14. 10月 2012 · (102) 話すように歌うレチタティーヴォ はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

《第九》第4楽章冒頭。管打楽器の「恐怖のファンファーレ」でドラマティックに始まり、チェロとコントラバスが伴奏無しで朗々と奏でる旋律が続きます。ベートーヴェンはここにフランス語で、「レチタティーヴォ風に、ただしイン・テンポで」という指示を書き込みました。2度目の「恐怖のファンファーレ」や第1〜3楽章の回想を挟みながら繰り返される、「レチタティーヴォ風」の低弦旋律。このレチタティーヴォって何か、ご存知ですか?

「叙唱」と訳されるレチタティーヴォは、声楽書法の1種。オペラ、オラトリオ、カンタータなどで使われます。たとえばオペラにおいて、登場人物の「好き!」とか「困った〜」などの感情が歌われるアリア。歌詞は韻文。歌い手の技巧や音楽性の見せ場です。でも、全てをアリアで歌うと単調だし、話が進みません。だから、状況説明や複数の人物による対話には、アリアと異なるさくさく進む書法を使うのです。それがレチタティーヴォ。特徴は:

  • 語りを歌でまねしたもの。歌と語りの中間
  • 歌詞は散文
  • アリアとアリア(または合唱、器楽曲)の間におかれる
  • 筋の説明や、対話に使われる

英語の recite(朗唱する)のイタリア語、recitare に由来するように、朗唱風で言葉の抑揚を活かす歌い方です。話すときのように狭い音域内に短い音符を連ねたり、同音反復も多く使われます。管絃楽や弦楽の伴奏がつくこともありますが、低音楽器と鍵盤楽器だけの伴奏でも多く作られました。歌い手の自由度が増えますし、歌詞が聴き取りやすくなります。器楽曲において同様の書法で書かれた器楽レチタティーヴォとしては、《第九》以外に、ハイドンの交響曲第7番《昼》の第2楽章や、ベートーヴェンのピアノ・ソナタop.110の第3楽章4小節目(通常の1小節よりも長い)からなどが有名。

話を《第九》に戻しましょう。「恐怖のファンファーレ」が3度目にトゥッティで奏された後、バリトン独唱者が歌い始めます。「おお、友よ、これらの調べではなく!」の最初(216小節)に Recitativo の指示。弦楽器パートの Recit. (224小節)は、長い音符がレチタティーヴォの伴奏だということです。冒頭の低弦旋律はここの先取りで、歌詞と関連させてしばしば「否定のレチタティーヴォ」と呼ばれます。

最後に、より典型的なレチタティーヴォとして、ヘンデルのオペラ《セルセ》(1738)の動画をあげておきましょう。弦楽伴奏付きのレチタティーヴォが40秒ほどで終わった後、器楽による導入があり、1’30頃からアリア《オンブラ・マイ・フ(樹木の蔭で)》が続きます。歌詞を読むと、情景が書かれた行がレチタティーヴォに、感情が書かれた最後の行がアリアに作曲されていることがわかりますね1

私が愛するスズカケの木の柔らかく美しい葉よ、運命はお前たちに輝いている。

雷鳴や稲妻や嵐がけっしてお前たちの平安を乱すこと無く、貪欲な南風もお前たちを冒瀆することの無いように。

樹木の蔭で、これほどいとしく愛すべく快いものは無かった。

  1. 戸口幸策訳。畑中良輔編『イタリア歌曲集1』全音楽譜出版社、n.d.(1971?)、158ページ。詩はニコロ・ミナート。

12月15日の聖光学院新講堂こけら落とし公演に向けて、《第九》の練習が始まりました。ファースト・ヴァイオリン ・パートの人たちは、一息ついていることでしょう。ついこの前まで練習していた《新世界》に比べて、《第九》は音域がずっと低いからです。

それにしても《新世界》のファーストは、高音域が多かったですよね。ト音記号の五線の中に納まっているのは数音だけで、ほとんどが上にあふれている段もありました。ボウイングを書き入れようにも、加線が何本も重なって五線と五線の間にすき間がほとんど無い。真ん中のドから3オクターヴ上のドも登場。ト音記号の上に加線2本を補ったドの、さらに1オクターヴ上です。日本語で4点ハ音と呼ばれるこの音が《新世界》の最高音かと思えば、さにあらず。第3、4楽章ではその上の4点ニ音(レ)も使われています。加線は6本! 何の音か、とっさに読めません。

一方、《第九》のファーストの最高音は、ドどころかその3度下のラ。第7ポジションまでです。《第九》に限らず、ベートーヴェンはヴァイオリン・パートでシ♭以上を避けています。

