10. 3月 2013 · (124) 《白鳥の湖》がうけなかった理由 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , ,

今ではバレエの代名詞になっている、チャイコフスキーの《白鳥の湖》。しかし、作曲家の生前には真価が認められなかったことは、広く知られています。

1877年2月20日、モスクワの帝室ボリショイ劇場での初演は、あらゆる面で不評でした。衣装や装置は貧弱、振り付けや演出は芸術性を欠いており、オーケストラ演奏も不完全、しかも主役オデットを踊ったのは全盛期を過ぎたバレリーナ。プリマを代えたり、振り付けを変更したり(3回も!)しながら6年間で41回公演されましたが、評判にならないまま、1883年を最後にモスクワでの上演が打ち切られました1

音楽に関しては、「《白鳥の湖》の音楽はすぐに広まり、音楽のよくわからない人達までもがこのメロディーをくちずさみ……」のような好意的な批評もありました2。しかし、最後には全体の1/3近くが他のバレエ作品からの音楽、それも必ずしも良いとは限らない音楽に替えられていたそうです3。甘くロマンティックなメロディー満載、ドラマティックでゴージャスな管弦楽法のみならず、登場人物や物事を音楽で表した大傑作((122) 「音楽の悪魔」(123) 物語を音楽で説明するには?参照)なのに、差し替えられるなんて、いったいなぜ?

それはある意味、傑作すぎたから。当時のバレエは、バレリーナの曲線美や優美なポーズを活かすことのみを意図して振り付けられた踊りを、単純な舞曲にのせて羅列した、見せ物のようなものでした4。音楽は、踊り手のための伴奏。ロシアでは、バレエ音楽専門の作曲家たちが、踊り手が好む規則的な拍子と類型的なフレージングの、決まりきった様式でバレエ音楽を作曲していました。バレリーナの技巧を誇示するためには、複雑な音楽は逆効果とさえ考えられていたそうです。当時のバレエ作品に親しんだ観客や批評家たちには、チャイコフスキーの《白鳥の湖》の音楽はシンフォニックで複雑すぎたのです。

当時のバレエ音楽専門作曲家の代表が、ミンクス。代表作《ドン・キホーテ》においても、シンプルで調子のよい魅惑的なフレーズや、小節数を増減しやすい作りなど、職人的テクニックに気づきます(動画参照。第3幕よりキトリのヴァリアシオン)。1881年にペテルブルクの帝室マリインスキー劇場支配人になったヴセヴォロジュスキーは、バレエ改革の第1歩として、専任作曲家ミンクスを解雇。以前から注目していたチャイコフスキーに作曲を依頼しました。こうして生まれるのが《眠れる森の美女》と《くるみ割り人形》。ただし、第1作目《白鳥の湖》の酷評にショックを受けたチャイコフスキーが次のバレエ音楽にとりかかるには、10年以上の年月が必要でした。

《白鳥の湖》の評価が一変するのは1895年。チャイコフスキーの急死直後、スコアをモスクワから取り寄せた振付師プティパが、イヴァーノフとともに新しい演出と振り付けで改訂初演。これが大成功を収めてからです。このとき、指揮者ドリゴによる編曲と、弟モデストによる台本の改訂も行われました。現在の《白鳥の湖》の演出は、この改訂版が基礎になっています。

  1. 森垣桂一『音楽之友社ミニチュア・スコア』の解説、vii ページ。
  2. 前掲書、vi ページ。
  3. ピアノ独奏用編曲を最初に行ったニコライ・カシキンの言葉。Goodwin, Noel, “Ballet, 2,” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 2. Macmillan, 2001, p. 583.
  4. 小倉重夫「チャイコフスキー《白鳥の湖》」『名曲解説全集5』音楽之友社、1980、177ページ。
06. 3月 2013 · (123) 《白鳥の湖》の物語を音楽で説明するには? はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , ,

《白鳥の湖》のストーリーを説明するためにチャイコフスキーが用いたのは、登場人物と調性を結びつける((122)「音楽の悪魔」参照)だけではありません。今回は、2つの音型とその意味について書きます。

1つ目は、悪の力を表す音型。譜例1は、組曲の第1曲目《情景》、白鳥の主題の後半。虚しく助けを求めるように少しずつ上行しながら、次第に断片的になっていく主旋律に対して、低音はファ#、ミ、レ、ド、シ♭、ソ#、ファ#と、悲劇に引きずり込むように静かに不気味に下降しています。各音の間はすべて半音2つずつの全音音階。半音が存在しないので、導音から主音(社長秘書と社長。(79) ドレミは階級社会?参照)に解決して落ち着くことができません。特殊な音階です。この全音音階の下行形が、悪の力の象徴1。グリンカ以来のロシア音楽の伝統です。

