey, Donald Francis, “The Fifth Symphony,” Beethoven: Symphony No.5 in C minor, ed. by Elliot Forbes, Norton Critical Scores, Norton, 1971, 143. 
  4. Hoffmann, E. T. A. “Review of the Fifth Symphony,” translated by John Adams, Beethoven: Symphony No.5 in C minor, ed. by Elliot Forbes, Norton Critical Scores, Norton, 1971, 153.
  5. Schenker, Heinrich, “Analysis of the First Movement,” translated by the editor and John Adams, Beethoven: Symphony No.5 in C minor, ed. by Elliot Forbes, Norton Critical Scores, Norton, 1971, 164.
  6. Kerman, Joseph & Tyson, Alan, The New Grove Beethoven, Norton, 1980, 110.
  7. Lockwood, Lewis, Beethoven, Norton, 2003, 220.
  8. Anson-Cartwright, Mark, “Beethoven: Structure and Narrative,” The Cambridge Companion to the Symphony, ed. by Julian Horton, Cambridge University Press, 2013, 181.
  9. Bonds, Mark Evans, “Beethoven’s Shadow,” The Cambridge Companion to the Symphony, ed. by Julian Horton, Cambridge University Press, 2013, 335.
  10. ibid., 337.
  11. Horton, Julian, “Cyclical Thematic Process in the Nineteenth-century Symphony,” The Cambridge Companion to the Symphony, ed.by Julian Horton, Cambridge University Press, 2013, 191.
  12. Schindler, Anton, Beethoven as I knew Him, ed. Donald W. MacArdle, University of North Carolina Press, 1966, 147.
  13. http://www.amazon.com/Schicksalssymphonie-Symphony-Ludwig-Beethoven-Tracks/dp/B00BKNG5PUhttp://www.discogs.com/viewimages?release=1816719
05. 3月 2014 · (175)《エロイカ》で始まるコンサート はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

前回、前々回に引き続き、19世紀パリの音楽界シリーズ(?!)第3回。ベルリオーズがベートーヴェンの《英雄》と《運命》を聴いて大きな影響を受けた((173) 幻想交響曲の奇妙さ参照)、1828年パリ音楽院演奏協会のプログラムを見つけました1。設立初年の第1回演奏会(1828年3月9日(日)2:00、パリ音楽院コンサート・ホール、指揮はフランソワ=アントワーヌ・アブネック)の曲目は:

    1. ベートーヴェン:《英雄》交響曲
    2. ロッシーニ:オペラ《セミラミス》から2重唱
    3. メフレ:ヴァルブ付きホルン独奏(作曲者本人による演奏)
    4. ロッシーニ:アリア
    5. ローデ:ヴァイオリン・コンチェルト(新作)
    6. ケルビーニ:オペラ《プロヴィンスの白女》より合唱
    7. ケルビーニ:オペラ《アベンセラージュ》序曲
    8. ケルビーニ:荘厳ミサ曲よりキリエとグローリア

協奏曲や序曲などの器楽と、アリアや2重唱、合唱などの声楽が交互に並びます((150) 歌が不可欠?参照)。メフレ(1791〜1867)はヴァルブ付きホルンのパイオニア。パリ音楽院で教え、『ヴァルブ付き半音階ホルンのための教本』を出版しました2。前年に亡くなったベートーヴェン以外、ローデ(フランス人なので正確にはロード、1774〜1830)も、3曲も演奏されたケルビーニ(1760〜1842、1822年からパリ音楽院院長)も存命((151) 生きてる?参照)。この時代の公開演奏会の、典型的なプログラム構成です。

でも、《エロイカ》が最初?!  演奏会シリーズの記念すべき第1回オープニングに、若々しくかつ華々しい《エロイカ》はうってつけ。でも、長い! 重すぎる! 奏者はもちろん聴衆も、1曲目で疲れちゃう!

と驚いたものの、他に適当な場所がありません。開幕ベル代わりの「交響曲」から成長したとはいえ、交響曲の役割は演奏会の枠組みのまま。メインは、ソリストが活躍するアリアや協奏曲です。日常に戻ることを告げる演奏会最後の曲として使われることもありましたが、パリ音楽院演奏協会の初年度7回の演奏会では、この第1回のミサ曲のように、規模が大きい合唱曲で締めくくられる方が普通でした(次第に序曲や交響曲でも終わるようになりますが)。

そういえば、ベートーヴェンの《運命》が初演された演奏会の1曲目は、《田園》でしたね((22) 《運命》交響曲の初演参照)。《エロイカ》や《田園》で始めるなんて、想像できません。パリ音楽院演奏協会は、音楽院で学ぶプロやプロの卵たちから成るオーケストラで、よく訓練されていたそうですから、メインのアリアや合唱、協奏曲のために余力を残して《エロイカ》を弾いたのでしょうか。

初年度に取り上げられたベートーヴェンの交響曲は、《エロイカ》(この第1回と、好評により第2回演奏会でも。ベルリオーズはどちらを聴いたのか?)と《運命》(第3、5、6、7回。ちなみに第4回は、オール・モーツァルト・プロ)の2曲のみ。翌1829年に《田園》と7番、1830年に4、2、1番、1831年に《第九》、1832年に8番がレパートリーに加わりました。この中で、《第九》の扱われ方は、他と少し異なります。1831年3月27日の定期演奏会は「ベートーヴェンの合唱付き大交響曲初演」と銘打たれ、プログラムも4曲のみ(1:コリオラン序曲、2:アリア、3:バズーン(バソン)独奏、4:《第九》)。翌年の再演(1832年4月15日)では、《第九》がまっぷたつ!