彼がこのように慎重だった最大の理由は、おそらく、当時の楽器が現在の、あるいはドヴォルジャークの時代と異なっていたためでしょう。19世紀初期にはまだ、弦楽器用の肩当てはもちろん、あご当ても無かったのです。あご当てを発明したのはシュポーア(1784〜1859)で、1820年ごろですが、一般に普及するまで時間がかかりました1。肩当ては、ピエール・バイヨ(1771〜1842)が1834年に「厚いハンカチかクッションの一種」を推薦したのが最初2

つまり、《第九》の時代のヴァイオリンやヴィオラは、(86) 見た! さわった!! ヴィオラ・ダモーレの図1のように、本体だけ。しっかりと挟み込んで楽器を構えることができず、不安定でした。これでは左手のポジション移動も制限されてしまいますし、高音域の演奏も容易ではありません。

もちろん、チェロのエンドピンもまだ考案されていませんでした。教則本がエンドピンの使用を初めて提唱したのは1880年頃3。それまでは基本的に、ヴィオラ・ダ・ガンバのように脚で支えながら演奏していたのです。両足で挟み込み、主に左のふくらはぎで支えるだけで中空に保つのですから、やはり楽器が安定しません。《第九》の最高音(ト音記号の五線の真ん中のシ)が《新世界》よりも3度も低い(2楽章の最後にレ♭が登場)のは、このような事情の反映と言えます。

最後に、時代はかなり遡りますが、17世紀後半のヴァイオリン演奏図をご紹介しましょう。オランダ生まれのヘリット(ヘラルド)・ドウ(1613〜75)が1665年に描いた「ヴァイオリン奏者」に基づくリトグラフ。典型的な胸置きポシションです。(59) クリスマスに聴きたい音楽 part 3 で《クリスマス・コンチェルト》をご紹介したときにも書いたように、コレッリ(1653〜1713)の作品のヴァイオリン・パートは、ほとんどが第3ポジションまでで弾けるそうですが、彼が12歳の時に描かれたこの図像を見ると納得。ヴァイオリンをこのように構えたのでは、忙しいポジション移動や高音域での演奏は、ほとんど無理でしょうから。

図1:ヘリット・ドウ『ヴァイオリン奏者』(1665)クリックで拡大します

  1. R. Stowell, ‘Violin,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 26, Macmillan, 2001, p. 724.
  2. 同上。
  3. T. Russell, ‘Endpin,’ The New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 8, Macmillan, 2001, pp. 198-9.
09. 8月 2012 · (93) 《新世界》と循環形式 (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , , , , ,

前回書いたように、《新世界》交響曲(1893)では第1楽章第1主題が、変形を加えられながら全楽章で使われます。このような循環形式の手法は、19世紀最後の四半世紀に広く使われました。

ブルッフは《スコットランド幻想曲》(1879〜80)において、第1楽章で引用したスコットランド民謡《森を抜けながら、若者よ》を、第2・第3楽章のつなぎの部分と、第4楽章のコーダで回想していましたね((68) ブルッフが使ったスコットランド民謡 (1)参照)。古くから歌い継がれて来た民謡を素材にしつつ、最新の手法で曲を組み立てたのです。他にも、たとえばチャイコフスキーの交響曲第5番(1888)では、「運命の主題」(ジャ・ジャ・ジャ・ジャーンの「運命動機」ではなく)と呼ばれる第1楽章のオープニングが、「イデー・フィクス(固定楽想)」的に使われ、全体を統一しています。

ところで、《新世界》の中で循環するのは、第1楽章第1主題(ホルンの分散和音)だけではありません。終楽章には、第2楽章《家路》の旋律と、第3楽章スケルツォの主題も現れます。しかも、第4楽章の第1主題も同時進行。ホルンやトランペットによる吼えるような提示とは一変し、ヴィオラがひとりごとをつぶやくような形に変えられています(譜例1参照)。そういえば、ドヴォルジャークはドボコンでも、第1楽章第1主題と第2楽章の《ひとりにして》の旋律を、終楽章のコーダで再現していましたね((38) ドボコンを読み解く試み その2参照)。

譜例1:ドヴォルジャークの循環形式(《新世界》第4楽章、155〜60小節。クリックで拡大します)