譜例1:チャイコフスキー《情景》の全音音階

譜例1:チャイコフスキー《白鳥の湖》の全音音階(《情景》)

探してみたら、グリンカのオペラ《ルスランとリュドミラ》序曲で見つけました。皆で一目散に走っているような第1主題と、のびのびとした第2主題がチェロによって再現された後、ファゴットやトロンボーン、低弦が2分音符の下行全音音階を奏しています(譜例2A)。実はこれ、新郎ルスランの目の前で新婦リュドミラがさらわれる場面で使われる、悪い魔法使いチェルノモールの動機の予示(譜例2B)。まさしく悪の力ですね。ボロディンの《イーゴリ公》序曲にも、最後に Animato になる16小節前から、トロンボーンとヴィオラ、チェロのパートに下行全音音階があります。

譜例2:グリンカ《ルスランとリュドミラ》の全音音階(A:序曲、B:第1幕)

譜例2:グリンカ《ルスランとリュドミラ》の全音音階(A:序曲、B:第1幕)

もう1つは、バレエ(および組曲)終曲の「死の動機」。間違いに気づいた王子が絶望するオデットのところに駆けつける冒頭の雄大な旋律は、すぐにオーボエによる白鳥の主題に。アレグロで1拍目を欠いたシンコペーションの伴奏が、アジタート(急き込んで)の雰囲気を作ります。「音楽の悪魔」3全音の和音が併置され、白鳥の主題はだんだん細切れになって切迫。もう1度初めから、白鳥の主題が白鳥の調ロ短調で高らかと奏され、さらに同主調のロ長調に。強拍を3等分する「死の動機」は、ここで登場(譜例3)。幻想序曲《ロメオとジュリエット》の終結部でも、同じリズム型がティンパニによって不気味に奏されます2

同じリズム型は、《白鳥の湖》第2幕第2曲で「悪魔の動機」としても使われました3。トランペットとトロンボーンが唐突に奏する譜例4は、王子とオデットの語らいを邪魔しに来る、フクロウに身を変えた悪魔ロートバルトの象徴です。音型だけではなく、調も悪魔の調へ短調と関係が深いハ長調で始まります(ヘ短調の属音から始まる長調)。

人物や事象、観念と音楽を結びつけてストーリーを表す手法は、ヴァーグナーらのオペラで多用されました。バレエ音楽でもアダンの《ジゼル》(1841初演)やドリーブの《コッペリア》(1870)などに見られ、チャイコフスキーは帝室劇場の図書館からスコアを借りて研究したそうです。交響曲やオペラの手法、フランス・バレエやロシア音楽の伝統なども取り入れ、登場人物の内面を描き出した《白鳥の湖》。でも、残念ながら評判は良くありませんでした。

譜例3:《白鳥の湖》終曲「死の動機」。譜例4:第2幕「悪魔の動機」

譜例3:《白鳥の湖》終曲「死の動機」。譜例4:第2幕「悪魔の動機」

  1. 森垣桂一『音楽之友社ミニチュア・スコア』の解説、x ページ。正確には、調の2番目の音が半音低くなった「ナポリの2度」(この場合はド#→ド)が含まれる下行全音音階が、悪の力の象徴です。譜例1はスコアの xi ページ、譜例3は xvi ページの譜例をもとに作りました。
  2. 森垣氏は幻想序曲《ハムレット》終結部のティンパニ・パートもあげていますが、これは弱拍が3等分されたリズムです。
  3. 小倉重夫「チャイコフスキー《白鳥の湖》」『名曲解説全集5』音楽之友社、1980、189ページ。
27. 2月 2013 · (122) 「音楽の悪魔」in《白鳥の湖》 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 聖フィル♥コラム · Tags: , , , , ,

《白鳥の湖》の悪魔って、フォン・ロートバルトでしょ。ヒロインのオデットは彼の魔法で白鳥の姿にされ、真実の愛を得ないと人間に戻れないのよね1。でも、王子はオデットではなくオディールに愛を誓ってしまう。悲劇よねぇ……。いえいえ、登場人物ではなく「音楽の悪魔」。3全音がこのように呼ばれます。