    1. ベートーヴェン:《第九》第1 & 2楽章
    2. ケルビーニ:《アヴェ・マリア》(ソプラノとコーラングレのための)
    3. ベートーヴェン:弦楽四重奏曲作品18(弦楽器奏者全員による。何番か不明)
    4. ヴェーバー:《魔弾の射手》から〈狩人の合唱〉(16人のホルン奏者だけによる)
    5. ヴェーバー:《魔弾の射手》からアリア
    6. ベートーヴェン:《第九》第3 & 4楽章

1834年1月26日の再々演も、同様のプログラム構成でした。

  1. Holdman, D. Kern, The Société des Concerts du Conservatoire (1828-1967), http://hector.ucdavis.edu/sdc/.
  2. Joseph Meifred, Méthode pour le Cor Chromatique, ou à Pistons. Paris: S. Richault, 1840.  メジャーな演奏家による最初のメトードと言えます。Ericson, John, “Joseph Meifred and the Early Valved Horn in France: A Pioneer of the Valved Horn. Horn Article Online http://www.public.asu.edu/~jqerics/articles_online.htm 中の http://www.public.asu.edu/~jqerics/meifred.htm.

マーラーの交響曲の変な(!?)ポイントについて書きながら((169) (170))、マーラーよりももっとずっと変てこりんな、いえ大胆で独創的な交響曲についてまだきちんと書いていないことを思い出しました。それは《幻想交響曲》。すでに何度か触れているので一部重複しますが、この曲についてまとめてみます。

フランスの作曲家エクトル・ベルリオーズが1830年に作りました。遅いテンポの序奏部付きアレグロ、ワルツ、緩徐楽章、マーチ、フィナーレの5楽章構成とか、コーラングレや Es管クラリネットの持ち替えとか、ハープが2台必要とか、ティンパニ奏者は4人も必要とか、そういうことはちょっと脇に置いて。

変てこりんなポイントその1は、ひとつの旋律が形を変えながら全ての楽章に現われ、全体を統一していること。ロマン派音楽で盛んに使われる循環形式の、出発点ですね。ポイントその2は、この曲が「ある芸術家の生涯におけるエピソード」であり(副題)、それを説明する標題(プログラム)がついていること(=標題音楽。英語ではプログラム・ミュージック)。「失恋して絶望した若い芸術家がアヘンを飲んで自殺を図るが死に切れず、奇怪な夢をみる」というような曲全体の標題だけではなく、楽章ごとの標題も(ベルリオーズは標題を何度も改訂し、《幻想》が演奏される時はパンフレットとして印刷しました)。

詳細に書かれた標題を音楽で表現するのに重要なのが、ポイントその1の循環する旋律。しかし、ただ何度も戻って来るだけではありません。この旋律は、芸術家が崇拝している女性の幻影「イデー・フィクス idée fixe(固定楽想)。ポイントその3です。第1楽章の初出ではチャーミングでエレガントな旋律が、終楽章の魔女たちの宴では、装飾音がごちゃごちゃ加えられ、甲高いEs管クラリネットが担当するグロテスクな旋律に。ポイントその1とその2は、いずれもベートーヴェンが先駆ですが(前者は《運命》、後者は《田園》)、ポイントその3の、旋律に特定の意味を持たせるのは交響曲では新しい試み!

ベルリオーズがこのような変てこりんな、いえ大胆で独創的な交響曲を作った直接の発端は、1827年9月11日に見た、イギリスのシェイクスピア劇団による《ハムレット》公演。オフィーリア役のハリエット・スミッソンに一目惚れしただけではありません。全くわからない英語による上演であったにもかかわらず、ベルリオーズはシェイクスピア劇のもつ壮大さ、崇高さ、劇的構想の豊かさに衝撃を受けました。

もうひとつ重要なのは、1828年3月に初めて、ベートーヴェンの第3番と第5番の交響曲を聴いたこと(アブネック指揮パリ音楽院演奏協会)。それまで声楽中心だった彼の音楽世界(ベルリオーズが音楽の道に進むきっかけとなったのはオペラ((103) ベルリオーズの人生を変えた音楽参照)。1830年にローマ大賞を受賞するまで26年から毎年、課題曲として作っていたのはカンタータでした)。それが、器楽の持つポテンシャルに気づいたことで、大きく広がります。