終楽章の中でそれ以前の楽章の素材を回想し全曲を統合する手法は、前回も名前を挙げたフランクの得意技。交響曲ニ短調(1888)やヴァイオリン・ソナタ(1886)などで使われています。彼が前駆作品として挙げたのが、ベートーヴェンの《第九》。終楽章冒頭で、第1〜第3楽章の一部がほぼそのまま引用されるからです。このように《新世界》では、ある主題や動機が他楽章に現れる《運命》型と、先行する全ての楽章の主題が最終楽章に現れる《第九》型(2つのネーミング、いかがでしょう?)の、両方の循環手法が使われています。

ドヴォルジャークは、さらにもう一ひねりしました。メロディーだけではなく、ハーモニーも循環させたのです。第2楽章冒頭で管楽器が ppp で奏する、漂うような7つの和音。第1楽章の調=シャープ1つのホ短調から、遠い遠い第2楽章《家路》の調=フラット5つの変ニ長調へと導く、コラール風の響きが、第4楽章のコーダに出現(299小節〜)1。あちらこちらに顔を出す第1〜第3楽章の主題を補強するように、ff で高らかに歌い上げられます。圧巻!

《新世界》というと、ドローンや5音音階、スピリチュアルとの類似性などがクローズ・アップされがち。確かに、ボヘミアやアメリカの民族音楽的な要素はこの曲の大きな魅力ですが、ドヴォルジャークのオリジナリティあふれる構築的な循環手法にもご注目ください。

  1. 和声分析では、hus-RyISKWさんにお世話になりました。感謝いたします。
12. 7月 2012 · (89) どこで弾いていたのか?:《第九》の初演 (2) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , ,

「もちろん、オーケストラはステージ前方でしょ? 奥に合唱団が並んで」とお思いの方が多いでしょうが、残念ながら違います。(26) クラシック音楽ファンの常識?で書いたように、音楽と言ったら声楽。器楽は1段(?)劣る脇役と考えられていました。ステージ上で演奏する(できる)のは、ソリスト(声楽でも器楽でも)と、歌の人。

オーケストラが演奏する場所は、いわゆる「オーケストラ」。古代ギリシアの劇場で舞踏場だった、ステージと客席の間のスペースですね((29) オーケストラは「踊り場」だった!?参照)。客席とは仕切りを隔てているだけです。図1は《第九》が初演された、ヴィーンのケルントナートーア劇場の「オーケストラ(踊り場」)。指揮者の位置は、現在と違って舞台のすぐ下。奏者は、客席に背を向けるようにして演奏していました。オーケストラだけの演奏会では、舞台には幕が下ろされていたそうです1

図1:ケルントナートーア劇場の「オーケストラ」

オーケストラがステージの上で演奏するようになるのは、19世紀半ば。ただ、上は上でも……。図2は、ヴィーンのコンセール・スピリチュエル(楽友協会と並ぶ、アマチュアの音楽団体)の楽器配置。舞台手前は独唱と合唱団の場所で、楽器奏者はその後です。相変わらず、声楽の方が器楽よりも偉かったというか、重用視されていたことがわかります。奥左側にヴァイオリンとヴィオラ(読み取れないのですが、最前列右端がコンサート・マスターのようです)、中央のオルガンの前に低弦、右側が管楽器(図2’をクリックで拡大してご覧ください)。打楽器が見当たらないのですが?

図2:ヴィーンのコンセール・スピリチュエルの楽器配置

図2’:ヴィーンのコンセール・スピリチュエルの楽器配置

図3は、1874年に行われたベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》の演奏会。《第九》初演の際に、ヴィーンでの部分初演が行われた曲です。手前に聴衆が座っています。黒い服を着た指揮者の左側に、独唱者が4人、右側にヴァイオリンの独奏者。左右両側に、合唱の女性たち。男性は、その後ろのようです。そして、ソリストたちの後ろ、舞台の中央にオーケストラの団員たち2。譜面台が置かれているので、区別できますね。最前列にヴァイオリンが見えます。ベートーヴェンの胸像が置かれた正面バルコニーの下にも、奏者が並んでいるようです。合唱、オーケストラとも大人数! 管楽器は倍管でしょうか((84) 倍管は珍しくなかった参照)。

図3:ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》の上演(1874)

そうそう、図2を見て、合唱の後ろでは楽器奏者は指揮が見えなかったのではとご心配の方へ。オケのメンバーも立って演奏していました。ご安心ください。

  1. 小宮正安『オーケストラの文明史』、春秋社、2011、115ページ。図2〜3も同書より。図2:103ページ、図3:109ページ(図版提供:ウィーン楽友協会資料室)。
  2. 前掲書109ページに「舞台の前方はあいかわらず声楽によって占められているが、彼らの中に独奏ヴァイオリンが唯一の器楽として姿を見せている」と書かれた説明は正確ですが、図2のような「器楽は後ろ半分」の配置ではなくなっているのが、大きな変化と言えるでしょう。
07. 6月 2012 · (84) 倍管は珍しくなかった:《第九》の初演 (1) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