3全音とはその名のとおり、全音3つから成る音程(全音は半音2つ分)。ファからシ、ドからファ#などの増4度音程のことです。この2音は続けて歌いにくいし、同時に鳴らすと不協和。3全音はソルミゼーションを考案したグイード・ダレッツォ((76) ドレミの元参照)に禁止され、多声音楽において「音楽における悪魔 diabolus in musica(ラ)」と呼ばれ、忌み嫌われました。

チャイコフスキーはこの3全音を、組曲《白鳥の湖》第1曲《情景》の中で効果的に用いています。オーボエが始める白鳥の主題は、バレエ全体の中で最も有名ですね。この曲の途中でメロティーが3連符になるところの低音に注目。1小節ごとにドとファ#が交代します。初めは間にミの音を挟んでいます(譜例A)が、すぐにドとファ#が直接交代するように(譜例B)。後者もメロディーには、ファ#の倚音ソが挟まれているものの、響いている和音はそれぞれドミソとファ#ラ#ド#2。もの悲しい静かな雰囲気の冒頭とは一変。3全音の関係にある2和音の併置・交代が、落ち着かない3連符のリズム((110) 3分割から始まった参照)とともに緊張感を高めています。

譜例1:チャイコフスキー作曲《白鳥の湖》より《情景》、譜例A:35〜37小節、譜例B:38〜39小節。かっこで結んだ2音が音楽の悪魔

チャイコフスキー:組曲《白鳥の湖》より《情景》、譜例A:35〜37小節、譜例B:38〜39小節

チャイコフスキーがここで、中世から禁則とされた「音楽の悪魔」を用いた理由は? 彼は《白鳥の湖》の中で、歌詞が無いバレエ(当たり前ですが)のストーリーを聴衆に伝えるために、様々な音楽の象徴法を用いました。調の選択もその1つです3

バレエ全体の中心となる調は、第1幕の前に奏されるイントロダクション(組曲には含まれません)で使われる、シャープ2つのロ短調。先ほどの《情景》も同じロ短調で、これが白鳥を象徴する調になります。第2幕のオデットと王子による愛の踊り(独奏ヴァイオリンのあま〜いメロディー付き)は、ロ短調と関係が深い変ト長調(ロ短調のドミナント=属音→嬰ヘ音=変ト音。(79) ドレミは階級社会?参照)。

一方、悪魔の調はフラット4つのヘ短調です。第3幕の、娘オディールと共にロートバルトが城の舞踏会に登場する場面。チャイコフスキーは先ほどの白鳥の主題を使って、黒鳥オディールが白鳥オデットとよく似ていることを表現します。ただし、テンポを上げ、fff で木管に主旋律、トランペットに合いの手を演奏させて、オデットとの性格の違いを暗示。ここまではすぐに気づくと思いますが、さらに調でも一工夫。ロ短調ではなくへ短調を使い、音楽だけで(そっくりだけれども別人というだけではなく)実は悪魔なのだと告げています(下の画像 0:18くらいから。シンバルのずれは気にせずに)。

悪魔の調の主音ヘ音と白鳥の調の主音ロ音は、3全音の関係。チャイコフスキーは、互いに相容れない忌み嫌われる関係の調を設定して、正義と悪の構図を鮮明にしました。《情景》(譜例AB)で対置されるドミソとファ#ラ#ド#は、悪魔の調と白鳥の調のドミナント和音4。第2幕のオープニングとエンディングで演奏されるこの曲で、「音楽の悪魔」は白鳥・王子(正義)と悪魔(悪)の対決を予示しているのです。

  1. プティパとモデスト・チャイコフスキーが改訂した台本による。オリジナルではオデットは妖精の娘で、祖父の計らいによって白鳥になりました。小倉重夫「チャイコフスキー《白鳥の湖》」『名曲解説全集5』音楽之友社、1980、178ページ。
  2. ここでは他に、ファ#ラ#ド#をファ#ラ#ド#ミの7の和音に替えて、ドミソとの共通音を作り出しています。
  3. Wiley, Roland John, “Tchaikovsky” New Grove Dictionary of Music, 2nd ed., vol. 25. Macmillan, 2001, pp. 152-53. 森垣桂一『音楽之友社ミニチュア・スコア』の解説、ixページ。 
  4. 和声学的に言うと、このドミソはロ短調の II の和音の根音を半音下げた「ナポリの和音」です。