ベートーヴェンへの敬意の表明だったはずなのに、このような変てこりんな、いえ、大胆で独創的な交響曲になってしまった理由は? いろいろ考えられますが、たとえば交響曲では用いられなかったハープや鐘、コーラングレは、オペラでは以前から用いられていました。また、ベルリオーズは音楽を、表現力豊かで劇的な芸術と考えていて、《幻想》も「ベートーヴェンの交響曲の枠組みの中に、劇的および詩的なアイディアをうまく入れ込もうとした慎重で意図的な試み」と捉えることができます1。それに、《幻想》だけではなくご本人も、かなりエキセントリックな性格だったようですね。

  1.  Macdonald, Hugh, ‘Berlioz,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., 3, Macmillan, 2001, 387.
23. 11月 2011 · (56) アドヴェントと音楽 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

今年(2011年)の場合、11月27日がクリスマスから遡って4つ目の日曜日。キリスト教の新年が始まる、アドヴェント第1主日です1。この日からクリスマスまでがアドヴェント。聖光学院がその教えに基づくカトリックでは、待降節と訳します2。ろうそくを4本立てたアドヴェント・リース(アドヴェント第1主日には1本、第2主日には2本というように、灯りを点けるろうそくを増やしていく)やクリスマス・ツリーなどを用意し、主イエスの降誕に備えて心の準備をする期間です。クラシック音楽は様々な形でキリスト教と密接に結びついていますが、今回はアドヴェントと音楽について考えてみました。

イースター(復活祭)前の受難の季節レント(カトリックでは四旬節)と同様、アドヴェントも悔い改めや節制の期間です3。アドヴェント第2主日以降、カトリック教会の礼拝では、華やかに神を讃えるグローリアやアレルヤを歌いません。ルター派教会でも、この3週間は礼拝でカンタータを使いませんから、バッハも一息つくことができたはずです(バッハの教会カンタータについては改めて書きます)。

(22)《運命》交響曲の初演で触れたように、《運命》や《田園》が公開初演されたアン・デア・ウィーン劇場での1808年12月22日のベートーヴェンの演奏会も、アドヴェントと関係があります。ほとんどの日に複数の劇場でオペラや芝居が上演されていたウィーン。でも、レントの期間とアドヴェントのうち12月16日から24日までは、1777年の勅令で公演が禁止されていたのです。

演奏会を開くなら、この期間が狙い目。劇場も借りやすいし、仕事が休みのオーケストラ奏者たちを雇うこともできます。なにより、多くのお客さんを見込むことができます。

ただ、寒い! ベートーヴェンの有力なパトロンの1人ロプコヴィツ侯爵のボックス席で聴いていた、作曲家で文筆家ヨハン・フリードリヒ・ライヒャルトは、この演奏会について以下のように記しています。

われわれは物凄い寒さのなかを6時半から10時半まで耐え忍び……(中略)多くの演奏間違いがわれわれの忍耐心をひどく苛立たせはしたものの、私にはこの極めて温厚で思いやりのある[ロプコヴィツ]侯と同じように、コンサートがすべて終わる前にその席を立つことはできませんでした。(中略)歌手とオーケストラはまったくの寄せ集めで、この難曲揃いの演奏曲目の完全なリハーサルは一度たりともすることができなかったのです。(中略)この厳しい寒さでは、この美人 [独唱をしたキリツキー嬢] が今日は歌うよりも震えていることの方が多かったからといって、彼女を恨むわけにはいかないでしょう。われわれだって狭いボックス席で毛皮とマントにくるまりながら震えていたのですから。(中略)ベートーヴェンが神聖なる芸術的熱心さのあまり聴衆や場所のことを考えないで、[合唱幻想] 曲を途中で止めさせ、最初からもう1度やり直すよう叫んでしまったから……私が彼の友人たちともどもいかに困惑したか、おわかりでしょう。あの瞬間、もっと前に会場を出る勇気を持っていたなら、と思いましたよ(後略)4

劇場が閉まっているアドヴェント最後の期間は、演奏会が目白押し。同じ日にはブルク劇場で、ハイドンの作品による、音楽家未亡人協会のためのチャリティー・コンサートも行われています。「是非とも聴きたかった」とベートーヴェンの演奏会を選んだライヒャルト、大変でしたね。

  1. キリスト教の主の日は日曜日。ギリシア正教会など、新年が異なる教会もあります。
  2. ルター派教会も待降節。英国国教会(聖公会)では降臨節。正確には、11月30日かそれに最も近い日曜日の、前日土曜日の日没からアドヴェントが始まります。
  3. 英国国教会では大斎節。
  4. 「神聖なる強情さが生む誤解」『ベートーヴェン全集5』(講談社、1998)、154〜6ページ。予定ではミルダーが歌うはずだったのですが、ベートーヴェンが原因の口論のために出演を拒否し、急遽、キリツキーが代わりに歌いました。失敗したのは寒さのせいもありますが、実力と経験の無さが主原因でした。