ベートーヴェンの交響曲第9番は、1824年5月7日に、ウィーンのケルントナートーア劇場で初演されました。当日のプログラムは:

  1. 大序曲(《献堂式序曲》op. 124)
  2. 独唱と合唱を伴う三つの大讃歌(《ミサ・ソレムニス》op. 123より《キリエ》《クレド》《アニュス・デイ》)
  3. 終楽章にシラーの『歓喜に寄せて』による独唱と合唱が入る大交響曲(交響曲第9番 op. 125)

オーケストラは大編成。弦楽器奏者の人数は、ファースト・ヴァイオリン12、セカンド12、ヴィオラ10、低弦(チェロとコントラバス)121。バランスをとるために、管楽器は2倍(倍管)だったと考えられます。合唱は90数名。ピアノも使われましたが、ミサ曲のオルガン・パートを弾いただけだった可能性もあります。5月23日の再演は、王宮内の広い大レドゥーテンザール(舞踏ホール)で行われたので、弦楽器の数が14、14、10、12に増やされました。

ケルントナートーア劇場所属の合唱団員は、ソプラノとアルトを受け持つ少年が16人ずつ、テノールとバスの大人が各17人前後。この時期の劇場オーケストラの人数はわかりませんが、1796年の記録では、弦が上から6、6、4、3、4の計23、木管4種とホルン、トランペット各2、ティンパニ1。全部で36人でした2。1824 年でもそれほど変わらなかったでしょうから、プロだけでは足りません。1812年に設立されたアマチュア団体ウィーン楽友協会が、オケと合唱の両方を補強したと、「ウィーン一般音楽新聞」が報告しています(7月1日付け)。

《第九》には合唱が入るため、特別にこのような大編成にしたのかと思っていたのですが、違いました。同じ大レドゥーテンザールで1814年2月27日に行われた交響曲第8番の初演と、それに先立って1月2日に行われた交響曲第7番の再々演。ベートーヴェン自身が弦の数を、18、18、14、12、7と日記に書いているそうです。弦楽器が合計69ですから、管楽器はもちろん倍管だったはず。全ての管パートが2倍だったとすると、24。ティンパニを加えて、総勢94名?!

前年12月8日と12日に、ウィーン大学講堂で行われた第7交響曲の初演・再演も、これと同じ編成だった可能性があります。「ウィーン一般音楽新聞」が12月11日付けで、「ウィーンの最も卓越した音楽家たち(およそ100名)」と書いているからです。これら4回の演奏会のメイン曲は、《ウェリントンの勝利(戦争交響曲)》op. 91。戦闘や勝利の場面で使われる一斉射撃(!!)や打楽器のために、奏者が増やされましたが、その人数を割り引いてもものすごい大編成。アマチュア奏者がたくさん参加したと考えられます。

マイクが無いどころか、楽器の改良もあまり進んでいなかったこの時代。大きな会場で演奏する場合、十分な音量を確保するためには、奏者の人数を増やす以外に方法がありませんでした。聴衆に強く訴えかけるためにも、大きな音量による迫力が欠かせません。楽友協会オーケストラの弦楽器奏者は常時70人おり、1815年に始まった演奏会では、必要に応じて倍管にしていました3

ところで、ベートーヴェンは大レドゥーテンザールでの第7番、第8番の演奏会に関して、日記に弦楽器の数だけではなく、スコアにはないコントラファゴット2とも書き込んでいるそうです(ということは、オケ総勢96名!?)。当時の演奏者の数は、倍管も含め、私たちが考えるよりもずっと柔軟に変えられていたことがわかります。それから、ピアニッシモ部分では、パート譜に「ソロ」と記入されているそうです。倍管と言っても常に全員が吹いていたわけではありませんでした。

  1. 土田英三郎『ベートーヴェン:交響曲第9番ミニチュアスコア、解説』音楽之友社、2003。同編「神話の醸成」『ベートーヴェン全集9』講談社、1999、143ページでは、チェロとコントラバスが各12と書かれていますが、ここではより新しい資料を使いました。
  2. シェーンフェルトのウィーン・プラーグ音楽年鑑の数字。児島新「ベートーヴェン《第九交響曲》の初演について:会話帳に見られる新事実」『ベートーヴェン全集10』講談社、2000、203ページ。
  3. 土田英三郎編「世俗的な成功」『ベートーヴェン全集6』講談社、1999、131ページ。